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第62号  2009年6月

2009/06/30(Tue) (第1132話) 恩送り(その1) 寺さん MAIL 

 6月14日付け中日新聞の「ほろほろ通信」から2話に分けて紹介します。

 “「恩送り」という言葉がある。人から受けた恩を、ほかの人に順に送っていくという意味。
 愛西市の棚橋きみ子さん(71)は、友人たちと韓国旅行に出掛けた。土産を買い込み、荷物が大きくなってしまった。帰国して電車に乗った時には疲れ果てていた。最寄りの駅でのこと。エレベーターがなかったので、まず軽い荷物だけをホームから階段で降ろした。置きっぱなしにしてある荷物を取りにホームに戻ろうと振り返ると、後ろから見知らぬ青年が大きな重いかばんを運んで付いて来てくれていた。
 思わず手を合わせてお礼を言った。それだけではない。友人の方を見ると、やはり通り掛かりの若い女性が、大きな荷物を手にホームと改札を2往復。疲れもたちまちうせてしまったという。”(6月14日付け中日新聞)

 「恩送り」という言葉については、2007年1月9日の第709話で紹介した。この話のタイトルがなぜ恩送りかは、次回の最後の文、棚橋さんの「いつか私も、困っている人がいたら同じように手助けしたい」という言葉による。
 重い荷物に困っている姿も時々見る光景である。しかし、なかなか手助けの手が出るものではない。でもそんなことが容易くできる人もあるのだ。それも若い人に。電車の中の風景を見ていると、そんなに優しい人があることが本当とは思えない。電車の中では座りたい弱者も多い。でも席を譲る風景は全く時折である。弱者優先席でも全く無頓着に座っている。こんなことができなくて、どうして荷物など持つことができようか。本当に人様ざまだ。
 棚橋さんは71歳である。まだ何を手助けして、恩をお返ししようと言われるのか。もう十分されたから、恩送りは次の人に託してただ受ければいい気がするのだが・・・。




2009/06/28(Sun) (第1131話) 再会 寺さん MAIL 

 “4年前の夏のこと。香川県丸亀市のカラオケ喫茶で、発表会で歌う予定のデュエツト曲を1人で練習していた。すると、突然ステージに見知らぬ女性が上がってきて、女性のパートを歌ってくださった。
 大変上手な方で、私も気持ちよく歌うことができた。席に戻ると、「昔教えていただいた高校の先生でしょうか?」と、その女性が話しかけてきた。その瞬間、かつて商業高校で、珠算と英語を教えていたころの記憶がよみがえった。38年ぶりの再会だった。いまは病院で看護師として働いているという。
 意気投合し、何度かカラオケに行くうちに「もう一度、珠算を勉強したい」とおっしゃるようになった。以来、病院勤務の休みの日に、私が講師として出向き、彼女と彼女の同僚たちに珠算を敦えている。香川さんは07年1月に珠算検定1級、08年5月には2段、今年3月には3段に合格。とんとん拍子に階段を駆け上がった。忙しい毎日を送りながら珠算の練習も続けている彼女には、更に昇段を目指して頑張って欲しい。まさに「継続は力なり」だ。”(6月13日付け朝日新聞)

 香川県多度津町の珠算塾経営・野田さん(男・81)の投稿文です。38年ぶり、こんな再会もあるのだ。そして感心に思うのは、野田さんは81歳でまだ塾を経営し、珠算を教えてみえること。教え子の女性は、計算してみると50代半ばになろうが、その歳にして病院勤務しながら野田さんから珠算を習おうとされ、そしてとんとん拍子に昇段されたこと。こんな再会もあるのだ。こんな話を聞くと、人生出会いだなと言うことを本当に感じる。自分一人ではできることも楽しむこともしれている。周りの人との交わりの中で生じてくる。人との交わりが苦手な人もあろうが、少しずつ、自分の枠を越えてみてもいいのではなかろうか。前回のクラス会(同窓会)も同じである。
 ボクは先日の一宮友歩会6月の例会でこのことをしみじみと感じた。3人の方に説明を頂いた。この3人の方はこの例会を準備していく中で知った。それも人づて、人づてによって知り、お願いすることができた。交わりの大切さである。




2009/06/25(Thu) (第1130話) クラス会 寺さん MAIL 

 “中学校のクラス会の通知が来た。卒業から半世紀、初めての集いだ。しかし、クラス替えのなかった3年間、みんなに無視されていたというトラウマから、参加する気になれなかった。
 後日、手紙と写真を送ってくれた友人によると、出席したのは半分の20人。おのおの、半世紀にわたる自身の物語を語ったという。車いすで来た人、うつを体験中の人。そこには物語が20あったという。来年は全員出席を目指すらしい。新たな20の物語が加わるのだろうか。何かを求めて出席した人、何かを拒否して欠席した人。
 「今日しか生きられないのに、今日だけでは生きていけない。昨日と明日を結ぶお話」。クラス会の写真を見ながら、最近読んだ本の1行が頭をよぎった。私は来年、自分の物語を語るのだろうか。揺れる心に、雨に打たれた紫陽花の濃紺がしみる。”(6月12日付け朝日新聞)

 津市の主婦・石黒さん(65)の投稿文です。「石黒さん、昔のこだわりは捨てて来年は是非出席してください。いろいろな杞憂はすぐ吹っ飛び、楽しい話がいつまでも続きます。」
 ボクは小学校は1学年30人ほど、中学校は100人ほどの田舎の学校を卒業しました。そして、いつ以来か、共に同窓会の代表幹事をしています。平成に入った頃から同窓会を開くようになり、最近では中学校は毎年、小学校は1年置きに開いています。中学校は6月に、小学校は1月と開く時期も場所もほぼ固定しています。皆予定が立ちますし、幹事も迷わなくて楽です。以前は、往復葉書で出席を聞いていましたが、ここ数回は分担をして、電話をかけてもらっています。電話にしてから出席者は5割り増しになりました。その結果、中学は4割、小学は6割程度の出席があります。いつも最初の会場では終わりません。ほとんどの人が次の会場に移り、いつまでも話し込んでいます。全く賑やかです。
 ボクが同窓会にこだわりを持つのは、最後はふるさと、同級生だという気がするからです。幼い頃に戻れるのは同級生と会うときです。お互い離れ、なかなか会う機会もありません。毎年開いても毎年出席できるとは限りません。この歳になると出席したくても、老親の介護など家庭の事情も出てきます。いつ病気で出席できなくなるかも知れません。もうそんな同級生が沢山います。
 今年もつい先日、中学校の同窓会を開きました。出席を迷いながら、今年も出席しなかった人がかなりあるようです。どうやって来年は出てもらおうか、もう策を練っています。そしてこの言葉に語弊もありますが、学校時代目だった人の出席が意外に少ないことです。同窓会は学校時代、できた人の集まりと思うのは大間違いです。昔の、今のこだわりを捨てて、軽い気持ちで参加しましょう。




2009/06/23(Tue) (第1129話) 田の草取り 寺さん MAIL 

 “五月初旬に田植えをしましたが、一ヵ月もたたないうちに一面が雑草だらけになっていました。いつもなら除草剤で済ますのですが、時間に余裕があったこともあり「さて、どうしようか」と、ぼんやり田を見ていました。すると、オタマジャクシやヤゴを発見。これまで気付くこともなかったのに・・・。除草剤を使うのは気が引け、手で草取りを始めました。でも二時間ほどで腰が痛くなり、とうとう限界になりました。
 その時、三羽のカモがすっと降り、田を泳ぎ始めました。「何だか久しぶりに見る光景だなあ」と感慨にふけっていました。
 「そういえば」と思い付き、軽トラックで家に戻り、農機具小屋から回転式の除草機を引っ張り出しました。手で押して先端のつめの部分を回し、土ごと草をかき回す道具。三十年以上使っておらず、さびだらけ。人が見たら「何をやっているのか」と笑われそうでしたが、除草機を押しながら三河の三ケ根山の山並みを望み、時折吹く風は心地よかったです。”(6月11日付け中日新聞)

 愛知県東浦町の農業・鈴木さん(女・64)の投稿文です。つい最近始まった「虹」という欄からです。この欄には「日々の暮らしの中で見聞きした、ちょっといい話や心温まるニュースをお寄せください」とある。「話・話」に全く通じる欄であるので、これからこの欄からの紹介が多くなりそうである。
 さて、除草剤を止めて30年以上使っていない回転式の除草機を引っ張り出してきたという話。本当に何をやっているのだと思われるだろう。でも、人には時としてふとそんな気持ちになるときもあるのだ。先日のボクがただ一人50km以上を自転車で走ったというのもそれの類であろう。オタマジャクシやヤゴを見つけ、また3羽のカモが来て、除草剤を使うのがためらわれた。他の方法はないか、それが回転式の除草機を思い出させた。優しい気持ちになったときである。時にはこんなこともあっていい。
 この回転式の除草機はわが家にもあった。もう20年以上前のことだが、自宅を改造したときに、もう使うこともない古い農機具をほとんど処分した。最近、物置の片隅を少し探したら、もう無いと思っていた押し切りやはんぞう、棹秤が出てきた。何か宝物が残っていた感じである。でもさすが、回転式の除草機はなかった。




2009/06/21(Sun) (第1128話) ドクダミ 寺さん MAIL 

 “1日の「天声人語」の書き出し「名前の響きで損をしているが、ドクダミはかれんな花である」に共感するとともに、遠い日々を思い出す、よすがとなった。
 わが家の花畑、野菜畑、木陰には今を盛りと白い十字形の花(苞・ほう)を見せ、寒さにかまけて除草を怠ったつけをつきつけるように草をはびこらせている。抜いても抜いても根絶やしできない手ごわい雑草であると同時に、民間薬として使われてきた薬草の代表だ。
 それだけに、子供の頃の思い出につながり、忘れがたい。春から秋まで、おできや面疔(めんちょう)に悩まされていた小学校時代。祖母が裏庭で摘んできたドクダミを焼いたものをガーゼに包み、患部にはり付けてうみを吸い出させ、皮膚科にはかからず治してくれた。特有の強いにおいに閉口しながらも祖母を医師のようにありかたく感じていた。
 触れただけでもにおいが移るドクダミ。「お世話になったね」と思いつつ根比べする夏が、もうそこまで来ている。”(6月6日付け朝日新聞)

 三重県いなべ市の主婦・井後さん(56)の投稿文です。あの匂いにもあるが、ドクダミほど損をしている花はないだろう。毒溜めとまで言うそうだ。どこにも毒などありはしない。それどころか十薬と言うほど人間にとっては薬なのだ。調べると、イソクエルシトリンが血圧を下げ、デカノイルアセトアルデヒドが殺菌作用で蓄膿症を改善、利尿作用で便秘が改善、フラボン成分は細胞組織を保護、血液循環を良くして、悪血を取り去り神経痛を改善、動脈硬化、高血圧、アトピーなどに効果があるとある。妻は消臭作用があると言ってトイレに飾っている。花としても優れている。
 更に井後さんが言われるようにその生命力である。凄いのである。しかし、この凄さが逆に難点にもなるのである。 一度根が入ったら、もう絶やすのは至難のことである。いくら耕して取ってもどこかに残っている。そして知らぬうちにまたはびこる。そこに植えてあるものなどほとんど凌駕されてしまう。これがあえて言えば毒である。ボクの花畑などドクダミを栽培しているのかと思われる場所がいくらもある。
 まずいやがる気持ちを払拭せねばいけない。上記のような利点を積極的に見るようにしよう。これは万事に通じる。この井後さんの投稿から、今月の川柳連れ連れ草を「十薬の章」とし、掲示板のUPクイズでも題材にした。ドクダミ様様だ。




2009/06/19(Fri) (第1127話) 幸せ日記 寺さん MAIL 

 “若いころ時々書いていた日記を、ここ数年前からまた書き始めた。読み返してみると何とつらいことや苦しいことばかり書いている。風邪をひいて冶りかけたと思ったらぜんそくになり、やっと落ち着いてきたら今度は動悸がひどくてえらいとか、キャベツをスライサーで切っていて指をスライスし、大出血したとか、子どもの学費の納入時期がくるのにお金が全く無いとか・・・。
 読み返していて思い出し、また呼吸が苦しくなったり動悸がしたり、何とまあバカなことをしているのかと思った。そこで、日記に書くことを全く逆にすることにした。
 久しぶりにおいしくできたハンバーグを家族全員に褒められたこと、病院の帰りに初めて寄ったパン屋さんで買ったハンバーガーが、私が作ったものよりすご〜くおいしかったこと、薬局にばんそうこうを買いに行ったら、何とまあ、入荷したばかりのマスクを一緒に買えたこと、ラジオに投稿したファックスが採用されたこと。こうして日記を書いていると、幸せを感じられるようになった。だから、私は今、幸せ日記しか書かない。”(6月5日付け中日新聞)

 岐阜県川辺町のパート・山田さん(女・52)の投稿文です。是非2004年12月23日の「(第151話)日記術」を読んで欲しい。まさに第151話の証明のような話である。
 日記は記録の意味も大きいが、いろいろな愚痴や不満の捨て場所でもある。それでスッキリすれば、その意味も大きい。しかし、愚痴や不満は書いてもなかなか解消するものでもない。返って増幅することもある。そして、後に読み返して山田さんのように呼吸が苦しくなったり動悸がしたりしては何の日記だった分からなくなる。第151話で向後千春早稲田大学助教授は「できるだけ嫌なことは書かずに、楽しい思い出やエピソードを書くようにします」と言っています。それが今の山田さんである。
 人間、良い方面に目を向ければ良い気分になり、悪い方面に目を向ければ悪い気分になる。全くこの「話・話」に通じる話である。いやなことからの逃避かも知れないが、明るい気分になることによって、いやなことが乗り越えられることもある。いや、現代社会はいやなことが充満していて、とても逃避しきれるものではない。いい話を探すのはなかなか苦労である。山田さんは良いことを思いつかれた。




2009/06/17(Wed) (第1126話) 一宮モーニング 寺さん MAIL 

 “一宮商工会議所青年部から「喫茶店のモーニングでまちおこしをしたいので手伝ってほしい」と、オファーがありました。私は快諾し、一宮商工会議所青年部が結成した「一宮モ一ニング探検隊」の一員に加えてもらい、活動を始めました。
 一宮の喫茶店の経営者に話を聞いてみると、地場産業である繊維業とともに栄え、昭和四十年代後半から五十年代半ばごろにかけて喫茶店の間でサービス合戦が過熟し、「モ一ニング戦争」と呼ばれる事態に陥っていたことも知りました。今でも一宮のモ一ニングは豪華なことで有名ですが、ある店のマスターはこう言いました。
 「客が来ない赤字と客が来る赤字、どっちがいい?オレは客が来る赤字の方がいいと思うんだ」と。このように、一宮の喫茶店のモーニング(一宮モーニング)は喫茶店経営者によるおもてなしの心と自宅の居間のように喫茶店を利用するお客さんによってはぐくまれた大衆文化なのです。
 この全国でもたぐいまれなる文化を一人で多くの人々に知ってもらい、一宮へ足を運んでいただきたい。それが「一宮モーニング隊」隊員一人一人の願いです。私はそれを代弁しようと「一宮モーニング、それは一宮の夜明け」というキャッチフレーズを考えました。(5月31日付け中日新聞)

 フリーライター・永谷正樹さんの「味な提言」からです。モーニングサービスの程度についてはまず2005年4月3日の「(第245話)喫茶店は社交場」を読んで頂きたい。多分、知らない人はびっくりされるだろう。これは一例である。そして、ボクが思うには、名古屋圏でも一宮を中心にした地域のサービスが最高だと思う。だから「一宮モーニング」を名乗りあげてもいいと思う。
 この文の中で「 オレは客が来る赤字の方がいいと思うんだ」の言葉に感心した。商売だから赤字では困る。でも昨今は全く厳しいようだ。ボクの近くでももう何軒も店じまいしている。そんな中で営業しているなら、客が来ない赤字より、来てもらって喜んでもらって赤字の方がいいというのだ。まさに商売人の心意気だ。名古屋や岐阜の方へみえたら是非一宮によって、午前11時前までに喫茶店に入ってください。そして、モーニングサービスを味わってください。




2009/06/15(Mon) (第1125話) 自転車で日本縦断 寺さん MAIL 

 “江南市五明町の会社員間宮克英さん(53)が自転車で、本州最南端・鹿児島県佐多岬から北海道最北端・宗谷岬まで2814kmを15日間で走破した。5月30日に同市前飛保町のメキシコ料理店で報告会が開かれ、間宮さんは「当初の計画通り走れて満足している」と激走の日々を振り返った。
 間宮さんは県サイクリング協会副理事長を務め、自転車での日本縦断は若いころからの夢だった。昨年からの不況で会社の仕事量が減って休暇が取りやすくなったこともあり、ことし3月に「この先、体力的に日本縦断はできなくなるかもしれない。今、夢をかなえよう」と決意。五月の大型連休と組み合わせて約三週間の休みをとり、4月21日に佐田岬を出発した。
 広島や京都を経て日本海側を北上し、フェリーで北海道へ。晴れの日が多く、西から吹く追い風に乗り、快適な走行だったというが、1日平均約200kmも走ったため、サドルに接触する尻が圧迫されて、痛みがひどかったという。5月5日に宗谷岬に到着した。”(6月2日付け中日新聞)

 記事からです。前回に続いて、またまた人間体力勝負の話である。自転車で日本縦断、2800kmを15日間である。竹馬は1日15km、こちらは1日200kmである。間宮さんは体力的にも自分の夢が果たせるときは今だ、と思い挑戦された。思いたったときが吉日である。いい思い出を残されたと思う。
 ボクも自転車には思い出がある。大学3年の春休み、自宅(愛知県)から山陰回りで九州へ入り、やまなみハイウェーを通って熊本へ、更に福岡から山陽回りで自宅へ帰った。1700km、17日間の自転車旅行である(正確にはこの間に4日間の汽車旅行が入り、21日間である)。ボクの今までで最大の旅行である。と言うことは多分、生涯で最大の旅行になるであろう。できるときにやっておいて本当によかったと思う。青春最大の思い出である。
 つい先日、少し用があって1日、50kmを自転車で走った。皆にあきれられた。多分これだけ走るのは、九州旅行以来ではなかろうか。あの思いがあって今回自転車で行ってみようと思った気がする。こんな馬鹿ができる間は健全だ、とボクは笑いながら言っている。竹馬の飯塚さんも自転車の間宮さんも健全な馬鹿である。こういう馬鹿はいい。




2009/06/13(Sat) (第1124話) 竹馬で奥の細道 寺さん MAIL 

 “日本竹馬協会代表の飯塚進さん(72)=千葉県四街道市=が31日、松尾芭蕉による「奥の細道」の全行程を竹馬で踏破し、結びの地・岐阜県大垣市に到着した。
 出立の地、東京・深川を、昨年3月に出発。中断をはさみながらも東北、北陸、関西と後を追った。進んだ距離は1日15kmほど。訪ねた地で、俳聖に寄せる住民の熱い思いにも触れた。
 踏破には通算137日間を要し、約2400kmの長旅に。「今はゆっくり休みたい」と飯塚さん。大垣で筆を止めた芭蕉にならい、竹馬を下りた。”(6月1日付け中日新聞)

 記事からです。竹馬で長旅とは、またまたいろいろな人があるものだ。竹馬協会の代表と言われるからこういう発想になるだろうが、全く大変な旅行である。スピードも遅いし、手足の自由もきかない。写真を撮るのも難儀であろう。危険もあったろう。やればできるものである。しかし、何がこれを成させたのであろう。思い、情熱、はたまた・・・・・。前回の「カメラのおじいちゃん」でも同じだが、人間するかしないかである。
 話は飛ぶが、ボクは偽善も善の内、やらないよりはやった方が良いと思っている。綺麗事ばかり言っていると何もできない。




2009/06/11(Thu) (第1123話) カメラのおじいちゃん 寺さん MAIL 

 “「カメラのおじいちゃん」。子供たちからそう親しまれる長野県阿智村春日の木下清勝さん(73)が二十六日、自宅近くの阿智第一小学校を訪れ、一年生二十六全員のポートレートを撮影した。元気よく「ハイ」と手を挙げる子供たち。その姿を愛用の一眼レフカメラに収めた。
 一番下の孫で中学一年の真央さんが入学した年から、同校の一年生を撮影するようになった。2Lサイズに焼き増して、みんなにプレゼントする。今年で七年目を迎えた。
 カメラを手にしたのは二十歳すぎ。村の写真クラブに入った。村で生まれ、同小の前身の小学校で教師をしていた写真・童画家の熊谷元一さん(99)=東京都清瀬市=の指導も受けて腕を磨いた。(中略)
 子供たちの写真は、家庭でも喜ばれる。めったに孫の授業風景を見ることがない祖父母らには貴重な一枚。よく感謝の電話や手紙が寄せられるという。「一枚の写真をきっかけに、だんらんで学校や友達のことを話し合ってくれたら」と木下さん。”(5月27日付け中日新聞)

 記事からです。得意なカメラで子供らの写真を撮って送る、発想ひとつで社会に役に立つ、そんな行為です。それをもう7年、ボクはこんな話が実にいいと思う。木下さんのような能力を持つ人は沢山あろう。でも、ボクはこんな話聞いたことがない。能力はあっても気がつかないし、ついても行動に移せない。ここの違いが大きな違いになる。誰もがその人のできる範囲内で少し社会に役立つ良いことをする。その輪が広がれば、大きなものになる。そして住みやすい社会になる。
 逆のことは困ります。罪にもならない少しのマナー違反をする。それが大きくなれば、住みにくい社会になる。ポイ捨てなどはその代表でしょう。
 今ボクの会社で、エコキャップ活動の取り組みについて検討している。インターネットで調べておおよそのことを知った。努力の割に成果は小さい。批判意見も多い。でも今のボクは、総合的に考えて積極的に推進していこうと思っている。小さな良いことをする、この精神である。




2009/06/09(Tue) (第1122話) 父の思い・娘の思い 寺さん MAIL 

 “瀬戸市の加藤さん(57)には、23歳になる娘さんがいる。幼いころは、風呂に入る時も寝る時もお父さんと一緒だった。ところが、次第に父親を避けるようになる。さらに「お父さんから離れたい」と東京の大学ヘ行き、そのまま就職して戻ってこなくなった。
 寂しかった。そこで加藤さんは、娘さんに毎日のようにはがきを書き始めた。「おまえの事をいつも思っているよ」と伝えたくて。でも一度も返事はなかった。
 東京に行って一年目の冬のこと。奥さんと一緒に、初めて娘さんの元を訪ねた。「バイトがあるから」と言われ、夜の8時に渋谷駅のハチ公前で待ち合わせをした。「なぜ夜まで待たないといけないんだ」と聞き返したが「どうしても」という。娘さんがやって来た。ところが「8時まで待って」と言う。ますます不安になった。「いったい誰が来るのだろう・・・」。
 8時になった。娘さんが「ほら」とビルの大きな電光画面を指差した。そこには「おとん。おかん。めいわくかけてゴメンナサイ」という文字が映し出されていた。涙で何も見えなくなってしまった。「以来、時々メールではがきについてコメントを送ってくれます。たまに帰ってくると、私が送ったはがきを日付順にファイルして見せてくれます」と、加藤さんはうれしそうに言う。”(5月24日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。人間とは厄介なものだ、なかなか素直になれない。相手が喜ぶと分かっていることでもできない。この娘さんの場合も、申し訳ないという気持ちがありながら照れや意地で素直に気持ちを表せれない。これにはきっかけが必要なのだ。それにしても思い切ったことに出たものだ。これでは両親は涙で見えなくなる訳だ。何かドラマのような話だ。
 逆にこの父親は何と素直なのだろう。毎日のように心配している、思っているよと手紙を出すとは・・・。父親こそ、心配しながらも空々しくするものだと思うが・・・ボクを見ればそう思う。問題を難しくし、一人疎外され、損をしている。人間、素直は本当に大切なことだ。




2009/06/07(Sun) (第1121話) 教え子に誕生日カード 寺さん MAIL 

 “1通のメールが中日新聞社に寄せられた。「毎年、息子の誕生日が近づくと、小学校の時の先生からバースデーはがきが送られてきます。息子は26歳になりましたが・・・」。その先生は、一宮市の小中学校教諭を30年務めた橋本治さん(55)=同市小信中島。毎日のようにペンを走らせ、郵便ポストヘ投函している教え子たちへの誕生日祝いは、27年目で1万通を超えた。
 橋本さんは現在、岐阜大大学院教育学研究科の准教授(教育臨床専攻)。1978年から2008年3月まで一宮市の旧尾西市地区で小中学校教諭として勤務した。担任や部活動顧問としてかかわり、送り出した児童生徒は7百数10人。教諭を辞めた今も、彼らの誕生日が近づくと、全員に手書きのバースデーはがきを送る。
 きっかけは、教諭になって5年たったころ。新任からずっと持ち上がりで、小学二年生から六年生まで担任を務めた、思い出深い子ども達が学校を巣立っていった。「思春期を控え、これからも人生の節目を迎える子ども達に、温かいエールを送り続けてあげたい」。そんな思いから始めた。(後略)”(5月23日付け中日新聞)

 記事からです。またまた凄い人がいる。27年1万通の手書きバースデーはがき。最近は毎日平均2通ということだろう。これも継続の力だ。2004年12月27日の「(第154話)学級通信7000号」や2009年4月23日の「(第1099話)30年続く学級通信」でも、小学校教諭の継続を讃える話を紹介した。最近はいろいろ問題になる先生もあるが、やはり先生は先生だ。多くは意欲があって、手本となる人が多いのだ。
 聞く人には自分とはかけ離れた全く素晴らしい人に思えるが、行っている本人は意外にそう思ってみえないのではないか。生活の中にはめ込み、ある一定の段階を過ぎれば習慣として淡々とこなしている、そうしたらもう何十年となってしまった、そんな思いではなかろうか。とは言え、それがなかなかできないから称賛の記事となるのである。いつも言うことながら、たいしたことができない僕ら凡人にできることは継続であり、継続できれば凡人ではなくなる。
 ボクだって毎朝のラジオ体操を始めてもう1年となり、この「話・話」だってもう5年1100話となり、日記に至っては20数年になる。ただ残念なことながらこれらは自分の趣の範囲内のことなのだ。




2009/06/05(Fri) (第1120話) 雨の日 寺さん MAIL 

 “夜中からの雨が、朝は本降りになっていた。家族を送り出して一人になると、妙に落ち着いた気分になった。晴天続きで、少々潤いが欲しいと思っていたころだったから・・・。
 雨はどこもかしこもぬらしつくし、木々の緑は一段と濃く見えた。雨の日は一日が長い。私はあることを思いついた。ジャージーに着替え、ブルーのかっぱを着て、ずっとしまってあった長靴を履いた。レモン色の傘をさして外に出た。猫の額ほどの小さな庭に、雑草が生えだしているのが気になっていた。左手には傘、右手で草取りをした。地面が軟らかくなっていて、面白いようにスポスポ抜ける。雨の中、草取りをするなんて恥ずかしかったが、誰にも迷惑をかけているわけじゃないし・・・それに日焼けの心配もない。
 草取りを終えると、次はデッキブラシを持ってきて、側溝の掃除をした。ゴシゴシこすると緑のコケが取れて、白いコンクリートの地面が現れる。雨水がどんどん流れるので、あっという間にきれいになった。
 翌朝、雨は上がり、まぶしい太陽が戻ってきた。少しきれいになった庭と側溝を眺め、しばし満足感に浸った。”(5月22日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・高橋さん(45)の投稿文です。ウォーキングには「雨も自然、雨の日には雨の日の良さがある」という言葉があります。高橋さんの文はまさにそんなことを感じさせる文です。雨の日にも外へ出てみると、知らなかったことを発見する。この発見が楽しいのです。先日ある講演会で「人生とは知らないことに出合うこと、知らない人に出合うこと」という言葉がありました。
 そして、これを実践するには好奇心が必要です。好奇心を持ち続けるには気力も必要です。人には高揚期や消失期など起伏があります。過大に得意になることも悲観することも有害です。自然に生きていけばそれなりの人生は送れると思います。
 高橋さんの「雨の中、草取りをするなんて恥ずかしかったが」という言葉には内心驚きました。こういうことに恥ずかしいという気持ちが湧くものなのか?ボクにはこの姿を見て立派と思う気持ちは起きても変だという気持ちは起きません。ボクの前の畑では、80歳代半ばの人が雨の日でもよく畑仕事をしておられます。




2009/06/03(Wed) (第1119話) 地域活動 寺さん MAIL 

 “私の住む町、大垣市赤坂町は石灰・大理石材の生産と化石で有名な町です。この町の一地域でふれあいの会「なごみ」は平成二十年に発会し、二年目になります。
 ウォーキングとガーデニング、それにボランティアと講座などを年に数回計画し、会話、情報、笑いを楽しみに年齢、性別の制限なく自由参加で活動しています。自治会長を中心に活動種別ごとの係で自主的に動いていますので、人気と活気があってとても意義のある会です。花の種類や育て方などを教わったり、足腰に難のある人も気軽に参加できるウォーキングを工夫したり、奉仕も決して強制はしないようにしています。でも約六割の参加です。このような活動が他地域にも波及拡大することを願っています。”(5月19日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の船橋さん(男・75)の投稿文です。なかなか盛んな自治活動である。以前からその下地はあったのであろうか。1年でここまで発展したのは素晴らしいことである。自治会長さんかどなたか、よほど強力なリーダーがあったのであろう。
 平成9年のことだからもう古いことになるが、ボクにも懐かしい思い出がある。町内会の組長をしていたときに、町会長から新しい催しの企画を頼まれた。長老が幅を利かすこの古い村で、よくボクのような若輩に命じたものだと今でも思う。ボクを中心に若い人たちで祭りを企画し、長老達にも応援してもらって大成功を納めることができた。しかし、この祭りは数年で終わった。毎年役員が変わる組織で継続は難しいものである。船橋さんの町で始まったこの活動が永く続くことを祈るばかりである。
 数年後にはボクにも町会長が回ってくるだろう。それを思うと今から悩む。勤めながら、一宮友歩会を運営し、600戸からある町会長が務まるだろうか。そして、こうした文に出会うと、その時何をし、何ができるだろうと思ったりする。




2009/06/01(Mon) (第1118話) 小六法を駆使 寺さん MAIL 

 “私は毎日午前四時ごろに起きて、前日の新聞の読み忘れはないかと目を通す。そうこうしていると、その日の本紙が配達されるので郵便受けにそれを見に行く。とにかく新聞が配達されるのが待ち遠しくて仕方がないのだ。
 その新聞は机の上に小六法、漢和辞典などを置きながら目を通す。記事の中で毎日といっていいほど多いのは窃盗罪。ちなみに小六法で調べると、刑法二三五条には「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし十年以下の懲役または五十万円以下の罰金に処する」と記されており、新聞も興味を持って読める。また最近の新聞は、横文字や専門用語などが非常に多い。そんなときにも常に辞典などで調べ、解き明かした際の充実感はたまらない。このように私は、新聞を二倍三倍と楽しく読んでいる。皆さんにもぜひお勤めしたい。”(5月17日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の赤穂さん(男・64)の投稿文です。前回早寝早起きの話であったが、ここに毎日午前4時に起きる人があった。そして、新聞をくまなく読み、分からないことは小六法まで開いて調べる。「解き明かした際の充実感はたまらない」とおっしゃる。これでは呆けてる暇もないし、ボケ防止の神様も不要であろう。いろいろな知恵があるものだ。
 ボクの新聞の読み方はまさに流し読み。ただこの「話・話」に活用できそうな箇所はしっかり読む。話が続けられそうだと思うと、その箇所に印を付けておき、後で切り取る。今のところの時間の使い方としてはこんなところであろう。赤穂さんの知恵の活用はもう少し先になろう。それまで忘れないようにしたいものだ。



川柳&ウォーク