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第51号  2008年7月

(第969話) 恥ずかしながら 2008,7,30
 “日本はこの十年間、自殺者を毎年三万人以上出している。最近は、有毒ガスを発生させ周囲に危害を与えるケースもあり、心が痛む。私は若いころ、生きることが耐えられず、自殺関連の本を買って実行した。結果は悲惨で、嘔吐物を残して救急車で運ばれた。目を覚ますと、そばには母が寂しげな瞳をして座っており、窓側に父が腕組みしながら外の景色をじっと眺めていた。挫折を知らないお気軽な人生で、社会の波に少しのみ込まれただけで動揺し現実逃避するーそんな愚かな行動を、当時悪いとは思わなかった。
 月日がたち、親になって罪なことだと痛感した。故に今、死を考えている人に言いたい。「ちょっと待っとってよ!」と。人はいつかは死ぬ。だから焦らないでほしい。私は自殺未遂の罪を一生背負い、恥ずかしながら生かされている心境でこの文章を綴っている。大変だが、生き続けることが大切なのだと思う。消したい過去を公にするのは、死ぬほど恥ずかしい。しかし、これが償いであり使命に感じる。自殺者が出ない世の中になるように祈りながら・・・。”(7月16日付け中日新聞)

 愛知県の高倉さん(男・40)の投稿文です。勇気のいる告白文である。体験から自殺を考える人への切なる願いであろう。人は自分から死ななくても、いつかは死ぬ。焦らなくていい、死ぬことを考えたら何を捨ててもいい、そうして少し待っていて欲しい、高倉さんはそういいたいのだろう。
 自殺者3万人というのは、考えてみると本当に大変な数字である。苦しみ、もだえ、悩んだ末の自殺である。病気や事故のように他からしかけられた死ではない。自殺未遂者はこの10倍はあるという、それだけの人が死にたいほどに日々苦しんでいるのである。そしてこの周りに家族がいる。この家族も苦しんでいる。
 この問題についてボクは何も言えないが、貴重な投稿文だと思って紹介した。

(第968話) 幸せの魔法の言葉  2008,7,28
 “ある日、娘が1冊の本を買ってきて、「お母さん、この本すてきな本だよ」と言って手渡してくれました。その本には人は誰でも幸せになるために生まれてきたんだよ、と書かれていました。それではなぜ幸せな人と不幸な人がいるのか。その鍵は私たちの日常の言葉に隠されていました。
 幸せな人は天国言葉「ついている。うれしい。楽しい。感謝しています。幸せ。ありがとう。ゆるします」という言葉を使っていて、不幸な人は地獄言葉「ついていない。不平不満。グチ。泣きごと。悪口。文句。心配ごと。ゆるせない」という言葉を使っているとのことでした。
 普段何気なく地獄言葉を使っていたことを、あらためて反省した瞬間でした。自分の発した言葉で、幸せと不幸の分かれ道が決まるなんて、本当に言葉の重みを感じました。
 普段、当たり前に思っていたすべてのことに、意識してみるとありがたいことが山のようにあることに気が付きました。ふと窓の外を見ると、今日も雨降りだけれど、思わず「雨さん、大地を潤してくれてありがとう」の言葉が出ました。(7月4日付け中日新聞)

 浜松市の農業・磯田さん(女・49)の投稿文です。ボクにはこれも納得できるいい話だ。この「話・話」にも通じる話だ。人間なんて本当に心の持ち方次第、良い方にとらえるか、悪い方にとらえるか、ありがたいと思うか、不満に思うか、これで全く気分が変わってくる。特に、この本では「天国言葉」と「地獄言葉」といっているが、言葉の使い方は重要だ。これは心がけと少しの努力でできる。人生そんなに甘いものではないと、ご不満を言われる方があるかもしれない。人生、上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。自分がその最低だという人があれば、まず生きているのだから、それだけでも最低ではないといいたい。
 偉そうにいうボクはそれほどに不満も悩みもなく生きているかというと、そうではない。ここ数年、かつてないほど悩み、苦しんでいた。こういう「話・話」を書きながら、少しの心がけと努力をしてきた。そして、未だつぶれていない。今後もいろいろあろうが、この心がけと努力を忘れないようにしていきたい。前回と通じる話になってきた。
 さて、この本の題名は何というのでしょうか、知ってみえる方はありませんか。

(第967話) 8人の子供 2008,7,25
 “医師だった父は終戦の翌年、7人の子どもと身重の母を残し、若くして病死した。母は女一人で大変な思いをして懸命に生きてきたことだろう。しかし、成人した子どもたちを前に「苦労したとは少しも思っていない。子どもが社会の中でそれぞれ立派に仕事をなし、20人の孫もいる。皆が幸せに暮らしているのをみると、私の人生は最高」と言い切った。
 「さすがわが母」とうれしかった。母はいつでも前向きに物事をとらえていた。社会情勢に精通し、教育の必要性を説く。俳句を楽しみ、仕事を精いっぱいこなしてわが家を切り盛りした。忙しくても目は子どもたちに向けられ、放任することはない。私たちきょうだいは安心して暮らしてきた。物にこそ今ほどは恵まれなかったけれど、少なくとも心は渇かなかった。私自身3人の子どもの親になり、母に育てられたことを改めて誇りに思うとともに、母に感謝した。”(7月3日付け朝日新聞)

 岡崎市の主婦・鈴木さん(65)の投稿文からです。戦後まもなくまでは子だくさんの家族も多かった。ボクの友人にも12人兄弟がいる。そして、生活は今と比較にならない貧しさ、大変さであった。でも鈴木さんのお母さんも、それを「苦労したとは少しも思っていない」という言い方である。今は、1人2人の少子化である。それでも子育ては大変だという。客観的に見て、昔の方がはるかに大変だったと思うが、何がこんなに違うことになるだろうか。
 人が感じる幸不幸、豊かか貧しいか、恵まれているか不遇か、それは身近な人との比較によることが多い。こういったものは絶対的なものではなく、相対的なものである。人より恵まれていると思えば、幸せであるし、逆であれば不幸である。今、ほとんどの人は昔より金銭的にも物質的にも豊かになった。絶対的なものであったら、昔の人に比べはるかに幸福である。不満など言えるはずもない。でも、人はこれだけ豊かになっても幸福感が持てないことに気づいた。心の豊かさ、持ち方が重要と気づいた。しかし、そう思うのはそういう議論をしているときだけである。社会全体はそう簡単に切り替わらない。経済社会である。いろいろな品物を作ってますます生活の便利さを追い求める。便利さの追求に歯止めはない。残念ながら個人は振り回される。
 上記の考えはボクが思う一つの寂しい見方である。心構えかも知れない。教育かも知れない。こうした鈴木さんの話からもいろいろなことが考えられる。考えてみたいものだ。

(第966話) 孫とランニング 2008,7,22
 “健康維持のため、早朝ランニングを20年間続けています。3年前、近所に住む小学生の孫が「一緒に走らせて」と言ったので、2人で2〜3キロ走るようになりました。その後、孫の妹や友人も加わり、今は7人を率いて走るのが日課です。メンバーは小学5年が4人、2年が3人で、平日の朝、50分間走ります。子供に課した条件は目覚まし時計で自力で起床すること。「きついと思ったら、やめていい」と言いましたが、脱落する子はいません。
 母親に聞くと、早寝早起きで朝ごはんをしっかり食べ、体が丈夫になったといいます。沿道の四季の移り変わりにも敏感になったようです。私も子供たちからエネルギーをもらい、若返ったような気がします。”(7月2日付け読売新聞)

 山口県光市の自営業・田中さん(女・67)の投稿文です。67歳のおばさんが7人の小学生の先頭になって走る光景を想像すると、思わず笑みが浮かんでくる。何ともほほえましく、楽しいではないか。それをもう3年、これは田中さんの人柄がなすわざであろう。子供に課した条件も良い。子ども達が仲間を意識しながらも、自分の意識で参加する。こんなことを3年も続けていれば、母親の言葉を待つまでもなく、子供に良い結果が出ないはずがない。
 田中さん自身はもう20年、これも素晴らしい。生活の一部になっているから、無理もなく続けられる。生活の一部になるまでが大変だ。ボクも最近、ラジオ放送に併せてラジオ体操をしているが、どこまで続くことやら。今朝もメールを打ち始めて終わらず、耳だけでラジオを聞いてしまった。これでは、続く訳がない。

(第965話) 愛情弁当 2008,7,20
 “5月から東京の本社に勤めるようになった。昼食は外食するつもりだったが、高くつき、家計に影響することがわかった。そこで、これを機に、妻が弁当を作ってくれることになった。
 妻は毎朝5時に起き、出勤に間に合うように支度を始める。栄養のバランスに気を配り、野菜をふんだんに使う。彩りも華やかで、妻の愛情のこもった弁当に感謝している。出勤するまでに少し余裕があるときは、2人でコーヒーを飲む。楽しいひとときだ。「子供たちはそろそろプールが始まるな」とか、「学校の勉強は難しくなっているのか」といった話になる。
 そして、お昼時に弁当箱のふたを開ける瞬間が楽しみの一つになっている。”(7月2日付け読売新聞)

 東京都の会社員・星野さん(男・48)の投稿文です。今まであまり取り上げなかったかも知れないが、こうした弁当の投稿文も多い。弁当には感謝の気持ちが湧き、思い出になることも多かろう。夫婦や家族が一体感を感じる時間でもある。この文で更によかったと思うことは、出勤前に時間の余裕ができ、夫婦の会話が生まれたことである。経営者も社員の「ワークライフバランス」、つまり労働と生活のかねあいに配慮することが必要である。社員にしゃにむに働かせれば良い結果が出るというものではなく、生活にも配慮した方が会社にも良い結果が出るのである。
 ボクに先日面白いことがあった。近くに住む娘婿と一緒に出勤したとき、娘婿が「今日は弁当がいらなかった」と言い出した。いろいろやり取りの後、ボクがその弁当を譲り受けることになった。娘がどんな弁当を作っているのか知るチャンスでもある。昼、公園で一人開いた。結構色とりどりに作ってある。この時期であるので保冷剤も入っていた。そして、始めて娘の作った弁当を食べた。思わぬ機会になった。妻を通じて褒めの言葉を伝えた。

(第964話) ジャガチュー 2008,7,18
 “「愛しているよ!」「いつもありがとう」―。普段はなかなか言えない家族や恋人への思いを大声で叫ぶイベントが六月十九日、ジャガイモの産地、長崎県雲仙市愛野町であった。「大切なパートナーとの関係をもっとハッピーに!」と、日本ロマンチスト協会が企画。霧に覆われたジャガイモ畑にさわやかな声が響いた。
 イベントは、映画化もされた純愛小説にちなみ「ジャガイモ畑の中心でロマンスを叫ぶ」(通称ジャガチュー)。収穫が終わった赤土の畑が舞台。降り続けた雨でぬかるみ、霧が立ち込めたが、同市や東京などの20〜60代の男女17人が参加。妻や恋人、子どもへの思いを次々と叫んだ。(中略)
 ロマンチスト協会は五月に発足し、会員は放送作家や会社員ら約300人。自分の幸せを主体的に作り出せる「ロマンチスト」を目指し、夫婦や恋人など大切な人との持続的な関係作りも提唱する。6月19日を「ロマンスの日」と命名。島原鉄道の愛野〜吾妻駅間が「いとしのわが妻」と読める観光名所とあって、雲仙市愛野町に本部を置いた。
 イベントには先輩がいる。群馬県嬬恋村で2006年から毎年9月に開く「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」(通称キャベチュー)。主催する日本愛妻家協会の山名清隆事務局長は「叫んだ人は誇らしくなり、周りの人も幸せになる。愛を叫ぶグループがもっと増えれば」と話す。ロマンチスト協会事務局の波房克典さんも「ソバ畑、モモ畑といった各地の特産物の畑でも取り組み、まちおこしにつなげたい」と夢を膨らませる。(7月2日付け中日新聞)

 記事からです。
 わが夫婦は7月3日から2泊3日の西九州の旅行に出かけ、7月4日、この愛野〜吾妻間は通らなかったが、島原鉄道に沿ってバスは走った。そして、バスガイドさんからこの話があった。話を聞いたとき、この話つい最近新聞で見たぞ、と気がついた。場所までは覚えていなかった。帰って新聞を探してこの記事を見つけた。これは嬉しい偶然である。
 たわいもない催しといえば、そうも言えるが、でも大声で自分の想いを吐くというのはなかなか勇気がいることである。素直に自分の想いを伝えられない人種にとって、イベントと思えばできることもある。そしてこれに参加した人は、多くの証人のいる前での告白であり、吐いた言葉を裏切ることは難しい。山名さんや波房さんが言われるように、何畑でもいい、少し工夫を凝らしながらこんな場が各地に広まったら、少しは明るい社会になるのではなかろうか。いや、少しばかりでなく、多いに効果がある気がする。

(第963話) フウセンカズラ 2008,7,16
 “七、八年前になろうか。夏の終わるころだった。友人宅を訪ねた帰り、玄関脇のフェンスにかわいらしいフウセンカズラが揺れていた。思わず「かわいい、種もらっていいかしら」と言う私に、「どうぞ」と彼女は茶色に熟した実を無造作にもぎ取ると私の手のひらにのせてくれた。
 それからしばらくしたある日、彼女の突然の訃報が入った。くも膜下出血だったという。昨年暮れに大病をした私は身辺整理をしていて、ポチ袋に人った黒い種を見つけた。「ふうせんかずらのたね」と書かれていた。忘れていた彼女との思い出が昨日のようによみがえってきた。
 年月がたちすぎている。発芽するだろうか。ぬるま湯につけると、しばらく浮いていた種がいつの間にか沈んでいた。明くる日、祈るような気持ちでプランターにまいた。水やりをしながら見守ること十日。朝起きると突然「今目が覚めたの」と言わんばかりに発芽。布団を両手で持ち上げ「おはよう」とあいさつしてくれているように思えた。以来、毎朝「おはよう」とあいさつするのが日課になった。今ではグングンつるを伸ばし、あの日と同じように風に揺れている。”(7月1日付け中日新聞)

 岡崎市の主婦・三橋さん(69)の投稿文です。フウセンカズラに目がとまり紹介します。三橋さんには、亡き友の形見の種だった。いろいろなところに思い出の種はひそんでいる。
 わが家でも、フウセンカズラが毎年盛んに伸び、青々としたかわいらしい風船のような実を沢山見せてくれる。今年もフェンスに伝わってつるが伸び、もう実もつけ始めている。
 もう十数年も前のことであろうか、もう長いこと会っていないウォーキングで知り合った一女性から種をもらった。一度種を蒔いたら、毎年種が落ち、同じ所に自然に生えて育っている。かわいらしさに似ず強いのである。通行人からも見え、わが家の夏の風物詩である。また、彼女からもらった花を食べるオクラも毎年毎年種を取り、今年も大きく成長している。近いうちに、頑張り屋の彼女に暑中見舞いでも書こうかな、この文を添えて。

(第962話) 文集「琵琶の里」 2008,7,14
 “筆無精な私たちに、近況を知らせ合ったらと、姉の提案で始めたきょうだい文集「琵琶の里」が、今月届いた七十三号をもって最後となりました。
 年二回の発行。何と三十六年も続き、始めたころ低学年だった息子も二人の父親になりました。みんなから送られた作文を、姉がコピーして十ページ程度の文集にしてくれていたのですが、セピア色になった亡母の筆跡も今は懐かしいです。
 七人きょうだいであった私たちも、早くに妹が、昨年と今年には遠方の二人が千の風に。今は地元の四人になったので、今回を最終号ということで受け取りました。何だか寂しいが、亡き母がみんな仲良くいつまでも続くようにと願っていましたので、本当によく続いたと思います。世話をしていただいた八十歳の姉には、感謝の気持ちでいっぱいです。亡き父母には、健康な体と良ききょうだいに恵まれたことを感謝しながら、文集を手に懐かしくしのんでいます。”(6月29日付け中日新聞)

 滋賀県木之本町の雨森さん(女・77)の投稿文です。これもなかなかできないことである。そろって文を書く、まずこれができない。わが親族では、わが夫婦以外誰も乗ってこないだろう。また、近い間柄というのは改まったことはしにくい。きょうだいと言うと年齢差も大きい。7人ともなれば少なくとも十数年の差はあろう。思想の違いもある。
 といってもまとめ役次第である。長男、長女の一言で決まることも多い。他人でないだけに容易なこともある。でも、文集を36年73号は称賛すべきことである。文として残すことは素晴らしい。36年というといろいろな状況があったろう。今回は休もう、という状況はきっとあったはずだ。それも乗り越えてきた。挑戦されるきょうだいはないだろうか。密かに続けておられる人たちはないだろうか。

(第961話) マナー比べを 2008,7,12
 “午後三時すぎの中距離電車内。満員なのに、そのおばさん三人組はボックス席(四人掛け座席)の窓側一人分に荷物を置いておしゃべり中。
 「そこ、空いてますか」と聞くと無言で顔を見合わせ、荷物を網棚に載せた。初めからそうしましょう、と心の中で言いながら私は座る。
 やがて三人組はそれぞれお菓子の袋とペットボトルを取り出し、ポリポリ、ごくごく。おしゃれしていても全然すてきに見えない。四十分後。三人組が降りたあとを見て「あっ」。ごみを入れたレジ袋をそのまま置いてある!
 座ろうとした六十歳くらいのおじさんが「これはごみですかね。じゃ」と座席の下に置いた。
 そのおじさんがすばらしかったのは降り際である。ひょいと座席下に手を入れ、さりげなく先ほどのごみ入り袋を持ったのだ。私は思わず心の中で「おじさん、かっこいい」。
 おばさんたち、仲間同士で出かけるときは衣装比べよりマナー比べをしましょうよ。その方が絶対、美しく見えます。”(6月29日付け中日新聞)

 小川由里さんの「おばさん事典」からです。見事にいいマナーと悪いマナーを対比、見事な文である。そして、実際ありそうな話である。特に、悪い話は到る所にあり得る。
 わが家が交差点に近いこと、会社でゴミ拾いを始めたこともあって、ゴミの話は気になって仕方がない。家の前のゴミ拾いは妻とボクの日課のようになっている。つい落としたのなら仕方がないが、わざと人の家の前に捨てるのである。フェンスを越えて缶ビールの空き缶が投げ込まれていることもある。喫煙者の紳士も気をつけてください。ゴミ拾いをしていてもっとも多いのはタバコの吸い殻です。
 悪いマナーの話が先行してしまったが、このおじさんの行為はなかなかできそうでできない。落ちているゴミが気になるので、一瞬拾おうかと思うが、その先が出ない。思うだけなら思わないと同じである。折角こんないい話を書いているのだから何とかしなければ・・・・。

(第960話) 旬の作物 2008,7,10
 “梅雨から夏にかけては、水気の多い物をつい食べたくなる。旬の野菜や果物なら、水分も吸収できる上に、栄養価も高く、体にもいい。自然の恵みというべきか、暑い季節には体を冷やす寒涼性の野菜が自然とできる。夏野菜や果物を食べることで、汗などで失われる水分を補うと同時に、排尿を促して水分代謝を高め、ビタミンCやカリウムも補給できる。食べ方を一工夫すれば、句のうま昧は増す。スイカやトマトに塩をー振りすれば、おいしさが引き立つ。水分や甘みを取りすぎると腎臓やぼうこうへの負担も懸念されるが、この塩気が機能低下を防いでくれる。
 旬のものは省エネでもある。ビニールハウス栽培のおかげで、冬でも夏野菜が店頭に並ぶ。一方で、栽培時にはたくさんの工ネルギーを要する。例えば、ハウス栽培でキュウリ1キロを作るのに必要な光熱・動力エネルギ〜は3821キロカロリーだが、露地物だと196キロカロリーで済む(資源協会「家庭生活のライフサイクルエネルギー」より)。
 身体と大地は一つ。暮らす土地で育つ旬のものを食べれば健康でいられるという「身土不二」の考えもある。体にも良く、省エネの旬の食べ物で暑い夏を乗り切ろう。”(6月23日付け中日新聞)

 環境ライター・鞍作トリさんの「ちょっとエコわざ」という欄からです。作物をエコと旬という面からの解説であるが、全く頷ける話である。
 作物が年中食べられるようになって、人間の喜びは大きくなったろうか。ボクには失ったももの方が大きいと思う。今まで旬にした食べられなかった人が、望むときに食べられるようになった喜びは一時である。まだこの喜びを知っているのは我々世代より上の人で、今の子供には当たり前のことで、もうこの喜びはない。望むことを次々果たすことが人間の使命のようなこともあるが、こと作物の時期についてはまちがっていたと思う。膨大なエネルギーを使って、旬を待つ喜びを喪失した。できた作物も見かけだけのものにして。
 身土不二について初めて知った。少し調べてみたら、「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である。暮らす土地において季節の物(旬の物)を常食する事で身体は環境に調和する」とでていた。これは個人の意識でかなりなことができる。旬の時期にしか買わない、家庭菜園に心がけるなど。
 2005年4月26日の「(第268話)旬を味わう」も読んで頂くとよい。

(第959話) 梅干しのうた 2008,7,8
 “今年も梅仕事の時季が来た。毎年、梅干し、梅ジュース、梅酒などを作っている。梅干しはやっぱり、市販されているものより自家製のものに限るなあと思いながら、昨年のメモを見ていた。すると、そのとき近所の九十歳になるおばあさんから頂いた‘梅干しのうた’というメモが出てきた。
 二月三月花ざかり/五月六月実がなって/枝からふるい落とされて/何升何合量り売り/七月八月暑いころ/三日三晩土用干し/思えば辛いことばかり/これも世のため人のため/しわが寄っても若い気で/運動会にはついて行き/ましていくさのその時は/なくてはならないこのわたし−平成十五年二月十日、サロンにて−とある。
 サロン仲間で、当時九十三歳のおばあちゃんが、小学校で習った記憶をもとに教えてくれたそうだ。”(6月18日付け中日新聞)

 犬山市の主婦・中西さん(60)の投稿文です。梅の生涯を歌ったなかなか味のある面白い歌である。ボクもウォーキングに出かけるときは梅干しの握り飯だ。
 わが家も、梅の木を1本植えており、これで中西さんのお宅のように、梅干し、梅ジュース、梅酒、更に梅サワーと妻が頑張って作っている。今年はこの1本の木より、20kgもの梅が採れた。自宅だけでは処置に困り、近所にも配っていた。
 梅干しの歌をインターネットで調べてみると、確かに明治時代は小学校の教科書に出ていたようだ。そして、93歳のおばさんより90歳のおばあさんに伝えられた。そして今、60歳の中西さんから新聞の投稿を通じて多くの人に伝えられた。更にボクがこうして伝えている。いい話はどんどん伝えていきたいものだ。

(第958話) 夫婦でドック受診 2008,7,6
 “夫婦共に父親をがんで亡くしている。50代になって、夫婦ともあちこちに異常な数値が見え始め、人間ドツクヘ行くことになった。以前はバラバラに受けていたが、数年前から一緒に検査を受けるようになった。互いに結果を見せ合い、来年の検査までの「生活の見直し」をしている。「お父さん、週2日は休肝日を」「お母さんは間食を減らして」といった具合だ。
 さらに「毎日お弁当に入れている卵は、数値が高いからやめるね」。「肉より魚のメニューにして、野菜もたっぷりとろうよ」などと色々な改善案が自然に出てくる。
 出来るだけ努力し、家族のためにも、私たち夫婦が健康であることは大切と、お互いに心掛けるようになった。今年も人間ドックの日が近づいてきた。あまり検査は好きではないが、2人なので「もう、いいんじゃない」とも言えない。結果として年にー度、夫婦仲良く病院へ行くことになった。結婚記念日とともに大切な人間ドックの日である。”(6月18日付け朝日新聞)

 岐阜県可児市の主婦・渡辺さん(54)の投稿文です。羨ましい夫婦だ。会話があり、思いやりがあり、前向きな姿勢がみえ、この短い文からそんな全生活が伺われる。
 わが夫婦も共に父親をがんで亡くしている。そして、妻には胃にポリープがあり、近年は毎年胃カメラ検査を受けている。ボクも昨年から年1回胃カメラ検査を受け、今年もつい先日受けたところだ。健康診断で昨年と同じ胃潰瘍の痕跡というコメントに、もう胃カメラはいいだろうと思ったが、妻の一言「受けよと言われれば受ければいいでしょう」と言われて、素直に従う。元気そうにみえても、年相応に傷みが来ている。自分のため、家族のために年1回程度の人間ドック、健康診断は必要だ。思わぬ発見もある。

(第957話) 自転車の見直し 2008,7,2
 “最近、ガソリンが高騰し、どの家庭も家計を圧迫しているようです。でも私は自動車の免許を持っていないので通勤、買い物に自転車を活用しています。経済的でエコ効果も抜群です。自転車はもちろん燃料がいりません。しかも自分の足でペダルを踏んで進むので運動不足の解消にもなります。
 駐車場の心配もなく、どこでも自由に気軽に乗り降り出来るので便利です。荷物が重くても後ろのかごに入れれば平気です。休日は匹季の移ろいを肌で感じながら遠出して快適なサイクリングを楽しんでいます。新しく出来たお店に気づいたり道端に咲く野の花に見とれたり。思わず立ち止まることもしばしばです。
 ゆったりした気分でいつもと違う視線で景色などを眺めると、新たな発見もあります。みなさんも一石三鳥の価値がある自転車のよさをガソリン高騰のこの時期、見直してはいかがですか。”(6月17日付け朝日新聞)

 名古屋市の会社員・近藤さん(女・53)の投稿文です。自転車活用はエコ生活の代表である。歩くのもいいが、、移動距離が長くなると生活の中では少し無理がある。自宅から買い物など実生活では自転車が実際的方法である。遠くなら公共交通機関と徒歩であろう。うまく使い分けることである。こんなことは少しも難しいことではない。僕らの若い頃には普通の生活である。
 自転車で気をつけなければならなことは事故である。自転車による事故は急増中であり、被害者にも加害者にもなる、もっとも危険な乗り物とも言える。特に加害者になった場合、大方は保険に入っていないから大変だ。何千万円という補償実例もあるようだ。特に中高校生の危険な乗り方が目について仕方がない。よく家族や学校で話をする必要がある。

(第956話) ツバメの大家 2008,7,1
 “我が家は「ツバメのお宿」の「看板」を出しています。お宿を提供するようになって、かれこれ十数年。市街から少し離れた我が家には軒下に分かっているだけで5個の巣があります。1個の巣には一昨年、真っ白な子が1羽かえりました。野鳥の会の友人に知らせたところ、飛んで来てカメラに収めました。その友人が昨年「ツバメにやさしい大家さん」という野鳥の会特使製のステツカーを玄関にはってくれました。
 ツバメは年2回、産卵するようです。でも、そんな増えません。真っ白な雛は戻ってこなかったけど、よそで立派に子育てに励んでいるに違いない、大海原を渡る途中で力尽きたツバメはいなかったか、と心配は尽きません。今のところ今年は3家族が入居。卵も産まれています。昨年はカラスが近くの電柱に巣をつくったこともあり、「店子」を見守り、あちこちに目を光らせている「大家」です。”(6月17日付け朝日新聞)

 長野市の主婦・伊藤さん(53)の投稿文です。ボクの子供の頃、今の時期は田んぼの上をツバメがすいすいと沢山飛んでいたものだ。一時期全く見かけなかったが、最近はまた少し見かけるようになった。そして、ボクの子供の頃はどの家も玄関が開けっ放しで、土間の天井にツバメが巣を作っていた。今は開けっ放しの家はほとんど無い。どこで巣作りしているのだろう。
 伊藤さんの家では軒下に5個もの巣があるといわれる。「ツバメの家」を自称されるだけのことはある。「ツバメにやさしい大家さん」の称号を贈られるだけのことはある。こうしてツバメが訪れてくれれば、糞の始末は大変だが、家中で小鳥を飼うよりよほど楽しいのではなかろうか。まさに自然との共生、こんな家作りができるのは素晴らしいことだ。6月25日の中日新聞に、シジュウカラが庭の狸の置物の中に巣を作り、楽しみに観察している話が出ていた。ボクの家には鳩や雀しか寄ってくれない。


川柳&ウォーク