ha0709

第41号  2007年9月

(第829話) ストレス 2007,9,29
 “ストレスという言葉は、今ではすっかり日常語になっている。厄介な対人関係、面倒な仕事上の要請、騒音やら外傷などが原因でイライラや抑うつ、不安が生じることがある。これはストレス状態といえるが、発生する不調の個人差はけっこう大きい。そこで環境と個人のバランスに注目して、「環境からの要請」が「個人の対処能力」を超えるとき、それがストレスだと考えられるようになった。
 そうなると「ストレスに強い人と弱い人がある」という固定的なとらえ方より、「強いストレスと認知する場合と弱いストレスと認知する場合がある」というとらえ方のほうが生産的である。「心配だわ。こういうことがあると胃にくるの。私、ストレスに弱くて」と、「私」を主人公にするのではなくて、「まあ、なんとかなるだろう。ストレスとしては六十五点程度だ」と「ストレス」のほうを主人公にするやり方である。後者の利点は、客観化することによって、白分か傷つかずにすむことだろう。今はやりの「鈍感力」は、ストレスに強いということとほぼ同義なので、敏感に生まれついた者にとってそれを身につけるのは至難の業である。
 ストレスに無縁な者などいない。あなたも私も敏感で優しい?総理も、ストレスなんか、全部表にして点数をつけてしまえばいい。眺めているうちに、ちょっとどうでもよくなるのが不思議である。”(9月19日付け中日新聞)

 京都ノートルダム女子大教授藤川さんの文からです。ストレスに対して自分が強いか弱いではなく、ストレスそのものが大きいか小さいか、そのように判断するものだという。客観視することによって自分の責任や能力ではないということになり、ストレス軽減につながるという考察である。自分の責任や能力不足によるものでないものにはどうしようもない、なるようになるさと構える、なるほどと面白い。ストレス軽減の一手法と頭に入れておきたい。
 しかし、これは頭で考え、見方を変えるだけのこと、そんなに簡単に変えられ、ストレスを軽減できるだろうか。そんなストレスはまさに点数が低いのだ。重くのしかかるストレスにはそんな考えも及びつかないだろう。ボクはやるだけやって、世の中のことすべて時間が解決するとじっと耐えて待つ、それだと思っている。しかし、これも藤川さんの言われることと同類だろうか。

(第828話) 朗人 2007,9,27
 “私は今年満70歳になりました。嫌な言葉ですが、名実ともに「老人」の仲間入り。映画や施設などの入場料は、老人割引の恩恵を受けています。「老人」を辞書で引くと「年とった人」「年寄り」と書いてありますが、その通りですね。でも、たとえ体力は衰えても、気分は若いころと少しも変わりません。
 「敬老の日」が近づきそんなことを考えていたら、三十年来お世話になっている人から、素晴らしい色紙をいただきました。その色紙には二匹の若アユの絵と「老人になるな朗人になろう」と書かれていました。今まで、このような言葉を聞いたことがありません。わが意を得たり。早速この色紙を玄関に飾り、毎日ながめて、「朗人」になるように心掛けています。おかげで、今年はいい気分で「敬老の日」、いや「朗人の日」が迎えられそうです。”(9月17に付け中日新聞)

 愛知県丹羽郡の浅井さん(男・70)の投稿文です。「朗人」はボクが所属している作文の会の名でもある。そんなこともあって取り上げたが、ボクの会の名がなぜ「朗人」になったのか、名付けた人に聞いたことはない。ボクは「ろうにん」と発音していて、どちらかというと「浪人」の意識であった。しかし考えてみればこれは面白くも何もない。この文のように「老人」をもじって「朗人」の方が意味もあるし、楽しい。「朗らかな老人」、我等のめざす道である。夢のある造語はさすがわが会の主宰である。最近のボクが忘れがちであった「朗らかな老人」をこの投稿で取り戻したい。

(第827話) 草取り供養 2007,9,25
 “義父は生前、毎日庭の草取りをしていた。遊びに出かけようと声をかけても、夏は特に草取りが気になる様子で出たがらなかった。あれから十二年。今では、私が庭の草取り役である。
 どうせ草取りするのなら楽しみながらやりましょうと、携帯ラジオのイヤホンを耳に庭に出た。義父にも勧めたことがあったが、即却下。私はその時、とても残念に思ったことを覚えている。が、自分でイヤホンを耳にして分かった。草取りに、ラジオの音楽や話は邪魔だということが。草取りをしていると、無心になれて鳥の声や風の音、車の音、話し声が耳になじんでとても心地よい。そして草取り後の爽快さは、何よりのご褒美。すぱらしいストレス解消法だということが分かった。
 以前読んだ本に「亡くなった方がやり残し、気に掛けているだろうことを受け継いで行うことも供養の一つです」と書いてあった。私はこのことをいつも心に、義父の顔を思い浮かべながら、草取りを楽しんでいる。”(9月16日付け中日新聞)

 一宮市の主婦・鈴木さん(54)の投稿文です。草取りについて、鈴木さんのこの文はボクにはよく理解できる、全く同感である。ボクも草取りは嫌いではない、好きといっても良い。その理由は、鈴木さんの言われる理由のとおりである。ボクも携帯ラジオなどを聞きながらはしない。やっている内に無心になる。
 でもこれは手で小さな草を取っているときである。大きな草がいっぱいになるともうこれは格闘である。労働である、苦痛である。楽しみにするにはそうならないようにこまめにすることが必要である。2006年11月23日の「(第685話)草取りの極意」をもう一度読んで頂くと良い。
 供養についても教えて頂いた。亡父は農業一筋の人、その供養は立派な野菜を作ることであろうが、それは難しいので細々ながら家庭菜園を続けることで許してもらおう。

(第826話) 災害への備え(その2)  2007,9,23
 “今夏は台風襲来による勧告で避難しました。これより前の春にも地滑りで避難しましたが、実際避難しようとすると何を持って行くか分からず、手間もかかりました。しかしこれらの避難で貴重なことを学びました。それは各家庭が避難訓練の必要性を感じ、年一回ぐらいは行うことです。また、持参する物をメモにして整理しておくと、手早く避難できると思います。
 さらに避難した場合は@ジーパンよりジャージーの方が軽く、そのまま寝られるAスプーンやフォークを入れたキャンプ用セットが便利Bハンカチがアイマスクになるなどが分かりました。
 最後に、災害を防ぐため現場で頑張る人たちに感謝の気持ちを忘れないことも大切です。”(9月9日付け中日新聞)

 土岐市の自営業・水野さん(男・53)の投稿文です。マニュアルを準備し、年1回位は避難訓練をする、納得である。でも難しい。難しいというのは、災害とは一個人には生涯にあるかないかの出来事であるからである。でも新聞等では毎年日本のどこかで起きた地震、水害などの災害報道が数回はされるが、それでも他人事である。最近の新聞で、住民の災害訓練を行ったが、全くだらだらした態度で主催者がいらいらしている話を読んだが、これなどもその証明である。体験して初めて自分の問題となる。
 ボクの場合で言えば、最大の災害体験は伊勢湾台風である。それ以来もう50年近くたつ。でも台風が近づくと聞けば、かなりの準備をする。体験は効果的である。今度予想されるのは東海地震である。被害を受けるような地震の体験はない。自分のこととして対策は大丈夫か。災害は一度でほとんどすべてをなくすほどの被害を受ける。体験が良い勉強などというようなことではない。

(第825話) 災害への備え(その1) 2007,9,21
 9月1日は防災の日、更に9月は台風の襲来時期、それにちなんでこの時期マスコミでは災害に対する話や特集も多くなる。投稿欄から2編を紹介します。

 “わが家は地震や風水害、火災に備えて、それぞれ災害マニュアルを作っている。
 地震への備えは、まず食器棚を金具で固定しておくこと。屋内にいて地震が起きたら、すぐにテーブルの下に隠れる。隠れる余裕がない時は、座ぶとんや枕などで頭を保護する。二階にいる場合は下に下りない。はだしで歩き回らず、スリッパなどの履物を着用。ガスは必ず元栓を閉め、火災が発生するのを防ぐ。
 風水害に対しては、懐中電灯やラジオを準備しておく。台風のニュースを聞き、むやみに外出はしない。断水になることもあるので、飲料水を確保しておく。窓ガラスが破損しないように雨戸を閉める。鉢の植木は軒下に人れる。
 火災に対しては、家の周りに燃えやすいものを置かない。天ぷらを揚げる時はその場を離れない。電気器具は使用説明書を読み、たこ足配線はしない。消火器の使い方を知っておく。
 私は万一に備えて以上のことを心掛けている。備えあれば憂いなし。何事もあわてずに、行動したいものだ。”(9月5日付け中日新聞)

 岐阜県不破郡の農業・渡辺さん(女・72)の投稿文です。全文を掲載しました。この短い文で、地震、風水害、火災に対するかなりのことが盛り込まれ、まさにこのままマニュアルである。立派なものである。このマニュアルを参考に各家庭に応じたマニュアルを作ることもできる。

(第824話) 女性技術士 2007,9,19
 9月7日付け建設通信新聞を読んでいてびっくりする記事に出会った。それは女性技術士のインタビュー記事である。建設企業の作業所所長、それも海洋土木である。前職は建設業と全く関係ない食品検査員、それが海洋土木に魅せられ、建設企業に入社。事務職から技術職へ、土木施工管理技士を取得、更に技術士まで取得するという離れ業。この世界を少なからず知っているボクには全く驚き、凄い女性がいるものである。あまりの素晴らしさにここに紹介したくなったのである。記事の一部を紹介する。

 “「女性にもチャンスを与えてほしい。できないと決めつけず、やらせてほしい」と力がこもる。同時に、「男性にしかできない仕事もあり、男女ともに互いに歩みよる姿勢が必要です」と柔軟な考え方を持つ。
 「これまでの日本人は、高度経済成長の過程で、マニュアルどおりに仕事をこなしていくのは得意だったように感じる。でも、これからの時代は創造性を高めていくことが大切です。技術士として、男性中心の建設業に、女性の考えも取り入れることができれば」と思いを語る。
 若い技術者には、まず笑顔、まず感謝を伝えること、まず行動することの3点に取り組むことを望む。「素早く仕事に取り組むことが大切です。失敗しても、早ければ早いほど修正ができる。仕事は一人ではできないので素直に『ありがとう』と感謝の言葉を述べることも必要です」と建設業の将来を担う若い人にエールを送る。「人生は40歳から」とも。”
 
 世の中のすべてのことにおいて、男性と女性がその特質を理解して協力し合うこと、そんなことを改めて思う。性差はある、同じことをすることではない、尊重しながら補うあうのである。

(第823話) ハミガキ王子  2007,9,17
 ハンカチ王子やハニカミ王子が世間の話題になっている。9月3日付けの読売新聞を見ていて、そんな話かなと一瞬思ったが、よく見てみれば、そんな言葉にあやかった「ハミガキ王子」であった。歯科医の安田さんの上手なハミガキの仕方の話であった。要点を紹介する。

 1日に2回以上歯を磨く人の比率は70%を超えているが、その時間は1〜3分ほどである。残念ながらこの時間では十分に細菌の固まりを除くのは無理で、10分は必要である。歯磨きに10分というのはいかにも長いので、その克服法を紹介する。
 (極意その1)歯磨き剤をつけるとすぐに泡だらけになり、うがいをしたくなるので、まず歯ブラシには何もつけないで磨く。歯磨き剤は最後の仕上げの段階につける。
 (極意その2)歯磨きを洗面所に限らず、自分の好きな、快適な空間で行う。
 (極意その3)何かをしながら「ながら歯磨き」を行う。
 この三つの極意を駆使して「ハミガキ王子」になろう。

 かなりの要約になったが、10分かけるハミガキをどのように工夫して行うかという話である。それぞれ生活にあった工夫すればいいが、一つの参考になろう。この三つの極意の中で、ボクが実践しているものがあった。それは(その2)である。ボクは毎朝庭をうろつきながら歯磨きをしている。野菜や花はどうなっているか、どこかまずいところはできていないか・・・・歯磨きしながら観察する。行儀の悪いことと思っていたが、これからは自信を持ってもっとゆっくり回ろう。それも歯磨き剤をつけず・・・・。
 他にボクが実践している歯磨きは、水流を利用した口腔洗浄器を併用していることである。

(第822話) 花キューピット 2007,9,15
 “出先の街を歩いていると、花屋が目に入った。「あっ、明日は女房の誕生日」。めったに思い出すことはないが、なぜか思い出した。「そうや、花を贈ろう」。そう思い入り口へ。が、初めての花屋。「柄でもない」と思い、足は再び通りへ。少し歩いてまた思い直し、Uターン。「花キューピット」なるものを申し込んだ。気恥ずかしさを隠しながら。
 三、四日後帰宅すると、娘二人がニッコリ笑って「お母さん、めちゃめちゃ喜んでおったで」。贈ってよかったと思っていると、女房の口から意外な言葉が。「この娘たち、『お父さん何か悪いことしとるんと違う』と言うから・・・」と、複雑な表情である。
 しばらくして、米国の友人三人をホームパーティーに招待した。さすがに彼らのやることはスマートだ。三人とも花束を持ってやって来た。宙に舞い上がった女房と娘の女三人の喜んだ顔、後にも先にも見たことがなかった。”(9月2日付け中日新聞)

 亀山市の臼井さん(男・61)の投稿文です。ボクには未経験の全く苦手な話です。奥さんに花を贈る話は時折聞くが、ボクにはどうもピーンと来ない。どうして女性は花を贈られるとそんなに嬉しいのか、ボクの妻が喜ぶとはどうも思えぬ。
 臼井さんの奥さんは娘さんにからかわれて、複雑のようだが・・・・そんなことはあるまい。これも照れ隠しである。臼井さんは夫婦はぼくらと同年代、全く無視していい投稿ではない・・・か。そして、インターネットで「花キューピット」なるものを調べてみたら、これならボクでもできる気も・・・・しかし、妻の誕生日は過ぎたばかりで、1年先だ。

(第821話) よかった探し 2007,9,13
 一昨日のこの欄で「小さな喜びも喜びとしてしっかり感じることも大切と思う」とボクの意見を書きました。そしてその一つの手法と言える文を見つけました。

 “誰でも悩みや苦しみを抱えて生きており、心の持ち方を変えればいいと分かっています。しかし、なかなか思うようにいきませんね。私も若いころそうでした。そんな私が実践して成功した、ハッピーに生きる方法を教えます。
 それは「よかった探し」です。一日に一つ以上、「よかった」と思えることを探すのです。人はとかく欠点が目に付き、悪いほうへと悲観的に考えがちですが、意識して探すといいことはいっぱいありますよ。たとえば、「今日も食事ができた」「働くことができた」「生きている」など。それまで当たり前と思っていたことをよかったととらえ、毎日毎日繰り返していると、いつの間にかささいなことにも幸せを感じることができて、笑顔でいられることが多くなります。
 私はこれを20代半ばから実践して10年ほど続けた結果、自然にプラス思考が身に着き、その後は何かあっても落ち込みません。自分の幸せに気付いて生きているからです。”(9月1日付け毎日新聞)

 瑞浪市の井戸さん(女・53)の投稿文です。「食事ができた」「生きている」こんなことまで良いことと思えれば、だれでもいくらでも探せます。考えてみれば人間の基本的なことで重要なことです。でもそんなことまで考えなくても、よかったことはいくらでもあります。昨日のボクであれば「皆と飲めた」「孫が遊びに来た」「映画を見た」「話・話の話題が見つかった」「野菜の種が芽を出した」・・・・。
 「よかった探し」を井戸さんは20代から実践してみえたといわれるから、また素晴らしい。そんな年代の時にそんなこと考えるだろうか。ボクなど今でも思ってみるだけである。何より実践しなれば・・・・。

(第820話) 小欲知足 2007,9,11
 “普段のテストで、30点ぐらいしかとれない子が、70点をとってきました。お母さんは喜びますが、その後すぐに、「今日の平均点は何点だった?」と尋ねます。そして、平均点が84点だったと聞けば、がっかりするのです。100点を取っても、「今日は100点の子が何人いたの?」とお母さんは質問します。「何だ、あなたの他に5人も100点がいたの・・・・。この100点値打ちがないわね」となるのです。30点であれ70点であれ、そして、そして100点にしても、みんなその子がー生懸命にとったすばらしい宝物です。だが、「他人よりもよい点をとりたい」といった欲があれば、その宝物が化け物に変わってしまうのです。
 そこで仏教は、「少欲知足」を教えます。あなたの欲望をちょっと少なくしなさい。そして足るを知る心を持ちなさい。そうすれば幸福になれますよ、と教えているのです。”(8月21日付け中日新聞)

 宗教評論家・ひろさちやの「ほどほど人生論・小欲知足」から、ほんの一部を紹介しました。多分この話はだれもが思い浮かぶことでしょう。こうして他人の話として話されると、何かおかしいなという気がしてきます。テストは何のためにするのでしょう・・・入学試験などの競争試験でない限り、その子の理解度を知るためです。それには人との比較は必要がありません。それが親を始め寄ってたかって人との競争にさせている。ボクも孫と話すとき気をつけねば・・・・また、親にもこの話を伝えてやらねば・・・・。
 本当に人間の欲望にはきりがありません、よく自覚していないといつまでたっても足らないばかりです。欲望を小さくして足るを知る「小欲知足」、特に熟年といわれるボクらは忘れてはなるまい。更に小さな喜びも喜びとしてしっかり感じることも大切と思う。


川柳&ウォーク