ha0804

第48号  2008年4月


(第926話) ハッピーニュース         (08.04.29)
 “8月中旬に「名古屋から遊びに来ていた小学生の姉妹が、祖母と海岸清掃」の記事を読んで、心がジーンとなり忘れられなかった。早朝から猛暑の日もあったけど、彼女たちはコツコツ連日ごみ拾いを欠かさなかったんだろうな。
 夏休みが終わり、「二人とも元気で名古屋に帰ったかな」と思っていた矢先に、「頑張った1カ月のご褒美」の記事が掲載された。
 誰かが天使の絵をプレゼントしていたこと。それに対してお礼のメッセージを掲げていたこと。手伝った人、差し入れした人。金沢市長からの手紙のことも…。
 最近は自分さえよければいいという風潮が多い中、すてきな輪が広がっていたことを知り、思わず涙があふれた。遅ればせながら私もその輪に加わり、二人の心をリレーしていけたらと思う。”(4月4日付け中日新聞)

 日本新聞協会では4年前から「新聞で見つけた幸せな記事」と「その記事を読んで幸せになった理由」を読者から募集し、表彰している。紹介した文は「ハッピーニュース2007」として、4月3日に発表された受賞作品のひとつ、石川県の高柳さん(女・42)の文です。
 こんな企画のあることを初めて知った。「新聞で見つけた幸せな記事」、この「話・話」の求めるものと同じである。嬉しいではないか。「話・話」では新聞に限ってはいないが、ボクの身に回りでは多くを新聞に頼らざるをえない。いい話を聞けば、いい気分になる。そして、いい行動を行うきっかけにもなる。そんな発想で「「話・話」を始めた。始めて丸4年、900話以上になった。この成果を一番享受しているのはボクかな?

(第925話) 歯が命               (08.04.27)
 “80歳で20本以上の歯を保つ「8020運動」で、達成した人の一部を対象に、県は追跡調査を初めて実施。硬いものでもしっかりとかめる歯が、長寿につながっている実態が裏付けられた。
 「8020運動」は県が全国に先駆けて1988年に提唱し、各地に広がった。今回、調査したのは2001、02両年度の表彰者計2550人(現在の推定年齢85歳)。昨年11月、県が県歯科医師会に委託して対面で行った。.
 表彰者のうち、329人を抽出して調べたところ、84%の276人(男性128人、女性148人)が生存し、介護支援などを受けていない人は生存者の81%に上った。現在も自分の歯が20本以上ある人は87%。大多数が煮豆、いため物、生野菜、イカの刺し身やたくわんなど、何でも不自由なく食べられる状態で、90%が「間食をしない」と答えた。かかりつけ歯科医師がいる人は95%、たばこを吸わない人も96%で、歯の健康に留意していた。
 県健康対策課は「特に男性は、歯が健康な人の方が長寿の可能性が高い。『健康はお口から』で、歯を大切にしてほしい」と呼び掛けている。”(4月3日付け中日新聞)

 記事からです。2005年1月19日の「(「話・話」第461話)咀嚼の効果」始め、歯の重要性についてはもう何回も触れてきたところである。咀嚼の効果が大きいことが分かっても、歯が丈夫でなくては咀嚼もままならない。そしてその歯が丈夫だと、長寿であることが裏付けられた話である。こうして数字で示されると、より真実味が生まれる。
 歯の健康は、歯の手入れ、食事の内容等によろうか。ボクは数年前にインプラントの治療を受けて以来、定期検診を受けている。3ヶ月毎に案内が来るので出かけているのであるが、これが幸いしている気がする。悪いところがあるとすぐに治療になるし、清掃もしてもらえる。少し出費にはなるが、この記事を見れば、この程度の出費は納得できる。

(第924話) イヤな世の中             (08.04.25)
 “ 〈最近の子って外で遊ばないよね〜〉
   〈私達の頃は近所の公園で毎日走り回ってたのに、今の子供はね〜〉
   〈ウチの中ではゲームばっかりだし〉
   〈今日、子供の友達が遊びに来たんだけど、部屋にこもって、それぞれ違う携帯ゲームしてるだけなんだよ〉
   〈ウチもそう。一言の会話もなく一人一人がひたすら自分の手元見てる姿、気持ち悪〜い〉
   〈そんなだから、すぐキレる人間になるんだよね〜〉
   〈でも、親がどんなに怒ってもやめないし〉
   〈ゲームに必死で聞こえてないみたい〉
   〈イヤな世の中だね〉
  「ねぇ、お母さん! お母さんったら!」
  「何? 今、忙しいんだからッ」
  「さっきから何度も呼んでるのに。メールばっかしてないで、ボクの話、聞いてよ」”(3月30日付け中日新聞)

 300文字小説から、名古屋市の主婦・小畠さん(40)の作品です。全く面白い小説であるが、この小説を笑えない人も多いのではなかろうか。自分を振り返ってみれば、思い当たることも多かろう。ボクもパソコンに向かっているときは、妻の声が聞こえず、よく嫌みを言われる。この「話・話」作りも罪作りである。
 ここ数年で電車の中の風景は一変した。少し前までは若い男女であったが、今では老いも若きもメールなのかゲームなのか、皆携帯電話とにらめっこをしている。電車の中だけならまだしも、降りるときも階段もまだ続けている。これが時間の有効活用なのであろうか。携帯を使わない人から見ると異様な風景である。誰にも迷惑がかからないならまだいいが、全く回りが見えていないから、人の邪魔になる態度に気付いていないのには閉口する。

(第923話) 一晩寝かす             (08.04.23)
 前回に続いて「宝物の言葉」です。
 “   難しい問題は一晩寝かせよう     佐藤一斎
 難問にぶつかったときには一晩寝かせようというのは至言だ。一晩寝れば、たしかに眠っていてもああでもないこうでもないと考えていたことが、翌朝目が覚めれば、場合によってはなんというつまらない解決策を考えていたのだろうか、と反省することもある。そして新しい出会いとして、その難問に向かい合えば、必ず鮮やかな解決策が得られるはずだと一斎は説く。そのことは問題との新しい出会いを意味する。昨夜までのことは全部忘れている。いや忘れなければいけないということだろう。そして向かい合う自分自身も、昨日とはちがった人間に生まれ変わるような意識を持てということだ。それには、問題に向かい合う自分自身を、一晩のうちに完全に生まれ変わらせるような努力と忍耐が必要だということだ。これには多分に強い意志力がいる。その意志力を養えというのが一斎の本心だ。”(3月30日付け中日新聞)

 童門冬二氏の「歴史に学ぶ知恵」から、江戸幕府の昌平坂学問所の教授・佐藤一斎の言葉である。物事は難しい問題に限らず、できるだけ一晩寝かせることが重要である。特に、頭に血が上るようなことは絶対である。これはいくつも失敗してきたボクの持論である。自然でも、一晩寝ればかなり昨日と違った自分になっている。高まった気分はかなり冷え、頭も冴えている。それを一斎は、生まれ変わるように努力せよという。強い意思力を養えという。何事も自然より、意志を持てば成果は大きい。
 先日衝動買いをした。全く失敗だった。まあ、これも同様たぐいだ。この「話・話」は書いてから幾晩も寝かせている。それでも反省は多い。書いてすぐアップするようだったら、悔恨ばかりで、もうとっくに放棄しているだろう。

(第922話) 宝物の言葉             (08.04.21)
 “絵手紙が人気だ。そこに添えられる文字も魅力の一つ。阿久比町の絵手紙教室講師・千田喜代江さん(64)も、日ごろから心に響く言葉探しをしている。
 そんな中、千田さんはあちこちですてきな言葉に心を引かれた。「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」「与えても減らぬ親切、残る徳」。これらは武豊町の大日寺の門前に張り出してあったもの。
 絵手紙の生徒さんが絵に添えた言葉にも励まされた。「大丈夫、だいじょうぶ。みんな仲間。ひとりじゃないよ負けないで」。元気をもらった。千田さんも自作の仁王様の絵に一言。「一生懸命生きているか。感謝の心はあるか。道は続く」。たった一言が心に染みるもの。あなたにも宝物の言葉がありますか。”(3月30日付け中日新聞)

 志賀内泰弘氏の「ほろほろ通信」からです。ひとつの言葉で喜び、ひとつの言葉で傷つく、言葉の持つ大きさ、重さはもう誰もが感じていることであろう。人は言葉によって毎日を動かされていくのである。良い言葉を聞いて、知って、良い日々にしたい、千田さんは「日ごろから心に響く言葉さがし」をされているという。まさに「話・話」がめざすところと同じである。
 絵手紙で見る言葉にも感心させられるものは多い。それはその人が持つ人生観を表現するからであろう。どんな人でも、人それぞれの人生に重みはあるのである。
 ボクも絵手紙には非常に興味があって、先日も教室の資料を取り寄せたところである。取り寄せはしたが、絵心のないボクに腰は重い。

(第921話) 自然相手               (08.04.19)
 中日新聞の「人生劇場団塊編」に、ボクの友人が紹介された。題して「第2の人生も自然相手・土をいじるのがとことん好き」
 この友人は大学の土木工学科を卒業、建設会社に就職し、土木現場で自然を相手に仕事をしてきた。
 “退職する一年ほど前から、小さな耕運機とコンバインなどを買いそろえ、近所の親せきが持っていた水田約3000平方mを借りて稲作を始めた。夏場、朝四時に起きて草取りをしていると、汗が噴き出し、それが幸せだった。この年に十五俵ほどの米を収穫。自分で作った米に感激した。
 現在は、勤めていた会社の関連会社で働きつつ、農業にいそしむ毎日。午後九時には眠り、朝早く起きて土を耕す。借りた休耕田約一万平方mを耕し、六十俵ほどを収穫している。米は親せきが経営する給食センターヘ卸し、田んぼを借りている人たちへ送る。
 建設会社へ勤めていたときは、道路など自分が造ったものが世に残り、みんなが使っていることに喜びを感じた。今は米を味わってもらえるのがうれしい。「土をいじるのが、とことん好きなんです」”(3月30日付け中日新聞)

 友人には時々会う機会があり、稲作を始める段階から話を聞いていた。始めは疑心暗鬼で聞いていたが、ほんまものに次第に感心するばかりとなった。生家が農家だったから、小さいときに多少の心得はあったろうが、60才近くなって本格的に始めるというのは容易なことではない。環境的にはボクもほとんど同じだが、ボクには思いも寄らない。
 今、定年後の田舎住まいとか農業志向が取りざたされるが、中途半端な知識や体験で始めたら、多分後悔することになるだろう。農業は苦労の成果が如実に分かり楽しいものであるが、それは趣味の段階の話である。生業とするのは並大抵のことではない。
 実は彼を新聞記者に紹介したのはボクである。彼の姿は実にテーマ「第2の人生をどう生きるか」にふさわしいと思ったからである。

(第920話) 味な提言                  (08.04.17)
 一宮市にある山下病院理事長の服部さんが「味な提言」と題して、中日新聞に数回にわたり食を中心にした提言を執筆されていたが、3月30日が最終回であり、まとめ的に書かれていた。メタボ症候群を減らすためにとして、
 “1.ごはん、だしを基本に魚、大豆製品、野菜、海藻を加え、肉は減らそう。
  2.ファストフード、アルコール、清涼飲料水、スイーツ、スナック菓子を減らそう。
  3.朝食をしっかり、タ食軽く、間食・夜食はやめ、腹八分目を心がけよう。
  4.よくかんで、ゆっくり食べよう。
  5.自動車に乗ることを減らし、歩こう。
  6.エレベーター、工スカレーターを減らし、階段を上り下りしよう。
  7.日常生活の中でこまめに動こう。
  8.休日には野山を歩き回ろう。”

 そしてメタボの原因として、国による戦後の栄養改善運動の行き過ぎを指摘されています。
 “学者やジャーナリストを使って「米を食べるとバカになる」「米を食べている限り、欧米人に追いつけない」と日本人の食生活の基本である米とだしを悪玉にし、肉、油、ミルク、パンを勧めた結果、五十年後にメタボが生じたのです。”
 人間の健康を左右するのは、まず第一には体に入れる食物であろう。体格のいい欧米人を見て、あのようになるには食事を同じようにしなければという発想だったようだが、行きすぎてしまって、弊害が生じてしまった。日本食の素晴らしさが見直されているが、まだまだのようだ。食糧自給率を昔のように上げるのは並大抵のことではないが、食事内容を変えるのはそんなに難しいことではない。こうした記事などで知識の普及を図らねばならない。
 そして、体を動かすことである。本来体を動かすことは生活のためであったが、これも便利さが行きすぎてしまっって、生活の中で動かすだけでは健康が保てなくなってしまった。人間の愚かさを感じるが、でも補正しなければならない。
 この「話・話」では、今までに何回も食べ物や運動について参考になる話を紹介してきた。この服部さんの文はそのまとめのような内容である。ボクとしては、上記3、4は少し弱いが、他ははかなり実行しているつもりだが、更に心がけていきたい。そして、似たような話であっても啓蒙の意味でこれからも紹介していきたい。

(第919話) 一生で勘定が合う              (08.04.15)
 “母が亡くなって、今年で十三回忌を迎えます。母は三十九歳のときに、夫と死別し、義母に仕えながら、当時十五歳、五歳、三歳の私たち三姉妹を育ててくれました。
 経済的には決して裕福ではありませんでしたが、晩年、母は「人の一生は、そろばん勘定が合うようになってるね。私も若いときはいろいろ苦労したけど、今は孫たちとも一緒に暮らして、うれしいことや」と言ってくれました。母に恩返しはできないままでしたが、この言葉が今も心に残っています。”(3月25日付け中日新聞)

 中日新聞には「ラストワード」という欄があり、亡くなる最後の言葉や思い出を綴る欄である。この文は83才で亡くなった彦根市の辻きみさんの思い出を三女の伊藤さん(59)が綴ったものである。
 「人の一生は、そろばん勘定が合うようになってるね」この言葉に共鳴して紹介した。「人の一生は均してみれば、皆そんなに違わない」これはボクの持論でもある。良いように思う人生も結構苦労があり、悪いと思う人生でも良い面がある。一生は平坦ではない、谷あり山ありである。こうした高齢の方がいわれると、実感であり真実味がある。
 このラストワードからの紹介は初めてであるが、いつも読んでいる。そして、最後の言葉というのは、感謝や穏やかなものが多いのに感心もし、安心もする。

(第918話) おかげさまで                 (08.04.13)

 “このシーズンになると思い出す。十数年前、娘が中学に合格したとき、母が「おめでとう。よかったね玲奈ちゃん」と喜んでくれた。「ありがとう、よかったよー」と私が言うと、母はすかさず「あなた、人さまには『おかげさまで』と言うものよ。本人はもとより、体調や周りの人たちがあっての結果だから」とひと言あった。確かに。
 そういえば、私が嫁ぐとき、母は「四十歳の遅い出産だったから、悲しいかなあなたと永くいられないの。嫁ぎ先のご両親や友達を大切に『ありがとう』『おかげさま』の気持ちでね」と言ってくれた。当時、二十代の私の頭をスーと通り越したひと言だった。今、五十代になり、やっと母の思いの一つーつが身に染みる毎日。”(3月25日付け中日新聞)

 磐田市の主婦・高島さん(58)の投稿文です。3月24日の「(第912話)持ち帰り」の中で紹介した「食べてやってくれるのかい」と同じように、「おかげさまで」もまた味のある言葉である。「おかげさまで」は感謝を表す言葉である。単に自分の喜びの言葉や自分の力で成し遂げたことをいう前に、まず人様に感謝の言葉をかける。こんな言葉を使っていれば恨まれることもなく、また使っているうちに自然にそんな気持ちになる。人間感謝の気持ちが持てないで本当の幸せはない。しかし、日本人にはこんな言葉も忘れられようとしている。

(第917話) 踏まれておきあがり             (08.04.03)

 “  だまされてよくなり、悪くなっては駄目。
    いじめられてよくなり、いじけてしまっては駄目。
    ふまれておきあがり、倒れてしまっては駄目(略) 坂村真民
 雪がとけて畑の黒い土に草々の緑が目立つ頃になると、遠き日、師匠と共に麦踏みをしたことや「踏まれておきあがり」の坂村真民先生の詩を思い出す。
 麦は冬の寒さに堪えて春を迎える。雪や霜で浮きあがった根を、水ぬるむ季節を待って、やわらかい藁草履をはき、やさしく、しかししっかりと踏んでやる。踏まれることで麦は大地に力強く根を張ることができる。過保護では駄目になるばかり。踏まれても倒れずに起きあがる力は、踏まれることで育つのである。
 もう一つ大切なことは、踏むべき時があるということ。地にはりついている幼い時に、しかも愛情をもって踏まねばならない。大きく育ってから、しかも乱暴に踏んだら、折れるばかりで立ちあがることはできないのである。”(3月23日付け中日新聞)

 青山俊薫さんの「今週のことば」からです。ボクの小さい頃は、米などの裏作として麦を作っていた。ボクも伊吹おろしの吹き下ろす寒い中、よく麦踏みをさせられたものである。麦にも厳しいが、人間にも厳しい、忘れていた懐かしい風景である。
 青山さんの話のように、麦踏みは人生の教訓としてよく聞かされた。踏まれて踏まれて健全に強くなる。そして、坂村さんの詩は始めて知ったが、これもいい教訓である。受けた行為に、つい悪い方に傾いてしまいそうな気持ちを戒める。悪い方になってしまったら完敗である。こうした言葉を沢山知って、例えひとつでも心の糧とする。
 麦踏み風景が全く見られなくなった僕らの地方では、この教訓はもう通じない、残念なことである。

(第916話) 子ども達のヒーロー             (08.04.01)

 “ある休日、地下鉄名古屋港駅での出来事。電車が大好きな3歳の息子は、到着した電車に一生懸命手を振ります。すると、運転手さんが手を振り返してくれました。息子は二コニコです。私たちが座席に座ると、折り返し運転のため反対側の運転席へ移動するさっきの運転士さんが目の前を通りました。
 息子はすぐ反応。運転士さんも気付き、ポケットからカードを取り出して息子に手渡してくれました。そこには、「ちかてつにのってくれてありがとう。またのってね。めいじょうせんのうんてんしより」と、手書きのメッセージ。裏には保護者向けの事故防止のメッセージも。息子は大喜び。普段なかなか会えない運転士さんとの触れ合いは格別の様子でした。印刷した文字にはない手書きの温かさに、運転士さんの人柄を感じ、うれしくなりました。いつの時代も、運転士さんや車掌さんは子供たちのヒーロー。これからもたくさん夢を与えてください。”(3月15日付け毎日新聞)

 豊橋市の公務員・石黒さん(女・30)の投稿文です。多くの子供は一度は電車に大きな興味を持つものである。孫を見ていても全くそう思う。この運転士さんは、そんな子供の姿にいつもカードを用意されていたのであろう。こうした行為は意外に長くその子の心に留まるものである。
 この行為は簡単そうでなかなかできない行為である。まずは思いつくこと。そして、意外に妨げになるのが「余分なことをして、いい格好するな」という仲間の目である。この職場ではそんなこともなかったのであろう。それぞれが少しづつの努力をして、いい環境になるのである。


川柳&ウォーク