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第50号  2008年6月

(第955話) 太陽熱温水器 2008,6,29
 6月8日の読売新聞記事の一部です。
“石油危機への不安が高まった1980年には80万台が設置されたが、その後の原油価格低下や一部業者の強引な販売が問題になったことなどから、市場は縮小を続けてきた。こうした現状に変化が表れたのは、京都議定書で義務付けられたCO2削減に向け、行政が太陽熱の活用にも注目し始めたためだ。経済産業省は近く、自然熱エネルギー設備を設置する業者や個人向けの費用軽減制度をスタートさせる。詳細は未定だが、購入費の一部を還付する方向だ。”

 ボクの村など一昔前まではほとんどの家に、太陽熱温水器が屋根に乗っていた。今はほとんど見かけない。しかし、わが家は水道の引けた昭和30年頃から今でもお世話になっている。もう50年、今のは3代目、平成6年に工事代込みで20万円であった。ボクは全く優れものだと思っている。年間ほとんど活用できるし、今の時期は水を水でうめている。
 瞬間湯沸かし器や夜間電力使用の温水器が発達し、やはりこの便利さにひかれて太陽熱温水器はすたれていったのであろう。しかし、エコ生活を考えるとき、太陽熱や風力など自然力を活用するのは最大限に考えなければならない。エコ社会については燃料だけでなく、その器具の生産まで配慮しなければならないから簡単に答えは出せないが、この新聞記事のように太陽熱温水器については十分検討するに値すると思う。最近の温水器は30万円から90万円もするようだが、少し高級化しすぎているのではなかろうか。設備費が寿命期間の燃費の半分程度になれば大いに普及すると思う。

(第954話) 肌年齢 2008,6,27
 “五十歳にしてとうとう、男性用の肌若返り化粧品を買ってしまった。説明書きによると、一年間で効果がみられなかったら、全額返金するので苦情係まで電話しろとのこと。ほー、凄い自信だ。よし、一年間使ってみるか。
 そして、一年後。
 「もしもし、一年間使ったけど、一年前と全然変わらんじゃないか。全額返してもらうからな」「あの、お客様、いま一年前と全然変わらないとおっしゃいましたよね」「ああ、言ったさ」「おめでとうございます。お客様のお肌は一年前と同じ、つまりー歳若返ったということです。このまま、続けてお使いいただければ、二年後には二歳、三年後には三歳若返っておられますよ、はい。どうか末永くご愛顧のほどを」”(6月1日付け中日新聞)

 「300文字小説」から豊橋市の会社員・樺島さん(男・49)の作品です。うまい!座布団3枚、というところでしょうか。50歳ともなれば、1年たてば1歳ふけるのが自然。変わらなければ1年若返ったといわれても言い返す言葉はない。陥りやすい錯覚をうまく活用している。
 こんな錯覚は、歳とるとつい陥りがちである。見かけ上の元気さに、つい若いと思っていると大間違い。体も思考もついてこない。いかに精進しても衰えをいくらか遅くさせる、それが精々である。卑屈になる必要はないが、よく自覚していることが肝要である。

(第953話) 花嫁菓子まき 2008,6,25
 “私の住む地域には「花嫁菓子まき」という習わしがある。新郎の家には嫁入り道具が並べられる。その前に白無垢姿の花嫁が座り、親せきや近所の人に披露する。式場に向かう時間が近づくと、新郎の身内が2階や屋根から、集まってきた人に菓子の詰め合わせを豪快に投げるのだ。用意された段ボール10〜20箱分の菓子は10分ほどでなくなってしまう。人々が満面の笑みで菓子を持ち帰ると、新郎新婦一行は式場に移動する。
 結婚シーズンになると 当たり前だった光景で、自分たちの時も菓子まきをした。最近はすっかり見なくなり、寂しい限りだ。”(6月8日付け読売新聞)

 岐阜市の公務員・加藤さん(男・42)の投稿文です。続いて結婚式の話である。
 一昔前までの冠婚葬祭は自宅で行い、いろいろな慣習やしきたりがあった。この花嫁菓子まきもそうであろう。少しずつ簡素化されていった。ボクの地域でも加藤さんの地域のように、菓子まきをしてから式場に移動した時期があった。そのうち近所の方だけに配って歩くようになった。ボクの娘の時もそうした。しかし、これもまもなくなくなるだろう。
 嫁入り道具を披露する、これはボクの子供時代に記憶があるのみで、もうはるか昔になくなった。しかし、これは罪作りな慣習だった。これはなくなってよかったと思う。何を無くし、何を残すか、難しい問題だ。人間社会、絆が大切であるから、少しの煩わしさはあっても、残していって欲しい慣習も多い。

(第952話) 一口の赤飯から 2008,6,23
 “1年前の結婚式当日、朝早く式場入りした私に、夫の母が紙包みを届けてくれた。中身は、花嫁支度をした後に食べられるようにと、一口サイズに小さく、丸く握られた赤飯。見た途端、私は泣いてしまった。忙しい中、早朝から私のために握ってくれたのだと思うと、ありがたかった。
 胸がいっぱいで、すぐには食べることができず、大切に包み直した。これから父母となってくれる夫の両親の思いを知り、夫に出会ったことを感謝した。亡き実母も見守ってくれている気がした。穏やかに流れる幸せな時間は、あの一口の赤飯から始まった。”(6月8日付け読売新聞)

 佐世保市の主婦・内本さん(36)の投稿文です。結婚式当日、花嫁は食べている時間もない、そんな経験があっての義母の思いやりであろう。そして、結婚生活はこの「一口の赤飯から」始まった内本さん。お互い感謝の気持ちがあれば、うまくいく。といっても長い生活のこと、紆余曲折はあろう。この一口の赤飯を忘れなければ大丈夫だろう。
 2005年の離婚率(離婚件数/婚姻件数)は約37%であるという。これは、離婚は悪いものという従来の慣行に縛られない若い世代や、子供が成人に達し、夫が定年退職したことを契機に離婚する熟年離婚が増えているからと言う。10組の結婚の内4組が離婚するという、これほどの離婚率とは驚いた。人生良いときもあり、悪いときもあるのは必然だと理解し、若い人に軽はずみな行動は取って欲しくないものだ。いろいろ経験し、分かった上の熟年離婚も、死ぬときに離婚して本当によかったと思えるだろうか。ボクには少し疑わしく思える。

(第951話) 声に出そう 2008,6,21
 “先日、電車に乗っていた時、目の不自由な男性が乗ってきました。手すりやつり革を探しているのか、手探りで何かつかもうとしていました。
 電車が走り出すと、彼はフラフラしてしまったのです。すると、近くに座っていた男性が立ち上がりました。そして、両手を前の方に出し、もし彼がよろけてしまっても、きちんと受け止めてあげられるような体勢をとりました。しかし、体に直接触れているわけではないので、彼にはその男性の厚意が伝わらなかったようです。そのうち、彼はドア付近の手すりにつかまることができ、私はホッとしました。
 目の不自由な人には、手助けをする意思があることをはっきりと言葉で伝えることが大事だと思った出来事でした。”(6月7日付け読売新聞)

 東京都の自営業・田中さん(女・59)の投稿文です。この男性の行為はこれだけでも素晴らしい。いざというときには役だったであろう。でも、見えない人だけに、田中さんが言われるように、一言あった方がよかったろう。不安感が早く解消できたのだから。
 声をかけるのも、体に触れて誘導するのも慣れていない人にはなかなか難しい。最近はこういった社会的弱者の環境も整ってきて、街で見かけることも多くなった。それだけに、勇気を出して行わねばならない行為である。

(第950話) 後部座席ベルト 2008,6,19
 “6月から車の後部座席でもシートベルトの着用が義務づけられました。この二ュースを読み、数年前、会社の同僚が起こした事故を思い出しました。
 同僚6人はワンボックス車で中央自動車道を走っていました。出発する時は全員シートベルトをしていました。ところが、休息を終えて再び出発する時に後部座席の3人が着け忘れ、その後の事故で車外に放り出されて亡くなったのです。シートベルトをしていた人はほとんど無傷でした。後部座席でのシートベルト着用義務化は、こうした事故を防ぎ、私たちの命を守るために意義あることだと思います。”(6月7日付け読売新聞)

 愛知県大口町の会社員・松坂さん(61)の投稿文です。シートベルトはまず第一には自分のためである。そして、同乗者のためである。ボクが見たビデオでは、事故の時、後部座席の人が前に跳んできて運転者や助手席の人に被害を及ぼすものであった。義務化されたのだからもう否応はない。いくら注意を払っても事故は起こるものと思って、対応しなければいけない。こんなことで死ぬのは虚しい。
 この文で思うことは手抜きである。交通事故なんて、いくら多いと言ってもそんなに合うものではない。ところが手抜きしたときに限って起こるのである。これは事故に限らず、平生のことでもよく感じている。たまたまの手抜きが、悪い結果になると全く悔しい。これもなかなか難しいことだが、そうした手抜きはしないように心がけたい。

(第949話) ほどほど 2008,6,17
 “枯れ葉を一心に掃いているおじいさんに出会った。曲がった腰を伸ばし、休み休みしながら掃いている。お見かけしたことのない顔だ。
 「まあ、ありがとうございます。地元の方ですか?」。思わず声を掛けた。「娘が呼んでくれましたもので参りましたが、当地ではまだ数年しかたっておりません」。89歳と、うかがった。「お達者で何よりですね」言うと、「ありがとうございます。何事もほどほどが大事で、このほどほどがなかなか難しいのであります」と、折り目正しく答えられた。
 うーん。「ほどほど」ねえ。(中略)この方はなんて幸せなんだろう。新しい環境にすぐ順応し、自発的にボランティアまでしている。家でテレビを見すぎることもなく、落ち葉掃きを頑張りすぎることもなく、娘さんともほどよい距離をおいているようだ。見事な生き方をされている。”(6月3日付け毎日新聞)

 岐阜県山県市の主婦・林さん(62)の投稿文からです。「一生懸命」と「ほどほど」、どちらがいいか・・・・。これも場合によりけりと程度であろう。若い内はほどほどなどと言っておらず、一生懸命することが必要なことが多かろう。しかし、一生懸命に成り過ぎて回りが見えなくなっても困る。
 年老いれば、体も十分でなくなり、ほどほどが必要なことが多かろう。しかし、得てしてガンコになり、ほどほどができないことも多い。足らなくもなく、有り余りもせず、ほどほどができるようになれば、人間完成である。

(第948話) 新聞受けに花2輪 2008,6,15
 “新聞受けにカーネーションが2輪入っていました。「母の日」の早朝のことです。新聞販売所の店主さんが毎年、花の贈り物をしてくれるのです。ずっと購読している感謝を込めての花だと思います。
 今年は赤でもピンクでもなく、落ち着いた珍しい黄色と緑がかったカーネーションでした。切り口には水分を含ませた綿花を巻く心配りもしてくれていました。その心のありようが、一層うれしかったのです。
 私は目覚めが早く、午前5時ごろに新聞を取りに出ると、いつもきちんと新聞が入っています。本欄などへの投稿も楽しんでおり、それが掲載された時は部数を増やして配達してくれます。”(6月3日付け毎日新聞)

 北九州市の主婦・森友さん(72)の投稿文からです。この新聞販売店さんはこの行為をどれほどの人にされているのだろうか。まさか全購読者ということはないと思うが・・・一人くらしの方とか・・・何か約束事を作ってみると思うが・・・。それでも、商売上の行為としてカーネーションのことも、部数を増やすこともなかなかできることではない。カーネーションを送ることは記録しておけばまだたやすくできるが、部数を増やすなどはその日に新聞に目を通さなくてはならない。ただ気持ちだけではできない。

(第947話) 人間に生まれたのは 2008,6,13
 “父は「人間に生まれるということは尊いこと」という言葉と、徳川家康の東照公遺訓の「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくがごとし」をよく口にしていました。
 地球上の天文学的な数の生きものの中で、人間として生まれてきたということは感謝するべきことだ、そして、人生走らざるを得ないときもあるが、大きな目で見れば、そのときそのときを大切に生きることだ、ということを伝えてくれました。この二つの言葉を座右の銘にして生きていきたいと思う。”(5月27日付け中日新聞)

 故人の言葉を通じて人生を紹介する「ラストワード」という欄からです。
 平成16年5月になくなった松坂松二さん(90歳、岐阜県高山市)の次男義之さん(55)の投稿文からです。
 「人間に生まれるということは尊いこと」、本当にまずこのことから考えるべきだろう。このことから考えられれば、不平不満は言っておられない。他の動物や植物に生まれれば良かったと思うときもあるかも知れないが、それは一瞬、考えれればすぐに思い直すだろう。この地球上にはものすごい数の生命がある。そして、この地球は人間のためにある、その人間に生まれることができたのだから、全く幸運なことだ、尊いのだ。だから、自分の命を大切にし、他の命も大切にしなければいけない。近代は、地球は人間のものの意識が傲慢になっている。人間が破滅し、他の生物世界になることもそんなに遠いことではないかも知れない。

(第946話) 温かい言葉 2008,6,11
 “「おれたちが連れて行くんだから、奥さんは口も手も出さないで!」きつい言葉だった。でも一生忘れられない温かい言葉だった。
 夫が脳梗塞の発作を起こし入院。遅々として進まないリハビリに「死にたい」と嘆いた。半年後、自宅に戻ってきたが、右手右足の後遺症となった。以前とは随分違う生活が始まり三ヵ月ほどたったころ、沖縄旅行のお誘いがあった。元気なころは、どこへ行くのも一緒だった親しい人たち。夫の行きたい気持ちがひしひしと伝わってくる。でも今は事情が違う。「迷惑をかけるから・・・」と私。
 そこで食らったきつーい一言だった。夫が病気になってから張り詰めていた気持ちが一度に緩んで、その夜思いっきり泣いた。
 幾日か後、十人のグループで出掛けた沖縄では、丘陵地帯から鍾乳洞の中まで、友人たちが夫を車いすに乗せて、すいすい押してくれた。観光旅行の青年たちから「すごい! おじさんたちのパワーには負けるよ!」と声援が飛んできた。私は、口も手も出さず、彼らの奥さんたちと踊りの輪に人って楽しんだ。
 あれから三年。友情に支えられ、夫は見違えるように明るくなった。”(5月27日付け中日新聞)

 「中日くらしの友の会」の投稿欄から沢田さんの文です。いつまでも友情を大切にする、また困ったときこその友情、これもいい話だ。本人や家族はただでさえかける迷惑を少しでも少なくしたい、これも人情、こうした人情を分かりながら叱りとばす友情、お互い本物ということであろう。
 友情というのはなかなか難しい。友情について格言を調べていたが、なかなか良いものは少ない。それほどに難しいのだ。長続きする親友、友情を持っていると言える方は、貴重な幸せを持っていると思われるがいい。

(第945話) ショートストーリーなごや 2008,6,9
 6月5日に続いて小説の話題です。
 5月半ば、円頓寺商店街を歩いていた。店先に「ショートストーリーなごや」という20頁ばかりの小冊子が、自由に持っていくように積まれていた。1冊持ち帰った。
 第1回の入賞作品3編が掲載されていた。「名古屋を舞台としたショートストーリーのコンテストで、文学における新しい才能の発掘と、名古屋の隠れた魅力を全国へ発信することを狙い企画した」と説明されていた。
 ボクには3編の内、青山美智子さんの「街灯りの向こうに」という作品が気にいった。疎遠であった父と娘が、娘の嫁ぐ前に2人で名古屋テレビ塔に上り、回顧と発見をする話である。少しだけ書き抜く。
 “今の私は、ビルしか、見ていなかった。。目の前で光を放ち、存在をアピールしてくる建物たちしか。山はあんなにも雄大な姿で、まるで街を守るように、そこにいたのに。
 「それで、お父さんはなんて答えたの?」「今は見えないけど、ちゃんと山はいるんだよ、って。ずっとそこにいるんだよ。今考えてもつまらない回答だな。どうも父さんは口べたで、気のきいたことが言えなくていかんな」
 父は自嘲するように首を振った。
 つまらなくなんか、なかった。あの山々は、父そのものだった。”

 人は近くで接触する人にはいろいろな好意に気付くが、遠くから見守ってくれる人にはなかなか気付かない、そんな話である。
 応募総数322編でその内の4割は名古屋市外の全国の人からだった。130カ所以上の場所が舞台に取り上げられたという。
 今の日本は集中と過疎化が凄い勢いで進んでいる。狭い日本ながら、集中は東京一極、過疎化は山間部や中小都市はいうに及ばず、名古屋でもかつての勢いが無いところは多い。円頓寺などはその一つだろう。いろいろな街起こしが企画されている。このショートストーリーなごやもその一つだろうが、なかなか格調が高い企画だけに第2回を楽しみにしたい。

(第944話) 携帯で遺言 2008,6,7
 “国営新華社通信によると、四川省北川県で救援隊が廃虚のすきまから、一人の女性を見つけ出したのは、地震発生翌日の十三日昼のことだった。うつぶせになり、両手で体を支えるような体勢で見つかった女性に息はすでになかった。しかし、かすかな声が救援隊の耳に人った。
 死亡した女性の周囲を再度探索した救援隊員が声を張り上げた。「子どもがいる。生きているぞ」がれきを掘り、女性の体を持ち上げた。そこから発見されたのは、三、四ヵ月の赤ちゃんだった。女性がわが子をかばうような体勢とっていたため、赤ちゃんにケガはなかった。赤ちゃんを包んだ毛布からは一台の携帯電話が見つかった。「いとしい赤ちゃん。もし生き延びられたなら、私があなたを愛していたことを決して忘れないでね」。携帯メールの画面には、こう記してあったという。”(5月19日付け中日新聞)

 記事からです。2008年5月12日は中国四川省には大変な日となった。今もこの地震被害のニュースは毎日のように報道されている。ボクはちょうど2年前の5月、四川省を旅行し成都に行った。地震の被害を受けた世界文化遺産の都江堰も見学してきた。身近なところに感じられる。
 死に臨んでも子をかばう、そして、子にメッセージを残す、「子に対する母の愛、これに勝るものなし」そんな話である。最近は少しおかしな話もあるが、大方において昔も今も子に対する母の愛は変わっていないだろう。しかし、これは子を持ってみなければ分からないところがある。現在の日本はそこまでに行かないことが問題だ、という気がする。子を持って育てる、苦しいこともあるが、これ以上に楽しくやり甲斐のあることはあるだろうか。功成り名を上げたとしても・・・・。

(第943話) 花の美 2008,6,5
 “ある時、世界中の花々が集まって王様に質問しました。「わたしたちの中で、一番美しいのは、どの花ですか?」
 バラは、豪華な外観の自分が一番ステキだと自慢します。桜は、儚く散っていく自分こそが一番きれいだと言い張ります。ヒマワリは、明るいお日さま色の自分が一番可愛いとゆずりません。すると、他の花々も大騒ぎして、自分の美しさを口々に訴え始めました。
 迂闊に答えると大変なことになると思った王様は、苦し紛れに、こう言い渡しました。「花の美しさは、ことばで、あれこれ言い表すものではない。何も喋らず、ただ、そこにいる。それが、花にとって一番美しい姿なのだ」こうして、世界中の花は喋らなくなったのです。”(5月18日付け中日新聞)

 埼玉県狭山市のフリーター・山崎さん(女・20)の「300文字小説」です。おとぎ話のような、そして機知に富んだいい作品だと思い、紹介しました。そうなのか、花は一番美しい姿を見せたいために、それで声を出さないのだ・・・・。声を出さないで、ストレスは溜まらないのかな・・・・。一番美しい姿を見せるためなら、何だって耐えるのかな・・・・人間の女性も同じなのかな・・・・。いろいろなことが思い浮かんでくる、楽しい作品だ。
 山崎さんは20歳の女性、こんな小説を書く楽しみはどんどん伸ばしていって欲しいものだ。書けるというのは苦しみもあるが、楽しみも大きい。そして発表の場があるというのは嬉しいことである。

(第942話) 易しいと優しい 2008,6,3
 “私は今、中学校三年生です。私は、二年生の最後の集会の時にある先生が私たちに向けてお話ししていただいた言葉がとても心の中に残っています。
 その内容は「易しい」と「優しい」の違いでした。そして先生はこうおっしゃいました。「自分に易しい人間になるな。人に優しい人間になれ」。私はその言葉を聞いて、強く心を打たれたことを覚えています。私たちが三年生になると同時に先生は学校を転任されましたが、私の心の中に強い思いを残しました。私は今まで人に対して優しくしていなかった。だからこれからは、人にも自分にも優しい人間になろうと思いました。”(5月16日付け中日新聞)
 
 名古屋市の中学生・浜津さん(女・14)の投稿文です。人からかけられた言葉がその人の座右の銘になったり、一生を左右する言葉になったりすることは多々ある。浜津さんにはそれが先生からかけられた「易しいと優しい」であった。いい言葉を持つことは幸せである。ボクは職場研修で聞いた「人は考えた通りの人間になる」という言葉が心に残っているし、それには「継続とエンスージアズム」が重要と思ってきた。
 この「話・話」にはそんないい言葉がちりばめられている。続けていれば、何かひとつでも心に留めてもらえれるものがあるはずだと思って続けている。今ボクの机の上には今年1月5日の「(第875話)今が本番」から「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」と書いた紙が乗っている。
 逆に、傷つけたり傷つけられる言葉も多い。こちらの方が影響は大きい。まずは傷つける言葉に気をつけなければいけない。

(第941話) 学校で慈善運動 2008,6,1
 “僕の学校では、毎週水曜日に「クリーン作戦」という取り組みをしています。生徒会が中心となり、登校道路に落ちているごみを拾うという活動です。拾っても拾っても、ごみは無くなりません。一週間で新しいごみが捨てられるのです。しかし、拾わなければごみはたまるばかりだと考え、僕たちは頑張っています。
 これ以外にもボランティア活動に取り組んでいます。たとえば「アルミ缶回収」です。家にあるアルミ缶を生徒が持ち寄ります。生徒会執行部の先輩たちが缶の中を洗浄し、業者に引き渡します。アルミ缶をお金に換え、車椅子を購入します。それを市の福祉協議会に寄付し、体の不自由な人に使ってもらいます。
 今僕の学校では、地域と積極的にかかわろうとして、ボランティア活動に取り組んでいます。地域のためにできることを実行しています。中学生では大きなことはできませんが、小さなことを大切に積み上げています。”(5月16日付け中日新聞)

 瑞浪市の中学生・則武さん(男・13)の投稿文です。これもいい話だ。若いときにした活動は、いつまでも心に残るものである。この中学校を卒業して、こうした活動に縁がなくなったとしても、将来何かがきっかけでまた始まるものである。形は変わるかも知れないが、精神は生きるのである。またこうした活動をした人はゴミを捨てることはほとんどないであろう。これが大きいのである。
 ボクの会社でゴミ拾いを始めたことはもう度々触れたと思うが、ボクは道路がきれいになるという効果以上に、参加した人にゴミに対する認識が深まることの効果の方が大きいと言っている。拾ったら捨てられないのである。またいいことをした気分はいいものである。前回の清掃活動で近くにあるロの字方の横断歩道橋を箒で掃いてもらった。事前に清掃区域を見て回ったところ、この横断歩道橋が一番汚れていたのである。考えてみると、この歩道橋を箒で掃いた人は道路管理者を含めて、過去にあったであろうか。始めてではなかろうか。そう思うと何とも気分がいいのである。これが大きいのである。これがいろいろなところで意識を変えるのである。


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