2011/07/12(Tue) (第1472話) 万年を重ねても |
寺さん |
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“会社で新人社員の教育を担当していた友人が定年退職した。わが家に来た彼女、私がお茶を入れるのを見て言った。「今の若い子は『お茶ってそうやって入れるんですか』って、私がお茶を入れるのを見て言うの。お茶はペットボトルで買うものと思っている子が結構いるのよ」。嘆くことしきりだった。 その後、私が毎年、大きな鉢で育てている高さ1mほどに育ったトマトを見て言った。「うわあ、すごい。私も今年初めてトマトの苗を買って植えたのよ。このトマトは去年の木?」「トマトは毎年、新しく苗を買って植えるに決まっているじゃないの」トマトは一年草と断言し、念のため調べて驚いた。熱帯地方では「多年」らしい。トマトについては熟知しているつもりだったが・・・。さて、友人のトマトはまだ植えて間もないという。若者だけでなく、野菜を育てる方もどんどんうまくなってほしい。”(6月27日付け中日新聞)
愛知県岡崎市の三橋さん(女・72)の投稿文です。確かにお茶は多くの職場や会議ではなくなったろうが、家庭でもなくなったのであろうか。お茶を入れる風景を見る機会もなくなったというのだろうか。三橋さんの友人は新人教育を長年されていたとうことで今の実態をよく知られていることであろう。驚きである。ボクはつい最近まで、いや今でもお金を出してお茶や水を買うことに抵抗がある。日本ではお茶や水はただのものなのだ。 トマトが多年草とは知らなかったが、ここは日本である。日本では1年草である。ここまで言われるといくら万年を重ねても無理で、ここはやはり友人の方がおかしい。この友人は多分普通より物知りだと思うが、それでもこれである。人はいくら知識を得ても知らぬことばかりであり、万年を重ねても十分と言うことはあり得ない。日々知識を取得していく心構えで暮らせばいいであろう。 7月7日の「(第1470話)田植え」でも書いたように生活に必要な知識はある程度実体験の中で得ていたいものだ。機会がないということはその人のその生活の仕方では必要ないと言うことであろうが、突然生活が変わることはいくらでもありうる。災害時などはその典型である。その時対応できるのがその人の実力である。機会を作ってでも知っておいた方がいいことは多い。今の日本はあり得ないほどに恵まれている気がする。電力不足が言われる今は見直すいい機会と思う。
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