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(第674話) 縁は大切に(その2) |
2006,10,30 |
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ついでながら「縁を大切に」にまつわる話しをもう少し書いてみよう。蛇足ながら、先日と同じように私自身の話です。
“私がグラウンドワーク東海に係わるようになったのは、昨年8月に57歳の若さで急逝された前理事長の熱心な勧めによる。そしてもう5年目に入っている。 近々にグラウンドワーク活動について、社員に理解してもらうために職場研修をすることになっている。その時、前理事長から生前いただいたCD-ROMを使って話すことにしている。このCD-ROMは氏がグラウンドワーク活動の説明にパワーポイントを使って作られたものである。いただいたときは何でこんなものを私がいただくのかなと思った。まさか私が使うことを期待されたのではあるまい。しかし、そうなろうとしている。これをどう理解すればいいのだろうか。これも縁なら大切にしなければなるまい。全く人生の不可思議を思う。”
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(第673話) 縁は大切に(その1) |
2006,10,27 |
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“朝方の職場の会議で、M部長から「これからの企業は、社会活動も評価される時代になり、我が社も考えねばならない」という発言があった。そして、私にどんな活動をすればいいのか、適当な団体はないのか、考えてほしいと頼まれた。 会社にそんな気があるのなら本気で考えてみよう。しかし少し考え始めて、すぐに何も考える必要はない、私の参加している「NPO法人グラウンドワーク東海」に参加してもらえばいいのだ。グラウンドワーク活動は、住民、企業、行政が協働して、地域環境をよくしようとものであり、建設事業に携わる企業にとって地域環境は切っても切り離せないものである。早速資料を取り寄せ、M部長に話をした。次の幹部会議で諮るという返事をもらった。 そして、9月29日の幹部会議で、グラウンドワーク東海の協力会員として加入、協力していくことが確認された。それを受け、10月8日に開かれたグラウンドワーク東海の委員会で、私からその旨を報告した。予期もしていなかった拍手喝采をいただいた。 企業のイメージアップはこれからの社会に重要なことである。単なる利益追求では企業の社会的責任は図れない。私の余暇活動がこんなところで会社に役立つとは思ってもみなかった。こんな縁は層々あることではない。これからどんな展開になるか興味は尽きないが、この縁を大切にしながら、力を尽くしていきたい。”
この文は、どこからの引用でもない、最近起きた私自身の話である。自分が勝手に行っていた余暇活動がこんな形で会社に役立つとは、こんな嬉しいこともあるのだ。
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(第672話) 落合監督 |
2006,10,25 |
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山本投手について書いたら、ボクとしては落合監督についても書かねばなるまい。
“ドラゴンズが2年ぶりにリーグ優勝という夢を見事にかなえ、落合監督が泣いた。「すいません。涙もろいもんで」。お立ち台での第一声に、ファンはうれしい驚きを覚えたに違いない。勝っても負けてもポーカーフェースの監督が「これだけのファンが見守る中で勝てて本当に良かった」「素晴らしい選手に恵まれました・・・ありがとうの一言です。私は」。涙と言葉が、心にしみた。豊富な投手陣、鉄壁の内外野・・・。監督が手塩にかけて育てたチームは多くの勝利とともに、数々の熱い場面をファンの記憶に刻み込んだ。”(10月12日付け中日新聞)
ボクもこの場面をテレビで見ていた。あの涙には驚いた。やはり落合監督という人はそういう心優しい、温かい人だったのだ、嬉しく思った。落合監督といえば俺流、回りの批判や中傷に惑わされず、己の信ずる道を行く。本人の心の中はどれほどに揺れているか知らないが、それを表に出さず、淡々と受け流す。リーダーというものの手本である。孤独な戦いが、あの涙になったのではなかろうか。今年のMVPは福留選手という声が多かろうが、ボクとしてはあげられるものなら落合監督にあげたい。 落合監督については、2004年9月26日の第67話、同10月8日の第78話、9日の第79話でも触れた。ますます尊敬の念が深まる。 しかしながら、日本シリーズが始まって今夜も苦しい試合が続いている。中日に少しツキがない気がするが、ここは耐えて最後まで頑張って欲しい。
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(第671話) 自然体 |
2006,10,23 |
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“またか、と私はためいきをつく。定年後をゆったり自然体で暮らして何が悪い、という有識者の発言だ。生きがい、前向きなどの忠告はいらぬお世話だし、何もせずのんびりと時間の流れの中に身を置くのも、幸せな老後の姿である、という言葉はだれにも心地よく響く。快哉を叫ぶ男性が大勢いたらしい。 病後や加齢で体力気力が衰えた時に、自然体で生きるのは大切である。でも定年を迎える団塊世代、六十歳の健康な夫に「もう何もしない。自然体で風雅を友に生きていくぞ」と宣言されたら、その日から妻の地獄が始まるのだ。 日本人の定年男がめざす自然体は、あまりにも不自然である。身辺の雑用は全部人にまかせ、テレビと昼寝暮らしを自然体と呼ぶなんて、精神がビンボーすぎるというものだ。 定年後の生き方にはだれでも悩む。働き過ぎた体をのんびり休ませようとする。実はこれがよくないらしい。百キロ近いスピードで走っていた車に急ブレー牛をかけるのと同じなのだそうだ。無為な毎日はあきる。何もせず自然体で心豊かに暮らすには、よほどの修養を積まなければ無理だ。逆に六十から始めることはできる。頑張らなくてもいいけど、努力することは楽しい。”(10月11日付け中日新聞)
夫婦のための定年塾主宰の作家・西田小夜子さんの文からである。ボクがこの文で気になったのは、定年男の自然体は何もせずのんびり時間の流れに任すことなのか、ほとんどの人がそう思っているのだろうか。ボクはそんなこと少しも思わず、次の人生が始まるくらいに思っている。 自然体とは、他の人にあまり影響を受けず、自分の想いを重視することであろう。何もしたくない人は何もしないで、やりたい人はやりたいことをする。これからの定年退職者はまだまだ元気だ。本当に何もしたくないのだろうか。これからやっと自分のしたいことを重視してできる、そんな人が多いと思っているが、そうではないのかな?。
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(第670話) 山本投手 |
2006,10,21 |
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“41歳のプロ野球史上最年長でノーヒットノーランを果たした中日の山本昌広投手。ベテランの気迫にファンは酔いしれた。この年齢でこの快記録。その裏には、なみなみならぬ努力の跡が見受けられた。山本は鳥取市のスポーツジムで、10年間鍛練をしている。 現役時代に40歳でノーヒットノーランをやった日本ハムの佐藤義則コーチに「長く投げ続けるにはどうしたらよいか」と質問したという。佐藤コーチの答えが印象に残る。「短い距離をしっかり走り込んでおくことが大切だよ。足さえ動けばいくらでも投げられるはずだよ」というのである。 足から老化が始まると言う。現役のプロが足の強化を重視していることがわかった。佐藤コーチの言う「足さえ動けば・・・」の一言は、万人に通用する体力維持の金言と思える。山本投手のノーヒットノーランは、走ること、または歩くことがどんなに健康に大事
かを、改めて教えてくれた出来事でもあった。山本投手を引き合いに出して「足さえ動けば健康だ」という訓話もあるだろう。”(10月7日付け中日ホームサービス)
中日ドラゴンズが10月10日、ついにリーグ優勝をした。8月に早いマジックが点灯し、中日の優勝は早々かと思われたが、阪神が凄い成績で急追。しかし、この時期山本は着実に勝利をもぎ取っていった。本当に安定していた。その原動力はこの話であろうか。「足さえ動けば・・・」。足といってもここでいうプロ野球選手の足と、我々凡人の足と比較できないが、それでも凡人にも足は大切である。足が動かなくても素晴らしい業績を残す人もあるが、多くは足が動かなくなると終わりである。すべてがだめになってしまう。足を怠けさせてはいけない。ここにもウォーキングの重要性がある。 今夜から日本シリーズが始まった。今夜の中日は川上投手が投げているが、山本投手はいつであろうか、楽しみである。
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(第669話) 目は口ほどに |
2006,10,19 |
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“大川さん(男・70)は目の不自由な方たちが働く施設でボランティアをしている。その帰り道のこと。御器所交差点の近くの歩道を、白いつえをついて歩いている女性に目がとまった。仕事柄もあり、気になって遠くから視線で追いかけていた。歩道からそれて市バスの車庫の入りロヘ入ってしまわないかと心配した。 その女性のすぐ近くを、中学生の男の子が通りかかった。少年も心配そうにちらちらと白いつえの行方を見ていた。やがて少年も大川さんに気付いたようだった。「大丈夫かなあ」離れているので声が聞こえるわけもないが、少年の瞳を見てそう言っているかに感じられた。大川さんも「そうだねえ、ちょっと心配だね」と瞳で気持ちを送り返した。案の定、女性は車庫の中へと迷い込んだ。いつバスがやってくるかわからない。「どうしよう」と目で合図を送る少年に、女性の方を指さした。「助けてやってくれ」と心の中で叫んで。少年はどこで習ったのか、駆け寄って右腕を差し出し歩道へとガイドした。 大川さんは見ず知らずの少年と、一言も言葉を交わさずに気持ちが伝わったことに、うれしくて思わず拍手をしたくなったという。目は口ほどにものを言い。”(10月6日付け中日新聞)
志賀内さんのほろほろ通信からです。省略すると状景が分からなくなってしまうと思って、長くなりましたがほぼ全文を掲載しました。声が届かない距離で、目や手振りなどで会話することは時折あるが、大方はお互いほぼ伝えたいことが分かっている場合がほとんどである。このように、お互い見ず知らずで、それも人助けになることができるなんて、素晴らしい。それはお互い優しい、人も思いやる心があったからであろう。70歳と中学生、嬉しかったことであろう。読むだけのボクも嬉しくなる。
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(第668話) 円周率10万桁 |
2006,10,17 |
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“「3・1415・・・」と小数点以下の数字が続く円周率暗唱の世界記録保持者である千葉県茂原市の心理カウンセラー原口さん(60)が3日から4日にかけ、同県木更津市のかずさアカデミアホールで記録更新に挑戦し、念願の十万けた暗唱を達成した。 原口さんは昨年七月に83431けたまで暗唱に成功。現在ギネスブックに申請している。今回はさらに記録を伸ばそうと、十万けたに挑戦した。挑戦は3日午前9時からスタ ート。数字をチェックする立会人などが見守る中、食事やトイレ休憩を挟みながら、暗唱を続けた。開始から16時間半後の4日午前1時28分、ぴったり十万けたに到達。家族らの拍手とともに挑戦を終えた。”(10月4日付け中日新聞)
またまた凄い人が登場である。円周率の10万桁がどこに書いてあるのか、自分で計算して暗記するのか、それすら知らないが、人間業とは思えない。好きでやっていたらここまできたとか、語呂合わせの文章にして記憶しているとか言ってみえるが、人間の能力というのは、本当に空恐ろしいものである。人間はいろいろな能力がありながら、使うか使わないか、発揮するかしないか、それだけの違いかもしれない。それなら僕ら凡人は単なる怠け者だ。能力を与えてくださった神への冒とくとさえ言える。凡人ながら最後の努力をせねばなるまい。
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(第667話) 一筋の人 |
2006,10,15 |
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“「好きで始めた芝居だから」。愛知県一宮市の市民劇団・三喜(みき)で活躍するベテラン役者の国島かなえさん(82)が、少しはにかんで言った。 若いころから四十歳ごろまで家族劇団で各地を巡った。一時、活動は途絶えたが、座長だった夫を亡くしてから「もう一度舞台に」との思いが再燃。五男の中山秀郎さん(56)を中心に三喜を結成し、十五年目になる。
月に一度のミニ公演で重要な役をこなす国島さんだが、体は決して丈夫ではない。心臓にペースメーカーを入れているし、肺も弱くて携帯酸素スプレーを用意して公演することもある。「それでも、舞台に上がると途端に気持ちが変わり、大きい声が出るの」 上品で控えめながら、言葉の端々から感じられる芝居への情熱と、現役の役者であり続けていることへのこだわりや充実感。りりしい姿に「自分の思いに素直に突き進め」と背中を押される思いがした。”(10月3日付け中日新聞)
先日、名古屋の御園座へ歌舞伎を見にいった。坂田籐十郎襲名披露公演である。坂田籐十郎は昭和6年生まれである。75歳である。この歳で、231年ぶりに大名跡を襲名して、新たな出発をしようというのである。この時口上があったが、その時真っ先に口を切ったのは中村雀右衛門でもあり、この人に至っては大正9年生まれである。今、名古屋公演で、でんぐり返りをしている森光子も同い年である。ボクより25歳も年上である。ボクなどちょうど子供である。この国島かなえさんもそうだが、どうして役者はこんなに凄いのだろう。芝居の動きは激しい、目的を持って精進しているということであろうが、それにしても凄い。
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(第666話) 素敵な偶然 |
2006,10,13 |
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“私の父は、六十余年間、そろばん塾をしていました。四年前に亡くなってから、それまで手伝っていた私が跡を継いだので、今もそろばん塾は健在です。 そろばん塾の近くの建設現場のガードマンさんは、塾の前を通るたびに「こんにちは」とあいさつをしてくださるので、そのうちに私も会釈だけから言葉を交わすようになりました。ある日、少し立ち話をして、塾に通う子どもたちの交通安全をお願いしました。 話すうちに、なんとその方が五十年ほど前、父にそろばんを習っていたことが分かり、びっくりしました。父が長く塾を続けていたおかげで、思いがけずすてきな偶然に会えたのです。”(10月2日付け中日新聞)
名古屋市の篠田さん(女・51)の投稿文です。こうしたことは多かれ少なかれ、誰にもあること。第663話でも書いたが、人の今は自分だけでできあがったのではない、歴史や環境や、その他いろいろな要素があって今の自分がある。いい種を蒔いておけば、いつかいい巡り合わせがあるであろう。「情けは人のためならず」という言葉はまさにそれを言い当てている。 ボクの父親もいい種を蒔いておいてくれた。父が亡くなっていろいろな人の世話になったとき、「お父さんからいろいろ世話になったから・・・・」とよくいわれた。「その恩返しで今してあげているのですよ」というわけである。「こういうことは君のお父さんがしていたから・・・・」といって、ボクもいろいろやらされるのは、ありがた迷惑でもあるが・・・・。
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(第665話) 稲刈り |
2006,10,11 |
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“実家の稲刈りが終わりました。台風が来る前に終わりたいという父の考えで、周りの家より早く済ませました。 実家は両親二人がいるだけで、私たち三姉妹は全部嫁いで出てしまいました。残った両親も年を取り、田植え、稲刈りは昔の家族が集まる行事となりました。父が機械を使いやすいように、私たち姉妹が手刈りします。母はもう身体が動かないので、口だけの総監督です。 お盆も正月も皆が集まることはなくても、この田んぼの行事には昔の家族が集合します。母は「これがわが家のお祭りだ」と言います。”(10月1日付け中日新聞)
岡崎市の主婦・伊原さん(51)の投稿文です。稲刈りに一族郎党が集まる、僕らが小さい頃はよく見た風景であるが、最近はほとんど見ることがない。こんな風景を見ると家族の良さを思う。 最近は稲刈りどころか、祭りにも集まらない。せいぜい何年に1度の法要くらいであろうか。家族は社会を構成する最も重要な単位だ。「健全な社会は健全な家族からなる」といっても言い過ぎではない。稲刈りや祭りが一族郎党の集まる場でなくなったら、別のものを作る努力をしなければいけない。
しかし、数十年たった伊原さんの田畑はどうなっているのだろう。多くの日本の田畑はどうだろうか。美しい日本は保たれるだろうか。かけ声だけにならなければいいが・・・。
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(第664話) 救急法 |
2006,10,9 |
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“先日私は、救急法救急員の資格を取得する講習会に参加したが、そこで支え合い、励まし合うことの素晴らしさをあらためて実感した。 中でも重要なのは心肺蘇生(そせい)法だ。呼吸2回に心臓マッサージ15回を一つのサイクルにし、それを4サイクル行う。呼吸量の調節とタイミング、一定基準のマッサージの圧力やリズムが重要で、見た目は簡単そうでも意外と難しい。 私は何回行っても呼吸の吹き込みができなかった。挫折しそうにもなったが、仲間が励ましてくれた。私ができるまで付き合ってくれ、おかげでできるようになった。 人に支えてもらい、励ましてもらうことにより、力がわいてくる。今後は、人を支えられる人間になりたいと思った。”(10月1日付け中日新聞)
三重県いなべ市の学生・木村さん(女・25)の投稿文です。この投稿文の掲載された前日の9月30日、一宮友歩会の運営委員・協力員18名が消防署で救急法の講習を受けたのである。ここに書かれたとおりの講習で、書かれていることが実によく分かる。 ウォーキングの例会では高齢者も多く、どんなことがあるか分からない。救急法を受講して心構えを作っておこうということで、開催した。講習を終えて、講師の方から「高齢の皆さんが真剣に受講され感心しました」というお褒め言葉をいただくほどに、皆さん一生懸命取り組まれた。開催して良かったと安堵しました。 講師の方が最後にいわれたことは「救命が必要な場面に出会ったとき、背を向けないでください」ということであった。受講した我々に、この言葉は重いと思う。何かできることはある。
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(第663話) 鳴海小作争議 |
2006,10,7 |
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“大正時代、名古屋市緑区、南区(当時の鳴海町、笠寺村鳩尾)で起きた「鳴海小作争議」で、小作人の権利を守るために尽力した法学者、雉本朗造博士(1876〜1922)の生涯を題材にした演劇「野に立つ」が、名古屋市内で10月に上演される。苦しかった庶民の歴史を後世に伝えたいと、地元の人たちが企画した。 鳴海地区では6年前、地元の住民らが企画して小作争議についてシンポジウムが開かれ、雉本博士の生涯に光を当てた。これに続き、地域の歴史をもっと知ってもらおうと、住民グループが小作争議を取り上げた劇「みどりの唄」を創作。03年11月に緑区の緑文化小劇場で初演され、地域内外から注目を集めた。今回は、当時の庶民の生き方をもっと深く描こうと「みどりの唄」を手直しし、題も[野に立つ」に変えて上演する。演じるのは、会社員や主婦らアマチュアが中心。本番に向けて、練習に汗を流している。”(9月26日付け朝日新聞)
ここにもいろいろな活動があった。残念ながらボクは近くのことながら、鳴海小作争議も雉本博士も知らなかった。地元の人たちが庶民の歴史を掘り起こし、後世に伝える、それも演劇という形で伝えるのは素晴らしい。地域の歴史に興味を持つと言うことは大切である。今生きている人は何も自分の力だけで生きているわけではない。家族の、地域の歴史があって現在があるのである。一宮友歩会で「史跡巡りシリーズ」を企画するようになって、地域の歴史に一層興味が高まった。 新聞の記事には、雉本博士像の写真が載っていたので、出かけていって「街角の偉人」に加えたい。またできれば演劇も見てみたいものだ。
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(第662話) いのちの枝 |
2006,10,5 |
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“世界自然遺産に登録されている鹿児島県・屋久島のシンボル的存在「縄文杉」。その枝の一部が昨年十二月、積雪による重みで折れた。屋久島森林管理署などは「縄文杉を多くの人に見てもらい、自然の偉大さを感じ取ってほしい」と、折れた枝を屋久町立屋久杉自然館で保存展示することにした。来年一月から一般公開される予定だ。 折れた枝は長さ約4m、重さ約1.2t。太さは最大約80cmと普通の杉の幹ほどもある。縄文杉自体には、枝が折れた影響はないとみられる。 枝は四月にヘリコプターで現地から搬出。「いのちの枝」と名付けられた。現在、同町役場の倉庫で自然乾燥させるとともに、防虫や防カビ処理を行っている。”(9月19日付け中日新聞)
ボクは縄文杉を今年4月に見てきたばかりである。登山口から5時間ばかり歩いてのご対面である。縄文杉自体は高さ25.3m、周囲16.4m、樹齢7200年といわれる。折れた跡も見てきた。現地に写真と説明板があった。そしてこの記事である。懐かしさもあっての紹介である。縄文杉は折れた枝もこうして後世に残されるのである。「いのちの枝」として名も残すのである。樹齢7200年の威厳であろうか。
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(第661話) 雨の庭は遊園地 |
2006,10,3 |
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“雨が降ると、思い出すことがある。35年前、ロンドンで1年ほどベビーシッターをしながら語学の勉強をした。シッター先の家族は、パパとママと娘のシータの3人だった。 その日は休日で、みんな家でのんびりしていた。明け方から降り続いている雨は、やみそうになかった。朝食が一段落したころ、ママは、シータにフード付きのレインコートを着せて長靴をはかせると、「さあ、あなたの大好きな雨よ。いっぱい遊んでらっしゃい」と、彼女の背中を押した。シータは、子犬のように声をあげながら、庭中を駆け回り、ベンチに上ってはビチャツと飛び降りたり、雨水をためて泥団子や泥ジュースを作ったりして大はしゃぎだ。 あっけにとられている私に、ママが言った。「雨は天からのプレゼント。いつもの庭を遊園地に変身させてくれるでしょ」。雨の日は、家の中で折り紙やお絵かき、というのが定番だった私には、目からうろこだった。”(9月19日付け朝日新聞)
裾野市の岡沢さん(女・58)の投稿文からです。雨の日は家の中で子供を遊ばせる、これは日本の定番である。子供に風邪をひかせない、親も洗濯などが楽である。雨の日も子供を外に出させるのは文化の違いであろうか。いや、出させない日本の親はただの怠けものではなかろうか。少々の雨に濡れても風邪などひかない、そんな体力をつけさせる。それが子供を本当に思うことである。そして何より子供は雨に濡れてはしゃぐのが好きである。雨の庭は遊園地である。子供には自由にさせ、親は目を離さないことである。天気の良い日でも家に閉じこもりがちの日本の子供は将来どうなるのであろう。「雨も自然」と雨もいとわず出かけていく中高年ウォーカーは、子供や孫をもっと伴って出かけたいものだ。
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(第660話) 大峰千日回峰 |
2006,10,1 |
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“吉野山の全峯山寺に柳澤真悟さん(57)という修験僧がいる。小柄で物静かなひとだ。彼は1984年35歳の時、「大峰回峰壱千日、日参」、つまり、吉野山と山上ケ岳の往復50kmを千日間歩く修行を史上初めて、成し遂げた。山が開いている143日間を8年かけての大行であった。千日を成就した折りに、これはこう語った。「行をしたからといって悟れるわけではないでしょうが、悟れるだけの身体にはなったと思います。どんなことがあっても(障害を)はねとばす体力がついたと思います」。千日回峰後、柳澤さんは九日間の断食断水不眠不臥の四無行や、笙の窟で百日間の窟籠もりも遂行した。”(9月17日付け中日新聞)
山道を1日50km、これはウォークや登山などというものではない、修行である。それを1千日、5万kmである。継続などというものでもない。さて人間これだけ修行するとどうなるのだろう。「障害をはねとばすだけの体力がついた」という言葉であるが、当然精神力もついている。しかし、これだけの修行をさせる原動力は何なのだろう、凡人のボクにはとても想像できない。
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