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第42号  2007年10月


(第843話) カモダザウルス 2007,10,31
 “北名古屋市の鴨田小学校の校庭に、巨大な銀色の恐竜が生息している。その名も「カモダザウルス」。全身がアルミの空き缶でできていて、高さは約4m、長さは約10mという立派なずうたいだ。なぜ学校にこんなに凝った作り物があるのか。気になって調べてみた。カモダザウルスが誕生したのは、一九九ニ年二月。前年の八月にあった交通安全子ども自転車全国大会の団体の部で鴨田小チームが優勝したことから、教職員やPTA関係者たちが「すごいことを成し遂げた子どもたちに、夢を与えるような物を作ってあげたい」と盛り上がったのがきっかけ。その年が開校二十周年の節目でもあり、「子どもたちが、自分の学校を自慢して語れるような物が作りたかった」と、当時の校長の佐々本源冶さん(七〇)は振り返る。
 そのころ、子どもたちに人気があったのが恐竜。さらに環境問題が注目される中、子どもたちにリサイクルについても関心を持ってもらう意味も込め、空き缶を使って恐竜を製作することになった。”(10月21日付け中日新聞)

 新聞記事からです。全く偶然ながら、この新聞に掲載される前日の20日、一宮友歩会の12月例会の下見で、この恐竜を見てきたばかりでした。本当に見事であった、自慢できるものである。この記事から経緯がよく分かった。こうした偶然があって、知ることはうれしい。要約して、例会時に配布しよう。
 12月の例会では「十五カ用水と大野晃翁像」も見てもらうことにしているが、インターネットで調べても全く出てこない。先日、図書館へ行って師勝町史を開いてみた。おおよそのことは分かった。こうして知ることも嬉しい。これも要約して配布する予定だ。ホームページの中でも紹介しよう。ひょっとしてボクがインターネットでは世界初の紹介者になるかもしれない。

(第842話) 還暦も良い 2007,10,27
 “この夏、ついに還暦を迎えた。人生を一日に例えたら、還暦はタ暮れの五時すぎだろうか。亡き爺さんが六十の時は随分と年寄りに見えた。いざ自分がその年になってみると、体力と視力は多少衰えたが、気持ちは若いころと変わらない。でも、孫たちから見れば、やはり「爺ちゃん」そのものに見えるだろうな。
 先日、娘たち夫婦が近くの居酒屋で「還暦祝い飲み放題の会」を計画してくれた。赤い服で統一した孫たちが「爺じ、これからも頑張ってね」と寄せ書きの色紙を、娘たち夫婦は最近「男の料理」にはまっている私に包丁をそれぞれ贈ってくれた。
 六十年のうち三十六年は結婚生活。頑固な私に妻も娘たちもよく我慢してくれたと、感謝の夜でもあった。これからは「六十にして耳順う」にならい、来年妻の還暦には今日もらった包丁でうまい料理を作ることを約束した。人生のアフターファイブ、還暦も良いもんだ。”(10月17日付け中日新聞)

 掛川市の原田さん(男・60)の投稿文です。還暦を迎えると、嘆く人が多いのではなかろうか。それを原田さんは良いものだと見直している。人生のアフターファイブと言われれば、アフターファイブが 悪いわけがない、良いことだけをやればいいのだから。現実はなかなかそうも行かないかもしれないが、でもかなりの部分はできる、また気持ちの持ちようである。
 今朝(10月27日)の中日新聞に、「がんばろう!八十歳」という投稿文があった。こんなこと言われれば、60歳などまだ始まりだ。

(第841話) クレーム対応 2007,10,25
 “先日、和食チェーン店に家族で出掛け、定食を食べた。食器が下げられた後、それに付いているはずの小鉢がなかったことに気が付いた。こうしたミスは指摘した方が店のためにもなると思い、帰り際に伝えた。レジの男性は店側のミスを恥じる様子もなく、低く小さな声で、「あ、申し訳ありません」とー言わびただけだった。無表情で素っ気ない態度も気になった。
 ふと、実家の母が以前話していたことを思い出した。ある八百屋で買った野菜が傷んでいたので、新しいのと交換してくれるように頼んだそうだ。店の主人は、「品物が悪かったと言ってくるお客はありがたい。一番怖いのは、何も言わずに黙っていて二度と来店してくれないお客だ」と言いながら、快く交換に応じ、おまけの野菜などもくれたそうだ。
 客がその店を見限るか、再び来店するかの分かれ道は客のクレームヘの対応次第だ。”(10月17日付け読売新聞)

 埼玉県加須市の主婦・田中さん(51)の投稿文です。クレームをつけられると、大方は言い訳や、時には恨んでしまう。でもクレームをつける人は少なからず腹を立てているのであるから、言い訳や素っ気ない対応ではより腹を立てさせてしまう。これが店であれば、二度と行くものかとなってしまう。冷静に、素直に考えてみれば、この八百屋さんのような対応が本当であろうが、これは人間ができていないとなかなかできない。「良薬口に苦し、忠言耳に逆らう」「苦言は薬なり、甘言は疾なり」ということわざがあるがごとしである。
 他人の場合はまだしも、親子になると更に難しい。「子を持って知る親の恩」などとその身になるまで分からない。

(第840話) 幸せになった言葉 2007,10,23
 “田原市の小学三年青山さん(8歳))から「夏のしあわせ日記2007」と題した色鮮やかな絵日記が届いた。ページの初めには「夏休みの間に私がしあわせになったうれしい言葉をたくさん集めて思い出にしてみました」とあった。七月七日付「ほろほろ通信」で小中学生の皆さんに「人から言われてうれしかった言葉を見つけよう」という夏休みの宿題を出した。それを受けて自由研究の課題として取り組んでくれたのだ。その中からいくつか紹介したい。
 (七月二十一日) 田原市の水泳大会でお兄ちゃんが二位になりました。先生が「おめでとう」と言ってくれました。お兄ちゃんのことだけど、自分がほめられたみたいにうれしかったです。
 (七月二十七日) 白馬にバス旅行に行きました。おりる時、ほかの学校の友だちに「先にいいよ」とゆずってあげました。「ありがとう」と言われました。人にゆずるのはいいことだと思いました。新しい友だちもできてうれしかったです。(中略)
 最後に「いろいろな場面で家族や友達からうれしい言葉をたくさんもらっていることがわかりました。この言葉をわすれないで、これからはわたしもみんながうれしくなる言葉を言ってあげたいです」と結んでいる。ちなみに、小学校の夏休み作品展で金賞を受賞したとのこと。おめでとう!”(10月14日付け中日新聞)

 志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。「幸せなったうれしい言葉」捜し、青山さんはそんな課題に正直に取り組み、多くの言葉を発見した。前回の石井さんの話も同類である。さらに、2007年9月13日の「(第821話)よかった捜し」も全く同様な話。言葉ひとつ、そしてその捉え方、それによって気分は全く違ってくる。人間は単純にして怪奇、なかなか難しいことではあるが、どうせなら良い方に取りたい。ボクもこの話を重視しているので、このたぐいの話が出てくると何回でも取り上げる。

(第839話) 普通に暮らす 2007,10,21
 “私たち夫婦が結婚して、今月8日でちょうど25年がたちました。先日、「あなた、私にどんな幸せをくれた?」と夫に尋ねると、「毎日、普通に暮らすことができたことだね。大きなダイヤモンドを買うことも、海外旅行に連れて行ってあげることもなかったけどね」と言いました。
 私は夫の言葉を聞き、ハッとしました。私は夫とけんかした時のことばかり覚えていて、普通に暮らせることが幸せであることを忘れていました。自分の心に住み着いていた悔しかったことや悲しかったことなどが夫の一言で吹き飛んでしまいました。言葉って、素敵ですね。
 子供たちは親元を離れ元気に暮らしています。私は夫と買い物に行ったり、一緒に俳句作りに頭をひねったりと毎日を楽しく過ごしています。普通の生活を送ることができることに感謝しながら、これからも夫婦仲良くしていきたいです。”(10月13日付け読売新聞)

 富士市の主婦・石井さん(48)の投稿文です。少し理屈っぽいが、大半の人がしていることが普通とすれば、大半の人は普通に暮らしていることになる。大半の人の部類に入っていれば、不平を言うことではない。それを幸せと考えられなければ、幸せになることは難しい。所詮、人生のこと気持ちの持ち方である。
 誰もが人に負けまいと努力し、精一杯生きている。そして普通が保たれる。普通に生きると言うことは大変なことである。普通に生きるとは素晴らしいことである。石井さんの文からそんなことに気がついた。

(第838話) 続きはあちらで 2007,10,19
 “私が教えている学習塾に2年前、「勉強させてもらえませんか」と言って78歳で入塾された老婦人がいる。
 家が貧しかったので勉強する時間がなく、「中学1年生ぐらいの勉強から始めたい」とのことだった。彼女の姿勢は「おばあちゃんも勉強するんだ」と、一緒に学ぶ小中学生たちにとっても、私にとっても励みになっていた。
 だが今年の7月初め、「私、がんになってしまいました。あと半年ぐらいの命だそうです」と打ち明けられた。驚くべき話だったが、「できるだけ今までと変わらない生活をしたい」と、その後も変わらず、「続きはあちらへ行ってやります」とニコニコと笑いながら通っている。どのぐらい.一緒に学べるのかわからないが、80歳を過ぎてなお、りんとした生き方に、私も背筋を伸ばされる思いがしている。”(10月10日付け読売新聞)

 所沢市の桂さん(女・53)の投稿文です。高齢者の高校、大学入学の話は、ボクの回りでは知らないが、新聞等では時折見る。学べなかったことが大きな悔いとして残り、時間を得た時になって、その意欲に駆り立てられるのだろう。素晴らしい意欲だと思う。
 桂さんの文に出てくる老婦人は、癌にかかり余命いくばくもないと知っても続けられる。そして「続きはあちらへ行ってやります」の言葉にはそのユーモアと意欲にはなはだ感心する。多くの人は癌と聞くと、その時点で切れてしまうのに。

(第837話) いつの間に秋 2007,10,17
 “スズムシが鳴く。ススキが穂を出す。いつの間にか秋となっている。澄み切った空気の中、虫の音がきれいになって来たような気がする。軒先にはホトトギスの花が咲き始めた。かれんだ。早朝、庭を掃いていると地面の近くでアサガオの花が静かに咲いている。垣根の外側を掃くと、緑色のドングリの実が落ちている。帽子をかぶったどんぐりもある。ほうきで集めていると、コロコロとさわやかな音を響かせている。
 坂道を忙しげに上っていく近所のおばさんの「きれいになりますね」という声が聞こえる。ふっくらとした白い清らかなお茶の花が地面に散らばっている。
 自然のなせる業に感謝したい。今日一日を大切にしながら、平凡な生活の中で秋の美しさを感じて幸せな気分に浸りたい。”(10月9日付け読売新聞)

 千葉県芝山町の郡司さん(男・57)の投稿文です。あれほど暑かった今年の夏も、10月半ばになると、さすがいつの間に秋か、という感じである。郡司さんはそんな気分をこんなさわやかな文で届けてくれた。これが日本の四季、秋である。これを感じる生活を失いたくない。しかし、朝早くから夜遅くまで働き、また家に閉じこもったりしてこんな四季を感じられない人も多い。時間を見つけてこんな気分に浸ってみたいものだ。そうすれば小さなストレスも吹っ飛ぶであろう。
 今月5日の「(第832話)月見茶会」でも日本の四季に触れた。秋はその四季を一層感じる季節のようだ。

(第836話) 笑顔が笑顔を 2007,10,13
 “友人の子供で2歳のお嬢さんの無垢な笑い顔を見て、思わず笑みがこぼれた。また別の友人の高校生の娘さんに、はじけるような笑顔で見つめられ、反射的にほほ笑み返した。相手が笑っていると、自然にこちらも笑顔になるものだ。
 相手の表情は鏡である。自分か笑顔でいれば相手も穏やかな表情をし、自分が無表情だと相手も無愛想になる。一つの笑顔は次の笑顔を生む。笑顔は周囲を明るくし活気づけ、幸せにする。朝のあいさつに、すれ違うときに、別れ際に精一杯の笑顔でいよう、と私は気をつけている。おたがいの存在を快く認めて笑顔あふれる社会になるといい。”(9月30日付け毎日新聞

 福岡県屋町の会社員・佐伯さん(女・46)の投稿文です。笑顔は伝染する、まさにそんな話。幼児の笑顔はなんの駆け引きもないことが分かっているので、だれもが素直に応じられる。
 笑顔でも無愛想に返されるときはあるが、無愛想な顔の時には必ず無愛想で返ってくる。笑顔を無理に作ることもできるが、これは疲れてしまうし、相手にもすぐに分かる。笑顔は精神状態によるので、やはり穏やかな精神状態を保てる生活態度が重要であろう。また、不機嫌でもないのに無愛想な顔をすることは止めにしたい。これは相手を不愉快にする罪だ。

(第835話) 小さな幸せ 2007,10,11
 “人通りもなく、まだ眠っているかのような早朝の静かな街に、清潔な作業衣姿のあの人は現れるのです。車のついた大きな「かご」をひいて、すみずみのごみを掃除しながら・・・。もうどのくらいになるでしょうか、わが家の前の「通り」がいつもきれいになってきたのは・・・。どこのどなたかも分からない一人の中年男性によって、気持ち良い「通り」に変化していったのです。
 早起きした時、その方がたまたま通られたので、「いつもきれいにしてくださってありがとうございます」とあいさつすると、「いえ、余計なことをしてすみません」との返事。とんでもない。私たちにまで小さな幸せを運んできてくださるような気がします。多分きっとご自分のためにやっているのだと言われることでしょうが、感謝の気持ちを表したくて書かせてもらいました。”(9月30日付け毎日新聞)

 東京都の主婦・後藤さん(74)の投稿文からです。人も通らない早朝に、自発的に通りを清掃する、それもかなり念入りにする、凡人にはとてもできない立派な行為である。その上「余計なことをしてすみません」という言い方もできない。更にこれが中年男性というのも気がひかれる。まだ現役職業人ではなかろうか。どこにこの心の余裕があるのだろう。
 後藤さんの「小さな幸せを運んでくれる」という感じ方も素直でいい。そうして感謝の気持ちをこういう投稿の形で示されるのもいい。ボクもこうして「話・話」の話題にできてありがたい。

(第834話) 名前への思い 2007,10,9
 “私の名前は孝和で、尋常等小学校しか出ていない父が付けてくれたものだ。明治34年生まれの父は独学で宗教の本などをよく読んでいた。そして、人間にとって一番大切なことは何かと、いつも考えていた。その父が跡取り息子に付けた名前だから、よくよく考えた末のものと思える。
 「孝」はもちろん、親孝行の孝であり、「和」は平和の尊さの和である。私もこの名前が大変気に入っている。中学生のころ、父に「お父さんにしては、いい名前を付けてくれたなあ」と言ったら、「そりゃ、そうだろう。ない知恵を絞って考えに考えたんだよ。人間にとって一番大切なことは、親と子が仲良く暮らすことだ。この世で一番悲惨なことは戦争だ。平和な暮らしが一番ありがたいんだよ」と、自慢げに語った父の顔が思い出される。”(9月26日付け毎日新聞)

 枚方市の画廊オーナー・中島さん(男・69)の投稿文です。自分の名前が気に入り、それを付けてくれた両親に感謝できる、こんな幸せなことはない。名前は一生の間に何度呼ばれ、何度書くことか、大切なものである。それだけにその度に嫌な気分になっていたら辛いことである。
 ボクは最近流行の名前に、少し首をひねることが多い。読めないものが結構あるのである。名前は人に読んでもらうものでもある。正しく読んでもらえないでは名前の用を足さない。せめて10人のうち7人程度は正しく読めるものであってほしい。

(第833話) 自由人 2007,10,7
 “「みんなの広場」にはさまざまな方が投稿される。有職、無職、また仕事でも多種多様だ。私の場合は54歳で通信関係の会社を早期退職した。今風に言うと「ドッグイヤー退職」になるらしい。短く稼いでのんびり暮らす・・・早期退職し、後は会社に縛られず自分のテンポで趣昧などで楽しむ、というもの。と言っても、無職に変わりはない。
 昨今、「無職」という言葉は一種さげすみの感じを持ってとらえられているようだ。しかし、職の有無が重要なのではなく、その人がどういう生き方をしているかが、問われるべきだろう。
 そこで、無職であるが積極的に生きている人を「自由人」と呼ぶよう提案したい。マスコミもその呼称に市民権を与えてはいかがだろう。自由人の私は、バイクで日本縦断、木工芸に熱中・・・大いに満喫してきた。今後も車を改造して女房と各地を巡るなど、やりたいことは多い。(9月26日付け毎日新聞)

 北九州市の谷矢さん(男・57)の投稿文です。川柳連れ連れ草第69月号に、ある女性が鑑賞文の中に「男性は退職してしまうと無職?私は無職と書くより主婦と書いた方が無難だからそう記入しておくが違和感はある。主婦って職業かな?」という文を書いていた。確かに「家庭に入った女性は主婦と書き、男性は無職」と書いていることが多い。考えてみると何かおかしい。男性も家庭に入れば、何らかの家事を行う。女性が主婦と書けば、男性は家事手伝いくらいは書いてもいいだろう。それを谷矢さんは「自由人」と呼ぼうと提案されている。これも一興である。更に人間の評価、価値は職業ではない、生き方であるといわれているが、これなど更にもっともである。ボランティア活動などは職業ではない。
 職業とは一般に働いてお金を得るものであろうが、何も直接お金を得ない職業があってもいいのではないか。主婦だって家事手伝いだって、人に頼めばかなりのお金が必要となる。ということはお金を得ていることと同じである。

(第832話) 月見茶会 2007,10,5
 “  秋風に たなびく雲の絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
 百人一首の中で、最も好きな歌の一つです。この歌を知って以来、青白い光を放つ美しい月を眺めては「清らかだなあ」と思うようになりました。月を見るなら、やはり秋。お月見は我が家の大切な年中行事です。お茶の稽古(けいこ)を始めた5年前から「中秋の名月」には、月見茶会をしています。といっても、お茶をたてて家族に出すだけなのですが。
 部屋の戸を開け放ち、月光を招き入れます。部屋には、ススキ、サトイモ、そして月見団子の替わりに抹茶と和菓子を用意しておくのです。お茶を服した後は、外に出て月を愛でます。季節によって表情を変える月。四季のある日本に生まれて本当によかったと思います。”(9月22日付け毎日新聞)

 一宮市の主婦・佐々木さん(45)の投稿文です。ボクの子供頃は「中秋の名月」を「芋名月」ともいい、ススキを飾り、里芋を供えていたものだ。最近はそんな行事もすっかり忘れていた。それを佐々木さんの文が思い出させてくれた。そして、佐々木さんの家庭では抹茶を出しているという。これはまた乙なものである。このようにそれぞれの家庭のやり方があるのは更にいい。
 最近は日本の四季感覚も少し怪しくなってきたが、それでもまだまだ豊かなものがある。日本人として生まれたからには、この四季を大切にしないのはもったいない。ボクも最近、家を改造したら部屋からよく月が見え、見えると外に出て眺めることが多くなった。月を見て人生を考えてもいいし、ぼんやりしていてもいい。こんな時間も大切にしたいと思っている。

(第831話) 朝の生卵  2007,10,3
 “いつもと同じ朝の食卓に、いつもと違うものがあった。小ぶりのホーロー製ボウルに入った生卵。うちでは、三日周期ぐらいで朝食に卵が出てくるので、それはおかしくなかったが、数が問題だった。ボウルに卵が四個入っていたのだ。うちは三人家族である。
 椅子に座りかけた父さんも、卵が多いことに気づいたようで、怪訝そうに母さんの顔を盗み見たが、母さんはその視線を無視した。一つ多い卵はどうなるのか?
 わたしと父さんが見つめていると、母さんが自分の小鉢に二つの卵を割り入れ、お醤油を垂らし、箸でチャッチャカかき混ぜ、ご飯に注いだ。そして、半ば卵の海と化したものを一口食べると、おもむろに宣告した。
 「赤ちゃんができたわ」”(9月23日付け中日新聞)

 300文字小説から、東京都の主婦・大下さん(32)の作品です。まったく見事、快い作文だ。卵を二個食べて赤ちゃんができたことを知らせる、お母さんの機転にも全く感心する。小説とあるが、実際の話であったら更にいい。
 32歳の大下さんが、卵ご飯を羨ましがる話を書いていることに気をひかれた。大下さんはそんな経験をされたのだろうか。ぼくらの時代なら分かるが、もうそんな時代ではなかった気がする。娘と同年代だから、一度娘に聞いてみよう。ぼくらの時代は2004年12月12日の「(第140話)白い卵」を読み返して頂くといい。

(第830話) 娘への愛 2007,10,1
 “台風9号の影響で、わが家にもとんだハプニングがありました。東京に下宿している娘が帰省中に、東海道線が止まったのです。娘から夜八時すぎ「まだ復旧の見込みがないらしい。どうしよう。心細いな」と電話がありました。テレビニュースでは「駅周辺のビジネスホテルは満室」「ある乗客は帰宅をあきらめています」などと報道され、人ごとでなくなってきました。さらに「高速道路の沼津−大井松田間は通行止め」と出ました。
 そこで夫は「静岡までなら行けるぞ、迎えに行くか」と言い、私と一緒に娘の待つ静岡駅に直行しました。往復で四時間でした。息子は「お父さんは甘いんだなー」とあきれ顔でした、こんな愛情表現に娘も「親のありがたさ」を感じてくれたのではないでしょうか。”(9月23日付け中日新聞)

 愛知県西春日井郡の塾講師・中田さん(女・49)の投稿文です。もう10数年も前のことになるが、ボクも全く同類の経験をした。急な台風来襲予報に、高校生の娘を迎えに雨の降りしきる夜の中央高速道路を走った。カーブが多く真っ暗な中央道、激しい雨、トラックがスピードを上げて走る。前の車のテールランプだけが頼り。そんな中を自動車運転の苦手なボクが緊張感いっぱいで必死に運転する。よく無事についたと今思い出してもゾットする。あんな運転はあの時だけでもう結構だ。娘は覚えているだろうか。


川柳&ウォーク