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第74号  2010年6月

2010/06/27(Sun) (第1302話) はやぶさ帰還 寺さん MAIL 

 “日本が近年かかわった宇宙開発の中で「はやぶさ」ほど注目を集めたものはないだろう。「はやぶさ君」と擬人化し無事帰還を願うファンクラブまでできたほどだ。それほどドラマに満ちた七年間の宇宙の旅だった。
 2003年5月に打ち上げられ、05年9月、目標の小惑星「イトカワ」に到着。二回着陸し、砂などのサンプル採取を試みた。
 その後「はやぶさ」は、燃料漏れに伴う姿勢制御不能、地上との通信途絶などトラブルが発生し、地球帰還が三年遅れた。通信回復後も、バッテリーやエンジンの故障などに見舞われ、万事休すと思われたが、そのたびに開発に携わった研究者たちが予備機能を駆使したり、設計時には想定外だった‘裏技’‘奇策’ともいうべき指示を臨機応変に次々と与え、地球への帰還を成功させた。(後略)”(6月15日付け中日新聞)

 社説欄からです。人間こんなことができるのだ、こんなことができるようになったのだ、改めて人間の知恵の素晴らしさを実感した。ボクにはこういった知識がないだけに、思いも及ばない。
 こんなことができる人間が、なぜ日々の些細なことで右往左往しているのだろう。いがみ合っているのだろう。とても同じ人間とは思えない。心を広く持ちたいものだ。前話に続き大空の話になった。大空に目を向けなければいけないのだ。
 事業仕分けで「一番でなければいけないのですか?二番ではいけないのですか?」と言う発言には正直驚いた。世の中のこと一番になるつもりでやってもなれないのがほとんどすべてだ。研究などと言うものは何百何千の失敗、無駄があってやっと一つなせるものである。無駄の見極めを間違えるととんでもないことになる。無駄のない生活、社会の中で人間は生きていけるだろうか。人間の楽しみなど、見方によってはすべて無駄の中にある。




2010/06/25(Fri) (第1301話) 宇宙のショー 寺さん MAIL 

 “「ピン、ホーン」と来客。野菜売りの女性だった。たいていは昼だが、その日は夜の七時半ごろだった。外へ出た途端、初めて見る光景に感嘆の声を上げた。西の空に三日月。その真上に大きな星。それも垂直に「J」の文字のように並んで銀色に輝いていた。その美しいこと。
 ちょうど散歩から帰ってきた夫も携帯電話で写真を撮った。家の息子にも、外出中の娘にも知らせた。「金星と月のランデブー」との本紙の翌朝記事。もう一度見ようと、その夜も同じ時刻に外へ出た。多少のずれは予想していたが、残念!星は月のはるか下方に離れていた。折しも金星探査機の打ち上げが成功。これからも宇宙の神秘を楽しみにしたい。”(6月14日付け中日新聞)

 愛知県大口町の主婦・市原さん(56)の投稿文です。空を見る、特に夜空を見る、気分は大きく変わるものである。気持ちが広々とする。現代人は忘れがちである。ボクも忘れている。
 市原さんもちょっとしたことから大きな発見をされた。この感動を家族で共有された。日々のちょっとした行動である。意識しておきたい行動である。




2010/06/23(Wed) (第1300話) 耳を澄ます 寺さん MAIL 

 “久しぶりに早く目覚めたある朝。ウォーキングのために家を出て、音楽プレーヤーを忘れたことに気づく。イヤホンで音楽を聴きながら歩くための物だ。「今日はこのまま歩こう。鳥のさえずりや溝を流れる水の音までよく聞こえるし。草が伸びた土手に下りる。聞こえるのは川の音と、リズミカルな自分の靴音のみ。すると、この静けさを壊すように「ガツガツ」と何かがぶつかり合うような音がしてきた。
 そのまま歩くとコンークリート広く舗装してあるところにでた。眺めもよく、歩くにも座って休憩するにももってこいだ。するとまたあの音。コンクリートの硬いすき間にしっかり根を張る雑草を小さなスコップで一生懸命取っている男性。ここがこんなにきれいなのは、この人のおかげだったんだ。イヤホンをしていたら、何も思わずに通り過ぎてしまったかもしれない。男性に感謝の気持ちを込めてあいさつし、歩き続けた。”(6月13日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の主婦・前川さん(39)の投稿文です。最近はどこにいてもイヤホーンを耳にした人が目に付く。特に電車の中は多い。ウォーキングにもつけていく。前川さんはそれを忘れた時、自然のいろいろな音に気づかれた。草を取るスコップの音にも気づかれ、感謝の気持ちも起きた。いい発見だったと思う。
 ボクはどこでもイヤホーンをつけていく行動に疑問を持ってきた。疑問というより批判的でもある。多くは音楽であろう。音楽に身をゆだねるのをどうしてそこまでするのか。音楽を聴いていれば、自然の音は聞こえない、回りの状況もよく分からない。場所場所にその音、雰囲気がある。それを素直に感じればいいのではないか、それを楽しめばいいのではないか。特にウォーキングなど自然の音が盛り沢山だ。そして、人混みや野外などでイヤホーンをつけているのは危険でもある。
 携帯電話もしかりである。電車の中でなぜあれほどしなければならないのか。それほどに忙しいのか・・・それまでしなければ時間が作れないのか・・・・それほどに1日が充実しているのか・・・問うてみたい。




2010/06/21(Mon) (第1299話) 東海豪雨時 寺さん MAIL 

 “東海豪雨の日の夜、名古屋・栄を二十分遅れの終バスに乗った。ふだんは三十分ほどで着くが、途中から渋滞がひどくなったので、一時間ほど乗ったところでバスを降り、歩いて帰ることにした。
 庄内川に架かる新川中橋を渡る時、手を伸ばせば届きそうなほどの水かさだった。少し下流のせきを見に行くと、川の水がまるでダムの放流のように、ものすごい勢いで流れていて恐ろしかった。午前二時に帰宅。三時間を要した。食事を済ませた時、近くの人に避難勧告が出ていると教えられた。水はすでに玄関まで押し寄せてきていた。寝ている家族を起こして、近くのビルに避難した。最悪の場合は屋上に逃げるつもりだった。
 水は少しずつ増えていたが、庄内川の堤防の決壊ではないと判断して、もう一度自宅に戻り、家族で一階の畳を三階まで運んだ。時間切れで一枚だけ水につかってしまった。そこで増水は止まった。
 その後、床下を乾燥させるため三ヵ月間、畳なしの生活をした。今でも大雨が続くと、また浸水するのではないかと心配になる。”(6月9日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・中村さん(男・64)の投稿文です。今年は東海豪雨10周年に当たる。今、愛知県内では盛んに10周年記念事業が展開されている。一宮友歩会の7月例会もこの記念事業の組み込まれることになった。
 ボクもあの時は大変な思いをして帰宅した。途中から電車が不通になり、隣の駅まで行けば妻に迎えに来てもらえると思って、雨の中ずぶ濡れになって歩いた。しかし、妻は怖くて出られないという。家まで歩く覚悟で歩き出したらうまくタクシーが見つかった。しかし、予定した道が水に浸かってなかなか走れない。行きつ戻りつし、6時間近くかかってやっと帰宅できた。その後も大変だった。
 あれから10年、県内ではいろいろな改修事業が進んだ。しかし、地域環境は埋め立てなどでまた悪くなっていく。最近はどしゃ降りの頻度も多くなった。また、このような災害が起こらないとも限らない。啓発と警戒を怠ってはならない。




2010/06/19(Sat) (第1298話) 家康ブーム逃さない 寺さん MAIL 

 “徳川家の発祥地として知られる愛知県三河地方の岡崎、豊田、安城の三市が連携し、徳川家族ブームに沸く中国からの観光客誘致に乗り出すことが分かった。
 中国では、山岡荘八の長編小説「徳川家康」の翻訳版が三年前に出版されて以来、全十三巻の大作ながら発行二百二十万部のベストセラーに。上級官僚や企業経営者に愛読されるなど、家康ファンが増えているという。先月十二日には、国営放送・中国中央電視台が岡崎市を訪れ、家康に関する番組の撮影を行った。
 愛知産業大(岡崎市)の下平芳久講師=東アジア文化比較=よると、従来の中国の歴史教育ではあまり扱われなかった日本の戦国武将が近年、ゲームの流行などで知られるようになった。下平講師は「その中では自我を抑えて組織を統率し、最後に勝利する家康の生き方が現代中国のビジネスリーダーに共感を得ているようだ」と分析する。(後略)”(6月3日付け中日新聞)

 記事からです。この記事で中国で家康ブームがあることを知った。そしてそれに乗じて、家康に関連にある日本の3都市が連携して、中国から観光客を呼び寄せようと言う。いいでしょう、知恵の見せ所である。
 これからの地域活性化は観光が大きな要素である。愛知県は戦国時代の3英傑を生み出した所。これを利用しない手はないと、官民あげて戦国武将観光に知恵を絞っている。岡崎市は、家康が誕生した岡崎城や菩提寺の大樹寺があり、豊田市は徳川家の先祖の松平郷があり、安城市は家康と戦った三河一向一揆の拠点があった。また全国にこの地から出た武将が散らばっているだろう。歴史ブームの観光にはまたとない魅力を持った地である。そして連携すれば、その魅力はますます大きくなるだろう。愛知県民のボクには嬉しいことである。
 一宮友歩会はまだ尾張の地を歩いている段階であるが、この3英傑に係わる史跡は多い。順次三河にも入っていくだろうが、その時には家康に関連する史跡が多くなろう。楽しみはつきない。




2010/06/17(Thu) (第1297話) 腕時計 寺さん MAIL 

 “中学生になった娘がバス通学を始めて二ヵ月がたった。腕時計が必要になったのだが、まだそろえていない。《早く買わなきゃ》と思っていた時、しまい込んである腕時計をふと思い出した。
 大学時代から社会人を経て結婚するまでお世話になった私の古い時計。久しぶりに手にとると、その質感や重みから、懐かしさで胸がキュツとなる感覚を味わった。この時計は、私の若く、輝いた蒼い時代を誰よりも知っている。文字盤には小さな傷が思い出分だけ無数につき、デザインも今風ではない。でも、シンプルだし、悪くはないかなと、試しに娘に見せた。
 「いいね。大事にするね」と、返事がすぐに返ってきた。「こんな古いのでいいの?お母さんにとっては大切な物だけど・・・」と聞くと「見れば分かるよ、そんなの。だから、これがいい」と、うれしそうだ。かけがえのない時計を、かけがえのない娘が今度は使ってくれる。世代を超え、今度は娘の青春のお供をするのだ。「カチ、コチ」と再び小さな音を鴫らし始めた古時計が、何だかとても輝いて見えた。”(6月2日付け中日新聞)

 静岡県浜松市の主婦・中村さん(39)の投稿文です。お母さんの大切なものを娘さんが使う、これを娘さんが誇りに思う、お母さんとしては嬉しいでしょうね。昔の時計は高価でした。昔の時計ですからねじ巻きでしょう。単純なものは長持ちもする。しかし、今の人には機能が少なく、デザインにも欠け不満でしょう。でもそれを越えるだけの魅力が娘さんにはあった。これはもう娘さんの性質でしょう。そういう娘さんを育てられた、ご両親の姿でしょう。小さな一つのことにもいろいろな関連があり、一朝一夕にできることではないと思う。




2010/06/15(Tue) (第1296話) 言えなかった 寺さん MAIL 

 “今ごろの季節になると、梅雨のない北海道で過ごした子供時代を思い出す。その日は朝から曇天。鉛色の雲が重そうに空を覆っていた。が、傘を持たずに登校した。絵の具、辞書など荷物が多かったから。学校では空ばかり見ていた。だんだん暗くなり、五時間目についに降りだした。
 強くなる雨脚。下校時刻が近づくと一人、二人と親が教室の後ろから傘を届けに来た。後ろばかり見ていたが母は来なかった。仕方なく重い足取りで玄関へ行って驚いた。、げた箱に傘がある。それは初めて買ってもらった折り畳み傘、赤地に黒のチェック。お気に入りの品たった。うれしいけど少し不用心な気がした。
 家に帰ると、「なくなったらどうするの」と思わず母に文句を言った。「傘ありがとう」と言えば良かったと侮やんでいる。その傘も今はもうない。”(6月2日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・盛合さん(54)の投稿文です。文句を言った、素直に感謝をしなかった・・・一つの言葉がいつまでも尾を引く、誰にも一つが二つはあるはずだ。意外に些細な言葉だ。それがあって、以後気をつけることにもなる。これも人生の勉強であろう。
 しかし、問題は言った方より言われた方が良く覚えていることだ。言った方は意外に気にしていなくて、言われた方はいつまでも根に持つ。そして、二人の関係が気まずくなっていく。言葉一つは意外に重要である。言ってしまったものは仕方がない、まずいと気がついた時にはすみやかに修正すること、謝ることである。しかし、これはまた難しいことである。盛合さんの体験を他山の石としよう。




2010/06/13(Sun) (第1295話) 座って読書 寺さん MAIL 

 “先日午後四時すぎに地下鉄に乗ったときのこと、車内は学校帰りの学生で少し込んでいた。空席がなかったので、私は立ったままバッグから本を取り出して読み始めた。
 すると、私のすぐ前に座っていた小学生の男の子たちが立ちがり、席を譲ろうとした。彼らは「本を読んでいるから、どうぞ」と譲る理由を話した。この理由に感激した私はありがたく座らせてもらった。
 今まで私は「お年寄りや体の不自由な方に席をお譲りください」という車内アナウンスにとらわれすぎていた。周りにそういう人がいたら席を譲らなくてはならないと、半ば強迫観念のように思っていた。しかし、高齢や体の不自由さといったこと以外でも席を譲り合ってもいいのではないか、と感じた。座って読書させてあげたいと思った彼らのような、ちょっとした優しさ、思いやりが人の心を和ませる。”(6月1日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・鏡味さん(49)の投稿文です。この小学生は誰かに教えられたのだろうか、全くの思いつき自発的な行為だろうか。こんなことができるのは教えられたにしろ、自発的にしろ、気持ちに素直な小学生なればこそである。大人になるほどできない気がする。
 電車の中で立って本を読んでいる時、立っていると不安定で座りたくなるものだ。今、山岡荘八の「徳川家康」を読みふけっているが、電車を待っている間に読んでいると中断できなくて、電車の中で立って読むことも度々である。何もそれほどにして読まなくても思うが、それがこの小説の素晴らしさだ。でも、この文を読むと止めようと思う。人に余分な気遣いをさせるのは良くない。それほどにすることでもあるまい。
 最近電車の中で席を譲られることが度々ある。ほとんどは孫と一緒の時なので孫に譲られたのであろうが、ふと自分に譲ってくれたのだろうかと考える時がある。自分ではまだ譲られる歳ではないと思っているが、人から見ればもうそんな風体とも思う。




2010/06/11(Fri) (第1294話) 雨の駅 寺さん MAIL 

 “私が以前、祖母のお見舞いへ行った時の話です。学生なので車がなく、電車を乗り継いで行ったものの、田舎でしたので、バスも数時間待たねばいけない始末。門限もあり、途方に暮れていました。
 すると、バスの時間を教えてくださった駅の方が困っている私を見かねて、居合わせた友人の主婦の方に事情を説明。何と、見ず知らずの私を病院まで送ってくださったのです。
 お見舞いも済み、帰りはバスで駅まで。病院から出ると、外は土砂降り。「行きは晴れていたのに!」と、当然傘を持っていない私は、バス停から駅まで猛ダッシュ。走ったかいもなく、ぬれねずみになった私に、今度は「電車の時間まで、ここで待っとりん」と、タオルを貸してくださいました。
 行きも帰りもお世話になり、人の優しさをあらためて感じた日でした。今でも雨が降るたびに、感謝の気持ちを思い出し、心が温かくなります。”(5月27日付け中日新聞)

 愛知県一色町の高校生・稲垣さん(女・17)の投稿文です。親切な人に出会えて良かったですね。若い時のこうした出会い、体験は宝になります。
 稲垣さんはそれをこうした文章にして投稿され、採択されたのですからもう一生忘れられないでしょう。そして、それをいつも思い出し、こうした場面に出会った時、親切な対応になる。優しい人になる。文章にすると意識ははっきりし、記憶も確かになる。文章の効果です。良いことは大いに文章にしたいものだ。




2010/06/09(Wed) (第1293話) イクメンパパ 寺さん MAIL 

 “最近では子育てを頑張る男性も多い。育児を積極的に手伝う男性を「イクメン」と呼ぶそうだ。とは言っても、どう赤ちゃんに接したらいいのか戸惑うパパもいる。また共働きが増え、おばあちゃんだけでなく、おじいちゃんにも面倒をみて欲しいという人も少なくない。「孫というのは、こんなにも可愛いものなのか」と授かった時には思うものだ。我が子の時にはあまり積極的ではなかったおじいちゃんも、その時の罪滅ぼしとばかりに育児に積極的に参加してくれる。
 最近そんなお父さんやおじいちゃんに対して、色んな称号が与えられているという。赤ちゃんの扱い方がうまいパパは、「パティシエ」ならぬ「パパシエ」。おむつを手早く取りかえられるようになると、「ソムリエ」ならぬ「オムリエ」といった具合だ。おじいちゃんも孫をうまく取り扱えたら、祖父をもじって「ソフリエ」に。
 こんな風に、片ひじを張らなくても育児に周りの人たちが協力してくれる。これが本当の男女共同参画の社会と言えるのかもしれない。頑張れ「イクメンパパ」。ソフリエがついてるぞ!”(5月25日付け朝日新聞)

 宮崎市の産婦人科医・谷口さん(男・60)の投稿文です。人間、何のために生きているのだろう・・・・生まれたからには生を全うしたい・・・死にたくないから・・・人生を楽しみたいから・・・いろいろ言ってみるが、何かしっくりしない。勉強すれば先人の哲人がいろいろ教えてくれるだろうが、それでも簡単に納得できる問題ではない。
 そうではあるが、ボクは一つの答えを簡単に言ってみる。人類の永続の中に今の自分がある。ここまで続いてきたものを自分で終わらせてならない。終わらせていいと思ったらそれは無責任、傲慢だ。それには次の世代を育てていかねばならない。自分は自分が生き、次の世代を育てるためにある。だから子育ては人生の大きな活動である。価値のある行動だ。男も女も国民そろって大いに携わろう。社会の見方もそのようになってきた。いろいろ楽しくなる知恵を使おう。そうなると谷口さんの文章が生きてくる。大問題を大上段に振り上げたが、時にはこんなことを考えるのもいいだろう。




2010/06/07(Mon) (第1292話) 恵み多い私の町 寺さん MAIL 

 “私の今暮らしている町は、真夏の暑さを我慢すればとても住みよいところと自負しています。天気が良ければ年中散歩が出来ます。濃尾平野の恩恵か、見渡す限り平地が広がり、坂道などほとんどなく天然のバリアフリーです。
 遠くに養老山脈がうっすらと見える程度で近くに山や海がないため夫は物足りないようですが、そのため土砂崩れや津波などの心配がないのは何よりです。地形のせいか、台風の影響もあまりありません。道々には冬でもハッサクがなっていたり常緑樹が目を楽しませてくれたりします。
 自宅のマンションの裏手には田んぼや畑が広がり、ホウレノソウやニンジン、キャベツなどが、土地の豊かさを誇っています。最寄りの駅からは10分で名古屋駅に着くというベッドタウンでもあり、田舎と都会の混在が、適当な暮らしやすさを生んでいます。
 30年近く前に北海道から来てその気候の違いに驚き、故郷を思う気持ちがなくなることはありませんが、この土地の恵みには年々感謝の気持ちが大きくなります。老後はウォーキングに毎日励み、健康に暮らしたいと思っています。”(5月25日付け朝日新聞)

 愛知県稲沢市の主婦・山中さん(59)の投稿文です。このように自分の住んでいるところを誇れるのは幸せだ。何よりありがたいことではなかろうか。
 住めば都という言葉もある。住んでいる内になじみ、快くなる。多くの人が感じることではなかろうか。そして、故郷を離れると故郷にあこがれる。故郷へUターンする。これも多くの人にあることではなかろうか。人間良い感覚を持っているものだ。
 実はボクの住む一宮市は山中さんの住まわれる稲沢市の隣町である。状況は全く同じである。山中さんと全く同じ気持ちだ。




2010/06/05(Sat) (第1291話) 誰でも一つは 寺さん MAIL 

 “退屈になった午後の授業中、一番後ろの席から、ぼんやりとクラスのみんなを眺めていた。
  (あの子はやさしい)(あの子は足が速い)(あの子はかわいい)(あの子は勉強ができる)
 驚くことに、全員それぞれ得意な事や良いところがあった。最後に自分には何かないのかと考えたが、どんなに考えても結局何も見つからなかった。
 とぼとぼと家に帰り、台所に立っている母にその話をした。母は料理の手を休め、にっこり笑って、言った。
  「あなたは人の良いところを見つけるのが、とても得意ね」その日の夕ご飯は、いつもの百倍おいしい気がした。”(5月23日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県尾張旭市の主婦・天野さん(32)の作品です。現実にもよくある話でる。人の良いところばかり目に付く人もあれば、悪いところばかり目に付く人もある。人の良いところばかり目につて、自信喪失になるのもよくないが、悪いところばかり目について、不機嫌になったり悪口ばかり言っているのは更に悪い。良いところが目に付いたらそうなるように努力し、悪いところが目に付いたらそうならないように努力する。こうなればしめたものだが、人間なかなかそうはいかない。
 やはりお母さんは賢い、優しい。キチンと良いところを見いだし、勇気を与えてくれる。主婦の作品であるが、実際にあったことを子供の立場で書かれたのではなかろうか。




2010/06/03(Thu) (第1290話) お茶沸かし当番 寺さん MAIL 

 “新茶が出回る季節になると、小学校時代のお茶沸かし当番のことを思い出します。
 学校給食がなかった当時は弁当を持参しました。弁当に付き物のお茶は、この時季に児童がそれぞれの家庭から新茶の葉を持ち寄りました。
 お茶を沸かすのは当番制で、六年生が二人一組になって担当しました。当日は早く登校して始業前にポンプ井戸の水をくみ上げ、手おけでかまどに掛けた大きな羽釜まで運んでおき、昼一時間前に火を入れました。火をたくのも、当然、当番の仕事です。
 弁当の時間に当番の女子が鐘を鳴らします。これを合図に各学年へ、やかんに小分けして配ります。したがって、この日は昼前一時間と後片付けの一時間は授業なし。これが楽しみで、当番の日が待ち遠しかったものです。(後略)(5月22日付け中日新聞)

 岐阜県関市の野村さん(74)の投稿文です。新茶が出るとそのお茶を持ち寄って給食時に出す、74歳の方が今も懐かしがってこんな話をする。今も楽しく語れることがあるのはいい。
 ボクにも野村さんと似たような話はある。前回の「話・話」でも語ったが、ボクも給食にありついたことはない。しかし、給食のおばさんがみそ汁を作ってくれた。その具は当番順に児童が持参するのである。農村である。野菜はある。それを持っていくのである。しかし、農家でも冬場になると野菜は少なくなる。親は持参用のネギや大根などを土中に埋めて保存していた、そんな記憶がある。
 弁当で思い出すのは、寒い冬は弁当を保温器で温めるのである。その保温器たるや、何段もの棚に並べた弁当を下から炭火で温めるのである。下の方は火が強くてご飯が焦げるし、上の方は少し温かい位である。公平を保つように棚の順が毎日変わるのである。温めたたくあんも懐かしい。
今の学校に、こういった地域性を持った活動はあるのだろうか。給食時の当番はどうなっているのだろうか。




2010/06/01(Tue) (第1289話) 弁当 寺さん MAIL 

 “二日続いた雨も上がり、張り切って中学生の息子のお弁当に天ぷらを揚げた。家族みんなを送り出してふと机の上を見ると、入れ忘れた天つゆが・・・。《まぁ、いいか!》と思いながらも、足は既に自転車に。懸命にこぎながらく《お弁当を忘れたわけではないし、天つゆだけだよ。何で届ける?》と自問。息子に追いつく。「何か用?」。あらら。でも苦笑い。《せっかくのお弁当をおいしく食べてほしい》の一心だった。
 自宅への戻り道、ふと思い出した。私が高校一年だったある朝、母が作ってくれた天ぷら弁当を忘れ、母が車で追いかけて来てくれた。私が乗っているバスの後方を走るものの、タイミングがなかなか合わない。幾つかめの停留所でようやく、満員のバスの乗車口にいた人に「娘に渡してください」。そして、ふきんに包んだだけのほかはかの大きな二段弁当が人から人ヘリレー。あり得ない光景に、私は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。
 でも、その時の母の勇気がと子を思う気持ちが今の私の原動力になっているのかもしれない。母の日に何もしてあげられなかったけど、いつもいつもありがとうね。”(5月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・寺沢さん(41)の投稿文です。弁当を作る母親の思いというのは凄いものだ。折角工夫して作った弁当である、無駄にしたくない、されたくない、そんな思いがこういう行動を取らせるのであろうか。美味しく食べて欲しいという愛情であろうか。
 男のボクが考えても、弁当作りというのは大変なことだ。毎日のことであり、制約もある箱の中に詰めねばならない。この苦労に理解が思い至った時、母親の愛情を知り、愚息でも優しくなるであろう。今の子供は小学中学時代は給食であろうが、ボクなど小学時代から一度も給食にありついたことがなく、高校まで弁当持参だった。弁当の中味はほとんどが佃煮というものだったが、それでも当時としては大変だったと思う。
 寺沢さんのお母さんの話にいたっては、微笑まずにおられない。バスの中でこの光景を見ていた多くの人は、その日の夕食時にほほえましい話として話題にしたであろう。いい話だ。




川柳&ウォーク