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第80号  2010年12月

2010/12/30(Thu) (第1384話) 投稿話一番楽しみ 寺さん MAIL 

 “夕刊が届くと、この欄を一番に読みます。世間に暗いニュースが多い中、心温まる話題にホッとしますね。大切なお財布を落としてもちゃんと持ち主の元に届くーそんな投稿を読むたび、一日の終わりに心がパッと明るくなります。日本人は、人間は捨てたものではないと感じられ、私も見習いたいと思うこともしばしば。明るい話題を読めば、善い行いをする人がきっと増えるはず。そうすれば来年はもっと明るい一年になるでしょう。”(12月16に付け中日新聞)

 愛知県知多市の女性(74)の投稿文です。この欄とは「ハイ編集局です」という欄です。この欄はこのように短い文で、苦情などもあるが、落としたものが戻った話や席を譲ってもらった話、道を案内してもらった話など明るい話が多い。この女性が言われるように、明るい話が人を明るくするのは間違いはない。明るくなれば善行につながるだろう。「話・話」もそんな思いで続けている。
 今年最後の「話・話」がふわさしい話題で終われました。ご愛読ありがとうございました。




2010/12/28(Tue) (第1383話) 朝5時起き 寺さん MAIL 

 “三文の徳があると思っているわけではないが、早起きである。1年365日、必ず5時に起きる。5年ほど前からの習慣だ。春の晴明感、夏の躍動感、秋の爽快感、冬の凛とした透明感。それぞれの季節が特つ独特の朝の風情はいいものだ。家人を起こさないよう静かに布団を抜け出す。目覚ましには頼らない。
 ここから出勤までの約2時間が大好きな、そして大切な時である。始発電車が通り過ぎた後、新聞がポトリと届く。それから背伸びを一度して、私の仕事になっているごみ出しのため団地の集積所へ行く。散歩中の老夫婦、ジョギングする中年の奥さんとあいさつを交わすのも決まりごとになっている。
 小走りで家に戻り、大好きなコーヒーをいれる。うれしい香りが部屋に漂う。新聞を読みながら静かにいただく。少しばかりの幸せを感じる瞬間である。テレビはなるべくつけない。時には吉村昭、城山三郎の歴史小説に親しむ。
 7時前になると、「お年寄りは早いな」と大学生の末っ子が笑いながら起きてくる。平和なものである。朝早いご同輩は大勢いらっしゃると思う。早起きの苦手な方も一度、深酒と宵っ張りをやめ早起きすることをお勧めする。きっと新しい発見があり、人生の楽しみがひとつ増えるだろう。”(12月16日付け朝日新聞)

 三重県津市の会社員・山崎さん(男・60)の投稿文です。またまた早起きの話で、苦手な方には恐縮である。でも山崎さんが言われるように、一度試してみられるといい。いや、一度では辛いだけで価値が分からないので、、少しの間続けられたらどうであろう。長い人生、いろいろ試してみるのはいい。思いがけない発見があるものだ。
 ボクの朝の過ごし方についてはもう何度も書いたと思うが、山崎さんと似たり寄ったりである。ボクもほぼ365日、5時半起床でもう10年以上だ。起きる→トイレ、洗面→珈琲を入れる→新聞を読む→日記を書く→パソコンをつける→メールを読む、書く等→ラジオ体操をする→朝食を取る→歯磨きをする・・・「話・話」の文を推敲する・・・・ほぼ毎日続く。この手順が狂うとどこかにミスが起きる。面白いほどだ。出勤までの2時間半、1日の中で最も充実した時間である。




2010/12/26(Sun) (第1382話) 2冊の10年日記 寺さん MAIL 

 “長女の誕生を機に、次の年から書き始めた十年日記。二冊を書き上げて、二十歳になった年の終わりに贈ってあげようと思いました。
 でも、毎年書き連ねていくうち、それは長女の成長日記という最初の目的から離れていき、自分と四人の子どもたち、そして家庭の出来事を書くことが主になっていきました。その時々の思いがありのままにつづられています。悩みや不満、愚痴もたくさん書いてあります。日記を娘に見せるのは恥ずかしいけれど、未熟な母親の良いところも悪いところもすべて知っていてくれる娘だから渡すことができると思います。
 二冊の日記の最後の年である今年は、娘の成人式と就職、息子の結婚、父の死・・・。あまりにもたくさんのことかありました。父が亡くなった日に「命日」と書くのが嫌で、それを書けたのは何日も後のことでした。
 そんな年の締めくくりの出来事が孫の誕生です。父の命と入れ替わるように生まれてきた小さな命。そして、命をつなぐことができたことへの感謝の思いー。またこうして子どもたちの家族の歴史が始まっていくのだなあと思うと、感慨深いものがあります。”(12月16日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市のパート・大村さん(女・52)の投稿文です。子供の産まれた時から日記をつけ、20年つけたらその日記を子供に贈る、こんな意図で日記をつける人がいたことに驚いた。育児日記なら数年であろうし、欄も少なく子供に関することだけであろう。20年ともなるとそうはいかない。もう自分や家庭の記録であり、不満や愚痴も書いてあるだろう。それを子供に渡すにはかなりの勇気が要る。でも、大村さんはそれができるのだ。それだけ信頼に満ちた親子関係なのだ。簡単にできることではない。いろいろな発想、思いがあるものだ。




2010/12/24(Fri) (第1381話) 今こそユーモア 寺さん MAIL 

 “もう十年以上も前の話だが、名古屋の双子のおばあちゃん、きんさん、ぎんさんがCDを出したり、イベントに出演したりでこんな質問を受けた。「もらったお金はどうしますか」。笑って答えた。「老後の備えに」
  もっと傑作譚がある。百二十歳まで生きた鹿児島県の泉重千代さんに女性リポーターが次のようなことを聞いた。「女性はどういうタイプがお好きですか」。泉さんの返事がふるっている。「やっぱり、年上の女かのぉ」
 むろん冗談である。けれども、こういう気の利いた受け答えができる心の柔らかさこそが長寿の秘訣ではないか。心の豊かさこそが生きる糧といってもよい。ユーモアは味わい深い情感から生まれるものだ。
 そういう目で見ると、昨今の政治劇は何と殺伐とした光景ではないか。とりわけ外交、安全保障問題での迷走が目立つ。(後略)”(12月11日付け中日新聞)

 編集局長の「編集局デスク」からです。編集局長の言いたかったことは、省略した後半であろうが、ここでは前半の部分だけを紹介した。ユーモアの必要性、その効果については議論する必要は無かろう。この長寿の3方がどのような意味合いで言われたのか、多分、何の繕いもなく言われたのではなかろうか。そこに何とも言われぬおかしさ、微笑ましさが感じられると思う。「ユーモアは味わい深い情感から生まれる」、もうこれは人間性である。長寿にはストレスが最大の敵であろうが、こうしたユーモアを持つ方はそのストレスが少なかろう。余裕のある所にユーモアも生まれる。ボクももう自然に振る舞いたいと思っているが、自然に振る舞うと矩(のり)を踰(こ)えてばかりある。また社会に出ているとなかなかそうとばかりにはいかない。まだまだ老ける年ではないから、もう少しの間ストレスに取り巻かれているのだろう。




2010/12/22(Wed) (第1380話) がん経験 寺さん MAIL 

 “名古屋市内の居酒屋で先月二十八日、ある養成講座の打ち上げがありました。楽しそうな笑い声が絶えず、店内にいたほかの人は「忘年会かな」と思ったでしょう。しかし、三十人近い参加者は二十〜七十代のがん経験者。がん患者を支援する「ピアサポーター」の講座の受講を終えたばかりでした。
 九月から毎週のようにあった講座では、サポーターになるために必要な知識を学びました。リポートの提出もあり、忙しく、私はやり通せるだろうかと、不安にもなりました。
 私自身、がんと診断され、嫌でも死と向き合い、悩みました。友人、知人のおかげで、気持ちが前向きになりました。そうすると、自分の経験を誰かに役立てたい。病気に苦しむ患者さんを助けたいという目標を持つようになりました。講座の受講生も、みんな同じ気持ちでした。
 がん患者の皆さん、悩んでいるのはあなただけではありません。同じ苦しみを経験し、共感できる仲間がそばにいますよ。一歩踏み出すと、また違った喜びを得られる世界もありますよ。”(12月9日付け中日新聞)

 愛知県豊田市のピアノ講師・川田さん(女・53)の投稿文です。癌の宣告は死を意味したこともある。最近は治療法がかなり進み、生存率が高くなったが、それでも死に近いことは変わりない。それだけに癌にかかると不安にさいなまれ、苦しむことになる。そういった人たちがグループを作り、支え合い、更にはその経験を生かし苦しむ人を助ける。こういう体験に基づいた話は説得力があり、尊い。
 人間、与えられた良い境遇はより生かし、悪い境遇は乗り越えていかねばならない。何でもない時はこんなことも軽々と言える。しかし、いざとなった時どうなるか、そのためにもこういった話を知っておくことは貴重だ。ボクの父親も妻の父親も癌でなくなった。妻の妹は乳ガンの手術をした。人ごとではない。




2010/12/20(Mon) (第1379話) 3冊の童話集 寺さん MAIL 

 “買い物の手伝いをするため、私は週に一度、実家を訪れている。ある日、父から和とじの本を三冊手渡された。以前、中日新聞に連載され、楽しく読んだ菊池寛、芥川龍之介訳のアンデルセン、グリム、イソップの童話集だった。
 表紙に「童話」と筆で書かれ、一ページ目にそれぞれの作品名、中の台紙は裏白のチラシ、そこに新聞の切り抜きが丁寧に貼り付けてあった。最初はアンデルセンの「うぐいす」で「人の心を動かすものだった」という見出しが目に飛び込んできた。
 日ごろ、朗読を楽しんでいる私に来春米寿を迎える父親が贈ってくれたもので、このプレゼントこそ私の心を動かすものだった。
 「お父さんがずっと座って何か一生懸命やっていたけど、これを作っていたんだね」と母。最近は、父の本棚をゆっくり見たことはないが昔から手掛けている和とじの本はかなりの冊数に上るはずだ。今もまだこの作業を続けていたのかと思うと感心した。
 《私のことを気にかけてくれてありがとう、お父さん》帰りの車の中で目頭を熱くしたことは言うまでもない。”(12月9日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・加藤さん(64)の投稿文です。新聞の童話をスクラップして和綴じの本にする。なかなか根気の要る作業である。若い時からしてみえると言うことだから、それだけの技術と好きなのだろう。歳いった人には全くいい作業だ。これを娘さんに贈る、一石二鳥以上の効果ではなかろうか。
 和綴じの本はいいものだ。ボクの知り合いにも得意な人があって、自分の随想を和紙の表紙をつけ和綴じの本にしている。何冊もいただき、今も本棚にある。




2010/12/18(Sat) (第1378話) エコ買い 寺さん MAIL 

 “私たちはスーパーなどで並んでいる商品の消費期限を見て、つい奥の方に並んでいる期限に余裕のある品を買い求めてしまう傾向がないでしょうか。以前、「賢い買い物の仕方」などといって、そう教えられた記憶があり、実行すれば確かに便利です。でも、そうやってせっかく消費期限のある物を買っておきながら、まだ余裕があるからと、ぎりぎりになるまで消費しないこともあります。
 店に並べられた商品は、期限が来てしまったら当然ながら売ることはできません。何らかの形で処分されることになりますが、自分たちがわざわざ避けた商品ほど、そうなる確率が高いわけです。それなら手前に並んでいる、期限に余裕がないものを自分が買い求めた方が、一つでも廃棄処分される品が減ります。つまり環境保全に協力することができるのです。同じ商品を買って食べても、期限が短いものを求めるだけで、ほんの少しですが地球環境破壊を遅らせることができます。これを「エコ買い」というそうですが、覚えておいてもいいのではないでしょうか。”(12月6日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の公務員・稲葉さん(男・54)の投稿文です。稲葉さんが言われるようなことは往々にあろう。余裕があるといつでもいいと思っている間にギリギリになってしまったり、、時には過ぎてしまうこともあろう。それより近いものを買ってくれば意識して速やかに使うようになる。やはりこれは後者が賢いのだろう。そうすることによって無駄も少なくなり、大げさに言えば値段も安くなる。自分だけの利益を見ているか、全体の利益を見ているかの違いであろう。賢い消費になりたいものだ。
 消費期限、賞味期限をなぜこれほどに厳格に言うのか、ボクは少し疑問に思っている。品物の品質が期限を前後してそれほどに変わる訳ではない。あくまで目途であろう。あまりに日にちに振り回されている気がする。




2010/12/16(Thu) (第1377話) 感動話聞かせて(その2) 寺さん MAIL 

 (1)高校球児だった。夏の県大会の準決勝で、後に甲子園出場を決めた高校に負け、侮しくてマウンドで泣いた。でも、その後、おふくろが僕の胸ですごい泣いてて。その時に気付いた。僕が流した涙は、自分のためだけのものだったけど、おふくろは人のことを思って泣いてる。すごいなって思った。それまで近くにいたのに大切にしていないことに気付き、これからは大切にしようって決めた。
 (2)中学の同級生にKといういじめられっ子がいた。一緒に遊んでいたおれだけが友達だった。高校時代に大げんかした。おれが悪かったのに、めちゃくちゃひどいこと言って、携帯電話のアドレスを消して連絡を取らなくなった。
 ある日、家に帰ったら母親が「K君が亡くなったそうよ」。けんかの直後に病気になり、亡くなったという。本当に後悔した。葬式に行ったらKが入院中に書いた手紙があった。「僕は友達が少なかったけど、一人だけとても仲の良い友達がいて、本当に楽しかった」。けんかのことは何も書いてなかった。棺おけのKの顔を見て、号泣した。
 「もう一度会わせてほしい。もう一度、一緒に遊ぼう。お願いだから、また顔を見せてくれ」”(12月1日付け中日新聞)

 「感動話聞かせて」の記事の中で紹介されていた感動話です。2話とも涙した話である。涙はある事態の究極の場面である。それだけに感動するものがある。1話目は人のために流す涙は尊い。母親の中にそれを見いだした。2話目は冷たい仕打ちをしたのに感謝されていた、後悔で号泣した。
 涙を流すには素直さがいる。人間素直になれるの良い。人間、人前では繕ってばかり、本音で話すことも少ない。残り少なくなった人生、できるだけ素直な中に自分を置きたい。そのためには社会から身を遠ざけることだとすれば悲しい。




2010/12/14(Tue) (第1376話) 感動話聞かせて(その1) 寺さん MAIL 

 “夕方の金山駅南口の広場で、家路へと急ぐ人を男性が呼び止める。「何か感動した話を聞かせてくれませんか。お礼にほかの人の感動した話をまとめた冊子をお渡ししますから」男性は臼井良介さん(29)=愛知県常滑市。昼は高校で英語の非常勤講師をしている。仕事の後や休日を利用して週一〜三回、駅前に繰り出す。
 活動のきっかけは、大学時代に自己啓発セミナーに参加したこと。「寄生虫」とあだ名を付けられていじめられ、カッターナイフを左手首に当てるまで追い詰められた中学時代を思い返し、「生きているのは当たり前のことじゃない。感動すべきことなんだ」と気付いたという。学生時代からギターでの路上ライブを続けていたこともあり、駅前で感動と感動を交換する取り組みを思いついた。
 昨年八月に活動を始め、これまでに約二千百人から話を聞いた。臼井さんの当面の目標は、百万人の感動話を集めること。路上だけでは難しいため、インターネット上のコミュニティーサイト「ミクシィ」や「マイスペース」を活用し、海外からの書き込みも募る。「誰かの感動がほかの人を感動させる。そんな幸せのサイクルを築いていければ」これまでに聞いた話と、今後の路上での活動予定はネット上に公開している。「感動コレクター」で検索。”(12月1日付け中日新聞)

 記事からです。人さまざまというが、こんなことをしている人がいることにびっくりした。始めて1年数ヶ月で2100人から話を聞いたという。また聞いた感動話を冊子にし渡しているという。
 臼井さんにはいじめにあった苦しい時代があった。そして、生きていること自体が感動すべきものだと気づかれた。この自覚はなかなか持てることではない。多くは平穏に生きていても不満、不平、批評ばかりである。この自覚はあるレベルを超えている。
 体験をいかに生かすか、生かし方も様々である。感動話と言うことではこの「話・話」と共通するが、臼井さんは自ら実を粉にして集めている。比較できることではない。「感動コレクター」も見た。臼井さんの今後が楽しみだ。




2010/12/12(Sun) (第1375話) 保育士の夢 寺さん MAIL 

 “私は子供の頃から保母(今は保育士)さんになりたいと思っていました。そのため、働きながら保育の勉強をしましたが、なぜか資格を取得する前に結婚して二人の子供に恵まれました。
 育児に専念しましたが、子供も成長して手がかからなくなり、保母助手として保育所に勤務しました。しかし、いくら技術が優れ、情熱があっても、無資格では人からも信頼されず、自分でも後ろめたい気がしていました。
 保育の夢を捨てきれなかった私は一から勉強し、三十五歳で試験を受けて合格し、晴れて保育士として定年まで働くことができました。その間、調理師や運転免許も取得し、本当に楽しく、充実した人生を過ごすことができました。
 私は子供に、「人間は夢に向かって勉強し、努力すれば何でもできる」と励ましています。特に今は資格を必要とする時代です。いろいろな資格の取得に若い人たちは頑張ってほしいと思います。”(12月1日付け中日新聞)

 岐阜県八百津町の主婦・伊東さん(74)の投稿文です。またまた意欲的な女性の話である。35歳で保育士の資格を取り、定年まで働く。充実した人生であったろう。そして、その意欲をかき立てたのは夢であった。夢は原動力である。
 現代は夢を描きにくくなったと言われるが、本当だろうか。昔に比べいろいろ制約は少なくなり、自由に生きることができるようになった、というのが事実であろう。それなら夢も自由に描けるのだが、自由を得てしまうと何をしていいか分からなくなってしまうのだろうか。伊東さんのように大きな夢でなくていい、身近な夢(目標)を持ち、その時々を積極的に生きたいものだ。ボクなどこの「話・話」をどこまで続けられるか、これも夢である。当面は1778話をめざしている。




2010/12/10(Fri) (第1374話) 静かな秋 寺さん MAIL 

 “わが家の庭にカリンの木が一本ある。二十年ほど前に家を新築したとき、実家の母が植えたものだ。春には小さなかれんな花を咲かせ、夏はセミの止まり場所になる。秋から冬にかけては大きな実を付けてくれる。風邪をひいたとき、のどに効くというので、実のなり始めにはうれしくてカリン酒を造ったりもした。しかし家族には不評で、三年でやめてしまった。
 消毒をしないので、葉や実は虫に食われ放題。雨が降った次の日は、もう大変!!赤ちゃんの頭くらいの朽ちた実が葉とともに落ちる。そばに置いてある夫の車の屋根が汚れて困っていた。「今年こそ切るぞ!!」。車をとても大事にしている夫は、いつもこの時季になると木を見上げては怒っている。
 しかし先日、ドスッと音がしたので見にいくと、最後の大きな実が草むらに落ちていた。それを見て《今年も切られなくて済むぞ》と笑えてきた。落ちた実は、庭の隅っこにそおっと埋めた。いろいろな思いも込めて。その木を植えた母が亡くなってから一年。静かな秋である。”(11月28日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・山下さん(59)の投稿文です。前半部は我が家によく似た風景であるので取り上げた。我が家ではもう30年近く前になるが、庭を整備した時に植木屋さんがカリンの木も植えた。花を咲かせ実がなり、鳥も止まる。しかし、消毒もしないので、大半は虫に食われ放題でそのうちどさっと落ちる。それでも残ったひとつふたつで妻はカリンジュースを作る。風邪を引いた時に愛用している。今回の咳でも随分飲んだ。
 各家庭でそれぞれの秋がある。秋を感じるには植物の存在は大きい。我が家では紅葉やドウダンツツジが真っ赤に色づき、千両も赤い実をつけている。フジは葉を落とし、柿の実は鳥用に残したいくつかが残るのみになった。今年は少し遅れているが、今度の日曜日に庭師に剪定してもらい、静かな冬が迎えられるだろう。植物に囲まれ、四季を感じる生活は大切にしたいものだ。




2010/12/08(Wed) (第1373話) すき焼きと卵 寺さん MAIL 

 “すき焼きは今でも「ごちそう」だが、手が届かないというほどではなくなった。どこの家でも年に何回かは食卓に出る。そして、当然のように取り皿に生卵が割り入れられる。それを見るたびにおじさんは、「ぜいたくになったものだ」と感慨深くつぶやくのだった。 生卵をかき混ぜ、煮えた肉や野菜を浸して食べるのが、ごく普通のことになった。熱いので卵に絡めて冷ますのか、卵で一層うまくなるからなのか、理由は知らない。が、多分、全国どこに行ってもすき焼きには卵が付き物だと思う。
 おじさんの子どものころは卵は貴重品だった。そうそう日常的には食べられなかった。まして、すき焼きは、それだけで大変なごちそうだったわけで、きらに卵が付くなど考えられなかったことだ。おじさんが高校生になったとき、親類の人にはじめてすき焼き屋に連れていってもらった。そのとき、出た生卵にしょうゆを垂らし、ご飯にかけ回してしまった。卵かけご飯だ。これはこれですき焼きを上回るうまさだが・・・。今では平然とすき焼きを卵で食べるようになった。ウーン、ワシもぜいたくに慣れ、ダメになったものだ。”(11月28日付け中日新聞)

 久しぶりにエッセイストの飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。いつまでも昔のことを言っていても仕方がないが、ボクも全く同じ感覚である。生卵ぶっかけご飯はそれだけでもご馳走だったし、すき焼きなど年に何度もない大ご馳走だった。それを知っているから今の食卓に感謝できるのである。今の食卓が当たり前ではないのだ。これを子や孫に伝えるのは難しいが、しかし、教えて感謝の気持ちを持たせねばならない。
 先日イタリアへ行った。その時の食事は多分向こうでは豪華品だったろうが、自家製野菜主体の我が家の食事の方が、種類抱負で色取りよく、よほど良いと思った。大方の今の日本人の食生活は世界に類を見ない豪華さであるのだ。そしてそれの多くは輸入によって成り立っている。いつまでも続く保証はない。




2010/12/06(Mon) (第1372話) これを使って 寺さん MAIL 

 “十年ほど前のこと。名古屋市中川区の高木千里さん(四五)が家族で岐阜県下呂市の温泉入浴施設へ出掛けたときの話だそうだ。
 長男と次男は父親が、高木さんは二歳になる娘さんを連れて脱衣所に入った。ところが、財布には百円玉がなくてロッカーが使えない。娘さんに「困ったねえ」と話していると、それをそばで聞いていた湯上がりの若い女性がスッと手を差し出し「これ使ってください」と言う。百円玉だった。うれしかった。でも、突然のことで驚いてしまい丁重にお断りし、玄関の自動券売機の隣にある両替機まで千円札を壊しにいった。その後高木さんは湯船に漬かりながら考えたという。なぜ断ってしまったのだろうかと。そのころ、三人の子育て中で外出するのが大変たった。とにかく「人に迷惑をかけないこと」ばかりに気を使っていた。そのため、せっかくの厚意を素直に受けることができなかったのかもしれない。
 そんなことを考えつつ湯から上がると、すぐ横で裸になった年配の女性が「あっ、百円がない」と声を上げた。高木さんは「これ使ってください」と百円玉を差し出した。無意識に。それも初めてのことだったという。おそらく「してもらった」から「してあげる」ことができたに違いない。そんな自分自身の行動にも驚いた。「人に甘えてはいけないと思っていましたが、みんなに支えられて子育てしていることに気づいた瞬間でした。今後も受けた恩を人から人へとつないでいきたいと思います」という。”(11月28日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。突然の親切に戸惑うことは多い。そして、つい遠慮してしまう。時には裏心もあろうが、大方は親切心である。相手も勇気をふるって声をかけたのである。ここはその勇気に報いる為にも冷静に親切を受けた方が良い。
 受けた親切は高木さんのように恩送りで次に伝えればいい。恩送りについては2007年1月9日の第709話や2009年7月2日の第1133話でも紹介している。
 先日ラジオを聞いていて、日本人は助けを求めれば7割の方が助けてくれると言っていた。助けを求めなくても2割の人は助けてくれるとも言っていた。これはこの話からも頷ける。日本人は親切なのだ。あまり肩肘を張らないで自然体で生きることであろう。助け助けられていけば社会は和やかになり、無縁社会などということもなくなろう。




2010/12/04(Sat) (第1371話) 希望の道 寺さん MAIL 

 “大学の門の入り□に立つと、樹齢100年以上もあろうかと思える木々がそびえ立つ。教室へと続く大きな道を、私は勝手に「希望の道」と名付けた。木々のすき間からもれる光を全身に浴びながら歩くと、たくさんの元気がもらえるような気がして、足どりも軽くなる。
 37年前、学生結婚を機に学ぶことをやめてしまった私は、大学への思いも、日々の生活の中でだんだん薄れていき、子育てと仕事で人生の大半が過ぎ去った。そんな私に転機が来た。今まで元気だった主人が突然、難病(特定疾患)と診断されたからだ。いつ治るかもわからない。治療方法もない病気と闘うためにも「何かを始めなくては」と決意した私は、介護福祉士の道を目指している。
 時には、耳なれない専門用語に目を白黒させながら授業を受け、教科書のカタカナばかりの長い名称にうんざりしながら悪戦苦闘している。そんなときは帰りの「希望の道」が、「もっと若いうちに勉強しておけば良かった」と「後悔の道」になっている。それでも、学友には若い子も同世代もいて、通うのが楽しい。一歩一歩、学ぶことにワクワク、ドキドキしながら、主人の病気が完治することを祈って、今日も「希望の道」を歩いている。”(11月26日付け朝日新聞)

 東京都東村山市の学生・岡本さん(女・55)の投稿文です。高齢者が大学で学ぶ話は時折聞く話であるし、家族の介護する為に介護の勉強をする話も時折聞く話である。しかし、ご主人の病気をきっかけに介護福祉士をめざして大学に入り直すとは、これはまたすごい意欲である。岡本さん夫婦の夫婦愛がこの意欲をかき立てたということもあろう。また、主婦には社会に出ることが新鮮と言うこともあるかも知れないが、それにしても女性の意気盛んなことには恐れ入る。
 岡本さんのご主人はこれでは難病に負けないように頑張るざるを得まい。そうしないと奥さんの努力が報い得ない。病人も頑張る、介護する方も頑張る、お互い頑張る姿を見て頑張る意欲が湧く。そして、夫婦がより和す。病気を得て本当の夫婦になったという話もある。頑張りすぎないように頑張って欲しいものだ。




2010/12/02(Thu) (第1370話) 遊び心 寺さん MAIL 

 “長久手町の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内に十月オープンした交流施設「地球市民交流センター」。その屋上で収穫されたサツマイモでお菓子が作られ、来園者に振る舞われた。地中熱や太陽光を利用し、環境に配慮した空調を実現した施設。屋上緑化もその一環だが、芝生や花だけではつまらないと畑を設けた。振る舞ったのは、小麦粉と砂糖を混ぜた生地に角切りしたイモを加えて蒸した「鬼まんじゅう」。東海地方の家庭的なお菓子で、地域の伝統的な食卓文化を紹介する意味も込めた。
 「イモはこの建物の屋上でとれたものなんですよ」。そう聞くと、おいしそうにお菓子をほお張っていた来園者は驚きの声を上げる。施設の緑化を紹介するチラシに目をやり、感心した様子だった。「次はイチゴにしようか」「タマネギなら草木染にも使える」。職員は調理の合間に楽しそうに次の作物を話し合っていた。言葉で説明するよりも、食べ物で舌に訴える方が印象に残ることもある。こうした遊び心は大歓迎だ。”(11月25日付け中日新聞)

 記事からです。「地球市民交流センター」がオープンしてまもなく、ここを訪ねる機会があった。施設の説明も受けた。いろいろな所に省エネが試みられていることに感心した。そして、芝生や花の中にサツマイモの苗が植わっていることにびっくりした。あの時のサツマイモの苗が鬼まんじゅうになったのだ。本来の業務ではないだけにまさに遊び心である。作った方にも食べた方にもいい思い出になったろう。本来の業務以上に良い効果があったのではなかろうか。
 今日午前に会社で行っている清掃活動等についてある団体からヒヤリングを受けた。この活動も会社本来の業務ではない。会社にしてみれば遊び心の部分である。でも効果は意外に大きいのである。



川柳&ウォーク