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第44号  2007年12月

(第872話) 今年を表す漢字 2007,12,31
 “今年の世相を一文字で表す漢字に「偽」と決まった。ペコちゃんの不二家、白い恋人、ミートホープ、赤福、船場吉兆・・・。賞味期限や産地、内容表示の偽装が相次いで発覚した一年であった。
 私もこの世相を表す漢字をまねて、二年前から自分自身の一字を決めている。一字で一年を語りきれるものではないが、一年の終わりという節目に今年を振り返るのは、有意義なことだと思う。
 私は自分のこの一年を表す漢字に「伸」を挙げたい。もう三十代の私だが、健康診断で身長が2cm伸びてうれしくなった。検査の誤差かもしれないが、バレエを習っていて背筋を意識して伸ばしたのが良かったように思う。また、会計の資格を取る勉強をして経済への興味が「伸びた」年でもあった。”(12月26日付け中日新聞)

 東海市の会社員・蟹江さん(女・31)の投稿文からです。社会ではない「自分」の今年を表す言葉、こんな発想もあるのだ。毎年「わが家の重大ニュース」などを記し、1年の区切りをつけているボクであるのに、なぜ気がつかなかったのであろう。簡単なことである、すぐに実行である、蟹江さんありがとう。
 妻と話し合った。その結果、わが家も残念ながら明るい言葉にならなかった。「疲」で一致した。いろいろ疲れた1年であった。でも今のボクは、この疲れは来年の「楽」につながっていくと思っている。そうそう悪いことは続かない・・・・もちろん良いことも。

(第871話) 片付かない 2007,12,29
 “よし、この年末こそ家の中をすっきりと片付けてみせる。押し入れに眠る大小の箱を三分の一に減らす。子どもたちが使っていた大きな本箱の引き出しを空っぽにする。
 取りかかろうとしていた直後、久しぶりに息子がやって来た。押し入れから古い段ボール箱類を引っ張り出し「いるものある」と聞いてみる。息子は開けるなり顔をほころばせた。「お、二十年前の単語カード。あ、中学のときにおばあちゃんにもらった記念硬貨。おお、修学旅行で買ったキホルダー。懐かしいなあ」くすんだ三角定規、さびたコンパス、古びた参考書類・・・息子は一つずつ丁寧に眺め始めた。やがて「全部、このまま置いといてよ」。
 ガラクタの数は思い出の数か。試しに娘にも電話してみる。「私のも取っておいて」結局、何も変わらない家の中。私が整理下手なのではありません。”(12月23日付け中日新聞)

 作家・小川由里さんの「おばさん事典」からです。今年のわが家は、自宅を改造したこともあって古いものをかなり処分したが、それでも年末になると妻から「片付け」の言葉が出た。農家だったわが家は父の時代のものがまだかなり残っている。農事用のものはもとより、昔は自宅で冠婚葬祭や宴会をしたので茶碗や皿など百個単位である。妻の発言に何の異論もないが、するとなるとボクにも大きな負担となる。自然ボクは消極的になる。
 小学校時代からの思い出の品もまだまだいろいろある。くすんだ三角定規、さびたコンパス、ボクばかりでないことを知った。整理法の知恵がいろいろなところで語られている。3年使わなかったら処分するという話もある。でも、処分したあとで悔やむことも多い。ボクは悔やむことが嫌いだ。

(第870話) ツバキ 2007,12,27
 “今、故黒沢明監督の「椿三十郎」の映画がリメークされ、上映されている。あの映画で隣家から流れてくる赤白のツバキは鮮烈な印象となって残っている。あの時以来、私はツバキが好きである。ことに赤の一重咲きである。花弁の赤と花心の黄、つややかな緑の葉。そのバランスのよい色合い。そしてこの花の上に白い雪が積もれば完ぺきである。
 このツバキ、江戸時代には斬首(ざんしゅ)の刑を連想させると嫌われた時もあったが、まだ十分観賞に堪えられるにもかかわらず、自ら生命を絶ち老醜をさらさないとする潔さにも感服である。
 日本ではサクラが代表的な花とされ、多くの人々に愛されている。しかしサクラのおぼろげな様より、ツバキの凛(りん)とした気高い姿、潔さの方が日本人の心情には合っているのではないだろうか。私はツバキが好きである。”

 「発言」の欄から尾張旭市の会社員・山田さん(女・58)の投稿文です。花を特に嫌いという人は少なかろうが、好きな花となると様々である。山田さんは、ポトリと花が落ちるツバキを「老醜をさらさない潔さ」と感服し、好きといわれる。面白い見方である。このポトリが嫌で、サザンカの花びらが1枚1枚散る姿の方が好きと言われる方も多かろう。花の態様も様々である。
 ボクの家には結構たくさんの草花や花木がある。どれが好きかと問われて、すぐには答えられない。それだけ観察していないのだ。この環境をもっと大切にしなければもったいない。

(第869話) スズメ 2007,12,25
 12月19日の中日新聞朝刊を読んでいて、3題も鳥や花の話が気を引いた。こんな話題を取り上げるのも少ないので、今日からその3話を掲載します。

 “身近なものほど、その大切さに気付かなくなる。スズメは田舎から都市部に至るまで日本全土に生息し、年中見かける身近な鳥だ。しかし、あのさえずりに耳を傾けるゆとりを失っている自分に気づく。スズメは集団でチュン、チュンと飛び跳ねるイメージが強いが、季節ごとに歌い方が違う。寒空の下、庭木にとまり首をすぼめている一羽を見た。そのさえずりは、陽光のぬくもりに感謝しているように聞こえた。
 人間は利便性を求め文明を築いてきたが、その犠牲となったものが地球にとってはかけがえのないものだったかもしれない。今、地球温暖化が問題となっている。だが、人間はその言葉を連呼するだけで、事態は悪化の一途だ。スズメたちが地球の未来をどんな言葉で歌っているのか聞いてみたい。”
 
 映像作家の岩木呂さんの「フォト歳時記」からです。今までもいろいろな生物が写真と共に紹介されてきたが、今は鳥である。スズメほど誰にとってもこれほど身近な鳥はいまい。でも、岩木呂さんが言われるように、さえずりに耳を傾けたりゆっくり観察したりすることは少ないのではなかろうか。
 ボクの居間から柿の木が見える。今年は沢山実が付き、鳥用に最後の20個くらいを残しておいた。その実を求めて椋鳥?が何羽とやってくる。その見事な突きようを楽しく観察させて貰った。その後にはスズメがやってきた。こんな経験はいつ以来かなと思った。そんなことを感じる位、身近な鳥を見ていなかったのだ。先日の「(第866話)近場に見所が」と同じく、こういった生物にも目を向けてみたいものだ。そして「スズメたちが地球の未来をどんな言葉で歌っているのか」聞いてみたいものだ。

(第868話) 「くらしの作文」デビュー 2007,12,23
 “娘の二歳の誕生日の夜、突然、夫から「実はね、おれ、くらしの作文に送ったんだ」と言われました。びっくりする私に、この文章を送ったのだと見せてくれました。そこには、子育ての難しさや喜び、周りの人への感謝、私へのねぎらいの言葉がつづられていました。
 振り返ると、結婚した頃の夫は、文章を書くのも読むのも苦手、新聞とは縁のない生活を送っていました。それが、私の母に勧められ、夫の新聞生活が始まりました。育児で忙しい私に、毎日面白かったり感銘を受けた記事を切り抜いてくれます。「今日面白いよ」「これ読んで考えさせられちゃったよ」などと、二人で話をするのが日課となりました。でもまさか、夫が自分の文章をいつも読んでいる「くらしの作文」に送るなんて。
 「結構、苦労したんだ。二歳の誕生日までに載るといいなっと思って毎日ドキドキしてたけど、やっぱりダメだったよ。まだまだだね。ごめんね」。照れくさそうに言う夫を見て、一生懸命書いている姿が浮かび胸が熱くなり、涙があふれました。”(12月12日付け中日新聞)

 愛知県大口町の主婦・伊藤さん(28)の投稿文です。文章を書くのも読むのも苦手な人が、ちょっとしたきっかけで読むようになり、果ては書くようにもなる。くらしの作文は身近なテーマだけに取っつきやすい。それも身近な人に感謝する文章となると、これまた更に良い。これぞ人生、楽しいではないか。
 今のボクはこの「話・話」始め、毎日のように文を書いている。学校時代国語が得意だったかというとそうではない。文学に無縁なボクが全くおかしなきっかけで、35歳から川柳を始めるようになり、その中で文を書く機会もできる。そして日記も書き始めた。書くことに慣れてくる。投稿なども頼まれれば気軽に引き受けるようになる。上手下手は抜きにしてよかったと思う。何事にしろ、きっかけは日々身の回りに渦巻いている。その時触れてみる気が起こるか、何気なくやり過ごすか、それによってその後が大きく変わることになる。

(第867話) 大人の役目 2007,12,21
 “地域住民と交流を深めようと名古屋市中村区で聞かれた「餅(もち)つきと豚汁の会」。主催者の一人、古橋欽治さん(53)は「地域で子どもを育ててるんです」と胸を張った。「近所づきあいだから仕方なく」と話す人はいない。一家で参加し、餅つきやしめ縄作り、ベーゴマなどのゲームを楽しむ会場には、200人の笑顔があふれていた。
 始まったのは5年前。地区のソフトボール大会に参加したチームの少なさに、古橋さんが危機感を抱いた。「なんとかしなきゃ」。各チームの監督らが集まり、地域で触れ合う必要と話がまとまった。ほかの親たちも支えようと企画に協力し、この会が生まれた。地区では、夏の盆踊りや秋祭りも行っている。
 「行事のおかげで、町中でもあいさつする人が増えた」と古橋さん。時にはほかの家の子どもを注意することもあるとか。危機感を抱いた親が実際に動いた結果、地域のつながりが戻り、子どもも生き生きと遊ぶようになったようだ。”(12月12日付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」という記事からです。ボクが住んでいる昔からの地域でも地域交流は本当に少なくなったものだと感じる。子どもの頃の村の行事を思い出すと、本当にいろいろあり懐かしく思い出される。別のものが生まれたのかもしれないが、無くしたものの方がはるかに多い気がする。
 もう10年も前のことになるが、ボクが村の役員をしていたときに「ふれあい祭り」というものを企画し、実行した。ミニ運動会や餅つきも入れた。村中の人が出て盛大な催しになった。次の役員の方も実行され、数年続いたところで、日本中を騒がせた毒カレー事件が起こった。そんな事件が起こったらどう責任を取るかという意見が出たようで、その時から中止になった。残念である。
 今までは静かだったわが村も、防犯上小学生の下校時に、役員が付き添うようになった。これも1つの大人の役目、交流の方法であろうが、主旨がいかにも淋しい。古橋さんのような地域作りはなかなかできることではない。強いリーダーシップが必要である。

(第866話) 近場に見所が  2007,12,19
 “私は毎年、春と秋に奈良と京都へ行くことにしている。神社仏閣や名所旧跡がいくつもあり、飽きることはない。手軽な料金とあまり時間がかからないのも魅力だ。
 今年は十一月中旬に出掛けた。もちろん、紅葉を楽しむためである。しかし、今年は暖かかったせいか紅葉はまだ早く、正倉院展などを見学することにした。
 こんなこともあり、今年はきれいな紅葉は見られないとあきらめていた。ところが先日、近くの温泉に出掛ける途中、300mほど道の両脇にドウダンツツジが見事に紅葉しているのに出合った。四季咲きのサクラも咲いていて、思わず立ち止まって見入ってしまった。何か大発見をしたようでうれしくなった。私たちはともすると有名な観光地に行きたがるが、近くにもこんな素晴らしい所がある。あらためて古里の素晴らしさを実感した。これからは無理をし人で混雑する所へ行くことはないと思いながら、ゆっくりと温泉につかった。”(12月12日付け中日新聞)

 豊川市の公務員・松下さん(男・60)の投稿文です。この話には思い当たる人が多かろうと思う。意外に近場は知らないのである。こういった意味でも一宮友歩会の運営に意義を感じている。歩きながら地元を知る、知ってもらう、こんな意識でコースを設定している。例えば、史跡巡りシリーズでは城跡(館跡)をできるだけ盛り込むことにしている。本で調べて、行ってみるがなかなか分からない。地元に人に聞く・・・分からない。やっと探し当てると、立派な碑が立っている。こんな立派な碑があるのに、近くの人が知らないとは・・・こんな経験はもう何度とある。つい先日も、ボクの家から車で10分とかからないところに城跡があることを知った。行ってみたら立派な碑が立ってる。いつも通る道の1本となりの道沿いであった。史跡ばかりでなく、紅葉でも桜でも少し探せば、近場に見所は沢山ある。歩いてふるさと再発見、これもウォークの楽しさの一つである。

(第865話) 通勤ストーリー 2007,12,17
 “通勤電車には、いろんなストーリーが詰まっている。今朝はサラリーマン風の男性二人。
 「今夜どう? 一杯やらないか」 「ごめん、映画を見に行く約束があるんだ」
 「なんだ残念。そう言えば今度の日曜日、企画部と合同でバーベキュー宴会やるらしいけど、行くだろ?」 「あー、その日は葬式が入ってるから無理だな」 「そうか、そりゃ仕方ないなあ」
 その後もたわいない会話は続いたが・:。
 今日は、まだ火曜。日曜日に葬式があるなんて、なんてなんでわかるんだ?”(12月9日付け中日新聞)

 300文字小説より三重県菰野町の会社員・川瀬さん(女・44)の作品です。小説ではあるが、実際にありそうな話である。ただ法要ならまだしも、葬式はまずかったな・・・・とっさに出た理由ではあろうが・・・・。だが、これで面白い小説1編のできあがりである。
 断るのに、イヤだからと単刀直入に言うと角が立つので、冠婚葬祭を理由とする。親戚、隣付き合いが希薄になったといっても、まだまだ冠婚葬祭は避けられないものという認識が一般にある。誰もが1度や2度は思いたることがあるのでは無かろうか・・・(ボクははるか昔のことではあるが、ある)。

(第864話) 四つ葉のクローバー 2007,12,15
 “甚目寺町にお住まいの林春代さん(61)が、ご主人と祖父江緑地へ散歩に出掛けた時のこと。ご主人が続けて歩いている間、林さんは川岸で少し休憩をしていた。川のはるか向こうの伊吹山をぼうっと眺めていたら、ふと二番目の娘さんのことが思い出された。一人暮らしをしているので、きちんと食事をしているのか、事故に遭ったりだまされたりしていないか。考え始めると、次々に心配が膨らんできた。
 その時だ。林さんの前を通り過ぎた四十歳くらいの女性が、くるっとUターンして戻ってきた。そして、手にいっぱいの摘み草の中から探して、一本のクローバーを差し出した。よく見ると、四つ葉のクローバーだった。突然のことで黙って受け取ると、一言も言葉を交わさぬままその女性は去って行ってしまった。その瞬間、せき切ったように涙があふれてきた。よほど悲しそうな顔に見えたのか。四つ葉のクローバーゆえに「きっといいことありますよ」と励ましたかったのだろう。
 その四つ葉のクローバーを封筒に入れてお嬢さんに送った。「遠くで見守っているよ」と願いを込めて。今もお嬢さんは、そのクローバーのいきさつを知らないという。”(12月9日付け中日新聞

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。見知らぬ二人が無言で物のやりとりをする。四つ葉のクローバー・・・・励まし、励まされ・・・・意思は十分に通じる。何か童話のような世界、温かい話だ。ボクも遭遇したいものだ。
 この娘さんは多分20代、ヒョッとして30代かもしれない。そんなに成長した娘さんを親はまだ心配する。親にとって子どもはいくつになっても子どもではあるが、親というのは愚かなほどにありがたいものだ。特に母親は・・・もう自分のことを心配しなければならない歳なのに・・・・父親は冷静である・・・・わが家を見ていると・・・。
 四つ葉のクローバーの意味などについては、2005年4月15日の第257話を併せて読んでもらうといい。

(第863話) くらしの作文 2007,12,13
 中日新聞家庭欄に「くらしの作文」と言う投稿欄がある。この「話・話」にも時折活用させて貰っている。投稿者は時折男性もあるが、女性がほとんどである。その欄が満55年になると言うことで、今「私とくらしの作文」と題した投稿募集が進められている。今日はその中からの1編です。

 “初めて、「くらしの作文」に投稿し掲載されたのは、高校生の時でした。もう一人の自分が紙上で息づいているように思えて、うれしく思いました。
 当時はカット入りで、美人の親子に描いてくださったせいなのか、十代の若さ故か、はたまた戦争で夫を亡くした母と山へ「植林」に行った作文に共鳴してくださったのか、大勢の方から手紙をいただき、学業の合間に返事を書きました。千円の謝礼で、長いこと渇望していた電気アイロンを九百五十円で買ったのです。制服がどれだけお世話になったことか。
 それから、「投書婦人」の叔母たちに感化されて再び原稿用紙を取り出したのは、今から十年ほど前からです。係の方から「○日に載りますから」と知らせをいただくと、農作業の疲れも心地よかったものです。心の陰陽を書くのは、不思議と丑三つ時なのです。”(12月5日付け中日新聞)

 長野県南木曾町の農業・田口さん(女・64)の投稿文からです。「くらしの作文」はまさに日常生活で、心に残ったことを綴る欄である。嬉しい話、悲しい話、何か人に話したいとき、文章力のある人が投稿されるのであろう。そういう人に支えられて55年継続してきたのである。テーマが「くらし」という身近な話で、読者にも受け入れられたのであろう。
 新聞に自分が関係した何かが載るというのは、時には全く迷惑なこともあるが、普通には嬉しいものである。特にこうして自分の意思で投稿したものが掲載されたときはさらに嬉しいものである。多分、中日新聞がある限り続く欄ではあるまいか。

(第862話) OB会の清掃活動 2007,12,11
 “名古屋市港区にある会社のOB会による工場周辺歩道の清掃奉仕活動がこのほど行われました。毎年恒例のものですが、今回は三十九人が参加しました。清掃区域は歩道だけでしたが、通行車両に十分注意しながら行いました。そこで気付いた点はたばこの吸い殼や空き缶、ミカンの皮などが多く捨てられていたことです。車からの投げ捨てか否かは分かりませんが、特にたばこの吸い殼は火事になる恐れもありますので、投げ捨てずに自分で始末することが大事だと痛感しました。
 このOB会の清掃奉仕活動は会員同士の親交、近況報告などもありますが、今後も健康に注意しながら続けたいと思います。”(12月5日付け中日新聞)

 愛知県知多郡の石橋さん(67)の投稿文からです。最近はボランティア活動に関心の高い人も多くなり、いろいろな団体がいろいろな活動を行っている。特に愛知県では、愛・地球博時にボランティアの募集があり、3万人近い人が集まった。そして万博後にもNPO法人愛・地球博ボランティアセンターが発足し、活動を続けている。ボクも会員となっている。
 石橋さんはOB会による会社付近の清掃活動であるが、ボクの会社では今年から現役社員による会社付近の清掃活動を始めた。今年は2回実施したが、来年は4回実施することになった。
 またボクはOB会による清掃活動にも参加している。愛・地球博の会場は今、愛・地球博記念公園として整備されている。その中に日本庭園があり、そこの草取りである。今年6月から月1回行っている。先日の会合では、会に名前をつけ、揃いのシャツも作ることになった。だんだん遊び心も高まってきた。そうして行くと参加者も増え、続いていくだろう。どんな形でもいい、良いことは続けることが肝心である。

(第861話) 時は流れて・・・ 2007,12,9
 中日新聞には「紙つぶて」という著名人が短い随想を綴る欄がある。今日はタキヒヨー社長の滝さんの「時は流れて・・・」の中から話題にします。

 “宣教師フランシスコ・ザビエルが母国にあてた書簡で「日本人ほど善良なる性質を有する人種は、この世界にてきわめて稀有なり。彼らはいたって親切にして、虚言を吐き、詐欺を働くがごときはかつて聞きも及ばず、かつ甚だしく名誉を重んじ、その弊はかえって彼らをして殆ど名誉の奴隷たらしくがごとき観ある」と綴っています。その精神は、明治、大正、昭和と脈々と引き継がれていっているはずなんですが・・・。
 最近のある缶コーヒーのCMでは、宇宙人ジョーンズ氏に「この惑星の住人は物欲に支配されている。生きるために必要な物はそんなにあるはずがないのに」とか「この惑星の住人は絶えず競い合い、無意味な順位をつけて喜んでいる」と言われてしまっています。どこでどう間違ったんでしょうか?”(11月29日付け中日新聞)

 前回に続いて人間の欲の話である。普通の人間にとって食は命の源であるが、「欲」も生きる源とも言える。食は食べなければ死んでしまうが、欲は無くても死ぬわけではない。しかし意欲はわかぬ。意欲のない生活は死んでいると同然である。
 欲にはいろいろある。食欲、性欲、名誉欲、金銭欲等々いくらでも上げられるが、滝さんが指摘されているのは物欲である。そして一般に欲には限りがなく、限りなく増殖するのである。増殖しても人間性や人間関係や地球環境を悪くしなければいいが、それがするから問題である。特に近年は物欲のせいで地球環境の悪化が見えてきたから、より問題になるのである。もう予断を許さないところまで来ている。問題意識を持たねばならない。
 ザビエルが言うほどの日本人だったとしたら、現代日本人はいかに多くの徳を喪失してきたことか、これも考えなければならない。考えなければならないことばかりである。いささか堅い話になった。

(第860話) 命の源 2007,12,7
 “食品が相次いで値上げされた。人間は食物連鎖の頂点に立ち、他の動物や野菜など生命のあるものを食べて命を永らえている。食事をする時、このことを感謝しているだろうか。野生の鳥獣は食べ物を探し出すことができないと、死に直結する。毎日が生と死の隣り合わせなのだ。
 私たちは少人数の家族でも大型冷蔵庫を備え、食料をいつも大量に保存している。各地で大食い競争が開かれ、食べ放題のバイキング料理は人気を集めるなど飽食のし放題だ。食べ過ぎて病気を背負い込むのは自業自得と言える。
 今回の一連の値上げは天の計らいである。食べ物が命の源であることに感謝し、食事は腹八分目に抑えなくてはいけない。「多欲の人は、利を求むること多きがゆえ苦悩もまた多し。少欲の人は、無求無欲なれば、すなわちこの患いなし」と、お釈迦様は述べている。”(11月28日付け中日新聞)

 近江八幡市の僧侶・西沢さん(58)の投稿文です。飽食社会において、食物の大切さを訴える文である。食物が値上がりし始めた機会に、命の源である食物に感謝し、腹八分を心がけようというわけである。食物の大切さについては、2007年7月30日の「(第803話)食物の浪費」など、この「話・話」でもう何回も取り上げた話題である。西沢さんの話はもっともであり、値上げを機会によく考えたいものである。
 同日の投稿欄には「原油高騰期に生活見直しを」「食品廃棄前に割引販売して」「宅配サービスのロスも考えて」といった浪費や便利さ追求を見直す意見が載っていた。編集者の意図もあろうと思うが、こうした意見が多くなったのも事実であろう。
 お釈迦様の多欲小欲の言葉は、先日の老子の「足を知るもの」と通じる言葉である。少し探せば、身になる言葉はいたるところにあるものである。

(第859話) ビッグイシュー(その2) 2007,12,5
 “ホームレスの人たちの自立を支援する雑誌「ビッグイシュー」が好評だという。この雑誌のことを新聞で知った私は、一度買ってみたいと思っていたが、やっと願いをかなえることができた。
 久しぶりに訪れた名古屋の街は、ドラゴンズの日本一にわいていた。週末のにぎわいはいつも以上で、広い歩道も人の流れが途切れないほど。そんな一角に、「ビッグイシュー」を手にした販売員が笑みを浮かべて立っていた。わずかな会話を交わしただけだったが、温かい人柄が伝わってきた。本の表紙は女優のジョディ・フォスター。インタビュー記事もあり、新鮮な内容である。特に面白いと思ったのは「ホームレス人生相談」。特集は 「自転車」で、最近、自転車通勤をするようになった夫が読めば面白そうな内容だ。薄手の本の中は、さまざまな話題がぎっしり詰まっていて、読み応えは十分。三百円は決して高くないと思った。”(11月24日付け中日新聞)

 豊田市の主婦・土田さん(45)の投稿文です。ボクも先日ビッグイシューを知ってから、一度手に入れたいと思っていたが、昨日やっと84号を手に入れた。そして、それから今日にかけて読んでいたが、感想は土田さんと全く同じである。表紙はオノ・ヨーコ、特集は偶然にもホームレス支援の本が「若者をホームレスにしない方法」であった。薄手ながら文字が小さいこともあって中味はぎっしり、読み応えは十分。コーヒー1杯より価値は高い。持ち運びも楽なので次号以後も買い続けようと思う。

(第858話) 足るを知る者 2007,12,3
 “〈求めないー/すると/いまじゅうぶんに持っていると気づく〉
 〈求めないー/すると/いま持っているものが/いきいきとしてくる〉
 〈求めない−/すると/それでも案外/生きてゆけると知る〉
 書店に立ち寄ったら、平積みされた小さな本が目に留まった。どのページにも、こんな短い句が一つずつ。どれもが「求めない」で始まっている。シンプルで、何でもないような言葉ばかりだが、引き込まれてしまった。
 タイトルも、ずばり『求めない』(小学館)。作者は、詩人の加島祥浩さんだ。人間とは、求めてやまない存在である。求める心が大きなエネルギーにもなる。しかし、現代の私たちはあまりにも求めすぎているのではないか。欲望過多の時代と言っていいかもしれない。(中略)
 このあたりで一度立ち止まり、求める心にブレーキをかけよう。加島さんはそう呼びかけている。だが彼が最も訴えたいのは、欲望を抑えることが実は本来の自分を取り戻させ、生き生きとした暮らしにつながるという点だ。信州の伊那谷で自然と向き合い、最近は老子や荘子に傾倒しているという加島さん。この作品も、老子の「足るを知る者は富む」に触発されて書いたと述べている。”(11月24日付け中日新聞)

 加藤編集局長の「編集デスク」からです。考えさせられる文である、何となく分かる文である、しかし、実行の難しい文である。ことの内容、大小は別にして、人間は、特に日本人は大いに求め実現してきたが、求めすぎた結果大きな弊害がみえてきた。求めても幸せになれないことも分かってきた。そこで「求めない」と言う加島さんの話になるわけだが、人間は求める動物だけに難しい問題である。凡人に求めないことは人生否定にもつながりかねない。体験して学び、求めないことが、加島さんの言われる「生き生きとした暮らしにつながる」ことを実感しなければ実現は難しい。

(第857話) いい夫婦の日 2007,12,1
 “「本当に好きだった」。まるで高校生の告白のようなひと言が妻に発せられのは、しかし、死の床だった▼先月亡くなった建築家の黒川記章さん。最後に言葉を交わした際に、そう言われたのだと妻の若尾文子さんが語っていた。連れあいにそう言い、また、言ってもらえる永別の時。悲痛な別れではあっても、夫妻の過ごした時間の実りの瞬間でもあっただろう。きのうは「いい夫婦の日」だった▼クリスマスのプレゼントのために、自慢の髪を売って夫の金時計にぴったりのプラチナの鎖を買う妻。そうと知らず、大事な金時計を売り妻の髪に似合うくしを買う夫。よく知られたオー・ヘンリー『賢者の贈り物』の夫婦である。理想の姿だけれど、現実、多くの夫婦は、そうまで麗しくない▼最近の生命保険会社のアンケート結果だと、平日の会話時間は三十分以下という夫婦が四割ほども。そう回答した人の三人に一人が「配偶者に愛情を感じていない」と。夫婦円満の秘訣は「話をよく聞く」が最多回答だったことを考え合わせると、ポイントは会話らしい。”(11月23日つけ中日新聞)

 「中日春秋」というコラム欄からです。若尾文子さんのインタビューはボクもテレビで見た。著名人夫婦の場合すれ違いが多く、なかなか夫婦関係も難しいと思われるのに、この発言にはびっくりした。若尾さんが黒川さんをしっかり支えていたから出た言葉ではなかろうか。
 11月22日を「いい夫婦の日」とはまた分かりやすい語呂合わせである。こんな日に自分達夫婦を振り返ってみるのもよかろう。いや、そのために設定されたのであろう。さていい夫婦とは何か・・・夫婦の実態は外からは分からない。仲睦ましくみえた夫婦が突然離婚したり、よくアレで続いているなと思う夫婦が生涯を無事添い遂げる、身近にもよくあることである。当人同士がどう思っているのか・・・片方ではない、両人それぞれがである。それには会話をして確認しあっていくことである、それがコラムの結論のようである。男性が思っているほどに女性はいい夫婦と思っていないというデータもあり、男性の自己満足は要注意である。


川柳&ウォーク