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第68号  2009年12月

2009/12/29(Tue) (第1219話) 改心の証し 寺さん MAIL 

 “「あなたのおかげて人生が変わりました。職が見つかり、子供も生まれました」
 米ニューヨーク州ロングアイランドのコンビニに、差出人不明の手紙が届いた。中には現金五十ドル(約四千四百円)も。米メディアの取材に店主のモハメッド・ソハリさん(四七)は「うちに押し入ろうとして失敗した男に間違いない」と改心ぶりを喜んでいる。
 強盗騒ぎがあったのは五月下旬。店にバットを持った男が押し入ったが、ソハリさんがすかさず護身用のライフル銃を取り出すと、男はひざまずいて両手を合わせ「ごめんなさい」と謝った。
 「金も仕事も何もない。家族を食べさせたかった」と許しを請う男に、パキスタン移民のソハリさんは同情。四十ドルとパンを与えた。感激してイスラム教への改宗を望んだ男に、宣誓の仕方を教えて逃がした。
 それから約半年後に届いたタイプ打ちの手紙。「銃を構えられ、百パーセント死ぬと思った」のに「お金をもらい、命を救ってくれた」と感謝の念がつづられていた。
 「すごいことだ。今や彼は仕事を持ち、家族も養って、善人になった」とうれしそう。「この経済危機の折、四十ドルが五十ドルになる投資なんてない。情けは人のためならず、だろ」と冗談めかした。”(12月12日付け中日新聞)

 「海外便り」という記事欄です。少し長くなりましたがほぼ全文を紹介しました。盗みに入った男を許し、しかもお金も渡す。「レ・ミゼラベル(ああ無情)」のような話が本当にあるのだ。そして許された男は改心し、努力してお金も貯め返却する。それも利子を付けて・・・モハメッドさんが嬉しくなるのは当然だ。いい投資だったと冗談も言いたくなるわけだ。
 しかし考えるに、このような扱いを受けた強盗さんは、単にお金に困って行った強盗なら改心せざるを得ないと思う。それで人間なのだ。人間知恵を出し、努力すれば必ず道は開ける。悪事や自殺は何とも避けたいものだ。
 こんないい話を紹介して今年最後の「話・話」とします。よい年をお迎えください。




2009/12/27(Sun) (第1218話) ごみを拾って犯罪防止 寺さん MAIL 

 “三重県松阪市から引っ越しして半年がたった。以前から何か地域のお役に立ちたいと考えており、街頭掃除を思いつき、ほぼ、毎朝行っている。ほうきとちりとり、そして軍手で、最寄りの地下鉄本山駅から東山公園駅に向かって、路上のごみを集めている。たばこの吸い殼、ペツトボトル、菓子袋、落ち葉など、目に付いたものを袋におさめていく。やがて額にはうっすらと汗がにじみ、爽快な気分になる。
 街頭掃除を始めた理由がもう一つある。以前、テレビでリポーターの仕事をしている女性の言葉が印象的だった。長年にわたり殺人や強盗事件が起こる家を取材していると共通点があるという。それは、家庭内の掃除が行き届いていないことらしい。物も乱雑に置かれ、だらしなさが目立つとか。道路も同じである。人の心は環境に順応ずるといわれている。道路が汚いと、犯罪が増える要因となるかもしれない。犯罪防止の一翼を担うためにも街頭掃除を続けていきたい。”(12月12日付け朝日新聞)

 名古屋市の団体職員・井川さん(男・49)の投稿文です。移り住んでまだ落ち着かない半年で、このような行動に出られた井川さんにまず敬意を表する。半年で地域に役立ちたいという気持ちをまず持たれたことが素晴らしい。そして、ゴミ拾いがいいだろうと思いつかれても、まず回りの状況を知らなければ安心して行えない。半年ではまず無理だ。そして、定年退職後ならまだしも、49歳の男性でお勤めの身ながら毎日の活動である。それも箒とちりとりを持ってである。ボクには感心するばかりである。
 そしてこの文でもう一つ気になったのは「道路が汚いと犯罪が増える」ということである。「家庭内の掃除が行き届いていないと犯罪にあうことが多い」というリポーターからの発言からの発想であるようだが、ありうることかと思う。回りを綺麗にしていれば悪も近づきにくい、どんなことにも言えそうである。身の回りを綺麗にすることは悪が近寄ろうが、寄らまいが、綺麗にするに越したことはない。心したい。




2009/12/25(Fri) (第1217話) 35年間の給料袋 寺さん MAIL 

 “母がまだ元気でわが家に遊びに来た時、テレビを見ていて「偉い人がいるね。ご主人の給料袋をみんなとってあるそうだよ」と感心していました。「私もとってあるよ」と言うとびっくりして、お褒めの言葉をもらいました。
 主人は四十二年間の仕事を終えて既に退職しましたが、結婚して三十五年間、私は給料袋を一年ずつ帯封をして保存してきました。全部で三十五束。ただ捨てられなかったというだけで褒めてもらうほどのことではありませんが、今では私の大切な宝物です。そして、ただの一度も封を切らずに手渡してくれた主人に本当に頭が下がります。(中略)
 二人の子どもは既に結婚して家を巣立って行きました。給料袋の中身もどこかへ巣立って行ってしまいましたが、三十五束の給料袋には、私たち家族の歴史が今もいっぱい詰まっている気がします。これからも大切にして、時々は箱の中をのぞいてみようと思っています。”(12月12日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・斉藤さん(63)の投稿文です。給料は宝物ですが、その袋といっても中味を抜けばただの袋です。そんなものが宝物になるのでしょうか。それが長年保存すれば宝物になるのです。長年保存すれば人生の経過が分かり、思い出も保存されているでしょう。アルバムと同じです。そして、それには感謝の気持ちが必要でしょう。いいご夫婦であったと思う。
 給料も現金で渡されていた時代から明細表だけ渡される時代になりました。袋もなくなりました。今のボクの会社など明細表もありません。インターネットで見てくれというのです。妻など給料日がいつかも知らないし、意識もしていないでしょう。お金がなくなると「降ろしてきて」と言うだけです。現金で渡していた時代は「ありがとうございます、ご苦労様でした」という言葉が聞けました。斉藤さんのような宝物は作りたくてもできない時代になりました。便利になりましたが、失ったものは大きい気がします。特に外で働く父親の権威が落ちました。これが家庭に及ぼした影響は大きいでしょう。今更いってもただの愚痴でしょうが・・・・。




2009/12/23(Wed) (第1216話) 手作り句集 寺さん MAIL 

 “「贈り物がある」。名古屋市緑区の川瀬雄也さん(77)のもとに、子供を連れて顔を出した長男の敏也さん(45)が切り出した。「子、孫一同から感謝を込めて」。そう言って渡されたのは二十冊の冊子。「雄泉」の号で川柳を作り続けてきた川瀬さんと、妻美枝子さん(75)の句を集めた句集だった。
 二人は、今年で結婚五十年。そのお祝いにと、子や孫が新聞や句誌に載ったものなどから七十二句を選び、手作りしてくれた。ページを繰ると、孫が描いた夫妻の似顔絵も。「句集を出す夢を思いがけない形でかなえてくれた」。思わぬサプライズに、川瀬さんの目から感激の涙があふれだした。もう一つの感慨もあった。昨春、脳出血に襲われ、病を乗り越えての喜寿、そして金婚式だったからだ。(後略)”(12月11日付け中日新聞)

 「虹」という記事欄からです。こんなサプライズに、当人は涙無くして受け取れようか。子供さんや孫さんは、川瀬さんご夫婦が長年川柳に打ち込まれてきた姿を見てきて、金婚式にふさわしい贈り物と思いつかれたのであろう。よく思いついて頂いたとボクも嬉しくなってくる。
 僕たち夫婦も川瀬さんと全く同じ状況にある。長年夫婦で川柳をやって来た、子供も孫もいる。後は十年程先の金婚式を待つだけである。僕たち夫婦にこのサプライズは来るか・・・・楽しみに待つことにしよう。




2009/12/20(Sun) (第1215話) 郵便のたびに「ありがとう」 寺さん MAIL 

 “郵便屋さんがわが家の郵便受けに手紙を入れるとコトンと音がし「ありがとう」という小さな声がしました。初めは誰かと話をしているのだと思って気にもとめませんでした。しかし、その後も郵便物を入れるたびに郵便屋さんの「ありがとう」という声が聞こえました。ある日、郵便屋さんと顔を合わせる機会がありました。私はいつも「ありがとう」というのはなぜですかと尋ねてみました。
 郵便屋さんはまだ若いのに「私は毎日郵便物を配達させていただくことで仕事をすることができます。本当にありがたいことです」と言いました。以前、この郵便屋さんに飼い犬がほえたので、私が「ごめんなさい」と言ったら、「いいえ、犬はほえるのが仕事ですから」と笑いながら立ち去ったことを思い出しました。こんな素晴らしい郵便屋さんがいることに心が温まる思いがします。”(12月7日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の大森さん(男・74)の投稿文です。この文を読んだとき、誰が誰にありがとうといっているのか、疑った。郵便を受け取った人が郵便屋さんに「ありがとう」という姿は普通であるし、ボクも言う。しかし、郵便屋さんが郵便受けに向かって「ありがとう」という姿はまずあり得ない。それも誰も聞こえない所で・・・・。感謝の気持ちの大切なことは一昨日も話題にした所であるが、こんな所まで感謝の気持ちを現しているなんて、信じがたい。確かに今の時代、仕事を持つことができるのはそれだけでもありがたいかも知れない、しかしそれでも信じがたい。1日に何度ありがとうを言うのだろう。人は様々とは分かっているが、本当に様々だ。




2009/12/18(Fri) (第1214話) ケチな男 寺さん MAIL 

 “忘年会で、隣の男がおじさんにグチを言い出した。相当に酔っている。
 「なあ、おい。六千円の会費は高くねえか。しかも、女が四千円てのはおかしいだろ」
 「まあ、飲み放題だし、女性はそんなに飲まないからな。それに料理だって豪華だ。六千円は高くはない、妥当だろ。いやむしろ安いくらいだ」
 「けっ!おまえは金持ちだからな。おれら貧乏人には高すぎる。せめて女と同じにしなきゃ不公平だ」
 おじさんはうんざりしていた。
 「高いと思ったんなら、来なければよかったろう。会費は連絡費とか印刷費とか、ここの支払いだけの金額じゃないんだよ。もし、そんなに不満なのだったら、あんたが世話人になって、一人四千円で会場決定から案内まで、やりたいようにやったらどうだ」
 吐き捨てるように彼は応じた。「だれがそんな面倒なことをするか!」”(12月6日付け中日新聞)

 飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。この「話・話」で紹介するような話ではないかもしれないが、心しておきたい話しと思って取り上げた。世話する方の苦労や配慮も忘れて、自分の都合で不満を言うことはつい犯しがちな犯罪である。その不満や愚痴がどれほど世話する人を悩まし惑わすかも忘れてはいけない。世話をする役をするとその苦労が分かってくるから、そんなに不満に思うことも少なくなる。そこで輪番制にできるものはその方がいいだろうが、実はこれはなかなか難しい。たいがい誰かのところで途切れて、その会は終わるのである。いくつもこの体験をして、ボクは継続して幹事を引き受けているものがいくつもある。今、来年1月に小学校の同窓会を進めている。悩むときもあるが、できるのは幸せと思うことにしている。
 この「話・話」を続けてきて、人の幸せとは「感謝する気持ちが持てること」が一番という気がしている。こうした忘年会など、出席できる幸せと幹事さんに感謝する気持ちを忘れないようにしたいものだ。感謝の気持ちは自分で作るものだ。それがその人の為である。




2009/12/16(Wed) (第1213話) 舞台にかける青春 寺さん MAIL 

 “小学校四年生の時に見た「ピーターパン」。今でもその光景が鮮明によみがえる。中学校では、先生、先輩・仲問たちに恵まれ、三年間、テーマ劇を作り上げた。そして、高校一年生になった今、私は演劇部に所属し、部長を務めている。
 高校生になると「・・・がしたい!」という思いが、「実行してみよう!」という思いに変わった。「ミュージカルがしたい」。高校や、大人・子どもという枠にとらわれず、みんなで作り上げる舞台・・・それが理想だ。より多くの人に見てもらい、心に何か感じるものを残したい。
 地元の施設を回った結果、ウィズ豊川でボランティア団体として登録をすることでまとまった。今、ボランティア団体でも活動しているところは減っている傾向にあり、逆にボランティアを求めている団体、受け入れてくれる団体は多くあるらしい。
 高校生は、自分のやりたいことが実現できる年代だと思う。今回、実現させようと行動していく上で、たくさんの人たちに出会い、いろんな人に支えられて生きていることを実感した。そんな方々への感謝を決して忘れることなく、今この時を大切にし、青春をかけぬけたい!”(12月2日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の高校生・牛田さん(女・15)の投稿文です。こういう行動的な高校生がいることに安心した。1年生で部長まで務められている人であるので、やはり特別な存在であろうか。「高校生は、自分のやりたいことが実現できる年代だと思う」という考え方もいい。やりたいことができる年代とは、高校生に限らない。いや、高校生は他の世代に比べてしにくい世代かも知れない。できない理由などどんな世代も、どんなときでもつけられる。する気があるか無いかだけである。いつも今が実現できる年代だと思って過ごしたいものだ。僕らなどもう今しかない「今が本番、そのうちはもうない」。これは真実だ。




2009/12/14(Mon) (第1212話) 200回目の献血 寺さん MAIL 

 “先日、200回目の献血をした。献血は私にとって生活習慣の一部であり、ひそかな楽しみでもある。「愛の献血」とか、ボランティアなどという気負いはない。こういうと不謹慎とのそしりを受けるかもしれないが、自分では「趣味の献血」だと思っている。
 200回目の献血の前には、200回目の血圧と血液検査にも合格した。岐阜で400cc、翌日に愛知で400cc採血したこともあるが、平気だった。もっとも、今ではシステム上、不可能ということである。針を刺すのも透析患者の苦痛を思えば問題ではない。皆さんも自分自身のため、献血をされてはどうか。
 関係者にお願いしたい。代償を求めるための献血ではないが、以前のように図書カードなど配られると献血者はきっと増えると思う。プレゼントにもできるのだから。”(11月28日付け中日新聞)

 岐阜市瑞浪市の後藤さん(男・62)の投稿文です。ボクも以前は献血に一生懸命協力していたので、その世界がどうなっているか理解していたが、ある薬を飲んだことによって献血できなくなってから縁遠くなってしまった。
 献血の制度もどんどん変わってきた。その昔は預血という制度で、献血して預けて置いたものを必要になったときに使うというものだった。輸血を受けたら献血した人に頼んでその本数を集めたものである。ボクが盛んに献血をするようになったのは、献血しておいたものを親戚の人にあげたのがきっかけである。その後成分献血ができ、成分献血1回は普通の200cc献血3回分に数えてくれた。ボクは成分献血に努めたので結局200回近くまで行った。表彰制度もあり、150回表彰も受けた。しかし、何の説明もなくある薬を飲んだことによって献血ができなくなったことを知ったときは寂しかった。
 もう長いこと血液が足らない状況が続いているようだ。過去に制度を変えたことによって途端に血液が集まらなくなった状況があったが、ボクには理念、理想が先行し、現実を無視した気がした。後藤さんが言われるように「代償を求めるための献血ではないが、以前のように図書カードなど配られると献血者はきっと増えると思う」に頷くものがある。




2009/12/12(Sat) (第1211話) 看病できる幸せ 寺さん MAIL 

 “脳梗塞で入院中の父のもとへ通っていたときのことです。歯科衛生士さんが口腔ケアに来てくれました。その方のお父さまも以前、脳梗塞で入院されたそうです。朝晩お世話されましたが三ヶ月後に亡くなったそうです。
 その方は「父としっかりふれ合えた三ヵ月間は至福の時でした。もし父が寝込まなかったら、私は手を握ることも、背中をさすることもなかったと思う。貴重な日々でした」と話されました。そして、涙を浮かべて私の父のほおを両手で包みながら「こうしていると父とふれ合っているようで、とてもうれしいんです」と。
 ありがたさと感動で涙が止まりませんでした。看病をしてあげるのではなく、看病できる幸せを感じなければと勉強になりました。すてきな出会いがあったその十日後、父は息をひき取りました。”(11月26日付け中日新聞)

 長野県松川町の看護師・小沢さん(女・47)の投稿文です。今年は妻の母が8月に85歳で亡くなった。母は施設に入っていたが、亡くなる前3ヶ月ほどの間、妻はほぼ毎日施設に通い食事の世話をしていた。そして、喪中の葉書を出した。妻はその中に「母の介護をしている時間は至福の時でした」と書いていた。母とのゆったりとした静かな時間だったのであろう。ボクはそんな気持ちだったのかと初めて知った。小沢さんの文の歯科衛生士さんと全く同じである。こう言うのを看病できる幸せというのか、いろいろな幸せがあるものである。
 ボクにはもうボクも分からなくなった母が施設に入っている。なぜかボクはそんな気がなかなか起こらない。妻に任せっきりである。後悔することになるだろうか。




2009/12/10(Thu) (第1210話) 児童文学全集 寺さん MAIL 

 “私が小学二年生の時に、少年少女文字全集五十六巻の第一回の配本があった。その『小公子』は約三百ページの分厚い本だった。当時の私には読めない漢字が多く、そのたびに「何て読むの」と親に尋ねた。困った親は、私に漢和辞典と国語辞典を買ってくれた。
 月一回の配本はとても楽しみで、『小公女』『アラビアン・ナイト』『ガリバー旅行記』『十五少年漂流記』など、今でもその本の装丁まで思い出せる。その全集は親類に譲り、皆に読まれた。私の子どもが小学生になったころにその全集が手元に戻ってきた。私には宝箱だったが、娘も息子も黄ばんだ本に興味を示さなかった。図書館にも同じ全集があったので、断腸の思いで処分した。
 私には小学生の時に五十六巻を読んだという達成感がある。今またそれらの児童書を読んで、あのころのわくわくした感動を再び、と思う秋の夜長です。”(11月25日付け中日新聞)

 愛知県日進市の主婦・長尾さん(56)の投稿文です。小学2年生から54巻もの文学全集を読まれたとは本当に本好きだったのでしょう。そして、全巻を読まれた達成感がその後の人生にも大きな影響があったでしょう。子供の頃の思い出は強く残るものです。いい思い出が残るように回りの人は配慮したいものです。
 長尾さんの家庭とよく似た話で、2009年9月10日の「(第1167話)ピアノを孫に」で、わが家の娘が読んだ本が孫に渡った話を紹介しましたが、今、孫との中で面白いことが始まっています。小学3年の孫が朝日新聞出版の「週間・マンガ日本史」という雑誌を取りたいので、協力してくれと言ってきた。1冊490円ですので、ボクと妻と、父親、母親、そして、本人の5人が100円ずつ出し合うことになりました。自分が読み終わるとボクの家に持ってきて、200円持って行く。そして、ボクと妻が読んで返す。50巻ありますからこんな生活が2年位続きそうです。孫につられて歴史の勉強のやり直しです。こう言うのを牛に引かれて善光寺参りというのでしょう。そしてこの本はどこまで受け継がれていくのでしょうか。




2009/12/08(Tue) (第1209話) 休日の朝 寺さん MAIL 

 “休日の朝、少し遅めの時間に目がさめた。窓を開けたら一面に広がる青い空、雲一つない快晴だ。「なんて気持ちのいい朝なんだ」背伸びをしていたら妻の声がした。
 「ねぇ、少しお出掛けしない?」デートの誘いだ。珍しい。「いいよ」と少し気分良く返事をした。二人で車に乗り込み走らせた。
 行き先は近所のスーパー。着くなりカゴと二千円を持たされた。「洗剤とカップラーメンを買ってきて」お一人様個数限定の特売だ。
 「なんだ、そういう事か」と思いつつ注文品をカゴに入れ、レジに並んだ。周りを見渡したら洗剤とカップラーメンを持ったお父さんたちが並んでいた。”(11月22日付け中日新聞)

 「300文字小説」から名古屋市の会社員・野瀬さん(男・47)の作品です。スーパなどほとんど行ったことのないボクには少し分からないが、妻からの話によれば、よくある風景のようだ。特に退職後、余暇の多くなった男性にはスーパーへの送迎が仕事の人も多いようだ。これで夫婦の会話も図られ、平和ないい風景と言ってよかろう。しかし、これの度が過ぎると濡れ落ち葉とか粗大ゴミといわれ、迷惑がられるようになるので要注意である。
 この話の場合はまだ若い人のようだし、デート気分なのだろう。まさに快い休日の朝を感じる小説である。




2009/12/06(Sun) (第1208話) 親ばかですが 寺さん MAIL 

 “名古屋市緑区の村山佳代さん(51)が、高校三年生の息子さんと出掛けた帰り道の話。名古屋駅からJRに乗った。夜遅い時聞だったので、ほとんど乗客はいない。ドアが開いて乗り込み、席に座ろうとすると、息子さんは少し離れた所へ歩いていってしまった。「やっぱり年ごろの男の子は母親と一緒に座るのは嫌なんだなあ」と、ちょっと寂しい思いがした。
 ところが、息子さんは誰もいない席に置いてあった空のジュースのペットボトルを手にして戻って来た。それを見て思わず「やだー、誰が飲んだか分からないような物を触らないでよ」と言うと「ごみだろ、こんなところにほかって」と答えた。村山さんは自分の言葉に恥ずかしくなってしまった。
 息子さんは駅に着くとホームのごみ箱に捨てた。「ごめんね、嫌な言い方をして。それにしても偉いなあ」と言うと「別に当たり前じゃん」と言う。そういえば・・・。部活の合宿の帰りに学校へ迎えに行った時のことを思い出した。会うなり 「あ、これ、ごみが人っているから」とスーパーのレジ袋を渡された。自分が食べた後のごみかと思ったら、バスの車内に置き去りにされた菓子の空き箱やペットボトルを最後に集めて来たのだという。
 「あなたは偉い」と褒めたという。村山さんは「親ばかですが誇りに思います。それに引き換え、まだまだ修行の足りない母親です。このように子どもに教えられることがしばしば。人は死ぬまで勉強です」とおっしゃった。”(11月22日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。少し長くなりましたが、全文を紹介しました。まったく見事な息子さんだ。こうした行為も素直な小学生位ならまだ頷けるが、高校生ともなると猜疑心も強く難しい気がします。村山さんは全く表彰ものです。親の村山さんから学ばれた行為でもないようだし、何からこのような行為をするようになったのか、聞いてみたい。
 こんな息子を誉めるのを親ばかというのだろうか。親ばかとはしなくてもいいような世話をしたり、自慢することでもない子供のことを自慢する親のことであろう。村山さんは大いに誇ればいいと思う。そして、子供から学ぼうとされる村山さんもなかなかいい。親の威厳とばかりに、子供には素直になりにくいものだが、人間対人間の対応になっている。やはりこの親にしてこの子ありであろうか。




2009/12/04(Fri) (第1207話) 「名チャリ」実験 寺さん MAIL 

 “放置自転車を再生させ、名古屋市民の共有移動手段にしようと始まった「名チャリ」実験活動の出足が好調のようだ。私は個人的に市内を自転車で移動する機会が多いが、かなりの場所で黄色い服を着た職員のいるステーションを目にする。
 新聞報道によると予想を上回る人が登録をし、自転車不足のステーションも出ているようだ。個人的にはこの活動に賛成であり、今後、継続的に発展させてほしいと思っている。そのためにはこの実験期間に不足している自転車数や、人気のあるステーションとそうでないステーションの仕分け、追加すべき場所などを見極める必要がある。そして運営に必要な諸経費をまかなえる体質づくりを名古屋市がバックアップすることが必要であろう。
 自転車利用を通した環境改善活動を全国にアピールできるように「名チャリ」関係者にエールを送りたい。”(11月17日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・日吉さん(男・39)の投稿文です。この社会実験は10月20日から12月18日までの60日間、名古屋市の都心部(名駅地区〜栄地区)に30カ所のステーションを設置し、300台の自転車を無料貸し出ししているものである。これはコミュニティサイクルと言い、複数かつ高密度に設置されている専用の駐輪場(ステーション)間であれば、いつでもどこでも自転車を貸りたり、返したりできる自転車共有システムです。従来のレンタサイクルと異なるのは、借りた自転車はステーションにしか置けないと言うことです。短時間・短距離の移動を目的とした新しい交通手段として、近年、パリやバルセロナなど、ヨーロッパの多くの都市で導入され、大きな話題となっているそうです。
 実は、このステーションがボクの会社の前に設置されていて、ボクに利用してくれと言わんばかりです。そこで、今まで歩いたり地下鉄に乗っていたものをこの自転車で移動しています。短距離なら地下鉄を乗り降りして移動しているよりよほど早い。でも、車から自転車に転換されるならそのメリットもよく分かるが、地下鉄や歩きから転換されてもそのメリットはよく分からない。でもいろいろなことが実験されるのはよかろう。この実験からどのようなことが分かるのか、報告を楽しみにしたい。




2009/12/02(Wed) (第1206話) 待ち遠しい冬 寺さん MAIL 

 “冬が好き。あなたが蜜柑の皮を剥いてくれるから。あなたが紅茶を注いでくれるから。あなたが水炊きを作ってくれるから。
 冬が好き。背の高いあなたが背中を丸くするから。子供みたいに氷柱を折るから。鼻と耳が赤くなるから。
 冬が好き。普段はいやがるあなたが、手を繋いでくれるから。腕を組ませてくれるから。
 冬が好き。強がりで寒がりなあなたが、冬になると少しだけ弱々しくなるから。
 「何にやけてんだよ、気持ち悪いな」「ふふっ」
 そう言うあなたは、凍った道路に足を滑らせながら、私の腕にしっかりとしがみついている。あなたの体温に私の温度が重ねられていく。
 冬の間だけは寒さに強いわたしが主導権。恩に着ます感謝します、冬将軍様々。”(11月15日付け中日新聞)

 「300文字小説」から札幌市の主婦・斉藤さん(34)の作品です。何とメルヘンチックな小説でしょうか。こういう文が書ける斉藤さんが羨ましい。そして、これが事実なら更に羨ましい。そして多分事実でしょう。こういう文が書けるのは年代でしょうか。そうならその年代が羨ましい。
 いや、年代には関係ないでしょう、人の問題でしょう。最近はかなりの年配夫婦が手をつないだり、腕を組んだ姿をよく見るようになった。いい傾向だと思う。我が夫婦に起こりうるとすれば、それはどちらかの足がおぼつかなくなった時であろうか。


川柳&ウォーク