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第79号  2010年11月

2010/11/30(Tue) (第1369話) 家読は家族の絆 寺さん MAIL 

 “小さい子どものいる家庭で、同じ本を読み回すことを最近は「家読」と言うらしい。今、私の手元に1冊の本がある。兄が図書館から借りてきたものだ。私が読み終わったら、次は母に渡す。「おもしろかった」などの短い感想付きだ。そして母が読んだら兄へ。家の中で本が回る。それは我が家の昔からの習慣だった。今でも面白い本があると、40歳を超えた私たち兄妹は、80歳近い母に勧めずにはいられない。(中略)
 今年の夏、テレビが壊れた。地デジ対応テレビに変える機会かもしれないが、母はテレビを見ないことにして、「平家物語」全16巻を再読した。私も脱帽だ。食事が終わると、さっさと自室に引き揚げてしまうような家族だが、仲たがいもしないのは、どうやら同じ血と本でつながっているかららしい。認知症予防も兼ねて、母への「読書のススメ」と「家読」は、まだまだ続く。この世に読んでいない本がたくさんある。「読まずには、死ねない」のだ。”(1月11日付け朝日新聞)

 茨城県筑西市の紙工芸家・落合さん(女・43)の投稿文です。「家読」とはまた新しい言葉を知った。家族で本を読み回す、この効果は沢山あるだろう。特に家族が同じ本を読むことによって共通の話題を持つ効果は大きいだろう。こんなことができるだけでもこの家族の信頼、親密さは大きい。同じ本を読むことによってそうなったのか、そういう家族だから同じ本を読む気になるのか。鶏が先か、卵が先か、ともかく良いことはやってみることである。
 今我が家では、私が読んだ「ローマ人の物語」を妻が読み始めた。推理小説ばかりの妻には珍しいことだが、先日イタリアへ行ったことが大きな要因だ。そして、向こうで聞いてきたことがここに書いてあったとか、いろいろ話に出る。旅行一つもいろいろ活用して費用はより安いものになる。一つのものを大いに活用する、家読はその一つの方法だ。




2010/11/28(Sun) (第1368話) COP10支えたボランティア 寺さん MAIL 

 “先日終わったCOP10運営のお手伝いということで4、5人のボランティアさんと一緒に会議参加者に交通パスを渡す仕事をした。大きな国際会議だったので、様々な業務に全部で千人近くが協力して下さったと聞いた。初めての方も多かったようで、この地域のボランティア活動のすそ野がぐっと広がった。
 私の班では、断ること、叱られること、謝ること、倉庫での仕分け作業などは職員が担当し、会議参加者と楽しく接する仕事をボランティアの皆さんに回したつもりだ。しかし、部署によっては、期待はずれに感じた方もいるのではないかと心配している。
 ボランティア活動は、いつも利用者から感謝と賛辞を受けるとは限らない。名古屋祭りの英傑行列の観客整理をすると通行人に怒鳴られることもある。それでも多くの方がボランティアを楽しく続けている。今回つらいことがあっても懲りずに、次もボランティアに参加して頂きたい。”(11月8日付け朝日新聞)

 愛知県春日井市の公務員・石川さん(男・59)の投稿文です。愛知県は「愛・地球博」の万博でボランティア人口が一挙に増加した。それがそのまま継続されている。今回のCOP10でもそれらの多くの人が活躍され、また多くの新しい人も加わったのであろう。ボランティアといえども感謝されるばかりではない。苦情を受けることも多くあろう。しかし、多くは貴重な体験や勉強になる。楽しいことも多かろう。人に役立っていることが快い気分にもさせる。ボランティア活動は自分の為である。これからの社会、ボランティアはますます必要とされるだろう。特に元気な高齢者は参加して欲しいものだ。




2010/11/26(Fri) (第1367話) 畑耕す男性 寺さん MAIL 

 “たいしたことではない、ただそれだけのことだった。ふだんは早朝に裏の農道を1時間歩く。しかし、その日は忙しくて11時ごろに歩いた。いつもの道をいつものように歩いていると、70歳ぐらいの男性が畑を耕していた。
 畑には大根や白菜が植えてある。毎年、たくさん実る柿もミカンも今年は暑さで収穫は少なそうだ。しかし、男性は一生懸命に畑の手入れをしている。散歩の帰り道にも彼は畑にいた。切り株に腰をかけて弁当を食べていた。ちょうど正午のサイレンが鳴った。柿の木の下で食べている、彼の妻が作ったのか、それとも息子のお嫁さんなのか。
 子どものころは学校の行き帰りに、農家の入たちが畑で働いているのをよく目にした。働く人を見るのが好きだった。田植えや稲刈り、サツマイモ掘りにサトイモ掘り。いまでも鮮明に覚えている。しかし、最近は畑で人を見たことがない。草むしりは除草剤に代わった。
 畑で弁当を食べていた男性は健康で仕事を愛しているように見えた。彼は幸せなのだ、畑にいて。久しぶりの光景に私も幸せな気持ちになった。「どうか、いつまでも元気で」と思った。どんな仕事でもいい。健康で働けることが幸せなのだ。そして、好きなことが仕事なら、なおいい。”(11月3日付け朝日新聞)

 愛知県安城市の英会話講師・小宮さん(女・63)の投稿文です。最近畑で人を見たことがない、といわれるとどんな所かなと思ってしまうが、確かに都市近郊では少なくなったろう。畑で弁当を食べる、言うところがのどかで楽しいし、懐かしく紹介した。こういう風景は田植えの時でも見なくなった。昔の田植えはどこの家庭もおやつや昼食を土手に座って食べたものだ。この男性にとって畑で取る昼食時間は至福の時間であろう。いつまでも畑仕事ができるのはいい。
 ボクの家の少し前の畑には、90歳近い男性がほとんど毎日手入れにやってくる。またすぐ裏にはこれも90歳近いおばあさんが毎日畑の手入れをしている。50坪以上の畑を一人で守をしている。草も生えていない。共によく知っている人である。全く脱帽である。こういう生活の場があることが元気な源であろうか。ボクもその環境にあるので、その時になったらそれを楽しみたいが、今はあることが負担である。




2010/11/24(Wed) (第1366話) 61歳のラブレター 寺さん MAIL 

 “今年2月、17年の公務員生活と22年間の市議生活を終えた。これからは家族だんらん、地域貢献を、と退職後の生き方を考えていたが、そうはいかなかった。昨年末には肝臓がん、今年2月に前立腺肥大症、4月からはインターフェロン治療の副作用による重度のうつ症状など連続して病魔に襲われた。
 それまで病気をしたことがなかった私にとって、相次いだ病気体験は本当につらく苦しいもので、健康のありがたさを再認識させられた日々でもあった。病の苦しみにあえぐ日常生活で、最も心の支えになったのは、私の無理な訴えや叫びを受け止め、自身も疲れているのにほほえんで励ましといたわりの言葉をかけ続けてくれた妻だった。
 信託銀行が夫婦の第二の人生を応援しようと企画した「60歳のラブレター」が話題になり昨年、映画化された。61歳になった私は1年遅れたが、33回目の結婚記念日である10月27日、妻へのお礼と闘病中の看護に心から感謝する「61歳のラブレター」を贈った。「これからもいたわり合い励まし合い、ほほえみ合って」ともしたためた。妻からは「これからもよろしくね」という言葉と涙ぐみながらの笑顔が返ってきた。家族、地域の「無縁化」が指摘される中、夫婦のきずなをさらに深め合った結婚記念日になった。”(11月3日付け朝日新聞)

 三重県津市の竹沢さん(男・61)の投稿文です。人間60歳を過ぎると、健康な体もいつ突然病が訪れるかも知れない。竹沢さんもまさにその体験者だ。前回の大窪さんも同じだ。ボクの回りにもいくらでもある。気をつけねばならないし、その覚悟もしておかねばならない。
 それにしても「61歳のラブレター」とは竹沢さんは立派だ。僕らの年代はこういうことは苦手だ。ボクもその典型だ。竹沢さんのように病に倒れるなどのことがあればできる機会かも知れないが、それでは遅い。
 ボクも今回肺炎といわれ慌てたが、今朝の検査で影がなくなっていてホッとした。夫婦共に元気であることは難しい。元気であるうちにしておかねばならぬことはある。もう一度それを確かめねばなるまい。




2010/11/22(Mon) (第1365話) 君に見せたい 寺さん MAIL 

 “手紙の返事を書くために便箋を探そうと、手書きの便りを基本にしていた妻の文箱を4年ぶりに開けた。中から「お父さんが定年になり、これから2人で心行くまで海外旅行を楽しもうと思っていたのに、突然病気になり・・・」と途中まで書かれた、友人あての便箋が出てきた。体調が悪くて最後まで書くことができなかったのであろう。
 結婚して35年強、しっかり者の妻に家事や育児をすべて任せ、思い切り仕事に専念させてもらった。おかけで侮いのないサラリーーマン生活を送ることができた。妻は、二つのことを器用にこなすことができない私の性格を見抜き、私が定年になるまでは、海外旅行に出かけるのは無理だろうと自分自身を納得させていたのかもしれない。
 定年後、縁あって第2の職場に勤めることになり、妻の希望に沿うことが難しくなったが、新しい職場の上司に無理を言って時間をもらい、妻とイタリア旅行に出かけた。妻は「これからは仕事と遊びを同時進行でよろしくね。ギリシャ、トルコなどに行ってみたいね」と話していた。
 それから1年後に妻が亡くなり、その思いをかなえてやることはできなくなったが、いつか妻の写真をポケットに忍ばせて出かけ、心行くまで素晴らしい風景を見せてやりたいと、妻の書き残しの便箋を見ながら思った。”(10月30日付け朝日新聞)

 横浜市の大窪さん(男・65)の投稿文です。こういう話を読むと、いかに今が大切か、つくづく思う。この歳になればよりそうであろう。以前にも話したが、ボクの机の上には「今が本番、今日が本番、そのうちはもう無い」という、この「話・話」で知った言葉が書いてある。
 大窪さんは奥さんとイタリアへ行かれた。しかし、その後はなくなってしまった。ボクの夫婦も先日イタリアへ出かけた。あまり外国旅行に感心のなかった妻が、帰ってどんな反応を示すか気になっていたが、次の話を出すと乗ってきた。まんざらでもなかったようだ。大窪さんのように写真を持って出かけるようなことにはなりたくない。でもいつそうならないとは限らない。ボクはまだ数年働くつもりだ。それだけによりチャンスをキチンと捉えていかねばならない。今回のイタリア旅行のように、体調不良であわやキャンセルというようなことにならないように、万全を期さねばならない。




2010/11/20(Sat) (第1364話) 私の宝物 寺さん MAIL 

 “わが家には、結婚以来四十七年間に届いた手紙が宝物として残してあります。母親、兄弟、同級生などからの年賀状や近況報告などで、菓子箱三つほどに詰まっています。新聞も子どもが生まれた昭和四十三年ころから切り抜いたりそのまま残したりしていましたが、何度も引っ越しを繰り返すうちになくなってしまい、残念でなりません。
 四十七年間のうちに、亡くなった人も数十人います。先日、その箱を取り出して、一通一通読み返しました。当時の出来事などが頭に浮かび、懐かしいひとときを過ごしました。昔の手紙は字の上手下手に関係なく、自筆でした。最近はほとんどが活字印刷で、差し出した人の人柄をしのぶことはできません。電話の普及により、手紙の数も減ってしまいました。
 昭和二、三十年ころの雑誌には文通希望欄がありました。親元を離れて住み込みで働く人が多く、見ず知らずの人たちと手紙で励ましの言葉を交わす文通が楽しみでした。
 最近、こちらから手紙を出しても返事は電話が多く、宝物はなかなか増えません。頻繁に交わしていたあのころが懐かしく感じられます。”(10月25日付け中日新聞)

 名古屋市の倉沢さん(男・71)の投稿文です。「私の宝物」の中味は手紙であった。ボクもいろいろ保存してあるが、残念ながら手紙は数年過ぎると処分している。ただ年賀状の素晴らしいものは結婚以来整理して保存している。手紙などすべて保存しておいてもたいした量にもならない。替わりのないものだけに保存しておくべきだったか・・・こういう話を聞くと少し残念に思われる。
 「私の宝物」というタイトルには少しどきっとした。このHPの付録・随想欄に同じタイトルのボクの駄文を掲載している。読んで頂けると話は早い。厚さ7cm程度のB5版の冊子が今では120冊を超えている。元気にしていればまだまだ増える。これを増やすのがボクの生き甲斐、楽しみでもある。まずは元気であらねばならない。




2010/11/16(Tue) (第1363話) 泥だらけの生態調査 寺さん MAIL 

 “半田市有脇小学校の児童が二十三日、同市緑ケ丘のため池「南廻間池」で、魚などを捕まえる「かいどり大作戦」に挑戦した。地区の住民団体「有脇の農地・水・緑を守る会」が地元に複数あるため他の清掃と生態調査のため、年一ヵ所ずつ実施している。
 同地では三年ぶり。三〜六年の百四十人が水を抜き水深五〇センチほどになった池に入り、泥だらけになって網で生き物を追った。フナやコイ、ワカサギが中心に捕れ、前回大量に捕獲された外来種ブルーギルは二匹、アカミミガメは五匹、ブラックバスはなし。在来種は同校プールに一時保管後、池に戻す。
 神谷茂雄会長(七四)は「前回はブルーギルなどに食べられない大きなコイやフナが多かったが、今回は小さい物もたくさんいた」と話した。”(10月25日付け中日新聞)

 記事からCOP10に係わる話です。ため池のかいどり作戦、外来種がこれだけ減った話には驚いた。子供にも大人にも楽しい活動だ。各地で広がるといい。
 ボクの子供頃にもこんな思い出がある。田の水を一度落とす8月頃、幅4mくらいの用水路も水を落とす。その日は村中総出、家族総出で用水路の魚を捕らえるのである。各家庭10m程度の自分の場所を確保し、家族で頑張る。ナマズやウナギ、鯉、鮒などバケツに何杯も捕れたものだ。楽しい行事だった。捕った魚は自分の家で処理してしまうのだが、それでも毎年魚は戻っていた。今思うと夢のような話である。それが自分の子供頃だった。今の子供にもそんな機会を作ってやりたいものだ。




2010/11/14(Sun) (第1362話) 生物多様性 寺さん MAIL 

 “中学生のころ、地理の授業で「プランテーション」や「モノカルチヤー」という用語を習った。単一作物を広大な農園で栽培するのだ。合理的な大量栽培の方法で、人類の未来はばら色だというイメージをもった。しかし、その農業方式が現地の人たちの主食作物の栽培を妨げ、熱帯雨林の面積を減少させていた。そして、生物の多様性を阻害していたことが、今では明らかになった。
 日本では「アイガモ農法」のように無農薬栽培がされるようになった。水田の生物多様性を保全するためだ。なぜ、生物多様性が大切なのだろう。先日分かりやすい例えを本で読んだ。世界は生物多様性という飛行機に乗っている。一つの種が絶滅するたびに、飛行機からリベット(頭の大きなくぎ)が抜け落ちる。少数なら気づかないが、ある分野に集中したり、多数になったりすれば飛行機から部品が脱落する。そんな意味で、生物多様性は大きな観点から人類を守っている。”(10月24日付け中日新聞)

 名古屋市の公務員・川上さん(男・58)の投稿文です。名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)も新戦略目標(愛知ターゲット)を採択し、閉幕した。利害が対立する中、意見の一致は大変難しかったようだが、まずは一つの成果を上げたようだ。
 人間がいいと思って始めたことも、時がたってみればいろいろな弊害が生じていることが多い。ダムなどもその一つだろう。今ある現在もいろいろなもののバランスの中にある。不用と思われるものも何かの役目を果たしている。そのことをつい忘れ、人間の傲慢な知恵で進む。その傲慢のしっぺ返しを、次の対策ができないうちに受けている。昔も今も人間は自分の都合で自然に変革を与えている。しかし、昔は緩やか、小規模だった。今は急激、大規模である。新たなバランスを確認できないうちに次々変革を加えている。取り返しがつかないことが危惧される。地球環境は一地方、一国では終わらないことが多くなった。COP10の成果が実現されることを祈りたい。




2010/11/12(Fri) (第1361話) 夜明け 寺さん MAIL 

 “ある日曜日、僕は夜明けに目が覚めてしまった。外に出てみたら、冬なのでとても寒く、鳥肌が立った。
 「夜明けって、学校に行くときより寒いんだな」と呟いた。でも、夜明けの太陽はとてもきれいだった。それを見ていると温もりを感じた。
 太陽って普段見ていて何も感じないが、夜明けの太陽は暖かさがじかに伝わってくる。その熱を感じながら、僕は家に戻った。
 もう目が冴えて眠れないから、このまま、ずっと起きていよう。その日の日曜日は、夜明けから一日が始まった。”(10月24日付け中日新聞)

 「300文字小説」から名古屋市の中学生・益田さん(男・15)の作品です。これは実際の体験を小説にされたのであろう。体験しなければ分からないことである。そして、いい体験をされた。「早起きは三文の徳」「早起き三両、倹約五両」と言う言葉がある。朝早いのは、静かで気持ちも落ち着いていていろいろできる。ボクなど、まさにその実践者で、この「話・話」の文を書くのもメールもほとんど朝である。もともと早起きではあったが、冬になると1時間ほど遅くなっていた。しかし、10年ほど前から年中5時半起きが普通の生活になった。休みも同じである。




2010/11/10(Wed) (第1360話) 生への執念 寺さん MAIL 

 “チリの鉱山落盤事故で、人間の「生きる」ことへの執念、そして力強さに脱帽した。33人全員が、暗黒の世界で70日間も絶望せず、頑張れたのはなぜだろう。
 彼らが経験差はあるものの日頃、鉱山で作業し、地下環境に慣れていることは分かるが、カギは事故発生から生存が確認されるまでの約20日間にあると思う。リーダーのウルスアさん自身、最初は、今回は難しいと考えたそうだ。頼っていたりーダーの 「今回は、自分ひとりではできない」という率直な言葉に、全員が発奮したのではないか。仕事班、睡眠班、休憩班の3班に分け、それぞれの班長を任命したことも皆の気持ちを高めたのだろう。各班で任務をやり遂げ、それが団結力を強めたと思う。
 20日間持てば救いの手が来ると推察し、食物、飲み物を制限したことも当たった。予想通り、地上と交信でき、救いの手が仲びているのを知った時、生きる気持ちが新たに強まったと思う。世界の国々がニュースで「生きる思いと団結力」をいち早く流したことに私は涙した。この人たちの今後を見守りたい。”(10月20日付け朝日新聞)

 愛知県瀬戸市の松長さん(男・67)の投稿文です。全世界が注目した話題だろう。人間ってその気になれば本当に凄いと思う。これからいろいろな情報が出てくるだろうが、大変な体験だ。これだけの人数だ、心強さもあったろうがいろいろな諍いもあったろう。ボクが思うに、この生還には強いリーダーが生まれ、うまく取りまとめたことが最大の力だったと思う。特に、生還を信じ、最初からあれだけわずかの食糧配分にしたことにはびっくりした。
 この体験を今後に生かしてもらいたい。しかし心配なのは英雄視されていることである。「自分は一炭鉱労働者だ」という気持ちを忘れねばいいが、チヤホヤされるうちに自分を失う人がないことを祈りたい。



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