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第56号  2008年12月

(第1043話) 鉄瓶 2008,12,31
 “先日、新しい鉄瓶を購入しました。百年以上使い続けてきましたが耐えられなくなり、底が破れて水が漏るようになったからです。夏の暑いときを除いて、一年の半分以上は使ってきた鉄瓶です。
 朝、大鉢に炭をおこして、鉄瓶いっぱいの水が仕事にかかるころには、白い湯気をシュッシュと出しています。湯飲みにそのお湯を入れ、少し冷ましてから絞り急須に茶葉を入れます。ゆっくりとお茶の成分を出し、一服飲んでから仕事にかかります。
 これを父の元気なころからずっと続けています。特にこれからの寒い時期にはとても体が温まり気分もすっきりします。もちろん来客があったときも同じように出しています。
 近ごろは、火鉢を使う人もほとんどなく鉄瓶はそれ以上に珍しい日用品となってきました。慌ただしく、せせこましい昨今ですが、せめて一日のうち何回かはこうしたゆったりとした気分を昧わうのもいいのではないかと思っています。”(12月18日付け中日新聞)

 岐阜県関ヶ原町の仏壇製造・三輪さん(男・63)の投稿文です。1年の半分以上、ほぼ毎日使って100年以上、この言葉に引かれての紹介です。家庭内道具で100年という数字はなかなかお目にかかれない。電気器具などは数年、よく使って10数年。そんなものに振り回されているだけに、100年という数字は驚きだ。機械仕掛けでないものの寿命は長いのだ。使い方次第だ。使うほどに愛着も沸く。エコがいろいろ取りだたされる時代、大切に使うことがまず肝要なことであろう。そして、三輪さんが言われるように、せせこましい時代、1日に何度かはゆっくりした時間を過ごしたいものだ。
 わが家に父の時代、またそれ以前から使っているものがあるだろうか。戦前からのものはなかなか見あたらない。家が築60年になるが、使い方によってはまだ50年も100年も使えるだろうが、僕ら夫婦が使わなくなったらもう使い手はいなくなるのだろうか。気がかりなことである。
 今年最後の「話・話」にふさわしい話題と思って紹介しました。ものにも人間にも寿命があります。与えられた寿命を大切に使いたいものです。今年1年そんな生き方だったか振り返り、また新たな年を迎えたいものです。ご愛読ありがとうございました。

(第1042話) 今年の漢字「変」 2008,12,29
 “ホー先生 「今年の漢字」は「変」に決まったそうじゃな。なぜじゃ?
A 米国発の金融危機に、株価暴落など経済の激変、首相交代やオバマ次期米大統領の「チェンジ(変革)」など政治の変化、世界的規模の気候異変と、良くも悪くも変化が多かった1年ということのようだね。
ホー先生 誰が選ぶんじゃ?
A 日本漢字能力検定協会(本部・京都市)が毎年公募して、一番投票数の多かった漢字が選ばれる。今年は11月1日〜12月5日に全国348ヵ所に応募箱を置き、インターネットやはがき、学校や塾の集団応募も受け付けた。過去最高の延べ11万1208人から応募があり、1位の「変」は6031人が選んだ。
ホ そもそも、どうして1年を漢字1字で表すことになったのかのう。
A 漢字の奥深さを知ってもらおうと、協会が95年に姶めたんだ。確かにさまざまな出来事を思い浮かべながら見ると、一つの漢字がいろいろな意味を持つことに気がつくよね。”(12月26日付け朝日新聞)

 「ニュースがわからん!」という欄からで、問答形式になっていて、その時のニュースをわかりやすく解説している。今年の漢字は、この「話・話」でもほぼ毎年話題にしている。今回はその選び方等の文も見つけたので紹介した。
 今年の「変」以下は、金、落、食、乱、高、株、不、毒、薬、だったという。ひとつずつに思い当たることはあるが、やはりボクにも「変」が妥当に思える。この変が、良い方に向くのか、悪い方に向くかは来年が大切と言えるだろう。重要な年になる。
 個人個人で考えてみるのもいいだろう。ちなみにボクは落着の「着」であろうか。願望も含めて、いろいろな面で一定の方向性が着いてきた感じがする。
 過去の漢字も紹介すると、97年「倒」、98年「毒」、99年「末」、00年「金」、01年「戦」、02年「帰」、03年「虎」、04年「災」、05年「愛」、06年「命」、07年「偽」となっている。その年に何があったかはいろいろ思いだして欲しい。

(第1041話) 記念日に手紙 2008,12,27
 “結婚したとき夫にお願いしたのは、誕生日や結婚記念日には手紙がほしいということ。
 あれから十五年。夫は筆無精にもかかわらず、私にカードを贈ってくれる。いつのころからか、暑中見舞いやクリスマスなどの行事や暦に合わせ、立体カードや音の出るものを選んでくれる。会社帰りの男性が、たくさんのカードの前であれこれ迷って選んでいるのを想像すると、何だか背中がかゆくなる。
 小さなカードに、私へのねぎらいの言葉や、一緒に子育て頑張ろうとか、あまり頑張りすぎないように、などの夫の言葉が並ぶと、私にとってこの上ないプレゼントになる。高価なバッグでもなければ宝石でもない夫からの言葉の贈り物。
 それをまねてか、以前、長男が勤労感謝の日に、手紙とボールペンをくれた。いつもは乱雑な字なのに、とても丁寧な字だった。手紙、特に手書きの贈り物は心が温まる。贈り物はやはりまごころが一番だと思う。”(12月10日付け中日新聞)

 江南市の主婦・青山さん(41)の投稿文です。またまた殊勝な男があるものだ。相手からはっきり求められたものだからやりやすいと言う面はある。また、忘れられたら請求することもしやすい。これも一つのうまい方法だろう。そして、子供は親の背中を見て育つ。親のすることは、そうするものだと思って自然するようになる。この話はその見本だ。
 「(第1036話)誕生日」にも書いたように、ボクも先日カード売り場を覗いて、様々なカードがあることに驚いた。男も時にはこんなことを楽しんでもいいと思った。

(第1040話) 柿紅葉(その2) 2008,12,25
 “今日は日曜日だ。ゆったりと新聞を広げた。途端に妹の名前が目に飛び込んできた。「くらしの作文」である。いつも読んだり読まなかったりするところである。
 「柿紅葉」(十一月十六日付)という題で、真っ赤に色づいた柿の葉に感動した様子が書かれてある。身内ながら、上手に書いてあるなーと思いながら読んだ。思えば、妹は二十余年間人工透析を受けている身である。医者からは五年の命と宣告を受け、週三回の透析通い。泣くこともなく、愚痴ることもなく、今日まで元気で生活している。生きている喜び、死への心構えは私たちよりもはるかに強いように思える。
 柿の葉も精いっぱい生きて、いま落葉となり土に返っでいくように、妹の心に鮮やかに残ったことだろうと思う。”(12月9日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の農業・大井さん(女・63)の投稿文です。11月16日付けの「柿紅葉」をこの「話・話」の第1028話(2008年12月1日)に紹介したので、その続編です。妹さん(末松さん)は20年余も人工透析を受けている方だったのだ。それで、大井さんも言われるように「生きている喜び、死への心構え」ができており、自然の移ろいも心豊かに感じられるのだろう。苦労は人を作るのである。投句者が語られない裏話が聞けると、更に味わいのある話になるのは嬉しい。

(第1039話) 夫の心得四ヶ条 2008,12,23
 “亡夫の本棚を整理していたら「夫の心得四ケ条」と書かれた一枚の紙片が出てきた。何かの本から抜粋したらしい。
 一、夫は妻子を世間の風雨から守り経済の責任を負うべし。(なるほどいいことです)
 二、夫は妻を自分の所有物と思わず、これを愛しい者と思い言葉に出して言うべし。(頭の中を「?」マークが無数に飛び交った。こんなうれしい言葉は五十余年間一度も聞いたことはない)
 三、夫は妻の愚痴を義務と心得て我慢して聞いてやるべし。(この項目は納得した。一方的にまくしたてる私に、夫は新聞を読むふりをして黙っている。それから一言「言うことはそれだけか。まあ気が済んだか。じゃあお茶でも入れてくれ」。それで終わり。テキは一枚上だった)
 四、夫は常に理想とロマンを追うべし。(夫のどこにロマンがあったのか、これも「?」マーク)
 寂しさが懐かしさに変わりつつある今ごろ、どうしてこんなものが出てくるのよ。逝って五年。いろいろあったよ。愚痴は山ほどあるよ。夫は「どうせ女房の愚痴なんか・・・」とあの世で苦笑しているだろうな。”(12月8日付け中日新聞)

 常滑市の堀井さん(女・81)の投稿文です。「どうしてこんなものが今頃出てくるのよ、あの人がこんな殊勝なことを考えていたなんて、また寂しくなって泣けてしまうじゃないの」と堀井さんは言いたいのであろう。男とは、いろいろ考え努力しているが、それをなかなか表に現さないものなのです。特にこうした年代の男は。ボクなども妻がこの「話・話」で何を書いているかほとんど知らない。後に知ったら、堀井さんと同じではなかろうか。
 それにしてもこの四ヶ条、簡潔にして実にいい。この四ヶ条ができれば、夫としてのすべての責任を果たしているといえる。なかなかできることではないが、常の心構えとして知っているだけでもいい。堀井さんのご主人は素晴らしい人だったのだ。「?」マークがいくつも付いても・・・・。

(第1038話) サンタ慰問 2008,12,21
 “毎年12月25日、夫とともに手づくりのサンタさんの服を着て安城市桜井町の四つの保育園を訪れ握手をしています。ふれあいを大切にしたいとの思いで始め、今年は20年目になります。.
 訪問は私ひとりで始めました。ところが園児から「おひげがない」との声が出たので、夫に一緒に行ってよ」と頼みました。が、返事はなく、駄目かと思いました。でも、もしかしたらとサンタさんの服をこたつの中で温めておきました。夫はなかなか顔を見せないので「やっぱり」とあきらめかけていた時、夫が「おれの服は」と言ってきました。あわてて服を着せるとすてきなサンタさんになりました。3年目の時でした。
 ふたりのサンタさんは園児の笑顔に元気づけられ頑張りました。ところが今年は85歳の夫の体調が思わしくなく病院の検査が25日とぶつかってしまいました。今年はひとりでやるしかないか、と思っていましたが、意外にも「検査を終わってから行けばいい」と言い出しました。驚くやらうれしいやら。今年は結婚60周年なので、その感動はひとしおです。”(12月8日付け朝日新聞)

 安城市の菓子店経営・林さん(女・76)の投稿文です。この夫婦も全く感心するばかりである。「ふれあいを大切にしたいとの思い」でまず奥さん一人で始められたと言うのも驚く。ふれあいを大切にが、サンタさんに結びつくのは人柄であろうか。菓子店経営はサンタさんに結びつきやすいとはいうものの、こうして訪問するのは別である。ご主人も付き合わされて始められるが、今では多分ご主人自身も楽しみにしておられるのだろう。始めて20年と言われるので、60歳前後から始められたことになる。始めるのに早いに越したことはないが、何歳からだっていい。気づいたときが始め頃である。いろいろな夫婦があるものだ。こうして紹介できるのは嬉しい。

(第1037話) 庭師の後継ぎ 2008,12,19
 “「見てて気持ちのいい庭ですね」。早朝の仕事で、自宅に呼んだタクシーの運転手さんに褒められた。猫の額ほどの場所に木々が植えてあるだけだ。仕事柄、いろんなお宅にうかがい、待っている間に庭を観察しているという。
 あの庭は、庭師だった父親が手を入れたものだ。家族で海外赴任していた時も、毎週のように留守宅をのぞいては面倒を見てくれていた。素人だけの庭とは多少は違うのかもしれない。
 家は代々の庭師で屋号もあった。兄との二人兄弟だったが、どちらも継がずに廃業した。庭師は、親方の元で何年も修業せねば一人前になれない。普通の若者がなかなか飛び込める職業ではない。今はマンションや箱庭程度の一戸建てが増え、庭師が腕をふるえる庭はめっきり減った。後を継がなかった身で言うのもなんだが、身近な暮らしから消えつつある、こういう職業は多いだろう。
 父は今年五月に亡くなった。丹精をこらした庭のハナミズキの葉が、朱に染まり一枚、一枚と落ちていく。本当は、庭師を継いでほしかったのだろうか。父の寿命がもう一年あれば聞けただろうに、と悔やまれる。”(12月7日付け中日新聞)

 論説委員の山田さんの「世談」と言う欄からです。農業の後継ぎも少なくなっているが、庭師のような職人の後継ぎも少なくなっている。苦労の割に収入が少ないからか、または需要が減っているからか。いずれにしろ体を使う仕事は敬遠されがちだ。本当は技術が身につくものがいいと思うのだが。
 ボクの家ももう30年近く庭師のお世話になっている。今年も先月親子二人で来てもらった。朝早くから暗くなるまで、昼休みも早々に切り上げて、一生懸命やって1日で終えてくれる。1日で終えてくれるのはボクもありがたい。その間、ボクもヘッジトリマー(剪定用バリカン)仕事や片付けなどの下仕事で一生懸命である。毎年1日終わるとボクは疲れ果てる。
 この庭師はボクより2歳若い。後継ぎもできて張り切っている。やりたいことばかりだという。先日も話していて、お金をやるから旅行でもしてこいといわれても行く気はない、植木の勉強してこいといわれるなら行くと言う。ボクなどここまで無事勤め上げたご褒美と旅行ばかり考えている。大変な違いだ。庭師は定年もなく、やる気があればいつまでもできる。成長するものを相手にすることはやり甲斐のあることである。この親子にいつまでもお世話になりたい。

(第1036話) 誕生日 2008,12,17
 “夫は家族の誕生日をとても大切にしていた。長男が二月五日、次男が二月三日生まれ。二日しか違わないので、誕生祝いは一緒でどうかという私に、「年に一度の誕生日だよ」とそれぞれの日にプレゼントを贈りケーキで祝った。
 夫は四月二十五生まれ。初ガツオが鮮魚店に並ぶころで、私は自分でたたきを作った。夫が最高に喜ぶごちそうで、お酒も進むようであった。息子たちから両親へのプレゼントは、肩たたき券とお手伝い券。昭和五十三年の夫の最後となった誕生日には、「たばこが嫌いになるガム」が添えられていた。その年の八月に夫は天国へ旅立った。
 母子三人になっても誕生日の祝いは続けた。息子たちは結婚してからも夫婦で、私の誕生日の五月二日が近づくとプレゼントを届けてくれる。近ごろは二人の小学生の孫娘もプレゼント選びをしてくれるそうだ。誕生日を祝い、祝われることは年齢にかかわらずうれしいことだ。”(12月3日付け中日新聞)

 岐阜県山県市の田内さん(女・68)の投稿文です。大した男があるものだ、ボクはこういう話になると全く落第生だ、感心するばかりである。家族の絆も薄れがちの現代であるだけに、こういった行事はより大切にしたほうがいいとは思っているが・・・。行事をすれば、その時だけでも親しくする機会になる。それが後に大切な思い出になる。田内さんのご主人はもう30年も前に亡くなったようであるので、随分若死にである。それだけに残された田内さんの家族には大切な思い出であろう。それだからこうした投稿文にもなる。
 ボクは先日、妻に言われて孫用にクリスマスカードを買ってきた。始めてあのような売り場に行った。随分いろいろなカードがあるものだ。買ってきたら、ボクにメッセージを書けと言う。もらった孫がお礼を言いに来た。ボクは妻に踊らされている。

(第1035話) 少女の手紙 2008,12,15
 “私の家族は、六年ほど前からエクアドルの一人の少女を支援しています。その時から、年に数回、彼女から手紙が送られてきます。
 支援を始める前、栄養失調で学校へも通っていなかった彼女の初めての手紙は、白い紙の端に鉛筆で小さな動物の絵が描かれたものでしたが、だんだん紙いっぱいにかわいい絵を描いてくれるようになり、ついには色鉛筆で丁寧に塗られた素敵な絵が届くようになりました。手紙が届くたびに彼女の成長が目に浮かび、とてもうれしくなりました。
 そして去年の夏、初めて彼女の直筆の文章の書かれたはがきが送られてきたのです。そこにはローマ字ではっきりと、私の母の名前が書かれていました。字は何度も消した跡がありましたが、一画一画心を込めてしっかりと記されていました。
 この手紙は私の家族にとって、忘れることのできない贈り物です。地球の反対側からやってきた大切なたからものです。”(12月3日付け中日新聞)

 三重県桑名市の高校生・山本さん(女・17)の投稿文です。世の中にはいろいろな活動があるものである。支援している子供の成長が感じられるのは、嬉しいことである。それが地球の反対側からの声であると思うと、より感慨深いものがあるのである。それだから山本さんには大切な宝物になるのであろう。若い頃のこうした体験は大変に貴重である。
 実はわが家も行っているのである。フィリピンの小学生が対象で、もう3人目である。きっかけは娘が大学生の時に言い出したことであるが、嫁いでいった後は我が奥さんが引き継いでいる。先日は支援の小学生から自筆のクリスマスカードが届いていた。2005年11月15日の「(第457話) 里親」で詳しく紹介していますので、そちらも読んで頂けるとありがたい。

(第1034話) スズメの分け前 2008,12,13
 “夫は三年前から百坪ほどの休耕田を借りて稲作をしています。近くの八幡宮の総代を経験して、しめ縄用の背の高い藁がが寄進できればと思ってのことです。古代米の黒米の藁が長いことが分かり育てています。
 平鍬と備中鍬だけで畔ぬりから田起こし、代かきを行い、田植えまで一人でこなします。子どものころ身につけた作業だからお手のものです。丈夫でない夫の体を気遣うと「楽しんでやっているから大丈夫」と笑って答えます。
 八月下旬、穂の出る前に刈り取った稲を一日広げて乾かし、次の日から屋根の下のはざに掛けて乾かします。夫の背丈ほどもある青いきれいな藁が仕上がり、無事神社に寄進しました。十月中旬、来年のモミ種用の稲も刈り取り、田舎から持ってきた足踏み脱穀機で脱穀し今年の稲作は終わりました。
 療養中の私を病院へ連れて行った帰路、田んぼに寄ってくれました。きれいに刈られた田んぼに一握りほどの稲が残されていました。夫は「あれはスズメの分け前だ」とすまして答えました。私は不思議な、豊かで幸せな気持ちになりました。”(1月30日付け中日新聞)

 豊川市の安藤さん(女・66)の投稿文です。しめ縄用の藁はこうして作るのか、始めて知った。世の中のことはいろいろな人がいて、いろいろな努力があって成されているのである。
 ボクの村にも神社があり、年末になると新年の準備をする。準備をするのはその年の年行司という当番である。しめ縄は普通の縄ですませている気がするが、門松は作っている。ボクはもう数度年行司を勤めたが、門松の作り方をまだよく理解していない。まず知って、そして次の世代に伝えていかねばならない。村のことについては知らないことばかりだ。ボクの役割はこれからである。
 安藤さんの文で興味をひいたのは「スズメの分け前」と言う表現と考え方だ。表現には友達というユーモアを感じるし、考え方には優しさ感じる。地球上の万物は、競争し、共存している。それにはずれたものは滅び去っていく。野鳥のいない世界は寂しい。ボクも野鳥用に柿を十数個残している。

(第1033話) 山びこもどき 2008,12,11
 “学校の裏山に登ると、町並みが一面に広がっている。そこからずっと向こうに見える大きな山には、山びこの神様がいると言われている。「おーい」と叫ぶと「なんだー」と返ってくる。「元気かー」と叫ぶと「元気だぞー」と返ってくる。正確には、山びこもどきだ。
 抑えきれない気持ちを口に出したくて、放課後、僕は裏山へ登った。ランドセルを放り投げ、口のまわりに手を当て、叫んだ。「○○ちゃんのことが好きだー」山びこは何て返してくれるだろうか・・・。「あたしも」僕の後ろから、ぽつりと声が聞こえた。振り向くと、頬を赤らめた彼女がいた。そのすぐあとに、山びこが返事をした。「お幸せにー」”(11月30日付け中日新聞)

 300文字小説から、広島市の会社員・宮田さん(男・24)の作品です。山びこもオウム返しではなく、答えてくれる山びことは、これは宮田さんの願望か。いや、多くの人の願望でもあろう。いい着眼である。そして、こういった話はほのぼのしていい。ボクはこういった話が好きだ。いまだ純愛青春小説派から抜け出していないかも知れない。純愛を抱く頃は人生のもっとも清々しい頃だ。青二才と言われてもこの期間が長いのはいい。ボクはまだ卒業したくない。

(第1032話) 米作り 2008,12,9
 “新米のおいしい季節である。もみまき、田植え、稲刈り、もみすりと長期間にわたり、いくつも手間を掛けてきたことへのごほうびのように思える新米の味である。
 私は田植えや稲刈り時が大好きである。田んぼに生命が吹き込まれているかのような活気がうれしいのである。家族総出から業者任せの大型機械へと、形は様変わりしたけれど、やはり主食である米作りができることはありがたい。
 けれども、減反割り当ては相変わらずだし、米価の低迷にも展望は見えない。美田がどんどんと宅地化されて消えていくのが現状である。米は100%自給ができ、あまり貴重品ではなくなったかもしれないが、「事故米」騒動が再び起こらないとは限らない。
 この事故米を契機として、国民皆で米への認識を新たにしてほしいと思う。そして、もう一度私たち生産者が、ワクワクして米作りに熱中できる時が来てほしいと願う。”(11月26日付け中日新聞)

 三重県桑名市の農業・山下さん(女・60)の投稿文です。投稿欄に「米」と言うテーマでもう4回にわたり特集が組まれている。米に寄せる意見はそれほどに多いのである。米作りに喜びを感じられる山下さんに嬉しくこの文を紹介した。昔に比べれば例えようもなく楽になった米作りであるがそれでも辛いものがあるが、このように楽しいという人もあるのだ。このような人がまだみえる間に状況の変化を期待したい。
 先日わが家にも新米が届いた。わが家では田を借りてもらって、借地料として1反1俵の米を頂いている。実はこれは作って頂いている人の好意みたいなものである。最近は米をもらうどころか、手間賃を出すほどである。これでは都市近郊の米作りは成り立つどころではない。美田がなくなることが心配である。

(第1031話) 頂きます 2008,12,7
 “習慣というのは妙なものだ。最近ようやく、妻とふたりの食卓でも「頂きます」が言えるようになった。妻も一緒になって「頂きます」と言う。なんとなく会話がはずみ、楽しい食事になった気がする。これまで、孫が来ると「頂きま〜す」と言う大きな孫の声につられて一緒に言うのだが、なぜか2人きりだと言えない。さかのぼって子どものころは私も言っていたはずだ。
 黙って食べるようになったのは成人して1人になってからだ。結婚して子どもが小さい時は言っていたはずだが、大きくなり一緒に食べなくなってからは言わなくなったと思う。2人きりになってからも黙って食べていた。でも、今では大きな声で 「頂きます」と言えるようになった。”(11月24日付け朝日新聞)

 岐阜市の武山さん(男・72)の投稿文です。家族間の挨拶には「おはよう」「頂きます」「ごちそうさま」「行ってきます」「ただいま」「お帰りなさい」いろいろな挨拶言葉がある。子供や孫と一緒なら教育的意味もあってするが、夫婦二人だけともなると、ついおろそかになりがちである。特に僕ら年代以上のものには照れくささもあってかなり難しい。でも挨拶は大切なことである。本当は夫婦二人だけになると、会話も乏しくなり、より必要なはずである。武山さんはそのことに気づかれ、努力された。それができるようになって良かったと思う。
 実はボクもこのことに気づき、努力した。「話・話」の効果もある。今ではほとんど声に出している。

(第1030話) Qちゃん尊敬 2008,12,5
 “現役引退を表明した女子マラソンの高橋尚子さん(36)が、先日岐阜県で行われた「2008いびがわマラソン」にスペシャルゲストとして参加しました。会場での人気は相変わらずで、多くのランナーを激励したりする姿がとても印象的でした。あのQちゃんスマイルも依然健在で、何よりもうれしく思いました。マラソンは42.195キロの長丁場です。女子にとっては過酷なレースといえますが、これまでよく頑張ってきた彼女に大きな拍手を送りました。私は、これからもQちゃんを応援し続けるつもりです。”(11月23日付け中日新聞)

 “あれだけ世界で活躍した女子マラソンの高橋尚子さんが急に引退をして、とても驚きました。本人がもうシドニーオリンピックの時のような走りができなくなったと感じるのなら、いま気持ち良く引退して、正解だったと思います。高橋さんの走りは本当に尊敬しています。シドニーオリンピックで金を取って、よくここまで精神的にも肉体的にも限界になるまで、自分を追い込めたなあと思います。私も学校の駅伝練習に参加していますが、高橋さんを見習って、もっと自分を追い込んでいけたらいいです。”(11月24日付け中日新聞)
 
 最初の文は岐阜市の主婦・西垣さん(70)、次の文は犬山市の中学生中村さん(女・15)の投稿文です。10月28日に現役引退表明をしたQちゃんこと高橋尚子さん、その後の新聞等で彼女に関する投稿の何と多いことか。いずれもここに紹介したような、よく頑張った、力をもらったなど好意的な内容である。好感度抜群ならであろう。そしてここに紹介した文でも70歳と15歳の方である。まさに老若男女を問わずである。
 高橋さんは岐阜市出身、ボクは準地元と言っていい。今年8月の一宮友歩会例会で高橋尚子ロードを歩いたところである。
 今年3月30日の「話・話」第915話で、高橋選手が「今年11月の東京、来年1月の大阪、3月の名古屋の3大会連続挑戦を発表」と書いたばかりである。その結果を取り上げるのではなく、その前の引退を書かねばならないのはいささか残念であるが、潔い判断をされたとボクも評価したい。彼女の魅力は、素晴らしい成績もあるが、あのスマイルであろう。あのスマイルを持ってこれからの活動にも期待したい。

(第1029話) 日記買う 2008,12,3
 “「日記買う」は俳句の冬の季語にもなっており、今がその時期である。私は一年日記を書き続けて62年になる。初めのころは大学ノートであったが、その後は市販の日記を使っている。その日記を積み上げた高さは2.49m、重さは28.6kgにもなる。
 私は日記にこだわりを持ち、日記に力を注いできた。39年間、小学教師を務める中、すべての教え子に日記を書かせ、日記を指導してきたことに誇りを抱いている。学習指導に、生活指導に、日記の果たした役割は大きかったと思う。
 私自身、日記を書くことが好きである。そのことで自分を表現し、反省し、力づけている。併せて生活辞典としても役立っている。日記から内容別に転記して、11冊の分類ノートを作っている。過去を知って今日に対処するのに大変便利である。今、62年間の日記への感謝の念は深まるばかりである。”(11月17日付け中日新聞)

 岡崎市の市川さん(男・79)の投稿文です。ボクは日記を何となく書いているが、市川さんのようにこだわりのある人もあるのである。何となくとこだわりがあるのでは大変な違いである。一年日記を62年、教師として生徒にも日記を指導されてきた。この文でもっとも気をひいたのは「日記から内容別に転記して、11冊の分類ノートを作っている」と言うことである。日記からこんなことができるのか、どうやっておられるのか、気になるところである。しかし、こだわりを持つとこんなこともできるのである。
 「日記買う」が季語であることも知った。確かに日記を買うのは、一般には新年が近い冬である。季語になりうる。ボクも先日買ってきた。ボクの日記帳は3年連用日記である。今回で9冊目である。ところが、今まで使っていた日記帳の出版社が日記帳を発刊しなくなっていた。日記帳の需要が減ったからであろうか。そうだとすると寂しい。市川さんには比べようもないが、ボクはどこまで続くだろうか、興味あるところである。

(第1028話) 柿紅葉 2008,12,1
 “秋雨のやんだ庭に、落葉した柿紅葉を見つけた。見上げると、朱色の柿の葉と緑の葉に交じっていつの間にか赤く色付いた葉が日に照らされて光っている。春の新緑の芽吹きもさわやかだが、秋の紅葉もまた格別だ。
 つややかな深紅の葉を手に取ってじっと見つめていると、毎年のことながら、また新たな感動が伝わってくる。何とも言えないほのぼのとした幸福感―。
 こんなすてきな自然からの贈り物を独り占めするのはもったいない。近所の友にもおすそ分けしようと、朝煮上げておいたアユの甘露煮の下に葉を三枚置いてみた。赤が映えてとても美しく趣もある。友は「わぁきれい!もうこんな季節になったんだね」と大喜びしてくれた。”(11月16日付け中日新聞)

 各務原市の主婦・末松さん(60)の「くらしの作文」からです。鮎の甘露煮を紅葉した柿の葉の上に置く、何という心遣いであろう。末松さんの心のゆとりと豊かさを思う。まさに日本情緒ここにあり、という感じです。
 「柿紅葉」という言葉を初めて知った。早速歳時記の本を開いてみた。紅葉のつく言葉のあること、あること、紅葉する樹木の名の下に紅葉をつければいいのだ。漆紅葉、櫨紅葉、柏紅葉、梅紅葉、桜紅葉、合歓紅葉、満天星紅葉、葡萄紅葉、更には、名木紅葉、雑木紅葉、夕紅葉、下紅葉、谿紅葉、庭紅葉等々。日本の言葉の豊かさを感じる。俳句の世界だけの言葉にしておくのはもったいない。機会があったら使いたいものだ。
 わが家の柿も、実は鳥に残す数個のみになり、葉もほとんど落ちた。鍋の美味しい季節になった。紅葉鍋、桜鍋、牡丹鍋、鼈鍋、寄せ鍋、ちり鍋、石狩鍋、鍋もいろいろある。


川柳&ウォーク