2011/04/06(Wed) (第1430話) おすし屋さん |
寺さん |
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“四十年前の出来事。名古屋市名東区の横井和子さん(七七)は、ご主人を亡くした。勤務先で倒れ急死だった。当時七歳の長男と九歳の長女を抱えて途方に暮れた。病院の厨房に職を見つけ、働くことになった。二交代制の遅番の日は、帰りが午後八時近くになる。おなかがすかないようにと、毎日おやつを用意して出掛けた。 給料日には、二人の子どもを連れて外食することにしていた。大衆食堂で丼ものやうどんを食べる。それでも月に一度だけの贅沢である。ある日のこと、テレビを見ていた長男が「僕もああいうおすしが食べたいなあ」と言った。画面には、カウンターのお客さんに、職人さんが次々に二貫ずつ握って出しているシーンが映しだされていた。 今と違いファミリーレストランも回転ずしもない時代のことだ。年に一度くらいお客さんが来たときに出前で注文して食べるものだった。次の給料日に、思い切って近くのおすし屋さんへ出掛けた。子どもたちにわからないように、お店の奥さんにこっそり「あること」を頼んだ。奥さんは快く引き受けてくれた。 みんなでカウンターに座った。注文したのは出前で取るのと同じおけずしだ。しかし、ご主人は子どもたちの前に二貫ずつ握っては出してくださった。面倒で時間がかかるのにもかかわらず。最後の二貫が出され「これで終わりよ」と言われると、子どもたちはうれしそうな顔をしていた。 そのお店は高速道路建設のためなくなってしまったが、今でもお店のご夫婦を思い出すたびに涙が出るという。”(3月13日付け中日新聞)
志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。少し長いが全文を紹介しました。ほほえましい話です。これでみんな幸せ感を感じます。今の飽食の時代、食事でこのような幸せ感をどこで感じるでしょう。美味しいものを満足、満足と言って食べてもこれほどの幸せ感はないでしょう。人間というものは難しいものです。 震災にあった人から「今までどんなに幸せだったか、今分かった」と言うような発言が時折紹介されている。人間は残念ながら比較して感じるものです。ある目標を持ち、達成された時に幸せ感を感じるが、それが平生の状態になるとそれが当たり前になり、もう満足感は格段に減ってしまう。そして次の目標、欲望を持つ。それが向上心につながりよいことにもなるが、これが好ましくない場合もある。自分の徳を高めるようにうまく使い分けねばならない。 それしても母親の子を思う知恵とそれに答える店主、いい話だ。「一杯のかけそば」の話を思い出した。
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