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第38号  2007年6月


(第788話) 誠の碑 2007,6,30
 “東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で二月、女性を保護しようとして電車にはねられ、殉職した警視庁板橋署常盤台交番の故宮本邦彦警部(当時53)をたたえる記念碑が同交番前に完成し、16日、除幕式があった。
 宮本警部の妻礼子さん(53)が碑に掛けられた白い幕を外し「立派な碑を作っていただき、お礼を申し上げます。夫は警察官として幸せだったと思うし、誇りに思う」とあいさつした。
 碑は高さ約170cm。御影石の台座に勇気を表す赤い石が載せられ、事故状況を説明する案内板も置かれている。宮本警部が警察学校の卒業アルバムに書いた「誠実、誠心、誠意」にちなみ「誠の碑」と名付けられた。地元町会などでつくる「宮本警部の記念碑を設置する会」が寄付を呼び掛け、全国から約420万円が集まったという。”(6月16日付け中日新聞)

 自殺しようと線路内に進入した女性を助けに入り、死亡した警察官・宮本警部を讃える記念碑の記事である。この行為に対して讃える以外ボクには何も言えないが、卒業アルバムに「誠実、誠心、誠意」の言葉があったことを知り、「この人にあってこの言葉あり」の感を強く持った。やはりこういう言葉を持つ人であったのだ。人間の行為は、単なる偶然ではなく、その素因があるのだ。無からは何も生まれない。素晴らしい行為は、素晴らしい何かを秘めた人によって成される。逆もまたある。

(第787話) さわやかな少年(その2) 2007,6,28
 “久しぶりに妻と2人で車で出かけた日のことだった。細い一方通行を走っていると、突然前方で大きな家庭用のゴミ袋が風に飛ばされ道路の中央に転がった。私の車が先頭車であったため、これでは前に走れないと思い、車から降りてゴミ袋を取り除こうと思ったその時、中学生くらいの少年2人が自転車で走ってきた。楽しそうに会話していた。
 私は、2人は当然行き過ぎると思った。ところが、1人がゴミ袋のところで自転車を止めた。そしてゴミ袋を手際よくつまんで、自転車を押し、少し後ろのゴミ集積所に運んだのだ。私は車の窓を開け、少年に「わざわざありがとう」と言った。2人は私と妻に笑顔で会釈した。
 私はすがすがしい気持ちになり妻に言った。「教育問題で子供が何かと揶揄されているが、まだ捨てたものじゃないね。あんなすばらしい子供がいるじゃないか」”(6月12日付け産経新聞)

 山田さん(男・67)の投稿文です。ゴミを拾う、これも前回の席を譲ると同じく、機会はいくらでもある。機会はいくらでもあるし、負担も小さいという意味で、小さい善行であるが、それでもなかなかできない。特に少し面倒だともうできない。それをわざわざ自転車を降りて、車に邪魔なゴミを拾ってくれたとなると、山田さんでなくても嬉しくなるものだ。山田さん夫婦にさわやかな1日を贈った少年を褒めたたえよう。
 人の心もちょっとしたことでさわやかにもなり、不愉快にもなる。少しの心遣いを心がけたいものだ。

(第786話) さわやかな少年(その1) 2007,6,26
 “所用でJR宇都宮線の電車に乗っていたときのことです。私の隣に立っていた少年が、窓の外に広がる田植えが終わった田を見ていた友人に言いました。「水が入っていい季節だね」感に堪えたような言い方が、実に詩的な心を感じさせ、思わず顔を見てしまいました。
 駅に停車し、席が空きました。後輩らしい少年が座ろうとするのを少年は押しとどめ、乗ってきた老婦人に席を譲らせたのです。私は思わず「君は偉いね、何年生? 学校でそうするように教えられているの」と尋ねていました。中学生ですと答え、さらに誰に教わったことでもないと言いました。
 彼と友人たちは私より早く降り、電車が走り出したとき、その少年は階段の下から私に会釈して昇っていきました。一陣のさわやかな夏の風のような印象を受けました。「子は親の言うとおりにはならず、親のした通りになる」という俚諺を思いだしました。”(6月6日付け産経新聞)

 福島県会津若松市の医師・米山さん(男・54)の投稿文です。蒸し暑い季節、さわやかな話を探しました。米山さんでなくても、さわやかさを感じさせる少年ではありませんか。席を譲るという小さな善行ですが、それもいいが、「水が入っていい季節だね」という言葉は実にさわやか、そうは出てきません。それは人柄が言わせているのでしょう。その人柄は、親を始めとした環境が作ったのでしょうか。

(第785話) 武骨な父親 2007,6,24
 “5月12日の天声人語に、「世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子どもはりっぱに教育される」(フランスの啓蒙思想家ルソー)という文が載っていた。
 私の父は国有林の伐採を仕事として一生を終えた。終戦後の復興で国産木材の需要はすさまじく、民間の林業労働者が大量に営林署の正規の職員として採用されていったようだ。原生林の伐採と搬出は過酷な重労働であった。山小屋に宿泊し、家に帰るのは月に1度と長雨で仕事ができない時だけであった。
 無口な父は、帰宅した時もあまり話はしなかった。「勉強、ちゃんとやってるか」というくらいだった。私が勉強している横に来ては、仕事で使う、よく手入れされたなたで丁寧に鉛筆を削ってくれた。それは「頑張れよ」という言葉以上の励ましであったと思う。父に限らず、どんな親であっても子に与える影響は一番大きいと改めて思う。(6月7日付け朝日新聞)

 豊橋市の塾経営者・宮下さん(男・58)の投稿文です。人間、他人の一言が大きな影響を与えることもある。特に幼いときの先生の言葉に影響を受けた話は多い。でも、本当は一番身近にいる親の影響が一番大きいのである。こちらは衝撃的に記憶に残ることはなくても、毎日の生活の中で、知らず知らずに影響を受けているのである。子供が親からは逃れられないのは至極当然のことである。それだけに親の責任は大きい。親自身にその自覚がない親が多いことに今日的問題があると思う。教員の資質が問題になっているが、それより重要なことは親の問題である。分かっていても大きな話題にならないのは、手がつけられない問題だからであろうか。

(第784話) 人生の中間決算 2007,6,22
 “最近、ある出版社から本を出版した。自分のこれまでの半生をふり返り、深く印象に残っているできごとから学んだ教訓などを自分の言葉で表現してみたのだ。書いていて気づいたことは、過去の自分を客観的に見る視点が、これからの人生にも応用できるのではないかということだ。
 人は一生のうちに1冊は本が書けるという。いわゆる自伝というやつである。しかし、これがなかなかできない。なぜかというと70、80歳になってから人生の総決算を出そうと思っても、なかなかそれだけのエネルギーが残っていないと思われるからだ。あるいは総決算をしようと思っているうちに死んでしまう場合もあるかもしれない。だから私は40代の今のうちにとりあえず「中間決算」を出しておこうと思った。
 他人から見れば平凡と見える人生であっても、当人にとってみれば波瀾万丈であるのが人生だ。別に本にしなくたっていい。ノートに自分の半生を書いてふり返ってみるだけでも、これから人生の後半を迎える人にとっては、とても大切なことであるように思える。”(6月6日付け産経新聞)

 東京都日野市の会社員・野田さん(男・45)の投稿文です。こんな形で人生の中間決算をするという発想に感心した。現在は自分史ばやりであるが、それは野田さんが言われるように総決算的な感じがする。過去を振り返り、まとめ、満足して終焉を迎える。しかし、中間決算は過去を振り返る点は同じだが、、それをその後に生かしていくという所に大きな違いがある。どちらを採るかと言えば、それは様々だろうが、総決算をするエネルギーがあるか、中間決算をする余裕があるか・・・どちらもなかなか大変なことである。その点、野田さんはえらい!
 ボクもいつかは自分史をと・・・考えないわけではなかった。しかし、もうそのエネルギーはない。でも、ボクにはホームページがあり、そのホームページは少々ながらたえず中間決算をしているとも言える。まあ、このあたりがいいところである。

(第783話) 読書より会話 2007,6,20
 “「読書にいそしむかぎり、我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない」「1日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく」哲学者、ショーペンハウエルの言葉に少なからずショックを受けた。私は元来、出無精で余暇の大半を好きな読書で過ごしている。読書は、脳の健全を保てると信じていただけに。
 ある日、スーパーで同い年の知人と会った。私は買い物は3、4日分まとめ買い。当然1回分の量は多い。片や彼女はお酒パック1個だった。私と違い毎日買い物に出て、人と会話を楽しんでいるという。それが脳の活性につながると言うのだ。お酒好きでらい落な
彼女を見ていると、なんだか妙に納得できる。
 運動で頭脳機能を高めるという脳トレ体操の本も出回っている。だが、人と語り合うことで脳は元気になっていくのかもしれない。”(6月4日付け毎日新聞)

 長崎県川棚町の主婦・斉藤さん(58)の投稿文です。読書を勧める言葉や、効用を説く言葉は多い。その読書を否定するショーペンハウエルの言葉をボクも始めて知った。読書好きの斉藤さんはその言葉にショックを受け、会話を楽しんでいる知人にその言葉を納得されてしまったようだが、この言葉はすべてではない、一理である。ショーペンハウエルの言葉は、読書を否定しているのではなく、警告だと思う。確かに読書だけしていれば、脳は健全に保たれると言うことはない。目的である読書もあるが、多くは手段である。それをどう生かすかで、読書の成果は問われる。その姿勢であれば、ショーペンハウエルの言葉は目的を達する。と言っても読書は知らぬうちにその成果を示すものではあるが・・・。
 人生ほとんどすべてのことに、良いといわれることをただ一途にしていればよいと言うことはない。例えば食事で、良いと言われるひとつのものを食べていればいいかというと、そうではなく、いろいろなものを食べなければいけないと同じだ。斉藤さんが出不精で、読書に逃げているとすれば、考え直さねばいけないだろう。ボクも苦手なことはすぐ逃げてしまうが、これも同じだ。

(第782話) 思い出ベンチ 2007,6,18
 “週末の朝、都心の日比谷公園を歩いた。散策の人よりベンチのほうが多い。背もたれ中央に「私たちの路、ここで決めました」「池上の花園もきれいですよ。たまには座りに来て下さい」などの文字がある。東京都が03年から募る「思い出ベンチ」だ▼ベンチを都に贈ると、40字までのメッセージと寄付者の名を刻んだプレートがつく。すでに532基が都下の公園や霊園に置かれ、おととい、5年目の募集(100基)が始まった▼ベンチは形により15万円か20万円。都の財政を助けて、寄付者は名刺2枚分ほどの伝言板を手に入れる。ベンチという公共財が朽ちるまで、私的な言葉は残る▼ベンチの役割は、いつもそこにあることだ。公園では、そうした動かぬものたちが取り込んだ天地の恵みが、来園者を癒やす。ベンチはぬくもりで、木立は葉ずれの音、花壇は色彩、池はさざ波で迎えてくれる”(6月3日付け朝日新聞)

 天声人語からです。味な施策である、こんな施策があることを始めて知った。もう532基も設置されていると言うことなので、贈る人にも好評なのである。利用する人も何が書かれているか、贈った人の思いも推し量られ楽しみがある。ベンチに座った二人の話題になるかもしれない。もっと全国に広まってもいい施策と思う。この施策はベンチばかりでなく、街路灯や歩道の柵、街路樹などいろいろ考えられる。企業の広告よりよほどいい。

(第781話) 自然は神 2007,6,16
 “すべての自然の姿に、私は神様を思う。神はいないと言う人がいるけれど、この調和のとれた見事な自然。人間の力では到底及ばない美しさに、神の存在を確信せずにはいられない。
 私は草花が優しく風に揺れている様が大好き。時のたつのを忘れて眺めてしまう。いま、庭にはシモツケの小枝にピンクの小花がいっぱい咲いて揺れている。幸せで、やさしい気持ちになる。しかし自然は恐ろしい面も持っているし、災害は予期せずにやってくる。多くの自然は私たちに「常に謙虚な心を持ち、感謝を忘れるな」と教えてくれているような気がする。”(6月2日付け毎日新聞)

 前回と同じく「私の好きな自然」から豊橋市の主婦・横井さん(57)の文です。世の中、人間の力では及ばないものは多々ある。特に自然はその代表であろう。そこに神を見、謙虚な心と、感謝を覚えるという筆者。この心を多くの人は全く知らないわけではないと思う。ボクも知っている。でも肝心なところでよく忘れる。これが問題である。

(第780話) 素が原点  2007,6,14
 “自分は何事においても自然志向です。いわゆる素が好きです。四季折々の変わりゆく自然の風景はもとより、日常生活においても自然を求めます。身だしなみ、食事、人間関係などです。たとえば髪はパーマを当てないで、カットのみ。あとは手ぐしでパッパ。薄化粧で、装飾品は身に着けずに出かけます。
 食物も、山、川、海、四季のものをあれこれ加工せずシンプルな調理でいただきます。風邪をひいたり、おなかを壊しても、自然に治癒するのを待ちます。人付き合いでも自然体を好み、その人と素で向かい合うことができます。
 環境も自然を好みますが、今は開発であちらこちら破壊され残念です。自然は素です。雄大で何一つ混ざり気のない素の原点である自然という国宝を、いつまでも大事に守り続けたいものです。”(6月2日付け毎日新聞)

 「私の好きな自然」というテーマで、伊勢市の主婦・奥川さん(64)の文です。まったく見事、まさに悟りの境地である。「Simple is best 」である。
 読めば読むほど素晴らしい。手ぐしでパッパ、装飾品は身につけず、シンプル料理、でも単なる無精ではない。特に素晴らしいのは「人付き合いも自然体、素で向かい合う」これはできない。ボクも還暦も過ぎ二回り目の人生、「素」の言葉をかみしめねばならない。

(第779話) 54年前のいたずら 2007,6,12
 “昨年の暮れのことだ。岐阜県多治見市立陶都中学校の校長あてに、一通の手紙が届いた。差出人は「一卒業生OB」とあった。校長の坂崎芳範さんが開封すると、こんなことが書かれていた。
 私は貴校の卒業生で、今年古希を迎えました。長年わだかまりを抱き、心が晴れぬまま生きてきました。それは、昭和二十七年、私が三年生だった時のことです。図書室の世界美術全集の数冊に落書きをしてしまったのです。五十四年前の、ほんのいたずらとはいえ、けっして許されるものではなく、そのことがずっとトラウマになって今日まで生きてまいりました。
 年金生活で加療中の身ゆえ、わずかの金額ですがご笑納いただき、本の購入にお役に立てばと身勝手に思いますことをお許しくださいませ。あまりもう長くは生きられないと思いますが、貴校の発展をお祈りしています。ご迷惑のこと心からおわび申し上げます。
 中には、一万円が同封されていた。調べてみたが、その全集は古くなって廃棄処分されているようだった。”(6月3日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。この程度のことをいつまでも悔やんでいたら、人間いくつ体があっても持たない。ボクなどとっくに死んでいる。でも、この一卒業生の方は54年前の小さないたずらをいまだ悔やんでいる、このことがよほど心に残ったのであろう。多分もっと大きな間違いもあったろうと思うが、それを忘れ、小さなことをいつまでも悔やむ、これもまた人間であろう。前回の話の悩むのも人間、今回の悔やむのも人間、それを認め、それを少なくしたく思うのが人間、それでいいのではなかろうか。できもせぬことを、悟ったようなふりをして言うのも自己改革のひとつの手法、と理解賜りたい。

(第778話) 六月病 2007,6,10
 五月病ならよく知っているし、ボクもかかった。しかし、今は六月病があるという。
 “六月病は▽だるい▽眠れない▽起きられない▽食欲不振―などの原因がはっきりしない症状が中心で、うつ病などに発展することもある。五月に大学生が訴える例が多く「五月病」と呼ばれたが、ここ数年は社員研修を終えて職場に配属され、仕事の厳しさに直面する六月に、新社会人に目立つという。
 六月病について、東京カウンセリングセンターの菅野泰蔵所長(臨床心理士)は「学生時代は競争意識をさほど持たないが、社会人は評価を意識する。四月は張り切っていても五月の連休で緊張が緩むと、気持ちを戻すのは難しくなる」と分析。「六月は天候が悪い上に祝日がないため、一年で最も過ごしづらい時期」とも説明する。
 対処法について、日本産業カウンセラー協会東京支部の西田治子相談事業部長は「『できる人』と思われたい気持ちも引き金になる。仕事は一つずつ覚えていけばいい」と話す。墨岡院長は「気分転換をしても気持ちが晴れなかったり、それ自体がおっくうになったら危険信号。そうなる前に一日に二十分程度はリラックスできる時間を確保することも必要」と助言する。”(6月1日付け中日新聞)

 いつも悩んでいるのが人間らしいが、うまくいったのに悩むのはまたやっかいなものだ。入学できた、入社できた、それなのにすぐに悩む時期がくるとは・・・。悩むのが人間、悩まなくなったら人間ではなくなる、そう思ったほうがいいかもしれない。ボクは今、人間真っ最中である。

(第777話) プロポーズ言葉コンテスト 2007,6,8
 “「全国プロポーズの言葉コンテスト」の結果発表が29日、デートスポットとして人気の東京・六本木ヒルズ展望台であった。応募総数は458作品で、最優秀賞は横浜市の主婦倉島和美さんの「今ならもれなく一生幸せ保証付きでお買い得です!」。夫から贈られた言葉で「『もれなく』に弱いわたしは『買います』と言ってしまいました」と和美さん。
 優秀賞は18作品。下関市の介護福祉士古広真一さんは、近く結婚予定の上田瞳さんに会場であらためてプロポーズ。受賞作品「キミは僕の手をはなすな。僕はキミの愛をはなさない」を照れながら伝えていた。”(5月30日付け中日新聞)

 いろいろ趣向を凝らした催し物が各地で開催されるが、この「全国プロポーズの言葉コンテスト」もなかなか面白い。ボクも何か言ったと思うが、全く思い出せない。こんなコンテストに応募しておけば、一生忘れないだろう。忘れなければ、いつでも初心に戻れる。夫婦たるもの、一生に何度も初心に戻る必要がある。戻れれば大きな間違いはない。

(第776話) 美しい花 2007,6,6
 “花はなぜ美しいのかの問いに「それは一生懸命咲くからです」と答えた詩人がいた。私もその通りだと思う。誰が見ていようがいまいが、一生懸命に咲く姿は、見る人を感動させる。今年は暖冬のせいもあり、さまざまな花が一挙に咲いて花の競演を楽しむことができた。花を見て怒る人はいない。花を贈られて喜ばない人もいない。花は人生に彩りを添えてくれる。高速道路のSAや道の駅などのトイレには、近くで咲いた野花が生けられている。地元の人の心遣い、優しさが花の美しさとともに伝わってくる。
 名もない花などない。多くは、私たちが知らないだけである。その名に恥じないように一生懸命に咲く花に、心から拍手を送りたい。花の命は短いが、人生も短い。後侮することがないように、私も今、何をすべきか自分に問うことにした。”(5月30日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・桐山さん(男・66)の投稿文です。「花を見て怒る人はいない。花を贈られて喜ばない人もいない。花は人生に彩りを添えてくれる。」この文を読んで、当たり前のことながらハッとした。そうだ、花を見て怒る人はいないし、贈られて喜ばない人もいない、小さな小さな花にもそんな力がある。花には何の自我、欲望もない。あるとすれば一生懸命生きることである。そこに魅力がある。
 人間とてもこうはいかない。ないと思っても一皮むけば自我と欲望の固まりである。

(第775話) ごみゼロの日 2007,6,4
 “きょう5月3日は、ごろ合わせで「ごみゼロの日」。1975年に豊橋市で生まれ、530運動として全国各地に広がった。せっかくの機会だから、自分でごみ拾いをしてみるといい。町の汚れ具合がよくわかる。
 ポイ捨ての不心得者には運動のテーマソングを聞かせてやりたい。「ほらそら 捨てない捨てない ふとしたあなたのしぐさ ひとりのことではありません」。地球環境の問題も、地域の美化活動の延長線上にある。
 運動の心得は「いつでも、どこでも、だれでもできる」。名古屋学院大では、授業中に学生たちに通学路の清掃をさせているそうだ。テーマソングの終わりは「海もきれい町もきれい ふるさとの心が呼んでます」。”(5月30日付け中日新聞)

 「夕歩道」と言うコラム欄からです。私の回りでも530運動はかなり広がっていると感じる。愛知県から始まっているのも嬉しい。
 実はつい先日、私の勤める会社で始めて歩道上のゴミ拾いを実施した。わが社が社会貢献活動として、昨年「NPO法人グラウンドワーク東海」に加入した(このことは、私のHP「付録→(随想)CSR」に紹介している)、その延長線上の話である。今年4月に地域活動団体として「グラウンドワーク・パスコ」を立ち上げ、第1回目の活動として5月16日、31人が参加して名古屋の中心街のゴミ拾いを実施したのである。この経緯、状況については近々「CSR(2)」としてHPに掲載するつもりである。読んで頂ければ幸いである。

(第774話) 飛ばされた帽子 2007,6,2
 交通量が多い大通りで2歳の娘さんが帽子を飛ばされた時の母親・吉川さんの話。
 “信号のタイミングを見計らって取りに行こうかと迷ったが、娘さんが後を付いて来てしまっては危ないと思い、とどまった。その時である。目の前に一台の白いバンが止まり、四十代くらいの男の人が降りて来た。吉川さんに「あれ、そう?」と帽子を指さした。うなずくと、渋滞していた車の中をスイスイと縫うように駆け抜け、帽子を取って来てくれた。帽子を手渡すと、男の人はすぐに車に乗り込んだ。あっという間の出来事だった。ところが、今度はなかなか車線に戻ることができない。そんなことは承知のはずなのにわざわざ・・・と思うと、目頭が熱くなった。
 吉川さんは「ありがとうございました」と言うのが精いっぱいだった。代わりに娘さんと二人で、車が見えなくなるまで一緒に手を振り続けた。渋滞の中に消える前、おじさんが窓から右手を出して、「バイバイ」と軽く振り返してくれるのが見えた。”(5月27日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。ちょっとしたさりげない行為、できそうでできない。特に車の場合、止まるのは全くおっくうである。車に乗ると人間が変わってしまうことも多い。
 ボクはこの話で、吉川さんが娘さんがついてくるのを心配して、飛び出さなかったことに、母親を感じた。ついあわてて飛び出してしまいそうだが、それは全く危険なことである。母親は子供に細心の注意を払っている。


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