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第85号  2011年5月

2011/05/30(Mon) (第1451話) 手話 寺さん MAIL 

 “私の気分転換法は、手話を覚えることです。耳の不自由な力と意思疎通がしたくて、昨年5月に始めました。今では、手話を覚えることが楽しくて仕方ありません。一つでも多くの手話を覚えようと、空き時間を見つけては、頑張ってテキストを広げています。
 手話を覚えることは自信につながります。手と頭を使うため「脳トレ]にもなります。覚えるということがうれしく、楽しいのです。皆さんもぜひ、挑戦しませんか。気分転換にもなりますよ。”(5月1日付け読売新聞)

 東京都昭島市のアルバイト・高橋さん(女・32)の投稿文です。こんなことが気分転換になるとは驚いた。手話を覚えるとなるとかなりの地味な努力がいる。それが楽しくて仕方がないと言われる。人間は有益なものに努力してその成果を実感する。これは健全な人間の喜びである。人間っていいものだと思う。
 気分転換とは、日常必要なことから離れて、別のことをすることであろう。そう考えれば何でも気分転換の材料になろう。例えば、ボクは料理などしたことがないが、時にはしてみれば気分転換になるかも知れない。ただやろうとすると外野がうるさいだろうから、なかなかその気にならない・・・(と言って、言い逃れる)。




2011/05/20(Fri) (第1450話) エアロビ 寺さん MAIL 

 “週3回、スポーツクラブに通い、エアロビクスなどのレッスンに汗を流している。エネルギッシュな音楽のもと、インストラクターのかけ声や身ぶりに合わせて跳んだりはねたりすると、心も躍る。
 学生時代、体育は苦手だったが、レッスンは自分の体力に遭わせられるのが魅力だ。サッカーのように勝ち負けがある競技と違い、チームの仲間に迷惑を掛けることがないので気軽に参加できるのも良い。
 普段の仕事は、電話応対やパソコン操作などデスクワークが中心だ。それだけに、仕事帰りや休日に体を動かすのがすがすがしい。老若男女の仲間の頑張る姿を励みに続けていきたい。”(5月1日付け読売新聞)

 北海道旭川市の社会福祉士の野村さん(男・37)の投稿文です。体を動かすのはいい気分転換だ。そんな気分にならないと、引っ込みがちの人もあろうが、そこは一つ思い切って飛び出してみることである。特にデスクワークの人は心がける必要がある。それこそ体が弱体化、老化してしまう。野村さんはそれをエアロビクスに求められた。競技的なものは返ってストレスになることもある。競争しないことも肝腎である。それでは面白くない、続かないという人もあろうが、個々で目標を持てばいい。続けるという目標もある。
 ボクも4月から市のトレーニング室へ通い始めた。歩くだけではこれからの筋肉の衰えは防げないだろう。自転車で15分、1回200円、近くにこんないいところがあって、利用しないという手はない。当面週2回を目標にしている。




2011/05/18(Wed) (第1449話) 宇宙に思いはせ 寺さん MAIL 

 “私は、晴れた日は星空を見ることを習慣にしています。見上げた瞬間は何も見えないのですが、数分間眺めていると、次第に目が慣れ、小さな星まではっきりと見えるようになります。毎日、位置が変わる星座に感心したり、3億キロのかなたの小感量「イトカワ」のことや、そこから微粒子を持ち帰ってきた探査機「はやぶさ」のことに思いをはせたりと、頭の中は宇宙のことでいっぱいになります。
 もともとは、パソコンで酷使する目の疲労回復のために始めました。星空を見上げるたびに、日常の雑事をすっかり忘れることができ、私にとっては格好の気分転換になっています。”(5月1日付け読売新聞)

 神奈川県藤沢市の村越さん(男・79)の投稿文です。気分転換の第2題目です。大空を眺める、現代人が忘れがちな時間です。家の中やビルの中、テレビやパソコンに向かう時間が多い生活。村越さんはパソコンから目を離す時間として星空を眺められた。そしたらいい気分転換であることに気がつかれた。そして、星空を見ることが習慣化した。いい展開である。大空を眺めると気分が広がることを誰も同じであろう。心がけたいことである。
 世の中のことはきっかけは何にしろ、いいことをすることはいいことだ。そんなきっかけをうまく捉まえたいものだ。




2011/05/14(Sat) (第1448話) ウオーモー 寺さん MAIL 

 “毎週日曜の朝、親友と約1〜2時間のウオーキングをした後に、レストランや喫茶店でモーニングサービスをとる。私たちは「ウオーモー」と名付けている。まずは、街中のお店選びが楽しい。車からでは見つけられないような小さなステキな店に出会った時は、本当にうれしい。
 普段とは異なるおしゃれな空間で、ゆったりとした時開を過ごす。お互いに愚痴を言い合い、「ばかね!」と大笑いしたり。それだけで、妙に心がやすらぐようになるから不思議なものだ。心と体の健康のために、続けていきたい。”(5月1日付け読売新聞)

 愛知県岩倉市の主婦・飯田さん(52)の投稿文です。5月1日付けの読売新聞に「気分転換」と言う特集で11題の投稿文があった。その中から4題を紹介しようと思います。
 その1題目です。友人と1〜2時間ウォーキングをして、その後サービス満点の喫茶店でコーヒーを飲む。400円足らずの費用でゆったりした気分が味わえる生活である。愛知県尾張部ならでの気分転換であろう。ウオーキングとモーニング重ね合わせ「ウオーモー」とはよく言ったものである。この地方にはこういうことを実践している人は多いだろうし、今のボクの一つの憧れでもある。上手にこなせばそう遠くない時期にそんな日ができるかも知れない。近場の手軽なウォークと遠出して見聞を広めるウォークをうまく兼ね合わせれば最良ではなかろうか。




2011/05/12(Thu) (第1447話) 私の使命 寺さん MAIL 

 “飲食店を営んできた何十年もの間に、アルバイトとして働く多くの子どもたちとかかわってきた。野菜を洗うように頼むと、湯で洗う子がいた。理由を聞くと「水は冷たいから」と言う。冷たくても水で洗うように諭し、洗い方も手を取って丁寧に教えてあげた。「皮をむいてね」と言ってタマネギを渡すと「どこまでむきますか」と言って持ってきた子もいた。ぞうきんを食器洗い乾燥機の中に入れ「洗い終わっても絞れていない」と言う子には、食洗機の機能と、ぞうきんの絞り方を教えてあげた。
 機転がよくきく子は、自宅で手伝いをきちんとしている子だ。逆に、私の目が点になるようなことをする子は、家で手伝いをしていないことが多い。それでも、アルバイトをする気持ちを大事にしてあげ、バイトを通じて少しでも大人になっていくように教えるのも私の使命だと考えるようになってきた。孫の年代の子どもたちに教えるのは大変だけど、私の言うことを素直に聞いて、次からちゃんとやってくれる子どもたち。この子たちのためにも、もう少し頑張ってやっていこうと私は思っている。”(4月27日付け中日新聞)

 静岡県湖西市の飲食業・山下さん(女・62)の投稿文です。アルバイトの子ども達に生活の知識や知恵を教える、これを自分の使命と考える、立派なものである。人間、自分の使命と言えるものを持つことはなかなか難しい。使命は大きな生き甲斐である。それが自分のためのものではなく、人のためとなると更に立派である。
 山下さんから見れば、今の若い人は生活の基本も知っていない、それが歯がゆいのだろう。しかし、生活の中で経験もせずに大きくなってしまったことに問題があるが、経験もさせずに大きくしてしまった世代にも問題がある。時代は変化していく。その時代その時代の生き方がある。しかし、生活の基本はそんなに変わらない。手伝わせて教えていかなくてはいけない。




2011/05/10(Tue) (第1446話) 親切な営業者 寺さん MAIL 

 “五月に引っ越すため、複数の会社に見積もりをお願いしました。その中の一社が荷物の量を見にきました。荷物が少ないため、一番小さいトラックでも大きすぎて見積金額が合わず、私が希望する金額を伝えると、はっきり断られました。本来なら、そこで帰社するところ、その営業さんは、引っ越しが初めての私に新聞記事を見せてくれました。
 「最近、引っ越しのトラブルが相次いでいます。初めの見積もりが安くても追加料金を払わされる、保険に入ることを薦められず荷物が破損する、バイトだけで運んで床や壁を傷つける、見積金額を書面でなく口頭でしか約束せず話が食い違うなどのトラブルが取り上げられています。業者を選ぶときは十分気を付けてください」と教えてくださいました。
 仕事にならなかったのに親切に教えてくださった営業さんの姿勢に心温まる思いがしました。ありがとうございました。”(4月27日付け中日新聞)

 愛知県清須市の主婦・野々部さん(31)の投稿文です。仕事の話です。文を読んでいて、この業者さんは営業方針がはっきりしていると感じました。まず「はっきり断る」ということがいい。強引に口説いたり、値下げして粘ることが往々だろう。そして、出会った縁を大切に思い、お客さんに役立つ情報を与える。こういう営業姿勢が良い結果を生み、自信にもなっているのだろう。お客さんに感激を与えられればもうこれ以上の営業はない。




2011/05/08(Sun) (第1445話) 応援しています 寺さん MAIL 

 “現在、私は子どもの部活の会計と地域の組織の会計の両方をしている。普段、それほど激務でもないが、年度末、新年度を経て人の出入りとともにお金の出入りも続き、取引先の金融機関に行く日が増えた。平日の5日間のうち4日も通った週もあり、慌ただしかった。人様のお金を預かることに、想像以上に気を使った。
 毎日のように通ったある日。その金融機関の窓口の人に「このところお忙しいですね。大変だと思いますが応援しています」と言われた。私は「応援しています」と言われたことが恐らく初めてで、「なんていい表現か」と、うれしかった。
 「がんばって」とは違う「応援しています」。負担に思っていた役だったが、心が軽くなっていくのを感じた。それは「誰かに認められた」という喜びにも通じる。「もう少し、がんばろう」と、自分から思えた力強い言葉だった。”(4月26日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の主婦・三輪さん(45)の投稿文です。言葉の力は大きい。ひと言がごろんと事態を変えてしまう。それが良い時も悪い時もある。三輪さんは「応援しています」という言葉に感激された。今回のように災害や病気見舞いの時、つい当事者に「頑張ってください」と言ってしまう。これも自然な気持ちである。しかし、言われた当事者はもう頑張っている、これ以上何を頑張れと言うのか、と言う反論をよく聞く。頑張れと言われて返って気持ちが沈む話もある。お互い悪気はないが、その他の言葉が浮かばないのが本当だろう。その点「応援しています」という言葉は良い言葉だ。「頑張る」のは相手の方、「応援する」は言う方の言葉である。こうした場合、相手に要求するより自分がする言葉がいいのは当然だ。覚えておきたい言葉である。と言っても何を応援するのか・・・気持ちだけで良いのか???・・・気持ちだけでも良いのである。




2011/05/06(Fri) (第1444話) 泥まみれのはがき 寺さん MAIL 

 “大震災前日の3月10日、ついでがあって宮城県南三陸町の郵便ポストに、親戚や友人にあてた時候あいさつのはがき33枚を投函した。だが、町は翌日の震災と津波で多数の死者と行方不明者を出してしまった。はがきの行方が気になり、ガソリンの手当てがついた3月29日に知人の安否確認をかねて町に行ってみた。
 ポストがあった3階建ての県合同庁舎は頭から津波にのまれた痕跡があった。周囲のコンビニや民家は全くなくなっていた。これではあきらめるしかないと思って帰宅したら、東京の親戚から「泥まみれのはがきが着いたよ」と電話があった。その後、山形、千葉、神奈川、埼玉や大阪からも届いたと連絡があった。はがきは透明な袋に入れられ「津波被災で配達が遅れ申し訳ありません」というわび状まで添付されていたそうだ。
 この連絡を聞いた時には涙がこぼれた。郵便局舎も津波にやられ、局員も被災したはずだ。信書を大切にする日本の郵便局なればこそと思う。はがきを受け取っただれもが「このはがきは東日本大震災の証しであり、いつまでも大切にとっておきたい」と言ってくれている。”(4月16日付け朝日新聞)

 宮城県登米市の農業・及川さん(男・76)の投稿文です。この大震災は本当に多くのものを奪っていった。しかし、この「話・話」で紹介しているように良いドラマも生まれている。
 自然災害でも、投函された葉書が残っていればそれは配らねばならない、それが職業意識であろう。こういう職業意識があるのも日本なればであろうか、こういう意識があれば日本はまだまだ心配ない。受け取った方は感激であろう。記念に大切に取っておきたくなるのも当然だ。いい話は伝えたいものだ。こうして伝えられると、苦労して配達された郵便局の関係者も報われた思いがする。先回も書いたが、救助、復興に努められている人の苦労や努力をもっと紹介して欲しいものだ。福島原発で働いている方についても同じである。この方達こそ命をかけておられる。こういう事態を招いたことや原発の是非論は別の話であると思う。




2011/05/04(Wed) (第1443話) 大震災余話(その2) 寺さん MAIL 

 “河北新報には中国からの留学生が八人働いている。福島第一原発の状況が悪化して数日後、放射線の披ばくを心配する中国本国から彼ら彼女らに帰国要請が出た。やむなく、バスを仕立てて帰国させることにした。ところが、このうち三人が舞い戻ってきた。そしてこう言うのだった。「皆さんをこの場に残して僕らだけが、安全な場所に行くことはできません」。知らず知らず連帯感というような意識が生まれていたのだろう。彼ら彼女らの仕事は「大刷り」と呼ばれる輪転機にかける直前の新聞の原型をいろんなデスクに届けたりする連絡係である。”(4月16日付け中日新聞)

 前回と同じ「編集局デスク」に紹介されていた話です。自分だけは安全な場に置きたい、その他のことはその後だ、多くの人はそう思うだろうし、ボクはそれがいけないこととも思わない。まず自分のことは自分で守る、これは社会人としても義務である。それを他人を蹴落としてまですれば悪であるし、好き勝手をやって困ったら国などに救済を求めるのも非である。この場合、中国が自国の人間を守ろうとするのも当然のことだし、日本なども争乱などがあるとよく帰国要請を出している。それは国の義務でもある。その帰国要請よりも仲間意識が上回り、戻ってきたというのだから当事者から感激の声が出るのは当然であろう。但し、この場合国の判断が正しかったのか、ボクには分からない。
 ボクは報道が被災者のことばかりに片寄っている気がしている。起きてしまったのだ、可哀想、気の毒ばかりでは先に進まない。もっと救助や復興に携わっている人の努力や苦労を紹介し、感謝と光明を見いだせる記事を多くして欲しいと思っている。



川柳&ウォーク