ha0702

第34号  2007年2月


(第733話) 人生のツケ払い 2007,2,28
 “「神様って不公平、あなたばかりが幸せなんて」。しゅうとめと、子どもの教育問題で悩んでいるダンス教室仲間に、そう言われたのは、10年前。末娘が中学校に合格が決まったところだった。
 そのとき「そのうちつけが来たりして」と思わず言ってしまった私のおごった言葉を神様は見過ごさなかった。1週間もたたないうちに、夫の健康診断で気になる首のしこりが見つかり、その1年後には、医者の宣言どおりに帰らぬ人となった。
 次の年には、女性として一番尊敬していたしゅうとめが突然なくなった。私も、夫と同じ悪性リンパ腫で、抗がん剤を打つ闘病生活を送った。
 親友と思っていた友人と疎遠になったり、「今までが幸せすぎたのだよ」と言われたりもしたが、気がついてみたら、両親を相次いで失いかけた3人の子どもたちは、思いやりのある、自立した道を歩んでくれている。
 そして、ふと思う。あのときの彼女は、どんな10年を送っただろう、と。”(2月12日付け朝日新聞)

 藤沢市の堀田さん(女・58)の投稿文からです。人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとし・・・人生山あり谷あり、そのくり返しである。まさにその証明のような投稿文です。よって有頂天にならず、またあまり落ち込まず、と言いたいがなかなか難しいことである。喜びも悲しみも大いに持つが、その期間をあまり長くしないこともひとつの賢い方法ではなかろうか。
 ボクは一生を均せば、人によってそれほど大きな違いはないと思っているが、いかがであろう。

(第732話) 初孫 2007,2,26
 “娘は、間もなく初めての出産を迎えます。私たち夫婦にとっては初孫。私の両親にとっては初めてのひ孫です。昨年末から里帰りし、私と一緒に散歩をしたり、買い物に行ったりと、結婚前よりも一緒にいる時間がずっと長いように思います。
 夫はと言えば、毎朝仏壇に手を合わせ、娘の無事な出産を祈っているようです。入院中の夫の母は、病室の窓から見える朝日に「『赤ちゃんが元気に生まれますように』と、手を合わせているよ」と言い、たまに電話をくれる私の母も「元気にしてる?」と孫である娘を気遣ってくれています。
 単身赴任の京都で、一人頑張っている婿どの。婿のご両親と、そのまたそれぞれのご両親、夫の両親と私の両親、それに私たち夫婦を加えると、娘のおなかの子には、合わせて十二人のおじいちゃん、おばあちゃんがいることになるのです。”(2月16日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水越さん(56)の投稿文です。孫の誕生を楽しみに待つ水越さん、そしてそれを取り巻くおじいちゃん、おばあちゃん、家族が心をひとつに寄せる関心事、初孫となればよりである。幸せ家族の象徴である。
 実はわが家もつい先日、そんな味わいをした。娘の第2子の誕生、予定日は2月*日、娘は1月下旬から里帰りしていた。予定日を過ぎてもなかなか出産の兆候がない。結局11日過ぎて無事出産、皆ホッとしたことである。今わが家は嬉しいてんやわんやである。とてもテレビを見てゆっくりなどさせてもらえない。孫の力は大きい。

(第731話) オペラで恩返し 2007,2,24
 “一宮市奥町の声楽家吉川友吏江さん(53)が18日、同市の県一宮勤労福祉会館で、オペラのチャリティーコンサート「フィガロの結婚(抜粋)を開く。10年前に亡くした夫の闘病中に世話になった人々への感謝を込め、恩返しとして始めたコンサートは今回で5回目。吉川さんは「気軽にオペラを楽しんでほしい」と張り切っている。
 吉川さんは1997年に夫を脳腫瘍で亡くした。半年前から在宅介護に取り組んだが、治療を受けていた病院の看護師やヘルパーが自宅に来て介護方法を教えてくれたり親身に相談に乗ってくれたりした。
 「最期まで悔いなく家族で過ごせたのも地元の人たちの支えのおかげ。何とか恩返しをしたい」と考えた吉川さんは、夫も応援してくれていた自分の音楽活動をもとにチャリティーコンサートを企画。夫を亡くした翌年から隔年で始め、収益を市社会福祉協議会などに寄付してきた。”(2月11日付け中日新聞)

 ボクの友人が合唱で出演するというので、行ってきた。オペラとしては半分程度に抜粋した小振りなものであるが、会場も近く、こんな近くで味わうことができてありがたかった。新聞で報道されたこともあってか、会場は満席であった。
 お世話になった人への恩返しとしてのチャリティーコンサート、なかなかできるものではない。いろいろな形の社会貢献があるものだ。

(第730話) 健康情報 2007,2,22
 “「朝と夕に納豆を食べるとやせるらしいわよ。朝は食パンに載せてトーストにすれば洋風にもなるし」母からの喜々としたメールは、後にねつ造が発覚した「納豆ダイエット」番組の放送翌日に届きました。妊娠中に十二キロも体重が増加した私は、このダイエット手法に興味を抱きつつも、特定の食品のみを集中的に摂取する弊害はないのかと話半分に聞いていました。
 ところが、その日の夕方にスーパーを訪れると納豆の棚はすべて空っぽ。テレビのバラエティー番組の持つ影響力をあらためて痛感するとともに、健康雑誌も含めたメディア情報に大きく左右される社会に対して、一抹の不安も感じました。
 あの番組をねつ造した制作会社は厳しく責任を問われるべきですが、受け手の側も情報の出所を確認するなど、健康情報の信頼性を評価する目を養う必要があるでしょう。今回の件は生命への影響はありませんでした。しかし、生死にかかわる重篤な病気に対して、「○○を飲めば絶対に治る」といった科学的根拠が希薄な情報を鵜のみにし、手遅れになってしまっては取り返しがつきません。またこうした代替療法・健康食品などの費用は保険が適用されないため、経済的な負担を強いられることも事実です。今回の事件を教訓に、身の回りの健康情報を再点検してみてはいかがでしょうか。”(2月9日付け中日新聞)

 いいなステーション代表の和田さんの「気になる医療用語」からです。健康に対する意識の高まっている現代、健康に関する情報は世にあふれている。それは結構なことだが、どうしてこうも新たな発見が次から次へあるのか、ボクはいつも不思議に思っている。そこに金になる木があるからとしたら、それは大変な方向に走る。それが今回の納豆問題を起こしたと言う気がする。

(第729話) 残飯 2007,2,20
 “最近、新聞で学校給食費の未納問題が取り上げられました。しかし、その問題もさることながら、私は以前わが子の給食参観をした際、給食後に出る残飯の多さにびっくり仰天したことがあります。残飯が、無残にも山のように投げ積まれていく様子に、大変ショックを受けました。その後、担任の先生に「あの無駄な実態は何とかならないのでしょうか」とのお手紙を書かせてもらいました。すると、きちんとカロリー計算されており、そうたやすく量を減らすことは難しい、との返事を頂きました。
 給食を食べているのに平気で代金を払わない大人たち。また、好き嫌いがあるのか、量の問題なのか、簡単に残してしまう子どもたち。どちらも食に対する感謝の気持ちが薄れている証拠で、日本人としてとても情けなく恥ずべきことです。私たちはいま一度、世界で飢えに苦しむ人々の様子を知り、食に対する感謝の気持ちを学ぶべきです。”(2月8日付け中日新聞)

 関市の主婦・木村さん(38)の投稿文です。日本の食に関する問題は山積みです。それを反映するように、投稿欄にもそれに関する意見が多く、当然、ここの「話・話」でも取り上げることが多くなる。こうした無駄の話から食糧自給率の問題、賞味期限のあり方、家庭の食生活、そしてダイエット・・・・。突き詰めていくと、多くは昔は健全だったとなる気がするが・・・これは単なる郷愁とは違う気がする。貧しかった昔の方がいいとは、なぜだろう
 日本経済が豊かになり、世界から食糧を思う存分輸入でき、わがままに使える。また家庭も生活の基本より経済的豊かさを優先して求める。問題はその反映にある気がするがいかがであろうか。

(第728話) アンリー・ルソー展 2007,2,18
 “愛知県美術館で開催されている、フランスの画家アンリ・ルソー展に行ってきました。あまり知られていない作品が数多くありましたが、どれを見ても一目でルソーの描いたものと分かりました。
 風景の中の小さな人物はまるでルソー自身の姿で、絵の中に入り込んだような感じで、不思議でした。ルソーは四十歳を過ぎてから絵を描き始めたそうです。それまでは税関吏をしていたそうです。そんな彼が後の芸術家に多大な影響を与えていたことを初めて知り、あらためて彼の偉大さを感じました。
 ルソー以外の作品では、イラストレーターでもある横尾忠則氏によるルソーのパロディーが面白いと思いました。”(2月8日付け中日新聞)

 小牧市の会社員・稲垣さん(男・45)の投稿文です。ボクもたまたま招待券をいただき、会場ではイヤホンガイドを借りて鑑賞してきました。絵画にはあまり識見がありおませんが、それなりに理解できました。そして、フランスの一人の画家が日本に及ぼした影響の大きさにびっくりしました。芸術は世界を越える、そういうものなのか・・・。

(第727話) モッコクの移植 2007,2,16
 “「私たちの宅地造成のために悠久の歳月を生きてきた一本の木を犠牲にはできない。移植して次の世代に渡したい」という依頼を、造成事業の現場の所長さんから受けました。二十年前のことです。
 木はツバキ科のモッコクで、樹齢約千年。造成予定地に根付いていました。この木を守りたいという先方の熱い思いを自分の情熱に変え、作業を開始しました。春に根回しをして、引っ越し用の新しい根を出させた後に移植するのです。
  一年後、根切りした所から、たくさんの新根が出ていました。根巻き作業を終えて、いよいよ移植の時を迎えました。(中略)
 移植したモッコクはその後、市の天然記念物に指定されました。今では地元の自治会のみなさんに愛され、地域のシンボルとして見守られています。一本の木を守ることの意義を伝えることは、容易ではありません。でも、一本の木が多くの人に何かを伝えていると信じ、次の世代に受け継がれていくことを願ってやみません。(2月7日付け中日新聞)

 「紙つぶて」という欄から、樹木医の塚本さんの随想です。最近は自然保存の意識が高まり、移植もよく行われているようである。愛知万博でも移植されたコナラの木が話題になっていた。
 大樹や老木を移設することは大変な費用がかかり、更に活着するかどうか危険がある。新しい木を植えた方が早いし確かである。それほどまでにする意義がどこにあるか、難しい判断があるだろう。しかし、いろいろあっていい、「一本の木を守ることの意義」は確かにある。この場合、天然記念物になり地域のシンボルまでになったのである。

(第726話) 告知・非告知 2007,2,14
 “2年半前に大好きな母が旅立ちました。肝炎から肝臓がん、肝不全で、がんが見つかってから旅立ちまで7ヵ月の駆け足でしたが、最期の日まで笑顔で元気でした。それは、すばらしい病院と主治医のおかげでした。
 私は母に告知しませんでした。でも、何度か迷いが出たし、私と同じ立場で告知しなかったことを悔やむ友人もいました。そんなことを相談した時の主治医の言葉を私は忘れません。
 「患者さんは知る権利もあるけれど、知らないでいる権利もあると思う。まだ闘える状態なら告知してがんばるというのもあるけれど、そんな状態ではない場合は、告知が患者さんに辛いだけの時もある」
 「告知も非告知も、家族が心から患者さんのことを思って出した答えなら、どちらも正しい答えだと思う。そんな気持ちは必ず患者さんに伝わるから」今も先生に、病院の方々に心から感謝しています。”(2月6日付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・高橋さん(45)の投稿文からです。告知・非告知は非常に難しい問題である。ボクの父親もガンで亡くなったが、告知しなかった。もう25年も前のことで、当時は気づかせないようにすることが一般的であったこともある。
 医学の知識がこれだけ広まると、気づかせないようにすることは難しい。それだけに、この問題はより難しくなっている。その中で、この医師の言葉はひとつの示唆になると思う。そうは言っても難しいことである・・・告知してしまえばそれまでだが、告知しない場合はいつまでも悩む・・・。
 ボクの父親ががんと知って亡くなったのかは 、今のボクにも分からない。

(第725話) 手作り歌集 2007,2,12
 “3月で還暦を迎えます。この区切りに、自分へのお祝いとして手作り、手書きの歌集を作ろうと準備を進めています。
 「短歌らしきもの」を詠み始めて10年の節目でもあり、以前習っていた絵手紙の手法も取り入れ、はがき大の紙に一首ずつ。絵も添え、目標は百首。テーマごとにスケッチブックに張っていくという簡単なものです。大胆に楽しいものを作りたい、というのが願いです。過去に投稿した歌を目にしては、当時の自分の言葉と向き合い、「こんなに苦しいこともうれしいこともあったんだ」とその時でないと生まれ出ない自分の思考にも驚きながら、歌を選んでいます。
 自分へのお祝いですから、完成しても誰にも見せない予定の1冊です。でも、孫にだけは見せてもいいかな。この1冊がきっかけで、短歌が好きになってくれればいいなという期待もあります。(2月2日付け朝日新聞)

 土岐市の主婦・沢田さん(59)の投稿文からです。こうした自分の歌集や自分史を編集、発行することは非常にいいことだと思う。人間は思い出に生きるものであり・・・もちろんそれだけではいけないし、それだけではないが・・・。過去をふり返り、思い出に浸り、反省し、次に向かう。
 ところが次に問題が生じる。折角まとめた作品である。多くの人に読んでもらいたくなる。今はこうしたものを手助けする出版社も多く、発行がたやすくなった。多くの人に謹呈する。もらって嬉しい人もあるが、多くは本人が思うほどにありがたくないのである。その点、沢田さんは賢い。自分用に1冊だけ作られるのであるから・・・・。

(第724話) 死亡広告 2007,2,10
 “20日の本紙に、ご本人の遺言状をそのまま載せた、64歳で亡くなられた男性の死亡広告があった。その方がどんな経歴の持ち主かは存じ上げない。しかし、ご本人が死後の遺族の立場などを考慮して、生前に書かれたであろう文章を読んで、非常に感銘を受けた。
 遺言状には「葬式はせず、遺骨等も残さないよう家族に遺言してあるので、ご理解下さい」とある。とりわけ、「私に好意を持っていて下さった方々にお願いできるものでしたら、妻や娘に私とのお付き合いがどのようであったかなどを書いた手紙を送ってやっていただければ、この上もない幸いです」という一節に心を打たれた。
 アフリカのある部族は「人が死んでも、その生前を知る人が生きているうちは、死んだことにはならない。生者が心の中に呼び起こすことができるからだ」と考えるそうだ(21日の「天声人語」)。”(1月27日付け朝日新聞)

 岐阜県の四元さん(男・67)の投稿文からです。ボクも新聞に掲載された死亡広告の全文を読んだ。全く珍しい、新たな発想の広告である。死亡後の儀式について、ボクは全く意味がないとは思わないが、いつも何か釈然としないものを感じている。
 遺族にとって、葬儀に参列された方がどのような方か分からなくて、戸惑われることも多かろう。故人が家の外でどのような行動をされていたか、分からないことがほとんどだろう。この遺書にはそんなことに対する配慮がある。ひとつの手法と思う。

 この投稿文には記されていなかったが、ボクは次の文にも興味を持った。
 “私を支持してくださった方はもちろん、敵対された方々の行動も私の人生を飾り付け変化に富んだ楽しいものとしてくださいました。”
 この文もなかなか書けることではない。磯部さんの人柄が分かるというものだ。

(第723話) 早朝のチャイム 2007,2,7
 志賀内さんの「ほろほろ通信」から、名古屋市の松本さん(81)の話です。
 “歳取ると朝早く目が覚めてしまう。そのため、新聞が待ち達しくなるという。玄関まで出る。それでも待ちきれず、五十mぐらい先の角まで歩いて行き、新聞配達の人を待っていた。
 四年前のある晩秋のこと。いつものように通りの角で待っていると、配達の女性の方が、松本さんの姿を見て「これからの時期、寒くなりますから家の中で待っていてください。新聞受けに入れたときに、チャイムを押して知らせますから」とおっしゃった。以来、ベツドの中で新聞を待つようになった。午前四時四十五分になるとチャイムが鳴る。
 松本さんは表まで聞こえるほどの大きな声で、「ありがとう」と言って玄関に出る。すると、ちょうど近所に配達を済ませたその女性と顔を合わせることになる。「寒くなりましたね。風邪をひかないように気をつけてください」と声を掛けてくれる。それが秋なら「紅葉がきれいですね」、梅雨時なら「蒸し暑いですね」などと。その間、ほんの数秒。でも、そんな短い会話がこれから始まる一日をすがすがしくしてくれる。
 その後、配達の人は代わったが、チャイムを鳴らすことは引き継がれているそうだ。一言のあいさつも。”(1月26日付け中日新聞)

 今日も街角のささやかながらいい話である。こうした交流を通じて、人生豊になる。
 いつも思うのだが、新聞配達というのは本当に大変だと思う。雨の日も雪の日も、暑い日も寒い日も休むわけにはいかない。体調の悪い日も急に都合が悪くなる日もあろう。いろいろ体制は取られているとは思うが、無理をすることも多かろう。その中でこうした気遣い、でもこの交流は配達員の方の励みにもなっているのではなかろうか。
 ボクも小学生の時、新聞配達をやろうと申し込み、翌日から始まると言うときに、父が断ってきてしまった。父の考えもあったと思うが、少し残念な気もしている。

(第722話) 大きな木 2007,2,4
 “老人が孫と一緒にゴルフコースに出た。この日、孫は非常に調子がよく、老人は負け続けた。八番ホール。コースの真ん中の大きな木が、グリーンまでの行く手を妨げていた。「ワシがお前くらいの年の時には、ボールはあの木の上を超えて飛んだもんだ」孫は負けじと強打したが、ボールは木に当たりほとんど打った地点まで戻ってきてしまった。老人はニヤリと笑ってひと言。「まだあの木の高さは1mほどだったがの」”(1月18日付け中日新聞)

 「世界のジョーク」からです。ボクは最後まで呼んでやっと頷いた。何となく陥りやすい罠である。現代社会はこういった陥りやすい罠が有象無象にある。調子のいい話には特に慎重にならねばなるまい。特に儲け話や消費者勧誘など、話題に事欠かない。

(第721話) エコ買い  2007,2,2
 “2006年度の新聞広告クリエーティブコンテストの最優秀賞に輝いた「エコ買い」を見て、目からうろこが落ちる思いをしました。
 「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」という惹句(じやっく)です。消費者が奥に置いてある新しい牛乳を選んで買うと、古い牛乳は売れ残ります。日本全国では毎日、約二千万人分の食料が賞味期限切れなどの理由で捨てられているそうです。このことを知り胸が痛む思いをしたのは私だけではないはずです。
 これは消費者に向けられた新聞広告ですが、多くの人に事の重大さを理解してもらうのはなかなかできません。そこで、スーパー側が消費者心理を考えて売る工夫をしてはどうでしょうか。
 私は賞味期限が迫った商品を、値段に差をつけて売ってはどうかと思います。たとえ五円でも安ければ、賢い主婦は納得して買うはずです。「エコ買い」を徹底するために消費者と販売者の双方が努力しなくては、机上の空論に終わってしまいます。”(1月15日付け中日新聞)

 愛知県額田郡の主婦・本多さん(56)の投稿文です。このエコ買いについて、投稿欄等で多くの人が話題にしていた。それもおおむね好意的に。そんな時代になったのかと、少し感心しながら読んでいた。しかし、ボクにはひとつ頷けないものがある。消費者にしてみれば新鮮なものを求めて買うのが自然である。魚や野菜ではどうだろうか、この牛乳と同じように古いものから買おうという意見が出てくるだろうか。不二家の賞味期限切れの原料を使ったことが大きな問題になった。賞味期限は人間が勝手につけたもので、実際にいたんでいたわけではない。何か都合のいい使い分けをしている気がして仕方がない。
 と言って、ボクはエコ買いを否定するものではない。そして、エコ買いを進めるなら、本多さんの言われるように値段に差をつけるとか何か方策を施さないと無理があるし、拡大もしないだろう。


ハイブリッジ > 残飯 : 久々に登場します。小生が幼い頃の食生活と現代では格段の差が有り比較が出来ません。先日、60歳アップのウオーキング集団で食の話題が出て、幼い頃の食生活について回想していました。芋の入ったおかゆを食べたとか、それは良いほうで芋の蔓を食べたとか・・・。現代の子供(小生の孫を含めて)は、そのような意識は全く無く、自分が好むものしか食べなくなっています。この一つの原因は、子供を育てる親に起因していると思います。本投稿者の木村さんのような方が大勢見えたら、食生活も大幅に正常化してくるでしょう。 悲しいかな、家内を含めて、子供の要求を満たしているのが実態です。どう対応すれば良ろしいでしょうか?  (2007/02/21 21:31:45)
ともちん > 早朝のチャイム:私は集合住宅なので直接新聞配達の人に会う事はありません。でも毎朝必ず届いている。当たり前の事に感謝したいと思いました。 (2007/02/09 13:41:41)


川柳&ウォーク