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第60号  2009年4月

(第1102話) (いたずら2)夫の電車に出没 2009,4,29
 “私は夫に、年に数回いたずらをします。小学5年生になる娘と、夫の仕事姿を内緒で見に行くのです。夫は電車の車掌です。勤務表を見て、夫が乗務する電車にこっそり乗り込むのです。夫は私たちに気付くと驚き、目で喜びながらも、平静を保っています。
 2時間かけて夫が働く路線まで行き、一緒の電車に乗る「小さな旅」は、私と娘にとって貴重で楽しい思い出です。28年後に迎える定年の日、娘とまだ見ぬ孫も連れて行けたら、と今から楽しみにしています。”(4月5日付け読売新聞)

 東京都小平市の児童館指導員の土田さん(女・39)の投稿文です。今の多くの家庭では父親の働く姿を子供が見る機会がない。それがいろいろな問題の起因になっていることが往々にある。それだけに子供に父親の働く姿を見せる、このいたずらは実に良い。父親の照れる姿が思い浮かぶ。しかし、これはいたずらというより母親の良い気遣いだ。
 それにしても土田さんの気の早いことには驚いた。28年先、それまでに子供は進学し、就職し、結婚し、子供まで作らねばならない。その間の苦労、心配は並大抵ではない。でも、先に楽しみを持ちながら過ごす知恵もいいことだと思う。

(第1101話) (いたずら1)クレヨンの赤丸 2009,4,27
 4月5日の読売新聞の投稿欄「日曜の広場」は「いたずら」と言うテーマで特集されていた。なかなか味のあるものが多く、時にはこういった話も良かろうとその中から3話を紹介します。

 “高校教師だった友人の息子さんは、4歳になる頃には障子を破ったり、ふすまに落書きをしたりと、やんちゃ盛りになったという。友人は、生徒の答案用紙を自宅に持ち帰って採点することがしばしばあった。
 ある日、所用から戻って机の前に座ると、何と答案の一枚一枚にクレヨンで幾重もの大きな赤丸が。息子さんは友人が採点する様子を見ていたのだろう。友人は生徒に事情を話してわびた。生徒は意外に笑顔で受け止め、「三重丸をもらうのは小学校以来だ」と喜ぶ生徒もいたそうだ。後年、いたずらの張本人は小学校の教師になった。”(4月5日付け読売新聞)

 千葉県街道市の日下さん(男・78)の投稿文です。子供はすぐ大人のまねをする、そして書きたがる。ボクの孫を見ていてもそれをつくづくと思う。しかし、この話は痛快である。喜ぶ生徒も良いし、その張本人が教師になったというのも実に面白い。親が教師だと子も教師という教師一家の例は多い気がするが、それは幼児からその生活になじむからであろうか。素養も自然に身に付くのであろう。
 今の時代、この話は幼児のいたずらと快く受け入れられるか、少し心配の気もする。

(第1100話) 私も買う  2009,4,25
 読売新聞では「気流」と言う投稿欄で掲載された1ヶ月の中から1編「気流賞」を選んでいる。4月4日付けの新聞からです。「話・話」で紹介しなかったので、今回紹介します。

 “中学1年の娘が学校で上履きを隠された。先生は上履きを買ってきてくれ、学年集会でも「ある生徒の上履きが隠された。そういうことはやめよう」と呼びかけてくれたそうだ。
 娘は笑顔で登校していたが、家では「学校へ行きたくない」と泣いていた。新しい上履きを履いていると、自分が「上履きを隠された子」と皆に知られてしまうのではないかと恐れていた。
 娘が友人に相談すると、「私もサイズが合わなくなったから、新しいのを買う。二人で『足が大きくなったから、買ったんだ』と、みんなに言おう」と提案してくれたという。彼女は小学校時代、いじめに遭い、転校した経験があった。彼女の思いやりに涙があふれた。上履きを隠した子は寂しかったのだろうか。優しい友達がいたら、そんなことはしなかったのではないか。(3月12日掲載)”

 この文は新潟県妙高市の主婦・小林さん(44)のものです。優しい友人である。自身がいじめにあった経験がこの優しさを作り出したのであろうか。それにしても味な解決方法を見つけ出すものだ。それと共に勇気がある。ヒョッとして自分が標的にされる恐れもあるのに。脱帽である。
 この文は3月中に読売新聞に投稿のあった約4000通の中から選ばれている。それだけ感動をもたらしたと言うことである。4000通の投稿文の割合は男性54%、女性46%という。女性の方が断然多いと思っていたので驚いた。採択される割合はどうであろうか。

(第1099話) 30年続く学級通信 2009,4,23
 “昨年小学生になった長男が終業式を終え、通信簿とともに、担任の先生が発行している1年生最後の学級通信を持って帰ってきた。
 入学からちょうど200号だ。休みを除けば、ほぼ毎日発行されたことになる。学校行事や授業風景の紹介、子供たちが書いた作文などを載せてくれた。学校での様子が手に取るように伝わった。学校や先生が身近になり、親子共々、先生への信頼感が増した。この通信が家族の話題にもなった。
 先生は、学校での子供の様子を少しでも親に伝えたいとの思いから、もう30年も学級通信作りを継続しているという。通算4749号になったそうだ。たかが学級通信、されど学級通信。子供を心から大切に思っていないと、これだけ続かないはずだ。子供への愛情と情熱あふれる先生に出会えたことに感謝している。”(4月4日付け読売新聞)

 東京都八王子市の主婦・沢登さん(41)の投稿文です。最近の学校の先生の忙しさは、ボクの娘婿も小学校の先生だけによく分かる。毎日遅い上に、土・日もまともにない。その上ほとんど毎日のように学級通信を出すとは、どれほどの努力だろうか。1年でも凄いと思うのに、それを30年とは・・・。これは沢登さんが言われるように「子供を心から大切に思っていないと、これだけ続かないはずだ」というのは本当だろう。
 だが学級通信についてはもっと凄い人があるのだ。2004年12月27日の「(第154話)学級通信7000号」を読んで頂きたい。上には上があるものだ。

(第1098話) 園児との交流(その2) 2009,4,21
 “私が塗装の仕事をしていた時、おそろいの帽子をかぶり、楽しそうに会話をしながら保育園児が先生と一緒に近付いてきた。防じんマスクを着用していた私は子供たちと目が合った。あいさつすると、「こんにちは」と大きな返事が返ってきた。大勢に囲まれ「マスクマン」とあだ名を付けられてしまった。仕事場は子供たちの散歩コースとなり、月に数回訪れてくれるようになった。
 私も出勤途中、保育園に立ち寄り、庭で遊び、教室でゲームを楽しむようになっった。絵本の読み聞かせをしたり、運動会に参加させてもらったりしたこともある。子供たちに描いてもらった「マスクマン」の似顔絵が私の宝物だ。心身共に成長した子供たちは小学生になった。「しっかり勉強するんだぞ−」と工−ルを送った。”(4月2日付け読売新聞)

 東京都の自営業・宮本さん(男・60)の投稿文です。前回の話と同じように、園児の周りの人の対応が素晴らしい。園児の素直な発想を快く受け入れ、それを発展させている。宮本さんなどは父兄でもないのに保育園へ行き、一緒に遊ぶまでになっている。子供には大人を素直にさせる力があるのだ。

(第1097話) 園児との交流(その1) 2009,4,19
 “6歳の息子は鉄道ファンです。JR鹿児島線福間駅には、熊本発東京行きのブルートレイン「はやぶさ」が時間調整のため5分間停車するので、よく息子を連れて行き、見せてやりました。
 3月13目の運行が最後となり、息子が「手紙を車掌さんに渡したい」と言いました。「長い間、ご苦労さま。ぼくは乗れなかったけれど、大好きでした」という手紙です。その日の夜、最終便を福間駅で待ち、年配の車掌さんに手紙を渡しました。最初は戸感っていましたが、手紙を読み、笑顔で受け取ってくれました。
 数日後、その車掌さんが息子の保育所を訪ねてくれました。手紙のお礼で息子に「はやぶさ」の写真パネル、ほかの子供たちにも下敷きをプレゼントしてくれました。温かい心遣いに感激しました。”(4月2日付け読売新聞)

 福岡県福津市の会社員・岡部さん(女・55)の投稿文です。この子供の発想に上手に対応されたお母さん、受け取った車掌さんの粋な計らいがほのぼのとした話に発展した。これに関係した人には忘れられない出来事になったであろう。読む僕らも温かい気分になる。
 しかし、どうして6歳の子供さんが車掌さんに手紙を渡したいといったのか・・・この話の原点はここにあるのだが、この点が不思議だ。子供とは何か書いて人に渡したがるものなのか。ボクの孫を見ているとそんな気がしてくる。8歳も5歳も3歳もどの子もよく書いて渡してくれる。嬉しいことであり良いことであるので、岡部さんのように回りは上手に対応していきたいものだ。中学生や高校生になってこうしてくれることは希有のことになるのだから。

(第1096話) あの人 2009,4,17
 “河川敷を走る。高校陸上部の練習とは別に、自主トレとして走ることにしたのだ。川面を伝って強い風が吹き付ける。軍手をしていても指先が冷たい。耐えるのはつらいが、きっと、あの人もそうだったに違いない。
 昨日の雨でぬかるんだ道に足を取られそうになる。走りづらい。しかし、これが足を鍛えるためのトレ一ニングになる。きっと、あの人もそうだったに違いない。
 視線を上げると絶景の金華山が眼前に広がる。息が上がって苦しくなったときも、それを見ると走る気力が湧いてくる。きっと・・・そう。高校時代はまだ無名だったあの人も、そうだったに違いない。”(3月29日付け中日新聞)

 「300文字小説」から名古屋市の会社員・森さん(男・48)の作品です。この小説の主人公はあこがれの「あの人」も今の自分のように、苦しくて辛くて、それでも頑張っていたのだろう。だから自分もあの人のように頑張ろうと走っています。このようにあこがれの人、恋しい人などを頭に描きながらことを行うと、勇気が湧き、頑張れます。誰しも経験のあることでしょう。特に若いときの経験はいい思い出となっているでしょう。
 さてこの引用文は最後の1行が省かれています。それは「長良川沿いの高橋尚子ロードを走りながら、僕は思った。」です。

(第1095話) 指さし点検 2009,4,15
 “12日の本欄「指さし声出し 火の元を点検」を拝読し、大変参考になりました。私は一人暮らしをしていますが、不注意で火事を起こさないよう、外出前には必ず火の元を指さして確認しています。
 また自分で試して気付いたのですが、この指さし点検は火災防止だけでなく防犯にも有効です。外出時にドアや窓に鍵を掛け忘れていないか、「窓よし、ドアよし」と点検していくのです。先日は外出した際、この方法を徹底したおかげで気をもまずに済み、友人たちと楽しいひとときを過ごせました。以来欠かさず実践し、一人暮らしをしている友人にも勧めています。防犯対策には、空き巣に狙われるすきをつくらない細やかな気配りが重要です。ほんのちょっとした行動が自分の家を災難から守ります。それはご近所を守ることにもつながります。今後も指さし点検を大いに活用したいと思っています。”(3月29日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・浜本さん(男・23)の投稿文です。指さし点検、これも重要な生活習慣である。特にボケの始まったボクみたいな人種には有効である。家の戸締まりはしたか、車のキーはかけたか、出発してまもなく心配になってくる。多分しただろうと思いながらも、ここで戻らなければ帰るまで心配で過ごさねばならない。戻ってみればちゃんとしてある。習慣的に、無意識でしていることは後でどうしたか思い出せない。それにはこの指さし点検は有効である。キーをする、良しと声を出す。あの時、どうしたかが思い出せるのである。この心配性は多かれ少なかれ人にはあるようで、過度な心配は必要ないようだが、この指さし確認で安心を得たいものだ。

(第1094話) 命の継承 2009,4,13
 “先日、父方の祖父が亡くなりました。九十歳の大往生でしたが、生前多くの人に迷惑を掛け、破天荒な人生を送った祖父だったので葬儀を執り行わず、七人の親族で見送りました。私白身、祖父に会ったことはあるのですが、当時一歳だったので全く覚えていません。その後も訳があって会っていませんでしたが、訃報を聞いた時には何か力の抜けるような悲しさを感じました。
 そんな破天荒な祖父に、私は感謝していることがあります。それは命の継承をしてくれたことです。祖父がいなければ、私の父は生を受けられません。また父がいなければ、私の存在もなかったのです。今の私があるのは、命の継承の過程にいた祖父のおかげなのです。私たちの命には、数え切れないほど多くの命がかかわっています。今を生きている私たちは命の継承の先端であるという自覚を持ち、命を犬切にしていかなければならないと思います。”(3月26日付け中日新聞)

 名古屋市の教員・江副さん(男・30)の投稿文です。命の継承、こういうことを自覚される江副さんに感心する。それもあまり快く思っていなかった祖父から感じている。真理を知ってみえるのだ。そしてこのことはボクのよくいっていることでもある。
 ボクは晩婚化や結婚を重要視しない風潮を苦々しく思っている。この「話・話」でももう何度も触れたと思うが、結婚し、子孫を育てる、これほど尊い事柄は世の中にそんなにある訳がない。特に凡人にはこれに勝ることはない。子供を作り育てる、これが途絶えたら人類は滅亡するのである。人類は生存して以来続けてきたのだ、いや、生物すべてが続けてきたのだ。壮絶な戦いがあって生存を続けることができたのだ。それができない生物は滅亡したのだ。すべてのことは、まずすべきことをしてその次にあるのだ。子供のできる夫婦がすべて2人の子供を作っても人口は減っていくのである。「命の継承」に素直に感謝しなければならない。

(第1093話)  プロ野球選手の妻 2009,4,11
 “「どうせやめるにしても、ちゃんと復活させてから!」と心に決めたの。それから十九年もたっちゃった。心がけたのは、本人に「まだできるんだ」と思わせること。私がトレーニングの先生を探して、栄養学も学び、昼食はお弁当で、毎日三食、和食の十三品を食べさせました。基本は玄米ご飯と豚汁などの具だくさん汁。シーズンオフのキャンプ地にも飛行機のとんぼ返りで持参しました。大きなお世話が過ぎてよく怒鳴られましたが、いいプレッシャーになったのか、成績がぐっとよくなりました。(中略) 
 あの年になると、耳の痛いことは監督もコーチも言ってくれません。私が言うしかないんです。だから主人が世界で一番憎いのは間違いなく私でしょうね。昨シーズン最後に登板した翌日、「あんなふうにしか投げられないならもうやめたら! はいつくばっても投げる姿を見せるなら意味もあるけれど、今のままなら若い人のチャンスを奪うだけ」と。言っている私もつらかった。主人が出かけてから八時間泣きました。”(3月22日付け中日新聞)

 「家族のこと話そう」という欄からです。この話は誰の話でしょうか・・・・プロ野球横浜ベイスターズの工藤公康投手の奥さん・雅子さんの文からです。全文から半分程を、2題に絞って紹介しました。
 食事の話からは、超一流の選手の奥さんともなると並大抵の努力ではないことを知る。栄養学を学び、三度の食事を作り、出張時にはそこまで届ける、一般の主婦でこれだけ努力されている人はどれだけあるであろうか。夫の体のためなら何でもいいと思うことはする。金に糸目をつけなくてもいい環境とはいえども、これだけの努力はなかなかできることではないと思う。
 また、忠告も妻の努めと辛いことも直言する。これもなかなかできることではない。場合によるであろうが、仕事のことに口出しするなと言う一言で、仕事は我関せずが大方であろう。この夫にしてこの妻有り、この妻にしてこの夫有り、と言うことであろうか。

(第1092話) 旅はマイはし 2009,4,9
 “昨年の十月に、担当する高校二年生の修学旅行を引率した。その際、ある先生のアイデアで、旅行中のすべての食事で割りばしの添付を断り、持参したマイはしを使うこととした。昨年この先生の担任したクラスが、文化祭の出展で環境問題に取り組み、マイはし・マイバッグを配布するなどの活動をしたのだが、それを発展させた試みであった。
 バスを降りるたびに「はしを持ったか?」と今までしたことのない注意を繰り返すこととなったが、生徒は自然な感じでマイはしになじんでいた。
 私自身、レジ袋の携帯がやっと習慣となったが、マイはしはなかなか定着させられなかった。しかし、このようにある一定期間毎回使う機会があると、習慣化に大きな効果があると実感した。旅行はその絶好の機会であろう。続く学年にもこの活動を継続してもらいたいと考えている。また、一般のツアー旅行でも「マイはし持参の方には・・・」というような特典を付けても面白いのではないだろうか。”(3月23日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の教諭・前川さん(男・45)の投稿文です。現代社会、エコ活動についての話題は尽きない。割り箸についてもいろいろな議論を聞いた。2005年1月25日の(「話・話」第180話 アドバシ)を読んで頂きたい。
 現在のところ割り箸の使用を減らすことは、エコ活動につながり、それがマイはし運動になっているようだ。個人ではなかなかしにくいが、団体で行えば行いやすい。修学旅行は本当にいい機会だ。いいことを思いつかれたと思う。この体験をもっとPRし、市全体に、更に県から全国へと広がるといいと思う。「修学旅行マイはし運動発祥の地」を名乗ったらいい。
 実はボクもつい最近、マイ箸をカバンに忍ばせた。きっかけはある店の粗品に、袋入りのマイ箸を頂いたことにある。折角もらったのだからと、カバンに入れたのである。そして、もう数度使った。
 しかし、エコ運動も不況最中の経済活性化の前には脆いものである。小さなエコ活動など吹っ飛ぶような政策が次から次へと出される。エコ活動など免罪符みたいなものである。それでもやって行かざるを得ない。

(第1091話) 話し合い 2009,4,7
 “去年の夏ごろ、ある友だちが苦手になった。いつも一緒にいるのだが何だか距離があった。携帯を勝手に開きメールが全部見られたことが原因だった。ほかの友だちも同じことをされていた。
 このままでは距離が離れるばかりだと思い、関係する人たちが私の家に集まり、思っていることを全部話し合った。友だちも分かってくれた。みんな気持ちはすっきりし、みんなで涙した。思っているだけでは相手に何も伝わらない。口に出さないと自分の気持ちは絶対に伝わらない。言えば必ず分かってもらえる。話し合いをしたことでこんなことが次々と分かった。
 この一件で友だちってこうやって絆が深まるんじゃないかと思った。その日以来、以前と変わらないように付き合えるようになった。これからも絆を深めた友だちとは仲良くしていきたいと思っている。”(3月22日付け朝日新聞)

 岐阜県瑞浪市の高校生・小栗さん(女・17)の投稿文です。話し合いもできそうでなかなかできないものだ。小栗さんは立派だ、よく提案されたと思う。そして、思っていることを全部話し合ったと言われる。これも若さなのかと思う。
 年行けばこうもなかなか行かない。いろいろ老練さや頑なさが身に付き、素直になれない。僕など話し合いで苦い思い出が沢山ある。若さが羨ましい。若いときにいい経験を積むことは生涯の宝だ。

(第1090話) 永遠に残る名 2009,4,5
 “明るいニュースを衛星放送で見た。アメリカの小児がん病棟の隣の病棟増築現場。クレーンで次々につり上げられる大きな鉄骨に、赤・青・黄・白。カラフルなペンキで名前が書いてある。窓に張り付いたがん病棟の子供たちは、みな笑顔だ。家族や病院関係者も、うれしそうだ。
 寒い朝のことだった。入院中の子供が、自分の名前を指で窓ガラスに書いたのが始まりだった。工事中の青年が見て、ペンキで鉄骨に大きく名前を書き、ニッコリ笑ってウインクしてくれた。その子は他の子らに自慢した。それを見て僕も私もと、ガラスにみんなが名前を書いたのだ。
 私もがんで入院したことがあるので、子供たちの気持ちがよく分かる。、閉鎖された環境。不安な毎日。そんな中で、自分の名前が空高く舞い上がる。きっと鳥になった気持ちだったのだろう。最後にこんなコメントが流れた。「ここに書かれた名前は消されることなく永遠にこの建物に残ります」”(3月20日付け朝日新聞)

 名古屋市のデザイナー・北沢さん(70・男)の投稿文です。粋な計らいである。最初は単なるキャッチボール、遊び心だったかも知れない。でも、寂しい子ども達に大きな喜びを与えた。この子ども達にもし死が近づいたとき、自分の名前が大きな建物の中に残ることは、死の恐怖を和らげるだろう。何がどんな発展になるか分からないものだ。

(第1089話) 体育館通い2000回 2009,4,3
 “2月に市営体育館のトレーニングルーム利用2000回達成の表形状をいただいた。会社勤務をやめてから、運動不足とぼけ防止のために運動を心がけた。街にトレーニングジムはなく、市営体育館のトレーニングルームに通って7年6ヵ月が過きた。有酸素運動や、軽い筋トレが主だが、健康増進と持病の高血圧症、糖尿病の改善効果も見られる。
 「継続は力なり」と考え、無理なく、怠けず、楽しく継続してきた。トレーナーの優しい支援にも励まされた。トレーニングルームに通う多くの人々と出会い、親しい仲間もできた。中でも2年前、3人で旅した北海道、そして昨年の2人の東北・陸中海岸のマイカーの旅は、忘れられない思い出だ。
 後期高齢者の医療費が問題となっている今日、高齢者の健康づくりは大切なテーマである。今年、私は古希を迎える。「継続は力なり」という言葉を忘れず、利用3000回をめざしたいと思う。”(3月18日付け毎日新聞)

 新潟県小千谷市の小林さん(男・69)の投稿文です。久々継続の話である。7年半、2000回というと、月22回である。ほぼ勤務と同じである。退職後の新たな出勤場所である。そんな気持ちで励んでこられたのであろう。高齢者の健康作りはある意味義務である。そんな気持ちで臨まないと高齢者問題、医療費問題は大きくなるばかりである。
 ボクも歩くだけでは駄目だろうから、市営体育館のトレーニングルームに行くことも考えねばと思っているところである。勤務の帰り道に体育館があるのでさほど難しいことではない。いや、やってくださいと言わぬばかりに恵まれているのである。これを機会に週1回でもいい、本当に考えてみよう。
 2006年1月15日の(「話・話」第515話 ラジオ体操5000回)の中で、ボクはラジオ体操をすると宣言した。しかし、数ヶ月で棒を折った。ずっと心苦しく、気にかかっていた。そして、昨年6月から妻と再度始め今だ続いている。生活のサイクルの中で定着してきたようだ。今度はどこまで続くのだろうか、我がことながら興味が湧いてきた。

(第1088話) 親になって 2009,4,1
 “わが家にも受験シーズンが到来。三人の子どもたちの一番上の子が高校受験でした。合格発表までは何をしていても結果が気になる落ち着かない毎日でしたが、長いトンネルを抜けたように、やっと春が来て、ほっとしています。そんな時はもちろん、誕生日、学校の行事など、ふとした時に、自分の子どものころはどうだったのかと思い出します。
 自分の子どものころは自分のことしか頭になく、誕生日が来れば、産んでもらった時のことなど考えもせず当然のように祝ってもらい、学校の行事があると、忙しいのに当然のように見に来てもらい、受験勉強中は当然のように一緒に起きていてくれ、ありがたかったと感謝の気持ちでいっぱいになります。
 特に今回、わが子の受験を経験し、あの時の両親も私と同じように心配してくれたんだろうなと考えると、今まで以上に感謝の気持ちがこみ上げてきます。今まで温かく見守ってきてもらった分、私も子どもたちを見守り、応援していきたいと思います。これからも、元気で良いお手本を見せてくださいね。”(3月11日付け中日新聞)

 長野県飯田市の主婦・下平さん(39)の投稿文です。「子を持って知る親の恩」とはよく言ったものです。多くの方はそんなことを感じなら子育てをされているでしょう。それを気づかせてくれるのがまた子を持つありがたさです。豊かな人生は感謝の気持ちを持つことから生まれます。
 子供を持つにはまず結婚しなければなりません。ボクは最近の結婚しない風潮を苦々しく思い、皆早く結婚してくれることを強く望んでいます。そんなボクに先日、ある男性と女性を引き合わせるチャンスに恵まれました。今のボクの最大の楽しみは、この二人が早く結婚まで至ってくれることであります。
 下平さんの話はよく聞く一般的な話で、「話・話」で取り上げる程のことではないかもと思いながら紹介しました。でも、これが健全な普通の家庭の話です。普通に健全に生活して、そんなに劇的な話はありません。平穏な日々が感謝できる気持ち、それを培うのはなかなか難しいこともあります。それには耳や目を働かせねばならないでしょう。


川柳&ウォーク