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第84号  2011年4月

2011/04/30(Sat) (第1442話) 大震災余話(その1) 寺さん MAIL 

 “岩手日報の女性新人記者は壊滅的な痛手を受けた三陸沿岸にある大船渡市の出身だった。「家族は大丈夫だろうか」と故郷に帰り、親らを捜し回った。幸い両親は無事だった。しかし、父親は娘の顔を見るなり叱りつけた。「新聞記者のおまえの仕事は親の安否確認などではなく、もっと大事な情報をたくさんの読者に届けることだろう」。そう言いながらもこう続けた。
 「そうはいってもおまえも疲れたろう。今日は家に泊まっていけ」。お父さんはうれしかったに違いない。被災地には命の数だけのドラマがあるのだろう。”(4月16日付け中日新聞)

 編集局長志村さんの「編集局デスク」からです。これは中日新聞の志村さんが共同新聞と日本新聞協会の編集局長会議で聞いてこられた話です。父の厳しさと優しさと、そして娘さんの親を気遣う気持ちであろう。いい話ではあるが、ただ父親は娘さんが帰ってこなかったらどう思ったろうか・・・お互い連絡がつかないのである。何も言ってこないのは元気な証拠、仕事に頑張っていていいことだ、と父親は言っていたろうか。親のことを気にもしない冷たい奴だ、などと思ったのではなかろうか。この会話は心配が解けた後の言葉だろう。男というのはそういう素直さに欠けた者だ。ボクがそう思うのは天の邪鬼だろうか。
 仕事と家族のこととのバランス、調和は誰もが悩む難しい問題である。仕事に没頭して家族を顧みない仕事人間、組織の和を乱しても家庭優先の人、どちらも問題有りとボクは思っている。バランスが取れるように会社も家族も努力する必要がある。それがワーク・ライフバランスであり、人間らしい生活だと思う。




2011/04/28(Thu) (第1441話) 募金活動 寺さん MAIL 

 “東日本大震災の被災者支援のために私たちが今できることとして、部活動で募金活動を行った。仲間の一人が言いだし、私は「被災者のため」というより、そういう経験をしておくのもいいな、という軽い気持ちで参加した。
 看板と募金箱を持ってお店の前に立ち「募金、お願いします」と声を上げる。心からの善意でやっているわけではなかった。私はただ善良な活動に参加しただけだ。
 それなのに、おばあさんが「頑張ってね」と声をかけてくれ、おじいさんが「自分は君たちの高校の卒業生だ。ご苦労さま」とねぎらってくれ、お母さんに手をひかれた小さな男の子が寄付をし、にっこり笑いかけてくれた。
 人は、私が思っていたよりも、もっとずっと優しいということをこの募金活動を通してみんなから教わった。この優しさを被災者へ届けるために、私はまた活動したい。”(4月15日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の高校生・伊藤さん(女・17)の投稿文です。善意でなくてもいい、嫌々でもいい、「善良な活動に参加」にする、これが大切である。なかなか善意な気持ちなど持てない。見栄や良く思ってもらいたいためのこともあろう。それを偽善という人もあろうが、ボクはそれでもいいと思う。言っているだけや評論だけでは何も生まない。やることによっていろいろなことが分かってくる。伊藤さんのこの文章はその見本のようなものだ。いい活動に参加された。
 わが社の社員のゴミ拾いについても聞いてみたい。参加してどんな感想を持ったか、どんな気持ちの変化があったか・・・多分、伊藤さんのような答えが返ってくると思う。4月からボクは推進委員長から顧問へと、一歩退いた。意欲的にやってくれる人を育てねばならない。自分でやるより難しいかも知れない。でももう一頑張りだ。




2011/04/26(Tue) (第1440話) 意思をカードに 寺さん MAIL 

 “今、東日本大震災で日本中が大変な場面に遭遇している。さまざまな人々が救援の手を差し伸べている。人々の思いやりのある心をにつけ、自分は今まで生きてきて、人のために何を尽くしたか、と振り返ってみた。自分とわが家のためにだけ心身をすり減らし家業に精を出してきて、人様に目を向ける余裕がなかったありさまである。
 こんなときに妻のところへ国民健康保険証が配布されてきた。その1ページに「臓器提供意思表示欄」があった。この記載は今までなかったことである。七十歳を超えた人間でも可と書いてある。そこで自分の臓器について判断してみた。眼球、心臓、肝臓、腎臓、小腸、肺と全てが元気で一日も休まず動いていてくれる。バッチリだ。近くの医院で「臓器提供意思表示カード」をもらってきた。二人で話し合い、考えが一致したので心を込めて「脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも移植のために臓器を提供します」に○を打ち、特記欄には「延命処置は希望しません」と書いた。”(4月12日付け中日新聞)

 岐阜市の自営業・杉山さん(男・77)の投稿文です。4月14日に脳死と判定された少年から摘出された膵臓、腎臓など5カ所の臓器移植の執刀が行われたことが記事なっていた。そんな時代になったことに感慨を覚える。執刀した藤田保健衛生大学の杉谷教授の「死後に体を傷つけるのかと言われ、辛い思いをする家族がいる。逆になぜ提供しないのかと言われて傷つく家族も。提供家族への気配りはもちろん、それぞれの選択を認められる社会になって欲しい」というコメントが載っていた。脳死についても臓器移植についてもいろいろな考えがある。それだけに杉谷教授の言葉をキチンと受けとめる必要がある。
 実は我が夫婦も今年1月、「脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも移植のために臓器を提供します」という文面を保険証に貼り付けた。そして、その旨を娘らに伝えた。役立つ物は役立ててもらえばいい、死後のことに何の抵抗もない。ただ願うことならこのことは30年後にして欲しいものだ。しかし、その時はもう使い物にならないか・・・・。




2011/04/24(Sun) (第1439話) 猿丸の脱走 寺さん MAIL 

 “「あれ、またニンジンを残してるな」「ちゃんと食べなきゃだめでしょ」飼育員のおじさんとおばさんに注意されてばかりの猿丸は、動物園を脱走する決心をしました。
 動物園に入ればアイドルのように可愛がられると思っていた猿丸は、みんなの反対を押し切って、ここへやってきたのです。でも、現実は違っていました。「好きな物だけ食べて暮らせると思ってたのに、厳しすぎるよ」
 動物園をぬけ出した猿丸は何日も歩き、やっとのことで猿村に帰ってきました。「おお猿丸、もどったか」最初に出会った村長に、猿丸は聞きました。「父さんと母さんは元気ですか?」「両親なら、お前を心配して飼育員の姿になり変わり、お前の世話をしていたはずだが・・・」“(4月10日付け中日新聞”

 「300文字小説」から三重県大台町の小学生・井沢さん(女・11)の作品です。
 「親の心、子知らず」「親思う心にまさる親心」「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」「親の意見と冷や酒は後で利く」などの諺があるように親の子をも思う気持ちは計り知れない。「親に目なし」「親の甘茶が毒となる」「親馬鹿子馬鹿」「親の欲目」「子ゆえの闇に迷う」などの諺もある。親と子の関係は難しい物である。しかし、この小説が11歳の小学生だと言うことに驚く。これだけ分かっていれば井沢さんは親子問題を起こすことはなかろう。




2011/04/22(Fri) (第1438話) 先人の教え 寺さん MAIL 

 “先人の教えに従い、漁師は船で沖へ向かった。「津波が来たら、沖合に行け」。養殖ワカメの産地として知られる宮城県南三陸町の石浜地区。震災直後、十九隻が沖合に三日間避難し、津波から船を守った。危機を乗り越えた漁師らは、震災復興へ「ワカメの養殖を続ける」と誓う。
 三月十一日午後。地区会長の佐藤登志夫さん(63)は、岸壁近くを測量するため、小型船に乗っていた。突然、海面が大きく揺れた。「津波が来る」。集落の漁師に知らせようと、携帯電話を取り出したが、つながらない。「きっとみんな自分で判断する」。岸壁に戻ってワカメ収穫用の中型船に乗り、小型船をつないで沖合に向かった。背後を見ると、二十人近い漁師たちが続々と船に乗り込み、続いてきた。沖合500mで第一彼の津波に持ちこたえたが、引き波に船が沈みそうになった。さらに沖合1kmまで逃げると、直後に第二波が来た。だが、船は揺れなかった。集落の辺りを振り返ると、高さ10m以上の波が岸壁を襲っていた。(中略)
 石浜地区では「水深50mの沖合に出れば、船は津波の影響を受けない」と漁師の間で代々言い継がれてきた。この地区の沖合1km地点は水深70mはあるという。佐藤さんは「みんなのチームワークでこれだけの船が残せたのは感激。これからも団結していく」と、仲間とともに沖合を見つめた。”(4月7日付け中日新聞)

 記事からです。「津波が来たら沖に逃げる」普通には考えつかない、一瞬逆だろうと考えてしまう。しかし、よく考えてみると納得できる。陸へ逃げて逃げ切れれば人は助かるが、それでも船は大破損であろう。沖へ逃げれば、波にもまれるだけで人も船も助かる可能性は大きい。これが体験を積んできた先人の知恵である。そしてそれを証明したのがこの記事である。
 科学も情報もなかった時代に、人は体験によっていろいろな知恵を学んだ。ボクも父親から「朝焼けだったら台風が来る」と聞いた気がする。月に暈がかかれば雨である。農業や漁業など自然を相手にする職業では体験でいろいろな知恵を持ったろう。しかし、手法の変化、科学の発達などで先人の知恵のほとんどを忘れてしまった。根拠がない、迷信だといって邪険にした。伝達もされなくなった。こんな記事を読むと考えさせられることである。




2011/04/20(Wed) (第1437話) 選手宣誓 寺さん MAIL 

 “「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。(中略)頑張ろう日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」
 震災の影響で開催が危ぶまれたことしの選抜高校野球大会。被災地への思いが込められた創志学園高(岡山市)の野山慎介主将(16)の選手宣誓に「心を打たれた」「感動した」という感想が、閉幕後の今も全国から同校に寄せられている。
 学校によると、これまで届いた手紙やメールは百通以上。宮城県の男性は「聞きながら涙があふれ、また大きな希望がわいてきました」とつづり、札幌市の女性のメールには 「心痛むことばかりの日々に、久しぶりに気持ちがさわやかになれました」とあった。
 既に夏の大会に向け練習を始めた野山君は「思いがたくさんの方々に伝わり、うれしい」と話している。”(4月7日付け中日新聞)

 記事からです。ボクはニュースの中で聞いただけなのでよく分からないが、絶叫調でなく落ちついた宣誓ぶりだったと思う。選手宣誓が勇気や感動を与えるとは特筆すべきことだろう。次に全文を書いておきます。
 「宣誓。私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられれます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。頑張ろう日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」
 阪神淡路大震災に生まれたといわれるから、これも縁だろう。そして、今できることをする、これは誰にも同じである。今の生活が楽しめる人は楽しめばいい・・・大いにお金を使って景気を支え、税金を納めればいい。




2011/04/18(Mon) (第1436話) 警察官の心遣い 寺さん MAIL 

 “大学受験会場に娘と向かう途中、娘が時計を忘れたことに気付きました。大学に問い合わせると会場に時計はなく、貸し出しもできないとのこと。家に戻る余裕はなく、売っているはずもないコンビニを三軒回りました。交番で近くの時計店を教えていただいたのですが、まだ開いていませんでした。
 途方に暮れていると、応対していただいた警察官の方が、左腕の時計を、そっと手渡してくださいました。そのときの感激は今も忘れません。娘は安心して試験に臨むことができました。警察官の方は娘にとっての″タイガーマスク″でした。東日本大震災においても多くの方々の善意が被災地に寄せられています。今の日本は無縁社会と言われていますが、大切なものは、人と人とのつながりであると実感した次第です。
 娘にとって、これからの長い人生の中で、忘れられない思い出になったと思います。警察官の方、本当にありがとうございました。おかげさまで、娘は希望した大学に行くことができました。”(4月5日付け中日新聞)

 愛知県知多市の自営業・伊藤さん(男・48)の投稿文です。自分の腕時計を一時的に貸すだけである、それほど大した行為とも言えない。普通は「時計屋さんはありませんか」と問われれば「あそこです」と答え「開いていない」といえば「困ったですね」と答えて終わりではなかろうか。自分の腕時計を貸すことに思いが及ばないのである。ボクはこの警察官のそこに感心するのである。
 同日の新聞に「ガスレンジの着火用の乾電池が切れ、大震災のために乾電池が売り切れて買えないので困ったという話をしたら、車の懐中電灯の乾電池を頂いた」という話が出ていた。これなども使っている物だけになかなか思いつかないことである。小さいことながらこういう親切は身に染みるものである。




2011/04/16(Sat) (第1435話) 今度は私が 寺さん MAIL 

 “「五六豪雪」のあった昭和五十六年。当時私は、岐阜県の旧河合村(現飛騨市)に住んでいました。前年末からの雪は日ごとに激しさを増し、年明けには2mを超えました。バス路線以外は除雪もままならず、水や食糧を得るには、膝上まである雪を自力でかいて歩かなければなりませんでした。
 そんな時に届けられたのが、名古屋市の皆さんの乾パンや缶詰のご飯といった支援物資でした。とてもありかたいと思いました。
 あの豪雪の時に助けられたのですから、今度は私がそのご恩に報いる番です。募金など、できることは限られているかもしれませんが、感謝の心を抱きつつ、少しでも被災者の皆さんのお役に立てれば、と願っています。”(4月2日付け中日新聞)

 前回と同じ欄の岐阜県高山市の坂之上さん(女・47)の投稿文です。豪雪という災害もある。雪に閉じ込められ身動きできない。そんな時に受けた親切を坂之上さんは、今回の震災の被害者にお返しする番と意識されている。全国民がその意識を持てば、一人にはほんの少しのことでも大きな力になる。
 しかし、復興には長い期間が必要である。息の長い支援が必要である。しかし、残念ながら人間は人の痛みはすぐ意識から遠のくのである。個人の善意には限度がある。それだけに社会としての仕組みが必要と思う。行政はもちろん、各地のNPO、地域の組織等の活用が重要となろう。例えば、各地の商店街は売り上げの何パーセントかを今後5年間被災地に寄付するとか、飲料水販売者は1本につき3円寄付するとか、考えて欲しいものだ。花見などの自粛など考えるより、売り上げの一部を義援金とするなどした方がより支援になると思う。




2011/04/14(Thu) (第1434話) 先払い 寺さん MAIL 

 “主人は洋画家です。大震災に遭い、アトリエの中は描きかけの油絵が落ち、めちゃくちゃになりました。絵を売る予定も全てパーになり、お金も底を突く状態です。主人は後片付けをしながら、これからどうやって生活費を得ようか考えていました。そして「やっぱり絵を描く」と言って活動を始めました。
 すると、一本の電話が来ました。「絵は後でいい、代金振り込むから」。さらに「この日に来てくれ」と。どちらも主人の絵のオーナーからで、主人の窮状に真っ先に助けの手を差し伸べてくれました。人々の心を豊かにできる芸術家の皆さん、諦めずに一緒に頑張りましょう。”(4月2日付け中日新聞)

 中日新聞では毎日「つなぐ・・・メッセージ」という欄が、震災後始まっている。この文は宮城県柴田町の主婦・山家さん(55)の投稿文です。
 被災者には辛い毎日である。長びけば長びくほど大変になろう。辛くても日々生き、先も考えて行かなくてはならない。経済のことも大きな気がかりだ。山家さんはそんな不安の中で、代金先払いで絵を購入の申し出を受け感動されたのであろう。
 こうした災害など非日常のことがあるといろいろなドラマがいろいろなところで生まれる。心温まる出来事が日々報道されている。人間っていいものだと思う。しかし、こんな時にも悪事は行われ、貧しい心の行動もあろう。沢山の良い心で貧しい行動を駆逐していきたいものだ。




2011/04/12(Tue) (第1433話) 席譲り合い 寺さん MAIL 

 “先日、地下鉄に乗車した時のことです。私が座っていた右隣の席が空いていました。次の駅で二人連れの中年女性が乗ってきたので、私は二人が座れるように体を少し左に寄せました。
 マスクを掛けた女性が私にお礼を言いながら二人が座って会話を始めました。しばらくするとマスクを掛けた女性が急に立ち上がったので、視線を向けると妊娠している女性に席を譲ったのです。今度は、私の左側にいた女性が席を左に詰めてくれたので、私もすかさず左に詰めました。そのため妊婦とマスクの女性も座ることができました。
 妊婦の女性は連れの女性に「そんなに目立つかしら」と話しかけたのです。マスクの女性が「私と同じぐらいですよ」と言ったので、周りは爆笑の渦となりました。
 公衆道徳が乱れがちな昨今ですが、私はこの善意のリレーにすがすがしい気分で一日を過ごしたのです。”(3月27日付け中日新聞)

 名古屋市の自由業・毛利さん(男・65)の投稿文です。ボクにはこれが昔の普通の状況だったという気がする・・・と言うと言い過ぎだろうか。昨今の車内を見ると全く嘆かわしい。このように席をずらすという行為などなかなか見かけない。だからこのようなことに感動し投稿されたのだろう。
 自分で言うのは少しおこがましいが、ボクは隣に座ろうという人があると、少し腰を浮かせて間を広くしようとする。実際にはほとんど広がらないでもそのような行為をしてしまう。癖になっているのだ。どこでこのような癖が身に付いたかはよく分からない。だから、座りたいと思う人が前に立っているのに、もう少し詰めれば座れるのにそのまま動かない人を見ると腹が立ってくる。気品のありそうな女性でもこの点でもう幻滅、大きな減点だ。少し詰めてやれ、と言いたくなるが言えない。できることは、自分が座るために手で仕草をして「もう少し詰めてください」と伝えるのがやっとである。




2011/04/10(Sun) (第1432話) 単純 寺さん MAIL 

 “我が家に、まったく勉強しない高校生の息子がいる。ある日、私は厳しく叱った。「おまえは人の二倍努力して、やっと半人前だ。もっと勉強しろ」
 しかし、逆効果だった。四倍で一人前と言われ、完全にやる気をなくしたのだ。最近の子は複雑だ。そこで、褒めて育てる戦法に変更。すると、あいつは天狗になって、ますます勉強しなくなった。甘やかすと図に乗るタイプなのだ。仕方がない、最終手段だ。心に決め、私はあいつに言い聞かせた。「おまえは、これからも、今まで通り遊んで暮らせばいい。そうすれば、おまえは、間違いなく、お父さんそっくりの立派な大人になれるぞ」
 すると次の日、息子が猛勉強しているではないか。最近の子は単純だ。”(3月27に付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県豊田市の高校生・羽原さん(男・16)の作品です。高校生に限らず人間というものは天の邪鬼なものである。言った人の意を解して、ポジティブに受け取るようにしたいものだが、言われた言葉に反発したり、自分勝手に受け取ったり、なかなか素直に受け取らない。この父親はそれを感じ取って逆手に取ったやり方をした。
 この作品が高校生だというのが面白い。なかなか良く理解している。そして、この息子は父親を情けない父親と思っているようだが・・・こんな知恵を出す父親は本当は素晴らしいのだ。




2011/04/08(Fri) (第1431話) 小さな思いやり 寺さん MAIL 

 “長良川が一九七六(昭和五十一)年に決壊した時、一週間、避難所で生活した経験があります。あの時、皆さんからいただいたご恩は一生忘れることはできません。高校生の息子を預かってくださった同級生の家族、毎朝、温かいみそ汁などを差し入れてくださった方・・・。ストレスを発散させたくて訪ねた友人宅でいただいた温かいご飯と焼きナス、サンマの塩焼きは、最高のごちそうでした。
 多くの方に支えられてきたこともあり、六十歳を過ぎたころから《入のためにも何かをしたい》と思うようになりました。そんな気持ちからボランティアグループに入って活動し、生きがいを実感してきました。
 今回も、東日本大震災の被災者の皆さんのために何かしてあげたいと考えましたが、もう高齢なので、とても無理です。でも、この一文が誰かの目に留まり、金品の支援だけでなく「小さい思いやりの気持ち」の大切さにも気づいてもらうことができれば恩返しの一つになると思います。あの時高校生たった息子は、自衛官として大震災が発生した日に被災地へ向かいました。元気で支援活動をすることを願っています。”(3月27日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の角山さん(女・76)の投稿文です。長良川の決壊も岐阜県内で床上浸水24000件、床下浸水51000件という大変な被害を及ぼした。角山さんはその時被害にあわれ、受けた恩を未だに感謝されている。今回の東日本大震災は近年の日本では比較するものがないほどの大災害であり、日本国民の多くの人が心を痛めている。角山さんなどの経験者はその痛みが実感でき尚更であろう。そして、誰もが自分のできることをする、この心持ちを持って対応していきたいものだ。角山さんはその思いで投稿をされた。投稿もその一つの手段である。励ましの言葉もいいだろう。みんなで祈っているよと伝えるだけでもいいだろう。
 角山さんの場合、息子さんは自衛隊員で被災地支援に出かけておられるという。長良川水害の時高校生だったと言われるから、被災に対する気持ちは人並み以上であろう。気をつけて頑張って欲しいものだ。




2011/04/06(Wed) (第1430話) おすし屋さん 寺さん MAIL 

 “四十年前の出来事。名古屋市名東区の横井和子さん(七七)は、ご主人を亡くした。勤務先で倒れ急死だった。当時七歳の長男と九歳の長女を抱えて途方に暮れた。病院の厨房に職を見つけ、働くことになった。二交代制の遅番の日は、帰りが午後八時近くになる。おなかがすかないようにと、毎日おやつを用意して出掛けた。
 給料日には、二人の子どもを連れて外食することにしていた。大衆食堂で丼ものやうどんを食べる。それでも月に一度だけの贅沢である。ある日のこと、テレビを見ていた長男が「僕もああいうおすしが食べたいなあ」と言った。画面には、カウンターのお客さんに、職人さんが次々に二貫ずつ握って出しているシーンが映しだされていた。
 今と違いファミリーレストランも回転ずしもない時代のことだ。年に一度くらいお客さんが来たときに出前で注文して食べるものだった。次の給料日に、思い切って近くのおすし屋さんへ出掛けた。子どもたちにわからないように、お店の奥さんにこっそり「あること」を頼んだ。奥さんは快く引き受けてくれた。
 みんなでカウンターに座った。注文したのは出前で取るのと同じおけずしだ。しかし、ご主人は子どもたちの前に二貫ずつ握っては出してくださった。面倒で時間がかかるのにもかかわらず。最後の二貫が出され「これで終わりよ」と言われると、子どもたちはうれしそうな顔をしていた。
 そのお店は高速道路建設のためなくなってしまったが、今でもお店のご夫婦を思い出すたびに涙が出るという。”(3月13日付け中日新聞)

 志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。少し長いが全文を紹介しました。ほほえましい話です。これでみんな幸せ感を感じます。今の飽食の時代、食事でこのような幸せ感をどこで感じるでしょう。美味しいものを満足、満足と言って食べてもこれほどの幸せ感はないでしょう。人間というものは難しいものです。
 震災にあった人から「今までどんなに幸せだったか、今分かった」と言うような発言が時折紹介されている。人間は残念ながら比較して感じるものです。ある目標を持ち、達成された時に幸せ感を感じるが、それが平生の状態になるとそれが当たり前になり、もう満足感は格段に減ってしまう。そして次の目標、欲望を持つ。それが向上心につながりよいことにもなるが、これが好ましくない場合もある。自分の徳を高めるようにうまく使い分けねばならない。
 それしても母親の子を思う知恵とそれに答える店主、いい話だ。「一杯のかけそば」の話を思い出した。




2011/04/04(Mon) (第1429話) 近所巡り 寺さん MAIL 

 “毎月一回のペースで各所の名所を巡る旅を続けています。先日は名古屋市緑区を巡ってみました。自転車で鳴海地区から有松地区を回りましたが、こんなに歴史ある神社仏閣があったのかと驚かされました。
 予習として名古屋市のホームページでお勧めコースを調べていったので、効率よく名所巡りをすることができました。普段何げなく通っている場所でも、一歩踏み込んでみるとまったく知らなかった世界が広がるものです。狭い範囲に見ごたえのある見応えのある神社が隣接しており、十分に楽しむことが可能です。緑区に限らず、名古屋市内にはまだ多くの名所があります。遠くの観光地も良いですが、身近な地域でも一日しっかり楽しめるだけの歴史観光資源が眠っています。これからも楽しみながら名所巡りを続けようと思います。皆さんも探索してみてはいかがですか。”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・日吉さん(男・40)の投稿文です。良いことに気づいてもらいました、全くその通りです。これだからボクは近場でウォーキングをやっているのです。一宮友歩会もやっているのです。車で走る町と自転車や歩いて通る町は全く違います。遠くも良いですが、自分の町をまず知りたいものです。僕たちがどんなものを見ながら歩いているか、ボクのホームページを見てもらうとよく分かりますが、多分よほど地元に詳しい人しか知らないものが沢山あることに気づかれると思います。日吉さんのこうした投稿文は嬉しいですね。
 歩いていて気にかかることは、市町によってこうした史跡等の案内にかなりの温度差があることです。名古屋市は多くの史跡に説明板が立っています。町によっては本当に少ないところがあります。折角の町の見所、説明板は町のPRに大きな役目を果たします。尋ねて苦労していってみて、何もないとがっかりします。1枚の説明板でいいのです。配慮をお願いしたいと思います。




2011/04/02(Sat) (第1428話) がんの女性にカツラ 寺さん MAIL 

 “がん冶療による脱毛に悩む患者に、学生の髪の毛で作ったカツラを贈る「ウィッグドネーションプロジェクト」の贈呈式が五日、豊明市の藤田保健衛生大看護専門学校であった。真心こもったカツラを女性五人が受け取り、おしゃれへの意欲を取り戻した。
 看護師を目指して学ぶ一〜二年生十八人が髪の提供者。昨年六月から髪を伸ばし、年末に切った。カツラの材料とあって半年間、染めたり、パーマをかけたりせず、長さ十五センチ以上にした。
 女性五人はここ一、二年で大学病院で乳がんの手術を受け、抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまった。一人一人が希望する色や形の製品を専門メーカーが三ヵ月かけて完成させ、贈呈式を迎えた。学生からカツラを手渡された女性らは「今日という日を楽しみにしていた」「体の一部として大切にします」とあいさつ。すぐにカツラを着けてお披露目し、感極まって涙を浮かべる人もいた。三年生の藤田沙干さん(21)は「病院実習でがん患者さんのお世話をしたことかあり、参加を決めた。皆さんの喜ぶ姿が見られて良かった」と話した。
 プロジェクトは、がん患者の生活を支援する東京のNPO法人キャンサーリボンズが二〇〇九年から全国十カ所の看護師養成機関とともに展開している。”(3月6日付け中日新聞)

 記事からです。抗ガン剤で髪が抜ける、女性にとっては大変辛いようだ。ボクの義妹もそうであるのでよく分かるが、女性にとって髪は命のようだ。そんな女性に髪を贈る、いろいろな活動があるものだ、と感心する。
 いろいろあって世の中成り立っている。例えば助けなければならない日本人が沢山あるのに、外国人を助けていてどうする、と言う声があるとすればどうだろう。実はこれはボクが疑問に思ってきたことである。ボクはある縁で18年間フィリピンの子供を支援してきた。なぜ日本人ではないのか、まず日本人だろうと時折思ったことがある。多分理屈だけで追っていくと、皆同じような答えになっていくだろう。そして支援を受ける類の人は多くの人から支援を受け、それでも十分と言うことはないから受けられない人はいつまでも受けられないことになる。それはまずい、それならそれぞれが思うことをすればいいのだ、これがボクの結論である。この場合だってなぜ髪だ、髪より他にすることはないのか・・・と追っていけば、多分別の答えが出てこよう。でもこの人達は髪で良いのだと思う。



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