2010/05/16(Sun) (第1281話) 25年後の謝罪 |
寺さん |
|
“二十五年ほど前に愛知県刈谷市内の書店で万引したのを謝罪したいと、匿名の手紙が中日新聞岡崎支局に届いた。おわび代を含め現金三万円と謝罪の手紙が同封されており、これを経営者に渡してほしいという内容だ。店は既に閉店し、店主も亡くなっているが、家族は「昔のことだからもういいのに・・・。今の時代にそんな人もいるんですね」と驚いている。( 「私は書店において25年間ほど前に本を万引きをいたしました」で始まる手紙には、 「心の中にわだかまりがあり、いつかおわびしたいと思っていました」と心情がつづられている。「本来ならば対面して謝罪すべきではありますが、顔をお見せする勇気が無く、お許し願います」と名前も住所も一切明かしていない。 連絡できないため、万引の事実関係は確認できない。万引したという書店は刈谷市野田町の県道沿いにあった故加藤則幸さん経営の「いろは書房」で、七、八年前に閉店。加藤さんは昨年、七十九歳で亡くなり、家族は同市今川町に住んでいる。(中略) 次男の寿行さん(五四)とも受け取りを丁重に断り、中日新聞社会事業団を通じて恵まれない人のために役立ててほしいと申し出た。寿行さんは「せっかく謝罪する気持ちになってくれたのだから、私たちもお返しする気持ちになりたい」と静かな口調で話した。”(4月26日付け中日新聞)
記事からです。罪の大きさである。よほどの悪人でない限り、また善良であればあるほど小さな罪にも苦しむものである。25年も前の万引きにいつも心が痛んでいたのであろう。そこで、思い立ってお金を預託した。最近万引きの話は多い。遊び感覚であるようだ。この風潮を作り出したのは何なのか。こういう話から、罪の及ぼす苦しみを理解して欲しい。一生の重荷になるのだ。 似たような話として、2007年6月12日掲載の「(第779話)54年前のいたずら」を読んで頂きたい。 ボクがこの話を取り上げたのは、加藤則幸さんというなつかしい名があったことにもある。川柳東浦の会の印刷物はいろは書房に頼っていた。そして加藤則幸さんから頂いた加藤さん著作の本があるはずだと思い出し、捜してみた。あった、「刈谷の石仏を訪ねて」という本であった。もう20年も前の発行であり、当時のボクは余り石仏に興味もなかった。今は、ウォーキングのコースを作るために歩いていると何と多くの石仏に出合うことか、この石仏にもう少し知識があったらもっと楽しかろうと思うことが度々である。もう一度読んでみよう。
|
|