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第71号  2010年3月

2010/03/30(Tue) (第1261話) 体操のおかげ 寺さん MAIL 

 “私たちが毎日、体操を続けてもう幾十年になるのか。九十歳のばあさんと、九十五歳の私が連日、向かい合って体操をしている。屋内だから、天候には無関係でできるのが利点。それに乗じて自由に続けてきた。その効果なのか、多くの同僚は、われ先にと急ぐかのように逝ってしまったのに、私たちは長男家族と同居し、毎日の体操で柔らかな雰囲気を醸し出している。
 用事を頼むこともあるが、運動を兼ねて自分たちで処理するように努めている。年齢とともに少しでも楽を、と思ったら負けである。虚弱体質に向かって逆落としであろう。毎日の高齢者の体操は、外部の人にはこっけいに見えるかもしれない。しかし、寝たきりにならぬためにも、自分で立ち歩きができるうちに原動力を堅持するためにもぜひ、高齢者体操は強力に宣伝しよう。私は百歳に手が届くから大声で呼び掛けるが、若い人からは言い難いことかもしれぬ。”(3月21日付け中日新聞)

 愛知県東海市の広瀬さん(男・95)の投稿文です。ラジオ体操の効用については度々紹介してきた。そしてこの姿は、今のわが夫婦の姿でもある。しかし、それを言うにはあまりに年齢、実績が違いすぎている。95歳と90歳である。この歳にしてこの元気さ、この心がけである。我が夫婦にはまだ30年先のことである。とてもあるとは思えない。でも、めざしたい、手本である。しかし、ここまで頑張るとまだ30年もあるのか・・・・別の意味でうろうろしておられない。
 今年も肩の痛さも、足の冷えも知らずに冬が過ぎていった。




2010/03/28(Sun) (第1260話) 休館日 寺さん MAIL 

 “夫婦で浜名湖ヘ1泊旅行に行った時のことです。湖畔にある眺望抜群の宿で1泊し、豊田佐古記念館に向かいました。ところが、その日はたまたま休館日だったのです。
 自宅近くに豊田自動織機の工場があり、佐吉記念館はぜひ見学したかったので、がっかり。あきらめて帰りかけた時、巡回していた警備員さんに声をかけられました。
 「今から敷地を巡回します。館内には入れませんが、よろしかったらご一緒に」との言葉。うれしさのあまり、2人で顔を見合わせ、恐縮しながら後をついて行きました。
 敷地内にある記念碑や展望台などを案内され、丁寧な説明も受けました。展示室は外から見ただけでしたが、警備員さんの心あるお気遣いに感謝しました。心に残る、忘れられない旅でした。”(3月18日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の深谷さん(男・71)の投稿文です。閉館日に行きがっかりすることは誰にも経験があることであろう。そんな時、こんな対応に出会うと嬉しい限りであろう。少しの心遣いで旅の印象が全く違ってくる。差し障りのない限り、こういう心遣いに心がけたいものだ。
 ボクなど、一宮友歩会のコース設定でこうした対応をよく受ける。先日も親睦ウォークで三重県鈴鹿市の方へ行ったとき、大黒屋光太夫の菩提寺があると知り、急に寄ることにした。緑芳寺という寺の庫裏で声をかけたら本堂へあげてもらい、資料を見せていろいろ説明して頂いた。住職さんの思いがけない対応が全く嬉しかった。忘れられないウォークになった。
 気をつけなければいけないことは、度々こういう対応を受けるとそれが当たり前になり、感謝を忘れ、そうでないときには不満に思うことである。心したい。




2010/03/26(Fri) (第1259話) くの坂の上には 寺さん MAIL 

 “花と料理と編み物が大好きな専業主婦が、資格を取って、社会に出て働きたいと決意した三十九の坂。
 栄養士の資格を取り、老人福祉施設で栄養士として働き、充実した毎日を送っていたが、技術を身に付けて介護の仕事がしたいと決意した四十九の坂。介護福祉士の資格を取り、介護現場での仕事ではないが、介護支援専門員として充実した毎日を送っている。
 今、五十九の坂を上り始めた。私にできることで楽しいことが何かしたい。琴やマジック、皿回し、アコーディオン、南京玉すだれなど、見て楽しんでいただけたらと、ボランティアの「ひとりパフォーマンス」を平成十八年三月から高齢者施殷や老人会で始め、三月三日のひな祭りに五十回目を終えた。「アコーディオンで歌おう」のボランティアも月一回のペースで始めた。
 好きなことが仕事になる。五十九の坂の上には、そんな自分がいたい。くの坂の上には素晴らしい出会いと喜びと、新しい自分が待っている。その坂を上るために決意の準備がいる。わき出る情熱とパワー。くの坂は苦の坂。一生懸命上って、生きがいと出合いたい。”(3月18日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の介護支援専門員・小坂さん(女・59)の投稿文です。何という意欲のある人であろうか、こんな人もあるのだ。ひとりパフォーマンス50回などに至ってはただ拍手喝采するだけである。
 更に感心するのは、九の歳に新たな決意をされることである。何事も長年続けていると惰性に陥ってしまう。そうならないようにある区切りで過去を振り返り、新たな決意をし、新たなことを始める。そうせざる事情があればすることにはなるが、普通には容易いことではない。
 2005年10月13日の「(第429話)5年ごとの挑戦」では、5年ごとに自分を見直す話を紹介した。また、5年ごとに離婚届を書き、また婚姻届を書く話もあったと思うが、これはどこで紹介したか見つからない。見つけてみてください。これらも似たような話であろう。




2010/03/24(Wed) (第1258話) 30分の賞味期限 寺さん MAIL 

 “「明日は、おまえの誕生日だから、前夜祭をやろう」と言うので、ワインを買いました。そして、帰宅する車の中で「ケーキも買ってあるんだ」と言います。
 夕食の時、ワインを飲みながら話を聞くと・・・。お金を払ってケーキを受け取る際「いつまでもつの?」と店員さんに聞いたところ、「三十分です」という答え。「えーっ、そんな・・・」と主人は絶句。店員さんいわく「これはアイスクリームのケーキです。ドライアイスが入っていますので三十分くらいはもつでしょう」。あらためて周りをよく見ると、ケーキ売り場ではなくアイスクリーム売り場だったので、びっくり。「おれ、ぼけてきたのかなぁ?」
 食後のデザートに出てきたケーキにはハートの形をしたチョコレートなどが飾られ、クッキ−には「Happy Birthday おかあさん」と書かれていました。とてもかわいくて、すてきでした。結婚して、初めてもらったバースデーケーキ。とろけるように甘くておいしかった。ありがとう。”(3月15日付け中日新聞)

 愛知県一宮市のパート・小嶋さん(女・59)の投稿文です。自分の失敗をうまく生かし、前夜祭をしようと提案するところが、ウィットも感じなかなかいい。初めてのバースデーケーキといわれるので、熟年夫婦になってのゆとりといたわりを感じる。ボクにはまだ無いことだけに、そろそろ見習わねばなるまいか。
 この話で少し不満に思うところは「おかあさん」と書かれたところである。小嶋さんはご主人のお母さんではない。My Wifeとか、名前を書くところであろう・・・という知識だけはボクも持っている。




2010/03/22(Mon) (第1257話) 庄内用水 寺さん MAIL 

 “名古屋市は、北区や西区、中村区などを通って南部まで流れる庄内用水に一年中、水を流すことを決めた。これまで農閑期は水が枯れていたが、住民団体「庄内用水を環境用水にする会」が魚の保護などのために年間通水を求めて奔走してきた。メンバーたちは「市民に親しまれる水辺になれば」と将来像を描いている。
 庄内用水は四百年ほど前に開削された全長約二十八kmの農業用水。春から秋まで庄内川の水を引き込んでいるが、干上がっている冬の問に毎年生き物が姿を消していた。用水で泳いだり、魚を捕ったりした思い出がある地元のお年寄りらが「人と水のかかわりを取り戻そう」と会を結成。用水沿いの桜を楽しむウォーキング大会や、水が止まる前の時期に魚をすくって川に放流する催しなどを開いてきた。
 2004年には3万人分の署名を市などに提出。市は「魚や植物が根付き、市民の憩いの場になれば」と年間通水を決めた。三月末から市守山水処理センターの下水再生水を用水に流す送水管の工事を始める。今年の農閑期には水を流す予定。
 同会の原昭吉会長は、「魚がいれば鳥が集まる。そうすれば自然に人も集まるはず」と喜んでいる。”(3月9日付け中日新聞)

 記事からです。いつも通勤電車の中から見ている川が、春から秋には満々と水をたたえているのに、冬になると全く水が流れていない、どんな川だろうかと疑問に思っていた。この記事で、この川が庄内用水だと知り、納得がいった。また一部を庄内用水と知り歩いたこともあって、今年7月の一宮友歩会例会で取り入れることを計画していた。そして、この記事である。嬉しい情報を得た。
 さらに、つい先日の3月13日に7月例会のコース選定で歩いた。庄内用水は数百mを歩く予定であった。しかし、現地を歩いてみて他に予定していた道が危険だと分かり、安全な庄内用水に振り替え、約2.2kmも歩くことに計画を変更した。庄内用水は安全であると共に綺麗に整備された遊歩道である。今回は水が流れていなかったが、例会時には満々と流れ、更に美しい景色を醸し出しているだろう。
 そして、こんな運動があったことを知った。この運動の成果で、名古屋市が送水管工事をして今年から通年通水になるという。いろいろな所でいろいろな運動があるものだ。単なる圧力団体では役所も困るだろうが、良い提案はしていきたいものだ。この住民団体「庄内用水を環境用水にする会」は、ウォーキング大会や魚をすくって川に放流する催しなどの汗を流す実践活動もしてきたことが、役所を動かしたのであろうか。
 この「話・話」を読んでもらうと共に、ホームページの次のページも見て頂けたらより理解していただけると思う。http://terasan.web.infoseek.co.jp/wah130.html ('10ウォーク日記→(写真)庄内用水)




2010/03/20(Sat) (第1256話) 最高のチームメイト 寺さん MAIL 

 “小さいころに野球を始め小学校までは順風満帆でした。でも中学では思うように上達せず、試合に出ている後輩を見て涙が出ることもありました。そんな時、小学校のチームで補欠だった子たちの姿を思い出しました。《あいつらも、こんな気持ちだったはず。だけど悔しい顔を見せず、笑顔で手伝ってくれたな》
 それからは、お茶やタオルーを持って行ったりして、試合に出ている選手をー生懸命支えるように心掛けました。惨めでたまらなくなった時も顔には出しませんでした。僕はチームメートから「応援団長」と呼ばれるようになりました。
 ある大会で、僕は代打に送られました。試合は既に大差で勝っていたので、僕への情けだと思いました。ところがバットを構えた瞬間、大声援が聞こえてきたのです。「燃えろ、尚毅! 尚毅君の努力を見せつけろ」。思わず涙が出ました。その打席はセカンドゴロだったけど、どんなホームランよりも大切な打席になりました。
 引退する時、仲間に推されて、僕が最初にあいさつしました。言葉は途中から涙声に変わりました。《もう、こいつらと野球できないなんて》。この仲間たちと野球ができたことが、僕の自慢です。”(3月6日付け中日新聞)

 愛知県蒲郡市の中学3年・広浜さん(男・15)の投稿文です。少し長いですが、全文を紹介しました。これもいい体験です。補欠になったとき、その時支えてくれた人の気持ちを思いやることができ、今度はその支え役に徹する。そして、本当に皆のためにと思って広浜さんは努められたのでしょう。それが皆にも分かり後半の文のような結果になったのでしょう。若いときのこうした体験は将来きっと役立つでしょう。下手な成功探検よりはいいでしょう。
 人間、ずっと成功体験で過ごせる人はほんの一握り、ほとんどの人はどこかで苦い体験をしなければなりません。その苦い体験をどのようやり過ごすか、それによってその後の人生は大きく変わります。そして、その苦い体験は若いときほどいい。当然ボクにもいろいろ挫折経験があります。それがいい戒めになっているのです。




2010/03/18(Thu) (第1255話) 春を感じます 寺さん MAIL 

 “「あなたを見ていると、春を感じます」
 同居している大学生の孫が、スーパーのバイトを始めて数日後の夕食の時、お客さんにこう言われたとうれしそうに話した。「まあ、何とすてきな言葉!」と聞いていた家族も大感激。
 孫は塾の講師のバイトはしているが、家族の方針として「先生」と呼ばれる仕事だけでなく、人さまに頭を下げる仕事もして社会勉強をするようにと常々話していた。夏休み中はファミリーレストランのバイトをしたが、世間知らずのドジで失敗も多く、接客の仕事には、ほとほと懲りていたらしい。そんなことがあっただけに、今度はしっかりと仕事をしているかと心配していた。だから、お客さまのその一言は、新人の孫を勇気づけ、励ます大きなエールになったと思う。「仕事を教えてくれる人もお客さんも、みんな優しくて楽しいよ」と言う孫の言葉に心から安堵した。
 「春を感じます」と、詩人のようなすてきな言葉をかけてくださったお客さまの話題で、わが家には一足早く春がきたような心温まるだんらんになった。”(3月5日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の主婦・久保川さん(69)の投稿文です。「あなたを見ていると、春を感じます」、こんな詩的な言葉がス−パーなどで出てくる人は一体どういう人なのでしょう。こちらの方に興味が行きます。心から優しく、文学的な人でなくては出てこないでしょう。そして、誰でもこんな言葉を告げられれば感激するでしょう。
 久保川さんの家族も立派な心がけです。人様に頭を下げる仕事をする、それも若いときに身につけておくといいでしょう。体で覚えたことはなかなか忘れません。いくつになっても、立場が変わっても自然に出でてくるものです。頭を下げられて誰も悪い気がしません。特に先生とか上に立つ人には大切なことだと思います。
 それと躓くことを経験するのも将来役立つでしょう。無いことに越したことはないかもしれませんが、あの経験があればこそ今が耐えられる、傲慢にならずに済むなどいろいろあるでしょう。




2010/03/16(Tue) (第1254話) 順番を譲る  寺さん MAIL 

 “先日、近所のコンビニエンスストアヘコピーを取りに行った時のことです。二十歳くらいの男性の後ろに並ぶと、その若者は私を見て「僕は時聞か長くかかるので、先にどうぞ」と順番を譲ろうとしてくれました。私は、一度は断ったのですが、若者は厚みのある楽譜の本をしきりにめくりながら、再び振り返って「どうぞ」と、私の後ろに立ったのです。
 私はせっかくの好意を無にしない方がいいと思い「ありがとう」と礼をいって、先にコピーを済ませました。
 乗り特に乗車するときや、公共機関の受付などで、平然と列に割り込む大人を頻繁に見かけます。そんな大人が、よく「最近の若者は」と口にしますが、このような若者がいることを知っていただきたいです。”(2月25日付け中日新聞)

 愛知県半田市の藤野さん(70)の投稿文です。このような話は以前にも紹介したことがあります。嬉しくなる話です。自分勝手ながら時折ボクも感じるときがあります。ボクなど買い物に行っても自分が必要なもの数点しか買わないので、前に篭何杯にも詰めた主婦などがいるとイライラします。まさにそんな時、順番を譲ってくれると本当に嬉しく思うでしょう。
 1台しかないコピー機などでは無理ですが、スーパーなどで少ない買い物の人専用のレジを設けた話を聞いたことがありますが、どうなったでしょう。余り広がった話を聞かないので、難しいのでしょうか。ボクにはいいサービスだと思えるのですが・・・・。




2010/03/14(Sun) (第1253話) バケツ 寺さん MAIL 

 “私は、亡き父がそうしていたように、家の中にある物や道具に、購入した日と値段を記している。テレビや洗濯機などの家電製品はいうまでもない。流し台や食卓にもしっかり記したテープが張ってある。最近、電気ポットの出が悪くなった。見れば「平成1年11月」とある。《そろそろかな》と、買い替える際の目安にしている。
 さて、洗面所に置いてあるバケツである。ひっくり返すと「昭和60年8月26日 560円」とフェルトペンで書いてある。洗濯の下洗い、ぞうきんがけ、夏は庭の水やりに、風呂の残り湯を何杯となく運んだ。たかがバケツ、されどバケツである。数えてみれば二十四年有余酷使してきたことになるが、今でも十分に使える。そう見ると、このバケツがいとおしくなってきた。
 スーパーヘ行けばカラフルなバケツが並んでいる。一瞬「買い替え」の文字が頭をよぎるが、人の何倍も物を大切にすると自負する私が、それらを横目で見て通り過ぎるのは言うまでもない。でも、いつかは壊れる時がくる。それまでは、今まで以上に大切に使っていきたいと思う。”(2月25日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・山川さん(71)の投稿文です。いい生活の知恵である。ものを大切にする心も、ものに感謝する心も湧いてくる。ものは少し大切に使えば驚くほど長持ちする。特に機能が単純なものは長持ちする。新婚時代に買ったものでまだ使っているものもあるし、農機具などは親の代からのものも多い。購入日が書いてあったら、本当に愛しくなるだろう。最近のマイコン組み込みのものはとてもこうはいかないだろうが。
 ボクも説明書や保証書は1冊のファイルに綴じて失わないようにしているが、それでも時折捜すのに苦労している。もう一工夫欲しいところだと思っていた。これは参考になる知恵である。早速最近購入したものから始めた。それにしても山川さんのバケツまでとは恐れ入った。




2010/03/12(Fri) (第1252話) 春化粧 寺さん MAIL 

 “「なに?大きな声でもうー度言ってよ」「いや、いいんだ」「気になるわ。私に何か文句あるの?」七十二と六十七、老夫婦二人の食卓はテレビの音だけが華やいでいる。すると心を決めたように昌也さんが、はっきりと言った。
 「化粧してもらいたい。化粧した方がきれいだ」??春美さんは耳を疑った。言われてみると三、四年前から家にいる日は化粧しなくなった。念入りに化粧するのはおしゃれして友達と出かけるなど「ここ一番」というときだけである。(中略)
 「夫は男のうちに入らない」と笑う友達もいる。夫のために化粧していたのはついこないだのように思えるのに、と春美さんは反省した。その夜はふろ上がりに、夫の言葉を反すうしながら時間をかけ、パックやマッサージでお肌を手入れした。翌朝十五分早起きして、薄化粧する。鏡の中でにっこり笑うと気持ちよかった。おはようと夫にかける声が、なぜか柔らかい。「化粧した方がきれいだ。口紅の色も春らしい」などと、昌也さんはボソボソ感想をのべるのであった。”(2月24日付け中日新聞)

 作家・西田さんの「妻と夫の定年塾」からです。まあこれもいろいろ考えさせられるテーマである。夫婦だから何も気を遣ったり、飾る必要はない、地のままであってこそ気楽に過ごせるし、気も休まる。家の中まで気を遣わねばならぬなら家庭など要らない、そんな言い方もあろう。しかし、夫婦は何年、何十年たとうとも生まれも育ちも違う赤の他人である。ある程度の気遣いは必要である。そして、問題となるのはこの程度の問題である。この程度が受け入れられるか受け入れられないか、それによって夫婦は大きく違ってくる。
 この話は面白い、実にいい。言われた方も悪い気はしない、素直に反省できる。女性が化粧するのはなぜか?よく思われたいからであろう。ではまず誰に一番よく思われたいか?誰が一番大切か?素直に考えれば夫であろう。それでめでたしである。しかし、昌也さんはよく言われた。ボクはなかなか言い出せないだろう。
 ボクは新聞を読んだとき、この「話・話」に使おうと思った記事は印を付けておく。その後に妻が新聞を読む。ボクが何に関心があるか、そんなことを思って新聞を読んでくれているだろうか。それとなく伝えているつもりだが・・・。




2010/03/10(Wed) (第1251話) 取扱注意 寺さん MAIL 

 “新しい掃除機を買った。独り身の週末が、少し楽しくなった。「課長は強引過ぎるんだよな・・・」ある日、掃除機をかけながら、ふとつぶやいた。掃除機が、しゅるるんと音を立てた。数週間後、課長が転勤になった。
 「独りは寂しいよな・・・」 掃除をしながら、今度はそうつぶやいた。しゅるるんと、掃除機がまた音を立てた。半年後、僕は結婚した。不満を吸い込んでくれる掃除機。すごいモノを手に入れてしまった。
 休日の朝、布団の中でまどろみながら、僕は満足していた。「いつまでもゴロゴロしていて嫌だわ」夢見心地の僕の耳に、新妻の声と掃除機の音が聞こえてきた。”(2月14日付け中日新聞)

 「300文字小説」から、石川県野々市町の主婦・荒井さん(36)の作品です。そう自分の都合よくばかりはいかないのが人生、世の中である。自分に都合がいいのは他人にも都合がいい。いつ逆転するかもしれない。人間の欲望をよく現し、そしてどんでん返しが面白い。まあ、人間、余り身勝手なことを考えず自身の努力ですることであろう。
 時には息抜きにと「300文字小説」から紹介している。読み方によっては人生訓になりうるものも多い。




2010/03/08(Mon) (第1250話) のど自慢挑戦 寺さん MAIL 

 “先日、桑名市で「NHKのど自慢」がありました。私も参加したくて応募し、書類審査で予選に出湯の通知がきました。私の前からの夢は、ジャニーズ系の歌に挑戦することです。お嫁さんに協力してもらって「青春アミーゴ」にしました。さあ大変、練習です。私たち夫婦とお嫁さん、孫二人とカラオケボックスにいきました。
 中には、滑り台などいろいろな遊具もあって、家族だんらんで楽しめるようになっています。夫は孫の子守で大忙し。滑り台の上から、ママもおばあちゃんも上手上手、と言ってもみじのような手で拍手してくれました。涙があふれました。
 私とお嫁さんと目と目を見合わせてリズムをとり、一生懸命練習しました。結果は残念でしたが、家族総出で頑張りました。こんなにうれしくて楽しく、癒やしてくれたのは、まさに歌が結んだ縁でしょうか。宝物が雪のように舞い降りてきました。”(2月14日付け中日新聞)

 三重県桑名市の主婦・松島さん(65)の投稿文です。松島さんののど自慢挑戦で、家族一同が力を合わせることになる。引っ越しなど必要なことで協力することはあるだろうが、こういう遊びの中の協力は楽しいですね。時には一族郎党揃って何かに打ち込む機会を持ちたいものです。そうして家族の輪がつながる。
 ボクなどカラオケボックスに行ったのはいつのことだろうか。カラオケさえ忘れている。ボクの家族もこうした遊び心を持ちたいが、ボクがボクだけになかなかそうはいかない。ここはボクが一念発起するところだろうか。




2010/03/06(Sat) (第1249話) 達筆でも 寺さん MAIL 

 “若いころのぼくは税務の仕事をしていた。昭和二十年だからコンピューター機器などなく、税金の通知書もすべて手書きだった。こどものころからお習字の塾に通ったぼくは、草書が得意だった。そこでナマイキにも住民あての税金の通知書を、ぜんぶ草書で書き、周囲に得意然とした。
 ところが数日後、郵便局からドサッと通知書の束が戻さてきた。付箋が貼ってあり「判読不能」とある。全部ぼくの書いた分だ。ぼくは真っ青になった。あわてて書き直した。こんどはガリ版の書体だ。うまいヘタではない。だれにでも読める字体だ。あのときぼくが申し訳ない、と思ったのは郵便を配達する職員に対してだ。必死になって読もう、と努力する職員たちの苦闘を思い浮かべると、いまでも冷や汗が出る。草書で住民への通知書を書いて、自己陶酔に浸っていたバカなぼく。二回書いたということは、税金のムダづかいでもあった。
 以後、ぼくは字体を改めた。お手本にしたのは、映画のタイトルの書体だ。とくに黒沢明監督のタイトルの字は、わかりやすく、読みやすく、力づよい。渋沢さんの戒めは尊い。”(2月13日付け中日新聞)

 堂門冬二さんの「先人達の名語録」からです。
 「うまい字よりもわかりやすい字を書け」という渋沢栄一氏の言葉について語った文の後半です。達筆と言われるものは往々に読めないことがある。ボクなど書道展へ行くと読めないものばかりである。書道って何だろうと思ってしまう。字は使い道によって使い分ける必要があるということであろう。そして、これは何事にも言えることである。
 最近は日常生活で手書きの文字を見ることはめっきり減った。ボクも手帳や日記帳、その他下書きに文字を書く位で、人に見せるものはほとんどがパソコンである。読みやすくなった。文字に味がなくなったと言うが、人に読んで解ってもらう日常生活ではこの方が良いのである。それだけに、日記帳のように自分で書く場所を持たないと文字を忘れてしまうのである。いろいろな場所を持たねばなるまい。




2010/03/04(Thu) (第1248話) 金魚のまね 寺さん MAIL 

 “  「どじょうがさ、金魚のまねすることねんだよなあ」   相田みつお
 中国・雲門宗の祖となった雲門に「人々尽く光明のあるあり」という言葉があり、その光明とは「僧堂が僧堂の働きをし、台所が台所としてあるべきところにあってその働きをし、山が山の、川が川の働きを十分に果たし得たとき、それが光明三昧の姿だ」と語っている。
 どじょうがどじょうに落ちつき、私が私に落ちつき、私の授かりの生命を時・処・位に応じて生ききる。それが光り輝く生き方だというのである。
 われわれはつねに、冬より春がいいとか、ここよりあそこがいいとか、この仕事よりあの仕事のほうがいいとか、病気はかなわない健康がいいとかと、追ったり逃げたりしている。いかなる時、いかなる処、いかなる事にぶつかっても、逃げず追わずぐずらず、姿勢を正して立ち向かい全力を尽くす。そこに光明が輝くというのである。”(2月13日付け中日新聞)

 久しぶりに青山俊董さんの「今週のことば」からです。自分のあるままを受け入れ、無い物ねだりをしない、その上で姿勢を正して立ち向かい全力を尽くす。よく分かる言葉である。これができれば気分も穏やかだ。しかし、できない、すぐに忘れる。だから何度でも聞く必要がある。
 それにしても相田みつおさんの詩は宗教者そのものの言葉だ。しかし、宗教者の言葉で聞くより、詩として聞いた方が受け入れ易いことがあるかもしれない。それが人気だろうか。




2010/03/02(Tue) (第1247話) 優しい若手運転手 寺さん MAIL 

 “停留所で止まったバスから運転手さんが突然降りていきました。
 「どうしたんだろう」と思って窓から外を見ると、すぐ前のバスから車いすで降りようとする乗客を助けていました。自分は名鉄バス。助けに向かったのは市バス。感動しました。まだ若い運転手さんでしたが、それまでの停留所でも年配の乗客が降りる際は「足元にご注意ください」と優しく声を掛けていました。うれしくて、さわやかな気分に浸れた節分の朝でした。”(2月13日付け中日新聞)

 愛知県大冶町の自営業(女・60)の方の投稿文です。この行為はこの運転手さんの自主的なものか、名鉄バスの方針なのか、それとも交通機関の間でこうした申し合わせができているのか。「足元にご注意ください」などいう言葉からボクには自主的なものの気がする。そうとすれば、こういう心配りのできる素晴らしい運転手さんである。投稿者がさわやかな気分になられるのももっともである。ボクも先日名鉄バスを降りるとき「行ってらっしゃい」といわれた。初めて聞く言葉にびっくりした。
 客仕事はいろいろな指導がなされ、マニュアルが作られているだろう。マニュアルあって心あらずの場合も多い。この場合空々しく、返って虚しい。ボクは提供者と客は持ちつ持たれつ、対等と思っているので過剰な言動は必要ないと思っている。



川柳&ウォーク