ha1101

第81号  2011年1月

2011/01/31(Mon) (第1400話) 定年後の夫婦円満策(その2) 寺さん MAIL 

 “本欄の「定年後は女房対策こそ重要」(11日)を拝読し、とても好感が持てる投稿文に、朝食の会話はまるで1面記事の扱いとなった。
 夫は定年になってから1年半。半年もするとお互いに疑問符が増えてきた。そうなると次第に暗雲が立ち込めストレスもたまってきた。美容院で見る週刊誌は熟年離婚の特集が目立つ。ほとんどが女性の立場からの記事なので「なるほど」と、うなずくと夫の負だけが目についてくる。これではだめだ。どうせなら楽しい毎日を過ごしたい。
 そこで、定年後の対策を考えた。我が家の場合、第一は夫がやれることは積極的にやってもらう。ごみ出し、洗濯、孫の子守など。やってくれたら必ず、「ありがとう」と言う。夫婦間でも感謝の気持ちは伝えなければと思ってだ。
 第二は、やさしい言葉をかけることだ。第三は食事を豪華にすることだ。器や盛りつけも工夫すれば外食気分が昧わえる。食が満たされると幸せになるから不思議だ。
 でも、基本はお互いが相手を思いやることだ。相手に要求するだけでなく、居心地のよい家庭は二人で築くものだと思っている。”(1月16日付け朝日新聞)

 愛知県小牧市の牧さん(女・59)の投稿文です。女性側からの意見です。前回の投稿を、女性側からは少し厳しい意見が出るかも知れないと思っていましたが、評価しておられることに安心しました。定年前と比べ一緒にいる時間は格段に増え、生活環境は大きく変わるのです。それまでと同じ態度や批判、不満を言うだけでは何のいい方向に向かいません。折角ここまで築いてきた夫婦仲です。もう一知恵働かせてそれぞれの策を見いだして円満に終焉に向かいたいものです。牧さんもその行動を相手に求めず、自分ですることを考えています。こういう気持ちで進めば何の問題も起こらないでしょう。




2011/01/29(Sat) (第1399話) タイガーマスク 寺さん MAIL 

 “タイガーマスクによる善意の行動が、各地で目立っています。幼い頃は、悪役を倒す主人公に魅力を覚えました。孤児に思いやりを持つ人の物語、と認識したのは高校生になってからでした。
 「伊達直人」と名乗る人々は漫画と違い時代のヒーローというより、人の痛みのわかる人ではないでしょうか。最終回でタイガーは正体を明かしますが、こちらの方々はマスクの下の素顔の秘密を維持されることを願っています。”(1月15日付け中日新聞)

 愛知県あま市の会社員(男・51)の投稿文です。タイガーマスク運動?がマスコミをにぎわせているので、この文でここも話題にしたい。オレオレ詐欺や落書きなど自分勝手なことばかりでなく、こういった善意にまで広がりを見せるとは嬉しいことである。このことこそオレもオレもとなって欲しいものだ。
 この会社員は「素顔の秘密を維持されることを願っています」とあるが、ボクはどちらでもいいと思っています。というより名前を明かしてもらった方がいいと思います。名前を出すのは沢山の人の目に触れますし、責任も生じますので贈る以上に勇気が要ります。それを売名行為などと批判する人はいろいろ理屈をつけるだけの人でしょう。「偽善も善の内」と思うボクです。ボク?・・・????。
 この記事からいろいろな報道がされています。もう長年にわたってこのような行為をしている人の話、日本は寄付行為が少ない話など、いろいろな話が出てきていい機会になっています。大いに盛り上がって欲しい話題です。




2011/01/27(Thu) (第1398話) おせっかいなオバサン 寺さん MAIL 

 “年が明け、例年のように初日の出を拝み、伊勢神宮へ初詣に行きました。家に帰って郵便受けを見ると、今年もたくさんの年賀状が届いていました。その中の一枚、小学校のときに引っ越していった友達の年賀状に、何やら鉛筆で薄く書いてありました。
 『この年賀状、道端でひろいました。びちゃびちゃだったので乾かして、ポストに入れときました。ーおせっかいなオバサンよりー』
 その年賀状がぬれたまま放置されていたら、今年はその友達から届かなかったでしょう。その「おせっかいなオバサン」のおかげで、温かい気持ちで新年を迎えることができました。どこのどなたかも分からないので、直接お礼を言うことはできません。この発言欄を見ていることを信じて、「親切なオバサン、本当にありがとうございました」。”(1月13日付け中日新聞)

 三重県津市の中学生・片岡さん(15)の投稿文です。落ちた葉書を見つけ、拾ってそれなりの処理をする、ある程度普通の行為と思う。日本人のマナーが悪くなったと言っても今の日本人として、そのまま捨て置いたり、ましていたずらするのは割合として少ないと思う。甘いだろうか。
 ボクが感心するのは片岡さんの行為である。「おせっかいなオバサン」だけではお礼を言うにも言えない。そこで投稿文にしてまで伝えたかった、この積極性を称賛したい。感動の気持ちを母親や学校に伝えた話を紹介したが、感謝の気持ちをこのような形で伝えるのも同じである。感動や感謝は伝えねばならない。「話・話」もそんな気持ちである。




2011/01/25(Tue) (第1397話) 遊んでもらう 寺さん MAIL 

 “私の家の隣が公園になっており、近所の子どもたちが遊びにきます。私の敷地にボールが入ってくると拾って返してやることがあります。ある時、裏の家の小学三年生の男の子がゴム製のボールとプラスチック製のバットを持って「野球しよう」と言ってきました。何とも言えないかわいい笑顔でした。
 私は「そや、やろか」と返事をしました。それから野球に誘われるようになりました。上達が早く、最近は軟式のボールを持ってきました。投げる球も速くなり、グラブに「パシーン」と快い音がします。その男の子は感受性と発想が豊かで、いろいろな遊び方を考えます。素晴らしいことだと感心しています。
 遊ぶ時間は短いですが、子どもに学ぶことも多く、私が遊んでもらっていると思っています。終わりは二人で一礼して、笑顔で握手します。今や、誘われるのを待つ昨今です。”(1月13日付け中日新聞)

 三重県桑名市の白沢さん(男・69)の投稿文です。キャッチボールを孫のような他人に誘われるのも嬉しいだろう。孫と遊ぶのはある程度自然だが、他人となると珍しいことだろう。孫以上に嬉しいかも知れない。そして、遊んでもらっているというのは本音だろう。そういつまでもとは行かないだろうから、今の時間を大いに楽しんでもらいたい。
 ボクは孫とのウォークがあるが、孫を守してやっているように見せかけている。しかし、遊んでもらっているというのが本当のところかもしれない。10km以下のウォークなど自分一人では出かける気になれない。孫のせいにして短い距離も出かけている。それでウォークの機会を増やしているのだからありがたいことだ。




2011/01/23(Sun) (第1396話) 家計簿の自分史 寺さん MAIL 

 “長年愛用している家計簿の新年版をおろした。毎日の支出、日々のメモを書く少しのスペース、月ごとの支出の集計表、1年間の予定も記入できるので生活の記録として重宝し、棚には50年分が並ぶ。
 昨年末に届いた家計簿はまだ空白がいっぱい。今年はどんなことが書き込まれるのか、楽しいような、ちょっぴり不安なような、複雑な気持ちで手に取っている。1月は久しぶりの女学生時代のクラス会。2月はシャンソンの先生が開くコンサート。3月は国から表彰を受けた友人の記念パーティー。4月は歌の発表会などと、その日々を思うと心が弾む。
 良いことはある程度予測ができ、計画も立てやすいが、悲しいことやつらいことは思いがけずやってくる。予測できないからこそ救われる部分もあるだろうが、せめて今年の予定表は悪いことが入り込まないぐらい、いっぱい楽しいことで埋めたい。
 過去のページをふとめくれば、日々の買い物に加え、子どもの成長や家族旅行の記録がぎっしりだ。長年書き込んできた家計簿は、そのまま私の自分史になっている。”(1月12日付け朝日新聞)

 愛知県蒲郡市の鈴木さん(おんな・80)の投稿文です。ボクの奥さんの家計簿も、鈴木さんと同じようにまさに自分史になっている。収入支出はもとより、行事記録や短文の日記帳になっている。良いことも悪いことも、愚痴も書いてある。過去の何かを見たい時、素早く探せてボクの日記帳より役に立つ。我が家はこれが40冊、多分妻は書く能力がある間は書き続けるだろう。鈴木さんを超えて欲しいものだ。




2011/01/21(Fri) (第1395話) 下準備 寺さん MAIL 

 “地域の小学生のもちつきのボランティアに参加しました。前日から、もちつきの準備でほかのボランティアの方々と、手が真っ赤になるほどの冷たい水で多くの米をとぎ、うすを洗いました。そのとき、毎年親戚中でもちをつくために準備をしてくれる、母のおばさんの大変さに気付きました。
 楽しいもちつきは、おばさんが下準備をしてくれているからこそ生まれるのです。幼いころから通っていましたがやっと目に見えない行いがあることに気付き「感激」を実感しました。
 そこで、私はおばさんの苦労を少しでも減らせるよう、前日の準備を手伝い、当日はいつも以上に動きました。その中でも気付いたことは「ありがとう」「ご苦労さま」と言われることの多さです。ほんの少し、人の気持ちを考えて行動に移すだけでこんなにも人の役に立つことができることがあるということに気付けたように思います。”(1月11日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の大学生・幸前さん(女・21)の投稿文です。人は体験によって多くを知る、それは身に付いた知識になる。そして、ことによっては優しい心、感謝の心をを育てる。幸前さんは餅つきからそのことを知った。良かったとは思うが、この餅つきについて大学生であることに少し驚きもする。
 昔、といってどの位昔のことかとなるが、僕らが子供の頃にまで戻らねばならないだろうか。家庭にもよるが、多くの家庭では小学生はもう一人の労働力であった。小さい頃から大人に混じって生活のいろいろな体験をしてきた。それが豊かになるに連れて、家庭の労働も減り、子供に手伝わせることも少なくなった。また勉強さえしていてくれれば良いという親も多くなった。その結果、生活の基礎知識も知らない子供が多くなった。ボクの子供にしてもそういえる。田畑がありながら、農作業はほとんどしたことがない、もっと手伝わせてよかったと思っている。知らなければ苦労もありがたみも分からない。分からないのは不幸である。




2011/01/19(Wed) (第1394話) 定年後の夫婦円満策 寺さん MAIL 

 “定年後、何か一番変わるか。答えは女房とほとんど四六時中向き合っていることではないだろうか。女房との仲がうまくいかなければ毎日が悲惨である。定年後8年経った今、切実に感じるのは女房対策は見逃せない重要なことだということだ。
 対策の第一は台所、掃除、洗濯、買い物など日常生活はとうていかなわず「家来」にならざるをえない。だから、この分野では決して逆らわない方がいい。もし「どうしてもこれが食べたい」と思った時は、自分で台所に立つことだ。できれば、食材の仕入れから皿洗いまで全部、自分でやった方がいい。
 第二に、小遣いは家計費からもらわない方がいい。もらえばますます監視され、従属的になるだけだ。もらわないためには、その日のために、ちびちびとためておくことだ。もちろん、「へそくり」の額は知られてはならない。
 第三の対策は、けんかにならないようにすることだ。その秘訣は会話で「NO」という否定語を少なくすることだ。つまり相手を受容するのだ。生活でどちらが正しく、どちらが間違っているということはないのだから。”(1月11日付け朝日新聞)

 岐阜県池田市の松永さん(男・68)の投稿文です。サラリーマンが勤務を辞めると生活が一変する。当然家族にも大きな変化をもたらす。特に専業主婦の場合は受ける影響が大きい。そんな中、松永さんのこの提言は穏やかに過ごす一つの手法である。ベストとは言えないかも知れないが、対策を講じておいた方が良いという意味では納得である。
 熟年離婚という言葉もある。対策は定年からでは遅い。松永さんの言われる第二の小遣い対策などは早くから慎重に行わねばならない。この提言は一朝一夕でできることではない。手法は夫婦や家庭の状況によっていろいろであろう。50歳過ぎたら考えた方が賢明である。それが安全で豊かな老後を過ごす策であろう。
 ボクの場合、完全リタイアーは数年後になろうが、第二は対策済みだ。第一と第三はこの心がけで行こう。




2011/01/17(Mon) (第1393話) 時に見直そう 寺さん MAIL 

 “私は中学一年から高校一年まで父の仕事の都合で米国で生活をしていた。米国での生活は毎日が新鮮で、とても楽しかった。しかし、それと同時に日本にいる同級生がすごくうらやましかった。
 修学旅行や文化祭、体育祭、部活動などの学校行事や携帯電話、写真シール作製機、制服など、日本の高校生の「普通」が私にはすごく輝いて見えていた。「普通」が欲しくて欲しくてたまらなかった。一昨年、私は日本に帰国して、今まさに念願の「普通」の高校生を送っている。毎日制服を着て、携帯電話を持って学校へ行き、いろんな行事にも参加した。もうすぐ修学旅行に行く。
 一昨年の私からしてみれば夢のような生活である。しかし、今の私はそのことを忘れている。念願の「普通」が普通になり、課題や進路の問題に追われ、今は米国にいたころの自由がうらやましい。結局、ないものねだりをしていて、念願のものを手に入れても、また別のものにあこがれる。たまに一息ついて、自分の恵まれた環境を見直そうと思う。””(1月7日付け中日新聞)

 愛知県日進市の高校生・久保さん(女・17)の投稿文です。久保さんが外国へ行って日本の良さを見直された。ボクはアメリカの高校生の生活を知らないから、久保さんの文に書かれている日本の普通はアメリカの高校生活にはないのだろう。それがいずれも懐かしく、輝いて見えるといわれる。日本の今が、個々に言えば悪いこともあろうが、総合的には日本は良いのだ。それが外国に行って分かる。外国に行くことは日本を見直す機会なのだ。外国旅行もそんな意味がある。昨年イタリアへ行ったが、行く前に添乗員さんが「行かれると日本の良さが分かります」といわれたが、まさにそんな思いで帰った。
 誰も環境にすぐ慣れる。これは人間の良いところでもあり悪いところでもある。良い方に作用させられればいい。時折は見直して広い目で判断したい。体験は人間を成長させる、いろいろなことに挑戦したいものだ。




2011/01/15(Sat) (第1392話) 若者を褒める 寺さん MAIL 

 “電車で、野球部の高校生に会いました。守備はセンターだと教えてくれました。礼儀正しく、言葉のはっきりした、ニキビづらの男子でした。僕より二つ先の駅から通っているそうです。降り際に「頑張りなさいよ」と声をかけたら、立ち上がって「ありがとうございました」と言ってくれました。お礼を言われるようなことはしていないのに。でも彼は、暗くなるまで頑張っている自分を、見出して若者を褒めてくれている人がいることがうれしかったのでしょう。
 校長先生に手紙を書きました。センターであること、その高校のファンになったとも。丁寧な返事をいただきました。お褒めいただいた生徒は、当校野球部の主将です。お言葉は全校生の前で発表させていただきました。地域のお方のご評価は、私たち教員の一番の喜びです、とあった。
 若者を叱るのは勇気がいるが、うれしいことを褒めるのも勇気だ。でも楽しい。”(1月6日付け中日新聞)

 愛知県東郷町の内津さん(男・65)の投稿文です。今年の1月1日の第1385話では母親に手紙を渡した話を紹介したが、今回は学校である。感心した行為を関係者に知らせる、多分それだけの気持ちだったろう。それがこの場合、教員に喜びを与え、全校生にも知らせる。教員の方にしてみれば、厳しいばかりの世間の目に救われるような気持ちだったのだろう。内津さんの行為もそれだ程に大きい訳ではないが、その効果は行為以上に大きい。人間、少しだけでいい、周りに気を配れば思いがけない効果がある。




2011/01/13(Thu) (第1391話) 思い出再現法 寺さん MAIL 

 “先日テレビで、認知症予防について放送していた。誰でも六、七十歳代になれば物忘れが多く、認知症の危険性は大である。そのため私も真剣に聞き入った。その中で一番参考になったのが、昔の出来事を思い出し、懐かしく思い出にふけるという予防法であった。物忘れ防止の一般的な脳の訓練方法の説明もあったが、それ以上にこの思い出の再現方法は効果があるということであった。
 早速、私も試してみた。本箱の隅から中学卒業時のアルバムを取り出し開いてみた。約六十年前の代物である。あこがれの君の姿も鮮明に頭によみがえってきた。「運動会で手をつなぎフォークダンスを踊ったなあ。ああ懐かしい」。また、室長の私を優しく穏やかに補佐してくれたH子さん。卒業式の後、体育館の裏で恋文を交換し合ったねえ。「ありがとう」。今でも大切に保管しています。
 このように昔のアルバムを見てー人懐かしく思い出にふけっているだけで、認知症の予防につながるなんて・・・。大変ありがたく、これからも週に一回は思い出にふけろう。”(12月28日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の野田さん(73)の投稿文です。回想法である。この効果についてはもうだいぶ以前から唱えられている。年寄りが昔の話をするのを若い人は拒むが、年寄りが昔の話をするのは必然である。認知症防止法と寛容の精神で受けいれて欲しい。
 最近の写真はデジカメで撮っており、パソコンに取り入れ、いつでも見られるようになっている。また昨年、フォトフレームを買い、1日に10時間位、いろいろな写真が移り変わっていて自然に見られるようになった。しかし、フィルムで撮っていた時代はアルバムになっているが、見ることはほとんどない。大変な量になり、行く末の処分にも困る。そんなことを思っている時にネガスキャナーを知った。自分で撮ったものはネガが保存してある。写真の質にこだわらず、ただ見るだけなら使い物になりそうである。早速昨年11月に購入した。学生時代の古いものから順に作業を始めた。まだ5分の1ほどしか終わっていないが、いい買い物だったと思っている。今はパソコンのスクリーンセイバーで見られるようにしている。まさに思い出再現法、回想法である。昔の妻はこんなにも可愛かったのかと、懐かしく眺めている。




2011/01/11(Tue) (第1390話) 息子の職場から 寺さん MAIL 

 “私の誕生日のお昼に花束の贈り物が届きました。「一体、誰からだろう?」と思いきや、息子が勤めている会社からでした。中からはピンク色でまとめたバラ、ガーベラ、カスミソウのきれいな花束。そしてバースデーカードまで入っていました。「社員を日ごろ支えている家族の方に感謝の意を表し・・・」とありました。びっくりすると同時に、その考えのトップのもとで働かせてもらっている息子をとてもうらやましく思いました。
 自分の力も大切ですが、家族の支えがあってこそ、働くことができます。日ごろから感謝の気持ちを持つことで、働く場でもお客さまに対して優しく接することができるのではないかと思いました。玄関に飾られた優しい花束は幸せな気持ちと笑顔を運んでくれました。いつになく幸せな誕生日でした。”(12月27日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の看護師・d松さん(女・47)の投稿文です。ここまで配慮する会社もあるのだ、人も様々なら、会社も様々だ。今の時代、会社はリストラや経費削減、社員に厳しくなるばかりである。そんな時代に社員の家族の誕生日に花束を贈るとは・・・・。家族は感激をせざるを得ないだろう。家族も会社を応援したい気持ちになるのは必然だ。叱ってやらせるのか、褒めてやらせるのか、大人も子供も同じである。




2011/01/09(Sun) (第1389話) 老人会会長 寺さん MAIL 

 “4月に老人会の会長を引き受けた頃は、入前であいさつするのもぎこちなかった夫が、自信がついてきたのか、新しいことに意欲的に取り組むようになってきました。そのーつが小学生の集団登校の見守りで、朝の決まった時間に「安全ベスト」を着て出かけます。若いお母さんたちと顔見知りになれたのがうれしそうです。
 そんなこともあってか、今回、餅つき交流会をやるうと思い立ったのです。子供たちとその家族、老人会の仲間との交流を図ろうというのです。我が家の物置から杵や臼を引っ張り出したり、もち米やあんこ、きなこなどは主婦の皆さんにお願いしたりしました。当日はお天気も味方をしてくれて、暖かい日。60戸足らずの住宅地にこんなに子供がいたのかと思うほど集まってくれて大盛況でした。杵や臼で餅をつくのはほとんどの人が初めてらしく喜んでもらえたようです。
 明くる日、73歳の誕生日を迎えた夫が、こんなふうに人を楽しませるエネルギーを持っていてくれたことがうれしくて、ワインで乾杯、労をねぎらいました。”(12月24日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・早川さん(68)の投稿文です。老人会会長など地域のまとめ役は重要な人です。地縁が疎くなっている時代ですので、その重要性は益々高まっています。そんな中、早川さんのご主人は老人会会長に選ばれて、隠されていた能力が芽吹いたのでしょう。普通なら例年通りの踏襲で終わるものです。それで何の非難もありません。でも、早川さんの能力に火がついたのでしょう。次々いろいろなことを思いつかれた。そして、実行された。こういう人が地域では益々要求されているのです。
 ボクの地域でも老人会があり、歳の順に会長職が回ってきますので、数年後にボクに来ます。現在老人会は、町内会より行動力があると思っています。この老人会の動きによって地域は大きく違ってくるのではないでしょうか。




2011/01/07(Fri) (第1388話) エコ買い(その2) 寺さん MAIL 

 “六日本欄の「期限が迫った商品買いエコ」の投稿はうれしく、ありがたかった。「これしかない」でなく「いっぱいある」中からお好きな品を選んでいただけるよう、店側はある程度ロスを覚悟で商品を並べる。時間が来て品を捨てるときはいつもつらい。この気持ちは店を始めた十七年前から変わることはない。
 これまでに捨てた大量の食料の罰で、私は飢え死にするのではないかと考えることがある。昔捨てたおにぎりを夢に見、涙しながら死ぬに違いないと。
 店長仲間からも同様の嘆きの声をよく聞く。でも店を商うためやむを得ず行う私たちだけに罪があるのだろうか。自分の得のみ考えて、棚の奥の新しい商品に手を伸ばし、手前の品を捨てざるを得なくさせる人々には、罪の意識さえない。
 親鸞聖人の言葉が頭に浮かんできた。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。今日も、ごみにした商品に心の中で手を合わせている。”(12月26日付け中日新聞)

 岐阜市のコンビニ経営・美谷さん(女・50)の投稿文です。2010年12月18日の「話・話」第1378話で取り上げた関連で紹介します。「六日本欄」とはこの1378話の投稿文のことです。
 店側の人には、食糧を廃棄するのは身を切られるような辛さなのだ。「食料の罰で、私は飢え死にするのではないかと考える」とまで思い詰めた行為なのだ。それが健全な心であろう。商売だから、決まりだから当然だ、それだけの気持ちではないのだ。当然店の人だけに罪があるのではない。それを知ったら、エコ買いに努めなければなるまい。
 食糧の日本の現状、世界の現状はもっと知らしめねばなるまい。




2011/01/05(Wed) (第1387話) 消えた展望台日記 寺さん MAIL 

 “三河湾と太平洋が一望できる田原市の蔵王山。その展望台に十六年前、山を愛する市内の元会社役員鈴木松男さん(八四)が一冊のノートを置いた。その名は「展望台日記」。訪問者が由由に思い出を書き込み、いつしか六百冊以上に。ノートは山の静かな名物だった。
 それが、いつの間にか展望台からノートが消えていた。山の清掃や植栽に携わる鈴木さんは、これまで全てのノートを保管。「いつか展望台で日記の展覧会を開くのが夢です」と笑顔で語っていただけに、心配になってこちらから連絡した。聞けば、展望台の管理者が変わった今春、落書きなどの多さなどを理由にノートを置くことを管理者から断られたという。「迷惑はかけられませんから。一晩考えて決断しました」。最後の書き込みは四月二十四日。六百八十冊目だった。
 人生の悩みや苦しみがつづりれることもあったノート。数年前には、若い男性が昔の書き込みを探して自宅に来たこともあった。「寂しい限り。でも、生きているうちに状況が変われば復活させたい」。鈴木さんは気力に満ちた表情でそう語った。”(12月26日付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」という記事欄からです。蔵王山はボクも何度も行った。素晴らしい見晴らしである。感動を覚える。そんな人たちがいろいろな思いを書かれたのである。それが16年間で680冊になったという。年月というものは凄いものだ。長年一人でこうした行為を続けてこられた平松さんは素晴らしい。
 こうしたノートが置いてあることは時折見かける。置いてあるなと、何となく見ていた。しかし、この行為の裏にはいろいろな思い、努力があるのだ。その置いた人の思いに心を馳せ、報いたいものだ。そのノートに落書きなど心ない行為はもってのほかだ。
 平松さんは管理者から落書きを理由に断られたという。このノートが原因でどこにどんな落書きがされたのであろう。ノートの落書きではあるまい。心ない行為が大切なものを失うのである。最近ボクがよく困るのは公共のトイレである。トイレがあっても入れないようになっている。いたずらが多くて閉鎖されているのである。ウォーキング例会のコースづくりで重要なのはトイレの場所を確保することである。見つけても入れないようになっていると全くがっかりである。




2011/01/03(Mon) (第1386話) クリスマスプレゼント 寺さん MAIL 

 “四十二年前の昭和四十三年、長男六歳、次男四歳のクリスマスイブ。九州から移住してきて間もない私たち夫婦には、子どもたちにプレゼントを与える余裕がなかった。そこで、誰かにサンタのおじさんになってもらって、電話で話をさせることにした。少し離れた所に大きな構えの家があり、ご主人にサンタクロースになってもらおうと、イブの前日に訪ねた。
 一面識もない人に頼むのは、勇気が要った。しかし、《子どものためだ)と自分に言い聞かせ、その家の玄関のブザーを鳴らした。出てきたのは白髪の優しげな男性だった。ことの次第を話すと「いいですよ。サンタになりましょう。明日の夕方、お電話をください」と言って電話番号を書いた紙をくれた。
 わが家には電話がなかったので、約束のイブの日の夕方、私は近くの公衆電話に子どもたちを連れて行った。子どもたちは少し緊張しながらも、目を輝かせてうれしそうにサンタのおじさんと話をした。冷たい師走の風が吹いていたが、私は人の温かい情けに涙を流した。あの日のサンタが誰であったか、子どもたちはいまだに知らない。”(12月24日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・田中さん(71)の投稿文です。童話のような、おとぎ話のような話ですね。親の愛、ここにありですね。
 子供にとってサンタさんは夢があるのですね。もちろん大人や世間が作り上げたものですが。昨年のクリスマス後、5歳の孫が運動靴を2足もサンタさんからもらったといってうれしがっていた。お兄ちゃんは1足で可哀想ともいっていた。その靴を履いて早速私とウォークに出かけた。今年はこの靴を履いて何回ウォークに出かけられるのだろう。
 それにしても貧しい時代は努力があった、知恵も出した。お金ですべてまかなえる時代は、ありがたいことであるが要注意である。




2011/01/01(Sat) (第1385話) 子育ては満点です 寺さん MAIL 

あけましておめでとうございます。今年もいい話を発掘して紹介していきます。ご愛読ください。コメント欄に投稿して頂けると更に嬉しく思います。

 “喫茶店の午後、女子高生が勉強していました。電子辞書を取り出し、他の音や声など気にせず一心不乱。その子は空いた隣の席に移ろうとしました。大きなバッグやテキストを素早く移し替えました。前の席に散らばった消しゴムのくずを集め、包みました。視線の角度を変えて、もうないことを確認しました。最後にシュガーポットを中央に戻し、左右から見直し、テーブルのセンターを確認しました。移った席で勉強が始まりました。
 同じ頃、きれいなコートの60歳代の女性が席を立ちました。パンの粉がいっぱい散らかっていました。シュガーポットはだらしなく隅っこにありました。
 私は帰り際に女の子に手紙を差し出しました。「お母さんに渡して」と、伝えて。その子は、にっこり笑って「はい」と受け取りました。「お母さん、あなたの子育ては満点ですね。ご自分をほめて下さい」と書き綴りました。もちろん、どんなお母さんか知る由もありません。他人様を叱る勇気はありませんが、ほめることならできます。”(12月17日付け朝日新聞)

 愛知県東郷町の内津さん(男・65)の投稿文です。この女高生の両親はこうした礼儀をしっかり教えられたのでしょう。これだけのことができれば、多分いろいろな所でその場にあった配慮ができるでしょう。素晴らしい女高生であるが、内津さんも素晴らしい。こうした態度を見た感動を素直に伝えられるとは見事だ。それを母親宛に文を渡されるとは、更に素晴らしい。これでこの親子は更にいい関係になるだろう。そして内津さんにこそ乾杯をしたい。注意することはできても、手紙まで書いて褒めることは気がつかないことだ、できないことだ。



川柳&ウォーク