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第46号  2008年2月

(第901話) 誕生日とは 2008,2,29
 “先日、職場で知り合った一回り年下の女性に、誕生日のプレゼントとして、手織りのマフラーを贈りました。彼女は恐縮しながらも、笑顔で受け取ってくれました。
 翌日、彼女はお礼の言葉と共に、「今までは誕生日が母親に感謝する日だなんて思ってもみませんでした。でも、昨日は電話で母に、『生んでくれてありがとう』と言いました」とうれしそうに報告してくれたのです。
 私はマフラーに添えたお祝いのカードに、「あなたの誕生日は、あなたを生んでくださったお母さんにありがとうと感謝する日でもありますね」と書いたのですが、それに共感してくれたようです。
 殺伐とした事件が多い最近ですが、日常のほんの小さな優しさが穏やかな社会をつくっていくのではないか。私にはそんな気がするのです。”(2月5日付け読売新聞)

 埼玉県越生町のパート従業員・長峰さん(女・57)の投稿文です。こういう考え方もあるのかと感心する。その年齢まで成長したことを祝ってもらう、それが誕生日祝い、と一般に考える。しかし、もう一つはそんな年まで生きられたことに、産んで育ててくれた父母や周りに感謝するのが誕生日なのだ。成長したら「貰う」ではなく、「与える」でもある。「もう誕生日など嬉しくないわ」といわれる人は、特に考えねばならない。

(第900話) 特養で絵画教室 2008,2,27
 “地元の特別養護老人ホームで入所者を対象に毎月、ボランティアで絵画教室を開いて今春で丸20年。稲沢市北島町の画家・森田禎子さん(89)は4日も、同市六角堂東町の特養ホーム大和の里で、入所者24人にクレヨンでの絵描きを指導した。「絵のおかげで毎日が充実している。皆さんに、絵を描く楽しさが少しでも伝われば」と熱心に入所者たちにアドバイスを続ける。
 教室が開かれるホーム2階の一室には、四人掛けのテーブルが並び、絵画好きの入所者がいすに座ったり、車椅子でテーブルに向かったりと思い思いのスタイルで画用紙とクレヨンセットを前にする。(中略)
 「毎回、素直に自分を出して描く皆さんに、いつも飾らず生きる大切さを学ばせてもらっています」と森田さん。自然体で今後も、絵画の楽しさを伝えていく。”(2月5日付け中日新聞)

 現在89歳の女性画家が20年間毎月、休むこともなく特養ホームで絵画教室を開く、全く素晴らしい人がみえるものだ。また、森田さんは「モリタ会」を主宰され、毎年絵画展も開かれているから驚きだ。中日新聞地方版の記事からであるが、全国版にしてもいいような話である。
 と、感心して言うが、実はこの森田さんの家族の方と妻が知り合いで、わが家では毎年干支を描いた色紙をいただくのである。今年も石榴の実とねずみ3匹を描いた色紙をいただき、食堂に飾ってある。
 特養(特別養護老人ホーム)には、昨年からわが老母もお世話になっており、時折行くと、母の書いた絵や習字が飾ってある。こんなこととても家庭ではできることではない。施設の人やボランティアの人があってこそできること、ありがたいことである。
 森田さんが特養で絵画指導を始められたのは69歳のことになる。ボクなどその年まででも大分ある。身近にこんな素晴らしい人があるのに、惰眠をむさぼっているわけにはいかない。

(第899話) 和歌で克服 2008,2,25
 “5年前に会社を退職し、私はしばらくの間は老後に向けての充電期間と考えていた。だが、昨年の秋に脳梗塞になり、生死をさまよう羽目になった。
 当初、声を出すことも、文字を書くこともままならなかった私に、医師は和歌を詠むように助言した。文字を書き、辞書を引くといったことのほか、和歌を作るためにあれこれ考えるという行動が脳を活性化させ、脳機能の回復に効果があるとのことだった。
 医師の言う通りに和歌作りに励んだところ、今では以前のように歩くことができ、思考力も回復した。どうやら和歌の才能はないようだが、医師の助言には心から感謝している。”(2月5日付け読売新聞)

 東京都の志田さん(男・68)の投稿文です。和歌を詠めば、考えることで脳を使い、辞書を引くことで指先を使う、脳梗塞に良いことは分かる。しかし歩くことまで効果があるとは思いがたい。いや、題材を求めて出歩けば足に効果がある! 歩くこともただ歩くことだけを目的とするよりも、他に目的を持った方が意欲がわく。志田さんの回復はいろいろな努力をされ、その相乗効果であろうが、言われるように和歌の効果は大きかったのであろう。
 和歌が良ければ、川柳も同様に良いだろう。さあ、脳梗塞治療中の皆さん、ボクが主宰する川柳連れ連れ草においでください。メールで句を送って頂ければ、更に指の訓練にもなろう。この効用は何も脳梗塞に限らない、恋の病でも・・・ほとんどすべての病に効くと思う。元気になりたい人の来院をお待ちします。

(第898話) 師匠は老妻 2008,2,23
 “私たち夫婦は、今春四月に結婚46年目を迎えます。仲良く古希を過ぎました。健康状態もまずまずです。
 もう10年ほど前から、妻が「私より先に絶対、死なないでね」と言うようになり、私はもしもそうなったときは、自分ですべてをしなくてはならないことを意識する日々となりました。私は「じゃあ、これから料理を教えてくれないか」と妻に言いました。もともと、私は少年時代に病弱だった母に代わって父と台所に立った経験があり、ずぶの素人ではなかったのです。定年後の約10年、四季を通じて妻の特訓を受け、なんとか基本程度は身につけました。
 「どうかね、最近の味は・・・」と私が言うと、「隠し味でいいから、もう少し酒を・・・」と厳しい師匠。なかなか及第点をくれません。私はそこで考えました。もしも私が完ぺきなまでになると、妻の生きがい(私への特訓)がなくなるのでは・・・です。だから、私はこれからも、ずっと未完成でゆこうと思っています。”(2月5日付け中日新聞)

 岡崎市の大原さん(男・72)の投稿文です。また殊勝な男性がいるものだ。こういう人がいるからこの「話・話」も続くのである。
 夫が妻より先に死ぬ、そして妻はその後の人生を謳歌する、これで夫婦の均衡が成り立っている。妻が先に死ぬ・・・ボクなど考えたこともない。でも、先月の同窓会で妻を亡くした同級生がいた。全く哀れだと言っていた。
 大原さんは妻の願いをキチンと受けとめ、精進する。しかし、完璧になると妻の生き甲斐を奪うことになり、未完成のままでいいと気付かれる、全く麗しい夫婦愛である。しかし、ボクの妻などは、料理など全くできないボクより絶対先に死ねないと思っているはずだ。ボクの方が妻思いだと思うが・・・・。

(第897話) 診察 2008,2,21
 “ナミコさんはある数値が少し高いため二ヵ月に一回医院に行っている。
 先日の診察室でのこと。先生(医者)が聴診器を持って「ちょっと診ましょう」。ナミコさんがブラウスを脱ごうとすると、先生は「そのままでいいですよ」と止めた。ナミコさんはいたく感心しながら帰った。娘に電話して伝えた。「聴診器も発達したね。今はブラウスの上からでいいのよ」
 娘が「え」と言った。「私、この間カゼひいて受診したけど、先生は上を全部脱いで、と言ってから聴診器を当てたよ」
 「ええ〜っ」娘は三十になったばかりである。年代で脱がすのか、けしからん。ナミコさんは、近所の年上のおばさんにその話をした。彼女は言った。「あら、あなたいいほうよ。私、この間、腹痛で受診したのに、あの先生はデニムのジーパンの上から触診したのよ。デニムよ。布地の検査かっ。薬で腹痛は冶ったけど、腹立ちのほうが治らない」
 いや、笑いころげてはいけない。先生、おばさんにも納得のいく診察をしてください!“(2月3日付け中日新聞)

 これは300文字小説ではない!、小川由里さんの「おばさん事典」からです。さすが作家、うまい、面白い。でもこれは実際の話なのか・・・・そうであればこの医者もなかなかなものだ。それにしても女性はいくつになっても見られたいのか・・・でも、見られれば嫌らしいと怒り、時にはセクハラといい、見られなければ無視されたと怒り、何とも扱いにくいものだ。まあ、近寄らないに越したことはない。

(第896話) ラブレターの行方 2008,2,19
 “「ダメや」グシャグシャと便せんを丸め、僕はため息をついた。これも失敗。気がつけば、部屋中、紙くずだらけ。まったく、いつになったら満足のゆくラブレターが書けるのやら。
 急に嫌気が差し、苛立ちまぎれに丸めた手紙を投げ捨てた。それが、偶然、開け放していた窓の外へ。拾いに行く気も起きず、僕は机に突っ伏した。しばらくして、その窓から、紙ヒコーキがスウッと舞い込んできた。驚いたことに、それは、僕の投げ捨てたラブレターで折られていた。翼のすみに、赤ペンで50点と書いてある。
 慌てて窓の外を見たら、,楽しそうに走り去っていく彼女の後ろ姿。よーし、もう一度。僕はまた、机に向かった。”(2月3日付け中日新聞)

 松阪市の家業手伝い・牧野さん(男・20)の「300文字小説」です。ホンワカと、気持ちが温かくなる小説である。ボクはこういうのが好きだ。牧野さんがんばれ!
 1月6日の中日新聞に「300文字小説・第1回受賞作」が発表されていた。投稿総数4351作の中で最優秀賞はこの「話・話」で、2007年10月3日に紹介した「(第831話)朝の生卵」であった。優秀賞3編の内のひとつは2007年7月8日に紹介した「(第792話)何が何だか」であった。やはりホンワカ温かくなる話である。再度読んでもらうといい。

(第895話) 窓開けシャッフルクイズ 2008,2,17
 2月3日付け中日新聞のほろほろ通信は、ボクの卒業した小学校の話題であった。それは冬季の風邪の流行防止に、教室の窓を開け放って換気をするようしているが、その推進に「窓開けシャッフルクイズ」というユニークな取り組みを4年前からしているという話である。

 “まず保健委員会の児童が相談して、その年のテーマを決める。「先生の好きなスポーツ」とか「子どもの時になりたかった職業」とか。今年は「先生の好きなお笑い芸人」と決まった。毎日、保健委員は順番に先生たちにこっそりと聞きに行き、先生の答えたお笑い芸人の名前を組み入れて十三文字のひらがなの言葉を作る。例えば「きとうせんせいこじまよしお(鬼頭先生小島よしお)」「こうちょうせんせいらくたろう(校長先生楽太郎)」という具合に。
 学校は一日に三回、全校児童が校庭に出て遊ぶように指導していて、この時、教室の窓も開け放たれる。開けたというサインに、一年から六年までの十三クラスは、保健委員から朝に渡された、ひらがな一字の大きな紙を窓に張り出す。ひらがな十三文字の言葉は、バラバラにシャッフルされている。
 ここがポイント。全校児童は校庭から窓を見上げて、文字を並べ替えながら言葉を考える。窓が一つでも開いていないと解答ができないので、注意されるクラスも。そしてクラスごとに答えを提出し、翌日のお昼の放送で答えと正解したクラスが発表される。昨年は正解が一番多かったクラスに「窓開けがんばり賞」が授与された。
 楽しみながら健康管理もできるというアイデア。みんなが熱心になり、差がつかないほどの正解率になってしまったことが、うれしい誤算だという。”
 
 ボクの孫も通っており、この記事を読んで内容を確認した。確かであった。ただ低学年は芸人の名前まで分からないので、先生の名前を当てるだけのようになっていると言っていた。久々母校の名前を新聞で見かけ、ローカルな話であったが紹介した。

(第894話) 大凶 2008,2,15
 “「大凶」。私の今年のおみくじ。ちょっと信じられない。そんなのがあったなんて。引いたとき、[そういえば去年は凶だったな」と思い出した。次に「凶が出たのに、人生顧みることもしなかったし、日常生活の注意も生活改善もしなかったから、いよいよ大凶で脅されたかな」と思った。
 あれから会う人ごとに話している。一番多い反応が「大凶? そんなのあるの?」「凶ならあるけど、大凶?」。そんなに大凶、大凶と言わんといて。次に多い反応は「金返せと言ってやりなさい」と神社へのあてつけ助言。
 こんな友人もいた。しみじみと「大凶って、大吉より少ないんじゃない?」「宝くじ買ったら当たるかも!」。「大凶は大吉につながるって言うよ」と教えてくれた友達もいたっけ。今日また友達からメールが来た。「おみくじについて調べてみたの。凶はおみくじ箱からメ(芽)が出るっていうことやよ。大凶は大きな芽だよ!」皆、お付き合いありがとう。どんな助言も励ましもひと言も、楽しく面白くうれしかった。大凶にはびっくりしたけど、今とっても大吉気分です。”(2月2日付け中日新聞)

 岐阜県笠松町の会社員・加藤さん(女・44)の投稿文です。加藤さんの文で大凶はまさに大吉であることがよく分かる。いろいろ話題を提供できた、こうして投稿文も書け採択もされた。ボクもかなり昔のことだが、大凶を引いたことがある。大吉になったかは覚えがないが、でもまだ平穏に生きている。
 ある人はおみくじを引いたら吉と凶であったという。その話から、自分が気に入るおみくじまで引け続ければいいと思いついた。物事は一番新しいものが真実である。

(第893話) しかり役 2008,2,13
 “小学生がデパートで走り回る子供を注意したという、「勇気出して子供を注意」の投書(19日)を感心しながら読みました。私も子供の目に余る行為を見掛けた時は注意しています。
 私が子供のころは、いたずらをしている子やいじめっ子を見掛けたら、近所の人たちがしかったものです。戦中戦後の何かと厳しい社会の中でもまっすぐ育つことができたのは、周囲の温かい目があったからだと思うのです。子供の気になる行為を見掛けた時は勇気を出して注意する。誰にでもいつでもできます。とりわけ、人生経験の豊富な、私たち高齢者のはまり役ではないかと思います。自分の行動にも気を付けるようになるというおまけも期待できます。
 注意する際の私のモットーは「明るく、短く、優しく」です。言うことを聞いてくれた時には「ありがとう」の一言も忘れません。”(1月29日付け読売新聞)

 盛岡市の主婦・兼平さん(70)の投稿文です。。注意する場合「明るく、短く、やさしく」そして「ありがとう」は記憶したいこと。しかし、これも言うに易し、行うに難しである。特に最近は、子供を注意すればその親に小言を言われたり、大人に注意すれば刺されたりと言う話も多い。こんな話が広まってますます他人に関わろうとしなくなる。
 某鉄道会社が走る車内を巡回し、体の不都合な人に席を譲るように頼んで回る人を配置したという記事を読んだ。その人には警備員も付けるという。そんな世の中になったのかと、ただただ頷くだけである。
 最近ボクの学区でも小学生の送り迎えに大人が付き添うようになった。こんな世の中になったことは悲しいが、他人の大人と子供の接触の機会にはなっている。接触すれば言葉もかけやすくなる。こんな効果もあると思う。

(第892話) 書き初め 2008,2,11
 “「粒々辛苦」。これは私が昨年書いた書き初めで、こつこつと苦労を重ね努力するという意味です。私は昨年一年間、勉強やスポーツなど何事にも努力して頑張ろうと思い、この字を選びました。しかし、テスト期間中に勉強の計画を立てても実行できず、勉強がたまってしまうと途中であきらめてしまうなど、何一つ目標に向かって努力できませんでした。
 だから今年は、初めに思い立った志や望みを最後までくじけずにやり通したいと思い「初志貫徹」と書きました。私はこの一年、一度決めたことは最後まであきらめずやり通せるように、自分に厳しくありたいと思います。
 みなさんも今年の目標に向かって、一緒に頑張ってみませんか。”(1月18日付け中日新聞)

 多治見市の中学生・野原さん(女・14)の投稿文です。またまた若い人の文を使わせてもらいました。ボクは習字を習っていなかったからか、書き初めに関心もそういう習慣もなかった。書き初めとは、1年の目標、心がけ等を書くものだとすれば、何と良いものだろう。この機会に目標や心がけを考えるだけでも良い、粒々辛苦、初志貫徹、いいではないか。それを1年、目につくところに掲げて心を引き締める。これぞ惰性になりがちな大人がしなければならないこと、習字を習う子供だけのものにしておくことではない。こんなことをしてみえる大人を知りたい。
 同日の新聞に「中学生・高校生」というページがあり、そこに「2008年こそ!私の目標」という欄があった。“一期一会。その時その時の出会いを大切にし、多くの人との出会いを通してさまざまなものを得て、自分の意思をしっかりと持つことのできる年にしたい”(愛知・高校二年)とか“今年の目標は、「先のことを考えてから行動する」です。少しでも心残りをなくせたらいいなと思います。もうひとつの理由は、「T・P・O(時・場所・目的)」を考えて行動したいからです。”(名古屋・中学2年)があった。この純粋さに僕らは太刀打ちできない。僕らもこういう時代があったのだ。思い出してみる必要がある。

(第891話) 5ゲン主義 2008,2,9
“モノづくりの世界で大切にされる言葉があります。現場、現実、現物、原理、原則を重視する「5ゲン主義」です。政治、行政などの仕事にも生かせませんか。
 京三電機元社長の古畑友三さんが生産方法を追求する中で、この考えを編み出し、提唱しました。「現場に行き、現物を通して、現実を見る」という“3現”主義に、「原理、原則を判断基準に考える」の“2原”主義を加えた教えです。共感した労働研究家の森清さんが働くこと、生きることにも通じると次の五つの実践を呼びかけています(「働くって何だ」岩波書店)。
 (1)現場に学ぶ姿勢を大切に(2)現実を見る目を養う(3)現物を大切にする感性を高めよう(4)原理を知るように努めよう(5)原則を踏まえること
 これから仕事に就こうという若者向けのメッセージですが、すでに働いている人たちも学ぶべき内容でしょう。政治や行政に携わる者にも重要な視点だと思われます。”(1月27日付け中日新聞)

 社説からです。ボクは土木事業の現場で多くの期間を過ごした。そして本当に現場の重要性を感じている。しかし、世の中は逆の方に動いている気がして仕方がない。現場は厳しいのである。誰もが楽の方へ、楽の方へ流れる。そして、現場離れをしていくのである。
 更に組織の上でも現場は下部に属することが多い。権限も小さい。最近の偽装問題など現場を軽視した結果が目立つ。また、現場を重視するだけだと、大きな間違いも起こす。ここには原理原則を忘れぬようにしなければいけない。この5ゲン主義も言うは易く、行うは難しであるが、それだけにいつも心しておかねばならぬことである。

(第890話) カレイが届けた 2008,2,7
 “千葉県・犬吠埼の沖合で揚げられたサメガレイの表にくっついた状態で見つかった十五年近く前の手紙が二十五日、「差出人」の早稲田大二年の白髭奈津実さんの元に戻った。
 手紙は白髪さんが川崎市立宮崎小一年のときに学校行事で風船に付けて飛ばした。銚子市漁業協同組合から学校を通じて連絡を受けた白髭さんがこの日、銚子漁港を訪れた。発見者の底引き鋼船「第8大徳丸」の船主君野喜好さん(51)から手紙を受け取り「見つけてくれた人にもカレイにも感謝します」と満面の笑みを浮かべた。
 手紙には「このおてがみを、ひろったかたは、おへんじをください。しらひげなつみ」などの文面や学校名が書かれ、君野さんは「あり得ない出来事で、大切に取っておいてほしい」と話した。”(1月26日付け中日新聞)

 15年前の手紙をカレイが届けたという、記事からです。小学生が風船に手紙をつけて飛ばし、それが縁で交流が始まった話は、2005年12月20日の「(第492話)風船のきずな」のように時折あるが、15年後、カレイがというのもまさにニュースである。船主が届けたというのが本当かもしれないが、それは話の面白さ、世の中いろいろあって楽しい。君野さんにも白髭さんにも生涯忘れられない楽しい出来事になるであろう。ボクにこんな出来事はなかったか、考えてみたが出てこない。種を蒔いておかなければ生えてこないと言うことか・・・。

(第889話) 辞書は楽しい 2008,2,5
 “十年ぶりに「広辞苑」が改訂されたので、親におねだりして、予約してもらった。私は昨年から漢字検定試験を目指し勉強しているが、既に持っている辞書では物足りなくなったのだ。
 待望の広辞苑がわが家に届けられ一週間ほどになる。片手では持てないぐらい重くて、カバーは真っ黒。人間に例えると「頑固者だが、まじめでとても親切」といった感じだ。重くて持ち運びに不便なので、畳の上に直接置いて、見たい時はこちらから行くことにした。ただ言葉の意味を調べるためだけでなく、何となく開いたページに目を通すのも面白い。電子辞書も便利だが、紙の辞書では″よそ見読み″ができるのがうれしい。
 新しい発見があると楽しくて、辞書の前に長い時間座り込んでしまうこともある。数多くの専門家が手がけて完成されたこの辞書は、今やわが家の宝物だ。”(1月25日付け中日新聞)

 鈴鹿市の中学生・鬼頭さん(女・12)の投稿文です。また素晴らしい若い人がいるものだ。広辞苑をわが家の宝と言い、何となく開いた頁に目を通す、というのも良い。「頑固者だが、まじめでとても親切」という評価もまた面白い。
 ボクも小中学生の頃を思い出す。ただボクはとても広辞苑とはいかなく、小学生年鑑、中学生年鑑だった。畳に寝転がってよく眺めていた。
 これが大人に成長すると、週刊誌やテレビになるのはどうしてだろう。これを成長というのだろうか。

(第888話) 年賀状で掛け軸 2008,2,3
 “皆さんの家では今年も多くの年賀状が届いたと思いますが、その年賀状の活用方法はどうしていますか。私は五年前、現在地に引っ越してから床の間を持てるようになりましたので、年賀状を利用して掛け軸もどきを作っています。
 それは単なる思い付きでしたが、色画用紙をつなぎ合わせて一枚の掛け軸用の紙にして、そこに年賀状を張りつけるだけです。色とりどりに張り付けると見栄えもし、それまで知人もいなかった生活に張りも出てきました。”(1月24日付け中日新聞)

 桑名市の主婦・津田さん(56)の投稿文からです。印刷で画一的な年賀状も多いが、今年の1月19日の「(第881話)年賀状に借用」にも紹介したように、いろいろ工夫を凝らした年賀状も結構ある。そんな労作の年賀状を、ただしまい込むというのはもったいない。津田さんの掛け軸にして飾るという工夫は素晴らしい。苦労に報いることになるし、部屋の飾り物にもなる。
 実はボクも似たようなことをしている。保存しておきたいものを4、50枚選び出し年賀状ファイルに納める。さらのその中から7枚程度を選び、額縁に入れて飾るのである。1年間飾り、翌年入れ替える。今年も先日行った。もうこれを何十年も行っている。そしてある程度当然であろうが、選ばれる年賀状の差出人はほとんど同じ人である。


川柳&ウォーク