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第47号  2008年3月

(第915話) 高橋尚子選手 2008,3,30
 “マラソンとは「あきらめること」との闘いなのかもしれない。きのうの名古屋国際女子マラソンを見ていて、そんなことを考えた▼金に輝いたシドニー大会以来の五輪出場という高橋尚子選手の夢はスタートから10kmもいかないところで、あっけなくついえた。もし夢だけが、この天才ランナーの燃料なら、そこで止まってもおかしくはない。だが、彼女は走り続けた。「あきらめること」に抗うように▼レース後、高橋選手が明かしたのは、昨夏、致命的ともいえる右ひざ手術を受けていた事実。もし「あきらめること」に慣れていれば、そこでジ・エンドのはずだ。だが「挑戦せずにあきらめるわけにはいかない」と練習を重ね、名古屋に来た。もうだめだ、でも、もう一歩だけ前へ、と▼結局、マラソン選手とは「あきらめること」の苦手な種族で、彼女はその典型なのだろう。そして、それが見る者の心も揺さぶるのではないか。もし、夢の実現を目撃したいだけだったなら、あれだけの観衆が、期待のQちゃんの27位でのゴールを競技場で待ち続けるわけがない”(3月10日付け中日新聞)

「中日春秋」というコラム欄からです。先日の名古屋国際女子マラソン、ボクは朝から孫とウォーキングに出かけ、このマラソンが気になって急いで帰り、テレビの前に座った。高橋尚子がいない!。そして、淡々と走っている高橋選手が少し映し出されたのみで、ゴールする前に番組は終わってしまった。
 その後記者会見の模様を見たり、このコラムのように様々な記事や意見を読んだ。ほとんどが次のように好意的、感動を覚えたというものである。
 “高橋選手は皆に夢を与えてくれたと思う。手術の影響か、なかなか調子が出ないのに最後までリタイアせず頑張ったのは、すごいことだと思う。「あきらめない」。それは人々に勇気と感動を与えてくれた。”(3月20日付け中日新聞・愛知県の主婦・村上さん)
 ボクも全く同意見だ。これだけの選手が27位という惨敗の姿を人前に晒したくない、と思っても何の不思議もないし、非難されることでもない。しかし、高橋選手は何の悪びれた姿勢も見せず、淡々と走り、堂々笑顔で記者会見に臨んだ。なかなかできることではなく、多くの人が感動を覚えるのはもっともだ。
 24日には、今年11月の東京、来年1月の大阪、3月の名古屋の3大会連続挑戦を発表した。ボクはますます高橋選手の生き方に興味がわく。

(第914話) 二分の一成人式 2008,3,28
 “息子は今、小学校四年生で十歳です。先日、授業参観の日に二十歳の半分ということで「二分の一成人式」が行われました。開式の言葉の後、子供たちが一人ずつ「得意なこと」「家族への感謝の手紙」を発表してくれました。自分の子供だけでなく、全員の素直な感謝の気持ちが伝わり、心に深く響きました。
 司会から進行まで、すべて子供たちが行い、手づくりの小さな式でしたが、感動的でした。私が子供のときは、このような式はありませんでしたが、こういう形で子供の気持ちを受け取ることができ、親からも「素直で優しい気持ちを持った子に育ってくれてありがとう」と伝えたい思いで胸が熱くなりました。
 この気持ちを忘れず、これからも親子一緒に成長していけたらと、あらためて考えるいい機会になりました。”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・北川さん(36)の投稿文です。ここにも知恵があった。いい計らいである。こうした行事は親子に忘れられない記憶として残るだろう。特に子には、中学高校といろいろな誘惑につい道をそれそうになるとき、この時のことが頭をよぎり、踏みとどまることになるのではなかろうか。
 こうした決意や感謝の披露は、二分の二の成人式にも必要ではなかろうか。成人式で代表がしているかも知れないが、これを自分の言葉として受け取っている人はどれだけあろうか。それぞれが恩師や両親など身近な人の前で発表すれば、そう簡単に道を外すことはできないだろう。

(第913話) 月1回の葉書 2008,3,26
 “長男が13年前、東京の大学に進学する時、私ははがきを50枚持たせることにした。毎月、父親の給料日までに必ず近況報告をするようにと約束したためだ。「今からはがきを書くから、きょうの入金を頼むよ」と、給料日に電話がかかったこともあったが、そんな時は半額を入金して、はがきの到着を待って残りのお金を入金した。
 6年後、東京へ進学する二男にも同じ約束をした。長男から次男への伝言は「オカンは甘くない。はがきが来ないと本当に入金はないぞ」だったという。息子たちから送られる月1回のはがきに励まされ、家計は苦しかったが仕送り生活を楽しむことができた。
 その息子たちは社会人になり、大学時代にはがきを書かされた経験が今では役に立っていると笑う。私はこのはがきを大切にしまっているが、息子たちの子供が進学するころ、親になった息子たちにそっと渡したい。”(3月5日付け中日新聞)

 愛知県日進市の主婦・長尾さん(55)の投稿文です。この知恵は素晴らしい、感心した。手紙を書く習慣、近況を知らせ知る安心感、親子の交流、仕送りのし甲斐等々、考えれば考えるほどに素晴らしい。大変な思いをしながら送り、当たり前のように受け取るのと比べれば、手紙1枚で雲泥の差である。手紙が遅れた場合の凛とした親の態度も素晴らしい。ここで変なやさしさを見せれば、なし崩しだったろう。仕送りする人すべての人が見習ってもいい行為だ。手紙1枚の効果を思い知った。世間にはいろいろな知恵があるものだ。

(第912話) 持ち帰り 2008,3,24
 “知多半島の先端に近い、愛知県南知多町の湾岸道路。「漁師の店・穴子料理」の看板に、なぜだか強く引き寄せられた。
 「父ちゃんが漁に出とるでな。うちの魚は新鮮だよ」と、七十がらみの小柄なおかみさん。壁に飾った漁船の写真を誇らしげに指さした。アナゴ丼とタコぶつを注文したが、おかみさんは調理場に消えたきり。空気を読んだ常連客が「とれたて。サービスね」と言いながら、ワカメの煮付けを運んできた。すると、おかみさんが現れて「定食のお客さんに出したついでだよ」と、大ぶりのアジのフライや煮物の小鉢を次々に並べてくれた。注文の品が出てくる前に、すっかりおなかは満ちていた。
 残った料理を持ち帰りたいと、頼んでみた。その後のおかみさんのひと言が、心にしみた。「ありがとう。食べてやってくれるのかい。ありがとう」潮風に焼けた笑顔が輝いた。料金は注文分だけだった。”(3月2日付け中日新聞)

 論説委員・飯尾さんの「世談よだん」からです。もうこれは商売ではない、家庭料理を振る舞っている感じである。こんな店があるのだ。「食べてやってくれるのかい」、こんな言葉は我々世代以下には出ないだろう。食べ物は食べられるのが本意であり、食べ物に感謝し、客人に感謝する。実に奥ゆかしいいい日本語だ。食べ物をめったやたらに粗末にしている日本人などはもってのほかである。
 でも新聞に紹介されて、その後どうなっているか気にかかる。多分大繁盛だろうが、心ない客も多い。

(第911話) あうんの呼吸  2008,3,22
 “「私と妻はあうんの呼吸で暮らしています。平和な老後ですよ」と七十代のおじさんがちょっぴり自慢そうに言った。例えば、彼が「お茶を飲みたい」と思っているとすっとお茶が出る。どれ、新聞を読もうとソファに座ると「はい」と新聞が目の前に置かれるという具合だそうな。
 後日、彼の妻と話す機会があった。「まあ、おほほ」と彼女は笑った。
 「七十代になると夫婦で一日中家にいることが多い。私は雑用がいっぱいあるのに、夫はあれ取れ、お茶がほしいなどとうるさい。つい『今、やりますから』と面倒くさそうに言うと『その言い方はなんだ』『あら、どこが』といつもけんかになる。でもけんかは血圧が上がる。そこで私は考えた。夫の生活パターンは分かり切っているので時間を見て早め、早めに『どうぞ』とやれば夫とそれ以上口をきかずにすむと。大成功よ。うちの場合、会話はけんかのもとですから」
 なんとまあ。あうんの呼吸の実態は会話をしないための妻の知恵だったのだ。夫婦にはこんな形の平和もあるようで。”(3月2日付け中日新聞)

 作家・小川由里さんの「おばさん事典」からです。やはり女性の方が一枚上ということ、男は女の掌の中で踊っているに過ぎないということであろうか。ただそうであっても、会話をしないための妻の知恵というのはいただけない。例えけんかになってもいいではないか、話すのは生きているうちである。一人になって、もっとけんかでもしておけばよかった、何十年と連れ添った夫婦ならきっとそう思うだろう。話す相手がいなくなるというのは本当に寂しいそうだ。穏やかな会話にこしたことはないが、夫婦それぞれである。大方は男がもう少し配慮しなければならないことではあるが・・・・。

(第910話) 忘れられた街道 2008,3,20
 “郷土史家中根さん(63)が、県内の知られざる街道を訪ね歩いて紹介した「忘れられた街道」(上、下巻)を出版した。「熊野古道だけでなく、身近な古道はこんなにある」と語り、ウォーキングのガイドブックとしての活用も呼びかけている。
 中根さんは、3年前に定年退職。三河地方を中心に、各地の歴史的施設や名所を訪ね歩き、これまでにも「愛知の巨木」や「愛知発巨石信仰」などを出版してきた。
 今回の本は、在職時代の1993年に出した「愛知の歴史街道」の続編として2年がかりで取材して書き上げた。明治政府が指定した31路線が「歴史街道」となっているが、街道は、それ以外にも地元の言い伝えや文献などをつないでいくと、いくつも存在することが漠然と分かっていた。現代の主要道路や街道は、平らなコースを選ぶため、川沿いが多く、橋や切り取り、盛土部分があり、予想以上に災害に弱い道になっているが、古道は尾根部分を進んでいるため、水害の翌日でもぬかるんだところはなく、災害に強いことが分かったという。上巻では、こうした「知られざる街道」の16コースを紹介。”(2006年9月13日付け読売新聞)

 歴史話の続きに、ボクの知人の郷土史家に関することを取り上げた。少しばかり新聞記事は古いが、興味を引く内容である。この知人は、徒歩や自転車で、あまり知られざる史跡や見所を訪ね歩いている。「忘れられた街道」などはまさに苦労の産物であり、「古道は災害に強いことが分かった」などという発見はその成果であろう。機械力もなく、人間の知恵で災害に対処した時代は、災害に強い場所を選ぶことが大切であったろう。これは道に限らず、住む場所などはもっと重要である。現代はそれを忘れ、規制がなければ住んでいいと低湿地にも住宅を建て、水害に遭っている例も多々ある。温故知新、ここに歴史を知る意味がある。身近な史跡を調査発掘する郷土史家は貴重な存在である。
 「忘れられた街道」をウォーキングに役立てて欲しい、という知人の言葉に、いずれその街道の方面に行くようになったら活用させてもらうつもりである。「愛知発巨石信仰」はすでに活用させてもらったことがある。この知人の熱意と能力にはただ感服するばかりである。

(第909話) 「火の用心」発祥地 2008,3,18
 “新城市消防防災センターの四月稼働を前に「火の用心」と記した石碑(高さ3m)が同市平井の敷地に建てられ、記念式典が二十九日開かれた。この標語は新城が「発祥の地」とされる。
 石碑は東側駐車場出入り口に建立。右上に白文字で「一筆啓上」と小さく、中央に赤い文字で「火の用心」と大きく刻んだ。隣には「碑文」として、その由来を記した石碑も添えた。「火の用心」という言葉は、徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が、陣中から妻にあてた手紙に「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と書いたのが始まり。日本一短い手紙として知られる。文中の「お仙」は重次の長男の仙千代。後に成重と名乗り、越前丸岡城主(福井県)になった。”(3月1日付け中日新聞)

 記事からである。「火の用心」の標語は、新城市内を舞台とした「長篠の戦い」に出陣した本多作左衛門が、陣中から出した手紙に始めて使ったということで、新城市が「発祥の地」を称したのである。何かにかこつけて、それを活用する。それがまちがっていなければ、それが良いことであればそれも良かろう。先日紹介した「愛知の武将観光」、この碑もこの観光に役立つのではなかろうか。最近ボクの近くでも城跡の碑が立ったようである。これから愛知ではますます武将に関わる碑が立つのではなかろうか。一宮友歩会ではコース設定に「史跡巡りシリーズ」を取り入れているので、これらの碑がいろいろ活用できるであろう。
 この手紙をもらったお仙が後に丸岡城主となったことから、福井県丸岡町が平成5年から「日本一短い手紙」を募集し「一筆啓上賞」を設けていることは、広く評判を呼び知られていることである。この催しは新城市の方がふさわしいと思うが、先を越されていたのである。地方の時代は知恵比べでもある。

(第908話) 盲導犬サフイーの死 2008,3,16
 “本紙を見て驚きました。「盲導犬サフィー」の名前を見つけたからです。サフィーは私が小学三年の時、ボランティアクラブの人たちが中部盲導犬協会に贈呈した子犬です。十五万円の費用を集めるために、公民館祭で募金集めをしたり、お店に募金箱を置かせてもらったりして一年かけて集めました。
 サフィーは、私たちみんなの夢を集めた犬でした。命をかけて主人を守ったのは立派ですが、二年半も前に死んでいたなんて、とても悲しくなります。もっと生きて活躍してほしかったと思うと残念でなりません。”(2月29日付け中日新聞)

 豊田市の高校生・永田さん(女・18)の投稿文です。「本紙を見て驚いた」とは多分2月5日付けの下記の内容であろう。
 “2005年9月26日午前10時ごろ、静岡県吉田町の信号交差点で、横断歩道を渡っていた視覚障害の男性(72)と盲導犬「サフィー」(メス6歳、ラブラドルレトリバー)が右折してきた大型トラックにはねられた。男性の前にサフィーが立ちはだかったため、トラックはサフィーをはね飛ばし、その後男性をひいた。サフィーが緩衝材のような役割をしたせいか、男性は頭などを強く打つ全治2カ月の重傷を負ったものの、命に別条はなかった。サフィーは即死した。”

 盲導犬の素晴らしさは、2007年1月19日の「(第851話)盲導犬」で紹介したところだが、死して主人を守ったサフィーについてはこの話を聞くまで知らなかった。名古屋の栄には「盲導犬サーブ」の像があるが、サフィーはサーブ以上の被害者である。主人に対する献身さはたとえようがない。そして、盲導犬の育成には多くの人の係わりがあることを知った。名古屋駅前ではいつも募金活動が行われている。
 この時期になぜこの記事が出たかというと、サフィーを育て、視覚障害者に貸し付けていた中部盲導犬協会が運転手らに540万円の請求訴訟を起こしたからである。訴訟前の交渉では、運転手らは「子犬価格は10万円」などとして、約20万円の支払いを提示していたという。どちらが妥当と思うかをここで言うつもりはないが、裁判の経過は関心してみていたいと思う。
 サーブの像については、私のHPのhttp://terasan.web.infoseek.co.jp/fu020maai.htmlをご覧ください。

(第907話) 笑い療法士 2008,3,12
 “百薬の長―ともいえそうな″笑い″。最近は「笑い療法士」というものがあるそうだ。「癒しの環境研究会」(東京都文京区)が二〇〇五年から認定を開始。現在約三百人が医療現場などで「笑顔」の普及に努めているという。
 昨年十一月、文京区の日本医科大学大講堂で開かれた第四回笑い療法士発表会。認定者証を受け取る七十七人の笑い療法士たちは、満面の笑みを浮かべた。
 笑うと免疫細胞が活性化され、自然治癒力が増すといわれる。しかし、病気を抱えた患者は、笑おうと思っても難しい。日本医大医療管理学教室准教授で「癒しの環境研究会」代表の高柳和江さんは、「患者が心から笑える場と空気を提供するのが医療従事者の役割だと思います」と話す。”(2月26日付け中日新聞)

 記事からです。笑顔や笑いの効用については、2008年1月27日の「(第885話)笑顔を意識」など度々触れてきたことである。今回は更に進めて、笑いを医療に活用している人たちの話である。資格ばやりの世の中であるが「笑い療法士」とはまた楽しい。しかし、この資格は講習を受ければいいと言うものではない。仏頂面が講習を受けたからといって、人に楽しい笑いが簡単にできると思えない。それこそ鏡を見て訓練しなければなるまい。そして、資格の有効期間は3年という。一度取ればそれでいいというものではないのも資格に重みがある。どんな活躍をされるか楽しみである。
 先日、テレビで「バッチ・アダムス」という実話を元にしたアメリカ映画(1998年)を見た。まさに笑いを取り入れた治療をする医師の話である。笑いとはこれほどに大きな効果を及ぼすものなのか、心せねばなるまい。

(第906話) 武将観光 2008,3,10
 “愛知ゆかりの戦国武将は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だけじゃない。後に全国各地に赴いた「三英傑」の家臣も少なくない。「愛知を知らずして、安土・桃山時代や江戸時代は語れない」と、愛知県は武将を新たな観光資源とし、全国に売り出す試みを加速させている。題して「武将観光」。
 県によると、慶応元(1865)年、全国にあった270藩のうち愛知を出身とする大名は204藩。藩主に限ると179藩で、各地の都市基盤を築いた藩主の七割前後にのぼる。
 桶狭間の戦い(1560年)や長篠の戦い(1575年)など、愛知県内には時代の転換期となった合戦跡をはじめ多数の史跡や城、城跡がある。地元出身の武将ゆかりの祭りも各地で残る。これら三英傑も合めた武将にまつわる戦や文化面などの資源を組み合わせることで、県は愛・地球博(愛知万博)後の新たな観光戦略の中核と位置付けた。”(2月25日付け中日新聞)

 記事からです。2月26日に愛知県が武将観光シンポジウムを開催したが、このシンポジウム開催を発表したら、250名の定員が数日でオーバーしたという。県民の関心も高いのである。ボクが知ったときにはすでに締め切られていて、悔しい思いをした。
 何といっても愛知県は3英傑を生み出した地である。記事にも書かれているように武将にまつわる史跡は到る所にあるし、名古屋祭り始め武将にまつわる催し物も多くある。
 そしてこの記事で驚いたのは「全国にあった270藩のうち愛知を出身とする大名は204藩。藩主に限ると179藩」という部分である。かなりあるだろうとは思っていたが、これほどに多いとは思っていなかった。信じがたくて、すぐに県に問い合わせ、資料を得た。これは進め方によっては県内に限らず、全国の関係市町と連携するなどかなりの発展が期待できる。
 また、一宮友歩会では「史跡巡りシリーズ」を取り入れており、その中でできる限り城跡を巡るようにしている。当然武将の話となる。この武将観光の一助ともなろう。ボクも武将の勉強をしなければなるまい、大変だがますます楽しみだ。

(第905話) 日記帳はどうしよう 2008,3,8
 “先日、友人と電話で話していたときのこと。子どものいない友人夫婦は、時々、どちらかが先に死んだら・・・ということを考えては、二人で話をすることがあるそうだ。「おれが死んだら、棺の中に一升瓶の酒も一緒に入れてくれ」と、ご主人。「そんなもの、燃やす前に危ないから抜かれてしまうわ」と、友人は笑っていた。
 それを聞きながら、「もし、私が死んだら、小学六年から書き続けてきた日記帳の山をどうしよう・・・」と考えていた。段ボールー箱分はある。一緒にひつぎの中に入れてもらおうか。花を押しのけ、日記帳に埋もれて死んでいくことになりかねない。紙だからよく燃えるだろうけれど。それとも、子どもたちへの置き土産に残していこうか。
 歴史に名を残す人物でなし、フツーの主婦のたわいもない記録だ。迷惑と思われるかもしれない。「お母さん、こんな人生、送ってきたんだ」と、子どもたちは涙してくれるのかな。今日も、私は「日記帳、どうしよう」と考えつつ書いている。”(2月23日付け中日新聞)

 桑名市の主婦・松岡さん(40)の投稿文です。古本の処分はまだ気が楽だが、日記となると本人にも、まして残された子ども達にとっても難しい。父母の思い出の品だけに簡単には処分できない。でも、そんなものとっておいてはいくら場所があっても足りない。それだけに本人が処理しておくことが必要であろう。といっても、日記などは自分の歴史である。処分することは自分の生きた証を抹殺することにもなる。いつ死ぬか分からないだけに、いつ処理すればいいのか、この決断は難しい。
 こんな文を書かれたのは何歳の人かとよく見たら、まだ40歳の人であった。増えるのはまだまだこれからである。多分アルバムなどもあろう。こちらの方が量ははるかに多いのではなかろうか。ボクがこんな心配をするのなら分かるが、松岡さんにはまだまだ不必要な心配だ。もっともっと、思い出も日記帳も増やした方が良いと思う。
 今年2月の川柳連れ連れ草第74号に、ボクはこんな句を載せていた。偶然である。
・・・・・《アルバムを捨てる決意は先のこと》・・・・・・

(第904話) 古本は中国へ 2008,3,6
 2007年12月29日に「(第871話)片付かない」で、家庭内の整理について話題にしたところであるが、また興味ある投稿文を見つけた。
 
 “古希を過ぎ、妻や子に身の回りの整理をして欲しいと言われた。後どれくらい生きられるか分からないが、残された家族に、ガラクタの整理をさせてはならない。なかでも悩みの種は、若い時からため込んできた書籍の処分である。
 軽トラックにいっぱい、古本屋に持って行っても、ほんの数冊しか買ってくれず、そのまま持って帰ってこなければならなかった。廃品回収に出すには胸が痛む。自分の青春や壮年期の思い出が詰まっているからだ。
 処分について悩んだある日、中国で日本語を学んでいる学生たちが、日本語の教材不足に困っていて、日本語の本をどんな本でもいいから欲しがっているということを新聞で知った。これだ、と東京の日本科学協会という所へ電話をした。リストを出してもらえれば本の行き先と送料を負担するということだった。
 リストを作り協会へ送ると、しばらくしてハルビンの大学図書館へ寄贈するとの連絡が来た。段ボール箱に本を詰め、宅配便で協会へ送った。私の本は生き返ることができたのである。”(2月21日付け朝日新聞)

 伊勢市の農林業・橋本さん(男・70)の投稿文です。身の回りの整理といっても、まだ使えるのではないか、また使うときが来るのでないかなど、いろいろ未練がありなかなかできぬものである。特に思い出が詰まったものとなると簡単にはいかない。橋本さんの場合は本であった。行きついた先は中国の大学であった。素晴らしい出会い、活用となった。これを知ったのは新聞の記事からということであった。
 活字文化の衰退が危惧されているが、新聞もどうも同様らしい。しかし、ボクには新聞はなくてはならぬもの、この「話・話」の題材のほとんどは新聞からである。テレビやインターネットなど、他の情報メディアがいくら発達しても、新聞のない生活は考えがたい。じっくり眺められる新聞のメリットは大きい。

(第903話) エコドライブ 2008,3,4
 “エコドライブの勧めを新聞で読み実行した。以来1カ月。その効果に驚いている。まず第一に、ガソリン代の節約。毎月ほぼ同じ距離を走っているが、払っていたガソリン代が、3千円減の約9千円になった。
 信号が赤に変わりそうだとアクセルを踏み、交差点を渡ってしまおうとスピードを上げていたが、ゆっくり走るようになった。考えれば、寸刻を争う用事なんて、そうはないのだ。私も年寄りのくせに、前の車がのんびり走っていると、追い抜こうと神経を使ったが、今では「ゆっくりで結構。私ものんびり走れます」と思う日々だ。
 こんな運転を1ヵ月も続けていると、性格まで変わってきたような気がする。なんとなく生活がゆったりと落ち着き、心に余裕が生まれたようなのだ。”(2月21日付け朝日新聞)
 
 春日井市の田中さん(男・70)の投稿文からです。「エコドライブ」・・・最近、地球温暖化防止の見地から盛んに叫ばれている。でも、何も今更言われなくても、家庭経済的にも燃費向上に努めていることは誰もが当然のことであるはずだが・・・。しかし、方法や理由を知ると知らないとでは大違いである。
 先日ボクはエコドライブのセミナーに参加した。CO2排出量は輸送機関全体の中で自家用乗用車が5割近くを、家庭からの排出量では車が35%を占めること、また田中さんが示されたようにエコドライブの経済効果は大きいことを知った。こんなことを知ったらよりエコドライブに努めねばならない。
 資料にあった「エコドライブ10のすすめ」を紹介します。@ふんわりスタート A加減速の少ない運転 B早めのアクセルオフ Cエアコンの使用を控えめに Dアイドリングストップ E暖機運転は適切に F道路交通情報の活用 Gタイヤの空気圧をこまめにチェックする H不要な荷物は積まずに走行 I駐車場所に注意
 セミナー修了後のアンケートに、ボクは「免許更新時にエコドライブの研修を行ったらどうか」と書いた。そして、早速にいただいた「ふんわりスタートやってます!!」というステッカーを車に貼った。

(第902話) 青空 2008,3,2
 “「青空、きれいだね」。一緒に歩いていた友人が言った。私も空を見上げると、きれいな青空が広がっていた。つい、足を止めて見入ってしまった。それは一瞬のことだったかも知れないが、私にはまるで時間が止まったかのように長く感じた。思えば、立ち止まって青空を見上げたのはいつ以来だろうか。
 昨年の暮れあたりから、私は慌ただしい日がずっと続いていた。そんな中、友人と交わした何気ない言葉のおかげで、何だか心に余裕が生まれたように感じた。青空は私の心に大きな安らぎを与えてくれたのだった。
 日々、慌ただしく過ごしている現代人が青空を見上げる機会はなかなかないかも知れない。だが、一瞬でもいい、空を見上げてはどうだろうか。青空の透き通った美しさは、きっとみんなの心を笑顔にしてくれるだろう。”(2月5日付け読売新聞)

 仙台市の大学生・伊藤さん(男・27)の投稿文です。2007年10月5日に「(第832話)月見茶会」、2007年12月25日に「(第869話)スズメ」と月と鳥について書いたが、今回は空である。青い空、本当にすがすがしく広い気分になる。そして、じっと見上げていると、小さな自分が吸い込まれていくような気分にもなる。台風や雷など、困る自然もあるが、快い自然も多い。世知辛い世の中だけに、伊藤さんの言われるように、身近な自然をより意識して過ごしたいものだ。それにはまず外へ出ること、ウォークは最適だ。また家庭菜園も良い。
 ボクも今日は急に暖かくなった陽気に誘われ、畑に出て、まもなく始める春野菜の植え付けの準備をした。


川柳&ウォーク