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第89号  2011年9月

2011/09/29(Thu) (第1507話) 老人クラブ 寺さん MAIL 

 “老いるにつれて孤独感が強まり、それが「うつ」を誘発したり、ぼけの起因にもなります。そんな中で功を奏しているのが「老人クラブ」という組織であり、活動であると思います。
 クラブヘの入会は自由ですので、大いに老後をエンジョイする場とすべきですが、問題もあります。私の所属は小地区の会員四十余人の単位クラブです。会長は熱心で、「会員の融和」をモットーにしています。さまざまな催しが計画されて、大変活気があります。
 しかし、会員の年齢幅の広さから、催しの内容には苦労しているようです。例えば若い層は旅行好きで、八十歳をすぎた人は雑談のような静かな雰囲気が好きだという具合です。両者を満足させるのは不可能だといえましょう。私は会員個々が他人に気兼ねをせず、自己に適した催しに参加して、楽しんでいくべきだろうと思います。”(9月15日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の青木さん(男・85)の投稿文です。日本全国、ほとんどの地域で老人人口の割合は増えている、ところによってはほとんどが老人というところもあろう。それだけに老人の扱いは重要なことである。そして、青木さんの地域のように老人クラブも多くの所であるだろう。様々な人があり運営も難しかろうが、頑張って欲しいところである。
 ボクの村は550戸位あり、もちろん老人会はある。今年は妻がその老人会の役員をしており、おおよその活動状況を知ることができる。60才以上が対象だが入会しない人が増えているという。これは一般会員にメリットが感じられない、役員をやりたくない、人との係わりを嫌がる、といったことが理由であるようだ。ボクも会員であるが入会しているメリットがみえない。各種行事に積極的に参加すればまた違ってこようが、そんな人はほとんどいないようだ。役員だけが忙しくしているように感じられる。青木さんのように言える会になって欲しい。ともかく老人人口は多いので、うまく活用すれば絶大な力になる。町内会以上の力になろう。実は来年度、ボクも会長の一人に押される事が予想される。悩むことになろうか。




2011/09/27(Tue) (第1506話) 花で出迎え 寺さん MAIL 

 “一宮市中心部の伝馬通三丁目商店街アーケードに、つり下げ式鉢植え「ハンギングフラワー」が飾られるようになって、今年で十五周年を迎えた。街を彩る「顔」として定着し、商店街の固定客獲得に一役買っている。
 商店主や市民でつくるボランティアグループ「花龍会」の九十人が年三回、季節の花に植え替えながら、手入れを続けている。会員は毎年五月に募り、年会費は千円。参加者から「花を勉強できて楽しい」「自分の鉢植えが『きれいだね』と言われるのがやりがい」との声が上がり、好評だ。花龍会の代表で、喫茶店「オールドローズ」を経営する山崎尚子さん(六八)は「メンテナンスを続けるのは楽ではないけど、花の植え替えや開花とともに、お客さんが何度も足を運んでくれる。まちににぎわいを呼ぶメリットは大きい」と話す。”(9月14日付け中日新聞)

 記事からです。伝馬町アーケードのハンギングフラワーは始まった時から知っており、時折通るとき、立派に維持されていることに感心する。もう15年になるのか、確かに街を彩る「顔」として定着している。こうした生き物を長年維持することは本当に大変な努力がいる。立派なものである。
 ボクが少しだけ関係している名古屋の会で似たようなことをした。しかし、まもなく枯れた。地植えならまだしもポットのようなものに植物を植えたら、よほど維持管理をする組織をキチンと作らないと失敗する。伝馬町は大いに参考になる事例である。




2011/09/25(Sun) (第1505話) 竜宮城 寺さん MAIL 

 “「竜宮城」。私は畑のことを、こう呼んでいる。畑に出ると、あっという間に時がたってしまうからだ。
 義父の具合が悪くなり、夫から「一緒に畑をやるぞ」と指令が出たのは三年前。高齢の義母が自分の夫の世話と農作業をこなすのは大変だと思い、畑仕事を始めることにした。サラリーマン家庭に育った私には農作業の経験も知識も全くない。でも《やるからにはおいしい作物を作りたい》と、まず野菜に関する本や雑誌を三十冊くらい読みあさった。そして、いざ実践。すると、そこには感動がいくつもあった。キュウリを切った後のつるからあふれる水滴の美しさ、宝物のようなスイカの雌花を見つけた時の喜び・・・。
 「無農薬と新鮮さだけが取りえだけど」とご近所などにおすそ分け。「買った物と比べると、こくと甘さが全然違う」などとお褒めの言葉をいただくことが何よりもうれしい。自分が育てた野菜がいとおしくて料理にも関心が出たし、夫婦の会話も増えた。毎日汗だくになるおかげで体重も減り、野菜作りにすっかりはまってしまった。紫外線が降り注ぐこともなく、やぶ蚊もいなければ、畑はパラダイスなんだけどな・・・。”(9月14日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・石川さん(53)の投稿文です。畑を竜宮城と呼ぶとは、何とも楽しく夢のあることである。始められて3年、野菜作りが全く経験のないことであったら発見と感動の連続であろう。野菜作りというのはそういうものであり、効用は大きい。雑誌を30冊も読まれたといわれるからその熱心さも大したものである。その熱意が感動をもたらすのである。
 しかし、石川さんはどの位の面積をされているのであろうか。実はこれが大きな問題である。石川さんは作った野菜を自家用と近所へのおすそ分けのようだからそんなに広い面積とは思えない。数10坪程度までなら竜宮城と言っておられようが、100坪を超えてきたらもうそんな悠長なことは言っておられない。ボクは300坪位を守しているが、これはもう頭痛の種である。草に負けっ放しである。他に借りてもらっている畑もあり、これが返されたらもう死ぬ!。竜宮城と呼べる人が羨ましい。




2011/09/23(Fri) (第1504話) すべての席を優先に 寺さん MAIL 

 “地下鉄に乗っていつも気になるのは、優先席が若者やサラリーマンなどで占められていること。混雑時には、優先席の対象になる人も、席を探すのが大変ではないでしょうか。
 全座席が優先席になっている地域もあります。名古屋でも導入を検討してはいかがでしょう。もちろんすいている時は、誰でも座れます。乗客同士に協力の機運が高まれば、本当に必要な人が席を探す手間もなくなると思います。”(9月12日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員(男・51)の投稿文です。この文章を見てボクには驚きであった。弱者はいたわるもの、どの席も近くに弱者がいたらその人に譲るものであったはずだ。それがいつの間にか早い者勝ちになり、弱者が座ることができなくなった。そこで鉄道会社は優先席を設けた、とボクは思ってきた。ところが一般席どころかその優先席も弱者に優先されなくなった。そこでこの会社員の意見となったのであろうが、対策を取ったことによって本来のことが見えなくなってしまった、そんな事例である。
 こういう本末転倒のようなことは時折生じる。今いい例が思い浮かばないが、例えば、本来車道を走るべき自転車に歩道を走ることを認めたら、歩道では強者になってしまった。歩道はあくまで歩行者のもの、自転車は使わせていただいているのである。これも似たような例ではなかろうか。どこにいても弱者に配慮する、この気持ちを忘れてはいけない。




2011/09/21(Wed) (第1503話) 支え合いの姿 寺さん MAIL 

 “ある先輩が、奥さんの葬儀のあいさつの中で述べられた言葉が忘れられません。「亡くなった妻は、私の支えによって、四十年間を絵に親しみ、描き続けてまいりました。私は亡くした妻の支えによって、書をたしなみ書き続けておるのです」
 妻の最期をこんなにはっきりと、思いやる夫の言葉を聞いたことかありません。九十歳に近いご夫婦です。私はこのあいさつを聞いて、いたく感動するとともに「よくぞ聞かせてくださり、はっと気付かされた」ことに頭が下がりました。
 私たち夫婦もそれぞれ趣味を持ち、日々を楽しんでおります。互いの理解と協力、支えがあればこそです。何も趣味に限ったことではありません。どんな夫婦もすべては、お互いの支えがあって生かされているのだと思います。先輩の言葉には、かくありたい夫婦の最後を語られていると同時に、今を教えられた気持ちでいっぱいです。”(9月11日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の市川さん(男・82)の投稿文です。支え、支えてもらう、夫婦の基本、本来の姿であろう。この葬儀の挨拶した人は90歳近い人というし、この投稿も80才越えの人である。こうした言葉を素直に言えるのも歳行った人なればのことであろうか。
 喪主は一般に子供が務め、配偶者の言葉を聞くことは少ない。どうして、配偶者がありながら喪主は子供が務めるのであろうか。気になって調べてみたら「従来は、祭祀継承者である故人の長男が喪主になりましたが、今日では妻でも親でも喪主を務めるようになりました」と言う文に出合いました。高齢になれば配偶者では務められないことも多かろう。いろいろな場合が想定されるが、参列者の心に残る挨拶だと嬉しいものである。




2011/09/19(Mon) (第1502話) 1年1回の家族写真 寺さん MAIL 

 “我が家では、年度替わりに家族写真を撮るのが恒例になっている。デパートの写真室で写してもらってから、ちょっとおしゃれなお店で食事して帰る。今年の主役は、昨年12月に生まれた孫たった。
 始まりは、長女誕生の記念写真。その後、長男と次男が加わり、しばらくは家族5人で撮っていた。長女が結婚して6人となり、孫が生まれて7人に。これからは孫の成長が写真に加わる。撮影はほんの10分間なのに、写真は精神状態も映し出してくれる。大学受験に失敗したときの、子どもたち3人の暗い表情。合格した翌年の顔は、明るく輝いている。特に次男はこの数年間、極度に落ち込み、生活が不規則だった。その間は青白く、表情のない顔をしている。立ち直ったいま、本人も写真を見て「わかりやすいね」と驚いている。
 子どもを抱く長女の姿を.眺めていると、昔の私に似てきたような気がする。私たち夫婦が亡くなった後も、子どもたちの家族が集まり、成長を写真に残す。帰りにゆっくり飲んで食べて、孫たちが一緒に遊ぶ。そんなつながりをずっと続けてほしいと願っている。”(9月2日付け朝日新聞)

 群馬県太田市の主婦・坂尻さん(62)の投稿文です。毎年1回、家族全員の写真を撮る。そして、食事をして終える。いい家族の習慣、記念日である。今の時代、何も写真館まで出かけなくても手持ちのカメラで十分なのにと思うが、ここは写真館だから続くし、いいと思う。簡単が何もいい訳ではない。こうした贅沢は無駄にならないのだ。羨ましい習慣を続けてこられたと思う。ボクの家庭も正月には一族郎党が集まってくる。記念写真を撮っておこうと思ってしたこともあるが、思いついた時の何回かで終わっている。続けるには皆がキチンとした意志を持つことが必要であろう。




2011/09/17(Sat) (第1501話) ミステリーツアー 寺さん MAIL 

 “先日、友人と2人で「ミステリー旅行」をした。名古屋駅からバスに乗り、行き先もルートも不明。パンフレットには「とあるホテル」に泊まり、「とある観光地で買い物」などとあるばかり。
 初めてのことで、やや不安だったが、結局、五箇山の合掌造りを見たり、井波の木彫りの里を見学したりする北陸の旅だった。あまり北陸路を知らないので、観光地は興味津々。宿泊先も一流ホテルで大満足だった。
 驚いたのは、最後にバスの車内で行われた最後のお楽しみの福引。ホテルのペア宿泊券と、袋に入ったお土産が当たるものだった。バスガイドがつくった「くじ」をバスの先頭の座席から順に引き、みんなで一斉に開くと、当たったのは、最後にくじを引いた最後尾の人たちだった。「残りものに福がある」って本当なんですね。”(8月30日付け朝日新聞)

 岐阜市の理容業・高橋さん(女・71)の投稿文です。旅行社が「ミステリーツアー」なるものを売り出したのはそんなに古いことではないと思う。新鮮さ、驚きを与えるために敢えて出発まで目的地を知らせない、または目的地に到着するまで目的地が解らないようにするものである。人気があり、今ではほとんどの旅行社が企画している。僕ら夫婦もよく利用する。また、友人との旅行にも利用する。それぞれ希望がありなかなか行き先が決まらない。そんな時ミステリーなら不公平がなく、簡単にまとまる。
 なぜこんな自主性のない人任せの旅行が多くなったのであろうか。それはもうかなり各地を訪れ特に希望のない人が多くなったからではなかろうか。暇な時間をどこでもいいから連れて行ってくれて温泉にでも浸かり、美味しいものを食べさせてくれればいい、そんな気持ちの人が多くなったからであろう。僕ら夫婦もそんなところである。ところがどこでもいいといいながら、意外に思いがけないところへ連れて行ってくれるのである。これが結構魅力である。まさに旅行社の企画力である。豊かな老人は大いに楽しんだらいい。経済活性化に少しは貢献するだろう。




2011/09/15(Thu) (第1500話) 四葉のクローバー 寺さん MAIL 

 “西尾市の禰宜田緑さん(七〇)のご主人は、毎朝五時四十五分になるとウオーキングに出掛ける。もう六、七年前からの日課だ。ところが、四月末ごろから帰りが遅くなる。最初の年は「何かあったのでは」と心配になった。そのうち事情がわかった。田んぼや畑のあぜ道で四葉のクローバーを探していたのだ。
 「今朝はこんなに見つかった」とうれしそうに帰ってくる。多い日は四十も五十も見つかることがある。しかし、一つも見つけられない日も多い。以前、たくさんあった場所に行くと、田植えの作業が始まっていて機械で踏みつけられて無くなっていたりするからだ。家に戻ると、電話帳にはさむ。乾いたクローバーを、自分で購入した機械でラミネートにする。ちょうど本のしおりにぴったりの大きさだ。
 ご主人は通院している病院にまとめて持って行く。院長先生に「患者さんたちに差し上げてください。早く元気になって明るく暮らせますように」と言って手渡す。親戚や友人・知人にも「幸せを」と言って渡す。緑さんも「主人の趣味なのでどうぞ遠慮なく」とプレゼントすると「幸せをもらってもいいのかね」と喜んでくれるという。(後略)(8月28日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。散歩中に四葉のクローバーを集め、しおりにしてプレゼントする、こんな楽しみ方もあるのですね。探すと四つ葉のクローバーがそんなにあるとは知りませんでした。人間様々なことに関心を持つことに感心します。それが人に喜んでもらえる行為に発展するとは更に素晴らしい。人間、どこで人に喜んでもらえるか分からないものだ。日頃の心がけだろう。
 この「話・話」がちょうど1500回になった。これが喜んでもらっていることかどうかはよく分からぬが、読むことを強制している訳ではないから、読まれる人には意味があることだと思っておこう。100に1つでも参考になればありがたい。そして1500回も、続けていればいつか到達する事ではあるが、焦ってできることではないし、その歳月は必要である。現在はほぼ1日おきにUPしているが、本人はほぼ毎日向き合っている。書いても書いても尽きていく。ホッとしている間がない。また、手持ちの題材がなくなりあわてる時が何度もあったが、そんな時その気になれば何か見つかるものである。不思議である。こうして1500回である。今はこれができるし、する価値も見いだしている。素直に達成感を味わいたい。




2011/09/13(Tue) (第1499話) 日本の夏 寺さん MAIL 

 “節電の夏。エアコンに余り頼らず過ごしてきた我が家。窓やベランダを開け放ち、扇風機や団扇で涼をとる。夜になれば蚊帳が登場。ブタの蚊やりに蚊取り線香。リビングの金魚鉢には、赤と黒が一匹ずつ。庭の方は、朝顔と風船かずらが、緑のカーテンで南からの強い日差しを遮ってくれている。
 すだれやよしずも大活躍。浴衣や麦わら帽子も日本の夏らしくていいなあ。
 当たり前に使っていた電気を見直して、幼少期のなつかしい夏に少しずつ戻そう。戻る勇気も必要だし、美しい日本を取り戻す最後のチャンスかもしれないのだから。”(8月28日付け中日新聞)

 「300文字小説」より愛知県尾張旭市の主婦・加藤さん(49)の作品です。加藤さんがここに書かれた生活はそんなに前のことではない。家庭によって違おうが、2、30年のことはなかろうか。こんな生活だったのだとすべて懐かしく思い出した。
 今年の電気不足はいろいろなことを思い出させ、考えさせてくれた。知らず知らずに浪費に走っていたことにも気づいた。いくら足りていても資源の浪費は悪だ。ただ昔に戻る必要もないが、時には振り返ることが大切であろう。今年の日本の出来事を無駄にしてはならない。




2011/09/11(Sun) (第1498話) 郷土の三英傑 寺さん MAIL 

 “織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。郷土の三英傑の中で一番強いのはだれなのかが気になり、調べてみました。その結果、ぼくは豊臣秀吉が一番強いと思いました。なぜなら、足軽からどんどん出世して、天下統一までなしとげたからです。秀吉は最初、信長の家来となり、機転を利かせて出世していきました。斎藤龍興や浅井長政との戦いで活躍し、領地も増えていきました。信長を殺した明智光秀をすぐさま討っていきおいにのり、他の強い武将を次々とたおしていきました。柴田勝家もやぶりました。その次に、徳川をしたがわせ、どんどん天下統一を図りました。このような理由で、ぼくは豊臣秀吉が一番強いと思いました。みなさんはどう思いますか。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県安城市の小学生・成田さん(男・11)の投稿文です。三英傑の内だれが一番強いか、順位をつけたくなりますね。成田さんは秀吉と結論づけられた。人それぞれ、いろいろな思いで答えを出されるでしょう。そして、時がたつとまた違った答えが出てくる。11才というと小学5年生ですね、この歳で歴史に興味を持つことはいいですね。どういうきっかけにしろ興味を持つと愉しいものです。愛知県はこの三英傑を始め歴史、史跡には事欠かない地域です。大いに興味を持って学んで欲しいものです。




2011/09/09(Fri) (第1497話) 親の身勝手 寺さん MAIL 

 “東京で仕事をしている次女が帰省してきました。中学の同級生と女子会をしたり温泉旅行に行ったり、忙しく過ごしていました。帰る前日、「『一日一善』という言葉があるでしょう。『一帰省一善』でもやってみようかな」と言いだし、二階のエアコンをゴトゴト、冷蔵庫の中をガタガタ、洗面所をゴシゴシと、汗だくになって掃除をしていました。
 私は急ぎの仕事があったため、その様子を見ていたわけではありませんが、《一人暮らしをしていると、いろいろ気が付くようになるんだ》と思っていました。
 「じゃあ、お母さん、元気でね。二階のエアコン、フィルターを洗ったから効きがいいわよ」と言い残し、帰って行きました。
 帰った後、冷蔵庫を開けるたびに 「わー、ドレッシングの容器がきれいに並んでいる」と驚き、洗面台の前に立つたびに「わー、コップがぴかぴか」と、びっくりしています。《すてきなご縁に早く巡り合えますように》と願っている毎日ですが、《こんな親孝行をしてもらえるなら、もう少し待ってもいいかな》とも思いました。”(8月26日付け中日新聞)

 岐阜県関市の主婦・長谷川さん(61)の投稿文です。常日頃感謝の気持ちを持ちながらも、なかなかその気持ちをうまく出せない、そんな人は多いものです。「一帰省一善」とはうまいことを思いつかれたものだ。そして宣言すれば堂々とできる。いい娘さんだ。
 しかし、お母さんは「《こんな親孝行をしてもらえるなら、もう少し待ってもいいかな》とも思いました」などとは決して思ってはいけません。この娘さんが何歳か分かりませんが、《すてきなご縁に早く巡り合えますように》と祈ってください。年月などすぐ過ぎていきます。今良縁に巡り合われたとしてもいつ孫が生まれますか?年とっての孫の守は大変ですよ。我が家には4人の孫がいますが、一番小さい孫でも妻の60才前の子です。それに比べたらいつであっても早いどころか遅い。




2011/09/07(Wed) (第1496話) カン?スガ? 寺さん MAIL 

 “「今の総理大臣は?」。こう聞かれて「?」。博識のこの人が知らぬはずはない。「カンさんかな、スガさんかの?」。やっと納得がいった。問うた主は耳が不自由である。話すことはできるが、こちらの声は聞こえない。もうじき九十歳。一人暮らしの彼は、いつも静かに本を読んでいたり、字幕が流れるテレビを見たりしていて、訪問する私たちをにこやかに迎え入れてくれる。(中略)
 「ずっと前から、一度聞こうと思っとたのやけど・・・」。そう言われてみると、毎日、「菅総理」の名が出ないことがない新聞にも、ニュースで菅総理の顔を映しているテレビにも、名前に振り仮名が付いていない。人名は、どう読むかは聞いてみなければ分からないこともある。「菅総理」の名前の読み方が分かってすっきりした彼の顔を見ていると、「不自由」ということは、こういうことなんだと、あらためて思い知らされた。介護の仕事に就いて五年。まだ、まだ・・・だ。”(8月24日付け中日新聞)

 三重県明和町の介護福祉士・久保さん(女・60)の投稿文です。こんなこともあるのかとこの文には正直驚いた。菅総理ができて1年3ヶ月、そして菅総理の名前は総理になるずっと前からマスコミをにぎわしてきた。カナ名はどこにもなかったろうか。字幕は流れてもカナまではふってない。もしあっても目に留まるほどではなかったろう。字幕が流れカナまでふってあると多くの人には目障りであり、不評を買うであろう。最近は手話を併用した番組もあるようになったと言ってもわずかである。新聞は読みにくい人名には時折カナが振ってあるが、あまりに有名な人だけにそこまでは思い至らなかったのだろうか。不自由というのは健常者には分からないところがある。知ったら少しでも配慮をしたいものだ。
 テレビについてはデジタル化のなった今後に期待したい。いろいろなことが組み込めるようになった。こうした障害者の声も聞いて配慮して欲しいものだ。それ以前にもう少し見られる番組を作って欲しいものだが。




2011/09/05(Mon) (第1495話) 長寿の理由 寺さん MAIL 

 “7月28日付朝刊に2010年の日本女性の平均寿命86.39歳で26年間連続世界一とあった。(中略)男性は79.64歳で09年の5位から4位に上がったとのこと。
 わたしがこの記事を読んでいると小学四年生の孫娘が「どうして女子は男子より寿命が長いの?」と聞いてきた。「女の人はこどもを産むため神様が丈夫で長持ちするようつくったんだよ」と答えたが、あまり納得した顔つきではなかった。
 つらつら思うに日本女性が世界一長寿なのは、こまめにはたらき、子育ての楽しみをもち、よく笑って朗らかに暮らしてきたからではないだろうか。市町村の事業や講演会に集まるのは大半が女性で、大いに笑って場を盛り上げる優しさと感性がある。女性はご近所付きあいをはじめ社会的なかかわりが豊かなことも長寿につながっているようだ。わたしの通うスポーツクラブでは初対面の女性が旧知のごとく打ちとけあって話し込む姿を目にする。トレーニングが終われば仲間といっしょにもりもり食べて免疫力を高める風景もある。お互いに不満や不安を吐きだし、慰めあい、励ましあってストレスを解消し、支えあうのが日本女性の平均寿命をのばす秘訣なのであろう。(中略)
 ただ、なぜ長生きがよいのか、という疑問も、時にわたしの頭にうかぶのだが。”(8月21日付け中日新聞)

 「中日新聞を読んで」という欄から作家で医師の篠田達明さんの文からです。ボクに言わせると、日本はまさに女性天国、女尊男卑の国です。その第一の証明がこの平均寿命です。人間の最も欲しいのは命です。この命の前に社会的地位や権力、お金は問題になりません。そして篠田さんが言われるように女性は人生を謳歌しています。仕事場以外、どこへ行っても女性ばかりです。これ以上何が欲しいのかと言いたい。男性はもっと考え直す必要があります。平均的に見て女性は10年位の未亡人時代があることになります。10年は長すぎるのではないでしょうか。いや、未亡人時代が最も愉しいと言われるのでしょうか、そうとするとこれも問題です。女性はつれあいをいかに元気で長生きさせるか、このことを重要視して欲しいものです。
 なぜ長生きがよいのか、ボクも考えてみようと書き始めてみましたが、短い文ではとても書けない問題ということが分かりました。でも考えてみたい問題です。日本人は少し長生きしすぎるようになったとボクは思っています。




2011/09/03(Sat) (第1494話) 遺品に原稿用紙 寺さん MAIL 

 “父の遺品を片付けていたらたくさんの原稿用紙とボールペン、鉛筆が出てきました。思い返せば本紙の「発言」によく投稿していたんです。友人が「きょうも載ってるよ」と知らせてくれたものです。
 高校教師だった父は退職後、洋ランを育てる傍ら自費出版で五冊の本も書きました。九十歳で亡くなるまで、辞書を使い込んで文章を練っていた父。私もこれから投稿に精を出して、残してくれた原稿用紙を減らせたらと思っています。”(8月20日付け中日新聞)

 愛知県安城市の主婦(68)の方の投稿文です。残された遺品がこのように活用される、残された人に奮起を促す、いい遺品です。こんな遺品を残したいし、こんな風に活用してほしいものです。
 文を書くことは非常に大切です。老化防止と言うことではなく、老いも若きも大切です。書ける人は意外に少ないのです。書けないというより書こうとする人が少ないと言うことかも知れません。少ないと言うことは、書ける人にとっては特技、取り柄になります。ボクはこんな駄文ですが、若い時から結構書いてきました。依頼も結構受けました。書くことから逃げなくてよかったと思っています。少々の書くことなんて誰にもできます。書き慣れれば苦にならなくなります。気持ちと慣れでしょう。ボクにとって「話・話」は本当にいい機会です。




2011/09/01(Thu) (第1493話) 小さな親切で 寺さん MAIL 

 “小さな親切を実行する機会は、私たちの周りにたくさんあります。例えば、電車やバスの中で体の不自由な人やお年寄りを見掛けたら席を譲り、駅前や道路に落ちているゴミを拾うことです。また、自宅に帰って履物を脱ぐときに、家族の分もー緒にそろえてはどうでしょうか。
 普段やっていないことを行うのは、難しいことです。初めのうちは少し勇気が必要かもしれませんが、何度も続けていけばそのうち抵抗感もなく行えるようになります。温かい心遣いは実行すればするほど豊かになり、勇気も奮い起こせば奮い起こすほど強く大きくなっていきます。困っている人を見掛けたら傍観者でいるのではなく、すぐに救いの手を差しのべてください。一人一人の小さな親切が、社会をより豊かで温かなものにしていくことでしょう。”(8月20日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の田島さん(女・88)の投稿文です。前回と同じような話です。総まとめのような文です。人の非難を受ける悪いことをするのに勇気が要るのは分かりますが、褒められるような良いことをするのに勇気が要る、何かおかしな話ですが、ほとんどで事実です。なぜなんでしょう。良いことをする人が少なく目立つからでしょうか。よいことをして目立つと恥ずかしいのでしょうか。いい格好しいと非難を受けるからでしょうか。若い人にはあるようですが、これはおかしなことです。これは悪い方に人を引きずり込みたいからでしょうか。人間は悪の面もあるが、多くは善だとボクは思っています。良いことをして損はほとんどの場合ありませんし、非難もありません。それでもいいことはしにくい、考えれば考えるほど分からなくなります。田島さんのように素直に生きたいものです。



川柳&ウォーク