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第67号  2009年11月

2009/11/30(Mon) (第1205話) 毎朝の習慣 寺さん MAIL 

 “母は朝食の支度をしながらラジオを聞くのが習慣で、六時半になればラジオ体操が聞こえてくる。私もそれが聞こえてくると「起きる時間」だと体が覚えていた。
 七時の時報が流れる前に身支度をし、七時のニュースとともに家族がそろい、お互いの顔を見ながら朝食をとっていた。ラジオが時間配分をしてくれているようで、忙しいながらも穏やかで充実した朝を過ごしていたように思う。
 結婚し家を出てからすっかりそのことを忘れていたが、ふと思い出しラジオをつけてみた。それまでは時計をにらみながらバタバタしていたが、その日から不思議とスムーズに動けるようになり心にも余裕が出てきた。どうやら体はこの習慣を忘れていないようだ。
 久しぶりに実家へ帰ると、結婚前と同じように朝はやはりラジオ体操が聞こえてくる。小さいころからこの習慣をつけてくれた母に私は感謝する。”(11月15日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・小栗さん(26)の投稿文です。小栗さんのようにラジオ放送を時計代わりに、時間配分している家庭は多いのではないでしょうか。時計だとその場にいて見なければならないが、ラジオだとある程度の場所で聞くことができる。便利な訳である。テレビやインターネットがなくなっても、ラジオはなくならない気がする。
 わが家も全く同じである。朝5時半にラジオが鳴るようにセットされている。私はそれを聞いて起きることにしているが・・・でも、ほとんどは鳴る前に起きてしまうが。その他も同じである。
 小栗さんの文で私が注文をつけたいことは、ラジオ体操は聞くものでなく、するものだと言うことです。ボクがこのラジオ放送に合わせてラジオ体操をするようになってまだ1年半位ですので、あまり大きなことは言えませんが、でも聞くものではなくするものです。ボクはこの体操の効用を半年ばかりで実感しました。すでにこの「話・話」で書いたことですが、それまで秋口になると毎年肩の痛さに閉口していたが、昨年は全く感じませんでしたし、今年も感じていません。ラジオ体操は肩を良く動かしますから当然の気がします。それと、ボクは冬になると足が冷えて靴下を履いて寝ることも度々でしたが、昨年の冬は全くありませんでした。これはラジオ体操の効果とすぐには頷けませんが、ラジオ体操を始めた昨年からですから、因果関係がある気もします。今年の冬がどうなるか楽しみです。




2009/11/28(Sat) (第1204話) 両家の親に毎月手紙 寺さん MAIL 

 “夫と私は長野県の同郷で同い年だ。すでに上京していた夫に、郷里から嫁いで41年になるが、結婚した時に仲人さんから言われてずっと続けていることが一つある。
 それは、毎月、両方の両親に近況報告の便りをすることだ。仲人さんは「田舎を遠く離れるのだから」と言っていたが、ご自身が実際にやっていたとのことだった。私も便りをすることを決め、子どもの成長から孫の成長へと、内容を変えながら定期便を続けてきた。
 父、義父とも随分前に亡くなり、その後、毎月の便りを楽しみにしていた母も7年前に他界した。9人の子育てをした義母だけが101歳の今も、ひ孫ややしゃごに囲まれて健在だ。仲人さんのアドバイスで親孝行出来たことを感謝しつつ、義母の健康を祈りながら、今も毎月、手紙をしたためている。”(11月12日付け読売新聞)

 千葉県松戸市のパート・久保田さん(女・63)の投稿文です。仲人さんの助言に従って41年間も続けられるとは「話・話」にふさわしい話です。親に手紙を書くというのはしにくい行為です。それも毎月です。まさに称賛すべき行為です。ボクなど一度でも書いたろうか。
 親にとって子供はいくつになっても気がかりなものです。遠く離れていればより気がかりになります。これでご両親も心安らかに過ごされたことでしょう。共に悩まれたこともあったでしょう。それはそれでまた親子の絆です。
 一言が人の一生に大きく作用する、その見本のような話です。忠言は毎日のように耳に入ります。我々はそれを自分のことと受け取らず聞き流している。いい話だけで終わる。ようは聞き手の問題です。100の内一つ位は受け入れたいものです。




2009/11/26(Thu) (第1203話) 返事べっぴん 寺さん MAIL 

 “時々、病院などで名前を呼ばれても返事をしない人を見掛けます。「何で、ハイッ!と言えないの?」と思いながら、30年近く前のことを思い出します。
 当時、小学1年だった娘が宿題の音読をするのを家事の合間に聞いていました。確か「パン屋のシロちゃん」という話で、「シロちゃんは返事べっぴんだね」と褒められる場面がありました。「返事べっぴん」。なんていい言葉なんだろう、と印象深く心に残りました。娘と「私たちも返事べっぴんになろうね」と話し合った記憶があります。
 それ以来、「ハイッ!」と言う返事は、出来ているのではないかと思います。誰も言ってはくれませんが、私自身は「べっぴんさん」だと思っています。
 世知辛い時代になっています。「返事」だけでなく「あいさつ」や「笑声」、「優しさ」、あるいは「思いやり」など、いろいろな「べっぴんさん」が増え、世の中が明るくなるといいな、と思っています。”(11月10日付け朝日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・三井さん(61)の投稿文です。返事は子供のものと思っているのか、呼ばれて返事をしない大人は多い気がします。返事は呼んだ人に存在を早く知らせるためのものです。大人も子供も関係ありません。ボクはそんな中でわざと大きな声で返事するときもありますが、いつもかと言われると確たる自信はありません。その点、三井さんは娘さんと約束され、その意識があるから、確かに実行されている自信があるのでしょう。物事をするのに、約束や言葉に出して誓うことは大きな効果があります。無限実行は奥ゆかしさがあるかも知れませんが、難しいものです。その点、有言実行は人に言った手前もあってなかなか止めるのが難しく、実行しやすいものです。ボクは有言実行を旨とし、いくつもの恥をかいてきましたが・・・。
 「べっぴんさん」はいい発想ですね。家族でいろいろな所に楽しく使って規則正しい生活にしたいものです。




2009/11/24(Tue) (第1202話) テーブル・フォー・ツー(TFT) 寺さん MAIL 

 “豊田通商の食堂などでは、カロリーを抑えた健康的なメニューを一回食べると、料金から二十円がアフリカの子どもたちの学校給食費として寄付されるという。過度のカロリー摂取に悩む先進国と、貧困による栄養不足にあえぐ途上国の食生活を改善しようという運動「テーブル・フォー・ツー(TFT)」だ。
 二年前、東京のNPO法人が始めた試みは全国の企業の食堂などに広がっている。世界では十億人が飢えに苦しむ一方で、十億人が肥満や生活習慣病に苦しんでいるという。この不均衡を改善するのが狙いだ。このような活動があることを初めて知ったし、世界には飢えに苦しむ人々が十億人もいて、私が毎日食事ができるのは大変幸せなことだと思った。
 健康的なメニューを食べるだけでアフリカの子どちたちに寄付できるのなら、自分の体にもよく一石二鳥だと思う。TFT運動がもっと多くの企業に広まってほしい。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県桑名市の高校生・北岡さん(女・18)の投稿文です。「テーブル・フォー・ツー(TFT)」とは、また新しい試みを知った。「エコキャップ活動」に似た試みだ。値段に20円が上積みされているのだろうか、どのような仕組みになっているのかよくは分からない。でも、広く薄く集めて良いことに当てるのは一つの手法であろう。
 必要以上に食べ過ぎて、肥満に苦しみダイエットに努めるなどと言うのは、考えてみれば、いや、考えてみなくても愚の骨頂である。日本始め多くの先進国で多くの人がこの愚の骨頂を犯している。ダイエットの手法が出されると一時的に右に左に大騒ぎになる。これほどに食に対する欲望は大きいのである。誘惑に弱いのである。この「テーブル・フォー・ツー(TFT)」は、この愚かさを償う良い方法であろう。もう少し、知りたいと思う。




2009/11/22(Sun) (第1201話) 2度目の新婚旅行 寺さん MAIL 

 “2度目のハネムーンを贈ります−。マレーシア西部トレンガヌ州は、上昇する離婚率を低下させようと、関係が悪化している夫婦に無料の旅行を提供する新事業を開始する。
 地元紙スターによると、試験的に二十五組の夫婦を選び、千五百リンギッド(約四万円)でニ泊三日の旅行を提供。成果は上々という。
 現在、対象夫婦の選び方などの細部を詰めている。夫婦は専門家のカウンセリングを受け、「ハネムーン」が必要かどうか判断されるという。州担当者は「この事業で夫婦のきずなを取り戻し、離婚を回避してもらえれば」と話している。”(10月31日付け中日新聞)

 マニラの吉枝記者からの記事です。面白い試みがあるものだ、感心して紹介した。関係が悪化している夫婦が、旅行に出ることによって関係が修復するか・・・ボクにはいささか疑問にも感じるが、成果は上々と言うことである。税金を使っての旅行であるので気構えも違っているのかも知れない。
 離婚率の上昇は世界的なことのようだ。日本でも言われているし、先日行った中国でも一人っ子政策で甘やかされて育ち、離婚率が急上昇していると説明していた。長い期間、育ちも人間性も違うふたりが一緒に生活するのに、良いときも悪いときもあるのは当然だ。これはほとんどの夫婦にあることだ。そして、その悪いときが、多くはそんなに長く続く訳ではない。折角一緒になったふたりである。その一時を耐えて工夫して乗り越えねばならない。多くはそうしているのである。この2度目の新婚旅行もその一工夫であろう。




2009/11/20(Fri) (第1200話) まちもよう 寺さん MAIL 

 “愛知県一宮市の河合さん(59)がつくったインターネットのホームページ(HP)には、昭和三十〜四十年代の高度成長期、集団就職で市内の紡績工場で働いていた人たちからのメールが頻繁に届く。現在の工場周辺の様子を写真入りで紹介しているからだ。「懐かしい」「私の青春でした」・・・。感謝の言葉が全国から寄せられ、河合さんと心のキャッチボールを続けている。
 2001年に立ち上げたHP「まちもよう」。「思い出の街角」コーナーには、サン・ファイン(旧林紡績)やニッケ、クラボウの工場や跡地を写真で取り上げ、今ではショッピンブセンターとなった風景などが並ぶ。「昔を思い出し、会社の同窓会を開きました」「短大で学びながら働いた工場です」。こんなメールが北海道や沖縄、東京など全国から舞い込む。(後略)”(10月30日付け中日新聞)

 「虹」という記事欄からです。この河合さんはボクがよく知っている人である。時折会って話しをすると張り切って話す。こうして新聞記事として読むと、彼の活躍ぶりを改めて知り、嬉しく思う。一宮は集団就職の人たちで活気を帯びいていた時代がある。今は寂しい本町通りなど、人で溢れていた。そんな人たちに嬉しい情報の提供である。良い所に目が向いたと思う。
 人それぞれが、自分のできる所で少し世の人の役立つことをする。一日一善どころか、一人一善で世の中は随分変わる。人はいろいろな恩を受けている生きている。その恩をひとつの行為にして返せばいいのである。河合さんの活動はそんな程度のものではないが・・・。




2009/11/18(Wed) (第1199話) 傘のある駅 寺さん MAIL 

 “東京都町田市の小田急玉川学園前駅で、100本ほどの中古傘が入った傘立てを見つけました。改札付近にあり、「ご自由にお持ちください」と書かれていました。その傘は、近隣住民らが協力し、家庭などで使わなくなったのを持ち寄ったもので、駅は場所を提供しているとのことでした。初めて利用した駅でしたが、駅や近隣住民の思いが伝わり、親近感を覚えました。
 また中古傘は、この駅を最寄り駅として利用している地域の方が多く使用しているようで、傘立てにはいつもある程度の数量が保たれているといいます。リサイクルという面だけでなく、人情味あふれる町づくりという面でも、こうした「住民参加型の傘のある駅」が増えることを願っています。”(10月29日付け読売新聞)

 横浜市の会社員・水越さん(女・57)の投稿文です。こういう試みも多くなっている。良いことである。傘など余っている家庭も多く、有意義な使い方を示してもらえば協力してくれる人は多いだろう。よって、少しその気ある人が集まって企画してくれれば比較的容易くできると思う。でも、ついてくる人を見つけるのは比較的容易いが、先頭に立つ人がなかなか見つからないのである。どんなに小さなことでも先頭に立つことは大変なのだ。更に問題なのはいつまで続くかである。持って行って返しに来ない人が多いのである。まさに利用する人のマナーにかかっている。
 先日新聞で見た記事では、駅に本を置いていたが、なくなってしまうので続かなかったという話が出ていた。寂しいことである。小田急玉川学園前駅のこの試みが長く続くことを願いたい。




2009/11/16(Mon) (第1198話) 電話も余韻  寺さん MAIL 

 “「終わりよければすべてよし」という言葉があるように、電話も切り方が大切です。こちらが「ごめんください」と言うか言わないうちに、乱暴に「ガチャン」と受話器を置く音が聞こえることがあります。いくら良い声と良い言葉で感じ良く話せたとしても、心が冷えてしまいます。ちょうど、友だちの家を訪ねて「さようなら」と玄関のドアを閉めた途端に、玄関の明かりが消えたり、鍵のかかる音が聞こえた時と同じで、友好的なムードが途端に冷めます。
 電話は、用事があってかけてきた方が先に切るというルールです。といっても相手が目上の方の場合は例外で、自分がかけた場合でも目上の方が切ってから切るようにします。また、受話器を置くときの動作は、最後まで受話器を耳につけておき、大切に電話の相手が受話器を置いたのを確かめてから、指でそっとフックを押す方法がお薦めです。静かに受話器を置くつもりでも、手がすべって大きな音を立ててしまうこともあるからです。
 言葉の余韻も大切にしたいですね。私は、朝でしたら「ありがとうございました。今日も良い一日をお過ごしください」などと言うようにしています。これからの季節なら「寒くなってまいります、ご自愛ください」も良いでしょう。”(10月24日付け毎日新聞)

 マナーデザイナーの岩下さんの「マナーは愛」からです。珍しくこんな欄に目がいき、読んでいて、自分は大丈夫かと言うことが気になった。気になったのは玄関の明かりや鍵をかけることである。あまり意識していなかったのである。玄関の外に出て見送り、門を出られるのを確認して家に入るようにすれば間違いなかろうが、誰にもそんなことする訳ではない。意識する必要がある。
 電話の切り方も難しい。相手が丁寧な人だとなかなかタイミングが計れないことがある。携帯電話が増えて、固定電話のマナーはますます乱れるのではなかろうか。誰が出るか分からない固定電話と、その相手しか出ない携帯電話では自ずと受け答えも違う。その違いが次第に混乱してくるのではなかろうか。「マナーは愛」の意識で、相手の立場に自分を置き換えて考えることが良いだろうが、言うほどに容易いことではない。




2009/11/14(Sat) (第1197話)イナゴの佃煮 寺さん MAIL 

 “「イナゴの佃煮って今でも作れる?」。思いがけない息子からの電話。イナゴを捕ってきた2人の孫が、園児仲聞からイナゴが食べられると聞いて、食べたがっているそうだ。
 嫁は虫捕りは好きだが、イナゴ料理には抵抗があるようだ。何匹捕れたかを聞くと、8匹とのこと。昔は袋いっぱい捕れたので、「えっ、たったの8匹?」と思わず聞き返す。でも、この機会を逃したら孫がイナゴを口にすることはないかもしれない。いいチャンスだと思い、喜んで引き受けることにした。(中略)
 できた佃煮を早速届けると、息子は「懐かしい味だなあ」とほおばり、嫁はこわごわと口にした。2人の孫たちは「おいしい、おいしい」と食べてくれた。8匹だけの貴重なイナゴだったので私は口にしなかったけれど、おかけで「うれしい秋」を昧わえた。”(10月24日付け毎日新聞)

 愛知県稲沢市のパート・藤田さん(女・60)の投稿文です。イナゴの佃煮、売っていますね。でもこういうものは自宅で作ってこそ味わいがある。でも、そのイナゴをあまり見かけないのだからその機会もない。昔は少し田舎に出ればいくらでもいた。もちろんボクは田畑の真ん中に住んでいたから、まわりにいくらでも飛んでいた。そしてよく捕まえた。それの多くは数羽飼っていた鶏の餌にするためだったが、もちろん佃煮にもなった。足を取るなど大変な手間だったが、手伝った。今でもボクの好物である。
 8匹のイナゴで佃煮作りとは、 少し寂しいが、藤田さんはいい思い出作りをされた。家族の皆さんにもいい思い出になったでしょう。8匹だけにより思い出になるかも知れない。




2009/11/12(Thu) (第1196話) すがすがしい若者 寺さん MAIL 

 “近所のスーパーにある休憩所でのこと。昼時で、五、六台あるテーブルは一人ずつ座り、本を読んだりご飯を食べたりしていました。私は二十代前半に見えたリクルートスーツ姿の青年に断って相席させてもらいました。若者らしく、携帯電話を操作しながらパンを食べていました。
 彼は食べ終わると、テーブルを台ふきで丁寧にふき、いすを整え、パン袋やジュースのごみをごみ箱に入れて出ていきました。一連の動作はスマートで、まさに「立つ鳥跡を濁さず」。今時の若者にはなかなか見られない行為に感動すら覚えたほどです。就活中ならうまく事が運ぶよう、応援したくなりました。
 他のテーブルにいた人たちも席を立ち去る際、彼のやり方をまねていました。もちろん私も。彼にとっては、当たり前の行動だったのでしょう。でも、接した他人に良い伝染効果があったことをうれしく感じました。”(10月22日付け中日新聞)

 名古屋市の内山さん(女・63)の投稿文です。スマートですね、内山さんが感動されるのが分かります。社会が進むほどにマナーも良くならねばならないのに、それどころか、だんだん悪くなっていることが実感されます。そして、やはり若い人の態度が気になります。それだけにこの青年の態度は立派です。
 まわりの人も同じように行動したと言われるのですから、この店の雰囲気がそうなのかも知れません。人間はまわりに影響をされることが多いのですから、良くなる雰囲気を作ることが大切でしょう。そのために何をすればいいのか、場所場合で違うでしょうが、心ある人がもう一頑張りすることでしょうか。ボクもこの青年を応援したと思います。




2009/11/10(Tue) (第1195話) 1円玉の教訓 寺さん MAIL 

 “六日の本欄で「一円差し出し幸せのお返し」という一円玉をめぐるほのぼのとした文章を読ませていただいた。その翌日、スーパーのレジで支払いをしようと並んでいたら「カサッ」という小さな金属音を聞いた。後ろに並んでいた人に「落とされましたよ」と言われ足元を見ると一円玉が。
 そして何とレジでの会計は「三千一円です」と。財布の中には今拾った一円玉がデン!と構えていて、私には輝いて見えた。後ろを振り返り「さっきの一円が早速役にたちました。ありがとう」と言ったら後ろの方も「良かったですね」とにっこり。
 昔、母に「一円を粗末にする者は一円に泣く」と教えられた記憶がある。その教訓とともに、一円玉への思いを深めた出来事であった。”(10月18日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(67)の投稿文です。小さなことながらこれは嬉しいことでしょう。1円足らなくて何かを返却しなければならないことだってある。ボクなど1円足らないばかりに千円札や1万円札を出さねばならないとき、その1円をまけてくれないかとつい言いたくなる。でもみみっちいからと堪えるのに苦労する。小銭が増えて財布が重く厚くなるのが何ともうっと惜しいのだ。小銭でうまく払えると、何か嬉しい気分になるボクなのです。岡田さんも人の親切もあり、投稿したいほどに嬉しかったのだ。




2009/11/08(Sun) (第1194話) ある温泉を旅して 寺さん MAIL 

 “かねて行きたいと考えていた山陰地方を、夫と二人で旅して回った。(中略)
 大山をドライブしてから有名な温泉街に宿泊する。かつては企業の団体さんを受け入れていたと思われる立派な老舗旅館。楽しみにしていた温泉。大きな岩が形良く配され、湯があふれている大浴場。その時の入浴客は私一人・・・。《ううん、寂しい》と思っている時、次々と入ってきてほっとする。
 話をした方は八十代で、娘さん夫妻とお孫さん(二十代)も一緒とのこと。そのうちにお孫さんがそのおばあちゃんの背中を流し始めた。このごろ、家庭のお風呂でも背中を流し合うということはめったにない。身内と旅行に行っても、そういうことはなかったなと思う。「若い衆に大事にされているから何にも苦はないよ」と屈託なく笑っていたおばあちゃんの笑顔が、幸福な老後の姿だと今も思い出している。”(10月18日付け中日新聞)

 静岡県袋井市の主婦・村松さん(64)の投稿文です。続いて老後の話であり、家族の話である。孫まで含めた家族で旅行し、背中を流しあう。最近あまり見かけられないいい家族の風景ではなかろうか。まず夫婦、そして家族は社会を構成する最小単位である。その最小単位がうまくいってなくては社会がうまくいく道理がない。まずはこの単位で助け合い和合を図る。家族ゆえの難しさもあるが、それが生き物として自然な気がする。昔に比べ今は、その単位を軽く見る傾向がある。個人個人が優先され、まずくなると社会に求める。社会全体で支える、理念としてはいいが、まずは自分で自立、そして家族の支え合い、その上のことではなかろうか。いい家族関係を作る努力を惜しんではならない。




2009/11/02(Mon) (第1193話) このまま歩こうや 寺さん MAIL 

 “夫が定年退職してからの日課として、夕方の1時間を一緒に一歩くことにしている。郊外の自然公園や田園地帯を歩くのだ。(中略)
 ふと、自分の人生を顧みた。あれから農業生活者のみならず、あらゆる産業が進歩し、日本人の意識も大いに変わったが、私は昔のままである。ある日、近くの里山に向かって歩いていると、雑草の中に淡いピンクの花を見つけた。ナデシコだ。取るべきか、取らざるべきか。いや、どうぞこのままここに咲いていてほしい。そう、祈りながらその場を去った。
 「ねえ。私はこれからどう生きたらいいの?」と、夫に問う。「2人の子を育て、4人の孫にも恵まれた。それに故郷の母さん、おれの母親の介護もしてくれた。2人の健康維持を願ってこのまま歩こうや」
 いつの間にか秋。野原はセイタカアワダチソウでいっぱいだ。“(10月17日付け毎日新聞”

 愛知県武豊町の主婦・榊原さん(77)の投稿文です。77歳にもなって「これからどう生きたらいいのか」と問う。それに対してご主人は「もう十分だ、このまま歩こうや」と答えられる。いくつになって自分を問う奥さんに、それを優しく諭されるご主人、まさに熟年夫婦である。二人で野原を散歩しながら、こんな会話をする老夫婦はそんなに多くはないだろう、理想的な夫婦であろう。
 それにしても人間、いつまでもこれでいいのかと問う。実はボクも同じなのだ。これでいいのだとも思うし、少し寂しい気もする。ボクも榊原さんのように2人の子供もでき、4人の孫にも恵まれた。生活に大きな不安もないし、でもこのままの生き方でいいのかと問う。問うことはまだ前進の気持ちがあることなのだ。人間いつまでも前進の気持ちが必要だ。でも、いつまでもそんな気持ちがあることがいいことなのか、捨て早く悟ることの方が人間的には熟した人なのではないか。とは言いながらもそれほどの意欲もないから、ただ何となく不安に思いながら過ごしていくのだろう。これが一番悪かったりする。ただボクが違うのは、ボクは榊原さんに比べれば一回り以上も若いのである。まだ悩む世代なのだ。



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