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(第704話) 「歓喜」の力 |
2006,12,31 |
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“年の瀬。「第九」を聴かないと、あるいは歌わないと一年が終わらないという方も多いのでは。私の父も11月、″70の手習い″で念願の第九デビューを果たした。 1824年に完成したベートーベン最後の交響曲は、この国で実に愛されている。だが、プロにとってすら難曲中の難曲でもある。本当は素人が気安く手を出すべきじゃないのでは? 「僕は、ベートーベンはすべての人と一緒にこの交響曲を作りたかったんだと思うんですよ」と世界的指揮者、佐渡裕が答えてくれた。「詞に‘あなたの不思議な力が・・・すべてを兄弟にする’とあるけど、『あなた』とは神を指すと同時に、人間一人一人のことでもあると思う」一万通りの背景を持つ他人が肩を並べる中、思いやりや優しさがあって合唱になる。音程や発音ももちろん大事です。でもそれ以上に、悲しい事件や戦争が起きる時代には、みんなが向かえる一つの表現が必要なんだと、ベートーベンが言ってる気がしてならない」”(12月20日付け中日新聞)
今もというか、ますますというか、年末は第九の演奏会が花盛りである。ここに書かれているように専門家でも無難しい曲を、素人が祭り気分で歌うのを苦々しく思っている人もあろうが、それを佐渡さんは優しく肯定している。 ボクも一時期第九に熱心になったときがある。あの体験は貴重であったと思っている。アマチュアの楽しみ、音楽への誘いと思っておきたい。音楽とはそれぞれのレベルで楽しめばいいのではないか。 1年間ご愛読ありがとうございました。それではよいお年を!
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(第703話) 五十肩 |
2006,12,29 |
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“冬の訪れとともに、左肩から腕にかけて左右に動かすと痛みがひどくなってきた。「一度診てもらったら」。強引に妻に連れられて整形外科へ。エックス線撮影で診たところ、骨に異常はなかった。「これは五十肩ですね」と診断され「しばらくリハビリに通ってください」とのこと。
「えっ、五十肩ですか」。私は半年後には七十歳になるのに、「あらっ、あなた若返ったんだわ」と冗談を飛ばす妻に、周りの看護師さんが大笑いした。妻は数年前からひどい肩凝りで、週一度この整形外科でマッサージを続けている。この日から、私も仲間入りした。夫婦並んで肩をもんでもらう姿は、サマにならない。やっぱり気恥ずかしい。それでも「随分凝っていますね。我慢していると脳梗塞などの原因になりますよ」と脅されて通っている。”(12月18日付け中日新聞)
各務原市の井沢さん(男・69)の投稿文です。70歳にして五十肩とは羨ましい。ボクなどは40半ばにして五十肩だった。その後の治療を怠ったばかりに腕が上がらない。ウォーキング例会時にストレッチ体操をするのであるが、人前でするのを逃げている。学校時代には体操は得意だっただけに残念だ。一生の後悔ものだ。井沢さん、夫婦でマッサージに通うのもいいではないですか。
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(第702話) 年賀状の楽しみ |
2006,12,27 |
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“今年も残すところ二週間となり、年賀状を出す時期となった。最近は、新年のあいさつも携帯電話やインターネットで済ます人が増えるなど様変わりしたが、年賀状にも根強い人気がある。新年に向けていろいろ工夫を凝らし、亥(い)年の図案や文字のデザインに苦心されたことと思う。受け取った年賀状に繰り返し目を通しながら、差出人のあれこれを思い浮かべるのは正月の楽しみだ。 年賀状には、差出人の個性がよく表れている。月ごとに自詠の句が書かれた年賀状をもらったことがあるが、感心させられた。その半面、決まり文句が印刷されただけの年賀状が最近は多くなり、寂しく思っている。せめて少しだけでいいから、肉筆で近況などを書き添えて、ぬくもりのある年賀状を送りたいものだ。”(12月19日付け中日新聞)
知多市の大橋さん(男・66)の投稿文です。皆さん、今年の年賀状はもう投函されたでしょうか。ボクは先日出すことができました。大橋さんの文に促され、できるだけ一言を加えました。 わが家の年賀状はもう20年来、妻とボクの川柳を載せることにしています。今年の句をまだここで紹介するわけには行きませんが、何人かはこの年賀状を楽しみにしてもらっているようです。大分手を抜いた年賀状ですが、この点だけが特徴です。(過去の年賀状に書いた句は、ボクのホームページに一挙掲載しています)
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(第701話) 天国で見た真実 |
2006,12,25 |
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今日はクリスマス、天国からの話です。気楽にお読みください。
“三人の男が天国の門の前にやってきた。 聖人が第一の男に尋ねた。「あなたは生前、奥さんに何度うそをつきましたか」。彼が「いいえ、一度も」と答えると、聖人は天国で乗ることができる高級スポーツカーーをくれた。 聖人は第二の男にも同じ質問をした。「二、三回かな」という答えを聞き、日本車を与えた。第三の男は「十回ぐらい」と答え、一人乗り用のミニカーをもらった。 ある日、ミニカーを運転していた第三の男が、スポーツカーに乗った第一の男を見かけた。彼は泣いていた。「どうしたのですか」と声をかけると、第一の男が言った。 「見てしまったのです。妻がここ天国で、三輪車に乗っているところを・・・」”(12月7日付け中日新聞)
中日新聞連載の「世界のジョーク」からです。男性はあまり気楽に読めないか・・・・。ともかく女性は男性より一枚上手です。このことはよくわきまえておかねばなるまい。これ以上のコメントは不要。
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(第700話) 田舎の学校 |
2006,12,23 |
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今の小学校には学校評議員と言う制度がある。評議員は「校長の求めに応じ、学校運営、教育活動、学校と家庭、地域社会の連携に関することなどについて、意見を述べることとする」(評議員運営要綱)となっているようだ。定例会のみならず、入学式、卒業式、運動会等の行事にも招待される。実は数年前に妻が指名され務めていたので、少しボクも様子を知っている。
“当地は郊外で、かなりの「田舎」である。評議員は五人いるが、わたしを除く全員が地元出身の年配の男性である。子供時代を当地で過ごされているだけに、学校行事にはことのほか思い人れを持たれるようだ。とくに卒業式ともなれば、涙、涙、で校歌斉唱しておられる。皆、普段は辣腕の会社経営者であったり、強面の要人であったりするのだが、この時ばかりは手放しで泣いて子供たちを見送っておられる。 わたしは京都で生まれ育ったので、この地からすればよそ者だ。小学校は国立に通っていたので地元公立小学校とは縁がなく、地域社会との関係も希薄であった。こういう光景を見ると、なんだかうらやましくなる。彼らは教師や保護者の立場ではなく、地元の人間の一人として、子供たちの育成を見守り、成長を喜んでいる。田舎の小学校というのは、いいものだなと思った。”(12月13日付け中日新聞)
作家・海月ルイさんの文である。ボクも田舎育ちである。昔の田舎は向こう三軒両隣どころではなく、村中全体が家庭の中まで分かっている。良いところも多いが、当然嫌なことも多い。どちらを重視するか・・・ボクは良いところを重視したい。良いところのひとつは、重大事に協力があることである。平生はどうであれ、危機時に助けられるのは大きい。ボクが中学生1年の時、父親が自動車事故に遭い、2ヶ月間入院した。ちょうど野菜の出荷、稲の取り入れと農家には忙しい秋であったが、近所の人がみなやってくれた。 もちろん、田舎がイヤだからと言っておいそれと今のところを離れられるわけではないが・・・現在では僕らが子供の頃とは大違いではあるが、それでも田舎の因習は今でもかなり色濃く残っている。実は今夜、毎年ながらのお七夜という行事があり、今ほど帰ったところです。お講組15人ばかりが集い、お経をあげ、その後懇親会でした。 人間関係が希薄なっている今、もう一度田舎の良さを見直しても良いのではないでしょうか。
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(第699話) 大きな手と月 |
2006,12,21 |
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“私たち夫婦は結婚して21年。一人娘も高校生になり、人生の折り返し地点も越えてしまった。 これまでいろんなことがあったが、家族で乗り越えることができた。娘もさまざまな経験を通して少し大人になり、恋に友情に忙しい。私の帰りを待っていたのに、いつの間にか私が娘の帰りを待つように。成長はとてもうれしいのに、心の隅に寂しさが漂う。
そんなある日、主人と買い物に出掛けた。車の中で心の思いを打ち明け「こういうのを空の巣症候群て言うのよ」と。夫は黙って聞いていた。買い物を済ませ、外に出ると辺りは真っ暗。秋の夕暮れは駆け足だなと思っていたら、突然、夫が手をつないできた。大きな温かい手。21年前こうしてスタートした私たちが、また新しく始まるんだと久々に胸がキュンとした。 ふと空を見上げると、隣接する遊園地の観覧車の間からまん丸な月。「今日は満月かな」と話しながら、車まで子どものように手をつないで歩いた。”(12月2日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・武田さん(45)の投稿文です。これが健全な夫婦で、家族なのだろう。ほのぼのした光景である。こうして、いろいろ乗り越え、人生を形作っていくのである。 先月ボクら夫婦も旧婚旅行をしてきたが、妻が突然腕を組んできたのにはびっくりした。
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(第698話) シティマラソン万歳 |
2006,12,19 |
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難しい話が続いたので、少し気楽に・・・・。
“今年もわが街のシティーマラソンが開催された。自宅前の道路はマラソンコースである。六年前にここに引っ越して以来、毎年私は五キロのミニマラソンに参加している。とは言っても、自分で申し込んでおきながら、だんだんとつらい気持ちになってくる。マラソン前日は緊張して眠られなくなり、スタート一分前には逃げ出したくなる。走り出してからも、なんでこんなしんどいことしているんだろうと思う。 最後の坂をあえぎながら上った辺りで、いとしいわが家に出会う。毎年、愛犬を連れて応援の旗を気楽に振っている夫を見つけ「あー、今年もなんとか走れた。来年までは楽できるよ」と思いながら、ゴールに到着する。 閉会式が終わり最後のお楽しみ抽選会。当たるはずないかと思いながらも、一等の旅行券は私にくださいと念じ手を合わせてみた。「一等旅行券、520番」と司会者が言う。手の中の引換券を見ると、なんと520番。前の人たちをかき分け、ステージに上がり旅行券を手にした私は「シティーマラソン万歳、これからも頑張るぞ」と心の中で叫んだ。”(12月1日付け中日新聞)
大府市の飯塚さん(女・45)の投稿文です。ボクもウォーキングが本格的になる前、10数年間はシティーマラソンに出ていた。いくら市民マラソン、ジョギングといえども速い人は速いなりに、遅い人は遅いなりにしんどい。ウォーキングはいくら速く歩いても話して歩けるが、ジョギングは大会ともなるとそうはいかない。ボクは両方とも経験して、ウォーキング大会の方がどんなにか楽しいと思っているが、でも、シティマラソン大会はどこでも千人単位の凄い参加者数である。どこにシティマラソンの魅力があるか考えてみるに、このしんどさが逆に魅力ではないか、挑戦と言うことに心が引かれるのではなかろうかと思う。 抽選会か・・・ボクにも思い出がある・・・シティマラソン大会で「お二人様サイパン旅行招待」というのが当たった・・・これが今までのボクの人生で最高の賞品である。妻には初めての海外旅行になった、シティマラソン万歳である。
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(第697話) 歴史に学ぼう |
2006,12,17 |
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“役者も監督もするクリント・イーストウッドは、サンフランシスコの貧しい家庭に育ったという。硫黄島を描いた「父親たちの星条旗」は、戦争への怒りを込めて撮ったのだろう。私はこの映画を見ながら、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てくる203高地を思い出した。そして、ヘーゲルの「歴史が教えることは、為政者や民衆が歴史から何も学ばないことだ」をも。 203高地や硫黄島に眼らず、幾度となく繰り返してきた愚行を思う。今また、核を巡る議論と核武装するということについての議論は別と、うそぶきながらアジア太平洋経済協力会議で、北朝鮮の核問題について議論している。核武装の意図が無ければ議論の必要も無いはず。いい加減ヘーゲルに嫌みを言われなくても済むよう、歴史に学ぶべきではないか。”(11月30日付け朝日新聞)
北名古屋市の宇都宮さん(男・68)の投稿文からです。ボクも映画「父親たちの星条旗」を見てきた。あの映画を見て戦争をする気にはなれない。戦争は負ける側から見れば当然悲惨であるが、この映画では勝つ側も悲惨である。そうだ、勝つ側も悲惨なのが戦争である。「私が見て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争もそういうものではないのです」と、クリント・イーストウッドはいっている。 そして世界的に環境問題が深まる中、戦争は最大の環境破壊である。環境、環境と言いながら戦争はどこかでいつも行われている。人類が破滅するまで戦争は続くのだろうが、それはあまりに愚かしい。 「核武装の意図が無ければ議論の必要も無いはず」の言葉にはうなった。みごと言い得ている。全く何の意図もなければ議論しようと言う発想も起こらない。この言葉はよくかみしめてみる必要がある。
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(第696話) 家族に感謝の言葉 |
2006,12,15 |
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まだいじめに関連した話しは続きます。
“人間は職場や地域、学校などで強いストレスを感じても、家族の待つ温かい家庭に帰れば心身も癒やされるものです。そして、明日への意欲を取り戻すことができると思います。 その家族の在り方は千差万別とは思いますが、私は家族とは「人を大切にする心」が育てられる場だと思います。私もこの心にはぐくまれて強くなり、優しくもなりました。 職場においても、この心が広がれば意欲がわき、笑顔もあふれるでしょう。それだけにいまー度、身近な理解者、応援者でもある家族に、感謝の気持ちを言葉で表すべきです。携帯電話のEメール普及で、家族間の対話も不足気味になっていると思いますが、家族こそ対話を復活させる元だと思います。”(11月30日付け中日新聞)
名古屋市の会社員・渡辺さん(女・54)の投稿文です。何のために、何のためにと、問い続けていくと最後は家族の気がする。「命のバトン」の話のように、親があって自分があるのだから当然ともいえる。しかし、外ばかり見ていてつい家族を忘れるときがある。でも戻れるようにはしておきたい。そのために家族にも感謝の言葉は必要である。熟年離婚にあう企業戦士が「家族のためのこれだけやってきたのに・・・」と嘆くドラマが数々あるが、まさにこのことを証明している。 家族がしっかりしていれば、社会の乱れもかなり防げる。現代社会の乱れは家族の乱れも大きな原因のひとつであろう。いじめのいじめる側には特に言えることでは無かろうか。渡辺さんの「人を大切にする心」が育っていればいじめは無くなる。皆家族に戻ろう。
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(第695話) 命のバトン |
2006,12,13 |
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“いつどこで、誰に聞いたのかもう覚えていないが、「命のバトン」という話を知っている。私が生まれたのは父母のお陰。その父母が生まれたのは、その父母4人のお陰。そのまた父母がと計算を続けると、私が生まれるために百万人以上の命のリレーが続いているというものだ。 私はこの話を、中学時代に一度だけ、友にしたことがある。仲の良かった友が、部活中に「死にたいと思ったことがある?」と聞いたのだ。冗談だと思ったが、私を見つめる瞳を見て、本気だったらと思い直した。精いっぱいの心を込めて、この話をした。 今あなたがいるのは、百万人の命のリレーが続いたからだと。1人でも欠けていたら、生まれることすら出来なかったと。あなたも、次の世代にバトンを渡さねぱならないことを。グラウンドに、大きな大きな逆ピラミツドを描いた。友は「そうか」とつぶやき、私の手を取り「すごい、すごいよ」と大声をあげた。私もうれしかった。 友は、あの話に生きる勇気を得たという。友が私にSOSを出してくれたからこそ伝え得た話だった。”(1月30日付け朝日新聞)
豊田市の会社員・西口さん(男・24)の投稿文です。素晴らしい話である。世の中見渡せば、悪い話もあるが、良い話しもいっぱいである。それでこの「話・話」が成り立っている。西口さんのこの話を聞けば、多くの人は自殺をとどまるだろう。どんなバトンでも受けたバトンは渡させねばならない。広めたい話である。
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(第694話) 劣等感の重要性 |
2006,12,11 |
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一昨日に続いていじめの話しである。 “私は、いじめる側、いじめられる側双方の心中に、劣等感がかかわっているような気がしてならない。高校に在職時、担任したクラスでは「劣等感の重要性」と題して、必ず話をした。人は皆、劣等感を抱いている。いや、抱くべきだ。他より劣っているという意識が人の成長を促すのだ。他人より勝っていると思うと、威張ったり調子づいたりするものだ。そんな時、劣等感が重しになって、謙虚に振る舞うことを教えてくれる。 殊に、青春時代に一片の劣等感さえ抱けない人は、むしろ不完全な人であると断言してもよい。あるがままの自分に満足し、成長することを放棄してしまったごうまんな人だから。 劣等感とは、不完全なすべての人間に神が授けた貴重な贈り物である。その神の意図を速断し、つまずいたりする者も少なくない。かつての私も転んだ一人だが、今思えばあの劣等感こそが、その後の人生にかけがえのない重要な役割を果たしてくれたのだ。若者よ、劣等感を大切に。(11月30日付け朝日新聞)
日進市の加藤さん(男・68)の投稿文です。いじめる側にもいじめられる側にも劣等感があるという、これはまた違った発想である。いじめる側は劣等感に虚勢を張り、いじめられる側は卑屈になると言うことであろうか。そして劣等感は謙虚に振る舞うことを教えてくれる神からの貴重な贈り物と大切にせよという。その一面はあると思う。「失敗は成功のもと」と同じ発想で「劣等感は成長のもと」というのである。劣等感は誰にもあるものであり、与えられたものは素直に受け入れ、その中で冷静に行動する、もっともではあるが言うほどに簡単なことではない。でも教える必要はある。劣等感が全く無いような人間など無いことも。ボクなど劣等感の固まりだ。
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(第693話) いじめSOS |
2006,12,9 |
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中高生のいじめによる自殺が、連鎖反応式に各地で起き、新聞等マスコミはこの関連記事でにぎにぎしい。学校側を非難する記事や声、もっともらしい識者の談話、いじめにあった本人や自殺未遂者の体験談等々。この「話・話」でもどこで取り上げようか、機会を待っていた。
“子どもは悩んでいても、親にはできるだけ普通に振る舞おうとする。それでも「変だ」と感じる部分がSOSサインだ。「親業訓練協会」特別顧問の近藤千恵さんは、次のような例を挙げる。「ただいま」の声が小さい▽食欲がなくなる▽よく食べる▽おしゃべりになる▽無口になる▽親の周囲をうろうろする▽視線を合わせない▽話しかけても上の空▽つめをかむ▽呼んでも返事をしない▽顔色が暗い▽朝着替えるのが遅い▽夜寝ずにテレビを見ている▽ため息をつく▽ドアをバタンと閉める▽弟や妹をいじめる。 ただし、サインも処方せんも一つではない。異変に気づくには、子どもの日常の様子を親がよく観察しておくことが必要だ。近藤さんは「いざというとき、子供が話したい相手に親がなっておくためには、普段から子どもを受け入れて聞くこと、つまり日常的に懸け橋をつくっておくことが大切。『ねえお母さん』と言われて『ちょっと待って』『後にして』では、親に期待しなくなり、橋は壊れていく。非常時にこそ、日常で築いたものが生きる」と話す。”(11月29日付け中日新聞)
人間が3人集まればいじめがあるという。現代の競争社会など見方を変えればいじめ社会だ。日本では毎年3万人の自殺者がある。本当は大人の方が悲惨だが、大人は自己責任だ。そんな社会に子供だけが平穏でいられるわけがないが、子供は自己責任とは言い難い。大人が守らねばいけないが、守るのは学校か、地域か、親か・・・。周りすべてが協働してであろうが、ボクは第一には親であると思う。自殺されて一番悲しむのは親である。一人二人の子供の親が見守れないで、どうして何十人も抱えた先生にできるであろうか。そんな気持ちでいたところ、上記のような記事を見つけたので紹介した。 ボクの娘も小学校の時いじめにあっていた。それを知ったとき、どうしようか悩んだ。妻が相手の親や学校の先生に話したが、その娘はまもなく二児の母になろうとしている。
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(第692話) 高齢者主張大会 |
2006,12,7 |
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“「老後に妻と二人だけになって、初めて配偶者に感謝する気持ちの大切さに気づいた」「家族、経済、健康。この三つのKのバランスが取れていないと、幸せにはなれない」66歳の若手から93歳のベテランまで、東三河地方の高齢者が順に登場し、200人の来場者をうならせた。田原市の田原文化会館で今月十一日に「元気な高齢者の主張大会」が開かれた。 大会には賞金もなければ、賞品も出ない。それどころか、会場まで往復の交通費は発表者が各自で負担しなければならない。応募した高齢者たちの動機は純粋に「これまでの経験や今の思いを伝えておきたい」という一点だけだった。その純粋さが来場者の心に響いたのだろう。 高齢者の経験や知恵を次の世代が受け継いでいくことは大切だ。だが、核家族化か進み、高齢者の話にじっくりと耳を煩ける機会は少なくなっている。そんな時代だからこそ、この主張大会が今後も盛り上がってくれることを願っている。(11月29日付け中日新聞)
高齢化社会である。そしてますます高齢者が多い社会となる。高齢者は元気な人から病気がちの人まで、好奇心満々の人から手持ちぶさたの人まで、その態様は様々である。様々ではあるが、元気な人は元気さを発揮して、そうではない人を元気にしなければいけない。それでなければこれからの社会は成り立たない。高齢者はもう名誉もいらないし、金銭欲でもない。思うところを発揮するのみである。それが高齢者主張大会を盛り上げているのである。ボクの頑張りもこれからである。
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(第691話) 能の字幕解説 |
2006,12,5 |
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“10月27日の夕刊で、国立能楽堂(東京・千駄ケ谷)が国内で初めて、座席ごとに字幕を表示するシステムを導入したという記事を見ました。 字幕は座席に祖み込んだ液晶画面に出て、物語の背景説明や解説も付くといいます。外国人向けに英語の切り替えも可能とのことです。若い世代の客層を広げ、外国人にも分かりやすく発信するのが狙いとありましたが、忘れてならないのが、このシステムは、私たち聴覚障害者にとっても朗報だということです。 今まで全くと言っていいくらい無縁で閉ざされた世界だった、日本の文化である「能」が、字幕の導入により、より身近に感じることができるのです。すごいニュースだと思います。聴覚障害者にも、娯楽を楽しみ、「知る権利」があります。(11月25日付け朝日新聞)
名古屋市の小西さん(女・50)の投稿文です。これからは交流の時代だという。特に国際交流である。国際交流では外国語を話せることより、まず日本文化を知ることが重要だという。能は日本の代表的な文化である。特に外国人の知識はそうだろう。その能をどれだけの日本人が実際に見たことがあるだろうか、また能の話しをすることが出来るだろうか。ボクはもう人生が終わろうとしているこの歳までに、まだ1回しか見たことがない。なぜなのだろう・・・・見ても分からない、分からないから面白くない、それが主因ではなかろうか。 歌舞伎も日本の代表的文化である。その歌舞伎もなかなか難しい。でもボクはもう10年来、年2回御園座で歌舞伎を見ている。そして見るときは必ず、イヤホンガイドを借りるのである。イヤホンをつけていれば、話しの内容、衣装の説明などその時その時に応じて説明が入るのである。これで素人でも十分楽しく鑑賞できる。能もそんなノウハウを取り入れたと言うことであろう。 歌舞伎のイヤホンガイドは視覚障害者に、能の字幕は聴覚障害者にも朗報だと言うことである。その身になってみなければ分からないものである。
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(第690話) プロクルテスの寝台 |
2006,12,3 |
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11月21日の中日新聞のひろさちや氏の「ほどほど人生論」を読んでいたら、「プロクルテスの寝台」と言う言葉が出てきて、「プロクルテスはギリシャ神話に登場する追い剥ぎで、旅人をとらえてベッドに寝かせ、ベッドより小さいとその旅人を引き伸ばし、大きいとはみ出した部分を切断するのです。それで、プロクルテスの寝台は、個々の事情を無視して強引に基準・原則に当てはめることのたとえに使われます」と解説されていた。 この解説、先ほどどこかで見たぞ、新聞をめくり直してみる。あった!池内総合研究大学院大教授の文の中にあった。「形式論の危うさは、中身を問題にせず、形だけ整えば満足してしまうことにある。ベッドの大きさに身体を合わせようと旅人の手足を切断した旅館の主があった、と言う故事がある。形にこだわりすぎると本来の目的を忘れてしまい、異様なことに気がつかなくなってしまうのだ」と、プロクルテスの寝台という言葉は使われていなかったが、間違いなく同じ故事を取り上げている。 同じ新聞に宗教評論家と大学教授が、別々の話しに同じ故事を使って文を書かれているとは、全く面白い。それもボクには初めて聞く故事である。こんなこと滅多にあることではなかろう。たわいもないことであるが、よく気づいたと嬉しくなる。 さて、この故事を使って、ひろさちや氏は「カラオケも人生もだれもが上手に行うことはない、下手なら下手でいい、堂々と楽しく生きよう」と言われ、池内氏は「憲法や教育基本法をアメリカから押しつけられた物だから変えるべきだという形式論ではなく、中身を問題にすべきだ」という主張をされていた。
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(第689話) おそうじしたのー |
2006,12,1 |
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“4歳になったばかりの孫娘、新しい自転車に乗るのを楽しみに、私の家にやってくる。青い空がどこまでも続いていた日、一緒に散歩に出掛けた。少し手を添えてやると、自転車がスムーズに進み、得意顔でこいでいく。 ハンドルさばきに余裕が出てきたらしく、空を仰いで「おばあちゃんみてぇー、くもがぜんぜんないよー、おそうじしたのかしら」。 私は返事に困って「そうだねー」とだけ言った。このような詩的発想はどこから来るのだろう。詩人だねー、と感心させてくれた孫にどんな答えを出そうか。「そよそよと吹いている風がきれいにしていったのよ」とでも答えておこうかしら。”(11月20日付け中日新聞
名古屋市の主婦・伊藤さん(67)の投稿文です。子供の発想には時としてハッとさせられる。伊藤さんも孫の言葉に感動して投稿された。ボクなど川柳でこういった言葉を苦労して探して使っている。ボクのように大人がこういった言葉を吐いても、それは詩的技巧が多いであろう。子供の言葉は自然、本音だからかなわない。5歳の孫は最近憎らしい言葉が多くなったが、それでもこういったハッとする言葉もあり、それを拾い上げていくのも面白かろう。いいことに気づかせてもらった。
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