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第40号  2007年8月

(第819話) 男性の日傘 2007,8,31
 “五年ほど前の夏、単身赴任をしていた私に妻が日傘を送ってくれた。しかし、日傘を使う男性を見たことがない。結局、使わないままほこりをかぶったままだった。
 先日、墓参りに出掛けようとすると、妻に日傘を差すよう勧められた。気が進まなかったが、片手に日傘を持ってスケッチしていた初老の男性がいたのを思い出した。私ももう格好を気にする年齢ではない。そこで思い切って日傘を差して出掛けることに。いざ使ってみると、体感温度が下がるのを実感できた。
 最近は女性の方が行動的で、いろいろな趣味を積極的に楽しんでいるが、女性にとって外出する時は日傘が欠かせない。暑いからといって家に引きこもらず、男性も積極的に外へ出てほしい。こんな便利なものを、女性専用にしておくのはもったいないと思う。”(8月21日付け中日新聞)

 桑名市の山本さん(男・65)の投稿文です。日頃何とも思っていないことも、こうして話されるともっともと頷く。今年の夏の暑さに熱中症が続発、死亡者も多く出た。そこでいろいろな注意が促される。でも男性の日傘の話は聞いた覚えがない。帽子などより効果的だ。それに山本さんが言われるように、女性には全く一般的なものだ。なぜ男性にこの話が出なかったのか・・・・。
 実はボクは時折日傘?をさすのである。上天気でも万が一の雨を考えて、いつも傘を持ち歩いているボクなので、あまりに暑いと日傘にするのである。もっと度々使ってはやらせようかな?・・・女性専用にすることはない!。

(第818話) 定年後のリフォーム 2007,8,29
 “最近は夫婦別々の寝室など一人の空間を重視するリフォームが増えているという。モデルルーム「リモデ青山」では、子育てを終えた五十代夫婦が趣味を楽しむそれぞれの個室を作ったほか、台所の両サイドに夫婦別々の寝室がある。担当者は「夫婦それぞれ就寝時間が違ったり、いびきがうるさいと感じることもあり、寝室を分けたいと考えている人は多い」と話す。
 東京ガスリモデリングのチーフプランナー、泰恵さんは「五十〜六十代は(自分の時間を持てる)これからの生活にこだわりがあり、住まいにも自分の夢を反映したいと思っている」と話す。システムーキッチンの交換や床、壁の張り替え、八畳程度のダイニングキッチンのリフォームなら百万円前後からできる。
 リフォームを検討する際、注意も必要だ。泰さんは@身体能力が下がってくるので、バリアフリーに対応するA思い出の品、記念品を整理、収納するなど、片づけやすさ、掃除のしやすさを考えるB予算内で耐震性や耐久性の向上も考慮するーなどが大切という。”(8月20日付け中日新聞)

 記事からです。つい最近、ボクは自宅の一部改造を終えたばかり(HPの随想「自宅改造・自己改造」参照)、それ故この記事を取り上げた。定年はいろいろな面の節目、変革の頃合いである。記事のように自宅改造をし、生活を見直すのもそのひとつである。ボクは自宅改造まで考えていたわけではなかったが、たまたまそんな状況になった。そして、改造に当たって上記の3点の内、@とBは最初から重視した。Aは結果的にそうなった。
 ところで記事の夫婦別寝室の希望が多いという記事は気になる。もうこれから何があるか分からない、特に就寝中の事故は多い。うめき声を上げたときだれも気づかないでは大変なことになる。今まで別であったのを一緒にするというのが本当ではなかろうか。わが家では敷き布団からベットに変えたが、別寝室は考えもしなかった。ベットに変えたのはいろいろ楽になり大正解である。

(第817話) 災害への備え 2007,8,27
 “「男は『いざ』という時頼りにならないので、自分と赤ちゃんの身は母親が守りしょう」。弥富市で開かれ乳幼児の親を対象にした防災講座で、講師の女性がきっぱり言った。
 自分自身、福井で勤務していた昨年七月、近くの川が大雨で増水し、付近に避難勧告が出ている中で取材のため妻子を家に置いて深夜に出掛けた経験がある。話を聞くうち、当時生後四ヵ月の長女を抱えた心細そうな妻の表情がよみがえった。
 消防署員や警察官、自治体職員、インフラ関係の会社員など災害時に仕事に出掛けなければならない人は意外と多い。そうした人たちの家族は不安も大きいはず。講師は「妊婦や、赤ちゃんを抱えた被災者は災害時要援護者と同じ。助けてもらえるように、普段から近所の人たちに協力をお願いしましょう」と呼びかけていた。”(8月15日付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」という記事欄からです。「男はいざという時頼りにならない」という言葉に、男性はここまではっきりと女性に無視されることになったかと愕然としたが、よく読めばそうではなかった。災害時などの緊急時に家庭をかえりみず仕事に出かけねばならない男性は意外に多い。そしてそんな男性のいる家庭は、弱者な家庭とは見られておらず、災害時要援護者などには数えられていないだろう。この女性講師はそこをつかれたのである。確かに落とし穴、見逃されている部分である。そしてそこまで行政等に望むのは無理と、近隣の助け合いの重要さを呼びかけられたのである。
 実はボクも定年まではそんな職場であった。台風などの予報が出されると、早くから自宅の対策をし、帰ってこられなくてもいいようにして出勤していた。今はその必要もなくなり、その負担の大きかったことを実感している。

(第816話) きょうだい文集 2007,8,25
 “私たち六人きょうだいの文集「琵琶の里」が届きました。年2回で今回が71号です。筆無精で手紙は出さないが、父と妹の命日の一月と七月に、姉のところに文章を送り、文をまとめたものが「琵琶の里」として送られてきます。
 義兄八十八歳をはじめ皆、七十歳を過ぎて高齢になりました。お互いの身を案じ、無理はできないと自分自身に言い聞かせながら、頑張っている様子や、孫の成長を喜び、毎日を感謝で暮らしている様子が文面から伝わってきます。あと何年続くか分かりませんが、まとめ役の姉に感謝しています。”(8月14日付け中日新聞)

 滋賀県高月町の主婦・雨森さん(76)の投稿文です。きょうだいで文集、まずこれは普通ではできない。それが年2回で71号といわれるから、もう35年である。兄弟でこんなことができるなんて全く素晴らしい。兄弟とはなかなか似ていて否である。まして6人が文を書くなどと言う共通項があるのは古来稀である。
 ボクも知人10人ほどでもう20年ほど、隔月に文を書いて交換している。でも妻や兄弟ではまず無理だ。人生様々だと感心するばかりである。

(第815話) 立場変われば 2007,8,23
 “「ちょっと、さきちゃん、聞いてよォ」 「あら、お母さん、どうしたの?」
「美紀さんたらね、また実家に帰っちゃってるのよ。母親の調子が良くないとかって、今年もう三度目よ」
 「へえぇ、兄さんもよく我慢してるわね」
 「母親も母親よねぇ、嫁に出したからには、そう簡単に実家に帰るなってとめるのがスジでしょ? だいたい病気ってのも怪しいもんよ。ところで、あなた、母の日は来てくれるんでしょう?」
 「それがさぁ、お義母さんがいい顔しないのよねぇ」 「お父さんの具合が悪いとか、ごまかせないの?」
 「あ、それ、こないだ使って、後で、たっぷりイヤミ言われたわよ」
 「まったく・・・たまには親孝行してらっしゃいぐらいのこと、言えないのかねぇ」”(8月12日付け中日新聞) 

 一宮市の会社員・村上さん(女・39)の「300文字小説」です。往々にあり得る話で、苦笑いを禁じ得ない人もあろう。この小説の題材にもなっているが、母と娘では時にありそうだ。人のことは批判しながら、つい自分のことだと気付かずにしてしまう、また気付きながらも自分に都合のいい言い訳をつけてしまう。こうして第三者として読むと、人間の全く身勝手さに気付く。本当に人の批判というのはできないものだ。

(第814話) チラシが脱臭 2007,8,21
 “T電力は、自社開発した脱臭剤入りの紙を使って、オール電化の賢い使い方などを説明するチラシを作った。八月下旬までの検針時に、オール電化や電気温水器を利用している六十八万世帯に配る。チラシをそのまま冷蔵庫に入れておくと、一カ月程度の脱臭効果が見込めるという。
 チラシが捨てられず、何度も読んでもらえるようにと考えたアイデア。TH火力発電所で発生する石炭灰を原料にして製造する脱臭剤のPRも兼ねている。表面はザラ紙のようにゴワゴワしているが、見た目は通常のチラシと変わりない。中電は「脱臭効果を家庭で試してみて」と話している。”(8月8日付け中日新聞)

 記事からです。広告チラシをただ知らせるだけから、他の効用を持たせて大切に扱ってもらえるようにし、そうすることによってチラシ効果を更に高める。いいアイデアと思う。というのはボクは単なるチラシに常々疑問を持っている。当然企業は費用対効果を考えて出されていると思うが、それでもボクには資源の大きな浪費と写る。資源の大切さが叫ばれる中、毎日の新聞の膨大な折り込み広告などほとんど見ないボクだからよりそう思うのかもしれないが・・・この折り込み広告の量は前回の「話・話」の割り箸やティッシュの比ではないと思うが・・・・。そんな広告に他の目的を持たせる、いいアイデアではないか。
 少しボクの会社の宣伝になるが、ボクの会社では災害時の帰宅に役立つ地図を作成、販売している。個人個人のデータに企業の広告を載せて頂ければ、簡単には捨てられないと思う。T電力と同じような発想になると思っているのだが・・・・。

(第813話) 日々の習慣 2007,8,19
 “子供たちがまだ小学生だった時、家族で山登りをした。山頂でお弁当を食べた後、子供たちが近くにあるごみ箱にごみを捨てようとしたのを見て、夫が言った。「ごみ箱に捨てることはいいけれど、そのごみは誰かが持っていかなきゃいけないでしょ。だからごみは、家まで持って帰ろうね」と。
 作曲家の故團伊玖磨さんはエッセーの中で「割りばしを割る『パシッ』という音は材木の悲鳴に思えて、ごちそうの味に悲しみが付着する」と書いていた。
 また、父が大病後に自宅で歯の治療を受けた際、歯医者さんがティッシュを使う父にハンカチー枚あればそんなものは使わんでいい。わしはそれで家をたてた」と言ったことがある。この三つの出来事が、私の省エネの基本になっている。これらを実践し、日々の習慣にしていくと、小さな節約が大きな実りとなってはね返ってくるのだ。”(8月8日付け中日新聞)

 各務原市の主婦・丹羽さん(60)の投稿文です。人間何かの折りに読んだ本の一節、先生や親の言葉、街の中で垣間見た出来事、ちょっとしたことがその人の一生に大きな影響を及ぼすことがある。丹羽さんには省エネについてそんな3つの出来事があった。貴重な出来事である。
 ゴミの持ち帰りは、わが一宮友歩会では合い言葉にしている。割り箸は我が国の間伐材の活用に役立つと言う話しはあるが、実は大半が中国からの輸入品である(2005年1月25日付け「話・話」第180話「アドバシ」参照)。ティッシュの話は全く私の感覚、家族が何のこだわりもなく使うのを苦々しく見ている。そんなことで、ボクにもこの3つは何の疑問もなく理解できる。
 日々の習慣は大きい、いろいろな省エネを伝え合い、実践していきたいものだ。

(第812話) 殿と姫 2007,8,17
 “わが家は老人世帯です。たまに自宅に夫がいるとき、二人とも黙って口をきかないでいると、空気が重くなります。そこで、夫を笑わせようと考えました。まず、夫をあがめたてまつり、一段高いところに置いたつもりで言いました。食事時に「ご主人さま、支度ができました。お召し上がりになりますか」と声を掛けると、相手も「食す」と答えます。さすがの返答だなあと感心します。「お茶をお飲みになりますか」と聞けば、今まで使っていた言葉で「飲む」に戻ってしまうこともあります。
 私が「殿」と呼ぶと、夫も私に「姫」と呼びます。分からないことが出てくると「良きに計らえ」ときます。何だか、お互いに支え合って仲良く暮らせられれば、こん会話も楽しくて良いかもしれません。”(8月2日付け中日新聞)

 春日市井の主婦・加藤さん(71)の投稿文です。夫婦にこんな遊び心もあっていいと思う。年を取ってもできるだけ社会との接触を保つ努力をする老夫婦もあろうが、それでも少なくなっていく。二人だけで過ごす時間が多くなる。どう過ごしてもその夫婦のあり方だろうが、こうした遊ぶ心を持つこともひとつのいい方法だろう。特にわが家のように生真面目だけが取り柄の夫婦には必要事項だ。何十年も過ごしてきて今更と思う気もするが、今だからより必要とも言える。人間死ぬまで何かの努力は絶えず必要である・・・それは哀しいことか、楽しいことか・・・・努力するものがあることは楽しいことと受けとめたい。

(第811話) 家屋耐震化 2007,8,15
 “わたしが住む市では、無料で住宅の「耐震診断」を受けることができる。先日、わが家を耐震診断士が訪れ、二時間かけて詳しく調べていただいた。診断の結果を見て、補修工事をするかどうか決めたいと思っている。耐震工事をすると援助が受けられる制度もあるので、その時は市とも相談してよく調べたい。
 年金生活の私にとって、家に多額の費用をかけるのは容易なことではない。しかし、地震で大きな被害を受けると、家屋の修理に多額の費用が掛かる。そのことを考えれば、補強工事は安く済むとも思える。自治体も災害が発生すれば、仮設住宅の建設やライフラインの確保に多額の出費を強いられる。事前に家屋の耐震化を進めておけば倒壊を防ぐことができるので、その分、出費を減らすことができるのだろう。
 新潟県で大きな地震があり、道路が寸断され多くの家屋が倒壊した。お年寄りら十一人が犠牲になったが、あらためて市民の防災意識を高めることの必要性を認識した。”(7月30日付け中日新聞)

 春日市井の後藤さん(男・61)の投稿文です。ボクの家も耐震診断を受け、少しばかりの補強をした。しかし、これでどこまで大丈夫なのか、よくは分からない。倒れない程度か、全くびくともしないのか、イヤ、単なる気休めで全く効果がなかったのか・・・。地震に対する対応というのは難しいものだと思う。しかし、後藤さんの文により気づいたのは、耐震補強は自分のためばかりでなく、震災後の自治体の負担を減らすという意味合いもある。地震が来たら諦めるではいけないのだ、可能な範囲の対応をしておくのは社会の一員としての責任である。

(第810話) メモ上手 2007,8,13
 “新聞は国内外の政治経済、文化、事件から娯楽まで新しい情報を朝一番に伝えてくれる″知識の宝庫″だ。私は時間をかけて読むのが楽しい。でも、大事なことを覚えておこうと思っても、後で正確に思い出すことは難しい。
 何日か前に載ったからと探すのは厄介で、閉口した経験から、今では必要なものはメモを取るようにした。切り抜きもするが、紹介された本、商品やその値段、行事の日程などは、メモ帳に書いている。
 人は聞いたり読んだりしたことのうち、半日たつと3割は忘れてしまうという。10日以上たてば、記憶から消えるものが多いだろう。発明王エジソンは、気付いたことをいつでもメモできるように、鉛筆とメモ帳を持っていたといわれる。大事なこと、知っておいた方がよいと思うことをメモに取ることは、上手に生きる生活の知恵だと思う。”(7月25日付け毎日新聞)

 伊万里市の出雲さん(男・82)の投稿文です。82歳の出雲さんでなくても、メモの必要性、重要性はよく分かっている。ボクなど40代の時にもう忘れっぽさに驚き、これで定年まで持つかと危惧したが、何とか乗り越え、今もまだ勤めている。何とかなるものである。人間生きている間はいろいろ工夫してやり過ごしていかねばならない。このメモなどその最たるものである。
 わが家では先日ホワイトボードを買って掲げた。自分一人では心もとないので、妻と情報を共有するためである。それでも先日とんでもないことをしでかした。予定表に従ってのこのこ出かけていったら1日早かった。遅れた日を書かなかったのはまだ幸いだった。

(第809話) 凶器になる傘 2007,8,11
 “私は以前、駅の階段で、前を歩いている人の傘の先が目に当たり、真っ赤に充血し、とても痛い思いをしたことがありました。当てた人は気づかなかったのか、そのまま行ってしまいました。また駅のホームを歩いている人が、小脇に抱えている傘の高さが、ちょうど子供の目の位置で、危ないので傘を立てて持ってほしいと思ったものです。長い傘はもっと危険で先がとがったものもあります。まだまだ傘と過ごす日があります。私のように目を突かれたりすることのないように、傘は真っすぐ立てて持つように注意をお願いいたします。子供たちにとっては、傘は、遊び道具にもなるので「振り回すと危険」といって教えてください。”(7月25日付け毎日新聞)

 小田原市の主婦・鈴木さん(66)の投稿文です。こうした危険な行為は他にもかなり多いので取り上げた。人の迷惑な行為になっていることに気付いていない、それだけのことであるが、危険な行為は気付いていないだけでは済まない。傘のことでボクがよく気になるのはまず鈴木さんが怪我をされたと同じ行為、上り階段では傘の先が後の人の顔近くになる。また電車の中で傘を小脇に抱える人、傘の先が座っている人の目の前でちらつく。他にも気付かないで人の迷惑になっていることが多々あると思う。例えば歩道を友人と横になって歩く、歩道を自転車で走るとき、エスカレーターを歩く、くわえタバコ等々自分の行為も時にはいろいろ振り返ってみる必要がある。

(第808話) あいさつの意義 2007,8,9
 “我が宮崎県人はよくあいさつすると言われるようで、うれしいことだ。元来が引っ込み思案で消極的といわれる県民性だが、半面、人なつっこいところもあるのだろう。
 あいさつはなぜ、大切なのか。「私はここにいますよ。そして、あなたがいることを知っていますよ」「あなたに敵意を持っていません。仲良くしたいと思っています」という重要なお知らせだからだ。小学生の二人のわが子にはそう教えています。
 あいさつをされるとほとんどの人は気持ちがいいだろう。相手が自分を認めてくれたと思うからだ。だから、しない人、目も合わせてくれない人に警戒心を抱いてしまうのも仕方がないだろう。「相手があいさつを返してくれず、恥ずかしかった。だから自分からは、しないようになった」という人にときどき出会う。でも私は、あいさつしない人には、殊更大きな声で笑顔であいさつすることにしている。すると不思議に、あいさつしないことの方が恥ずかしいのだと、分かるのである。”(7月25日付け毎日新聞)

 宮崎市の会社員・大西さん(女・39)の投稿文です。以前中学生に「なぜ他人に挨拶をしなければならないか」と問われて、答えられない先生の話を読んだことがある。その回答が大西さんの言われる「あなたに敵意を持っていません。仲良くしたいと思っています」というこの言葉であろう。あいさつは人間関係を良好にする潤滑剤である。
 ボクは田舎育ちで、両親から村中で出会う人にはだれにでも頭を下げることと教えられて育った。三つ子の魂、今でもその癖はついている。そしてだれもが頭を下げて歩いたものだが、今は新しい住人が多く、頭を下げても返ってくることが少なくなった。大西さんのように、そんなことにかまわず、我が道を行くに心がけてみよう。

(第807話) かけがえのない命 2007,8,7
 “ザリガニとカブトムシの幼虫を持って保育園を訪問した。子どもたちの笑顔を見るのがうれしくて毎年、訪問している。
 帰る前のひととき。迎えに来た保護者も交え、園児にザリガニの持ち方やカブトムシの育て方の話をしながら遊んだ。ザリガニに手をはさまれて泣き出す子や両手で捕まえて得意げにかざす子がいる。カブトムシの幼虫は手でつかんでもらう。幼虫は意外と大きいので、怖がって遠くから眺めるだけの子や「家に持って帰って育てる」と目を輝かせる子がいる。
 私がこの活動をするようになったのは、恩師の保育園の先生が「子どもたちは昆虫や動物が大好きなのだが、若いお父さんやお母さんはザリガニやカブトムシを捕ったことがないので、触れる機会をつくろうとしない」と言われたからだ。生き物に触れることで、命の尊さを知リ、やさしい心をはぐくむことができる。私はこの経験を生かし、将来は子どもにかかわったり、動物を世話したりする仕事がしたいと思っている。”(7月23日付け読売新聞)

 京都市の高校生・中川さん(男・15)の投稿文です。この文で感心したのは、書いたのが15歳の高校生ということである。それも恩師の保育園の先生の言葉がきっかけだったという。こうした活動を続ける中川さんは、きっと豊かな人生を過ごされると思う。期待したい。
 そして、ザリガニやカブトムシを捕ったことのない若いお父さんやお母さんを作ったのは、我々世代なのだ。ボクは娘二人だったこともあろうが、そうしたことに恵まれた環境にあるがあまり記憶がない。でも幸いにその娘婿はどちらも虫博士だ。孫はタモを持って走り回っている。ヤレヤレである。

(第806話) 電車内の出会い 2007,8,5
 “先日電車に乗っていたときのことだ。私の隣におばあさんが座った。大きめの紙袋を大事そうに抱え、何度も中身を確かめていた。そのおばさんは「すみません」と話しかけてきた。「この洋服、どう思いますか」。紙袋から洋服を取り出した。「今の若い子の趣味がよく分からなくてねえ」と、とても心配そうな顔をしていた。私が「いい洋服だと思いますよ」と答えると、たちまち笑顔になって説明を始めた。どうやらお孫さんにあげる洋服だったらしい。おばあさんはうれしそうに、お孫さんが私にとても似ていると話してくれた。
 私は自分の祖母を思い出した。いつも私のことを心配してくれていたが、私には感謝の気持ちがなかった。祖母もこのおばあさんのように私のことを大切に考えてくれていたのだろうと思うと、何だか胸がジーンとした。”(7月23日付け読売新聞)

 松戸市の大学生・森さん(女・19)の投稿文からです。またまた電車の中の光景だ。他人同士の少しの触れ合い、それがいろいろ気付かせることになる。孫を思うおばあさん、自分のおばさんもそうだったのだ、感謝の気持ちが湧く。人は身内からの言葉や態度はなかなか教訓にならない、それどころか返って反発にさえなる。しかし、他人の態度には意外に素直になる、気がつかされものである。
 孫を思うおばあさん、ほとんどにおいてそうだろう。わが家のばあさんも孫優先、ボクは二の次、孫は恋敵だ。

(第805話) 待ち人来たる 2007,8,3
 “梅雨時は、庭のアジサイが鮮やかです。一年ほど前のこと、文化センターに通う私はいつも決まった道を歩いていました。一軒の家の前に、あまり見掛けないピンクの花が、いかにも皆さん見てくださいと言わんばかりに咲いていました。老夫婦が、楽しそうに花の手入れをしてみえました。
 おじいさんに花の名前を聞くと「ボタンクサギや、人にもらったんや。欲しかったらまだ裏にあるで。花が終わったらやるに」とおっしゃいましたので、私はお願いして帰ってきました。一週間ほどして、老夫婦の家の前に来ると、二人はいすを並べて座っていました。おばあさんは私を見るなり「あんたが来るのを待っとったわ」。おじいさんは「待ち人来るやなあ」。私はうれしい気持ちと申し訳ない気持ちでした。
 頂いた鉢に、今年四月初め、元気につぼみを三個付けました。七月になると、ボールのような大きな花が見事に咲きました。早速写真を撮って、老夫婦に見せに行きました。おじいさんのしわしわの顔から笑みがあふれました。”(7月23日付け中日新聞)

 各務原市の主婦・小原さん(67)の投稿文です。熟年世代のほのぼのした光景である。しかし、この文章からボクは年老いた人の人恋しさを思うのである。日々平穏、人と接することの少なくなった世代に、ちょっとした約束が大きな出来事なのである。今日もみえない、今日もみえないと何日も過ごされたのであろう。「待ち人来たる」の言葉にそれを感じる。ボクにもそれほど遠くない世界であるが、それまでの間にはそういった世代の人との接触に心して当たらねばと思う。

(第804話) 花火鑑賞3原則 2007,8,1
 “「風、距離、土地を知ること」。それが花火鑑賞の三原則だと河野さんは言う。花火は場所選びが大事なのだ。
 「風下に陣取って花火が煙で隠れちゃったら話にならないからね。風向きを知る手がかりは、昼間に上がる合図雷。大会開催を知らせる音だけの花火だけど、ドン、ドドンと音が聞こえたら『やるんだな』で終わっちゃいけない。すぐ外に出て煙の流れる方角を確認する。理想は右から左へ、あるいは左から右へと煙がたなびくような位置。流れる雲から満月が顔を出すような趣がある。ただし風向きは変わることもあるから、移動できる場所がベスト」
 花火の真下は大迫力ではというのは素人考え。「近けりゃいいってもんじゃない。きれいに丸く見るには4〜500m離れるのが理想。首が疲れないし、周囲の風景も花火を引き立てる大事な要素だから。俳句にも詠まれる『遠花火』ってのは、何とも言えない風情がある」
 「花火大会はもともと地元の人が街の活性化のために開くもの。花火師はその思いをくんで、土地の雰囲気に合う玉を選び、プログラムを組む」。派手な色、連続する球数、大きさなどに目がいきがちだが、花火師のこだわりはそうではないようだ。土地の風土や打ち上げ会場のロケーションに合わせた花火の種類、打ち上げの間合いに細心の注意が払われる。だから鑑賞にも三原則の「土地を知る」が重要になる。”(7月23日付け中日新聞)

 江戸っ子の花火師・河野さんの話である。週末は毎週のようにどこかで花火が上がる季節である。その花火の鑑賞3原則が記載されていたので紹介した。風、距離は何となく分かっていたが、「土地を知る」を聞いてなるほどと感心する。お金が集まるところは盛大で派手な花火大会になるが、花火師にとってお金で勝負するだけでは腕の見せ所もない。派手でなくても何か心に染みる花火大会を工夫する、それが花火師の醍醐味であろうが、鑑賞する方もそれを理解できるようにしたい。花火は華やかさと共に、一瞬の命に感傷的なものでもある。鑑賞の仕方はいろいろある。
 考えてみると花火大会を鑑賞して楽しむのは一般において無料である。河野さんの話では、4〜500m離れてみるのが最適といわれるし、更に空高く上がるので囲いようがない。よって無料で楽しむことができるのであるが、これだけのイベントが無料などというものはなかなかない。花火大会っていいものだ。


川柳&ウォーク