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第87号  2011年7月

2011/07/31(Sun) (第1481話) おばあちゃんとの時間 寺さん MAIL 

 “小学校低学年の時、親が共働きだったので、学童保育に通っていた。そこで過ごせるのは午後5時まで。親が帰ってくるまで2時間ほど、家で一人だった。寂しいので、家の前で親の帰りを待っていた。
 ある日、私の家の裏側に住んでいた「裏のおばあちゃん」が家にあげてくれた。おかきをほおばりながら、学校での出来事を話した。おばあちゃんは耳を傾けてくれた。以来、毎日のようにおばあちゃんの家に行った。親の帰りを待つ2時間は寂しい時間から、楽しい時間に変わった。
 でも高学年になると、友達と遊ぶのが忙しくなって、足は遠のいた。あれから10年。おばあちゃんを見かけても、声をかけることもなくすれ違う日々を送っていた。でも、そんな自分が嫌で先日、勇気を出し、「お元気ですか」と声をかけた。「あら、修斗君、久しぶり」。おばあちゃんは私を覚えてくれていた。しかも名前まで。数分の立ち話が終わり、その場を離れた後、自分でもよくわからなかったが、涙があふれた。思いきって声をかけてよかった。今度会った時、ちゃんと伝えよう。「おばあちゃん、ありがとう!」”(7月17日付け朝日新聞)

 兵庫県西宮市の高校3年生・小寺さん(男・17)の投稿文です。あれほど素直だった子供も小学高学年になって来る頃からおかしくなってくる。挨拶する子もしなくなったり無口になってくる。照れであろうか。小寺さんはそれはいけないことだと意識されていた。そんな自分をいやだと思い、ある日勇気を出された。その勇気は相手にキチンと伝わった。人間にはいろいろな時期がある。しかし、肝腎なところでは素直になって欲しいものだ。人間は元来素直なものだから。
 ボクの小学5年の孫も近くの道や畑で会う人にキチンと挨拶をするらしく、ボクも時折お褒めや感謝の言葉を聞く。サア、どこまで続いてくれるか、興味のあるところである。




2011/07/29(Fri) (第1480話) ハイタッチ見送り 寺さん MAIL 

 “六月九日の本欄「母の見送りに感謝伝えたい」という大学生の投稿を目にし、うれしくなりました。わが家では、会社に行く主人を娘と二人、ハイタッチで見送ってきました。娘が家を出てからは「気を付けて」と、一人で続けています。
 当たり前に過ごす日常は永遠に続く気がして、この瞬間が最後の別れになるなんて想像もできません。しかし百パーセントの保証はないのです。けんかをして見送りをしなかった日は、一日中気分がふさぎます。それで、不愉快なことがあったときは話し合い、翌日まで持ち越さないように努力してきました。
 先日娘が帰省し、久しぶりに二人で見送りました。久々の娘とのハイタッチにご機嫌な夫の背中を見ました。「行ってらっしやいと送り出された家族の事故は減る」と聞いたことがあるけれど、本当のような気がします。”(7月12日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(53)の投稿文です。奥さんと娘さんのハイタッチを受けて出勤する、全く羨ましい光景である。ハイタッチはいい、こういう家族もあるのだ。奥さんは分からないでもない。どこの家庭も何らかの形で見送っておられるであろう。我が家でも最寄りの駅まで車で出かけるボクの車の安全誘導をし、出かける時にはお互い手をあげる。もう何十年と続いている出勤風景である。
 しかし娘さんとなると違う。娘さんはいつから始められたのであろうか。小さい時の行動がづっと続いたのか、それともある時からか、興味がある。どちらにしてもいい行動である。そして、帰省した折りにも以前の習慣をする。父親は自分は幸せだなあ、ときっと感じて出勤されたはずだ。




2011/07/27(Wed) (第1479話) 楽しい勉強 寺さん MAIL 

 “大人になってからの勉強って、なんて楽しいのでしょう。学生時代、私は勉強が大嫌いでした。両親は一度も「勉強しろ」とは言いませんでした。しかし社会に出てから、学校の勉強の大切さを知りました。
 そこで、小学一年生から六年生までの問題集を購入し、自分なりに勉強しました。五、六年生ともなると、算数は結構難しいです。正解だと、とてもうれしくなります。歴史も面白いです。学生のときは、ただ年号を覚え、うわべだけ学んだ気がします。でも大人になると、例えば、兄弟同士の争いから発展した戦などは感情移入できるので、とても楽しいです。
 今度は中学一年から三年まで勉強します。年齢とともに記憶力も衰えますが「なせば成る」の心意気であまり無理せず、私なりに頑張っていきます。そして、おばあちゃんになったら、大学で学びたいです。それが私の夢です。”

 名古屋市の会社員・水野さん(女・48)の投稿文です。人間は勉強にしろ何にしろ押しつけられるといやになるものである。学校の勉強などは義務であり、その最たるものである。少し考えれば自分にいいことと分かっていても駄目である。全く論理的にできていない。そして、卒業すると後悔するのである。水野さんもここまでは多くの人と同じである。ところが水野さんは偉い。気づいた時から小学1年生の問題から勉強を始めたというのである。小学校を終え次は中学校だという。そして自主的な勉強は面白いことにも気づかれた。
 一宮友歩会の例会ではできるだけ説明してもらえる人を依頼している。歴史について、地勢についてほとんどの例会で話をしてもらっている。現場を見ながらの自主的な勉強だけに知識も興味も深まる。これが本当の勉強の楽しさだろう。
 水野さんについて更に偉いと思ったのはその年齢である。高齢者なら分からないでもない。余裕もあり老化防止の意味もある。48歳は人生の真っ最中である。それでなくてもいろいろある時期である。この時期にこの楽しさを味わっておられることに感心する。




2011/07/25(Mon) (第1478話) 人間ドッグの日 寺さん MAIL 

 “愛車が走行10万キロを超えた後も何年聞か使い続けたことがある。親しい修理業のおやじさんは、口癖のように言った。「こいつはいい車です。エンジンもブレーキもしっかりしてる。まだまだ走れますよ」点検整備の方針はこうだった。気になるところが出てくればすぐに、出てこなくても早め早めに、チェックする。しかし多少の不具合なら、とりあえずは様子を見る。あわてて部品交換をしたりしない。もしそうしたら全体のバランスが崩れ、結局は全部取り換えなくては済まなくなる。
 高齢の体のメンテナンスも同じではないか。悪いところをほじくり出すのが目的ではない。肝心なのは全体のバランスを考えつつ病気と上手に付き合うこと。
 1954(昭和29)年7月12日、国立東京第一病院(現国立国際医療研究センター)で短期入院検診が始まった。これにちなんで、この日は「人間ドックの日」とされる。七つの海を渡り、やっとの思いで母港にたどり善いた巨船にも、再び船出する日は来る。”(7月10日付け中日新聞)

 赤沢さんの「この日何の日」という欄から7月12日の話です。この欄からは初めての紹介である。自動車と人間のメンテナンスは同じだという。そして「全体のバランスを考えつつ病気と上手に付き合うこと」が肝腎と言われる。ポンコツの自動車も人間も全体が弱ってきているのだから拾い出したらきりがない。このまま外っておくと全体に影響を及ぼす、致命傷になると言うところをバランスを保ちながら適度に修繕していく。納得である。人間ドッグで検診をうけながら病と上手に付き合うことである。
 この文で面白く思ったのは自動車の修理である。人間は簡単に部品を取り替えたりすることはできないが、車ならできる。その車でもそう簡単に取り替えるものではないという。取り替えた方が商売になると思うが、誠実な修理屋さんはそういう者ではないと言うことだ。
 そしていろいろな日があるものだ。365日、毎日が何かの日になっているのだろう。これも日本の特質だろうか。




2011/07/23(Sat) (第1477話) 大きくなったら 寺さん MAIL 

 “帰省した娘と一緒にやって来た五歳の孫と散歩した。「田んぼの細い葉っぱって、お米だよね。でも、お米に見えないね」と孫。私が「これから大きくなって、秋にお米になるよ」と答え、すかさず「大きくなったら、どんなお仕事するの」と問うと、変身のポーズとともに、合体戦士の名を告げた。
 「地球平和のために戦うの。英語も話せないとダメなんだよ。僕はスイミングに行ってるから泳げるしね」。《泳ぐことは関係あるのかな?》なんて考えていたら「おばあちゃんは何になるの?」と聞く。
 絶句する私に「早く決めなきゃ」。「もう大きいし」と答えると「僕のお母さんより小さいじゃん」と言う。確かに君のお母さんより身長は低い。大きくなれるか聞いてみた。彼は胸を張り「ニンジンやピーマンもよくかんで食べて、いっぱい運動して勉強して『ファイト!』だよ」。
 《そうね、まだできるかも》なんて考えていたら楽しくなって走り始めたけれど息が切れ「待って!もう少しゆっくり」なんて叫んでいる情けない自分に笑いが込み上げた。孫に勇気をもらった心に残るひとときだった。”(7月10日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・錦織さん(62)の投稿文です。5歳程度の孫との会話は、経験した人ならどなたも至福の時間と感じられたであろう。この投稿など全くありふれた光景であるが、読む人をほのぼのとさせ新聞に取り上げられていることも多い。体験できない人にはうんざりされるかも知れないが、ボクも久しぶり取り上げる気になった。
 この年齢程度の子供は自分の知識の中で思ったままを言う。そこには作為もこびも何もない。その会話の中に時折ハッとさせられるものがある。その一つがこの錦織さんの投稿文であろう。幸せなことに我が家もそんな家庭の中にある。帰ってくれば妻の話はまず孫とのやり取りである。疲れる疲れると言いながら、楽しそうに話している。
 少し前まではどの中高年にもあった風景だろうが、今ではどの人でもと言う訳にはいかない。同居は少ないし、子供の家庭が遠い場合も多い。それどころか結婚しない人が増大している。人間何が重要か、高齢になった時どうなるか、もう少し本気で考えて欲しいと思う。結婚相手が見つからないという人も多かろうが、身勝手や真剣度が足りないのではなかろうか(と言えば叱られるであろうか)。




2011/07/21(Thu) (第1476話) 街頭インタビュー 寺さん MAIL 

 “「今回のこの件どう思われます?」「ああ、今、騒ぎになってる・・・」「お怒りとは思うのですが」「いやぁ、別に」「もう怒りを通り越して、呆れかえっている?」「いや、何とも思っていませんよ。そういうこともあるだろうなと」「もう考えるのもイヤという感じですか?」「イヤもナニも、それほど考えてないし」「今は、腹立ちだけが残っている」「腹立もって・・・よくやったほうじゃないの?」「皮肉でも言うしか、もう返す言葉がないということですね」「皮肉?あんた、俺の話、全然聞いてないね」「やはり、お怒りですね。ありがとうございました。今回の騒動に、国民の大半が怒り心頭の状態です。街頭インタビューを終わります」”(7月10日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県一宮市の会社員・石川さん(男・51)の作品です。これは小説であろうか、いや、テレビなどで見た風景をそのまま文字にしたのではなかろうか。こうして文字にされると何かおかしいと思うが、テレビなどで見ているとその流れの中で見てしまうので不自然もなく受け入れてしまう。昨今の政権や原発問題のインタービューやアンケートを見ているとこういった自分の筋書きに沿わせようとするものが実に多い気がする。こうしたものは問い方によってどうにもなる、統計の数字でさえ自分に都合よくできるのである。街頭インタービューなどは実況でなければ自分の筋書に沿う意見だけを採択することもできる。投稿などはもちろんである。こうしたものはよくよく注意してみなければならない。石川さんには注意を喚起する面白い作品を書いてもらったものだ。




2011/07/19(Tue) (第1475話) 散歩のご褒美 寺さん MAIL 

 “「あら、こんな所にササユリが」。見れば、三十本近く咲いている。一人で散歩をしている私に、うれしいご褒美だ。一日中座って仕事をしているので、休憩の時間を使って、勤めている工場周辺を歩くことにした。歩き始めたのは二月ごろ。もう梅雨の時季。季節の移り変わりを感じながら歩くのが楽しみとなった。
 ふと見上げた山の斜面にササユリを見つけたのは梅雨の晴れ間のある日。派手なユリと違い、淡いピンクで日陰にたくさん咲いていた。思えば、亡き義父も毎年この時季、わが家の山で抱えるほどササユリを取ってきてくれた。バケツにあふれるほど無造作に入れて、さりげなく玄関に置いておく。それを花瓶に生け直すのが私の役目。家中にいい香りが漂ってくる。今はイノシシが山を荒らしてしまい、残念なことにササユリも無くなってしまった。
 思いもかけず、誰にも気づかれないようなこんな所でササユリに合えるなんてうれしい限りだ。心地よい風を受けながら、いろいろな思いを感じながら、一人で歩く楽しみを味わっている。”(7月8日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の会社員・鈴木さん(女・54)の投稿文です。ササユリは香りもよくそそと咲き何か可憐である。ボクもよく行く里山で笹の中に偶然見つけて嬉しく思った経験がある。鈴木さんは散歩途中で見つけ義父を思い出された。
 散歩のご褒美はいろいろなものがある。特にこのササユリのように季節によって発見するものは多く、植物に関心を持つと散歩はより楽しいものになる。その他に鳥や虫、思いがけない史跡を発見したり、人に出会ったり・・・。1人の散歩もあるし、友人との散歩、親子との散歩などもあろう。散歩については発見も多く投稿文も多い。その中の1つを久しぶりに取り上げてみた。散歩に興味が増えてきたのは嬉しいことである。まずは実践することであろう。
 と言うボクはこうした散歩はほとんどしたことがない。いつの日か近所を散歩してモーニングコーヒーに行く、そんな日々が来ることを思いながら、そんな余裕のある日々はまだ遠いことを願っている気持ちもある。




2011/07/17(Sun) (第1474話) 夢のNY 寺さん MAIL 

 “二十歳の頃から夢見ていた、あこがれのニューヨーク暮らし。半ばあきらめたこともあったけれど、昨秋、半世紀ぶりにチャンスが到来した。バンザーイ。円高、健康、家族の同意に、こつこつためてきた50万円ほどの資金もある。
 「時は今。行動あるのみ」と、娘にインターネットでアパートを探してもらい、英語の勉強もそこそこに、準備すること2ヵ月。2010年11月16日。誕生日の翌日、大きなトランクと少しの不安を胸に、72歳は旅立った。
 暮らしたのは、セントラルパーク近くの古アパート。昔の映画に出てくるような階段を上った先の、ダブルベッド付き1DKの部屋が私のお城だった。近所のスーパーでパンやコーヒーを買っての自炊生活。英語が分からないなりに、テレビのニュースを見たり、地下鉄に乗ってあちこち散歩したり。部屋でストレッチしながら、来し方を振り返る時間も得た。
 今も目をつぶると、クリスマスイルミネーションの輝く街と、そこで出会った親切な人々の顔が浮かび、胸が熱くなる。無謀ともいえる1カ月間の旅を無事に終えて、全てに心から感謝せずにはいられない。”(7月4日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・阿部さん(72)の投稿文です。阿部さんは普通に言う主婦だろうか、いずれにしろこの内容が72歳の人のことに驚いた。72歳にして初めてのニューヨーク一人暮らしである。観光旅行ではない。それも20歳の頃からの夢であったという。本当に無謀とも言える1ヶ月である。人の可能性についてまた教えられた。阿部さんに比べればボクなど年も若いし、条件もいい。理屈をつけてできないなどと言ったら叱られそうである。全く人間の可能性は恐ろしい。する気があるかないかだけの違いである。




2011/07/14(Thu) (第1473話) 企画力に感動 寺さん MAIL 

 “毎年、名古屋のホテルで行われる同窓会が、初めて出身大学でありました。卒業してから、学校へはー度も行ったことがなかったので、三十年ぶりの学校の様子を見たくて、出席しました。
 最初に会長さんらのあいさつの後、なぜ学校での開催になったのかの説明を聞いて、感心しました。東日本大震災で被災者になった同窓生もいることから開催の自粛も検討しましたが、出費を抑えて学校で開催し、会費から義援金を送ることにしたそうです。
 学生食堂ではホテル並みの料理が出たり、資料展示室では神社のおみくじの卒業論文の展示からヒントを得た特製おみくじが用意されていたりと、その企画力に感動しました。
 キャンパスツアーでは、普段入れない所も見学できよう学校も協力してくれました。久しぶりの図書館は駅の改札口のようにカードを通して入室するようになっていました。
 周りに緑もたくさんあり、駐車場もあって、お金をあまりかけずに、知恵で人を楽しませる方法があることを教えられました。幹事さんらに楽しいひとときをありがとうと、感謝の気持ちを伝えたいです。”(6月30日付け中日新聞)

 三重県桑名市の会社員・岩田さん(女・52)の投稿文です。なかなかの幹事さんである。確かに感心する。しかし、同窓会と言っても全学年を対象としたものか、同じ卒業年次だけをを対象にしたものか、それによって規模は大きく違うし、体制も全く違ってくる。
 ボクも長年、小学校と中学校の同窓会幹事をしているが、これは小さな学校の同じ卒業年次だけを対象にしたものである。小学校は1人で企画し準備をしているし、中学校は2人でしている。近年は毎年と言うことで時期も場所もほとんどを決めている。その方が皆さん予定がしやすいし、幹事も楽である。少しの工夫はしてきたが惰性になっている。この話は刺激になったし、参考になった。1つは恒例の年と特別の年を作るという方法に気づいた。
 本当は幹事も適度に交替し皆が経験するといいが、よほど気が一致していないと大概どこかで途切れる。同好会的なものは皆同じである。




2011/07/12(Tue) (第1472話) 万年を重ねても 寺さん MAIL 

 “会社で新人社員の教育を担当していた友人が定年退職した。わが家に来た彼女、私がお茶を入れるのを見て言った。「今の若い子は『お茶ってそうやって入れるんですか』って、私がお茶を入れるのを見て言うの。お茶はペットボトルで買うものと思っている子が結構いるのよ」。嘆くことしきりだった。
 その後、私が毎年、大きな鉢で育てている高さ1mほどに育ったトマトを見て言った。「うわあ、すごい。私も今年初めてトマトの苗を買って植えたのよ。このトマトは去年の木?」「トマトは毎年、新しく苗を買って植えるに決まっているじゃないの」トマトは一年草と断言し、念のため調べて驚いた。熱帯地方では「多年」らしい。トマトについては熟知しているつもりだったが・・・。さて、友人のトマトはまだ植えて間もないという。若者だけでなく、野菜を育てる方もどんどんうまくなってほしい。”(6月27日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の三橋さん(女・72)の投稿文です。確かにお茶は多くの職場や会議ではなくなったろうが、家庭でもなくなったのであろうか。お茶を入れる風景を見る機会もなくなったというのだろうか。三橋さんの友人は新人教育を長年されていたとうことで今の実態をよく知られていることであろう。驚きである。ボクはつい最近まで、いや今でもお金を出してお茶や水を買うことに抵抗がある。日本ではお茶や水はただのものなのだ。
 トマトが多年草とは知らなかったが、ここは日本である。日本では1年草である。ここまで言われるといくら万年を重ねても無理で、ここはやはり友人の方がおかしい。この友人は多分普通より物知りだと思うが、それでもこれである。人はいくら知識を得ても知らぬことばかりであり、万年を重ねても十分と言うことはあり得ない。日々知識を取得していく心構えで暮らせばいいであろう。
7月7日の「(第1470話)田植え」でも書いたように生活に必要な知識はある程度実体験の中で得ていたいものだ。機会がないということはその人のその生活の仕方では必要ないと言うことであろうが、突然生活が変わることはいくらでもありうる。災害時などはその典型である。その時対応できるのがその人の実力である。機会を作ってでも知っておいた方がいいことは多い。今の日本はあり得ないほどに恵まれている気がする。電力不足が言われる今は見直すいい機会と思う。




2011/07/10(Sun) (第1471話) 文明の利器? 寺さん MAIL 

 “孫が久しぶりに来るというので、バーベキューをすることにしました。前日、半日かけて大きな五平餅を作りました。さて、当日。息子と孫が炭火をおこし始めましたが、新聞紙をたくさん使っても火はなかなかつきません。「ばあちゃん、うちわ」と孫に言われ「はい、はい」と、お盆用のうちわを探して渡しました。それでも灰が舞い上がるだけ。「火吹き竹ないの」《ああ、そうだ。昔はあったのに、どこに行ってしまったのかなー》「火おこしは?」《ああ、それも最近まであったはずなのに・・・》仕方なく、ガス台のコンロの上にじかに炭を載せて点火しました。でも、パチパチと音がして、すぐ止まってしまいました。考えてみれば、ガス台が古くなったので、最近、新しい物に買い替えたところ、安全装置付きとかで、真ん中の棒を押さえ続けなければ火は消えてしまうのです。
 老齢になった私の安全を考えれば必要かもしれませんが、《昔の道具も、いざという時には必要なのだ》ということも思い知らされました。”(6月26日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の農業・鈴木さん(女・86)の投稿文です。文明が進むとは人間ができなかったことを機械ですると言うこともあるが、人間の能力を機械に置き換えると言うことも多い。すると人間の能力はどんどん衰える。今釜戸でご飯の炊ける人はどの位あるだろう。そしてこの話である。火をおこすことも大変である。電気仕掛けのこれらの機械が使えない時、代替えの方法はあるか?災害対応が叫ばれている今、もう一度考えてみる必要がある。
 我が家は比較的古いものが残っていたが、もうだいぶ少なくなった。釜戸もあったが処分した。火吹き竹も火起こしももう無い。しかしまだ井戸はあるし、汲み取り式のトイレもある。風呂は太陽熱温水器だし、一昨年太陽光発電も取り付けた。災害の程度にもよるが、いろいろな様式を備えていた方がよかろう。




2011/07/07(Thu) (第1470話) 田植え 寺さん MAIL 

 “今年も日々青さを増していく早苗田の水回りに通いながら、無事に田植えを終えられたことに感謝せずにはいられない。津波が襲った東日本大震災被災他の田や畑は、どうなったであろう。原発事故で古里を離れた農家の人々の心の傷は、私たちでは量り切れないような気がする。
 夫は八十を超えた。もみまきは高校生と中学生の孫が手伝ってくれた。肥料をまくのと田植えは息子、そして補植は娘と孫、苗箱洗いは娘婿と二人の孫がやってくれた。このように田植えをいつまで続けることができるかどうかは分からない。夫が元気でいてくれることを、心の中で願うばかりである。
 野良で若者を見ることはほとんどない。日本の農業は今後、どうなっていくのだろう。子どもたちは、コメができる過程を本でしか知らなくなるだろう。農家の子どもでもそうだから、ましてや都会の子どもたちは、種からまくのか里芋のように種芋を植えるか分からないだろう。少しばかりのバイト料に喜んで「また手伝いにくるからね」と帰って行った孫。コメができる過程と農業の大変さを心に刻み込んでくれたらうれしいと思う。”(6月25日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市のパートヘルパー・桜井さん(女・70)の投稿文です。ボクの子供の頃の田植えは家族総出行う作業であった。学校も田植え休みがあった。この風景はその時代を彷彿させる。家族が力を合わせて農作業をする、いい風景である。ボクの近所に今でも遠くに行っている子供も帰ってきて総出で田植えをしている家族がある。1年の1つの大きな行事である、祭である。こういう家族の絆は強い。
 いつの頃からか子供は学校の勉強さえしていればよく、家事を手伝うものでなくなった。そして桜井さんが言われるように、野菜など実としてなるものなのか、地下にできるものなのか、まして、春の野菜なのか秋の野菜かなどは全く知らない。こんなことは学校ではなく生活の中で知っていくことなのだが、全く欠けている。学校の学問などこの生活の基本があっての上のことである。まあ何事も知らなくても生きては行けるが、変な社会になっていくだろう。今のところボクの孫は外が大好きで、ボクが畑をやっているのを見つけるとすぐにやってくる。そしていろいろ教える。しかし、もう少し大きくなるとどうなるだろう。心がけてやらねばならない。




2011/07/05(Tue) (第1469話) 私の老い支度 寺さん MAIL 

 “末っ子で子どもも産まなかった私は、一人暮らしを何十年もしている。当たり前だと思って過ごしてきたが、いよいよあの世へのお迎えが近づいてきたので、どうしようかと本気で考えている。実家は、跡取りが早く亡くなっているので、おい夫婦しかいない。もし、長く入院したとしたらお金が無くなってしまう。自死は「後に残った人に迷惑をかけるから」と、自重している。
 今は尊厳死の意向が尊重されているので、一応の書類は残してある。
 @延命治療はしないで下さい A死体はすぐ葬儀社に移し集まった身内だけで通夜ら しき形式を取って下さい B火葬が済んだら葬儀社に頼んで散骨して下さい C戒名はいりません D葬儀はいりません E集まった人たちでゆっくり食事会をして下さい
 以上の書類をおいに託し、「死後の法要等一切行わないで下さい」として、話してある。それで私はあの世から地上の美しいものだけを眺めて、生前、できなかったことなどを楽しみたいと思っている。これからの世の中、こうであって欲しいと願っている。”(6月25日付け朝日新聞)

 岐阜県土岐市の今井さん(女・87)の投稿文です。自分の終末をどのように取り仕切るのか、最後にして大問題である。「死んだ後のことまでは知らない」などと言っていると、残された人に大変な迷惑をかけることになる。死はそんなに粗末には扱えない。今は多様な価値観がある。いろいろな意見があり、いろいろな思惑が交錯する。本人が考えを伝えておけば、残された人の方針はある程度決まる。
 今井さんは子供さんがないこともあって、このようなことを書いて残されている。しかし、今の時代には思い切った内容である。これでは伝えておかなければほとんどのことはなされないであろう。
 ボクは今年地元の霊園の管理を担当しているが、もう返却が2件あった。毎年増えているようだ。せっかく霊園を手に入れても守ってもらえる人が見つからないことが原因である。姻戚関係が希薄になっていることが原因であろうか。今井さんの遺言もその現れであろうか。時代と共にいろいろな変化はあろうが、何か人間の変わってはいけないものまで変わっている気がする。




2011/07/03(Sun) (第1468話) 心の中に幸せ願う部屋 寺さん MAIL 

 “きのう、郵便受けに見覚えのない筆跡の封書があった。住所と名前を見て、「あーっ」と声をあげた。
 朝日新聞に掲載された「いま伝えたい 被災者の声」のページに、春、石巻市の家族の写真が載った。赤ちゃんを抱いた若いママとパパ。「津波の日の夜は、母乳も出なくなってどうすればいいのかと思った」「お尻ふきがほしい」という切なる言葉に、夫とすぐ荷造りして避難所に送った。数日後、お礼の電話を受けて恐縮した。18歳の若いママは「行く所ないから、出て行けと言われるまで、この避難所にお世話になります」と話してくれた。
 あの日以来、私の心の中に「3人家族の幸せを願う部屋」ができた。赤ちゃんはミルクを飲んでるかな? 仮設住宅に入れたかな? パパの養殖業はどんな具合かしら? 毎日毎日想っていた。想うだけ・・・。かわいい模様の便箋には「娘が寝返りをうつようになった」「やっとアパートに引っ越した」と近況がつづられ、最後に「千葉さんが困った時は今度、私が助けます!!」の1行があった。彼女の優しさと強さに感動した。3人の幸せを、ずっと願い続けて生きよう。”(6月24日付け朝日新聞)

 栃木県那須町の主婦・千葉さん(57)の投稿文です。この災害は良いことも悪いことも様々なドラマを生んでいる。毎日のように新聞で紹介されている。この千葉さんの話もその一つである。千葉さんには「被災者の声」の一つが大きく心をとらえた。荷造りをし、直接本人に送る方法を選ばれた。そして、送られた方も感謝の気持ちを伝えられた。こうして交流が始まった。もうお互いに家族の一員のような気持ちであろう。被災者には大きな支えになろう。いろいろな話があっていい。
 このように1対1の場合もあろう。1対多数のこともあろう。ボランティアもあるし、義援金もある。日本人の素晴らしい面を改めて見た気持ちである。本当に早い復興を祈るばかりである。




2011/07/01(Fri) (第1467話) 三しない主義 寺さん MAIL 

 “五月二十三日の本欄「健康ライフに『三かく主義』」への賛論が掲載されておりましたが、私も同感しております。そこで私は「三かく主義」に合わせて「三しない主義」を紹介します。
 四年ほど前に本紙で、仏教者の故松原泰道さんが「老いを学ぶ」の中でおっしゃった言葉です。それは「三無」。「無理をしない」「無駄をしない」「無精をしない」です。「無理をしない」は、自我が強くなり道理を無視しがちになるのを自戒すること、「無駄をしない」は弄費(ろうひ)や物をそまつにしないこと、「無精をしない」は自分でできることは自分でする、という意味です。私たち高齢者に向けた言葉と思っておりましたが、よく考えると今、この国難に対し、すべてのことにいえるのではないでしょうか。政治家はもちろん、国民一人一人が小さなことにも心掛け、暮らしの中で守っていけたらと思います。”(6月21日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の山田さん(女・80)の投稿文です。「四年ほど前に本紙で」と山田さんが言われていますが、この「話・話」の2007年1月23日「(第716話)三しない」でも紹介しています。
 「三かく主義」の汗・文字・恥をかくと「三しない主義」の無理・無駄・不精をしないをよく見つめてみると、三かく主義の三つは三しない主義の不精をしないに含まれているといえる。こうした尊い教えも、その理解の内容、対応の仕方に寄ってくる。こうした教えに無駄なものはない。あれもこれもと思うと難しかろうから、これはと思う何か1つを心がけることであろう。1つならたやすく思えるだろう。そして、その1つは多くのものに共通しているのである。



川柳&ウォーク