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第63号  2009年7月

2009/07/30(Thu) (第1147話) この親にして 寺さん MAIL 

 “W君の息子さんが高校一年の時のこと。夏休みの補習授業の帰り道に雨が降り出した。「あと少しで家に着く」と懸命にペダルを踏んでいた。信号待ちのところで、エンストして動かなくなった軽自動車が目に留まった。自転車を道端に置いて運転手に声をかけた。
 「おばさん。押してあげる」。そう言うと、車の後ろに回って押し始めた。ところが、高校生一人の力では動かない。マニュアル車だったので 「おばさん、ギアをセカンドに入れて僕がハイッと言ったらクラッチを放してね」と指示し、ありったけの力を振り絞って押すと動きだした。エンジン音が響き「よかった」と思った瞬間、そのおばさんは一言の礼も言わずに去って行ってしまった。雨に打たれてずぶぬれになって帰宅した。父親に腹立たしい思いをしたと事情を話した。それを聞いてW君は、息子さんにこう諭したのだそうだ。
 「それはいいことをしてくれた。お父さんが、そのおばさんに代わってお礼を言うよ、ありがとう。やっぱりお前は父ちゃんの子だ。その人もきっと車を止めてお礼を言いたかったに違いない。でもまたエンストしてしまうかもしれないから、やむを得ず走って行ったんだと思うよ」と。”(7月12日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。困っている人を見て、自分に時間的余裕があり、自分にあまり不都合がなければ人助けもするだろう。自分を基準にすればここら当たりが一般人であろうか。W君はずぶ濡れになって人助けをした。それも高校1年生である。一番しにくい年代である。一般的な善意ではない。そして父親の対応である。この言葉も出ない。まさに「この親にしてこの子あり」の話である。「旅先の美」にも似た話である。
 先日の新聞にこのおばさんのような人の話が載っていた。それは交通誘導してもらってうまく走り出せたが、止めてお礼を言う余裕もなく帰ってしまったことを悔やむ文章であった。W君のお父さんが言われたことが現実にある話である。W君が知ればより納得されるであろう。そして父親への信頼もより高まるのではなかろうか。伝えられないのが残念である。




2009/07/28(Tue) (第1146話) ヘルメット 寺さん MAIL 

 “妻に「頭のてっぺんが随分薄くなった」と言われた。そういえば洗髪時、鏡に映る頭のてっぺんが透けて見える。両親、兄弟の系統は白髪だが、髪の薄い人はいない。
 思い当たることがある。退職までの三十数年、毎日ヘルメットをかぶって仕事をしていた。二十数年前からは発泡スチロール入り緩衝構造二重ヘルメットに替わり、あごひもを締めると気も締まるが、重たくて頭に密着し空気の循環がなくなる。特に夏は暑さと汗でヘルメットの中は蒸し蒸し状態で、髪に相当負担をかけていた。原因はこれだと思った。
 ヘルメットをよく見ると、小さな傷が無数についていた。日常作業や台風などの災害復旧の過酷な作業の際、いつも頭を守っていてくれた。この仕事が嫌だと思ったことはなく、誇りを持って安全第一で作業をしていたが、気がつかないところで頭を守っていてくれたのだ。大きなけがもせずに退職できたのもヘルメットのおかげだと思う。
 髪が薄くなったのは一抹の寂しさはあるが、現場一筋、一生懸命働いた証しと思う。三十数年、春夏秋冬頭を守ってくれたヘルメット。本当にありがとう。”(7月10日付け中日新聞)

 長野県飯田市の山口さん(男・61)の投稿文です。ヘルメットと髪が薄くなるのと関係があるかどうかは知らないが、ヘルメットは本当に必要である。何といっても人間のもっとも大切な頭を守るものだから。山口さんの仕事は多分建設作業か、それに類似した仕事である気がするが、もしそうだとしたら大変にきつい、危険な作業である。知らないうちに頭を打つことも多かろう。ヘルメットをつけていなかったら、その度に痛さを味わったであろう。それをヘルメットをつけていたおかげで、知らないうちの小さなヘルメットの傷で終わっていたのである。ボクも時折ヘルメットをつけていたので、その大変さと需要性は分かるつもりだ。しかし、ヘルメットをつける仕事は往々に軽視されることが多い。山口さんはこの仕事に誇りを持ってみえた。社会はこういう人たちによって成り立っているのである。




2009/07/26(Sun) (第1145話) 旅先の美 寺さん MAIL 

 “アジサイの名所、愛知県蒲郡市の形原温泉「あじさいの里」に六月、一人で出掛けました。名鉄の形原駅で降りたのですが、バスが見つかりませんでした。通りかかった手押し車の高齢の女性に道を尋ねると「遠いけれど、昔は私も歩いたからね」と言われ、張り切って歩きだしました。
 教えられた方向へ十五分ほど歩いた時、下校中の小学生たちに会いました。低学年らしき少女に「この道を真っすぐ行けばいいの? 遠い?」と聞くと、[遠いです」と少女。覚悟を決めて、近くにあったスーパーに立ち寄り、アイスクリームを口にし、再び歩き始めました。さらに歩いていると、一台の車が私の横に。助手席から降りてきたのは先はどの少女で、さっと後部座席に移りました。運転していた母親に「どうぞ乗ってください」と言われ、ありがたく乗せていただきました。
 少女が帰宅後、母親に「あじさいの里」まで歩いている私の話をし、親子で捜し回ってくれたそうです。駅からの距離は2km程でしたが、旅先で思いがけない親切を受け、たどり着いたアジサイの花はひときわ美しく、心温まる一日となりました。”(7月9日付け中日新聞)

 「虹」という欄から名古市のホームヘルパー・山下さん(女・70)の投稿文です。少女の優しい気持ちに答えたお母さん。このお母さんはいい子育てをされたと思う。やってみせる、これが子育てだと思う。この少女は子供心にも、私のお母さんはいいお母さんだと思うだろう。そして、私もお母さんのようになろう、と思うだろう。
 この親子は山下さんの投稿文を読まれたであろうか。是非読む機会があって欲しいものだ。山下さんが新聞に投稿までして、心温まるいい1日になったと感謝されたことを知れば、この行為の大切さをより知るところとなるであろう。山下さんも感謝の気持ちを投稿されたのはいいことだと思う。嬉しいことは自分1人のものにせず、披露して多くに知らしめした方がいい。喜びが何倍にもなる。




2009/07/24(Fri) (第1144話) ゴミ捨ては減る 寺さん MAIL 

 “私は週1、2回、自宅周辺で清掃ボランティアをしている。おおむね清潔なのだが、自宅から歩いて10分ほどの道路脇と線路脇がゴミ捨て場同様になっている。雑草が生い茂っているせいか相当ひどい。そこで毎週、その付近のゴミを徹底的に拾い、雑草を刈り取ることにした。初めの頃はたばこの吸い殼や菓子袋が何度も捨てられていた。
 ところが、きれいになるにつれ、徐々にゴミが減りだしその付近だけがきれいになってしまった。人間の心理からか、きれいな場所にはゴミを捨てにくいらしい。ゴミが減り、周辺がきれいになったのに気をよくした私は、新たなゴミを見つけ次第拾い、雑草も生えたらすぐ抜くようにしている。
 「継続は力なり」を実感したようで、誠に心強い。この成果を踏まえ、これからは第2、第3の「汚い場所」を選定し、徹底的にゴミを拾ってみようと思う。”(7月8日付け朝日新聞)

 愛知県一宮市の会社員・山内さん(男・43)の投稿文です。ゴミ拾いの話は時折紹介するが、山内さんの場合は半端ではない。週に1、2回、草刈りまでして、徹底していると言われる。それも無職の人や高齢者で時間の余裕のある人ではない。43歳という若い会社員である。多分1人でされているのであろう。身近な場所を綺麗にしておきたい、その一心であろう。どの点を取り上げても普通にはできないことである。こうした人を手本にゴミ拾いをされる人が増えることを期待したい。ゴミを捨てる人がいなければ全く不必要な行為ではあるが・・・。
 実はボクも山内さんとほとんど同じようなことをした時がある。ただし1年で終わってしまった。「継続は力なり」を実感できなかった。




2009/07/22(Wed) (第1143話) 薫製 寺さん MAIL 

 “主人の趣味は渓流釣り。時聞が空くと、お手製の毛ばりを持って、いそいそと川へ出かけて行きます。ぜんぜん釣れない時もありますが、何匹か釣れると、お得意の薫製作りが始まります。それが始まると、もう大変。アマゴやイワナの内臓をきれいに取り、香草やローリエ、ブラックペッパー、三温糖などを入れた濃いめの食塩水に丸一日ほど漬け込み、流水にかけ、乾かし、段ボールの自家製薫製器に入れて、桜やリンゴのチップでいぶします。
 主人は薫製のためなら昼夜問わず張り切って動き、全部一人でやっていますが、一工程が終わるまで夜中に突然目覚まし時計が鳴ったり、冷蔵庫は魚たちで占領されるし、ガスコンロには薫製器が乗っかっているし、何度もメールで「今、薫製器の温度は何度?」と聞かれるし、私は不機嫌になります。
 しかし、三日ほどかかってやっと出来上がったピカピカの薫製を、主人が満足げに見つめながら、きれいにむしって二人の子どもたちと私の口の中へ、親鳥がひなに餌をあげるように放り込んでくれるその味は、何とも言えないおいしい昧で、家族がみんな笑顔になる瞬間です。”(7月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・藤巻さん(43)の投稿文です。釣りの好きな人が食べるまでキチンと始末する話は時折聞きますが、でもこの薫製の話にはびっくりです。ここまでするのか・・・・釣りをしないボクには全く信じられません。そして、薫製にはこれほど手間暇がかかるのだ。その結果「親鳥がひなに餌をあげるように放り込んでくれるその味は、何とも言えないおいしい昧で、家族がみんな笑顔になる瞬間です」というのが実にいい。実にいい家族だ。
 そして、藤巻さんのご主人のことは、亡くなっても、集まるたびに話題になるだろう。懐かしく薫製の話になるだろう。そしてその薫製の味まで思い出す。その他の生活のことは分からないが、一芸に秀でた人の徳である。ああ・・・ボクなど鬱陶しい人だっただけで終わるだろう。




2009/07/20(Mon) (第1142話) 父の弁当箱 寺さん MAIL 

 “朝、炊き上がったご飯を詰め、中央に梅干しを入れた父のアルミ製弁当箱のふたを見て気づきました。中央に五ミリほどの丸い穴が開いています。父に聞くと「梅干しで穴が開いた」といいます。
 自家製の梅干しにご飯、そして母の作るおかず。この弁当箱を、結婚した年から三十六年間使っているそうです。新しい物を買ってあげようかと言うと「飯がこぼれるわけじゃないし、梅も呼吸ができて、ちょうどいい」と笑って答えました。三十六年という長さに驚き、使い込んだ弁当箱に見入ってしまいました。
 父から仕事の愚痴を聞いたことはありません。雨の日も暑い日も雪の日も、この弁当で活力をつけ、家族のために一生懸命働き続けてきたのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。また三十六年間、どんな気持ちでこの弁当箱を開いていたのかと考えると、胸が詰まる思いがしました。”(7月3日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の福祉施設支援員・相馬さん(女・34)の投稿文です。続いて懐かしい話である。ボクは梅干しで穴の空いた弁当箱を使ったことはないが、家にはあった。多分父が使っていたのであろう。ご飯が傷まないようにと梅干しを入れたようだが、それもあったろうが、おかずが貧しかったのが本当のところではなかったろうか。梅干し一つあれば、弁当のご飯の大半は食べられる。相馬さんのお父さんは、今もその弁当箱を使っておられる。36年間である。捨てるに捨てられないのも本当だろう。ものは大切に使えば使うほどに大切になる。これもエコ生活である。使い捨てなど便利なだけで、何の感慨もない。
 ボクは学校給食にありついたことがなく、高校まで12年間、アルミ製の弁当箱を持っていった。ただし、梅干しの替わりに昆布の佃煮であった。特に小学校高学年からは明けても暮れても昆布の佃煮が入っていた。昆布は髪によいと言われるが、ボクが昆布をよく食べた話をし、ボクの髪を見られたらそれを信じられるだろう。ボクは散髪屋さんが驚くほどに今も髪が豊なのだ・・・ただし、真っ白ではあるが。調べてみると、昆布の効用は言われるほどではないが、少しはツヤのある丈夫で健康な髪に役立っているようだ。でも、ボクはこれも親の愛として素直に信じておこう。ただ安上がりだっただけのことではあるが・・・・。




2009/07/18(Sat) (第1141話) 蚊帳 寺さん MAIL 

 “明け方に寝苦しさを覚えるようになった。蚊の季節である。「だから蚊帳をつればいいのに」。よく眠れないまま朝を迎え、眠い目をこすっている私に母が言った。蚊が入ってこないようにと部屋を締め切ることなく涼しく寝られるし、蚊取り線香のように火の元の心配もないし、と母は昔ながらの蚊帳を重宝している。しかし私は面倒に思って、それまでに自分から蚊帳をつろうとしたことがなかった。
 どういうわけか、こんな私が今年は蚊帳の中で寝てみようという気になったのである。翌日の準備をすべて終え、床に布団を敷いて蚊帳をつる。中に人ると、どこか懐かしいにおいがする。いつだったか、おばあちゃんが「雷の時はこの中でじっとしとるんだよ」って蚊帳の中に入れてくれたっけ。
 蚊帳の中に人ると世の中の喧騒から解放されるのを感じる。面倒くさいどころか、この何とも言えない独特な空間にすっかりはまってしまった。もちろん、顔の周りを飛び回る蚊に起こされることもなくなった。蚊取り線香でも、電気蚊取りでもなく、蚊帳。これがきっと私の夏の必須アイテムとなるに違いない。”(7月1日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の大学生・伊藤さん(女・18)の投稿文です。懐かしく思って取り上げた。今でも使ってみえる家があるのだ。蚊取り線香でも、電気蚊取りでもなく、蚊帳、エコ生活でもある、時代の先端という気さえする。消耗するものでなく、繰り返して使えるものがエコ生活である。
 独特の空間、いいことを言われると思う。何もない狭い空間、いろいろな思いに浸ることができる。この投稿は18歳の大学生の方だ。こんな方からこんな話を聞くとは、思っても見なかった。
 ボクの家から蚊帳がなくなったのはいつの頃からであろうか。ボクの新婚時代は蚊帳であった。父母はかなり後まで使っていた気がするが、思い出せない。思い出すのは、少年時代である。大きな蚊帳に一家4人が寝ていた。どんな吊り方だったかも鮮明に覚えている。雷が鳴ると真っ先に入ったものである。この蚊帳の中で蛍も飛ばした。
 確かに少しの面倒くささはある。この少しの手間を省くために、なくしたものも大きい。あまりに便利になると喜びはなくなる。我々はこの間違いをいろいろなところで犯してきたのではなかろうか。蚊帳を今買えば高価なものであろう。処分してしまったことが悔やまれる。




2009/07/16(Thu) (第1140話) 恩送り(その3) 寺さん MAIL 

 “強風の日、地下鉄駅近くに止めた自転車が軒並みなぎ倒され、自分のが出せなくなりました。通り掛かった若い女性が飛んできてくれましたが無理。三十代ぐらいの男性も手伝ってくれ、やっと出すことができました。
 今までは困った人を見ても見ぬふりをしていました。でもその日から地下鉄で席を譲ったりするように。恩返しと言うのは押し付けがましいですが、14日付朝刊県内版に紹介されていた「恩送り」をしていきたいです。”(6月30日付け中日新聞)

 名古屋市の73歳・男性の投稿文です。この苦労している風景もよく見るものである。そして、手伝っている人も時折見かける。
 この文でボクが伝えたいのは、14日の記事が73歳男性にいい影響を与えたことである。自転車の話が14日以前のことか以後のことか分からないが、この記事によって自転車のことがより心に残り、その親切を次に伝えていこうと思われたのである。恩送りという言葉も知られたようである。いい話の伝搬である。これがこの「話・話」の狙いでもある。いい社会にするのに、いい話を伝えた方がいいのか、悪い話を伝えた方がいいのか・・・・ボクは絶対にいい話だと思っている。悪い話から自分はそうしないようにしようという効果より、いい話から自分もそうしようという効果の方が絶対に大きいと思う。
 先日の新聞に「ある本で見つけた句。善人の記事スペースの小さすぎ」と言う文字が目についた。全くだ。この「話・話」の材料を見つけるのにいかに苦労しているか・・・。人はいい話より、悪い話の方が興味を引くだろうが、興味本位ばかりでなく、その功罪をもう少し考えてもらいたいものだ・・・とボクも注文をつけたい。




2009/07/14(Tue) (第1139話) マイはし奨励 寺さん MAIL 

 “最近、飲食店や食堂で割りばしを使わず、再利用が可能な塗りばしを置いたり、自分のはしを利用する「マイはし」を奨励する動きが広がっているという。めん類が食べにくいなどの理由から割りばしも一部置いているが、環境対策から塗りばしを導入した食堂や回転ずしチェーン店で「マイはし」の客に割引を実施するところなど、官民を問わず原木の過剰伐採や使い捨てをなくしたいとする事業主の環境意識の表れであろう。
 二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの削減目標を定めた京都議定書が2005年2月に発効して4年以上経過したが、この間ノーネクタイ、ノー上着のクールビズは温暖化問題のPRに一役買ったと思う。集中豪雨や暖冬などの異常気象が地球温暖化を実感させるが、冷房は28度に設定するとか、テレビを見ない時は消すなどと同様に、身近な割りばしからも環境意識を新たにしたい。”(6月22日付け中日新聞)

 大津市の書道講師・宇野さん(男・69)の投稿文です。少し過激な発言ながら、ボクはこの「話・話」でもう何度も記したが、所詮人類は滅亡する、それを人間の叡智でどこまで遅らせることができるか、それだけだと。そして、最近の政策や世の中の動きを見ていると、残念ながらその遅らせることさえ忘れてしまっている気がする。景気対策の前にはエコ行動や環境意識など問題にならないのである。エコ政策でさえ、エコの名を騙った経済対策としか思えない。
 でもボクは、焼け石に水でも、砂漠に垂らす一滴の水であっても、エコ活動はやらねばならないと思っている。エコキャップ活動もレジ袋も、そしてこのマイ箸運動もである。宇野さんに全く同意する。しかし、運動が小さいだけに「木を見て森を見ず」と言うことにならないように気をつけねばならない。
 ボクも最近マイ箸をカバンに忍ばせている。使うところでは使っている。そして、いろいろやっているといろいろなことが起こる。ある全国展開しているファミリーレストランで、割り箸を断って自分の箸を使った。そしたら感心し、感謝の言葉を言われた。それが嬉しく、そしてあることをを思いつき、そのことを本社にメールで送った。すぐにお礼の電話がかかってきた。そう簡単にボクの思いつきが実施されるとは思わないが、少し楽しみになってきた。箸については2005年1月25日の「(第180話)アドバシ」、2009年4月9日の「(1092話)旅はマイはし」も読んで頂きたい。




2009/07/12(Sun) (第1138話) 雑用 寺さん MAIL 

“   『雑用というものはありません。用を雑にした時に、雑用が生まれるのです』
              元ノートルダム清心女子大学長 渡辺和子
 渡辺先生は若き日、アメリカの修練院で配膳係をしていた。「何とつまらない仕事」と思いながら。背後から修練長の厳しい声。「あなたは何を考えながら皿を並べていますか。同じ皿を並べるなら、やがてそこに座る人の幸せを祈りながら置いてはどうですか」と。
 ロボットでもするような仕事をしていたのでは時間がもったいない。「つまらない」と思いながら仕事をしたら、つまらない時間を過ごしたことになり、幸せを祈りながら仕事をしたら祈りと愛のこもった時間になる。「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方」と語られる。
 道元禅師が「俗事などというものはない。すべて仏事であるが、それに立ち向かう人の心一つで俗事におとしてしまう」と示されたお心と全く一つであることに感動したことであった。”(6月20日付け中日新聞)

 青山俊董さんの「今週の言葉」からです。この言葉から「雑草などと言う草はない」という言葉をすぐに思い出した。この言葉は昭和天皇の言葉だそうで「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない」と言うことのようです。雑用にしても同じだった。自分が雑用にしてしまうのだ。その時、その時、大切なこと、大切なことと思って真心込めて行えば雑用にはならない。
 確かに人間はほとんどの価値を自分の都合で決めている。自分が気に入ればいいものであり、役立たなければ悪いものである。すべて自分が基準である。人間生活していく上ですべてを受け入れる訳にはいかない、ある程度の選別はやむをえない。しかしこの選別が自分の都合であることを心得ている必要がある。そうすれば大きな間違いを起こさないだろう。
 時には人に対しても選別を行っている。自分のことを棚に上げ、自分に役立てばいい人であり、気に入らなければ悪い人である。この身勝手さが無用な混乱を招く。人に対しては軽々選別すべきではない。




2009/07/10(Fri) (第1137話) 辻井さんとお母さん 寺さん MAIL 

 “生まれつき全盲のハンディを負いながら、20歳にしてバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんに心から感動した。
 幼少時から音楽に対する感性は人一倍優れ、鍵盤に触れている時が一番うれしいという。視覚障害者がピアノを習う場合、一般には点字楽譜を使う。彼は曲を耳で聞いて理解し記憶する。自分の弾こうとする曲を右手のパート、左手のパートと別々にプロに弾いてもらい録音して覚える。
 忘れてならないのは、お母さんの子育ての姿勢だ。「音楽だけでなく、すべての感性を豊かに育てることが音楽家としての人生を豊かにする。そんな思いから美術館でも作品ごとに立ち止まり、芸術作品の色、形、様子を語って聞かせた」と言っている。辻井さんも「花火に行っても、心の中で色とりどりの花火が開く。母のお陰で何でも心の目で見られる」と語る。若いお母さんや障害児の親御さんのよき手本となろう。”(6月18日付け朝日新聞)

 一宮市の大学教員・坂井さん(男・71)の投稿文です。辻井さんに感動した話はいたるところで目にする。ボクも感動しているので、触れざるをえない。
 ピアノコンクールで優勝することだけでも称賛なのに、それが生まれつきの全盲のハンディを持っての優勝である。感動は当然である。曲を耳で聞いてと言われるが、1音、2音ではない、あれだけ激しく指を動かすのである。ボクには信じられない。人間の能力ってどうなっているのだろう。凡人はいかに、使わず、働かせずにいるかと言うことである。だから凡人である。
 そして本人の努力と共に、周りの人の支えがあってその努力が実るのである。お母さんは「美術館でも作品ごとに立ち止まり、芸術作品の色、形、様子を語って聞かせた」と言われる。大変な努力である。絵の専門家でもない人で、絵を見てこれほどに観察されている方はあるのだろうか。お母さんも伸行さんがあって大きな成長をされたと思う。
 そして、生まれつきの全盲の方は色をどのように認識されているのだろうか。一度も見たことがないのである。色という概念を言葉や感覚で知ることができるのだろうか。凡人には分からないことばかりである。




2009/07/08(Wed) (第1136話) 一言で変わる 寺さん MAIL 

 “たった一言で人生が変わることがある。マザー・テレサの言葉を借りれば〈やさしい言葉は、たとえ簡単な言葉でも、ずっとずっと心にこだまする〉からに違いない▼うつ専門のカウンセラー沢登和夫さん(35)の場合、2年4ヵ月ほど前にかけられた感謝の言葉で人生が変わった。難病の治療で大腸を全摘出する手術を受けて退院した日、電車で自宅に戻る途中の出来事である▼込んでいる中で座れてほっとしていると、目の前に80歳くらいに見える女性が立った。腰が曲がり、杖をついている。2、3秒、席を譲るかどうか、迷った。自分も体調が悪いのだから当然だろう▼頑張って「どうぞ」と声をかけると、下車するまでの約20分で30回以上は「ありがとう」と言われた。1回ごとにほんの少しずつだが、孤独感、無力感から解き放たれていく気がしたという▼実は沢登さんは当時、うつ病でも苦しんでいたのだ。この日を境に回復に向かい、今では病気になる前よりも楽しく生活できていると言い切る。だからこそ、あの日の女性の言葉を広めて、世の中まで変えたいと順っている。”(6月14日付け中日新聞)

 コラム欄「中日春秋」からです。「ありがとう」この言葉の効果は大きい。ボクの掲示板で春爺さんという方が、『「ありがとう」この一秒ほどの短い言葉に、人の優しさを知ることがある。』と言うことを書かれた。「ありがとう」は感謝の言葉であり、優しさであるのだ。それを20分で30回以上、聞く方は全く恐縮してしまうだろう。そして、これだけ感謝されると譲って良かったと誰でも思わざるをえない。
 ボクの母もこんなところがある。何をしても、やっても「ありがとう」を連発する。特に介護が始まってからは良く言う。それで妻も何とかやってこられたのであろう。どうして母はこのようにありがとうが気軽に言えるようになったのだろう。仏教のお説教をよく聞いたおかげだろうか。思ってもなかなか口から出てこない人は、2005年1月8日の「(第165話) ありがとう克服法」を読んでみてください。




2009/07/06(Mon) (第1135話) 「138」ナンバー 寺さん MAIL 

 一宮市の市長車、副市長車、議長車が駐車されているところを見ると、3台ともナンバーが「一宮」と語呂合わせの「138」であるのに気付く。気の利いたPR程度に軽く考えていたが、よく聞けば、市良車や議長車の運転手たちが、一宮を愛する気持ちから提言したものだった。
 24年間、市長車の運転手を務め、現在は市管財課で公用車の維持管理をする森英一さん(58)は「私と議長車の運転手の矢知由紀忠さん(49)が、2003年に両方の車を買い替えるときに提案したんです」と明かす。「認めてくれなかったら、料金の2660円は自腹で払うつもりだった」というが、管財課は良い案と認める。こうして公用車2台のナンバーが「138」になった。その後、副市長車も「138」に。一目で分かりやすいナンバーは、市長会の会場などでも注目を集め、「市のPRにつながった」と森さんらは口をそろえる。(中略)
 そもそも一宮と138の語呂合わせは、いつ始まったのだろう。森さんらに尋ねると「138タワーパークの開園からではないか」と返ってきた。同園に問い合わせると、「確かに1996年の開園以来、一宮では行事などにも『138』を使うことが増えた気がする。尾張の人たちは語呂合わせが好きだし、気に入られているようだ」。ちなみに同園の正式名称は「国営木曽三川公園三派川地区センター。138タワーパークは公募で付けられた愛称だ。”(6月14日付け中日新聞)

 記事からです。一宮に住む僕たちにとって「138」の語呂合わせはもうなじみのものである。いろいろなところに使われているが、公用車にまで使われているとは知らなかった。そして、使われるようになってまだ10数年なのだ。良く広まったものである。この138を提案した人の功績は大きい。
 語呂合わせは記念日によく使われている。インターネット調べてみたらあるはあるは・・・。ちなみに7月のものだけを紹介すると
 7月3日 なみ→サーファーデー、7月4日 梨の日、7月4日 那須の日、7月8日 質屋の日、7月8日 ナンパの日、7月10日 納豆の日、7月25日 ナツゴおり→かき氷の日、7月28日 ナッパ→菜っ葉の日 などが見つかった。たわいもない遊び心と言えるが、覚えるのにはいい一つの方法だろう。中学高校時代、歴史の年号もこうして覚えたものだ。何事も活用次第だ。




2009/07/04(Sat) (第1134話) 不思議な機械 寺さん MAIL 

 “お父さんの中華料理店を手伝うことになった。店の厨房には洗濯機くらいの大きさの四角い機械があった。
 お父さんに[この機械に料理の材料を入れるんだ」と言われ、麺やチャーシュー、メンマを入れてみたら、機械の下の扉からラーメンが出てきた。次に、肉と野菜、白い皮を入れるとギョーザが。豆腐と挽き肉を入れると麻婆豆腐が出てきた。
 「これはどうなってるんだ?」と思い、僕はお父さんに見つからないように、今日の宿題とエンピツ・消しゴムを入れてみた。すると宿題をやり終えたノートが出てきた。ノートを見たら間違いだらけだった。お父さんの店に客が入らない理由が分かった。”(6月14日付け中日新聞)

 「300文字小説」から埼玉県川口市の小学6年生・伊藤さん(男・11)の作品です。まったく見事、痛快な作品である。分かりやすい作品でもある。今の時代、何でも機械仕掛けだけにこんなこともありうるのか、大きな違和感もない。とても小学6年生の作品とは思えない。いや小学6年生だから書けたのか。この作品にコメントなどいらない。大賞に推したい。




2009/07/02(Thu) (第1133話) 恩送り(その2) 寺さん MAIL 

 “名古屋市南区の内山美恵子さん(62)がスーパーマーケットで買い物をしたときの話。財布の中のお金が足りないことに気付いた。9円。自分の不注意だったが不足分は明日持って来ます」とお願いしてみる。やはり無理との返事。
 一品返して精算し直してもらうことにした。ところが、そのやりとりを聞いていたすぐ後ろの年配の女性が「これで買っていって。返さなくてもいいわ」と10円を差し出してくれた。店員さんは「よかったですね」と品物を再びかごに戻した。遠慮したが、笑顔で「大金じやないから」と答えが返ってきた。
 実は、棚橋さんと内山さんのお二人。便りの末尾が同じ言葉で結ばれていた。「いつか私も、困っている人がいたら同じように手助けしたい」。まさしく「恩送り」だ。”(6月14日付け中日新聞)

 定員さんの立場にしたら、やってあげたくてもできないのだ。こんな例は沢山あり、自分で出していたり、まけてあげたら、自分が破産してしまうし責任も問われる。辛いところだが無理と返事をせざるをえない。「よかったですね」という言葉に優しい気持ちが出ている。
 10円を差し出した人は、そんな状況を理解し、助けの手を出されたのである。人のことに無関心な時代である。それだけに尊い行為である。
 それにしても「恩送り」とは良い言葉である。好意を与えてくれた人に好意を返せばその範囲内で終結してしまう。それも円滑な交流には必要ではあるが、恩送りは好意がどんどん広がっていくのである。これこそが明るい社会を作るのであろう。




川柳&ウォーク