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第66号  2009年10月

2009/10/31(Sat) (第1192話) 万年筆 寺さん MAIL 

 “姉から宅配便が届いた。開けると、中には思いがけない贈り物が入っていた。(中略) 私は常々、万年筆がほしいと思っていた。「女の気持ち」でも万年筆をテーマにした文章が時々掲載されていて、読む度にその思いは強くなっていた。
 主婦は必需品でもなければ自分のほしい物はなかなか買えない。その思いを電話で姉に話すと、「ぜいたくなようでも、ほしい物を買うことで心が豊かになるよ」と言われた。
 それきり万年筆のことはあきらめていたので、今回の思いがけない贈り物は本当に驚いた。万年筆には、ひらがなで「あつこ」と私の名前が彫られている。小豆色でやや太め。義兄が選んでくれたらしい。とても書きやすいので、早速、日記、家計簿をつけようと思う。手紙、年賀状も書きたい。悪筆はいかんともし難いが、2人に感謝。”(10月16日付け毎日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・大島さん(66)の「女の気持ち」という欄への投稿文です。昔はほとんどの人が万年筆を使っていたと思うが、今の時代どうだろう。ほとんどがボールペンやサインペンで、万年筆を使っている人はそのまま使い続けた人か、こだわりがある人ではなかろうか。ボクの妻は使いづけている。手紙も家計簿もみな万年筆である。ボクはもう長いこと使っていない。
 「ぜいたくなようでも、ほしい物を買うことで心が豊かになるよ」、この言葉には頷くものがある。長いこと蓄えた願望が達成されれば、より心豊かになるであろう。ここが重要である。欲望は長いこと蓄えねばいけない。それでこそ達成されて豊かな気分にも幸せな気分にもなれるのである。大島さんの場合、思いがけない形で達成されただけにより感慨深いものになったのであろう。現在これほど豊になり、豊かな気持ちになれないのは願望がすぐ満たされることも一因であろう。
 万年筆を使うにはペンの持ち方、使い方など技術がいる。今の人の強い握り方ではまず無理だ。微妙な握り具合など、こんなところにも技術の衰えを感じる。




2009/10/29(Thu) (第1191話) 散歩道に小中学生の句 寺さん MAIL 

 “蟹江町出身の作家で俳人でもあった小酒井不木の生誕百二十周年を記念し「かにえ不木の会」が、佐屋川創郷公園内の散歩道沿いに木製の句碑三十点を立てた。地元の子どもらの俳句をつづり、小酒井の句碑四点も一緒に並べている。「俳句の道」と名付け、郷土が生んだ偉人の功績をしのぶ。(中略)
 句碑にはこれまでのコンテストで、小中学生が蟹江町を題材に詠んだ優秀賞三十点を記した。文化財のオオイチョウと十一面観世音菩薩を取り上げた「イチョウまう歴史をみつめ十一面」、郷愁漂う風景を描写した「赤とんぼ蟹江をまわる郵便屋」などがある。
 不木の会の伊藤博徳代表(66)は「俳句の道を歩きながら、子どもたちの豊かな感性をほめてあげてほしい」と話す。“(10月16日付け中日新聞”

 記事からです。一宮友歩会の例会で蟹江町の佐屋川創郷公園や文学の道に行ったことがある。小酒井不木の出身地と言うことを活用し、文学に対する取り組みがいたる所に見受けられる。今回の小中学生を句を対象に俳句の道を作られたのもその一貫であろう。自分の句が木製ながら散歩道に立てられる。その人には嬉しいことであり、更に励みになろう。小中が生の頃の体験が後に及ぼす影響は大きい。良い試みである。いろいろな地に広まることを期待したい。




2009/10/27(Tue) (第1190話) 傘が運んでくれたもの  寺さん MAIL 

 “いつものように子どもたちを学校へ送り出すある朝の出来事です。その日は朝から雨が降っていました。長男の傘が壊れていることを思い出し、「傘、壊れとったよね」と言いながら開いてみました。すると『あれ。壊れてない』。まるで魔法にでもかかったかのように不思議そうにしている私に「お母さん、ここ見て」と長男。よく見ると、折れていたはずの傘の骨が細い針金と金具で見事に修理されていたのです。
 驚くと同時に傘を修理してくれた人の顔が頭に浮かびました。誰もいない授業中のげた箱はひっそりと静まり返っています。その片隅で乱雑に立てられた傘の一本一本を、いつも一人黙々と整頓してくださる方。その人物こそがきっと傘を修理してくれたに違いありません。「校長先生だ」。私がそう言うと、長男も間違いないといった表情でにやり。
 思い起こせば、長男が幼稚園のころから傘を壊す度に「大事にしなさい」としかり、今まで新しい傘を何本買ったことでしょう。その修理された傘は、優しくて温かい気持ちを違んできてくれただけでなく、物を大事にすることの大切さも教えてくれました。”(10月16日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・西川さん(41)の投稿文です。この行為が校長先生だとすぐわかるのは、この校長先生の人柄や行動は父兄の間でも知れ渡っているのでしょう。当てて息子さんが嬉しそうににやりとされるのだから生徒にも信頼があるのだ。先生は人相手だけに信頼が大切である。この校長先生は役目を十分に果たされている。
 西川さんがこの文を書きたくなられたのは、偉い校長先生が下働きされることを嬉しく思い、誇りに思っておられるからであろう。人は偉くなってまずは自分の役割をキチンと果たす。その上で、良いと思うことをする。偉くなっていいことは、自分の思うようにできることが増えることである。問題はその時何をするかである。
 現在の日本で傘の寿命は2日無いと聞いたことがある。コンビニや100円ショップで売っている。1回限りの全く使い捨てなのである。雨の多い季節のゴミ拾いでは傘の多いこと。ものを大切に使う、傘にもこの精神を取り戻したい。




2009/10/25(Sun) (第1189話) つれあいにもの申せず 寺さん MAIL 

 “夜中、大声に気づいて目を覚ました。「上へ上げて」。ベッドから落ちたしゅうとめにそう言われ、抱きかかえてみたが、私の力では及ばない。夫の遺影に向かって「ちょっとぉ、降りてきてよ、降りてきてぇ」と泣き叫んでしまった。
 元気だった夫が突然天国へ旅立ってから十日で一年。ヘビースモーカーで飲んべえだった夫。理屈っぽくて嫌だった。
 「つれあいにモノ申す」を読みながら、いつか私も書いてやろうと心に決めていた。「妻と夫の定年塾」を書かれている西田小夜子さんの講演会場へ足を運んだこともあった。ところが・・・。夫がいなくなってから、それらの欠点はみんな帳消しになり、良いところだけが残っているのだ。今、大たい骨を骨折して寝たきりになったしゅうとめと、入院中の実家の母に気を使いながら、夫が生きていてくれたら、どんなに心強かっただろうかとしみじみ思う。新聞を広げ、夫へ、妻への愚痴を今日も読みながら「言えるうちが華ですよ」とつぶやき、もの申す相手がいない寂しさを感じている。”(10月7日付け中日新聞)

 長野県喬木村の会社員・中村さん(女・57)の投稿文です。この話も本当にその身になってみないと分からないものです。でもその身になったときには、悔いだけ残り、遅いのです。話をする相手がいると言うこと、これは本当に大切なことです。一人暮らしの高齢者が、1日誰とも話をしない寂しさをよく耳にします。けんかでも愚痴でも、何でも話しができないよりできることがいいのです。話し相手になるだけのボランティア活動もあります。幸いにも今のボクには、、この話は想像だけです。でもその寂しさは想像できます。こういう話を聞くと、夫婦っていいものだなと思います。だから若い人には結婚する努力をして欲しいのです。




2009/10/23(Fri) (第1188話) おはよう 寺さん MAIL 

 “「おはよう」「おはよう」
 朝食を作っている妻と、いつものように朝のあいさつを交わします。どんな時でも、家に二人いるときの朝のわが家の風景です。昭和四十年四月。結婚式を終え、京都へ向かう新幹線の中で、妻に「お金がかからない、二人だけでできること、何か約束したいなぁ〜」と言ったら、「それでは、毎朝、『おはよう』とあいさつを交わしましょうよ」と言ってくれました。
 あれから四十四年、「おはよう」という朝のあいさつが繰り返されてきました。
 こんなこともありました。二人の子どもの前で口げんかをした翌朝、とても話しかけにくいけど、「おはよう」と妻の背に一言。後ろ向きのままだけど「おはよう」と返ってきます。子どもはニヤッとします。不思議なもので、このあいさつで、あんなに怒っていた妻との朝食は仲良く終わります。今はもう家にはいない息子と娘は、その様子を見て、ほっとして学校に行きました。
 四人家族が二人だけになっても、毎朝交わすあいさつ。二人の一日の始まりです。”(10月6日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の奥田さん(男・69)の投稿文です。素晴らしい夫婦と思います。こんな約束をするだけでも素晴らしいのに、それを40年近く毎日実行されてきた。挨拶をしたくない時でも約束だからとする。そして、それが気まずさを解消してくれる。もう「話・話」で何回も触れたと思いますが、本当に挨拶の効用は大きいものです。その証明のような話です。
 わが家でもほとんど毎日おはようの挨拶をしている。しかし、キチンと約束したのでないので、それが最初からかいつからかよく分からない。また気まずい時には挨拶するのはまず難しい。ここのところが奥田さんと大きな違いである。言葉に出して約束する、これも大きな効用があるのだ。




2009/10/21(Wed) (第1187話) 女児の行動 寺さん MAIL 

 “私が大型店に駐車して店に向かいかけた時だった。信号機のない交差点で、横断歩道を渡ろうとチャンスをうかがっている小学校4年生くらいの男の子と2年生くらいの女の子が目に入った。
 そこへ大型店から出て、交差点方向に左折した車が2人に気付き、渡るように合図を送ったらしい。2人は早めの親切に戸感った様子だったが、喜々として横断歩道を小走りに渡った。その後のことである。兄と思える男の子はそのまま先に走って行ったが、女の子は渡り終えるとすぐに振り返って、走り去る車に深々と頭を下げ、車がはるか遠くに行くまで見送った。
 自らの気持ちと、兄の非礼をわびる気持ちからか。見ていた私は一瞬何か起きたかと足が止まり、少女のとっさの行動に感動し、すがすがしい気分になった。私には孫がいないが、この少女の祖父を思いやった。きっと幸せな老後を送っておられることだろう。立派な子育てをしてきた家族をうらやましく思った。”(10月4日付け毎日新聞)

 山口県山陽小野田市の大谷さん(男・61)の投稿文です。優しい運転手さんに、礼儀正しい女の子である。簡単なようでなかなかできない。ボクなども横断歩道で待っている人を見かけても、なかなか止まれない。先頭を走っている場合は止まりやすいが、前にも後にも車が走っている場合は止まりにくい。後で気が引けたりする。
 少女の礼儀正しさはどこから来たのであろうか。同じ家庭でも男の子はそのまま走ってしまっている。同じように育ててもなかなか同じにならない。これが子育ての難しさであり、面白さでもある。
 いきなり「この少女の祖父を思いやった」という文章が出てくることに、大谷さんの孫を持ちたい切実な気持ちを感じる。この少女に祖父がいるかどうかも分からないだろうに、あると信じている。そして、その幸せを羨ましく思っている。自然に書かれただけに正直な気持ちだろう。ボクの回りでも遠慮なく孫の話をできる人は少ないのである。どうかお父さん、お母さんに孫を与えてやってください。




2009/10/19(Mon) (第1186話) 興味津々 寺さん MAIL 

 “今日から、わが家でも太陽光パネルで発電する。残念ながら、すべての消費電力を賄えるほどのパネルは設置できなかったが、それでも間違いなく省エネの一助にはなるはずだ。
 物珍しさも手伝ってか、日頃は自分達の部屋にいる子供達が、発電されている昼間は、リビングにある発電モニターの発電量と買電量を、興味津々チェックしている。そして、部屋を見回しては、見ていないテレビを消したり、エアコンの設定温度を上げたりして、節電効果を試している。
 今まで、注意をしても空返事ばかりだったのに、現金なものだ。でも、親子共通の話題がひとつ増え、これからは節電以上の効果が期待できそうだ。嬉しい誤算だ。”(10月4日付け中日新聞)

 「300文字小説」から千葉県印旛村の公務員・竹山さん(男・42)の作品です。娘の家が最近、太陽光パネルを設置した。そして、この300文字小説そっくりの状況だという。ボクも見に行った。発電モニターは実によくできている。刻々と発電量と使用電力量の状況が分かり面白い。何かゲーム感覚だ。ボクの家も設置したくなる。しかし、余命いくばくもない人間が大金をかけてすることだろうか。




2009/10/17(Sat) (第1185話) 絵手紙携え逝った父 寺さん MAIL 

 “13年間でたまった三百数十枚の絵手紙を母へのみやげに携えて父は旅立ちました。母と娘とはたわいのない話でもおしゃべりがつきないものですが、父親とはなかなか・・・。
 1人暮らしを余儀なくされてもグチーつこぼさず頑張り、私たちを見守ってくれる父への感謝の気持ちと、心のオアシスになればとの思いから始めた絵手紙でした。「いいねえ」「こりゃあうまそうだな」。父からの電話や手紙も増え、私にとってもうれしい励みとなりました。月2回ほどの帰省で身の回りの世話や畑仕事を手伝い、家にいる間は手紙を描き送る。そんな生活がずっと続きました。
 最後まで自宅で生活したいと願う父のために毎日通ってくれたヘルパーさんたちとのコミュニケーションにも大いに役立ち、親孝行のまねごともできました。今、父が亡くなって2ヵ月、喪失感からなかなか筆を持てないけれど、父と同じように待っていてくれる知人のためにも、きっとまた再開したい絵手紙です。”(10月4日付け毎日新聞)

 さいたま市の主婦・中村さん(59)の投稿文です。父親と娘の交流、先日の「(第1190話)傘をありがとう」に通じる話である。中村さんは話にくい父親との交流に絵手紙を始められた。それを通じて話もできるようになった。そして、その父親たるやすべての絵手紙を保存しておかれたのである。粗末にできる訳がない。先に天国へ行かれた奥さんのみやげとされたのである。いろいろな知恵があるものである。離れているだけに、より知恵は必要であろう。
 しかし、手紙は離れているからできることである。同居や毎日のように会える近くでは手紙という訳にも行くまい。ここでどんな知恵を働かせるか。ボクの娘はまだ見いだしてくれない。




2009/10/15(Thu) (第1184話) 大きな風景 寺さん MAIL 

 “この夏、室蘭へ行った。一泊して翌日講演する。昼の三時に着くと、係の女性たちが名所案内してくれるという。地元を愛している人と見る名所の数々は私を夢中にさせた。何と大きな風景だろう。「地球岬」をぐるっと見渡す展望台に立つと、地球の丸さがよくわかる。船は水平線の端から海の丸みをよじ登ってくるのだ。
 ふいに自殺者のことが頭をよぎる。年に三万人以上の人が命を絶つのだ。若い人の次に五、六十代の男性が多い。みんな近くばかり見過ぎているのでは、と私は思うのだ。パソコンを見つめ、電車内でもいっせいに下を向いて、老いも若きもケータイに熱中している。
 地球岬に立つと、人間の日々の営みなんか大したことないなあと感じた。死ぬことだけに固執せず、大きな風景の中で何日かぼんやり暮らす。ゴミゴミした東京の、日本一混雑する電車の前に身を投げ出すなんて悲しすぎる。大きな風景を見て、遠くを見つめることが私たちには不足しているのではないか。”(9月30日付け中日新聞)

 作家・西田小夜子の「妻と夫の定年塾」からです。我々は遠い先のことより、目の前にことに左右されることが多い。日常の目の前のことに大きなことはそんなに無く、小さなことが多い。その小さなことに一喜一憂しているのである。そして、そんな連続に小さなことも過大に考えるようになる。そして時には自殺にいたる場合もあるのである。世の中のことで命を絶つことより大きなことは何もないのにである。
 西田さんはそんな毎日に、時には大きな風景を見ようと提案されているのである。大きな風景を見ると気持ちも大きくなるのである。山へ登る人も大きな風景を見ることが気持ちがよいからであろう。何も地球岬や山へ行かなくても、空を見上げただけでも気持ちが違ってくる。我々は日々の中で空をチラッとは見るが、ゆっくり見ることはほとんど無いのではなかろうか。西田さんのこの文から「1日に5分、ゆっくり空を見上げよう運動」を思いついた。これなら気持ちだけで誰でもできる。少し広い場所に出て大空を見上げよう。




2009/10/13(Tue) (第1183話) 傘をありがとう 寺さん MAIL 

 “雨が降る日の午後、下校時刻になると小学生たちが色とりどりの傘を差して帰って来る。私には、そんな子どもたちを見るたびに思い出すことがある。
 小学生のころ「今日は雨になりそうだから傘を持って行きなさい」と言われたのについ忘れてしまい、午後から降り出した雨に「困ったな」と思っていた時、突然、窓の外に父の笑顔が現れた。授業中だったにもかかわらず先生に名前を呼ばれ、級友たちの手前、照れくさいような恥ずかしいような気持ちになった。どうしてよいか分からないまま、思わず傘を父の手から無造作に受け取ってしまった。
 下校の時刻になり、友達と校門の所に来ると、にこにことした父の顔があった。ちょっと驚いたが、そのまま並んで家路についた。雨の降る中、かっぱを着込んで私の帰りを待っていてくれたのがうれしかった。
 自分や仕事には厳しかったが、誰にでも優しい人だった。そんな父に毎日の出来事を報告できるようになったのは、父が写真立ての中に納まって三年がたった最近になってからだ。今夜は五十年前のお礼を言わせて。「傘をありがとう」と。”(9月30日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の渡辺さん(女・58)の投稿文です。渡辺さんには父親の優しい気持ちを知る出来事であったろう。こういう記憶は心の片隅にいつまでも残る。
 この文でボクの気を引いたのは「父に毎日の出来事を報告できるようになったのは、父が写真立ての中に納まって三年がたった最近になってからだ。」と言う部分である。父と娘では生前なかなかうち解けて話ができないものなのだ。ボクもそうなのだ。相談はあっても感謝の話はない。それも多くは妻を介してであったりする。
 これは多分、多くの家庭で父親は厳しく、母親は優しく接するという役割になっているからだろう。それで自然父親は近づきがたくなる。役割を分けてはいけないという話もあるが、共に優しく、共に厳しくでは子育ては難しい。また、母親は厳しく、父親は優しくは無理がある。父親とは辛く、かつ寂しいものである。




2009/10/11(Sun) (第1182話) 大当たり 寺さん MAIL 

 “「出ました!。大当たり!」「えー、うそ。ほんと?」。商店街のくじ引き大会で、友人が特賞の大型テレビを当て、大騒ぎになりました。彼女は、いつも旅行や食事などをしている私たちのグループの一人です。そのテレビは福祉施設へ寄贈したと聞き、「えー。それなら私が欲しかった」「置ける場所を用意しておいたのに」「私も・・・」「私も・・・」など、冗談を交えて言いたいことを言い合いました。
 彼女は「くじ引きなんて当たったことないから、軽い気持ちで『テレビが当たったら持って来るからね』と言ったんだわ。えらいことになっちやって」と苦笑い。
 「そういう欲のない人に当たるんだねぇ」「でも、テレビ欲しかった」「欲出したら当たらないね」と、地デジで話題のテレビだけに、しばらく大当たりの話で盛り上がりました。話は結局、「福祉施設で喜んでもらえてよかったね」ということで落ち着きました。身近な人が幸運を引き当てたことにより、私たちも自分のことのように喜んで楽しい話ができ、「大当たり」のおすそ分けをもらった気分になりました。“(9月28日付け中日新聞”

 愛知県豊田市の主婦・林さん(60)の投稿文です。こうしたくじの特賞など当たるはずもないと思っているので、時折ありうる話ですね。特に宝くじなどで「当たったら***してあげる」などと大洞吹いている人は多いのではないでしょうか。ところが当たったら、そのまま実行する人はどうでしょう。「あれは冗談、冗談」ですます人も多いのではないでしょうか。金銭や分けられるものであれば、一部で実行することもできるが、テレビではあげるかあげないかである。大きな決断がいる。しかし、林さんは実行された。そして多くの人に喜びを与えられた。立派なものである。こういう話は楽しい。
 ボクはもうかなり昔のことになるが「ペアでサイパン旅行3日間ご招待」というくじが当たったことがある。それ以来思い出す当選はない。あれで一生分の幸運は終わったのであろうか。




2009/10/09(Fri) (第1181話) 多くの親切  寺さん MAIL 

 “友人と自転車で旅に出かけた息子が二十三日ぶりに帰って来た。顔も腕も足も黒光りしている。北陸から東北を北上、函館から太平洋側を南下した。三十キロ余りの荷物をつけ、平たんではない道を毎日百キロ走る。夕方は銭湯を探し、コインランドリーで洗濯、寝袋で休んだ。
 行く先々ではトラックの運転手さんに「コーヒーでも飲んで」と千円いただいたり、以前ヒッチハイクをしていた男性にナシをいただいたり・・・。新潟の居酒屋さんではお客さんに夕定食をおごっていただき、店主宅に泊めていただいた。また東京駅で銭湯を探していたら三十代の男性に声をかけていただき、新宿の高層ビル群の見えるマンションに二日間泊めていただいた。
 この旅で息子は多くの方に優しさをもらい、支えられ、無事帰ってくることができたのだと思うと、感謝の気持ちで胸が熱くなった。人から受けた親切を真っ先に話してくれた息子の表情は、達成感でいっぱいだった。”(9月21日付け中日新聞)

 名古屋市の非常勤講師・丹羽さん(女・54)の投稿文です。ボクの自転車旅行の思い出については以前にも紹介したと思うが、丹羽さんの息子さんとは方面は全く逆であり、時代も違っているのでその他の条件もかなり違っている。しかし、人々から受けた温かさは同じであり、それに感謝する気持ちも同じではなかろうか。そして、この思い出がその後の信条に大きく影響すると思う。ボクには確かにそうだったと思っている。
 人の一生の間に心に残るのは、仕事だったり趣味であったりいろいろあるだろうが、苦しいことをやり抜くことはそのひとつであろう。しなくてもいい苦労を望む人はほとんどないと思うが、実はそう言う体験の多い人の方が思い出多く、豊かな人生になることが多い気がする。ボクの第九を歌う会や一宮友歩会の運営もそんな類の気がする。




2009/10/06(Tue) (第1180話) 台風の備え 寺さん MAIL 

 “わが家は台風に備え、被害を最小限に抑えるために、マニュアルを作っている。屋外での備えとして、風で飛ばされそうな鉢の植木は、軒下または屋内へしまう。風の向きにより雨戸を閉める。自宅の排水路を掃除して水はけをよくする。傘をさしながら歩かない。屋内での備えは、台風情報をよく聞く。停電や断水することがあるので、懐中電灯やろうそく、ラジオ、飲料水などを用意しておく。むやみに外出はしない。非常持ち出し品のチェックもしている。非常袋、ヘルメット、防災ずきんは持ち出しやすい場所に置いている。地域ぐるみの防災訓練には積極的に参加している。
 私は、万一に備えて以上のことを心掛けている。備えあれば憂いなし。何事も、あわてずに行動したいものだ。”(9月23日付け中日新聞)

 岐阜県垂井町の農業・渡辺さん(女・74)の投稿文です。先月、「台風の思い出(その1)(その2)」を掲載したが、その時は災害には備えあれば憂いなしとか、日ごろの訓練と常に心の備えが必要と言う言葉は紹介したが、具体的に何をすればいいかと言うことはあまり書いてなかったので、この文を取り上げた。渡辺さんは具体的にマニュアルを作っておられる。これを参考に各自にあった具体的事項を記述しておくと良い。
 わが家も1年に1度、非常食や非常持ち出しの点検をしている。しかし、この文を読むと抜けていることが多々ある。参考にしたい。
 今まさに、明日あさってにも台風18号が日本に上陸する様相を呈している。それもかなり大型である。この文を参考にして少しでも被害を少なくしたいものだ。




2009/10/04(Sun) (第1179話) 源氏物語 寺さん MAIL 

 “「源氏物語、おもしろいわよ」。気まぐれな妻が突然言い出しだのは、一昨年の秋だった。妻も私も国文科出身だが、2人とも専攻は漢文。私には、源氏物語は仕方なく読まされた記憶しかない。やたらと登場人物が多くて、何かというと歌を詠んで泣くのがうっとうしく感じられた。季節や調度の描写は、まどろっこしくて読み飛ばした。学生の頃は、読まなければならない本が他にたくさんあった。
 「何を今さら・・・」と妻の言葉を最初は聞き流していたが、「読まずに死んだら、絶対後悔する」とまで言う。気がつけば人生も半ばを過ぎ、そろそろ定年も見えてきた。どんなに急いだって死ぬまでにできることは限られている。だまされたつもりで昨年、妻の買った対訳本を読み姶めた。そして驚いた。学生時代に勉強した同じ物語とは信じられないほど、身にしみておもしろいのだ。
 光源氏の青春時代の華々しい恋愛遍歴よりも、盛りを過ぎてからの後悔や苦悩に共感を覚えた。とりわけ紫の上をうしなった後、出家を望みながら過ごす1年は、人生のはかなさがしみじみと身に迫ってきて、通勤電車の中で思わず涙してしまった。そんな私を尻目に妻は「柏木はオダギリジョー、夕霧は妻夫木聡で誰か映画化してくれないかなあ」だそうである。”(9月19日付け朝日新聞)

 神奈川県平塚市の公務員・渡辺さん(男・54)の投稿文です。「ローマ人の物語」は2008年8月20日に紹介した第979話の話にそそのかされて読んでみた。そしてその話に嘘はなかった。実に面白いし、勉強になった。文庫本であるのでまだ全巻が発行されていなくて、今年もつい先日35巻から37巻の3巻が発行された。買ってきて今読んでいる。
 今度は「源氏物語」の勧めである。もう一度、このそそのかしに乗ってみるか。実はわが家には谷崎潤一郎訳の「源氏物語」全10巻がある。昭和60年位に読んだようだ。どんな感想だったか定かではないが、20数年ぶりのことになる。持っている本の難点は、今のボクには字が細か過ぎることである。




2009/10/02(Fri) (第1178話) 娘からのサプライズ 寺さん MAIL 

 “92歳の義母のもとに連日介護関係者が訪ねてきて、その対応で日々が過ぎていく。そんな現状を知る東京に住む娘から、1枚のチケットが送られてきた。米国ブロードウエーのキャストによるミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」。先の予定など立てられない日々であるが、遠い先のことと思えたその日は、あっという間にやってきた。
 何とか行けそうだ。日頃の疲れを癒やすべく、ちょっぴりおしゃれをして会場に出かけた。指定された席を探し、座ろうとして驚いた。なんと隣の席には、東京にいるはずの娘がそしらぬ顔をして座っているではないか。
 舞台に繰り広げられる懐かしい歌やダンスは、私を一気に青春時代に引き戻し、夢のような時間が過ぎた。ミュージカルは癒やしのひとときではあったが、娘がくれたサプライズが、何よりも私の活力源となった。”(9月18日付け朝日新聞)

 愛知県蒲郡市の主婦・鈴木さん(65)の投稿文です。チケットをくれたばかりではなく、それと知らせず自分も隣の席を用意していた。母娘二人で舞台を見るというにくい贈り物に読んでいて思わず微笑んでしまう。先日の「(第1175話)命の泉」には悲壮感があるが、こちらはウィットである。子供からのプレゼントはその中に込められた気持ちである。こういう親子関係が続けば楽しいだろう。




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