2010/10/15(Fri) (第1351話) 余命半年 |
寺さん |
|
“「余命、一年くらいですね」と医師から告げられて半年暮れました。病名は膵臓がんですって。一ヵ月くらいは自分が自分でなくなり、きっと家族に迷惑をかけたと思います。健康な時は「太く短く生きて人生の幕を下ろしたい」と□癖にしていたくせに、現実になったら何と意気地のない私なんでしょう。何かの間違いじゃないかしら。例えば、エックス線写真が他人のものと入れ替わっていたとか、カルテと患者名が違っていたとか、いろんなことを考えて病気を否定しようと努力しました。でも、傷みや苦痛が徐々にひどくなってきて、認めざるを得なくなりました。 余命半年になった今は、事実を受け止め、今生きていられることを感謝し、今まで支えてくださった方々にご恩返しができないことをわび、静かにその時を迎えようと自分に言い聞かせています。もともと何につけてもいいかげんに処理してきた私に、一生のまとめをちゃんとするように神様やご先祖さまが、残された日々を教えてくださったと感謝し、明るくしっかり生きてみせますね。”(10月4日付け中日新聞)
愛知県あま市の山田さん(女・65)の投稿文です。人間いくつになっても死にたくないものだ。「死にたい、死にたい」といっている人でも、死が現実になるとうろたえるのである。「太く短く生きて」などと言っている時は死に関係ない時である。山田さんも苦しんだ時期を経て、今死を冷静に受けとめられる境地になられた。ボクがどんな状況で死を迎えることになるか分からないが、経過はどうにしろ、最後は山田さんのように冷静に受けとめられるようになりたいものだ。 先月、ボクが一宮友歩会の役員に期待していた人が癌で亡くなった。62歳であった。自分より若い人が亡くなるとは、全く残念である。聞く所によると、今年5月頃癌と分かり、いろいろキチンと整理し、かなり細かなことまで配慮し言い残しておかれたそうである。冷静に死を受けとめられたのであろう。奥さんも一宮友歩会に参加されているが「ウォークの友達も多いのだから、いつまでも嘆き悲しんでいないで楽しく出かけなさい」と言い残されたと聞いた時には、ボクの胸にも詰まるものがあった。
|
|