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第37号  2007年5月

(第773話) 探検隊 2007,5,31
 “ゴールデンウイークの1日、あまりに天気が良いので、久しぶりに団地内を散歩した。この団地に来てもう25年になる。ベンチに座ってみる。すると、何となく思い出した。あのころよく「探検隊」に行ったなあ、と。自転車に乗れるようになった子供たちとの合言葉は「探検隊に行こう!」だった。
 私も自転車に乗り、団地内を走り回り、児童遊園や広場で遊んだ。携帯電話もないころ、子供たちと時間を忘れて遊び、昼食時間に遅れ、しばしば妻に怒られた。でも、子供たちの成長につれ、いつの間にか私たちの「探検隊」はなくなった。
 そこでひらめいた。そうだ、妻と二人で「探検隊」をやろう、と。二人でゆっくりと歩きながら、過去のことや未来を語り、もう一度、白分たちの周りを探検してみようと思った。そう思い出すと、すぐにでも妻と話したくなり、即座に腰を上げた。”(5月27日付け中日新聞)

 愛知県東郷町の会社員・鈴木さん(男・58)の投稿文からです。子供が巣立ち、夫婦二人に戻る。その時どのように対応するのか・・・夫婦二人の探検隊とは面白い。ネーミングがいい。
 ボクも最近、まさにこの探検隊を行った。家の改築をするにあたり、妻と二人で新興住宅地を見に数度自転車で出かけた。この鈴木さんの話から、時折探検隊をするのもいいと気づいた。こんな時間も作りたいものだ。

(第772話) 豊かな日本語 2007,5,29
 “「ことりさん、ピチチってとんでったね」子どもに指さしながら若い母親が私に言う。
 「私、三年間アメリカで暮らしてみて、あらためて日本語の表現や言い回しの豊かさに気付きました」うん、うん。
 「ピチチもそうだけど、特にクリニックに行ったとき痛感した。日本語だと痛み方一つにしてもチクチク、ジンジンなどという表現で症状を説明できる。英語ではそういう微妙な表現ができない。現地の医師に自分の訴えたいことの半分も伝えられなくて不安でした」”(5月20日付け中日新聞)

 作家・小川由里さんの「おばさん事典」からです。外国語の分からないボクには、この話の実感はよく分からないが、よく言われる話である。例えば挨拶にしても、自分自身の言い方にしても、日本語は状況に応じて使う言葉がいろいろある。微妙な表現ができるのである。日本語の豊かさであり、日本人の豊かさである。外国語にもいろいろな良さがあると思うが、日本語の良さを伝えていきたいものだ。
 テレビで料理を紹介する番組が多いが、「うまい!おいしい!」だけを連発するタレントも多く、これだけ豊かな日本語であるのでもう少し日本語を使いこなせる人を使えないものか。でもこれはその豊かさも少し危うくなっている証拠であろうか。先日の「おぼろ月夜」でも話題にしたが、失われていく言葉も多い。

(第771話) 理想と現実  2007,5,27
 “バスの停留所で、老人が持っていた杖で時刻表をコツコツと叩きながら、「この時刻表によると、バスは十五分前に来ているはずだ。時刻表通りに来ないバスであれば、こんな時刻表は不要だ!」と、大声で怒っていました。すると連れ合いの老婦人がこんなふうに応じました。「でもね、おじいさん、その時刻表がないと、バスがどれぐらい遅れているかわかりませんよ」
 笑い話のようですが、実際にあった話です。もう一つ。こちらのほうは創られた笑い話です。
 気象庁の予報官が、「あすは快晴」の予報を出しました。ところが翌日はひどい土砂降りです。予報が外れたわけです。するとその予報官はもう一度昨日の天気図を見て、さらに窓から外の土砂降りの雨を眺めながら、このように呟きました。「この天気図によれば、絶対に雨が降るわけがない。だから、降っている雨がまちがっている」”(5月15日付け中日新聞)

 この文は5月15日付けの「ひろさちやのほどほど人生論」の冒頭の部分である。筆者が言いたいことはこの後半であるが、肝心の部分を省いて、笑い話の部分だけを紹介した。でも、この笑い話は笑うに笑えない、本当に犯しそうな話である。人間はつい自分を中心に考えてしまうもの、それがこの落とし穴でしょう。最近ボクも自分自身についてこのことをよく思う。一歩離れて自分自身をよく見つめ直さねばならない。

(第770話) おぼろ月夜 2007,5,25
 中日新聞では4月から「童謡の風景」と題して、作家であり歌手である合田道人氏による連載が始まっている。5月15日の新聞では高野辰之作詞の「おぼろ月夜」の紹介であった。

 “1914(大正3)年、尋常小学唱歌の六年生の教科書に初めて載った「朧月夜」は、現在も六年生が習う歌として健在だ。先年には人気歌手の中島美嘉がレコーディングして、大みそかの「紅白歌合戦」で歌ったこともあってか、さらに人気を高めている。
 よく講演先などで、♪におい淡し……ってどんなにおいですか?と尋ねられる。ほかにも、「入日(いりひ)」「霞」「火影(ほかげ)」「さながら」など、歌の背景より言葉の意味を尋ねてくる傾向が強い歌でもある。
 さて、このにおいだが、臭覚上で言う匂いではない。「いい匂い」などの匂いが淡いのではない。におうとは、視覚上の色合いや美しさを表すときに使われるのが本来の用法なのだ。だから、♪夕月かかりてにおい淡し・・・とは、月の光の色合いが薄く弱いことをさしている。お月様がかすんでいるということ。つまり、においの淡い月こそが、「おぼろ月夜」だったのである。”(5月15日付け中日新聞)

 「におい淡し」がこんな意味とは全く知らなかった。「さくら」の「かすみか雲か 朝日ににおう」の「におう」も同様な意味であろうか。考えてみると、童謡と言われものは戦前のものが多く、言葉遣いも古い。小学校時代に習うので、その意味もよく知らないままに、懐かしい大変いい曲と思って過ごしている。これはボクだけのことかもしれぬが、問われてみて、始めて首をかしげることも多い。そういう意味でも「童謡の風景」は今後も楽しみだ。

(第769話) 意思証 2007,5,21
 “先日、家内と話し合い、「お互いに再起不能の重篤な事態になり、本人の意思表示も出来ない時は、延命措置を望まない」という尊厳死を求めることで一致した。
 夫婦で「私の意思証」と題する書面を自筆で作成し、作成年月日や、本人の署名を書いてつめ印でなつ印した。そして家内あて(家内は私あて)と息子、娘あての3通を作成して本人たちに渡した。いざという時に、自分の意思確認に確実なものがあれば、決断できず判断に迷う家族と担当医師が、苦悩せずにすむものと思われ、実行した。
 子どもたちは、当惑しているが、本証を使用することがなければこれに越したことはない。慎重すぎるかも知れないが、これも今後の人生を心置きなく過ごせる一つの方策かと思っている。”(5月12日付け読売新聞)

 横浜市の中峰さん(男・64)の投稿文です。ありがたいことではあるが、死ぬに死ねない時代になった。意思の無くなった老親を見守る家族は身体的にも金銭的にも大変なことになる。理想は生命を全うすることであろうが、現実はそうともいかない。そこで、尊厳死の問題が論じられることになる。ボクも妻と時折話し合う。中峰さんと同じ、延命措置を望まないことで一致しているが、意思証を書くまでに至っていない。まだいつのこととも実感していないからか・・・中峰さんは64歳、ボクとあまり変わらない。妻にこの記事を見せた。先延ばしでなく、本気で考えねばならない。

(第768話) 誕生 2007,5,19
 “一月十八日、無事男の子を出産しました。出産の大変さは、私の想像をはるかに超えていました。普通なら恥ずかしくて決して言えませんが、その時ばかりは「私を産んでくれてありがとう」と、両親に素直に言うこともできました。
 「子は鎹(かすがい)」と言いますが、それは夫婦の仲が良くなるだけではなくて、親子関係も良くなるみたいです。結婚してからは疎遠だった父ともわが子を通してよく話をするようになりました。
 そして、わが子をこの手で抱いてみて、初めて気付いたことがありました。それは、誕生日というのは、自分の誕生を祝うことではなくて、こんなにつらい思いをしてまで産んでくれた母に感謝する日なんだ、ってことに。”(5月5日付け中日新聞)
 
 岡崎市の主婦・山本さん(31)の投稿文からです。男のボクには、出産の大変さは分かるが、どの位大変かは実は分かっていない。女性の山本さんが体験して「想像をはるかに超えていた」と言われる言葉には、黙ってうなずかざるを得ない。体験して始めて親の恩を知る、そして、誕生日は母親への感謝の日だと気づく、感謝に気付くと言うことは素晴らしいことだ。
 子供が母親に感じる親しみ、感謝に男親が近づくのは、並大抵なことでは及ばない。最善の努力を尽くすか、それとも子供は母親のものと諦めるか・・・・。

(第767話) お父さんの宝物  2007,5,17
 “主人が半日ほど外出の間に、主人の身の回りのものを、余計なことだと思いながら整理していた時、「俺の宝物」と書かれた段ボール箱を見つけた。そっと開けてみると、それは三十数年以上も前の主人と長男の手紙のやり取りだった。二冊のファイルは主人から長男にあてたもの、きれいに年代順に積み重ねられたのは長男のものと、仕分けしてあった。
 やり取りが始まった幼稚園の年少組のものは、広告の裏や便せんに眼鏡を掛けたお父さんの顔や、曲がった字並びでも手紙が一生懸命に考えてかいてあった。「きょう、かあちゃんにしかられた」「とうちゃん、こんどのにちようびはじてんしゃかってくれる日だったね。やくそくだよ」などなど。これが四年生になるくらいまで続いた。”(5月4日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・吉田さん(66)の投稿文からです。人それぞれに思いがけない大切なもの、宝がある。吉田さんのご主人は、それが子供とやりとりした手紙であった。「俺の宝物」とわざわざ書かれていたのだから、その思いは大変大きなものであったろう。子供と手紙のやりとりをするというは、できそうでなかなかできなことだけに、宝物になるのだ。羨ましい宝である。
 ボクにも宝物はある。ボクのホームべージの付録に「私の宝物」と言う随想を載せているが、これだけ公言している割には、吉田さんの宝物に比べると、何ともたわいもないものである。

(第766話) 残したメッセージ 2007,5,15
 “中津川市新町、中津高二年市川ゆりえさん(16)は、だれかが道端に捨てた空き缶や紙くず、たばこの吸い殼を自宅に持ち帰った。人目を気にしてあたりを行ったり来たりしながら、お気に入りの洋服ブランドの名前が入った紙袋いっぱいに拾い集めて。なぜ、娘が拾わなければならないのか? そう考えた母親のちづるさん(45)に、ゆりえさんはほほ笑んだ。「気が付いた人が拾えばいいじゃん」。彼女にとって、おそらく‘習慣’だったのだ。
 その翌日の4月16日夜、ゆりえさんは突然の病気のため、帰らぬ人となった。ちづるさんは、あの紙袋を「娘がのこしたメッセージ」と考えている。「残された私たちの役割を考えさせられるから」(後略)”(5月4日付け中日新聞)

 「青空」と言う欄からの一部です。「気が付いた人が拾えばいいじゃん」、権利は主張する、余分なことはしない、そんな今の時代に、この言葉は非常に重要に思える。ゴミが落ちている、黙って拾う・・・いいと思ったことは他人がどう思おうと、他人に言うこともなくする・・・なかなかできることではない。ゆりえさんについて、後半の文にも、環境保護の観点からマイ箸を持ち歩く、育英給付金をカンボジアへ送るなどの行為が紹介されていた。善人は急逝する・・・つい先日、ボクの身近で非常に優秀な人が50歳で急逝された。

(第765話) 奇遇 2007,5,13
 ”ひなびた一軒宿の温泉に一泊。身も心も生き返った思いで朝を迎えた。帰り支度をして、帳場で宿賃を払っていると、「あらあ!」と声がかかった。仕事関係の知り合いの女性だった。彼女も一人旅で、期せずして同じ宿で一夜を過ごしたのだった。
 二人がバスに乗り、鉄道の駅に着くと、閑散とした待合室に一人の男がいた。これまた親しい知人だったのだ。「えー!こんなところで会うなんて」肩をたたきあってめったにない偶然を喜んだ。彼はこれから温泉に向かうのだという。そして、おじさんの隣でほほ笑む女性をチラリと見て、ささやいた。
 「ぼく、口堅いスから・・・、黙ってますから・・・」”(4月28日付け中日新聞)

 飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。思いがけないところで思いもしなかった人に会う、奇遇と思う。でも奇遇と思える人は、好意を持てる人、少なくとも嫌悪する人では思えないのではなかろうか。だから奇遇と思えるときは嬉しさを伴っている。
 最近ボクに起こった奇遇の話をひとつ。先月末に老母がある老人施設に入所した。担当の若い女性介護士さんは同姓、顔も何となく似ている、もしやと思って尋ねてみれば、ボクの小学校同級生の娘さん。更にボクの娘の小中学校の同級生であった。もちろんボクがその女性に会うのは始めて、これは奇遇と思う。安心して老母を預けられる。

(第764話) ワラビ 2007,5,11
 春の里山は山菜の宝庫です。しかし、里山は町に近い、地価が安いなど住宅に、工場用地に都合が良い場所でもあり、開発が続けられています。
 “しかし、まだまだ‘ワラビ山’は残されています。次の世代の人たちのためにも大事にしたいものです。何しろ、万葉の時代以来、守り続けてきた山なのですから。『万葉集』に志貴皇子の素晴らしい作品があります。
   石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも
 「岩の上をほとばしる滝のほとりにも、サワラビが芽を出す春になったなあ」という喜びがあふれています。芽を出したばかりの状態がサワラビ。ワラビの呼び名も、童のかわいらしい小さな拳からきているようです。
 重曹などで上手にあく抜きをすれば、これほどうまい山菜も少ないでしょう。さっとゆがき、かつお節としょうゆをかけて素朴に食べるのが春の風味が一番生きます。酢みそあえ、汁の実にも良く合います。”(4月29日付け中日新聞)

 食文化史研究家・西武文理大客員教授が毎日曜日、1年間にわたり連載されてきた「いただきます」と言う欄からです。今回の「ワラビ」が最終回です。いつかこの欄から紹介もと思っていましたが、最終回になってしまいました。
 ワラビはもっとも一般的な山菜ですが、こうして説明されると何とも趣のある植物に思えてきます。今年もボクは沢山採ってきました。こんな知識も持ちながら採ったり食べたりするとより味わいのあるものになります。
 里山の開発は愛知万博会場問題で大きな話題になりました。結果的には当初計画が大幅に縮小され、里山の大切さがあらためて認識されました。開発と保全、難しい問題ですが、この経験も生かさねばなりません。

(第763話) 命の祝日 2007,5,9
 “四月二十八日。私にとってこの日は、生涯忘れることができません。「宝の命」ともいうべき新しい生命をもらった日だからです。
 その日の朝、中央手術室に私は、天井に取り付けてある照明器具を見ていました。覚えているのは、そこまで。あとのことは全く覚えがないのです。気が付くと、病室のベッドの上でした。辺りは既に暗く、朝かから八時間ほどたっていたようです。「手術は大成功でしたよ」と看護師さん。
 当時二十代だった息子が、腎移植のドナーになってくれました。「今、ドナーになってあげないと、母さんが亡くなるとき、僕自身が後悔すると思う」。涙が出るほどありがたい言葉でしたが、将来ある彼のことを思うと、随分迷いました。最終的には、息子の好意を受け、現在、健康になれた私がいます。
 ありがたいことに、息子も元気でいてくれます。三回目のこの日が巡ってきます。この日は、わが家にとって、「命の祝日」なのです。”(4月28日付け中日新聞)

 可児市の秋山さん(女・58)の投稿文です。「今、ドナーになってあげないと、母さんが亡くなるとき、僕自身が後悔すると思う」という言葉にただ感動です。ボクにはこういう境遇に出会わしたことがないので、こんな時どんな気持ちになるか、よく分からない。ただボクの親子関係からして、もしその気になっても「それまでしなくても」と回りに言われて止めるのが落ちではなかろうか。さて、ボクが親の立場で娘らはどうしてくれるだろうか、全く自信はない。それだけにただ感動です。羨ましい親子関係だ。

(第762話) 五七五夫婦 2007,5,7
 ゴールデンウィーク中は忙しさにかまけてこの「話・話」も休んでいましたが、再開します。休んでも気になっていた「話・話」。

 “「定年後隣のご主人主夫変身」 「そういえば 奥さん鏡でヒゲそってた」
 「脳細胞 使わなければ 死滅する」 「英会話中国語韓国語 始めるか」
 「欲張って 頭パニック脳パンク」 「絵にしよう まずは画材に五万円」
 「道具から入る人ほど すぐやめる」 「よし決めた メタボ改良スポーツだ」
 「スポーツの 前後にドカ食い逆ぶとり」 「そうだった 田舎暮らしがボクの夢」
 「とんでもないあたしゃネオンを愛してる」 「あこがれは野菜作りとソバ打ちだ」
 「結局は 畑の真中でみのむしよ」  「三人の子らが老後のじゃまだよな」
 「鬼になり 息子と娘追い出そう」 「定年後 頼りになるのはやはり妻」
 「でもあたし熟年離婚 思案中」 ”(4月25日付け中日新聞)

 「夫婦のための定年塾」主宰の作家・西田小夜子さんの文からです。なかなか傑作、見事なものである。これを会話の中でするのだから・・・・5・7・5と指を折っていては様にならない。こうした茶目っ気のある夫婦は羨ましい。
 わが家も5・7・5夫婦である。でも、いつも難しい顔をしていてこうはいかない。でも素養は十分にある。もう25年以上も2人で指を折ってきたのだから。


川柳&ウォーク