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第70号  2010年2月

2010/02/24(Wed) (第1246話) ヒッチハイクで春つかむ 寺さん MAIL 

 埼玉県川越市の中学三年川口瑠美子さん(15)が1月、石川県輪島市にある日本航空高校石川の推薦入試に向かう途中の話です。
 “瑠美子さんは一月十七日の入試のため、車中泊の予定で前日に母(48)と自宅を出発。新幹線で十六日深夜に新潟県のJR長岡駅まで着いたが、乗り換える予定だった夜行列車は大雪で運休に。長岡駅ホームで両手で顔を覆って泣く瑠美子さん。だが母はヒッチハイクを提案。「絶対あきらめない」とつぶやいた。
 歩道は150センチの積雪のため、車道にできたわだちの上を歩いた。オレンジ色の傘を広げて上下に大きく振ったが、車両は次々と通り過ぎる。吹雪が強まると数メートル先の母がかすんだ。二時間余りでたどり着いたガソリンスタンド。一台だけ止まっていた大型トラックの運転手に頼むと「金沢までなら」と引き受けてくれた。(中略)
 瑠美子さんが目を覚ますと、夜は白みかけ、金沢市が近づいていた。運転手は「よし、輪島まで行っちゃる」。先行車を次々と追い抜いたトラックは集合時間十分前に到着。運転手は「がんばれ」と励ました。連絡先は教えてくれなかった。
 入試の作文は偶然にも「わたしが感動したこと」。四百字詰め原稿用紙一枚に深夜のヒッチハイクと母への感謝の気持ちをつづった。自宅に合格通知が届いたのは三日後だった。高校はトラック運転手を捜し出し連絡。運転手は「ああ、良かった」と心から喜んでいる様子だったという。”(2月12日付け中日新聞)

 記事からです。小説のような話である。列車が運休、お母さんはヒッチハイクを提案。これは母の愛か、いや、愛プラス根性、気迫であろう。引き受けた運転手は親切心だろうか。途中の金沢までは少しの親切心があればできるかもしれない。しかし、それから輪島までとなると並の心ではできない。まだ100km以上あるのである。この母子の苦境にそのまま別れられない心情が生じたのであろうか。集合時間10分前に到着とあるので、他の手段では間に合わなかったであろう。提出された課題に、今の出来事を書けば十分であった。不運から始まったことではあるが、何という幸運で終わったことであろう。
 瑠美子さんの場合、どこにもある普通高校ではない。志を持って選んだ航空高校という特殊な高校である。推薦入試とあるので、これが駄目であっても普通の入試という道はあったかもしれないが、それでもこのチャンスをつかまれたのは大きい。300kmのヒッチハイク、この出来事に係わられた人の思い出、感動は人生の宝物になった。高校の先生もそんな感動を持たれたから、運転手を捜し出されたのであろう。




2010/02/22(Mon) (第1245話) チーン!しに  寺さん MAIL 

 “近所に住む孫で小学一年生の男の子が夕方、遊びの帰りに、昨年五月に亡くなった主人の仏壇にお参りに寄ってくれます。ろうそくと線香に火をともし、鈴を鳴らすしぐさも様になってきました。ふっくらとした小さな両手を合わせ、何やら神妙に拝んでいます。その内容は秘密だそうです。仏壇の前でちょこんと正座している姿が愛らしく、いとおしくてなりません。
 孫のこの習慣も、父親である娘婿が出勤前と帰宅後に必ず仏壇の前に座ってくれているからこそと、心から感謝しています。
 主人は、もっともっと、このかわいい孫との暮らしを続け、成長を見守っていきたかったことだろうと思うと残念でならず、孫の様子を毎日報告しています。自分の病、そして死を通して娘夫婦や孫、そして私に、生き抜くことの尊さ、死ぬということの現実、死んでもみんなの中に生きているという大切なことを教えていってくれたことを本当にありがたく思っています。
 今日も、孫が「おばあちゃん、チーン!しに来たよぉ」と言って訪れる夕暮れ時が近づいてきます。”(2月12日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市の主婦・飯田さん(70)の投稿文です。飯田さんには孫と言うだけでも嬉しいのに、こんなことをしてくれれば愛おしくして仕方がないでしょう。「親の背を見て子は育つ」というように、この親があってこの子です。子供は親はもちろん、周りの人の行動を見て育っていく。真っ白な中に、まねて練り込んでいくのである。周りの誰もしなければしないでしょう。
 それにしても出勤前と帰宅後に必ず仏壇の前に座ってくれている、というこの娘婿さんは素晴らしい。多分飯田さんご夫妻と素晴らしい関係を結んでおられたのであろう。そして仏心である。その上での行為であろう。これも並のことではない。




2010/02/20(Sat) (第1244話) 観劇 寺さん MAIL 

 “今日は観劇の日だ。夫はイライラしながら車の中で妻を待っていた。ようやく妻が出てきた。
 しかし、[アイロン切ったかしら」と家の中へ。次は、「ガス止めたかしら」と再び中へ。「留守電にしたかしら」と三度目。ついで、夫が車のキーがないと騒ぎだした。ポケットの中、バッグの中、ない、ない。「あった!」トランクの鍵穴に差したまま。「じゃあ、行くぞ」「待って!家の鍵が・・・」十分後、それはシートの下で発見された。
 駐車場に車を入れ、劇場へ。「あっ、チケット忘れた」帰るしかない。しかし、駐車場所を忘れ、探すのに三十分。
 帰宅すると机の上にチケットが。なんと観劇日は一週間後であった。”(2月7日付け中日新聞)

 岐阜県関市の公務員・和田さん(男・56)の「300文字小説」からです。この小説を笑うに笑えない人は多いのではなかろうか。僕ら夫婦も全く笑えない。これほどまとまってではないにしても、一つずつ、また似たようなことは日常茶飯事だ。
 こういうことが多いのは、まずあわてて家を出るときである。だから余裕を持って準備し、家を出ることである。そしてよく言われることであるが、呼称することである。「・・・良し」「***良し」と、後で思い出せるようにすることである。これで不安は少なくなる。キーや栓はたいがいしてあるのである。癖で無意識にしてしまうので、後で思い出せない、不安になる。無意識ではなく意識して行うことである。
 耄碌していくのは必然。それにどのように対応していくか、衰えていく以上に知恵を働かせねばならない。忙しい、忙しい。




2010/02/17(Wed) (第1243話) 手紙の大切さ 寺さん MAIL 

 “先日の「編集局デスク」の「三つ心 六つ躾 九つ言葉 十二文 十五理で末決まる」に感銘を受けた。中でも「十二歳のころには一家のあるじの代わりに手紙が書けるように」ということに。
 成人式を迎えた長女の写真が出来上がり、娘にお世話になった方々へ手紙を書かせたいと思いながら、ずるずるきていた時だった。手紙を書くことは何より大事で親が教えるべきだと気付かされた。その夜、親子で顔を合わせて手紙を書いた。
 素直な気持ちがよく出ている文も悪くはないと思ったが、けじめのあいさつを入れることを教えた。私は母のおかげて手紙が好きだが、書くべき時に書かなかった後悔は計り知れない。手紙はあいさつと同じで、タイミングが大切だ。家族の誰もが、きちんと手紙が書ける家庭でありたいとつくづく思った。”(2月7日付け中日新聞)

 岐阜県笠松町の会社員・加藤さん(女・46)の投稿文です。インターネット、携帯電話が普及し、手紙は全く少なくなったろう。ボクも以前は比較的手紙を書く方だったと思うが、最近はサッパリである。これからの人は手紙の書き方も分からなくなっていくのではなかろうか。
 そんな中、加藤さんは良いことに気付かれた。そして、親子で手紙を書かれた。娘さんも素直だった。手紙の良さも発見されたのではなかろうか。
 ボクは人生、出会いやチャンスをいかに捉えるかが重要、ということをいつも言っている。何気なくやり過ごすか、自分にうまく取り入れるか、それによってその後が大きく違ってくる。ボクもこの文の「編集局デスク」を読んでいた。しかし、やり過ごした。加藤さんがこの文に出合ったのは、娘さんに手紙を書かせたいと思いながら、ずるずるきていた時だった。ハッとして、すぐ行動された。タイミングが左右する。これで大きく人生が違ってくる。良い出合いであった。これは手紙の話であるが、その他のことでも同様であろう。




2010/02/14(Sun) (第1242話) 昔の生活 寺さん MAIL 

 “かつて使われていた道具から、地域や時代による生活の違いを学ぶ企画展「くらしの道具〜今と昔」が、一宮市大和町妙興寺の市博物館で開かれている。
 電化製品ができる前に使われていた農具や生活道具三百点を展示。山間部の長野県木曽町や、海辺の知多、渥美半島の道具も並べ、一宮市周辺の平野部の暮らしと比較できるよう工夫した。毎年恒例の同展は小学校の授業と連動しており、市内全四十二校の四年生が会場を訪れて歴史を学ぶ。三日午後は瀬部小の百人が展示品に触れたり、スケッチしたりして理解を深めた。
 「今と比べると、木やわらでできた昔の道具は不便そう」「昔の人はいろいろ工夫して生活していたんだ」と感心していた。
 十四日午前十時と午後一時に、昔のおやつ「センバヤキ」などを味わう催しがある。”(2月4日付け中日新聞)

 記事からです。我々世代には懐かしくなる催し物です。以前私の掲示板でも沢山紹介した。そして、今の時代の人にはどう写るのだろう。理解できないことも多いのではないか。でも見ておいて欲しい。昔の生活を知らないと今の便利さが理解できない。感謝の気持ちも生まれない。一宮市全小学校の4年生が見学すると言うことなので安心した。ボクも機会があれば3年生の孫と出かけてみるかな。
 この記事の中で「センバヤキ」なる言葉が出てきて驚いた。こんな言葉を聞いたのはいつ以来であろうか、ボクの中でも死語であった。妻も懐かしがっていた。この言葉は多分我が地方の言葉だろう。インターネットで引いてみたら、まさにこの博物館の催しの紹介の中にしか出てこなかった。地方の文化だったのだ。こういう地方の文化を保存していこうという団体や試みも結構ある。いつかそれも出来なくなるだろうが、それまで頑張って欲しい。いろいろな文化があるのは豊かさだ。
 センバヤキなるものは、具のないお好み焼きと言えばいいだろうか。小麦粉を円形に薄く延ばして焼いたものである。貴重なおやつであった。多分、名を変えていろいろな地方にあったのではなかろうか。




2010/02/12(Fri) (第1241話) 1円の忘れ物 寺さん MAIL 

 “ある日の午前、近所にある信用金庫支店の窓口で、携帯電話の代金を支払いました。お釣りは六千一円。その一円玉をカウンターに置き忘れてしまったようです。
 その日の午後、信金の人から電話がありました。「一円ですが、お忘れになっていませんか」。たくさんの人が行き交う金融機関。それなのに、一円玉一枚のお釣りの主を、多くの時間をかけて調べ、電話代の方が高いにもかかわらず、連絡いただいたことに感動しました。
 不況で誰もがバタバタと忙しくしている世の中で、わずか一円玉一枚、されど一円。お金と、人の心の温かさを感じました。私も人の心を、気持ちを大切にしていきたいと思います。信用金庫の皆さま、どうもありがとうございました。”(2月4日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・久野さん(男・43)の投稿文です。沢山の客の中で、残されていた一円玉の持ち主をどうやって捜したのでしょう。いろいろな人に聞きながら、いろいろな推測をして捜されたのでしょうか。大変な労力だったでしょう。それを考えると久野さんのように感激せざるを得ないでしょう。
 先日ボクも不注意を犯しました。郵便局で間違えた漢字を書いて出してしまったのです。見つかったのは数日後、だいぶ人の手を経た後のようでした。書き直しの書類が送られてきて、返送しました。たった一字の漢字の違いで、大変な費用、労力を強いてしまいました。不注意のツケが自分に返ってくるなら仕方がないのですが、他人に返っていっては申し訳ないことです。人間は間違いを起こすもの、といっても不注意は避けられることです。避けねばなりません。
 久野さんも感謝すると共に、このことを人に伝え、お互い不注意をしないよう喚起されれば、信用金庫の努力はより生かされるでしょう。




2010/02/10(Wed) (第1240話) 運転手の配慮 寺さん MAIL 

 “昨年十一月、その日はあいにくの雨降りでした。私は病院の帰りに最寄りのバス停からバスに乗りました。
 「傘を差してからお降りください」。運転手さんが、下車する乗客一人一人に優しく声を掛けていました。私はいつも、もたもたすると悪い気がして、お金はすぐ出せるように握り締め、雨の日は下車後、ぬれながら傘を差します。だから運転手さんの気遣いに胸が熱くなりました。停留所では、けがをしないように「バスが止まってから席をお立ちください」。下車時には「ご協力ありがとうございました」とお礼を言われました。
 乗客を大切にする気持ちを言葉の端々からひしひしと伝わってきて、頭の下がる思いでした。もう一度、あの運転手さんに巡り合えたらうれしいなあ、と思っています。”(2月4日付け中日新聞)

 岐阜県関市の太田さん(女・81)の投稿文です。太田さんの嬉しかった気持ちはよく分かります。私なども後の人が気にかかり、できるだけスムーズに降りようとします。傘などもちろん降りてから差します。ここでこの運転手さんのような言葉をかけられたら、安心してさせます。運転手さんが言われるなら、ほとんど方は不満に思わないでしょう。関係ない人が言ったり、もたもたしているとどこから不満の声が飛んで来るか分かりません。難しい世の中です。
 世の中便利になり、いろいろなことがスピードアップしています。スピードアップした分、その分ゆったりすればいいのに、よりせっかちになっています。待つのに慣れないので、待つのが苦手になり、より待てなくなるのでしょう。人間というのは全くおかしなものです。今こそ理性を働かせたいものです。




2010/02/08(Mon) (第1239話) 人情の味 寺さん MAIL 

 “十年ほど前から、元日に名古屋市中区の大須観音でお参りして、門前のせんべい屋さんで土産を買うことにしています。昨年は体調不良で行けなかったのですが、ことしは二年ぶりに立ち寄りました。すると、おかみさんが私に「お客さん、去年は顔を見ませんでした。どうしやしたの」と言うのでびっくり。
 雑踏の中で年に一度、買い物をするだけで、話したことはありませんでした。事情を伝えて品物を受け取ると、買った覚えのないお菓子も入っていました。顔を上げると、おかみさんが「全快祝いに入れときました。これからもお元気で」。
 この心遣いが店の繁盛を支えているのでしょう。来年も元気に、こぼれるような笑みで独特の名古屋弁を話すおかみさんにお会いしたいと思います。”(1月28日付け中日新聞)

 愛知県半田市の金森さん(男・76)の投稿文です。おかみさんには金森さんに特に印象が残ったことがあったのであろうか。この文ではそれは分からないが、店の人の人覚えのいいことにはよく驚かせられる。仕事上大切なこととは分かるが、同じ人間とは思えないことがある。そして、この交流である。今回のことがあって、来年からはより深い交流になるであろう。心暖かくなる話である。
 また感心させられることに注文の品と代金のことがある。特に食堂で感心することが多い。昔行っていた店で、沢山の品があるのに伝票も持たず注文を受け、レジに行くといくらとはっきり言われる。昼食時などごったかえすような店である。心配になって後で勘定するとちゃんと合っている。職人技であろうか、人間訓練かと思わざるを得ない。こういう人を見るとボクは怠けた人生だったと思う。




2010/02/06(Sat) (第1238話) 誕生日の新聞 寺さん MAIL 

 “今年も各地で成人式が催された。多くの若人が、志も新たに大人社会への出発を誓う姿が、各メディアで報じられた。わが家の初孫は外孫だが、当地の小中学校で学んだ関係上、当地での成人式を希望。式前日から家族同伴でわが家を訪れた。
 その昔、本人誕生のおりに、同日付の本紙を本人の成人の日に贈ることを思いつき、保存しておいた。式前夜、質素な宴を催し、その場で彼に手渡すことができた。その際、親子ともども驚きの言葉と表情を見せた。思い返せば、この計画が実現できるのには、いろいろな条件が合致しなければ不可能であることも承知だった。その願いがかない、親子三代で喜び合い、大満足の一日であった。
 後日、その紙面に目を通し、感想などを話し合える機会が訪れてくれることを楽しみに待つこともできる。たった一部の新聞が、これほど貴重に思えたことはなかった。”(1月24日付け中日新聞)

 名古屋市の白井さん(男・77)の投稿文です。これは簡単にできそうでできない。子供が生まれる前に、そうしようと決めておかなければならない。そして、20年間保存しておかなければならない。20年間、温めていた記念品である。その思いを知るだけでも感激である。
 似たような話として、僕ら夫婦はある知人から結婚式に誕生日の新聞を贈ってもらった。今も保存してあり、この新聞を読んだ機会に取り出して見てみた。ボクは昭和20年9月生まれなので、戦争が終わったばかりである。進駐米軍だの軍票だの言葉が見える。そんな時代に生まれたのである。育てるのに大変だったろうと親を思う。今新聞社にこんなサービスがあるか知らないが、こんな贈り物もいいだろう。
 白井さんの話はいい話だ、実践してみようと思っても、多分ボクにはもうその機会はないだろう。いや、まだ期待してもいいだろうか。




2010/02/04(Thu) (第1237話) ケーキダイエット 寺さん MAIL 

 “職場まで車を使わず自転車で行くと1ポイント。エアコンをつけるのを一時間我慢すると0.5ポイント。一ヵ月、薬のお世話になることなく健康に過ごせたら2ポイント。50ポイントたまったら、自分にケーキをプレゼント。
 夏は、バスマットや網戸を水しぶきを上げながら洗って暑さを忘れる。冬は、物をあちこち動かして整理整頓。そのうち体がぽかぽかする。つねに腹八分目を心がけ、自転車通勤の時間を稼ぐのに早寝早起き。どれもこれも、大好きなケーキのためと思えば楽しくできた。おかげて、家の中はすっきり、体も引き締まってきた。
 でも、「大好きなケーキのおかげてダイエットできたのよ」と言っても、誰も信じてくれない。”(1月24日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の中学教諭・高橋さん(女・46)の「300文字小説」です。欲しいもののためにエコ生活に心がける、実に現代向きで面白い話である。小説だけにするのはもったいない、是非実践して欲しい。
 ダイエットほどおかしな話もないものだと思っているが、日本や先進国では大きな課題になっている。ダイエットは体に入れるエネルギーと体で使うエネルギーの差の問題である。使うエネルギーの方が大きければダイエットにつながる。この小説はそのことを示している。ケーキだけを聞く人は信じてくれない。前半が大切なのに、聞く人は都合の良い方だけを聞く。それがこの小説の面白さにもなっている。




2010/02/02(Tue) (第1236話) 蝶の飛ぶまち 寺さん MAIL 

 “T工務店は「名古屋 蝶の飛ぶまちプロジェクト」と銘打ち、さまざまな種類のチョウが名古屋市の都心部に飛来調するために必要な環境条件を把握するための調査を、四月から三カ年計画で始める。
 名古屋市で十月に開かれる生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)のパートナーシップ事業の一環。都市部に点在する緑地の間をチョウが移動する街をつくるためのデータを集める。名古屋市中心部でまとまった緑地があり、チョウが生息する名城公園と白川公園を南北、堀川と久屋大通を東西として約二キロ四方の区域を設定。区域内にあるビルの屋上や路面など十ヵ所に、ミカンやアザミなど二十種類の植物を植えたプランターを置き、両公園からチョウが移動しやすいようにする。
 チョウが飛び始める四月から繁殖が終わる十月までの間、チョウの専門家らが月二回、各個所を巡回。チョウの数や種類を比較し、両公園からの距離や周辺の街路樹の状態などが飛来に与える影響などを調べる。”(1月19日付け中日新聞)

 記事からです。この記事に出合う数日前、ボクの勤務するビルの1階南東角に大きなプランターが置かれているのに気づいた。植えられている植物も真新しく、つい最近置かれたものである。そして近寄ってみれば「名古屋 蝶の飛ぶまちプロジェクト」と書かれている。ビルの下であり、水やりなど管理が難しかろう、おかしなことが始まったものだと思った。
 そして、この記事に出合う。こんなプロジェクトの一環だったのだ。この記事が身近なものになった。ビルが建ち並び、車の往来が激しい名古屋のど真ん中に蝶など飛ぶのだろうか。1、2匹でもいい、群れをなしたら更にいい、そんな光景を想像するだけでも楽しい。良い結果が出ることを期待したい。
 ボクのビルの管理会社に問い合わせたら、場所の提供と水やりなどの管理を引き受けているという。協力費などの支給はないといわれるから、ボクのビルも街づくりに貢献していることになる。
 また、このプロジェクトに対していろいろな意見があるが、特段悪いことではないので、やれる人、やりたい人はやってみればいいと思う。何かの発見、発展はあると思う。



川柳&ウォーク