2011/05/06(Fri) (第1444話) 泥まみれのはがき |
寺さん |
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“大震災前日の3月10日、ついでがあって宮城県南三陸町の郵便ポストに、親戚や友人にあてた時候あいさつのはがき33枚を投函した。だが、町は翌日の震災と津波で多数の死者と行方不明者を出してしまった。はがきの行方が気になり、ガソリンの手当てがついた3月29日に知人の安否確認をかねて町に行ってみた。 ポストがあった3階建ての県合同庁舎は頭から津波にのまれた痕跡があった。周囲のコンビニや民家は全くなくなっていた。これではあきらめるしかないと思って帰宅したら、東京の親戚から「泥まみれのはがきが着いたよ」と電話があった。その後、山形、千葉、神奈川、埼玉や大阪からも届いたと連絡があった。はがきは透明な袋に入れられ「津波被災で配達が遅れ申し訳ありません」というわび状まで添付されていたそうだ。 この連絡を聞いた時には涙がこぼれた。郵便局舎も津波にやられ、局員も被災したはずだ。信書を大切にする日本の郵便局なればこそと思う。はがきを受け取っただれもが「このはがきは東日本大震災の証しであり、いつまでも大切にとっておきたい」と言ってくれている。”(4月16日付け朝日新聞)
宮城県登米市の農業・及川さん(男・76)の投稿文です。この大震災は本当に多くのものを奪っていった。しかし、この「話・話」で紹介しているように良いドラマも生まれている。 自然災害でも、投函された葉書が残っていればそれは配らねばならない、それが職業意識であろう。こういう職業意識があるのも日本なればであろうか、こういう意識があれば日本はまだまだ心配ない。受け取った方は感激であろう。記念に大切に取っておきたくなるのも当然だ。いい話は伝えたいものだ。こうして伝えられると、苦労して配達された郵便局の関係者も報われた思いがする。先回も書いたが、救助、復興に努められている人の苦労や努力をもっと紹介して欲しいものだ。福島原発で働いている方についても同じである。この方達こそ命をかけておられる。こういう事態を招いたことや原発の是非論は別の話であると思う。
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