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第49号  2008年5月

(第940話) レジの出来事 2008,5,30
 “名古屋市緑区の西尾敦子さん(40)がスーパーに買い物に出掛けた時の話。その日は特売日。六ヵ所ほどあるレジは、どこも十人以上の列ができていた。その一つの最後尾に並んで待っていると、後ろから老夫婦の話し声が聞こえた。
 白髪の奥さんが「どこに並んだらいいでしょうねえ」と迷っていると、八十歳代に見えるご主人が「早く払っていくぞ」とつぶやいた。ご主人はつえをついておられ、買い物に疲れた様子。西尾さんは「よかったら私の前へどうぞ。こんな後ろですが」と声を掛けた。奥さんは「ありがとう。すみませんねえ」と言って前へ入った。ご主人は離れた所で待っておられた。
 そのやりとりをチラチラと見ながら聞いていたもう一人前の人が「私の前にどうぞ」と勧めた。さらにその前の人も「どうぞ」と声を掛ける。耳が遠いらしくずいぶん大声で「どうもすみませんねえ」とお礼を言った。
 どこまで行けるだろうと、西尾さんは興味深く見守っていたら、みんなが次々と順番を譲ってとうとう先頭まで行ってしまった。二人並んで店を出る背中に「慌てないで。転ばないように」と心の中で声を掛けたという。”(5月11日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。ちょっとした心遣いが伝染していき、大きな善意の輪になる、全く嬉しいではないか。これは「話・話」に全くふさわしい良い話である。こういう話を紹介するのがこの「話・話」の本来の意図である。
 80歳を越えたような人には本当に暮らしにくい世の中であろう。多くの人には便利にはなったが、あまりに機械仕掛けになり、なかなか理解できない人や対応できない人には戸惑うばかりであろう。近くに担当者がいないので聞くこともできない。これを支えるのは周りにいる他人である。このほろほろ通信のような他人の善意の輪である。僕らもそう遠くない時期に助けてもらわなくてはならなくなる。今のうちに少しでも善意を施しておこう。情けは人のためならず。

(第939話) 母の弁当 2008,5,27
 “ふと目が覚めた。まだ四時半だというのに、母は台所で私と父の弁当を作っている。私のわがままで、通学時間のかかる高校に進学させてもらった。そのために、母はこんなに早くから起きているのだ。
 昨夜も、妹の習い事が遅くまであり、母は寝るのが遅かった。昼間も、妹の小学校で大きな役になってしまったため、毎日が忙しい。休む暇もない。
 それなのに、母は一生懸命に弁当を作ってくれる。料理が得意なわけではない。でも、弁当箱のふたを開けると、お花畑のように色がきれいだ。母は言う。「茶色になりやすいから、意識して緑や赤も入れるの」「毎日、眠くないの」と聞いてみた。「しょうがないよ。親だから」「親って大変だね」「でも、育てる楽しみもあるし、弁当だって、ピーマンをどうやって隠そうか、おもしろいよ」
 えっ、ピーマンだけはやめて。でも、毎日とてもうれしい。だから、感謝の気持ちを込めて、間仕切りのレタスも食べ空っぽにしている。”(5月11日付け中日新聞)

 「くらしの作文」への西尾市の高校生・天野さん(女・16)の投稿文からです。ふと目覚めて母の苦労を知る。そして感謝の気持ちで弁当を食べる。この気持ちがあれば行動も間違いなかろう。親の苦労が分かっているのかな・・・と、疑わしい高校生も多い。もう少し黙って親の苦労を見せた方がいいのでは無かろうか。
 天野さんの文を取り上げたのは、この「くらしの作文」の欄で、これだけ若い人の文を読んだ記憶がないからである。この欄はほとんどが中高年女性の投稿である。男性もほとんど見かけない。十代の女性など更に記憶がない。「くらし」というと中高年女性に大きく関わるとは思うが、何も専売特許ではない。そんな中で、感謝の気持ちをこうした文で表した天野さんに敬意を表したい。

(第938話) 横井千秋歌碑 2008,5,25
 “江戸時代の国学者・横井千秋の歌碑が地元の稲沢市祖父江町の広口池西側に建立され十日、関係者らにより除幕、披露された。
 横井千秋は旧祖父江村出身の尾張藩士で、国学者。本居宣長の門人となり、宣長の手掛けた注釈書「古事記伝」の出版に大きく貢献したとされ、宣長との親交も深かったという。
 歌碑には、千秋の和歌二首と、千秋の死を悼んだ宣長の哀悼歌が刻まれ、千秋の略歴や宣長との関係も紹介している。歌碑と併せて、尾張名所図会に登場する江戸時代の祖父江堤の様子を転写したモニュメントも設置された。
 除幕式では、地元有志でつくる碑建立委員会代表の近藤正春さん(73才)が「地元が誇る偉大な国学者、横井千秋の功績をしっかりと後世に伝えたい」とあいさつした。碑は、県などによる広口池整備事業の一環として建立された。”(5月11日付け中日新聞)

 記事からです。ボクの近くの偉人ながら全く知らなかった。一宮友歩会例会のコース下見に行って始めて知った。そして4月12日の例会でこの碑を見に行った。できあがっていたが、除幕式前ということで、覆いが掛けられていた。少し残念であったが、この記事はその除幕式が行われたというものである。自分の行動に関連したことが新聞記事になると、少し興味も引き、嬉しくもなる。そして、全くローカルな話でもこうして紹介したくなるのである。2008年3月16日の第909話でも記したように、こうした歴史に関する碑が建ち、少しでも関心が広まればその効用は計り知れないと思う。
 http://terasan.web.infoseek.co.jp/wa126.html のページに付近地の状況や例会の模様を少し載せていますので、ご覧いただくとありがたい。

(第937話) 席を譲った若者 2008,5,23
 “ある会合で名古屋に出掛けたが、その時の電車内で、こんな出来事があった。八十歳近いと思われる高齢の女性が乗車して来た。つえをつき危なっかしい足どりである。その姿を見て、一人の若者が席からさっと立ち上がり、女性の体をそっと支えた。
 「おばあさん、どうぞお掛けください」と、若者は優しく声を掛けた。「ありがとうございます。次の駅で降りますので立っています」と、女性はすまなそうに答えた。若者は座らず、次の駅までそっと女性の体を支えていた。「ご親切にありがとうございます。おかげで助かりました」と、女性は何度も頭を下げて降りていった。
 その光景を見て、何か胸が無くなった。人のことなどお構いなしという若者が多い中で、こういう若者もいることを知り、うれしくなった。”(5月10日付け中日新聞)

 亀山市の岩谷さん(男・66)の投稿文です。投稿文にはこうした電車内の席の話は結構多い。こうした嬉しい話、譲ったけど座ってもらえなかった話、席を独り占めしている話、化粧の話など多々である。それだけ身近に人を観察できるからであろうか。この話の場合、立ったまま体を支えていたというところが、特に素晴らしい行為である。人によっては座ったり立ったりすることが大変で、少しばかりなら立っている方がいいという方もあろう。この老人の場合はそうだったろう。この若者はそれを理解し、支えておられたのであろう。実にさわやかな風景である。
 実はボクも先日譲られたのである。孫とウォークに出かけた帰りの電車、二人掛けの席がどれも一人で座っておられ、二人でいっしょに座れる席がない。そこで空いている席に孫を座らせ、ボクは傍にしゃがんで孫とやりとりをしていた。それを見ていた若い女性が、近寄ってきて席を替わりましょうといい、孫の席に座り、ボクと孫は並んで座れたのである。何という心使いであろう。そうしてもいいと思ってもなかなか声はかけられないものである。その若い女性たるや、髪を染めた短パンツのキンキラギンの、とてもボクには近寄り難い女性である。この話を人にしたら、それは彼女らの単なるファッションであって、人柄がどうのこうのという問題ではないといわれた。まさにそうであった。5月17日の第934話でもそうであった。

(第936話) スピーチ塾 2008,5,21
 “人前で話をしようとすると心臓がバクバクし、声が震え、手にベットリと汗、おまけに頭の中は真っ白。こうした「あがり症」を克服する元名古屋市職員主宰のスピーチ塾が注目を集めている。
 平日の午後七時すぎ。教室では、勤め帰りの男女ら約二十人が呼吸法や発声練習を始めた。「おなかから声を出す」「息継ぎしない」「息が浅いとあがりやすいよ」。講師の指示に従って、早口言葉などを唱和する。
 本人が言うほどだれも緊張しているように見えない。「そうなんですよ。あがり症の大半は自意識過剰とええかっこしい。失敗を恐れるから、緊張する」。塾を主宰する鳥谷朝代さん(36)が言う。本人も中学時代から、先生にあてられそうになると「保健室に逃げ込む」ほどの元あがり症。名古屋市職員だった2002年、同僚の前で発表の機会があり、「退職も検討」するほどのすったもんだの末、これが「大成功」。以来、人前で話す「喜び」に目覚め、05年には独立した。”(5月8日付け中日新聞)

 記事からです。こんな塾があれば大はやりだろう。人前で話すのは難しい。ボクなど60歳までは人前で話すのが仕事のような職場であったし、今も、一宮友歩会で例会毎に挨拶をしているが、いまだ悔やむことばかりである。もう少しゆっくり話せばよかった、アレを言い忘れた、これも言えばよかったなど、やはりあがっているのである。このように悔やむ人は多かろう。こうした場をうまく切り抜けられれば、気も楽になり自信もつき、評価も上がる。人前で話す機会は私にはありません、という方でも自己紹介の機会などはあろう。それを逃げていては世間が狭くなる。話し方教室やこうしたスピーチ塾に通ってでも自信を持ちたいという人は多かろう。注目されるはずである。鳥谷さん自身が大変なあがり症だったようだから、話されることに現実味があって真実となって伝わるであろう。頑張って欲しい人である。

(第935話) 5S運動 2008,5,19
 “先日、夫の勤める会社で生産現場と製品を見せていただく機会があり、初めて訪問しました。どういう工程で製品ができるのか、とても興味深く見学しました。
 その会社では「5S運動」というものがあり、整理、整頓、清掃、清潔、しつけを重視しています。簡単なようでなかなかできませんが、徹底されているためか、夫の職場ではどこもきれいでした。それにより安全も確保され、無駄が減って仕事の効率も上がるとのことです。
 私も家でできるだけきれいにするよう頑張りたいと思います。私が家で行っていることは小さなことですが、夫の会社と同じ「5S運動」が基本だと思いました。”(4月8日付け中日新聞)

 滋賀県伊香郡の主婦・山下さん(46)の投稿文です。山下さんが言われるように「整理、整頓、清掃、清潔、しつけ」の5Sができれば、無駄も減り、仕事の能率もはかどるだろう。特に僕らの年代になると、どこに置いたか、どこにしまったの、すぐに忘れてしまってかなかなか思い出せない。そして、捜すのに多くの時間を費やしている。この無駄を省くためにもこの5Sは重要なことである。
 山下さんのご主人の会社が、家族に会社見学をさせられたことにも興味を覚えた。家庭内のいろいろな問題も、働き手の姿が家族に見えないことが影響している場合も多いと思う。多くの場合、働き手はその家庭の主人であるが、その働き手と家族が分離している。一生懸命働いている姿が家族に見えていれば、起こらない問題もある。ただでさえ自分中心になる人間であるので、相手がみえていなければより一層自分中心になる。そこが問題をより大きくさせる。家族の職場見学は意義があると思う。

(第934話) 頭を下げた若者  2008,5,17
 “先日、私の乗ったタクシーが左折しようとすると、今どきの服装をして頭髪を赤く染めた高校生ぐらいの男性が歩道に立っていた。運転手さんが「どうぞ」と手で合図をした。若者は笑顔で頭を下げて道路を横切った。当たり前のことかもしれないが、ちょっとしたしぐさに心は和んだ。運転手さんに「頭を下げていった感じがいいですね」と声をかけると、「こちらもうれしくなりますね」と話した。
 若者のマナーの悪さや無礼が指摘される中、この光景を目にして、「そんなことはないぞ」と、さわやかな気分になれた。”(4月30日付け読売新聞)

 茨木市の主婦・小倉さん(63)の投稿文です。感謝を込めて頭を軽く下げる、最近はこうした行為を目にすることも少なくなっただけに、より嬉しく、こうした投稿文にもなるのである。この場合、運転手さんの行為もいい。若者はそれに応えたとも言える。こうしたちょっとした良い行為は連鎖するのである。大きな事は難しいが、小さな行為は連鎖しやすいのである。そして、小さな行為の積み重ねが大きなものになっていく。こうした場面は、電車やエレベーター、車の運転など少しの心がけでいろいろなところに見つかると思う。心がけたい。
 新年度になって、ボクの部屋に20代半ばの女性が入社してきた。朝部屋に入ってくる彼女を見ていると、目が合う人と挨拶するのは普通であろうが、感心するのは、目を合わさない人にもそこへ行って挨拶をしてくることである。ここまでする人はなかなか見あたらない。育ちか人柄か、嬉しい人の入社である。先ほど普通と書いたが、実はわが社でもこの普通ができない人が多いのである。彼女の人柄が部屋全体の雰囲気をよいものにしてくれるのを期待したい。

(第933話) 50年目のラブレター 2008,5,15
 “今日は結婚記念日、50回目の金婚式です。感無量で、胸にグツと迫ってくるものがあります。娘たちからのお祝いも、感謝ですね。
 平凡なお見合いで、愛の言葉も、恋のささやきもなく、何となく親の勧めで結婚して早くも50年です。本当に年月の過ぎるのは早かったですね。仕事の忙しい毎日でしたが、三人の娘にも恵まれました。義母の認知症で大変な思いもしましたね。このことは、お父さんと二人でないと分からないこと、人に話しても体験した人でないと分からないことです。このことが二人の絆を深くしたように思えます。
 三人の娘も嫁いで、二人のこの先の人生も、ますます元気に楽しい日々を送れますように。次はダイヤモンド婚ですね。お互いに健康には気を付けてね。私から感謝を込めて、ありがとうアナタ。”(4月29日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の小木曽さん(女・73)の投稿文です。見合いで結婚し、愛の言葉もなかったといわれ、この投書文は50年目にして初めてのラブレターということのようだ。それも万人の目に晒す形で。これも50年の歳月のなせる技であろう。どういう経過をたどろうが、50年たってこういう形を取れるということは、夫婦として成功ということである。事によっては、結果より経過が大切ということもあるが、夫婦は結果よければすべて良し、といえる代物であろう。
 愛し愛されていることを確認して結婚する恋愛結婚はそれはそれでいいものであるが、見合い結婚という形が一般にされていた時代も良いものであったと思う。ここまで高齢独身者が多くなるとよりそう思う。

(第932話) 主夫1年生 2008,5,13
 “会社勤めをしていたころ農業は人頼みだった弟が、定年後、農業をやりだした。無農薬野菜を作ると、意欲を見せていた。初めて作った見事なサトイモを持ってきたときは少し誇らしげだった。夕飯の支度もしていると聞き、驚いた。
 サトイモの親イモは、焼いてみそ田楽で食べるとおいしいと主夫になって間もない弟に教わる。主婦歴の長い私にも焼くというレシピはなかった。早速、焼いて食卓へ。「うん、うまい」と主人。今日も、家族が勤めを終えて、帰るころには温かい夕飯が待っていることでしょう。がんばれ、主夫一年生。”(4月29日付け中日新聞)

 豊田市の主婦・松永さん(65)の投稿文です。先月19日の「(第921話)自然相手」で取り上げた内容とダブルものがある。第921話では米作りが中心で、それもかなり大規模である。この話の場合は規模は分からないが、野菜作り中心のようだ。それも料理までする主夫である。でも定年後に農業を始める、自然に触れる、ということでは同じである。ひとつの理想的な、望ましい老後の生き方であろう。
 数坪から数十坪程度の家庭菜園なら文句なしに楽しい。市街地に住んでそんなことできる環境ではない、といわれる方でも、少し郊外に出れば、家庭菜園程度の規模の農地なら簡単に借りられるであろう。この程度の農地ならそんなに道具も入らないし、経費も安く収まるだろう。もちろん実益を兼ねた趣味だから、野菜を買った方が安いなどと決して言ってはならない。

(第931話) パッシング好き 2008,5,11
 “日本人は最近になって、バッシング好きになったようだ。記憶に新しいのは、2004年4月に起きたイラクにおける日本人3名の人質事件である。政府や一部のマスコミは「自己責任」を唱え被害者の行動を厳しく批判したが、逆に海外のメディアからは異論があがった。同じ時期の京都における鳥インフルエンザ事件でも、農場からの届け出が遅れたことが激しくバッシングされ、関係者が自殺に追い込まれた。昨年起きた松岡元農相の自殺も、多方面からのバッシングと無関係ではないだろう。
 このごろでは著名人が問題発言をしたり、些細なことでも法に抵触する行為をしたりすると、一般国民もマスコミもわれを忘れて非難合戦を始める。心配な点は、バッシングが一般の人々にも及ぶことだ。ブログの「炎上」はその一例であるし、学校におけるいじめの背景にも同様の心性が存在しているのだろう。バッシングをする人々はダブルスタンダードでものを見ている。彼らは他人の些細な瑕疵を批判するが、自らも類似した行為をしがちな事実をまず認識すべきだろう。”(4月26日付け中日新聞)

 「紙つぶて」から精神科医の岩波明氏の文である。この意見には大いに共鳴する。またボクの持論とするところである。少し熱が入り話が長くなりますが、適度に読んでください。
 完璧な人などあり得ない。すべての人は、多かれ少なかれ欠点があり、間違いも法律違反も犯している。それを取り上げ、倒れるまでバッシングすれば、すべての人は倒れ誰もいなくなる。聖書の中に「汝らの中で一度も罪なき者のみこの罪人に石を打て」とイエスに言われ、結局誰も石を投げられなくなった、という話がある。しかし、現代人は我が身を省みず平気で投げている事が多い気がする。意見を言うのも批判するのもいいが、程度をわきまえなくてはなくてはいけないと思う。人はつい他人には厳しく、自分には甘くなるものである。人に対する基準と自分に対する基準を違えてはいけない。
 また、悪いことをすれば大きくても小さくてもしたことに変わりはないから同罪だ、という意見には賛成できない。人間社会では大きいか小さいかが重要である。法律の刑罰でも、厳しいものと軽いものがある。でも、マスコミや意見欄などを見ているとバッシングが始まると、止まるところがない。法律以上に厳しいのである。これが岩波さんが憂えられるところであろう。
 ボクはこの「話・話」のために、新聞を走り読みすることが多いが、要求や批判記事ばかりが目につき、この「話・話」の題材を探すのに苦労している。バッシングはこの「話・話」の対岸である。

(第930話) 農業王国愛知 2008,5,9
 “花きの産出額が1962(昭和37)年以降連続して全国一位なら、木材・木製品出荷額等は7年連続で全国トップ、漁獲量でもトラフグ、アサリ類、シャコが一位に。2006年のデータを基に県は、農業、林業、水産業それぞれの「動き」をまとめた08年版の動向調査資料を刊行した。愛知は、製造業だけじゃない。”(4月24日付け中日新聞)

 記事からです。お国自慢で愛知県以外の方には申し訳ないが、ボクの知らないことも多いので紹介させて頂く。製造業の愛知県というのはよく知られたことと思うが、農林水産業でも思いのほか検討しているのである。農業産出額は全国6位、品目別の産出額トップのものは12品目あるという。イチジク、ギンナン、菊は知ったところであるが、フキは全国シェアの41%、シソは56%、ウズラ卵に至っては69%という。魚類では上記3種以外に養殖ウナギや金魚が全国2位、クルマエビ、アナゴ類が3位という。こうはいっても数えられない位の品目があるので、こういう話をしたら、わが県は、わが郷土はとは名乗り上げられる人は多かろう。それで結構、大いにお国自慢をしながら地域を盛り上げる、必要なことではあろう。

(第929話) 年間変漢賞  2008,5,6
 “「うまくいかない画像サイズになった」が「馬食い家内が象サイズになった」に。日本漢字能力検定協会(京都市)は十五日、パソコンや携帯電話での漢字変換ミスを集めたコンテストの「年間変漢賞」を発表した。
 年間変漢賞の「馬食い家内・・・」は、サイズが大きい画像の取り込みに苦労した際の変換ミスといい、応募者は「馬のように食う家内が象になってしまいました」とコメント。
 ほか上位作品は「講習会の出欠を確認してください。」を「口臭か胃の出血を確認してください。」「何かと胡散臭い時がある」を「何か父さん臭い時がある」「今日居ないもんね。ゴメン〜!」を「胸囲ないもんね。ゴメン〜!」など。”(4月16日付け中日新聞)

 パソコンを扱っている人なら、毎日、毎度のようにとんでもない変換を目にしている。しかし、ここまで見事?な変換はなかなかお目にかかることはできまい。もしあったとしても気に留めていないから思い出せない。そして、応募することもできない。2835作品の応募があったということだが、応募した人はこんなことも記憶に残す人なのだ。感受性と好奇心が旺盛なのだろう。
 それにしても、パソコンの想像力は人間以上だ。ユーモアも素晴らしい。この変換は十分話の材料になる。ただひたすら自分の目的に、変な変換に腹を立てながらパソコンに向かうより、こんなパソコンの能力を確かめながらするのも一興だろう。投稿すれば賞にありつく可能性さえある。

(第928話) 投書欄は教材 2008,5,3
 “子育てや保育で悩み、苦しんでいる親や保育者が多くなっている。私はそうした若い人たちに「人間関係力」の弱さを痛感して、一緒に「人間関係作り」「コミュニケーション能力向上」「人間理解」などについて学びあう機会を持ってきている。
 その教材として、新聞の投書欄を取り上げ、好評を得ている。投書欄は、まず「真実」が語られている。そして次には人間の「喜怒哀楽」がにじみ出ている。3番目は、―人分の文章をたった1分くらいで読める。それに費用は問題外である。
 子育て中の親たちも、保育者たちも、心身ともに疲れているはずだ。そんな人たちに、わずかな時間で、あまりお金もかけずに、人間のありのままの姿や思いを、投書は知らせてくれるのである。
 人間は、ちょっとした一言で、やる気も起きれば、落ち込むことにもなる。ささいな出来事で勇気も出れば、傷もつく。投書欄はそのことを毎日、教えてくれているのだ。だから、最良の教材である。”(4月16日付け毎日新聞)

 千葉県富里市の家族心理相談員・池田さん(男・77)の投稿文です。先日の「ハッピーニュース」に続いて、また新聞に関する話である。そして、またボクが実感する話である。この「話・話」は新聞に負っていることが多いことは前回も書いたが、その中でも投書欄の活用が多いことは読者の皆さんも十分に気付いておられることであろう。
 主要紙をさっと目を通して、伝えられるいい話を探すが、記事の中ではボクのめざす物はなかなか見つからない。なぜか投書欄が多くなっている。それは、池田さんの言われるように、真実であり、喜怒哀楽がにじみ出ているからであろう。それと、普通の人が身近な話題を提供されるからであろうか。
 それにしても、池田さんの投書欄の活用には感心する。そして、探せばまだまだいろいろあるだろう。投書欄は投書する人が望んで書かれているのだから、大いに活用することがその人の意に沿うことであろう。ボクも更に活用したい。

(第927話) 幸運 2008,5,1
  「話・話」の掲載に利用している無料のレンタル日記が4月4日にトラブルを起こした。しばらく様子を見ていたが、復旧の見通しがたたないことに10日ばかり休載した後、ホームページの形式で掲載を再開した。そして、レンタルの日記は4月下旬になって使用できるようになった。どちらの形式が読みやすいか比較してみましたが、レンタル日記の方がいいだろうと思い、5月からはまたこの形式に変更して掲載することにしました。
 レンタル日記は使用できるようになったが、過去に掲載したものが復旧されないことを知った。トラブルについて苦情は言えないことで承諾している。無料であるから当然であろう。でも、かなり悔しい思いをしている利用者があるのではなかろうか。
 ボクの場合、過去の「話・話」を読もうとしたときや探そうとしたとき、この日記では1ヶ月ずつ繰り下げなければそれができない不便に、1ヶ月分を終えるとホームページの「付録」に目次をつけて再掲していた。おかげでこのトラブルに対して、少しの苦労はしたが実害はほとんどなったと言えよう。このあたりの状況は読者の皆さんには理解して頂けると思う。
 今のボクは、良い話題を探し、文章をつけ掲載するこの「話・話」にかなりの努力と時間を費やしている。この努力が喜びでもある。掲載し読んで頂けるだけでその目的はほとんど達しているが、過去のものを引用することも多々あるし、利用価値はまだ十分にある。始めてもう丸6年、1000話近くになる。過去のものがすべて無くなることは耐え難い。こんなトラブルを予期していたわけでは当然ない。このバックアップとでもいうべき「付録」の再掲がなかったら、茫然自失とするところであったろう。倒れて再開できなかったろう。これを幸運といわずに何と言おう。ボクにまだ「話・話」を続けろと言うことと理解しよう。この程度のことでボクのボケの進行が止まるとも思えぬが、少し位は効果もあろう。


川柳&ウォーク