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第69号  2010年1月

2010/01/31(Sun) (第1235話) 光はいかが 寺さん MAIL 

 “「光をプレゼントします、って、どうだろう」シンジ(29)は思いつきを口にした。去年のクリスマス直前のことだった。
 愛知県一宮市に往むシンジは「国際理解」のNPO活動に携わり、大学生との付き合いも深い。イブの夜、そんな仲間と街頭で、不景気に沈むシニア世代を盛り上げようと考えた。温かいもの、明るいものをプレゼントできないか。考えついたのは、キャンドルだった。
 なんだかんだといわれながらも、大学生はノリがいい。丁寧にラッピングしたバースデーケーキ用のキャンドルを250本用意して、サンタクロースやクリスマスツリーの着ぐるみを身につけた二十代の8人が、名古屋駅前に繰り出した。対象は単身帰宅途中のサラリーマン。「メリークリスマス、光をどうぞ」と差し出すと、意外なことに、ほとんどの人が笑顔になって「ありがとう」と受け取った。「家内の分も」と、二本目を求める人もいた。
 年が明け、シンジは時々考える。「あのキャンドル、どこで、どんな明かりをともしてくれたのだろう」。そのたびに自分自身の新年が、少しずつ明るくなるような気分になる。(1月17日付け中日新聞)

 論説委員・飯尾歩さんの「世談」からです。いろいろなことを考える人がいるものだ。少しの真心がこもっていれば、誰ももらって悪い気はしない。この場合、多くの人は心の中にも小さな明かりがつくだろう。ロマンチックさもあっていい。こういう若い人が増えることを期待したい。少しでも社会に良いことを皆が少しづつでもしていけば、少しは社会も良くなる。ボクのいつもの口癖である。この話もその一つである。




2010/01/29(Fri) (第1234話) いつに戻りたい? 寺さん MAIL 

 “「タイムスリップできるとしたら、いつに戻りたいですか」。ドライブ中にカーラジオから聞こえてきたこの質問に「私なら・・・」と言いながら、頭の中は過去の記憶が駆け巡った。子ども時代、学生時代、嫁いでから・・・今となってはすべて良い思い出に。今こうして健康で楽しく過ごすことができているので「タイムスリップしたくな〜い!」と主人に言うと、思いもよらない言葉が返ってきた。「お世辞でも『新婚時代に戻りたいわ』ぐらい言ったらどう?」《しまった!》と思ったが、遅かった。新婚時代は、義父母とうまく同居できるかという不安があった。「侮いのない人生を、あなたのおかげで送ってこられたということよ」と言って、その話題は終わった。
 後日、友達に同じ質問をしてみたら、やはり「過去に戻りたいとは思わないわ。それより、十年後に行って主人とのんびり過ごしたい」。その夜、その友達から面白いメールが届いた。「同じ質問を主人にしたら、即『おまえに会う以前に戻りたい』ですって!」。主人と私は大爆笑。今回のことで、私はあらためて主人に大感謝。これからも健康で仲良くいこうネ、あなた。”(1月17日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・鈴木さん(56)の投稿文です。以前にも似たような話を書いたことがある。「いつに戻りたい」ということばをどのように理解するかによって、回答は違ってくる。戻った後がどのように展開するかは分からない。新婚時代に戻りたいとは、もう一度あのように甘い時代を過ごせると思っているか、それ以上に良い以後があると思うからであろう。でもそれは保証されていない。やり直せばもっと良い人生になるとは、大きな思いこみ、皮算用である。
 今現在がそれなりに恵まれていると思えば、そう簡単にいつに戻りたいは言えない。今現在はこれまでの人生があっての成果である。少なくともボクには言えない。問題は今後である。鈴木さんもこの問いから過去をふり返り、今あるありがたさを感謝されている。それでこそこの問いの意味があるのではなかろうか。遊びのような問いであるが、こんなことを考えるきっかけになった。




2010/01/27(Wed) (第1233話) 点字カレンダー 寺さん MAIL 

 “自作の点字カレンダーを全国の視覚障害者に送る愛知県豊橋市のボランティア団体「豊橋ともしび会」が、結成から50年目を迎えた。カレンダーには生活情報や月行事も記され、利用者から感謝の手紙や電話が寄せられる力作だ。事務局長の高柳迪恵さん(64)=同市内向山西町=は「体力が続く限り続けたい」と意気込んでいる。(中略)
 作業は高柳さんらが中心となり、60歳以上の会員10人が毎年7月から開始。点字を打ち込んだ亜鉛版に厚紙を一枚ずつ挟んでローラーに掛け、製本して10月末に仕上げる。
 2010年版は千部を作り、今月中に全国の特別支援学校や点字図書館の計140ヵ所と希望者に郵送する。点字郵便物の郵送料は免除されるが、材料費の6万円は寄付で賄っているという。”(1月14日付け中日新聞)

 「虹」という記事欄からです。50年間点字カレンダーを作り続ける、ボランティア団体が50年間続くのはすごい。ボクの夫婦も以前点字本を作っていただけにその苦労は知っている。会員が60歳以上と言われるから更に素晴らしい。この歳になると根気が続かず、目も見えにくくなり辞めていく頃である。世の中、助け助けられて成り立っている。一人一善、特に定年退職後の人は心がけたい所である。




2010/01/25(Mon) (第1232話) ハッピーニュースを読んで 寺さん MAIL 

 “心がポカポカするハッピーなニュースを読んで、自分の生き方を見つめよう−。岐阜県大垣市の興文小学校六年一組では、読んで心が温まる新聞記事を題材に道徳の授業を進めている。
 「きょうはこの記事を読んでみようか」。その日、担任の高橋孝彦教諭が取り上げたのは、元シンクロナイズドスイミングの選手、石黒由美子さんの記事。石黒さんは小学生の時、交通事故で顔面を五百四十針縫う大けがを負った。後遺症を抱えながら練習を重ね、北京五輪に出場。題材にしたのは、その当時の記事だ。記事を読んだ児童たちはまず三、四人に分かれて思ったことを話し合った。練いて全体対話へ。「人のためにシンクロをやっている」「前向きであきらめないところがすごい」。次々と意見が出た。(中略)
 高橋教諭が問い掛ける。「思ったこと、学んだことをノートに書いてみようか」「自分のことを考えると、人のために一生懸命になることはなかった。これからは相手のことも考えていきたい」。加藤健人君はそうつづった。
 今後の授業では、ハッピーなニュースを見童たち自身が探すことも検討している。「ハッピーニュースには、ある人物の簡単な歴史が書いてある。その頑張る姿は、児童たちが自分の生き方を見つめるきっかけになるのではないか」と高橋教諭は期待を寄せている。”(1月11日付け中日新聞)

 記事からです。この話はこの「話・話」に通じる話である。もう何度も書いたと思うが、良い環境は良い情操を醸し出す。良い話を聞くこと、読むことは良い環境であると思う。そう思ってボクはこの「話・話」を続けている。それだけにこの話は嬉しい。
 この取り組みは学校全体の話ではなく、高橋さんという一教諭の発想であろう。2010年1月5日で紹介した「(第1222話)一枚のはがき」も一教諭の発想であった。先生の生徒に与える影響は大きい。どんな先生に出会うかによって、人格は大きく違って来ると思う。それだけ先生の役割は大きい。ボクの娘婿は大丈夫だろうか。あのやる気と朗らかさなら間違いなかろうと信じている。




2010/01/23(Sat) (第1231話) 子の法要参列 寺さん MAIL 

 “檀家さんが年忌法要を営まれるとき、その家族に幼児がいると別の部屋に追いやられることが少なくない。しかし、たとえ年端のいかない子どもでも大人と一緒に参列されることを勧めている。物心のつかないような年ごろでも読経の声や木魚やかねの音、線香や抹香のにおい、ろうそくの炎、花瓶の花、神妙な大人たちの雰囲気、斎食の味など法要の臨場感を五感で体験できる貴重な機会だからである。三つ子の魂百までという。幼児期の経験が情操をはぐくみ人格形成の一端となるのではと思っている。
 檀家の方から聞いた話。孫が「おもちゃを買ってほしい」と言ったら「仏さんに聞いといで」と言う。すると仏壇の前に座って尋ねているという。別の家では幼い孫が木魚やかねをたたいて拝むまねをするという。年忌法要や仏壇の存在が子どもの先祖感を醸成し、自然と祖父母や両親を敬うようになっていくのではないでしょうか。”(1月11日付け中日新聞)

 滋賀県近江八幡市の僧侶・西沢さん(男・61)の投稿文です。小さな子供が長い時間、じっとおとなしくしていることは難しい。そこで「あっちへ行っておいで」となる。厳粛な場であり、周りの人をはばかっての親の対応である。やむをえぬ対応であろうが、許されるものなら西沢さんの言われるようにしたいものである。言われるように幼児期は大人が思う以上に凄い感受性がある。情操的なものは3歳までが大切とも聞いた。
 ボクも機会があれば積極的に孫にそういった場を与えている。昨年は義母の葬儀があった。住職さんが来るような機会があれば自宅に呼んで一緒に座らせている。質問があれば、できるだけキチンと答えるようにしている。周りのものとしては、少しでも良いと言われること、良いと思えることをしてやるのみである。




2010/01/21(Thu) (第1230話) 星から届いた年賀状 寺さん MAIL 

 “たくさんの年賀状に交じって、今年も薄茶色に変色した一枚の年賀状が、まばゆい空から届きました。十七年前から毎年届く年賀状です。もうにじんでいる万年筆の文字はにっこりほほ笑んでいるようで、じわっ〜と目に染みそうです。今年は国際宇宙ステーションの話を語っているように思われました。「幸せの種」を大きな袋に入れてかついで来てくれたようで、手の中でぬくもりを感じます。息遣いも聞こえてきて胸がきゅんとし、文字の中に顔を埋めてしまいます。
 二十年ほど前に父からもらった年賀状です。いつもはアルバムにしまっていますが、毎年大みそかの夜、家の郵便受けに入れておきます。「幼稚園に通っているお下げ髪が似合う茉優は春から年長組ですよ」。星から届いた年賀状とおしゃべりして私の新しい年が始まりました。「幸せの種をまいて根性で頑張ろう」。自然と活力がわいてきます。
 今年もピカピカいっぱいの年になりそうです。そして、変色した年賀状をまた、丁寧にアルバムに納めました。”(1月6日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・戸沢さん(66)の投稿文です。何を言われているのか、何度も読み返しました。20年ほど前といわれるから、戸沢さんが40半ばの頃のことになります。お父さんから年賀状が届いた。その感激を味わうために、その年賀状を自宅の郵便受けに入れる。全くいろいろな人があるものだ。いろいろな手法があるものだ。その人が幸せを感じ、また生きる力を得るために・・・・。前向きなことになるなら、いろいろあって良い。その人の知恵だ。
 しかし、何が書いてあったのだろう、これほどに大切にされる年賀状とは。何を書けばそうなるのだろう、不思議だ。




2010/01/19(Tue) (第1229話) あの世 寺さん MAIL 

 もう1話ニヤリとして頂きましょう。
 “ある老人ホームでの二人のお婆さんの会話。「あの世はどんな所なんじゃろう」
 「行ったことないんで、ようわからんが、いい所だと思うよ」 「なんでかね」
 「行った人がー人も帰って来んもの」”(1月9日付け中日新聞)

 ニヤリと笑って頂けたでしょうか。
 でもこの全文はそんなニヤリと笑って頂けるものではありません。金城学院大学長で淀川キリスト病院にホスピスを設立された柏木哲夫さんの「死生観を見つめて」と言う文の冒頭部分です。中略して最後の部分を紹介します。
 “アカデミー賞を獲った映画「おくりびと」の中に日本人の死のとらえ方、あの世観が見事に示された場面があった。銭湯を経営していたお母さん(吉行和子さん)を亡くした息子さん(杉本哲太さん)と、銭湯の常連客だった火葬場の職員(笹野高史さん)が火葬場の火葬炉の前で会話する場があった。職員は「門」という言葉で死を語った。「死というのは門だと思う。みんなこの門をくぐって向こうへいく。私は門番として、この門から沢山の人を向こうに送った。私もこの門から向こうに行く。そしたら、私が送った人と向こうで会えるだろう」。これは日本人の代表的な死生観だと思う。”

 柏木さんの文の中に「死後の世界はあるのか」と言う問いに、明確に否定したのは30%と出ていた。70%の人はあると思っているか、否定しきれずにいる。否定するより不安感がないからだろうか。この問題は難しい問題であり、誰も証拠を持って明確に答えられない問題である。でも、一人一人はそれなりの答えを持って生きていった方がいいのではなかろうか。
 残念ながらボクはあまり考えたことがない。考えたことがないというのは、どちらかというと否定的なのだろう。非常に打算的ではあるが、生きていくのに都合がいい考え方でいいと思っている。しかし、死と向き合ったとき、あわてるのであろうか。その時、もっとよく考えておけばよかったと悔やむのだろうか。




2010/01/17(Sun) (第1228話) 親子の会話4話 寺さん MAIL 

(その1)その通りだね    子・いわたまこ(5歳) 私・母
 (兄2人が大げんかしてます)
 私・・「もう!朝からけんかはやめてよ!」
 子・・「近所にまる聞こえだよ。お母さん」
     
(その2)食事前に     子・くのはるか(7歳)  私・母
 子・・「はし!」
 私・・「はしとってください、でしょ」
 子・・「ママはそんなこと言わなくてもわかるでしょ」
     
(その3)条件反射 子・はしもとゆうき(10歳)  私・母
 (寒くなったので)
 私・・「窓を閉めて」
 子・・「怒るの?」

(その4)そうじゃないよ 子・ かみやよしたか(10歳)
 (お父さんとの将棋に勝って)
 子・・「お父さん、もっと遊ぼう」
 父・・「・・・」
 子・・「返事がないなあ。すねたな」
 
 前回に続いて、楽しく読んでもらいましょう。1月1日付け中日新聞の「おたまじゃくし」という子供の楽しいつぶやきを紹介するコーナーからです。親がハッとしなければならない話を4話紹介しました。 子供のちょっとした言葉から、我が身の愚かさ、身勝手さを知らされる。子供は素直ですからね・・・勝てません。 子育て中の方には思い当たることばかりでしょう。こうして共に成長していけるのでしょう。こんな時代は大変でしょうが、でもそれを大切に、楽しんで頂きたいと思います。ボクは今孫で知らされている。




2010/01/15(Fri) (第1227話) 先見の明 寺さん MAIL 

 “仏教国のタイ。寺や僧をネタにした冗談や小話は多い。
 早朝、高齢の僧が目を覚ますと、寺の境内一面に枯れ葉が積もっていた。僧はクレという子どもの僧を呼び、徳を積むための修業として、掃除を命じた。しばらくして僧が寺に戻っても、枯れ葉は積もったまま。僧はクレを読んで尋ねた。
 僧 「クレよ、どうして境内を掃除しなかったんだ」
 クレ 「なぜ掃除をするのですか? またすぐに枯れ葉が落ちてくるのに」
 僧はこれを聞いて無言で立ち去った。一時間後、朝食の支度が調い、子どもの僧たちがお堂に集まった時、僧が大きな声で言った。
 僧 「クレを除いて皆、食べてよい」
 クレ 「僧侶様、食べないと腹がもちません」
 僧 「なぜ食べないといけないんだ? また昼には腹が減るだろうに」”(1月1日付け中日新聞)

 「世界のジョーク」という特集からタイのジョークです。中日新聞の元日版には毎年こんなページが特集されている。その中から教訓らしい1話を紹介しました。
 人間の生活は少しづつの変化はあるかもしれませんが、ほとんどが繰り返しです。毎日毎日、毎年毎年同じことを繰り返しています。それを嫌がったら生きていけません。主婦など特にそうでしょう。妻など見ていると感心してしまう。ジョークながら考えさせられる話だ。




2010/01/13(Wed) (第1226話) 全集読み返し 寺さん MAIL 

 “四十数年前、私の悩み多き学生時代、時には学校をサボってまで読みふけった文学全集をもう一度読み返すという以前からの夢を実現したいと思います。それは私の青春の足跡をたどってみるということでもあります。
 アンナカレーニナ、戦争と平和、チボー家の人々・・・、漱石、藤村、淳之介・・・。この数十年開いたこともない本箱の前で腕組みをして、よくぞこれほど読破したとうなるばかりです。そして取り出した一冊はかび臭く、旧仮名遣いなど懐かしさもこみ上げてきます。あのころのエネルギーはもうありませんが、今の私には時間ならあります。少し時間をかけてじっくりと読み返してみます。
 孤独であったあのころと違い、今は女房という長年の戦友がおりますので、読後の感想などをティータイムの話題にしながら読み進めるつもりです。”(1月1日付け中日新聞)

 「今年の夢」と言うテーマから愛知県春日市の加藤さん(男・68)の投稿文です。加藤さんは大変な読書家であったのですね、ボクなどここに紹介されているものなどほとんど読んだことがない。全集を読み返す、いい今年の夢だと思います。青春時代と感想はかなり違ったものになるのではないでしょうか。更にいいと思ったのは「今は女房という長年の戦友がおります」という言葉である。何事も話し合える夫婦なのでしょう。こんな話をしながら老後を過ごしていく、理想ですね。
 実はボクも年末から昔の本を読み直し始めたのです。それは山岡荘八の「徳川家康」です。30年ぶり位です。一宮友歩会で尾張地方を歩いていて、愛知の三英傑に係わる場所、話は良く出てくるのです。徳川家康を再度読むことによって理解が深まるのではないかと思いたっての挑戦です。全26巻を前回は1年4ヶ月位で読み終えたのですが、今回はどれ位かかるのでしょうか。今2巻目に入った所ですが、没頭し始めている。




2010/01/11(Mon) (第1225話) びわの花咲く 寺さん MAIL 

 “「あれっ、この香り」。家の近くを歩いていて、ふと顔を上げた。地味で、あまり目立たない色だが、びわの花が満開だ。周り一面、微風に香気を漂わせている。
 この下を通る時、今でも母の姿が目に浮かぶ。車いすを押しながら、よく散歩した道。母はすかさず俳句を詠むように「びわの花咲く年の暮れ」と口ずさむ。やや得意げな表情をして。初めて聞くという私に、昔、学校で習ったと答える。このように、明治生まれだが、博識な母には多くを学び、何度も感心させられた。
 晩年の母と過ごした四年間、私には一生涯忘れることのできない大変濃い人生だったと思う。月日のたつのは早い。私も最近は急速に、まるで下り坂を転がるように年をとっていく。青く澄んだ空に向かって、二度、三度と大きく深呼吸をする。香りの中で「前をよく見て歩けよ」と、懐かしい母の声がした。”(12月28日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の多田井さん(女・68)の投稿文です。数年前に枇杷の木を植えた。成長は早く、もうこんもりと繁った大きな木になった。今花がいっぱいである。初夏にはたくさんの実が食べられるだろう。
 多田井さんにはびわの花にお母さんとの思い出があった。そして「晩年の母と過ごした四年間、私には一生涯忘れることのできない大変濃い人生だった」といわれる。母親と娘というのはいくつになってもこんなものであろうか。
 先日、同年の女性と話をする機会があった。彼女は子供や孫にも恵まれ、趣味にも精を出し心豊かな生活をしている。その彼女が「後は娘のために少しでも長生きしたいだけです」いう。娘さんに問題があればその言葉も分かるが、キチンとした家庭を営んでいて問題があるとは思えない。その娘さんのために長生きしたいという、男のボクには理解しがたい。ボクの妻も「えらい、えらい」と言いながら娘の家庭のために何やかやと手助けしている。母親と娘というのはそんなものなのだろうか。いつまでも親離れ、子離れがしないと思うが、ある面羨ましくも思う。




2010/01/09(Sat) (第1224話) 善意の輪  寺さん MAIL 

 “道などでキャップが落ちているとき、誰かの命が落ちているようで・・・」ペットボトルのキャップ収集活動で世界の子どもたちの命を救うお手伝いをしている本校(西武芸小学校)児童の言葉です。
 本年度は全校で約十五万個ものキヤツプを地域の方や市内外の多くの皆さんに支えられ収集できました。集まったキャップを定期的にお届けくださる方、ご近所に声をかけていただいてキャップ収集の輪を広げてくださる方、わざわざ送付してくださる方などがあり、感謝の気持ちでいっぱいです。
 子ども達とその周りの「善意の第三者」とのかかわりが少なくなってきているといわれます。本校にかかわってくださる多くの名前も顔も知らない方々にキャツプを通して触れ合うことで、子どもたちは「自分たちに関心を寄せてくれるすてきな大人が社会にはたくさんいるのだ」との思いを抱いてくれています。こうした方々との出合いは、彼らが人生を豊かに開いていく上で決定的なアドバンテ−ジをもたらしてくれると信じています。キャップ集めという地道な取り組みですが世界の子どもの命を救うとともに、自らの生を輝くものにしてくれる「善意の輪」の中で子どもたちは幸せに育ってくれています。”(12月28日付け中日新聞)

 岐阜県山県市の小学校長・脇田さん(男・51)の投稿文です。エコキャップ活動から広がる善意の輪の話である。一人一人には大きな負担にならない活動だけに、広げる気になれば広がりやすい。この学校はそれをうまく活用され、大きな輪にされた。この輪は子ども達に大きないい影響を与えるのは確かである。社会は発展し、豊かになって子ども達を育てる環境はよくなるはずであるが、それがそうならないのが現実である。返って学校の先生方の苦労は増えている。それだけにこの善意の輪に校長先生は嬉しくて仕方がなく、書かずにはいられなかったのだと思う。
 ボクの会社もエコキャップ活動を始めて半年になる。淡々と進めてきた感じである。今年はこの善意の輪のように、少し広がりを見せていきたいと思っているが、果たして付いてきてくれるだろうか。




2010/01/07(Thu) (第1223話) 「○○せちあのつもりです」 寺さん MAIL 

 “実家の母が今年五月に他界し、長い間夫婦二人暮らしたった父は一人暮らしになってしまいました。
 近くに住む姉二人の家族が代わる代わる様子を見に行ってくれているのでとてもありがたいのですが、遠くに住む私も父に何かしてあげることはないかと思っていました。
 父は耳が遠いので、電話をしても話が通じず、会話になりません。そこで、はがきを出すことにしました。最初は近況を書いていましたが、そのうちに書くことがなくなってしまったため、庭になったミカンを描いたり、きれいな虹が出た日は色鉛筆で絵手紙を描いたりし始めました。自己流で、ものの十分もあればすぐに描けます。
 何回か続けて出しているうちに、父から返事が来ました。「絵手紙ありがとう」と書いてあり、はがきの真ん中には絵が描いてありました。そして「○○せちあのつもりです」と書き添えてありました。”(12月21日付け中日新聞)

 三重県菰野町の主婦・大西さん(53)の投稿文です。続いて手紙の話である。今度は父親から娘さんへである。これもままある話ではない。度々の娘さんからの手紙に、いつまでもなしのつぶてでは心苦しくなる。そこで自分も娘さんをまねて絵手紙となった。目の前に花を描くには描いたが、名前がうろ覚えである。そこで「○○せちあ」となったのである。「○○せちあ」は「ポインセチア」であろう。これで親子の交流で始まるのである。万々歳である。男とは息子でも父親でも何とも厄介なものである。ボクもその怖れ十分である。




2010/01/05(Tue) (第1222話) 一枚のはがき 寺さん MAIL 

 “郵便物の中に一枚のはがきが見えた。筆ペンでの手書きで豪快な書きっぷり。子どもが書いた字だとすぐに分かったので息子あてと思った時、左隅に書かれた次男の名前が目に留まった。表を見ると、あて名には夫と私の名前が。訳がわからなくなって、もう一度裏を返し、文に目を通してみた。
 「毎度毎度苦労かけますが、一人で食えるようになるまではお付き合いください」
 次男は中学三年の受験生で最後の追い込みの時期。親にはがきを出そうというこの提案は、この時期、デリケートになる親子をおもんぱかった学校の先生の粋な計らいであろうことは察しがついた。
 それにしても、最近はろくに話もしない照れ屋の息子がどんな顔をして書いたのか。この短い一文とその文字や行間に、心の中だけじゃなく彼の表情、気質までも見えてくる。笑ってしまった。いつになく大笑い。ひとしきり笑った後、息子のすべてが感じられるこの一枚のはがきが、たまらなくいとおしくなった。”(12月19日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の切東さん(女・46)の投稿文です。こういう計らいがあると、両親を確認する機会になる。少し冷静に考えてみれば両親には感謝することばかりである。しかしその機会もないと本当に疎遠なままになってしまう。息子の場合は特にそうだ。こういう照れくさい手紙は一度出すと、その手紙のことがいつも気にかかる。馬鹿なことができなくなる。これで両親も安心されるだろう。本当に粋な計らいである。こういう遊び心もたれる先生は頼もしい。




2010/01/03(Sun) (第1221話) 清掃の輪広がった 寺さん MAIL 

 “加藤安英さん(57)が勤める会社では、事務所のある名古屋市中区の伏見交差点近辺のごみ拾いをしている。職場の有志三十人ほどが定時よりも早く出勤して参加する。上司の命令でも会社の指示でもない。誰かれとなく始めたボランティアだ。このことを知った会社は、全員にそろいのスタジアムジャンパーを作っプレゼントしてくれたという。
 その参加者の一人が、近くのカフェに入ったときのこと。「この辺の清掃をしていましよね。見かけたことがありますよ」と言われた。聞けば、カフェの従業員達も以前から店の周辺の清掃活動をしているのだという。それがきっかけで、コーヒーを買いに行くたびに親しく話すようになった。
 ある日のこと、どちらからともなく「お互いの職場も近いことだし一緒にやりましょうか」という話になった。早速、都合の良い日にちを調整して合同で活動することになった。最初はニブロックだった範囲が三ブロックに広がった。知らない会社で働く者同士が清掃を通じて仲間になった。
 加藤さんは言う。「決して掃除が好きな人ばかりではないでしょう。でも、みんなでやると楽しくなります。きれいになると気持ちがいい」”(12月13日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。嬉しい情報である。伏見交差点はボクの会社でやっている清掃活動の範囲内である。こういう人たちがいることを知れば、ボクとしては動かざるを得ない。早速、新聞社に加藤さんの連絡先を問い合わせ、そして先日電話をした。近々会うことになっている。この先どうなるか、今回は記事の紹介にとどめ、後日の報告を楽しみにお待ちください。




2010/01/01(Fri) (第1220話) アフ還の勧め五ヶ条 寺さん MAIL 

 “高齢化が進む現代の日本において、アフ還(アフター還暦)の人たちが今後どのように生きていくかは、ますます日本の将来に与える影響が大きくなっています。アフ還の一人として、次の5ヵ条を心がけ、少しでも社会に貢献し、負担を軽減する生き方をしていきたいと思います。
 @今まで生きてこられたことに感謝する。世話になった親、子、友人、社会に 感謝しよう。A世の中に恩返しをする。仕事、親の介護、ボランティア、孫の世話。何でもいいから恩返しをしよう。B健康に生きる努力をする。スポーツ、散歩、趣味で健康の維持に努めよう。C明るい気持ちを持つ。愚痴を言わない。周りの人を和ませるような言動で、笑いをとろう。Dこの世を去る準備をしておく。残る人たちに迷惑がかからないよう、準備をしておこう。”(12月12日付け朝日新聞)

 愛知県一宮市の村橋さん(男・62)の投稿文です。新しい年が始まりました。最初の話題としてふさわしい内容と思って紹介します。
 「アフ還」などという言葉がはやっているのだろうか、ボクには初めて聞く言葉である。40歳前後の女性を指していうアラフォー(around 40 の略)からの発想であろうか。言葉の良し悪しは別にして、この五ヶ条はいずれも還暦後の人に必要なことです。
 感謝する気持ちが持てることはその人に幸せをもたらすことは最近よく言っていることです。健康に勤めることは高齢者の義務とも言えることです。この世を去る準備については、ボクもそろそろかからねばならぬとは思いながらもなかなか手が着きません。そのうちはもうない世代ですから、年も改まったことですし、ボクもこの五ヶ条に心がけてこの1年を過ごしていきたいと思います。



川柳&ウォーク