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第72号  2010年4月

2010/04/30(Fri) (第1274話) 妻たちの声 寺さん MAIL 

 “岐阜県高山市の主婦高松幸子さん(59)は、投稿雑誌「つまたち」の発行を一人で続けている。妻の日常の出来事や喜び、悩みがつづられた雑誌は117号を重ね、今年で創刊30年目。会員の減少で足元は心もとないが 「全国の人との輪ができるし、仲間の頑張る姿に自分も励まされてきた」と発行に情熱を煩けている。(中略)
 会員は300人を超えた時期もあった。だが、懸賞付きの投稿雑誌などに押されて減少。会費制だが、赤字になれば自らパートに出てやりくりしてきた。5年前、廃刊の是非を会員に聞いた。すると「ライフワークの一つで支えになっている。続けてほしい」と存続を望む声が次々届いた。高松さんは「私の生きがいだし、やれるだけやってみよう」と思いとどまった。「つまたち」には当初から変わらない魅力がある。それは、投稿文に明記された名前と住所。「匿名にはない親しみがあるし、会員同士で手紙を送り合ったりしている。介護など同じ悩みを抱える入がいれば、個々でつながることもできる」”(4月13日付け中日新聞)

 「虹」の欄から中日新聞高山支局の記事からです。妻の日常の出来事や喜び、悩みがつづられた雑誌を年4回、30年間、一主婦一人で発行し続ける、素晴らしいことである。綴る場を与えることによっていろいろな効果が現れる。場の提供というのは大切なことである。やればできるものである。いろいろな人がいろいろな取り組みを行う、これで社会は成り立っている。高松さんの行動は小さなことと言えないが、例え小さなことでも続ければ大きな成果になる。これはボクがいつも言っていることであるが、その証明のような話でもある。
 川柳連れ連れ草も100号を達成した。これなど全く小さなことであるが、それでも月1回で100号である。少ない貴重な投稿者であるが、その投稿者にも、また知らない読者の方にも何らかの価値を持ってもらっていると思う。ボクも頑張ろう。次の目標はまず10周年、120号だ。皆さんよろしく。




2010/04/28(Wed) (第1273話) 「郵便で〜す!」 寺さん MAIL 

 “豊橋市の長岡真由美さんからこんな便りが届いた。長岡さんの家に郵便を配達してくれる人は、家の中まで聞こえるようにと大きな声で「郵便で〜す!」と呼び掛けてくれるという。書留や宅配便でない限り直接手渡しすることはない。でも、郵便受けに入れたままだと、いつ家人が気付くかわからない。ひょっとすると、誰かからの手紙を待ちわびているところかもしれない。そんな気遣いが伝わってくる。
 長岡さんは尾道を旅した時のことを思い出した。坂道で有名な町だ。家々が両側に迫る細い路地を登って行くと、ふと一軒の家の郵便受けに目が留まった。そこには、真ん中に大きな文字でこう書かれてあった。「配達ありがとうございます」。それも手書きで。きっと郵便配達の人はうれしいに違いない。そう思うと、歩き疲れた足が軽くなったような気がしたという。
 さて、長岡さんの家には毎日ほぼ同じ時間帯に郵便が届く。声からするとずっと同じ人が配達してくれているらしい。そのころになると「そろそろかな」「今日はないのかな」と心待ちな気分になるという。長岡さんから郵便配達の方へ。「毎日お疲れさまです。言葉一つで温かな気持ちになれます。いつもありがとうございます」”(4月11日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。「郵便で〜す!」これは郵便屋さんの挨拶だ。元気な挨拶は気持ちいい。そして、郵便が来たことを知らせてくれる。郵便箱の位置から声が届くような家庭にはやって欲しいと思う。そうしている内にいろいろなコミュニケーションが取れるようになるだろう。人間関係の復活だ。
 そして配ってもらう家庭の側には「配達ありがとうございます」の感謝の気持ちである。それを文字にして現したのも一つの知恵である。ボクも早速に郵便箱にこの文字を書いた。




2010/04/26(Mon) (第1272話) 児童の心遣い 寺さん MAIL 

 “3ヶ月前、夫を亡くした知人の話です。二人で長年、仲良く生活していたので、憔悴していました。そんな時、近所に住む小学生の女の子二人が家を訪ね「おばさん、元気出して」と、手紙と絵を持ってきたのです。女の子はその場で手紙を読み上げ「寂しくなったらこの絵を見てね。私たちが十八歳になる十年後までは元気でね」と言い、帰ったそうです。
 知人はうれしくて学校へお礼に行き、校門のところで会った先生に話すと「そんな良い話はない。校長室へどうぞ」と招かれ、校長に直接、内容を説明することに。後日、校長は全児童にこの話を紹介したそうです
 身内でも疎遠になる現代なのに、近所同士で助け合うすばらしさを知り、子どもたちの優しい心に感動しました。”(4月8日付け中日新聞)

 岐阜市の派遺業・大崎さん(女・63)の投稿文です。温かい話である。少女2人の優しさであろうが、近所に住むだけでこういう話になるだろうか。多分、大崎さんの常日頃から子ども達や近所の方に向ける目が優しかったのだと思う。そして、少女2人の両親のしつけである。いろいろな係わりがあってこういう関係になるのであろう。
 最近は煩わしさを避けて人との係わりを避ける傾向が強いと思うが、これは人間社会の崩壊だ。係わり合って社会だ。人間一人では生きられるはずがない。一人で生きているつもりでも、気がつかないだけで多くの人に助けられて生きているのである。大いに係わり合って過ごそう。ボクは田舎もので町に出た時劣等感に陥り、それ以来引っ込み思案になった。今はそう見られないほどになった。よく成長したと思う。
 前回に続いて学校に連絡する話であった。いいことは大きな声で叫びたい。




2010/04/24(Sat) (第1271話) 盛大にほめる 寺さん MAIL 

 “久美子さんと私は月に一度会う。お昼を食べ、夕方まで喫茶店で過ごしたり散歩するのだ。その日は食事のあと多摩川周辺を二時間も歩いた。心地よく疲労し、駅へ向かう途中で、小学生とすれ違う。彼は「こんにちは」とあいさつして、ニコッとおじぎした。「こんにちは!お帰りなさい」と言って私たちは、何ていい子なのと感激した。近くに小学校がある。高学年らしいその子は、きりりと利発そうだ。学校や家庭の教育、しつけなどを思い、二人とも幸福な気持ちにみたされた。
 最近子どもたちの顔が無表情、というか無愛想になった、と話していたばかりである。でも、子どもを育てるのは大人だ。無表情で無愛想になったのは、大人の方かもしれないではないか。そういえば不機嫌そうな怖い顔をしたじいさんばあさん、というのも増えた気がする。
 少年に会って、私たちは考えが変わった。悪いとこだけ厳しく注意するのでなく、いいところを盛大にほめましょ、と決めたのだ。それで私は小学校にはがきを書いた。まもなく女性の校長先生から、美しい毛筆の返事が届いた。あいさつの大切さに力を入れ取り組んでいるとのことで「児童がほめられ、うれしくありがたい」とある。久美子さんと私はまたまた感激してしまい、この街に住んでよかったわね、と喜んだ。”(4月7日付け中日新聞)

 西田小夜子さんの「妻と夫のための定年塾」からです。挨拶とほめる話です。
 あいさつをされて嬉しかったという投稿はよくあります。それだけされることが少なく、またされることが嬉しいものなのだ。子供が無表情なのは大人が無表情だからなのだ。子供は大人を映す鏡である。挨拶をすることなど簡単なことだ、ボクももっと気楽に、勇気を持とう。そしていい印象を持ってもらおう。
 ほめる大切さもよく言われることだ。ほめて育てよう。この文の私がすごかったのは、その嬉しさを手紙で学校に知らせたことだ。当人の児童も、また知らされた児童も印象に残ったろう。最も嬉しかったのは先生ではなかろうか。昨今は先生を見る父兄の目は厳しい。一部ではあろうが、気に入らないことは何でも学校のせいにする。それだけにこうした手紙は先生を勇気づけるだろう。生徒も先生も盛大にほめよう。




2010/04/22(Thu) (第1270話) 86歳でヘルパー資格 寺さん MAIL 

 “妻が自宅で過ごせるようにー。栃木県日光市の篠田文夫さん(86)が、ホームヘルパー2級の資格を取った。脳梗塞で倒れ特別養護老人ホームで暮らす妻宮子さん(81)を介護するためにと一念発起。全国ホームヘルパー協議会(東京)は「八十代での取得は珍しい」と驚いている。
 宮子さんが自宅で倒れたのは5年前。そのまま入院し車いす生活になった。東照宮など日光の社寺をガイドする仕事を続けている篠田さん。「家で一緒に暮らしたい」と看護助手の資格を取ったが、宮子さんの担当医師は「老老介護は無理だ」と難色を示した。結局、宮子さんはー度も自宅に戻らず昨年七月、市内の特養に移った。
 「一時帰宅だけでも」と今度は介護の専門職であるホームヘルパーに挑戦。市の講座を受け、3ヶ月で講習と実技を終え合格した。分からないところは、孫ほどの年齢の受講生が親切に教えてくれたという。(後略)。”(4月6日付け中日新聞)

 記事からです。これは夫婦愛の話であろう。妻の面倒はできるだけ自分でしたい。そして、していれば介護の知識もある程度は自然学ぶだろう。ここまでは夫婦ならしなければならないこと。しかし、80歳になって資格を取るほどに進むとなると話は別だ。ここが篠田さんの素晴らしい夫婦愛である。この意欲をかき立てるほどの夫婦愛である。夫婦が助け合う姿は美しい。
 自分での介護が難しくなれば、人に頼むか施設に頼る、そのための保険もあり、何のやましいことではない。介護で倒れる人もあり、これは避けねばならない。




2010/04/20(Tue) (第1269話) ハッピーニュース2009 寺さん MAIL 

 “新聞で見つけ、幸せになった記事へのコメントを募る「HAPPY NEWS2009」(日本新聞協会主催)の大賞に、中日新聞を読んだ愛知県豊田市の長谷川知子さん(35)が選ばれ、表彰式が五日、東京・内幸町の日本プレスセンター・ホールであった。
 記事は今年二月十二日付の朝刊に掲載された「ヒッチハイクで春つかむ」。記事の中の母娘と、コメントの家族のやりとりが重なり合い、記事を読んだ時の感動が伝わると高く評価された。”
 そして、大賞になった長谷川さんの文である。
 “たまたま、その日は私の誕生日でした。何気なく開いた新聞の一片。そこに載っていたのがこの[ヒッチハイクで春つかむ」でした。記事を読み進むうちに、感動の波が幾度となく私の心に打ち寄せ、読み終わるころには、涙と鼻水で顔面ぐちゃぐちゃに。
 そんな私の姿を見て、「あれ? もしかしてお母さん、花粉症になっちやったの?」と中学一年生の娘。とんちんかんな娘の質問にもめげず、娘にも記事を読ませようと新聞を手渡すこと、三分後。「感動した〜!」と大きな声で叫びながら目を赤くした娘の姿がそこにはありました。
 ぬくもりのある手で、人から人へと届けられる新聞。そんな思いや、希望を新聞に抱く私にとって、この記事を読めたこと、またこの記事を通して家族とのぬくもりを感じられる時間を過ごせたことは、私への最高のバースデープレゼントになったのでした。”(4月6日付け中日新聞)

 記事からです。長い紹介文になりました。まずハッピーニュースという催し物が行われていることである。幸せな気分になった記事に感想文を書く、ボクの「話・話」と全く同じである。そしていい話を伝えると読んだ人は幸せな気分になる。場合によってはそのような行為をしようともなる。結果いい社会になる。これが「話・話」をしようと思った発想である。新聞は社会のアラを探すより、いい話を多く伝えてもらいたいと思う。するとボクのネタ探しの苦労も減ってくる。
 「ヒッチハイクで春つかむ」はボクも感動した。いい話と思った。この記事を長谷川さんのような思いで読んだ人もあった。いろいろな人にいろいろな形で感動を与えたであろう。そして、ボクは2010年2月24日に「話・話」第1246話で紹介した。読んで頂いた方もあろう。改めて思いだして頂いた方もあろう。いい話は大切にして広めたいものだ。




2010/04/14(Wed) (第1268話) 5年かけ回収 寺さん MAIL 

 “一宮市内の建築現場で5年にわたり、空き缶回収に取り組んできた作業員らが、集めた空き缶で車いす一台と交換し、市社会福祉協議会へ寄贈した。「どうせ空き缶だから」と捨ててしまう人たちにち粘り強く回収を呼びかけ、成果が実った。
 回収活動に取り組んだのはゼネコン大手S建設の下請け145社の現場責任者による一宮地区職長会。2005年4月から、自動販売機を頻繁に使う作業員らに協力を求めた。
 860kg分が集まり、アルミ缶のリサイクルを推進する社団法人「環公害防止連絡協議会」(奈良県大和郡山市)へ送り、車いす一台と交換した。職長会の石橋明紀良会長(52)は「やっと形になり感慨深い」と喜ぶ。
 3月末に車いすを受け取った市社協の野村治男事務局長は高齢者や身体障害者への貸し出し用として活用させていただきたい」と感謝した。”(4月2日付け中日新聞)

 記事からです。善意の車いすを贈る話も時折聞く話である。その資金集めにもいろいろある。でも、5年間かかってというのはかなりの努力がいる。それもこの記事から見ると、5年間860kg分の空き缶をずっと保存されていたと思える。そうだとすれば、保存にいろいろ難儀もあったと思うが、でも増えていくのが目に見え、励みになったとも思う。小さな行為ながら集まれば大きな成果を生む、その代表的な話だろう。
 ボクの会社で、ペットボトルのキャップを集めて貧しい国の子供にワクチンを贈る取り組みを、昨年から始めたことはもう度々書いたと思うが、この場合は10kg程度集まると引き取り所へ持ち込む。すると持ち込んだ先から証明書が送られてくる。会社の事務局担当は、その証明書を掲示板に貼りだし、経過を棒グラフで表して成果が目に見えるようにしている。意欲を図る工夫は大切なことである。




2010/04/12(Mon) (第1267話) 尿害防止 寺さん MAIL 

 “本紙十二日夕刊で、「ペット尿害文化財守れ」の記事を説みました。
 岐阜県美濃市の「うだつの上がる町並み」で犬のおしっこによる文化財被害を防ごうと、水を入れたペットボトルを街角に設置。飼い主にペットのおしっこを洗い流してもらおうと取り組んでいるとのことです。
 以前静岡市に住んでいたとき、犬の散歩でペットボトルを持ち歩き、犬のおしっこの後いで「尿害」防止にに水をかけている飼い主さんを時々見かけました。いい考えだと感心して、自分が犬を飼うときは見習おうと思いました。
 まだまだ世間には浸透していないようです。名古屋の大須観音を参拝したとき、境内の玉砂利に、二匹の飼い犬におしっこをさせている人を見かけ、驚きました。この夕刊の記事がきっかけになり、洗い流す習慣が各地で広がっていくことを期待しています。”(3月28日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(52)の投稿文です。今まで大目に見られていたことも、状況の変化によって許されなくなる、これもその一つであろう。犬が外でおしっこするのは自然のこと、防ぐ手立てもない、目くじら立てるようことではない。それはやはり犬が少ない時代のこと、これだけ多くなるともう公害である。文化財に被害が及ぶようなことになればとんでもないことである。その中で、こうして水を掛けていくのは一つの知恵であろう。この状態が進めば、いずれおむつでも当てて散歩させねばならない時代もこよう。
 今日(4月12日)の夕刊にも、犬の尿で電柱が変色、風と共に臭いが部屋に入って来て悩んでいる話が出ていた。




2010/04/10(Sat) (第1266話) 自然のために 寺さん MAIL 

 “  「人間はまさに生まれたそのときから、自然のなかに、自然の一部として、
    また自然のために存在している。」          アルネ・ネス
 古いほころびを縫い直せば直すほど、ミシン目のそばから新たなほころびが生じてしまう。今、社会のそのような実状からいかに脱却するか知恵をしぼるところに、ディープ・エコロジーを提唱した哲学者、ネスの思想が再評価されつつある。
 地球上には、人間以外にも、動物から植物まで多様な生命が存在する。私たち個人の自己形成は、人間対人間の関係より、人間以外の存在との関係に負っているところが大きい。だからこそ、自然界にみられる事象を「物」として扱い、目先の利益のためにそれらを乱用してきた反動は深刻なのだ。
 掲出文は1987年の講演記録から。経済至上主義から、自然界の事象との親和へ、生活の質を転換しなければならないと思う。ネスのこの文言がもつ意味のなんと重いことか。”(3月27日付け中日新聞)

 松本章男さんの「今週の言葉」からです。この文で自己形成は「人間以外の存在との関係に負っているところが大きい」という言葉にハッとした。人間対人間の方が大きいと思っているのだが、そうではないのだ。一歩外に出れば目にするのは自然であり、食べるのも、手を加えられていても元は自然の恵み。空気があり、季候も人に与える影響は大きい。自然との係わりが少なくなってきていると思うが、考えるほどに自然との係わりが大きいことに気づく。その自然が大きく変わろうとしているから、この言葉の意味が大きくなっている。
 また人間は「自然のために存在している」といわれてはどう答えよう。これだけ自然をいじめていては答えようがない。
 その上、人間と人間の係わりもだんだん小さくなってきている。無縁社会が広まっているようだ。人間はどこへ行こうとしているのか、よくよく考えて行動しなければなるまい。




2010/04/08(Thu) (第1265話) さりげない優しさ 寺さん MAIL 

 “七十歳くらいのおばあさんが近所のドラッグストアでうろうろ、キョロキョロしていました。「探し物が見つからないのかな」と思い、声を掛けようとしました。すると、おばあさんは近くの若い男性に話し掛け、二人で一緒に商品選びを始めました。
 メモを受け取った男性が「これでいいかな」と確認し、食料品をかごに入れていきます。約三十分間、笑顔で買い物をする様子に「男性はお孫さんかしら」と思いました。
 でも、おばあさんは精算を済ませ、一人で退店。男性は「気を付けて」と見送り、買い物を再開しました。
 私が男性に「ちょっと気になって」と話し掛けると、彼は照れくさそう笑顔で「僕を店員と勘違いしたみたいで」。勘違いと知りながら、何も言わずに応じた優しさに胸を打たれました。”(3月25日付け中日新聞)

 岐阜市のアルバイト・笠原さん(女・33)の投稿文です。勘違いされたのをそのまま親切に対応する、なかなか味な行為ではありませんか。こういうことがあるのも面白い。
 今の店は店員も少なく、聞く人もなかなか見あたらないことが多い。ついこんなことも起こりうるだろう。年老いた人には買い物も大変だ。合理化しないとやっていけないのだろうが、寂しい社会になったものだ。これがめざしてきた社会なのだろうか。




2010/04/06(Tue) (第1264話) 37年目の卒業式 寺さん MAIL 

 “学園紛争で卒業式ができなかったA大(豊橋市)の1972(昭和47)年の卒業生約3百人が24日、名古屋市昭和区の市公会堂であった本年度の同大卒業代に38年遅れで出席し、卒業式への参加証明書を授与された。
 学園紛争が激しかった72年には卒業式を開けず、卒業生2389人に卒業証書を郵送しただけだった。昨年2月の同窓会和歌山支部総会で、大阪支部長の高力賢一さん(61)が元彦学長に事情を伝え、多くの卒業生が還暦前後になったのを機に式を企画した。
 式では72年の卒業生を代表し、高力さんが「このような機会を与えてくださり、感謝している」と謝辞を述べた。代表で参加証明書を受け取った高野史枝さん(60)は「人生の新しいスタートという感じがし、エネルギーをもらった」と喜んだ。CBCラジオのパーソナリティーつボイノリオさん(60)も72年の卒業生として参加し、式の様子をラジオ中継した。つボイさんは「こういう年になると、人生の通過儀礼ってやっぱり必要なんだと分かる。一つの区切りをしみじみと迎えられてよかった」と感激していた。”(3月25日付け中日新聞)

 記事からです。卒業して37年目にして卒業式が行われる。戦中、戦後に卒業式を迎えた人にはそれどころではなく時折聞く話である。また、学園闘争華やかなりし世代にもあったが、このA大もその一つであろう。
 実は我が夫婦は、共にこの卒業式対象の人なのである。当時は何か物足りない寂しい思いをした。特に2人とも夜学生だっただけに、その苦労を思いよりそんな気があった。今回、わが家にも案内が来た。仕事もあり、今更という気もあり欠席の返事をした。この記事を読むと、この機会が新しいスタートという気にもなり、いい機会を逃したと少し残念な気になっている。参加していたらいい思い出になったろう。またこの「話・話」でもいろいろ語れたろうに・・・・貴重な機会を失った。




2010/04/04(Sun) (第1263話) 盲導犬を育てる善意 寺さん MAIL 

 “三重県伊賀市下友田の高石千恵さん(67)方で余生を送っていた元盲導犬の「サラ」が生涯を閉じてから、17日で1年が過ぎた。サラとともに盲導犬普及に奔走してきた高石さんの元には、盲導犬育成のための寄付金やチャリティーバサーヘの品物の提供がサラの死後も続いている。(中略)
 「サラのためにも活動を続けなければ」。高石さんは昨年6月、愛犬のいなくなった自宅でバザーを開いた。サラの死を悼む知人らから食器や日用品などの提供を受け、2日間で売り上げは23万円になった。(中略)
 自宅にある常設のバザーコーナーには今も多くの日用品が並び、訪れた入が購入しては募金箱に代金を入れていく。高石さんは「サラの後輩をつくるため、これからも支援を続けていきたい」とあらためて協力を呼び掛けている。”(3月23日付け中日新聞)

 記事からです。長い文なのでかなり省略しました。
 またまた思いがけなことに一所懸命になる人があるものだ。盲導犬の育成の多くはボランティアの人に頼っている。しかし、常設のバザーコーナーまで開いてやるのか・・・ただただ感心、いろいろな取り組みがあるものである。
 こうして世間を見渡し考えていけば、できることはいろいろありそうだ。今のボクは勤めながら一宮友歩会の運営とこのHPの作成等でいいところである。また、来年位から地元の大役が次々と回ってきそうである。ここら当たりが一段落した時が次の段階の気がする。いずれにしろ、健康と気力の維持があってのことである。これが無くてもできることはあるだろうが、選択はかなり制約されるだろう。特に気力である。気力があれば健康が無くてもできることはあるし、健康であっても気力が無くては何もできない。




2010/04/02(Fri) (第1262話) 桜が咲いた 寺さん MAIL 

 “私の胸の中の小さな桜が、今年ようやく満開になりました。
 昨年の今ごろ、「漢字の勉強をしています」という「くらしの作文」を掲載していただきました。あれから一年、漢字検定一級にようやく合格することができたのです。今まで、不合格通知が届くたびに落ち込み、《もう、やめよう》と決心するのですが、数日たつと悔しくてたまらなくなり、また勉強を始める、その繰り返しでした。
 何が私をこんなに駆り立てたのでしょうか。それは《漢字が大好き》という思いでした。《漢字のすべてを知りたいし、長い時間向き合っていても苦にならず、飽きることもない。まるで恋人のようだ》。そこまで考えて、思わず「ふふっ」と笑ってしまいました。
 「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあります。興味を持ったことをこつこつと続けていれば、いつか必ず実を結ぶ−それを私が証明したのですから。さて、これから・・・。新しいことをするのもいいと思いますが、漢字もまだまだ知らないことがたくさんあって捨てがたく、できればこのまま続けていこうと思っています。”(3月23日付け中日新聞)

 愛知県美浜町の主婦・広沢さん(56)の投稿文です。失敗に懲りず、何度も何度も挑戦されたのでしょう。それは「漢字が大好き」その思い一つだったようです。でも、なぜ漢字などが好きといえるようになるのでしょう。それはある程度知ると、また関心を持つと次々と発見があり面白くなるからでしょうか。
 漢字について一般の人には少しずつ縁遠くなっています。パソコンや携帯電話の発達で書く機会が減っている。機会が減れば知らなくなる。それだけに漢字検定は返って大きな魅力にもなるのでしょう。「好きこそ物の上手なれ」これで物事は楽しく続きます。こうしたものを見つけ、続けられる広沢さんは幸運でもあります。
 漢字検定についてはいろいろ問題もありました。しかし、こうした一生懸命な人が沢山みえたのです。批判を受けないような対応を願いたいものです。



川柳&ウォーク