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第58号  2009年2月

(第1072話) ドギーバッグ 2009,2,26
 “三歳の娘を連れて外食に行き、子供用メニューを頼むときがあるが、食べ切れず残してしまう場合がある。もったいないので私が無理して食べるが、先日残したときに、思い切って店員さんに「残したので持ち帰れますか」と聞いてみた。すると容器に入れて持ち帰ることができた。
 最近テレビで見たが、食べ残したら持ち帰りを勧めてくれる店、推奨している地域があるという。恥ずかしくて言い出せないが、本当は持ち帰りたいという人も多いらしい。もちろん食べ切れればそれにこしたことはないが、どうしても無理な場合もある。衛生上から持ち帰りを好まない店もあると思うが、持ち帰れればごみも減るし、食べ物を無駄にしないで済む。
 最近は食べ残しを持ち帰れる箱「ドギーバッグ」を繰り返し使う人がいるという。エコバッグのように、外食時には「マイ・ドギーバッグ」を携帯し、残したら気兼ねなく持ち帰れるようにならないだろうか。”(2月12日付け中日新聞)

 春日井市の主婦・長谷川さん(41)の投稿文です。ボクは食べ残しを持ち帰っていた時期もあったが、妻からみっともないから止めてくれ、とよく言われた。
 個人で行って食べる分には量も考えて注文するので食べ残しは少ない。問題は宴会だ。かなりの割合で残っていることが往々にある。特にバイキング形式の時である。あんな高級素材のものを残して、何と傲慢な日本だと思う。捨てるのだったら、もっと持ち帰りを勧めたらどうだと思う。持ち帰った後は本人の責任だ。それでいいと思っている人は沢山あると思う。持ち帰りのパックを用意して、そこに持ち帰り後は自己責任だと言うことを明示すればいい。
 残っているからといって無理に食べるのは勧められない。腹八分というし、そんなことをしていたらメタボだ。持ち帰りが普通のことになったら、無理に食べることもなくなる。
 ドギーバッグというものは初めて知った。結構なことだと思う。でも、普及にはエコバッグより難しいと思う。問題が宴会にあるとすれば更に難しい。持ち帰りのパック代位処分費でまかなえるのではないか。

(第1071話) 写真と外食 2009,2,24
 “私が営むお好み焼き店に、小学生に見える男の子と女の子が父親らしい男性と来ました。注文の品を調理しながら目をやると、テーブルに母親らしい女性の写真が置いてありました。
 男性から「お皿をもう1枚下さい」と声をかけられました。持っていくと、男性はお好み焼さを少し刻んで皿に取り、写真の前へ。優しくほほ笑む写真と向き合い、3人は和やかに食事を楽しんでいました。私が「お母さんの前に水を置くね」と言うと、男性は「お酒の方が良かったかな」と答えていました。事情はわかりませんが、彼らは亡くなった妻・母を忘れぬよう、いつも写真を持ち歩いているのでしょうか。
 食事を終えると、男の子は大切そうに写真をしまっていました。私は心の中で「3人に幸あれ」と祈らずにはいられませんでした。”(2月12日付け読売新聞)

 茨城県取手市の自営業・浜本さん(女・67)の投稿文です。何とも美しくも切ない話です。どんな事情でなくなったのか分かりませんが、今でもこんなに慕われる奥さんやお母さんであった。亡くなった後も以前と同じように接する。お子さんはまだしも、ご主人がこうした店でも何の臆することなくこうした行動を取られることに驚いた。こんな人もあるのだ。そして、浜本さんもこの光景を理解し、同調して対応された。この心遣いも素晴らしい。
 2005年4月1日の「(第243話)出会い」を読んで頂きたい。全く同じような話である。こちらはお子さんを亡くされたお母さんの話であるが・・・・。

(第1070話) 最後の努め 2009,2,22
 “遺体をひつぎに納める仕事を描いた、納棺師の映画が評判である。在宅医療に従事するものとして、一般の人が抱くご遺体に対する複雑な感情には驚いた。
 在宅で死を迎えると病院で最期を迎える場合と比べ、多くの家族に見守られ安らかに亡くなられることが多い。死を宣告すると、家族も一緒に体をふいて死後処置を行い、故人がお気に入りだった服を着ていただく。女性の場合は死に化粧も行う。結構、皆で盛り上がるものである。お孫さんやひ孫さんがいる場合は一緒に参加していただくが、初めて死に触れる彼らの驚きが伝わってくる。
 人間の最期の務めは、残った人たちに自分の死を見せることだと思う。そう考えると、ご遺体に対する感情も変わってくるのではないだろうか。”(2月7日付け中日新聞)

 名古屋市の医師・長谷川さん(男・42)の投稿文です。「人間の最期の務めは、残った人たちに自分の死を見せること」と言われると、唸ってしまうし、納得もする。ほとんどの人は死に際を身内など人に見せる。死に際を見せなくても死体は見せることになってしまう。これも人間としての努めなのか・・・・。努めであるとすれば、そんなに惨めなものは見せられない。美しい死に際を見せたい。それには努力がいる。人間死ぬまで、死んでも努力が必要なのか。人間努力努力と切ないですが、でも、努力のない人生なんて、抜け殻みたいなものとも言えるでしょう。皆意識しないうちに何かの努力をしているのです。
 納棺師の映画「おくりびと」はボクも見た。ボクはまだ自宅でなくなった人の処置を見たことがない。あの映画のようなことがなされるのだろうか。長谷川さんの文を読むとそのようだ。人の死は厳粛なのだ。
 2005年2月14日の「(第197話)子を通夜の席へ」でも紹介したが、子どもに「死」を教えることは必要なことである。この話はそれ以上である。

(第1069話) 勇気ある行動 2009,2,20
 “先日の朝、名鉄のある駅で遭遇したのは目の不自由なお年寄りの男性に対する青年の勇気ある行動だった。
 駅では、みんながきちんと整列して電車を待っていた。私は後ろの方にいたが、その白い杖を持った男性は先頭あたりに立っていた。
 電車が到着すると1人の青年がドアに向かって走り出し、真っ先に乗り込み座った。私たちは「なんと不作法な」と不快に思った。その直後、目にしたのは青年が白い杖のお年寄りを優しく席に座らせている姿だった。青年の行動は、その男性を座らせるため、あえて恥を覚悟での思いやりだったのだ。
 私も含めて多くの人たちは、白い杖の男性に気づいていながら青年以外、誰も手を差し仲べなかったことをとても恥ずかしく思ったはずだ。それと同時に人の心が荒れすさんだ昨今、このような素清らしい優しさを持ち合わせた青年がいることをうれしく感じたことだろう。”(2月7日付け朝日新聞)

 愛知県知立市の宮川さん(男・73)の投稿文です。この行動には唸らざるを得ない。最初の行動には誰もが失礼な、マナー違反だとひんしゅくを買うだろう。それは当の青年も十分に分かっているだろう。それでも、不自由な人を助けるために行う。人の席を確保するだけの行動であるが、これはとてつもない勇気がいる行動である。これほどに心を揺さぶられたのは久しぶりである。
 目の不自由なお年寄りが電車に乗ってきたら、当然のように席を譲る社会であったらこの青年の行動は必要ではない。しかし、この青年にはこの老人が確実に席を確保できる確信が持てなかったのだ。だからあの行動が必要であったのだ。こういう青年の行動が必要ない社会はいつ来るのだろうか。

(第1068話) 2坪の恵み 2009,2,18
 “プランターでの花作りは続けていますが、大きなくわを持った経験のない私たち夫婦。七十の声を聞くこの年になっての初体験です。広々とした田園の一部を「ふれあい農園」として共同で借り、その一部、二坪ほどを夫婦で耕しています。
 あぜ道に真っ白に降りた霜をさくさくと踏み、農園の友人に教えていただいた初めての大根の収穫に出掛けます。青々と葉が茂り、根元から大根の首が見え、今かと待っています。一本一本慈しみ、孫だちと抜く歓声が響きます。
 帰宅後、菜飯や、いためての一品にするため菜を細かく刻みます。みずみずしく弾力すら感じます。おでん、ふろふき大根、ブリとの煮物、寒風にさらし千切りにした干し大根・・と食卓に並びます。
 無農薬で安心して食べられる喜び。それにも増して、自作の喜び。これからも夫とのウォーキング、わずかながらの野菜作りに、健康で充実した日々をと願っています。
 春を迎えたら、次は何を作ろうかと、今まで昧わったこととのない喜びがわいてきました。”(2月6日付け中日新聞

 三重県四日市市の主婦・中島さん(69)の投稿文です。またまた家庭菜園の話です。2坪の家庭菜園でも、これだけの収穫があり、これだけの喜びがある。家庭菜園というのはそう言うものです。
 そして、70歳近くまで鍬を持ったことのない人が、これだけできるのです。家庭菜園というのはそう言うものです。ボクが、日本の全家庭に家庭菜園を義務つけようと言うのは、こういうものだからです。野菜に対する意識が変わり、喜びを知り、心身の健康に良い、いいことずくめです。そして、70歳といわず、早ければ早いほど良いのです。

(第1067話) 3枚の1万円 2009,2,16
 “ここ1ヵ月ほどの間にどうしても使えない1万円札が3枚できました。大切な1万円札です。
 1枚目は社会人2年目の息子が「お母さん、何かおいしいものでも食べてな」と正月にくれたものです。うれしくて、何だか息子がたくましく見えました。少し前まで「出す」立場だったのが「もらう」立場に逆転。子育てが完全に終わったことを悟り、寂しさを感じました。
 2枚目は単身赴任する前日の、夫からの1枚です。「これからは、医者へも自分で行くしかない。風邪を引かんよう暖かい洋服も買ったら」とボソッと言いました。「銀婚式を迎えた分、お互い年をとったなあ」と、しみじみ話した、あの日のことが念頭にあるんだなと、相方がいるありがたさにグッときました。
 3枚目は、ある企業の企画に応募した文章が入賞し、現金書留で送られてきた懸賞金です。「厳正なる選定の結果、貴殿の投稿が優秀作品として選ばれました」とありました。
 どれも、もったいなくて使えません。1枚1枚別々の封筒に入れ、大切一に保管してあります。金銀財宝にも負けない私の宝物です。”(2月3日付け朝日新聞)

 津市のパート・柴田さん(女・49)の投稿文です。1ヶ月ほどの間にこんな貴重な1万円札が3枚も入るとは・・・何と言う幸運でしょう。どれも一生涯にあるかどうかの1万円札です。
 どの子どももこんなことしてくれるとは限りません。羨ましい息子さんです。お二人の育て方がよかったのでしょう。ご主人のこともそうです。ボクは銀婚式も何婚式も何もしていません。投稿の優秀作品はある人にあるでしょうが、これもなかなか難しいことです。
 使ってしまうと思い出が消えてしまう・・・・これは使えませんね。でも、お金は使ってこその価値ですが・・・。でも、使わないことは使ってしまったことと同じ、一万円札で一万円札を買ったと思えばいいでしょう。思い出を買ったとも言えるでしょうか。

(第1066話) 車いすに乗客は(その2) 2009,2,14
 “1月21日本欄で「車いすの乗客に優しい視線」の投稿者にひと言伝えたくなりました。車いすの乗客に対して、そのバスの運転手さんや他の乗客がなんの愚痴ももらさず協力的だったとのこと。残念だったのは、何の手助けもできなかった自分、としめくくってありましたが、そんなことは決してありませんよ。
 文面を拝見していると、投稿者白身もその場面を優しい気持ちで見守っておられたのがよくわかります。その後、投稿という形で心温まるお話を多くの読者に伝えてくださった
でしょう。それになによりも、手助けできなかったと自己反省の心を持たれたのでしょう。そんな投稿者にむしろ私は心から敬意を表します。ありがとうございました。”(2月2日付け中日新聞)

 岐阜県大野町の主婦・目加田さん(55)の投稿文です。2月4日の(「話・話」第1061話)の続き話です。投稿者の川上さんの「残念なことは、この間何の手助けもできなかった自分」という言葉に、そうではないことを伝え、このようにいい話を伝えて頂いたことに、感謝の投稿である。いい話が連鎖していくのは全く嬉しいことではないか。当事者はもとより、読む人にも心地よくさせる。感謝の気持ちをこうして投稿された目加田さんにも敬意を表する。
 そして、目加田さんの投稿はこの「話・話」にも頂いた言葉である。いい話を伝えるのがこの「話・話」の主なねらいであるのだから。

(第1065話) 自然って不思議 2009,2,12
 私のPRです。まず記事からです。
 “森林を探索するフィールドワークと講演で生物多様性を学ぶ「グラウンドワークフォーラムin一宮」が25日、一宮市の大野極楽寺公園などで聞かれた。名古屋市のNPO法人グラウンドワーク東海と一宮平成ホタルの会などが共催。フィールドワークの一部と、同市スポーツ文化センターでの講演会の二部に分けて開かれ、延べ400人が参加した。
 一部では好天の下、参加者が市民の森や野鳥園など豊かな自然を探索。平成ホタルの会の日置須務会長(70)によると、野鳥園で十年間ホタルを育ててきたが、餌のタニシにザリガニが付いて園内に広まり、他の生きものが減るなど、生態系を保全するのはいろいろ難しい面があるという。参加者は同会会員の話を聞きながら他の生物を観察し、竹やぶを伐採するなどした。竹を用いた小道具作りや料理教室も開かれ、自然と人間が共存していく方法を肌で感じていた。参加した小2年のS君は「ホタルを守るとほかの動物が減るなど、自然は本当に不思議だ」と関心を深めていた。”(1月27日付け中日新聞)

 NPO法人グラウンドワーク東海はボクが所属する団体です。25日は朝早くから会場に行き、準備等務めました。朝方は冷えましたが、風もなく穏やかな日となりました。フィールドワークは木曽川の河川敷内でしたので、風があったら寒くてそれどころではなかったでしょう。前日は雪が舞いましたから本当に幸運です。おかげで参加者数は想定以上で、盛会な催し物になりました。
 ボクは平成ホタルの会が飼育している蛍が乱舞する光景をもう何度も見ています。日置会長とも親しくさせてもらっており、苦労話もよく聞きました。自然を保全し、自然と共生する難しさ、知れば知るほど難しいものです。
 この記事の中でS君が「自然は本当に不思議だ」と発言していますが、全くその通りです。小学2年生が今回どこまで理解できたかは分かりませんが、子ども達がこうした機会を多く持つことは本当にいいことです。必要なことだと思います。どんどん機会を作ってやりたいものです。
 実はこのS君はボクの孫です。本当に連れて行ってやってよかったと思います。こうして新聞に名も載り、いい思い出となったことでしょう。

(第1064話) 心意気 2009,2,10
 朝日新聞に「be on Saturday」というページがあり、「いわせてもうお」という欄がある。少し気分和らげにここから紹介してみる。1月24日の新聞からです。

◎長寿のひけつ
 “満92歳の義父の年賀状作った。パソコンで干支のイラストを子から丑に変え、上書き保存しようとしたら、「次の子の時も使うから残しておいて」と注意された。”(名古屋市・あと2回は余裕だと思う・66歳)

 何歳になっても元気なうちは死ぬなど思いもつかないと言うことだろう。この心意気なら日本一の長寿、間違いなしあろう。

◎末は博士か大臣か
 “息子(12)の成績表を見せられた義母(65)。息子が英語の成績が悪かったとぼやくと「大丈夫、ノーベル賞だってもらえる」と言う。国語もいまいちだと知ると「総理大臣になれる」と答えていた。”(岡山市・教育っていったい……・38歳)

 この義母さんの心意気もなかなかいい。悪いとついクヨクヨしがちであるが、そんなものはものともしない心意気である。小中学生時代の学校の成績なんて、長い人生そんなに重要ではない。この二人が語っておられるではないか。ようは心意気である。この義母さんは良き指導者だ。

◎カリスマのレシピ
 “私の夫は料理がうまい。中でも得意なのが肉じゃが。ある日、「作り方を教をえて」と頼んだ。後日レシピを書いてくれた。「ジャガイモ6個、肉適量、だし適量、砂糖適量、みりん適当、しょうゆ適当……」”(大阪府東大阪市・どないせいっちゅうねん・42歳)

 名人やカリスマの秘訣は数字や紙に書けるようなものではない。そんなもので表されたら、誰でも名人になれる。表すに表せない微妙なさじ加減が要点なのだ。この取得も心意気であろう。

(第1063話) 金曜日 2009,2,8
 “要介護度4の母は弟夫婦と暮らしている。敏美さんは毎週金曜日に会社を休み、母を訪ねた。在宅サービスを利用しても、同居家族のストレスは大きい。介護する方も六十近いのである。弟の妻をまる一日解放してあげたい目的もあった。
 敏美さんは朝七時に着くと母に食事させ「はい、本日のお楽しみ代」と義妹に一万円を渡す。月に四万円のお礼は夫と折半だ。弟も喜んでくれる。義妹の友子さんは喫茶店でモーニングセットを食べた後、買い物や映画、時々友達と小旅行もするらしい。
 八十八で認知症の母は口だけ達者だ。時々正気に戻り、弟夫婦を悩ませる。腰を骨折してから歩けなくなった。特別養護老人ホームは三年持っても入れないという。
 介護は心身ともに重労働だ。たまに訪ねては介護する人の悪口を言い、親がかわいそうだと泣く人の話を聞くが、とんでもないと敏美さんは思う。同居する人は泣くひまもない。手を出さずお金も出さないなら、口も出さないことだ。
 夕食後母が眠ると友子さんが晴れやかに帰宅して、敏美さんの金曜日は終わった。”(1月21日付け中日新聞)

 作家・西田小夜子さんの「夫と妻の定年塾」からです。これは実話だろうか。そうだとすれば、敏美さん夫婦は実に素晴らしい。仕事を休んで毎週1回、認知症の母の介護に行く。そして毎日介護している人に小遣いを渡して介護から開放する。ここまで考えられる人はそうはないだろう。これで弟さん夫婦は実に救われる。これは実話であって欲しい。それでも毎日介護している人の苦労はこの比ではない。
 たまに来て介護している人の悪口を言う話は実に多い。西田さんは「手を出さずお金も出さないなら、口も出さないことだ」といわれるが、これはもちろんであるが、それでも困るのだ。責任のある人は皆で協力し合わないとできないのだ。これは両母をもう長く介護しているわが家の実感である。

(第1062話) 「千の風」にならないで 2009,2,6
 “平成十一年一月六日の午後でした。「具合が悪いから犬の散歩してくれんか。風呂に入って寝るから」と夫に言われ、私は犬を連れて出掛けました。帰宅して何げなく浴室の戸を開けたら、夫はあおむけに浮かんでいました。ずっと健康で医者にかかったこともない人でした。心残りはあったけれど、七十一年の見事な人生の仕上げでした。
 徒歩で片道十五分ほどの所に墓地があり、夫のかわいがっていた犬と毎朝、一年三百六十五日お参りに行くから、花を枯らしたことはありません。犬も十五歳になりましたが、元気に走り回っています。
 十年終わって、あらためて墓前で話し掛けました。「あなた。孫も生まれ、みんな毎日元気ですから、心配しないで心安らかにここに眠っていてください。これからも毎朝来ますから。間違っても『千の風』になってフワフワ、ウロウロしてお墓を留守にしないでくださいね」
 毎朝のお墓参りが、私の元気のもとなのに、″ここにいません″では困りますから。「あなた、これからもよろしく」”(1月21日付け中日新聞)

 岡崎市のヨガ講師・松下さん(女・69)の投稿文です。1年365日、毎日墓へ夫に会いに行く。それを10年、花も欠かしたことがない。いくら歩いて15分くらいのところといえども、なかなかできることではない。感心する。それほどにご主人に対する想いが大きかったと言うことであろうが、やはり、ここは犬がいたことも大きいと思う。ボクの家に犬はいないのでよく分からぬが、犬を飼ってみえる人の散歩にはほどほど感心する。本当に雨の日も風の日もである。あれなら犬がいたら365日の墓参りもできる気がする。
 松下さんは「千の風」にならないで、といわれる。千の風になって大空を吹きわたっていてくれたら、折角行っても会えない。来てくれるのを待っているより、こちらから行く方がより確かであろう。でも切ない話である。いずれどの夫婦にも訪れることである。ボクが残されたら松下さんのように行くであろうか・・・まず無理だ。でも、ボクが残ることはまず無かろう。

(第1061話) 車いすに乗客は 2009,2,4
 “名古屋市の市バスに乗った。すぐに発車せず、運転手がバスを降りた。車いすの乗車客がいたのだ。車いすのスペースを確保するためニつの座席を折りたたまなければならなかった。一人はすぐに席を立ったが、もう一人は「わたしは心臓に病気があるのです」と言われた。どうなるかと思っていたら、すぐ前の乗客が席を譲った。
 乗降口に渡り板を通し、運転手は車いすを押して上がる。車いすを壁面に固定してから運転席に戻った。バスは六分遅れで発車。しかし誰一人として不平もらす人はなかっ。心臓が悪いという客も、他の乗客も黙って待っていることに感心した。
 残念なことは、この間何の手助けもできなかった自分である。”(1月21日付け中日新聞)

 名古屋市の公務員・川上さん(男・56)の投稿文です。周囲の状況を判断しながら自分のするべきことをする、良心の連鎖反応であろう、良かったと思う。良心の連鎖反応は2008年5月30日の「(第940話)レジの出来事」が好例である。しかし、この話は全く当然のことである。いい話として取り上げるほどのことでもない。障害者に対する理解は進んだと思うが、現実にはまだまだの面があるから、川上さんの目には感動の光景に写ったのであろう。
 車いすは障害者ばかりではない、高齢者もお世話になるのである。街にはますます車いすの人が多くなろう。そして、気兼ねなく出かけられる社会になって欲しいものだ。明日は我が身だ。

(第1060話) 会釈 2009,2,2
 “先日、買い物に行った時のことです。先にレジを終えた見知らぬ女性が、次に待っている私に笑顔で会釈をされた。私も精いっぱいの笑顔でお返しした。一瞬の出来事でしたが、どれほど私の心を温かくしてくれたかしれません。
 「会釈」とは軽く一礼することですが、大変意味の広いものだと思います。今回のように「お先に」という意味、人の前を通る時 「失礼します」、道路で道を譲ってもらった時の「ありがとう」など、無言の会釈をする中にさまざまな思いが込められています。そして、双方が会釈を返すことによって、相手の思いを受け取ることができる。これは人と人の美しい姿なのではないでしょうか。厳しい不況風が吹き寒々としている社会の中で、せめて人への思いやりが込められている会釈の温かい心を忘れないようにしたいものです。”(1月20日付け中日新聞)

 岐阜県関市の主婦・土屋さん(67)の投稿文です。この「話・話」でも挨拶については何度も取り上げてきたと思うが、「会釈」については初めての気がする。会釈も挨拶のひとつであろう。声を出しての挨拶はもちろん良いが、見ず知らずの人にはなかなか難しいものである。またされた方も戸惑う。でも、会釈なら比較的気楽にできるし、受ける方もさほど戸惑いもなく、楽に返すことができる。会釈の方がいい場合も多いと思う。人の前を通る、乗り物で隣の席に座る、エレベーターの乗り降りなど少し会釈をすると気持ちのいいものである。この話のようにレジでの会釈はなかなか行かない。心しておきたいことである。
 ボクなど声を出して挨拶されて、無言で通り抜けることに抵抗がある。それが商売の挨拶であっても後味が悪い。例えば、ボクが毎朝乗る駅では駅員さんが自動改札口で「おはようございます、ありがとうございます、行ってらっしゃい」と叫んでおられる。知らぬふりして通り抜けると何か引け目を感じる。声を出して答えるのも抵抗がある。そこでできるだけ軽く会釈して通り抜けることにしている。

川柳&ウォーク