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第59号  2009年3月

(第1087話) 夫婦交換日記 2009,3,30
 “先日、テレビの旅行番組で東北の駅に置いてある「命のノート」を取り上げていた。旅行者が悩みや思いなどを書いて心を癒やすと言い、いいものだなと思った。
 翌日、帰宅した夫がノートを差し出し「交換日記を始めよう」と言う。急に何を言い出すのか驚いた。夫は毎朝8時に出勤し、帰宅は深夜だ。当然、夫婦の時間は短く、会話も少ない。仕事だから仕方がないと思っていた。夫は命のノートに感銘したようだ。もちろん、私も大賛成だ。
 私は、その日の出来事や感じたことなどを書いた。筆無精の夫は弁当がうまかったとか、上司に褒められたなど、ほんの数行だけ。それでも頑張って書いてくれるのでうれしかった。結婚して10年になるが夫をもっと知りたいと思っていた。それが交換日記のお陰で素顔が少し見えてきた。何だか「夫婦のつながり」が深まっていくようで、幸福感が広がっている。命のノートが旅人の心の安らぎなら、交換日記は夫婦のふれあいと愛を育む存在だ。”(3月10日付け朝日新聞)

 三重県明和町の主婦・辻さん(39)の投稿文です。交換日記も女子高校生や恋愛中の二人ならよくある例だ。ボクも妻と交際中は書いていた。でも、結婚して10年の夫婦でとは・・・・感動です。いい夫婦だ。それも男から言い出すとは、辻さんのご主人は素晴らしい。夫婦二人で過ごす時間が少なく、会話も少ないものを交換日記で補う。「夫婦のふれあいと愛を育む存在」と言えるまでに発展している。
 「命のノート」がきっかけと言われるが、この話が夫婦の交換日記に発展するとは、何が起因するか分からないものだ。もう何回も書くが、何事も受け取り方次第だ。前向きに捕らえるか、批判的に捕らえるか、無関心にやり過ごすか・・・・。この「話・話」も前向きに捕らえて欲しいものだ。ボクは前向きに捕らえたものから紹介している。

(第1086話) 月謝袋 2009,3,28
 “小学生のころ、そろばん塾に通った。月謝の額は決まっていなかったが100円くらいだったと記憶している。親同士で相談をして決めていたようだ。通いの月謝袋はなく、封筒に名前を書いて持っていった。
 今、私は学習塾を営んでいる。月謝は、塾によっては銀行からの引き落としとか、振り込みになっているところもあるが私はずっと通いの袋を用意している。これだけのお金をかけて勉強しているという自覚を、生徒達に実感して欲しいという思いもある。袋には領収の日付と印鑑を押し、ーカ月の学習内容、連絡事項、励ましになるような通信文を入れて通わせている。
 その月謝袋にいつも新しいお札を入れて下さる方がおられる。早めに別の袋に○月分です」と書いて入れて下さる方もおられる。聞いてみると「払えなくなる月がくると心配ですから」と言われる。
 月謝袋には、お金だけでなく保護者の気持ちが入っている。受け取るたびに背筋がピンと伸びる緊張感を覚える。”(3月6に付け朝日新聞)

 豊橋市の塾経営・宮下さん(男・60)の投稿文です。先日も高校や大学の授業料がいくらか知らない高校生や大学生が多いことを嘆いた文章に出あった。これでは感謝の気持ちは生まれない。
 この月謝袋の話はそれを補うものである。便利なことはいい。しかし、得るものがあれば失うものもある。その失ったものが心であったことは致命傷である。給料の振り込みも全くそうである。これで父親の権威は全く地に落ちた。ボクの家でも、給料袋を妻に渡していた時にはいつも「ご苦労様」という言葉が聞けたが、振り込みになってからはその言葉を聞いたことがない。父親の権威が落ちるだけなら大したことないが、それが子供の教育や家庭崩壊にもつながった例も多かろう。この因果関係を心情的には理解できるが、具象的に証明することは難しい。そうして便利さの前に、一番重要な心の問題は往々に埒外に置かれるのである。手を抜けばその報いは受けることを知らねばならない。しかし、日常化してしまうと何が手抜きか分からなくなってしまう。3月12日の(「話・話」第1078話 「昔の暮らし」)のように、ときおり昔を振り返ることも、一つの手法だろう。

(第1085話) 始め半分 2009,3,26
 “人には迂闊なところがある。たとえば、「一年の計は元旦にあり」というのに、うっかり忘れて、気がつけばもう三月という人もあるかしれない。▼やれやれ、計画性のない一年になりそうだと慨嘆しておられるなら、早合点だ。中国・梁代の『元帝纂要』に「一年の計は春に在り」と。多分、性厳格な人がいて、どこかで「元旦に」と限定しただけのこと。原形は「春に」の方らしい。慌てずに計画を練りたい(中略)▼何であれ新たなことは、興味や視野を広げてくれるはずだが、特にある程度以上の年齢になると、不慣れなことに取り組むのは億劫なものだ。その気はあっても先を考える。無様な初心者ぶりを嘲られるのではないか。すぐ挫折するのではないか・・・。そして気後れする▼思い出すのは、レンブラントの言葉である。かのオランダの大画家は「絵はどう描けばよいか」と問われて言ったそうだ。「まず、絵筆をとりなさい」。何か新しいことを始めるに当たって一番難しいのは実は、始めること、それ自体である▼とにかく始めてしまえば、もう半分すんだようなものだ。わ国の俚諺に曰く、〈始め半分〉と。”(3月7日付け中日新聞)

 「中日春秋」からです。「まず、絵筆をとりなさい」はボクに言われたような言葉である。実はボクは絵手紙教室の資料までは取り寄せたが、そこで止まっている。「絵手紙が書けるようになりたいな」と思った動機は、ホームページのトップページに素材集から借用した写真やイラストなどに川柳を重ねているが、これが自分で描いた絵なら更に良かろうと思ったからである。しかし、絵心のない自分には一歩乗り出せない。「特にある程度以上の年齢になると、不慣れなことに取り組むのは億劫なものだ。その気はあっても先を考える。無様な初心者ぶりを嘲られるのではないか。すぐ挫折するのではないか・・・。そして気後れする」全くこの通り、寸分間違いがない。大分高齢になった気がする。
 「話半分」という言葉は知っているが「始め半分」という言葉は初めて知った。始めればもう半分成ったと同じだ、という意味だろうが、ボクは始めるのにそれだけ期間がかかるということと解釈しよう。もう後はない年齢なのに。
 少し弁解すれば、会社勤めをしながら休日百姓、一宮友歩会の運営、ホームページ作りなど結構密度の濃い生活をしている状況で、絵手紙の吸引力がそれを上回っていないと言うことであろう。でも、こういうこと言っている間は始まらない。

(第1084話) 古靴にありがとう 2009,3,24
 “高校1年の長女が履き古した自分の靴を捨てる時、小さな声で「ありがとう」と言うのを聞いた。私の母も、枯れた花を捨てる時に「ありがとうね」とつぶやいていた。反抗期まっただ中の娘が、同じような心を受け継いでいたのかと、なんだか心が温かくなった。
 物にも心がある。たとえ不用になったとしても「今までありがとう」という気持ちがあれば、物をぞんざいには扱えないはずだ。それなのに、ごみを投げつけるように捨てたり、スーパーで商品を放り投げるように棚に戻したりする人を見かけることがある。子供は大人の行動を見ている。良き手本になるように美しい振る舞いを心がけたいものだ。”(3月4日付け読売新聞)

 東京都の主婦・小林さん(54)の投稿文です。ものに対する感謝の気持ちは、人に対する感謝の気持ちと同じように大切である。この高校生の態度も、前回の女性の態度と同じようになかなかできることではない。全く感心する。「子は親の背中を見て育つ」この高校生は祖母の背中を見て育ったようだ。子はどの大人の背中を見ているか知れない。気をつけねばなるまい。
 先日ボクも古靴を捨てた。靴底がつるつるになって、滑って転んだことを憎々しく思いながら捨てた。つるつるになる程、使わせてもらったことに感謝しなければならないのに、とんだ罰当たりだ。

(第1083話) 食べ残しを謝罪 2009,3,22
 “先日、コーヒーチェーン店で食事をした時のことです。近くの席にいた女性がパスタを半分ぐらい残し、その皿を手に席を立ちました。そのとき、男性店員が食器を下げに来ました。彼女は「残してしまって、ごめんなさい」と謝りながらお皿を渡しました。店員が「お料理に何か問題がありましたか」と尋ねると、女性は「この頃、食欲がなくて。すみません」と答えていました。
 大量の食品の廃棄が問題となっている今、料理を作ってくれた人への感謝を忘れない女性と、お客に配慮した店員の姿勢に、頭の下がる思いがしました。2人とも20歳代前半と思われる若者でしたが、そのさわやかな言動に心の中で一拍手を送りました。”(3月3日付け読売新聞)

 東京都の公務員・浅野さん(女・47)の投稿文です。ボクも食事を残すことは、もったいなさと作って頂いた人に悪いという気持ちでほとんど残すことはない。残した場合、この店員さんのように料理がまずかったのか、何か問題があったのかと疑わしてはいけないと思うからである。しかし、残したとき、謝るようなことまではできない。でも、この女性は謝るのだ。それも、20歳代前半と言われる。そんな若い人がどうしてここまで配慮できるのか、この心持ちは一事が万事、いろいろな場面で現れるだろう。どんな心の持ち主か、どんな生活態度なのか、全く興味が湧く。人様々、世間は広い。

(第1082話) 運転手の言動 2009,3,20
 “朝のうちは昨夜来の小雨が残っていた。重い足を引きずりながら、分別した資源ごみの袋二つと焼酎の空き瓶2本を抱え傘をさして指定の集積場所へ向かっていた。
 すると、後ろから来たトラツクがとまり、運転台から「ここでもらっていくよ」。声の主であるごみ収集車の若い運転手さんが笑顔で両手を差し出していた。ごみ袋を渡すと、「瓶もらっていくよ」「瓶は別だろう」「いいよ、分別かごに入れておくから」。こんなやりとりの後、洒瓶まで受け取ってくれた。照れ屋の私は声も出なかったが、心の中で「ありがとう、ありがとう」と何度も叫び、トラックを見送った。”(3月3日付け朝日新聞)

 名古屋市の鎮籏さん(男・73)の投稿文からです。親切な話である、いい話である。「重い足を引きずりながら」といわれるので、鎮籏さんは足が悪いのであろう、それだけにより嬉しかったのであろう。それが投稿という行為になった。
 ちょっとした気遣いである。この運転手さんにとってそれほど大きな負担になったわけではなかろう。でもこうした小さな善行の積み重ねが社会を明るくする。皆いい気分で過ごせるようになる。そして、さらにいい行為が増える。プラスの連鎖反応だ。
 ボクは先日通勤時、名古屋駅から地下街を歩いて会社に向かっていた。なぜか何でもないところで滑って転んでしまった。とっさに3、4人の人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。本人もびっくりしたが、近くの人もびっくりされたであろう。体裁の悪さもあったが、それでも即に3、4人の人が声をかけてくれたのには感心した。こうしてボクも声をかけてもらう嬉しさを体験した。原因は靴底がつるつるにすり減っていたことにして、早速買い換えた。

(第1081話) 五福を待つ 2009,3,18
 “「梅花五福を開く」という言葉がある。広辞苑によると五福とは人生の5種の幸福、すなわち寿命の長いこと、財力の豊かなこと、無病なこと、徳を好むこと、天命をもって終わること、とある。
 5枚の花びらを開いてよい香りを漂わせる梅の花は、霜や雪の厳しさに耐え、百花に先駆けて春を告げて、慶事にふさわしい花である。その清楚な姿が好きである。
 梅には「好文木」という別名があり、中国の皇帝が「本を開くと、必ず梅の花が咲いた」という故事から、文を好む木と名づけられたそうだ。また、学問の神様とされる菅原道真も「学ぶ者がたえず本を開いておれば、梅は勢いよく開く。怠けて本を閉じていると梅も開かぬ」と教えたという。
 私が住んでいる奥備後では、梅の開花はまだ先である。長く厳しい冬を耐えながら、今、つぼみがふくらんでいる。私はたえず本を開き、新しい情報を得ながら、老化防止のために役立てている。梅花が五福を開くその時を待っている。”(2月26日付け朝日新聞)

 広島県庄原市の農業・山脇さん(男・75)の投稿文です。「梅花五福を開く」「好文木」また良い言葉を教えてもらった。こんな言葉を知りながら花を見るのは更に楽しいものである。川柳連れ連れ草では毎月、花言葉を調べ載せている。これも花を見る楽しみになる。ただ悲しいことながら、その時頷くのみで、すぐに忘れることである。
 今年生まれて初めて梅の名所、水戸の偕楽園を訪れた。偕楽園には「好文亭」が建っている。好文木から取った名称である。帰ってから山脇さんの文を読んだ。事前に知っていたらまた違った目で眺められたろう。少し残念ではあったが、今こうして文を書いている偶然は面白い。花は満開であった。それも雪の日にである。その雪も今年始めて降った雪という。梅に雪、まさに一幅の絵であった。ミスの女性二人に囲まれて写真も撮った。忘れられない訪問になった。

(第1080話) 園児からチョコ 2009,3,16
 “二年ほど前から、家の近くを一人でウオーキング。コースに幼稚園があり、毎日のように会う二組のお母さんと幼稚園年少組とみられる女の子がいます。
 ちょっと声を掛けたのがきっかけで、あいさつをするようになり、そのうち二人の女の子が私の手にハイタッチをしてくれるようになりました。バレンタインデーの前日、十三日にチョコレートをもらいました。人とのつながりは思わぬときにできるもの。ありがとう。”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋市の68歳の男性からの投稿です。この男性には本当に嬉しいことであったろう。68歳にしてバレンタインデーのチョコレートとは、ボクは63歳にして全くなし。これも挨拶の効用である。素直に挨拶が受け入れられればどんな発展が待っているか知れない。そして、お母さんの心遣いが憎らしい。「将を射んとせばまず馬を射よ」・・・???どちらが将でどちらが馬なのか?

(第1079話) 機転の利いた親切 2009,3,14
 “八、九日にバスツアーで富士五湖観光へ主人と行ってきました。本栖湖、精進湖、河口湖からの富士山は空の青、雪の白、山の緑と素晴らしい眺め。
 西湖から出発後、財布、カメラの入った袋をトイレの中に掛け忘れてきたことに気付き、すぐタクシーでトイレヘ。私の入っていた扉は「使用禁止」の表示があり、みんなほかの所へ。禁止表示の扉を開けたらバッグは掛けたままでした。機転の利いた優しい処置。ありがとう。”(2月24日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業の女性(62)からの投稿文です。こんな機転もあるのだ、感心する。知恵は生きている内に惜しまず使わねばなるまい。この失敗は女性がよく起こすことらしい。バスガイドさんがときおり注意している。最近はいろいろなカードがバッグに入っていて、全財産持ち歩いているようなものである。特に注意を要する。
 周りの状況が分からないので、いろいろ言えないが、他に方法はなかったであろうか。機転ではあるが、少し危うい方法の気もする。

(第1078話) 昔の暮らし 2009,3,12
 “一月に孫の通う小学校の「昔の暮らしを聞く会」に参加しました。ご飯はどうして作ったか? お風呂は? テレビは? ジュースはいくらだったか? どんな服を着ていたか? などの質問がありました。
 私は「ご飯はわら、まきで、初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもふた取るな」「風呂は五右衛門風だった。火はライターでなくマッチで付けた」「ジュースは五円か十円で、ミカン水かラムネ水くらいだった」などと答えました。中でも一円札、十円札があった話に子どもたちはびっくりしていました。われわれ年寄りがいろいろ昔のことを伝えていかなければと思いました。”(2月24日付け中日新聞)

 「つるかめサロン」から愛知県清須市のクリーニング業・水谷さん(男・69)の投稿文です。今の人に昔のことを伝えて何になるか・・・うっと惜しく思われるのが落ちではないか・・・・。でも、伝えた方がいい、いや、伝えねばならない。特に子どもは、昔を知らないと今のよさが分からない。幸不幸の気分は何と比較するかである。上を見て嘆き、下を見て幸せな気分になる、少しネガティブな考え方であるが、それが現実である。
 先日会社の宴会の席で、なぜか五右衛門風呂の話に及んだ。ボクは話しながら、今と昔の違いの大きさに胸が詰まる思いだった。風呂を沸かすことは大仕事だった。北見けんいちさんの漫画「元気くん」はそれを教える格好な素材であった。先月このHPにUPしたボクの随想を読んで頂くとよい。(http://terasan.web.infoseek.co.jp/zu061.html)

(第1077話) 「私の色」探し 2009,3,10
 “定年退職をした六十歳からかねがねやりたいと思っていた水墨画を始めた。いい師と友人に恵まれ、工夫しながら墨絵を描きすすめるとき、充実した思いに満たされる。水彩画にも入門する機会を得て、かれこれ一年になるが、ここでもまた未知だった世界に触れ、新鮮な感動の日々を重ねている。
 毎朝の夫との散歩も朝日の差し具合い、山並みに映る雲の影、木漏れ日のきらめきなど、これまで心にとめなかったささいな変化にもはっと驚き、自然の美しさに目を見張る。物を見る観察限がみがかれていくように思う。
 絵の仲間と触れ合ってみて思うことは、何事も年齢ではなく、やろうという意欲と取り組み姿勢が大事だということだ。今は「私らしい私だけの色合い探し」がもっかの課題である。”(2月24日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(66)の投稿文です。絵を描く人は自然の移ろいにも敏感になるものだと感心する。確かにそうであろう。絵を描くには対象物をしっかり観察しなければならない。風景を描こうとすれば、外にも出なければならない。絵をひとつ描くことからいろいろな相乗効果が生まれる。私の色探しは楽しいであろう。60歳にして学び始められた。始めるに遅いということはない。しかし、思った時が吉日、早すぎると言うことはない。60歳を過ぎれば「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」。
 男性なら退職すれば無職だが、女性は退職しても無職とならない。主婦という肩書きが付く。それを言われても不自然ではない。男性が何か名乗れば、それはキザかふざけと取られるのがせいぜいであろう。男としては何か面白なさを感じる。退職後、どんな肩書きにするか、今から考えておかねばなるまい。

(第1076話) 材料は二人分 2009,3,8
 “NHKは18日、今春から「きょうの料理」で使う材料の目安の表示を、4人分から2人分に変更すると発表した。一世帯の構成人数が減少していることなどが理由で、変更は44年ぶり。
 「きょうの料理」は1957年11月にスタート。当初は5人分の材料を紹介していたが、核家族化の進行に伴い65年4月に4人分に減らした。NHKは、2005年の国勢調査で世帯当たりの人数が約2.6人になり、今後も減少傾向が続くと想定されることや、番組のテキスト本の読者アンケートで「2人分」への要望が多いことから決めたと説明。さらに、食べ物の廃棄処分が増えている現状で、食べ物を大切にする姿勢も示したいとしている。”(2月19日付け中日新聞)

 記事からです。世帯構成人数の減少がこんなところにも影響するのかと、びっくりしての紹介です。5、4と減り、3を飛んで2に。そしていつか1???。世相を反映しての対応は当然のことであるが、こんなところにも影響するのだ。
 4人標準家族はもう標準ではなくなったということである。これは必然であろうか。本当にこのまま進んでいいのだろうか。しっかり考える必要があると思う。先月の川柳連れ連れ草に「料理して食してくれる人もなく」という句があった。この句には鑑賞文も2編寄せられ、妻も言っていた。「食べてくれる人がいないと料理をする気にもなれない」と・・・・ボクがいることは妻の活力源だ、役立っている!!

(第1075話) 「笑顔」集め 2009,3,6
 “暗い世相も笑顔で乗り切ろうと、今、私は「笑顔」を整理中である。悲惨な事件、不安な年金・医療や雇用、大地震、民族紛争そして世界的大不況など、残念なニュースが多かった昨年。その初めから「笑いは健康のもと」と思い、新聞・雑誌に掲載された「笑顔」集めを始めた。
 幸い、北京五輪開催で、カラーの笑顔が週日発表され、楽しませてくれた。切り抜いた「笑顔」は400枚以上になった。A4ファイル(140枚)1冊、はがき大ファイル(200枚)2冊を準備、年末から整理に取りかかった。でも、右手がちょっと不自由となって、悪戦苦闘中だ。すっきりまとめたいので、仕上げをお世話になっている施設の方々にもお頼みしよう。一つ一つの笑顔の写真を見るだけで心が和やかになる。まとめて見たら、また一段と効果的になると期待している。楽しみだ。これからも多くの「笑顔」が集められるように・・・。”(2月16日付け毎日新聞)

 福岡県福津市の村橋さん(男・93)の投稿文です。毎日を楽しくするいい知恵だと思う。多くの場合において、他人の笑顔といえども見ていれば気持ちのいいものである。見ている人も引き込まれて自然に笑顔がでてくるのではなかろうか。村橋さんの言われる通りだと思う。「話・話」にも通じる話である。
 先日、明治大学斉藤教授の「人間関係をつくるコミュニケーション力」という講演を聞く機会があった。何のことはない、最初から最後まで笑顔作りであった。
 何歳の人の投稿文だと見てみれば、何と93歳である。こんなことを考え、実行されているとは・・・・人間いつまでもできることを考え、実行する、重要なことであろう。ボクにはその年まで何とまだ30年ある。やれることもやらないでは、本当にできなくなった時、悔やむだろう。この歳になるとやれないことがどんどん増えてくる。今できることを考えやって行くのが賢明だろう、「今が本番、今日が本番、明日はもうない」。

(第1074話) 好きこそ  2009,3,4
 “名古屋が生んだノーベル賞コンビが先週末、ふるさとでそろって後輩らに熱く語りかけた。受賞のあと初めて里帰りした益川敏英さんと小林誠さんだ。(中略)
 多弁と無口。ちゃめっ気たっぷりと謹言実直。まるで両極にある人柄に、司会者が「お二人の『対称性』は破れていますね」とやって、大受けだった。
 しかし、その二人が見事に一致した場面があった。「進路はどうやって決めたら」と問われた時だ。小林さんが「好きなことをやるのが一番」と単刀直入に答えると、益川さんも「努力しなくても傾注できるものを見つけること。探せば絶対あるよ」。努力を努力とも思わずに没頭できる。何時間続けても楽しくてたまらない。そんな大好きなことを、まず見つけてごらん、と。
 それは学問にとどまらない。イチロー選手は子どものころから毎日、バットを振り続けた。何よりも楽しかったからに違いない。好きこそ物の上手なれ。今や「世界の頭脳」となった先輩に倣って「好き」を究め、いつの日か二人を、イチローを超える後輩が、きっと現れるだろう。”(2月14日付け中日新聞)

 加藤編集局長の「編集局デスク」からです。「好きこそものの上手なれ」お二人の話は全くもっともである。好きなれば努力も努力と思わずできる。それで世に役立つ成果が上げられる人は更に幸せである。ノーベル賞受賞されるお二人ならばである。
 確かに好きなことはそれぞれにあるだろう。しかし、それが世に役立ち、飯が食えるかである。これが難しい。音楽や芸事、スポーツなどが飯より好きな人は多かろう。しかし、それで飯が食える人はほんの一握りである。できなかった時の代償は大きい。
 肝腎なことは、没頭できることがどんなものであるかではなかろうか。多くの一般人としては、没頭できることと生活していくこととの見極めではなかろうか。
 お二人の話は2008年10月25日の(「話・話」第1010話 名古屋コンビ)でも取り上げているので、そちらも読んで頂くと良い。

(第1073話) 勘違いの漢字 2009,3,2
 “私は今まで漢字には自信があった。ところが先日、小学5年の息子と3年の娘に「ママ、漢字が違うよ」「書き順が間違っている」と相次いで指摘された。実は今まで、完璧の「璧」を「壁」と書いていた。「発」や「様」の書き順も間違っていたことを知った。
 昔は新聞や本を読む時、いつも傍らに国語辞典を置いていた。分からない漢字があると、すぐに意味を調べたり、何回も書いて書き順を覚えたりした。それが今では、携帯電話の漢字変換機能で漢字の形を確認するだけになっていた。
 反省して勉強を始めた。小学生用の辞典を傍らに置き、子供たちと一緒にノートを開く。新聞を教科書代わりに、記事の漢字を書き写したり、辞典で調べたり。子供たちは私の姿から、勉強の大切さに気づいてくれているようだ。”(2月12日付け読売新聞)

 鎌倉市の・芳村さん(42)の投稿文です。芳村さんのように思っている方は多いのではないか、ボクも全くしかりである。ボクも漢字にはかなり自信があった。それが今では全く自信喪失である。ボクは毎日日記を書いているのでよく分かる。こんな字がという字が書けない。誰が読むこともない日記だからと、間違った字や平仮名で済ましてしまう。
 でも、芳村さんのこの投稿文で考え直した。大型の辞書は本箱にあるが、本箱であるし、大型なので引くのが面倒だ。そこで早速眠っていた小型の辞書を机に置いた。漢字忘れの防止に大いに期待したい。


川柳&ウォーク