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第36号  2007年4月

(第761話) 老期 2007,4,30
 “今日、新聞や書籍、テレビなどでは、老齢期を老後と呼んでいます。私だけかも知れませんが、「老いの後」という言葉には、「死」というイメージがついて回るような気がします。したがって、老年の意味で使われている「老後」を、今後「老期(ろうご)」と呼ぶようにしてはどうでしょうか。
 ちなみに私は、老期の77歳までを「若年寄」、88歳までを「老中」、89歳以降を「大老」と呼ぶように決めています。私は人に年を聞かれたら、「若年寄」と答えています。はたして、私は「大老」まで出世できるのでしょうか。健康に留意して老期を大切にしたいと思います。”(4月23日付け朝日新聞)

 鹿児島市の山下さん(男・70)の投稿文です。ボクも前々から言葉の使い方がおかしいのではないかと思っていたので、我が意を得たりと紹介した。今使われている老後の意味は、老いの「後」ではなく「最中」の時期に使っている。言葉を変えて言えば「壮年後」であり、もっと言えば「老年」の方が素直だ。老年がある時期まで、例えば80歳までを言い、その後を老後というのなら理解できる。まあ、いずれにしろ「・・・の後」などと、付け足しのような言葉でなく、その時期そのものを差す言葉にした方がいいと思う。
 こんなことを思いつく山下さんは、大老間違いなしである。

(第760話) 70回目の結婚記念日  2007,4,28
 “私たち、結婚いたしまして七十回目の記念日をこの三月二十一日に迎えました。おかげさまで元気に暮らしております。五十年が金婚式、六十年がダイヤモンド婚式と申します。七十回目の記念日は何と申すのでしょうか。
 戦前、戦中、戦後と山あり谷あり波瀾万丈の中も、無事に過ごしてまいりました。三人の息子たちも、既に長男は定年後五年を過ぎました。二男も今年八月には無事に定年を迎えます。本当に今、晩年を迎えてこんな平穏な生活を送ることができるとは夢にも思っておりませんでした。孫、ひ孫までできました。私たちも元気で暮らすことができまして、ありがたいことだと、ただただ感謝の毎日を過ごしております。”(4月10日付け中日新聞)

 名古屋市の後藤さん(女・87)の投稿文からです。少し前の時代、金婚式も珍しかったが、今はそれほどでもない。しかし、夫婦揃って結婚70年を生きる夫婦は現代でも少ないと思う。20代で結婚しても、2人揃って100歳近くまで生きねばならない。婚期の遅くなったこれからは更に難しいことであろう。今の老人世代にしかあり得ないことか・・・後藤さんは17歳で結婚してみえる。人生いろいろな幸せがあるが、夫婦揃って長生きはその最たるものではなかろうか。
 ダイヤモンド婚式の上は・・・・ボクも調べてみたが、・・・見あたらない。想定外なのだろう。

(第759話) 耳マーク 2007,4,26
 “健常者には障害者の辛さはなかなか分からない。聴覚障害者は銀行や郵便局、病院などで自分が呼ばれても分からない。うっかりしていると順番を飛ばされてしまう。そんな聴覚障害者の羽田野さん(女・47)の話からです。
 “四年ほど前のこと。初めて入った地元の郵便局で、羽田野さんが胸に着けていた「耳マーク」のブローチに局員の一人が気づいてくれた。耳マークとは、耳が不自由だということを障害者白身がアピールするための表示だ。カードやシール、バッジなどさまざまなグッズがあり、「筆談してください」とか「耳が不自由です」などのメッセージが書いてある。
 その局員さんは、飛び切りの笑顔で目を見ながら筆談で対応してくださった。いつもならお金が関係する場所だけに、不安で胸が苦しくなるが、このときは緊張がほどけて幸せな気持ちになれた。これがきっかけとなり、自分と同じ境遇の人たちのために、「耳マーク」の普及活動に加わることになった。”(4月8日付け中日新聞)

 前回に続いて障害者の話である。志賀内氏の「ほろほろ通信」からです。本当にこうして伝えてもらわないと、障害者の苦労は分からない。悪気もなく辛いことをしでかしてしまう。そして、こうした耳マークのような表示も必要であろう。気づけば、十分ではないかもしれないが、それなりの気遣いはできる。障害者も折角頂いた人生、その人生を大いに謳歌できる社会にしたいものだ。

(第758話) 竜ちゃんだより 2007,4,24
 “「へんな奴(やつ)だと思うよね。それでもいいよ。竜介の個性だと思ってね」愛知県東海市の主婦佐藤美幸さん(52)が、自閉症の二男竜介さん(16)の近況をつづる「竜ちゃんだより」。「竜ちゃん」が小学4年の時、自閉症のことや日々の生活、家族の思い知ってもらいたいと作った1号には、こう記されている。(中略)
 毎号、感謝の気持ちを込めて語りかけるようにつづってきた。パソコン制作のA4判1枚に、写真や、「竜ちゃん」が得意な絵もあしらって。読者は広がり、今では小、中学時代の同級生を中心に500部を届ける。
 「たより」も3月発行分で通算18号。同月、美幸さんは「竜ちゃん」が小学1年の時に6年生で通学班長だった女子大生と、バスの中で偶然会った。福祉分野への就職を目指して大学で勉強しているという。「竜ちゃんがきっかけかな」。彼女が別れ際にさらりと言ったひと言。また、心が躍った。”(4月6日付け中日新聞)

 ボクの身近に生まれつきや小さいときからの障害者はいない。だから障害者を抱えた家族の気持ちは本当はよく分からない。しかし、こうした投稿文はよく目にし、その文からはいずれも障害者を抱えた苦労より、喜びを語るものが多い。もちろんそれだから投稿されるのであろうが、それにしてもよく目にする。健常者の子育て比べ、その苦労は比較できないほど大きかろうが、苦労の多い分、喜びも大きいと言うことだろうか。これは何事にでも言えることではあるが・・・。
 「竜ちゃんだより」などというものを発行する思いつきも素晴らしいが、個人のことで500部というのも素晴らしい。500人以上が友人とも言えるのだから。

(第757話) トイレ掃除 2007,4,22
 “友人から学校のトイレ掃除を手伝ってくれないかと電話があり、母校の高校ヘ出かけました。「日本を美しくする会」という団体が学校に美しいトイレをプレゼントしよう、掃除を学ぼう、と全国で進めている運助だと知って驚きました。
 卒業して50年以上。家ではトイレの掃除などしたことがありません。「行けば分かるだろう」と参加したら、同窓生が80人余り集まっていました。10人ほどのグループに分かれ、私たちには小の便器が割り当てられました。七つ道具が並べられ、リーダーの説明と指導でスタート。便器に顔を突っ込み、悪戦苦闘しましたが、そのうちに時間が足りないほど熱中していました。天井、窓、壁、床が見違えるほどきれいになりました。
 リーダーのOKが出て、「やったぞ、できたぞ」の達成感と感動が全身を走りました。生徒が春休み中の我々のこの仕事をどう受けとめてくれるかという楽しみもあります。”(4月6日付け朝日新聞)

 可児市の石井さん(男・74)の投稿文です。「学校に美しいトイレをプレゼント」しようという運動が全国で進められているという。いろいろなことを考える人がいるものだと感心する。皆が社会貢献を少しだけする、これで社会は大きく変わる。特にこれからは高齢社会、高齢者の活用は高齢者自身にとっても重要なことである。この石井さんのように、したこともないトイレ掃除で「達成感と感動が全身を走った」などという言葉を聞くと、何が幸いするかしれない。いろいろな試みが必要のようだ。しかし、立ち上げる人や主催者の苦労は大きいが・・・・。

(第756話) 冨田一里塚 2007,4,20
 “一宮市冨田の国指定史跡「冨田一里塚」のエノキを守ろうと二十七日、地元の小学生らが薬剤を塗るなどの治療に取り組んだ。
 冨田一里塚は旧美濃路では唯一、街道の両脇に残っている一里塚。塚に生える二本のエノキは、樹齢三百年以上ともいわれている。エノキの枯れた部分の腐食を食い止め、生きている部分の生育を促すため、樹木医学が専門の岐阜大名誉教授林進さんと市尾西歴史民俗資料館は二〇〇二年から樹木診断と治療を続けてきた。治療活動は今回で六回目。参加した七人の児童らは、木の繊維をつなげる有機薬剤や根の生育を助ける有機薬剤をペツトボトルやじょうろでまいた。
 講師を務めた林名誉教授は「冨田一里塚はまちの価値そのもの。子どもたちには地域の文化財のことを知り、守っていってほしい」と話していた。”(3月28日付け中日新聞)

 全くローカルな記事であるが、ボクのよく知った史跡であり、こんな小学生の活動もあることを知って紹介した。文化財を守る、植物の命を繋ぐ、これは今後ますます大切なことになる。小さい頃からこういった活動は貴重な経験である。林教授も私の知った人である。活動の輪を広げていって欲しいものである。

(第755話) 卒業式の朝 2007,4,18
 “息子の卒業式前日のことです。学校生活十二年間で、配布されたプリントを自ら見せてくれたことがないのに、「見といて」と渡された。その中に学級通信があって、最後の宿題が書いてありました。「けじめの日です。朝ご両親に『ありがとう』と言って登校しましょう」と。
 当日、洗濯物を干していると、玄関から大声で呼ぶ声が聞こえます。卒業式当日まで自転車の鍵が見当たらないのか「何?」と関くと、「自転車通学最後だから見送ってよ」と言う。全く甘えて、と思いながらも「行ってらっしゃい」と言うと「うん。それから、けじめだから言っとくね。十八年間、ありがとう。行ってきます」と笑顔で玄関を出ました。「行ってらっしゃい」と言うのが精いっぱいでした。今まで宿題をやっていくなんてない子なのにびっくりしてしまいました。洗濯物を干し終わるころには、涙があふれて止まりませんでした。いろいろなことが思い浮かんで、言葉には表せない気持ちでした。”(3月25日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水谷さん(48)の投稿文です。息子でも高校生の時期は親にとってもっとも扱いにくい時代。なにを言ってもろくに返事もしない。でも平生はつっけんどんでも、これがあればいいのだ。内心では感謝をしているのだ。水谷君は素直なものだ。ボクなど感謝はしていたが、態度はひどいものだった。

(第754話) 愛知が世界に 2007,4,14
 “「愛知がワン・ツーですよ。世界でですよ。すごいことですよ」。リンクサイドで安藤選手と浅田選手の演技を見守った愛知県スケート連盟の久野千嘉子・フィギュア委員長は、演技後も興奮冷めやらぬ様子。「二人とも、リンクから上がってきたら涙、涙。すばらしい瞬間に立ち会えて本当に興奮しました」
 やはり名古屋のリンク育ちの中野友加里選手も五位。二十二日には、アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどりさん(37)もフィギュアの国際殿堂入りの表彰を受けたばかり。「フィギュア王国・愛知って言われますけど、愛知が世界になっちやった感じですよ」
 今回の結果に「美姫ちゃんと真央ちゃんは、小さい頃から姉妹みたいだった。美姫ちゃんは、お姉さんの貫録をみせたね」と喜びながら「愛知県大会みたいだけど、世界選手権なんだね」と自ら言い聞かせるように話した。”(3月25日付け中日新聞)

 ボクもフィギュアのテレビ放映があると、妻と並んでいつも見ている。美しい、素晴らしい・・・その他にいつも愛知県出身者がいると言うこともあるかもしれない。氷が張るような地域ではない愛知県がなぜフィギュア王国なのであろうか。場所、指導者などスケート環境に秀でたものがあるのであろうが、それにしても国内を相手ではなく、世界を相手に愛知が出てくるのはどうにも理解できない。トヨタと共に愛知が誇れることである。これを嬉しく思うのも郷土愛か。

(第753話) 孫との修学旅行 2007,4,12
 “私には孫が三人います。上の孫が中学に上がるころ、三人を前にして「あなたたちが中学を卒業して高校が決まったら、おばあちゃんと卒業旅行しようか」と提案しました。三人とも「ハーイ」と手を挙げてくれました。本当に行くのかなあ。卒業のころには気が変わるかも、と思っていました。
 二年前。上の孫娘、卒業が近づいてきたころに「あの約束忘れていないから、食べ歩き旅行しようね」。二人で高山方面ヘ1泊旅行に出掛け、あれ食べ、これ食べ、大笑いして孫との楽しい思い出づくりができました。
 さて、今年は二番目の孫娘が卒業です。先日の推薦入試に合格するなり、電話で「おばあちゃん受かったよ。旅行に行くからね」が第一声です。「よおーし」。早速、旅行社へとんでいき、また食べ歩き旅行です。今回も高山方面です。あの雄大な穂高連峰のように大きく、凛として歩んでほしいと思います。来年は孫息子ですが、「本当におばあちゃんと行ける?」と聞くと、「僕も絶対行くからね」と言ってくれました。”(3月24日付け中日新聞)

 尾西市の竹島さん(女・66)の投稿文です。高校生にもなる孫が、本当におじいちゃんやおばあちゃんと旅行に付き合ってくれるのか・・・・竹島さんはよほどいいおばあちゃんだ。妻にこの文を見せたら、ニヤッとしたのみ・・・自信のほどは分からない。少なくともボクにはない。おごってもらうことが目的でも、羨ましいことである。

(第752話) 希望 2007,4,10
 “「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。(中略)。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときはじめて老いる」(宇野収、作山宗久訳)というのは、幻の詩人、サムエル・ウルマンの詩の一節である。
 理想を希望と変えても、全く同じである。私は常にこの詩を心に留めて生きている。人生にはつらいこと、悲しいことを含めて挫折を感じる時が少なくない。それでも、これまで何とかやってこられたのは、常に希望を捨てなかったからだと信じている。
 理想に近い大きなものから、おいしいものを食べたいというささやかな望みまで色々ある。人によって異なるが、人生には幾つかの節目がある。小学校への入学、上級学校への試験、就職、結婚、昇進などの時点で、必ずしも期待通りにはいかず、挫折を味わうのは避けられない。順調にきたかに見える人でも、その人なりに苦節を味わったはずである。
 それを乗り越えてこられたのは、先に希望があったからにほかならない。希望さえ失わなければ、どんな苦難にも耐えられる強さを人は持っているものなのだろう。”(3月21日付け朝日新聞)

 「希望」というテーマで募集されたものから、常滑市の沢田さん(男・69)の投稿文です。理想や希望を持つに越したことはないが、ないことはそんなに問題であろうか・・・日々何となく過ごし、そんなことをいちいち考えていないと思うが・・・・。
 でも、ボクもやはり必要だと思う。日々必要なくても、考えたときに出てこないと、これは闇に陥る。何のために、何を楽しみに生きているのだろう・・・・希望や理想を考えるときは、多分落ち込んだときに多かろう。その時、自分にはこんな楽しみがある、これをしなければならないと思えれば、立ち直りは早い。また、老いるとはなにもしないことと定義すれば、希望や理想をなくせば老いは早い。
 しかし、ほとんどの人は心配しなくても、大それたものでなくても、また問われて答えられなくても、何か持っているものだ。そのことは「死にたいか」と問われれば、ほとんどすべての人は「死にたくない」と答えることが証明している。「死にたくない」とは何か望みがあるのだ。

(第751話) 駐在さんの定年 2007,4,8
 “「離れても連絡を取りたいので、住所を教えてください」。紙と鉛筆を差し出した女の子の手は震え、別れの辛さから目に涙をためていた。警察官の首藤さん(60)は今月、豊田市内の大林駐在所で定年を迎えた。大林小学校で開かれた感謝会が終わった後も、首藤さんが休憩していた校長室の戸を子ども達が次々とたたいた。
 5年前に赴任以来、登校する子どもたちのために毎朝交差点に立ち、下校時はパトロールを欠かさなった。入学式や卒業式で、子どもの目線で、交通ルールや護身術を教えてきた。地域から親しまれただけでく、首藤さんもまた地域や子どもたちを愛したのだろう。校長室にあった児童名薄を手に「お姉さんらしくなったな」「いつも道草食ってたな」など、一人一人の思い出を話した。
 「定年なんてなければいいのに」。別れ際に首藤さんは、女の子が手渡した手紙を涙をこらえながら読んだ。「住民の安全を守る」駐在所で、愚直に仕事を続けてきた駐在さんと、子どもたちとの「両思い」が、まぶしかった。”(3月20日付け中日新聞)

 駐在さんや教師には時折聞く話である。それは、それだけ人と人の、組織や利害を度外視した濃密な触れ合いがあるからである。それでもこれだけ惜しまれて定年退職する人も少なかろう。人間として名誉や金銭以上に誇れるものである。
 ほとんどのサラリーマンでは、その人がいなくなっても何ら組織に痛痒はない。自分がいなくなったら組織が困るだろうと思っているのは自分ばかりである。ましてや相手方から惜しまれることなど至難なことである。

(第750話) 退職した男性(その3) 2007,4,6
 “退職した男性を「粗大ごみ」[ぬれ落ち葉」などと呼んだり、テレビで「亭主在宅症候群」について話し合ったりしていたのを見ました。どうしてこんな言葉が生まれたのでしょうか。家族のために一生懸命働いて、退職した揚げ句、これでは男性が可哀想です。
 私は長い間、共働きだったので、一日中、顔を合わせていたのは夫が退職した後の2年間でした。その間の時間は実に貴重だったと思います。世の中で、夫婦ほど綿密で、いい関係はないと思います。子どもが巣立った後は2人の生活を大切にしていくことを、ずっと考えていました。
 早かれ遅かれ死の別れが待っています。夫が亡くなった後は、すべての雑事が自分にかかってきており、改めて夫の存在を大きく感じます。”(3月17日付け朝日新聞)

 新城市の主婦・佐宗さん(71)の投稿文からです。共働きであった、退職して2年間ばかりで亡くなった、こんなこともあって佐宗さんにはより夫婦二人の時間が貴重であったという思いはあると思うが、本来はそうであるのだ、そうでなければいけない。最後頼りのなるのは夫婦、そんな思いになれるよう二人で協力しなければいけない、退職後の男性の努力しなければならないことであろう。
 しかし4月2日の中日新聞には、定年後引きこもる父を心配する相談に「静かに見守ってあげて」と言う意見であった。しかし、やはりそれでも退職後少しの間であって、行動できない男性に対しては、周りがフォローする必要を説いていた。そうしないと、早くぼけて周りが大変だと脅していた。

(第749話) 退職した男性(その2) 2007,4,3
 3月29日に掲載した「(第745話)退職した男性」に対する意見が、案の定投稿されていたので、2話紹介します。

 “本欄の「退職した男性可哀想だなあ」(10日)を読んで度肝を抜かれた。「核兵器」から「ミノムシ」族、あげ句の果ては「亭主在宅症候群」とは。そんな言葉があることさえ知らなかった。こんな暮らしは男性のみならず一緒に暮らす女性も可哀想に思う。
 私たち夫婦は2年前に退職したが、違和感もなく暮らしている。私は夫を「ミノムシ」族と思ったことなど一度もない。女性からこんな風に思われぬために夫の日常を思い切って記すと、@しゃんとしたメリハリのある生活A何事にもやる気を持つB相手へのやさしい気配りと感謝C身ぎれいで、ちょっとしたおしゃれD趣味を楽しむE室内の整理整頓、などである。
 日常生活はさらりと夫はやっている。それを見てすごい人だと初めは思ったが、よく考えれば当たり前のことで、誰でも出来る。平均寿命は延びている。共に明るく健やかに暮らすコツは、男性もこまめに家事を手伝い、互いによいところを褒め合うことだ。そうすれば気分よく暮らせる。「ミノムシ」族に続く言葉はないと確信します。”(3月17日付け朝日新聞)

 鈴鹿市の主婦・中尾さん(62)の投稿文です。ミノムシ族には大変参考になる話です。やはり退職したからと言ってなまかわはいけないということでしょうか。ボクにはCが特に問題だ。

(第748話) 休日寝だめ 2007,4,1
 “普段の寝不足、休日に捕えません!。休みの日に遅くまで寝ている人ほど、不眠や抑うつを訴える割合の高いことが17日、働く人を対象とする内村直尚久留米大助教授(精神神経学)の調査で分かった。平日の睡眠時間の短さは、抑うつと強く関連していた。
 同助教授は「時間が不規則だと熟睡感が得られない。良い睡眠のためにはできるだけいつも同じ時間に起きることが重要」としている。調査は昨年12月、首都圈の35〜59歳の勤労者約九千人を対象にインターネットで実施、約六千人から有効回答を得た。それによると、平均睡眠時間は平日6.1時間、休日7.3時問。休日の起床時間が平日より2時間未満遅い人が不眠を自覚する割合は25.9%なのに対し、2〜3時間で29.4%、3時間以上で33.3%と、平日との差が大きいほど不眠の人が多かった。抑うつ経験も、2時間未満4・3%、2〜3時間5・2%、3時間以上6・2%となった。”(3月17日付け中日新聞)

 この話については、ボクも威張って言えます、平日も休日も起床時間は全く変わりませんから。それも子供時代から、まさに親のしつけです。昔は夏と冬との起床時間が変わっていましたが、ここ10年位はそれも変わりません、5時半起床です。
 数字的なことは別にして、この話はかなり昔に聞いたことがあります。寝たかったら、「一度起きてからまた寝なさい」ということも聞いたことがあります。どこで聞いたか覚えもないですが、この話はボクの行動に大きな影響を与えています。


川柳&ウォーク