2010/08/26(Thu) (第1327話) 赤紙配達人 |
寺さん |
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“第二次世界大戦中、男たちは「赤紙」と呼ばれた召集令状一枚で戦地に送られた。その赤紙を家庭に届けたのが役場の兵事係職員。一九四五(昭和二十)年八月十五日の終戦まで「死地への招待状」の配連係を務めた元職員たちは、戦後六十五年を経てもなお、胸に重荷を抱え込んだままだ。 一九三〇〜四五年まで、滋賀県大郷村(現長浜市)役場で兵事係として勤務した西邑仁平さん(百五歳)=同市新居町=は、破棄を命じられた赤紙などをひそかに保管し続けていた。なぜ、父は露見すれば失職しかねない行為に走ったのか。長男で元県職員の紘さん(六八)が講演などで父の思いを伝えている。(中略) 年を重ねるにつれ、語り残さねばならない義務感が仁平さんの中で高まっていたのだろう。三年前、同市の浅井歴史民俗資料館で、仁平さんは保管書類約千点を初公開した。その後、仁平さんは、ぼつりぽつりと話し始めた。母一人子一人の家に戦死公報を届けた話、自転車で村を走ると、自分の家に来るのではないかと、おびえる村民の視線に身が縮んだ話・・・。そして書類を持ち帰った夜のこと。「戦争に翻弄された村人の生きた証しを捨てられなかった」 仁平さんは、赤紙配達の夢でうなされてきた。昨年末から寝たきりとなった父に代わり、紘さんは県内で講演する。「二度と戦争はあってはならない。戦争を今している国に対して、日本はやめろと言える立場でいてほしい」と、父の平和の願いを届け続ける。”(8月13日付け中日新聞)
記事からです。
第二次世界大戦の戦前戦中戦後、大変な時代だった。もう二度とあってはならない出来事である。しかし、世界を見れば未だ至る所で戦争は行われている。この恐れのある行動には十分見据えておかねばならない。人間の愚かさは意外な理屈を生むのである。あの愚かな体験をしながらも日本とて例外ではない。 赤紙・・・戦後生まれのボクには分からない事ではあるが、知識としては知っている。昨年8月10日にTBS系で「最後の赤紙配達人」というドキュメンタリーとドラマ構成のテレビ番組があった。この記事の西邑仁平さんを主人公にした番組である。私の知人に、この記事に出てくる紘さんの友人がいる。その人から「是非見てください」という連絡があってこの番組を見た。そんなことがあってこの記事を紹介した。 赤紙1枚で人生が変わってしまう。配達する人も仕事といいながらも大変な重荷を背負って配達された。改めて戦争のむごさを覚えた。
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