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(第659話) メール利用 |
2006,9,29 |
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“高校の非常勤講師として週2日、勤務している。科目は物理。昼休みを入れても週8時間ほどしか学校にいない。質問をしたくても私が不在のことが多い。その対策としてメールアドレスを生徒に公開した。 その結果、メールが舞い込んできた。物理の質問のほかに悩みごともある。提出された課題の末尾に、授業の感想や質問もある。一人ひとりとゆっくり向き合うことができるようになった。 今のところ、高校でのメール利用は少ない。電話連絡は授業の合間をみなければならないが、緊急以外はメールで済ませれば、重要なことに集中することが出来る。先生の仕事の軽減にもつながる。“((9月14日付け朝日新聞)
北名古屋市の高校教師・宇都宮さん(男・68)の投稿文からです。メールは味気ない、文字を忘れる、時間を取られるなど批判もいろいろあるが、道具は何でも使い方次第、良くもなるし悪くもなる。ボクなど電子メールを毎朝毎晩、何通と書く。ほとんどいろいろな連絡である。相手の都合を問わないし、添付などの機能も使えば長文も写真なども自由自在である。 例えば一宮友歩会では、連絡をメール1本にしようと思っている。ここまでの状況でそれで十分だとう気がしてきている。そして、郵送などは送りっぱなしだが、宇都宮さんが言われるように、メールだと少しではあるがいろいろな反応もある。ボクの関係している他の会もメールにならないかと思うが、ボク以上の年代になると使える人はグーンと減って無理のようである。 ボクはもう何年も前にあるメーリングリストに入り、メールの書き方を教わった。メールでもきちんと名乗って挨拶文を書く。そして、返信に文を引用する場合、引用文は最小限にすること。不要な部分は削除することであるが、いただくメールにこの部分ができていないものがかなりある。メールといえども読みやすい文や形式を心がけるのは重要なことである。
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(第658話) 税金を取り戻す |
2006,9,27 |
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“このところ、すっかり秋めいてきました。秋の風に吹かれると、私は無性に読書がしたくなります。毎年、月に何冊読もうと計画をたてるのですが、今年は月に読む本を金額にするという、ちょっと変わった目標をたててみました。目標はとりあえず2万円分に設定しました。 といっても書籍にそんな大金はつぎ込めませんから、すべては図書館で借りることにしました。我が町には月に一度、図書館の巡回バスが来ますので、わざわざ図書館に足を運ぶ必要もありません。2万円分も読めば、ちょっと下世話な話で恐縮ですが、払った税金を取り戻したという満足感にも浸れます。 純粋な文学的動機でないのがお恥ずかしいが、我が家のこの秋の合言葉は、「読書で税金を取り戻そう!」に決めました。”(9月14日付け朝日新聞)
岡崎市の主婦・伊藤さん(42)の投稿文です。なかなか面白い発想である。税金が高い、高いといって不平を言うより、伊藤さんのようにもっと公共のものを活用して、税金を取り戻せばいいのだ。役所もそれを望んでいるのだ。役所もいろいろ調査し工夫して、施設を作り、イベントを催しているが、利用の少ないものも多い。それを批判するのはたやすいが、その批判の中にはその人の消極性によるものが多々ある。積極的に活用することが税金を生かすことである。
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(第657話) 空飛ぶ車イス |
2006,9,25 |
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“日本で使われなくなった車イスをベトナムなどに送って役立てている札幌市のNPOの話を聞いた。この事業遂行には2つの大きなネックがあったのだが、アイデアと企業との協働によってそれを見事に克服している。 ネックの1つ目は、輸送コストである。船便にしても車イスを海外に運ぶには相当の費用が必要。そこで、日本から海外へ観光旅行に行く人たちの手荷物にして持っていってもらえば輸送費が「タダ」になることに気づき、「車イスと一緒に飛ぶ人、大募集」とやったところ、アジア人気もあって大勢の協力者が現れた。 最初のうちは不思議がっていた航空会社もその趣旨を聞いてすぐに納得。車イスを受け取るために空港で待っている人たちのため、優先的に積み荷から出してくれたりもする。協力者となる旅行者自身も、現地で直接子ども達に車イスを手渡すことによってその笑顔に触れ、皆感激して「次回もぜひ!」となるそうだ。”(9月14日付け建通新聞)
中部産業活性化センターの榊原さんの文からである。海外支援をする個人、団体も多い。本や衣料品、医薬品など、いつもボクが気になっていたことは、輸送費など餅より粉の方が高くついてしまうのではないかと言うことである。この例はその問題を見事なアイデアと企業の協働で解決したのである。景気は上向いていると言っても、以前に比べ利益率はかなり低くなっていると思う。そのためメセナなど企業の社会還元もかなり減ってきている。しかし、そういう時代だからこそ企業のイメージアップは重要なことである。こうした協働はそれに最適である。工夫をして、活発にしてもらいたいものだ。 2つ目のネックは、国内での回収と保管、更に輸送である。ここでも理解ある企業によって解決されたのである。広告費がこうした協働に使われるようになると、NPOもかなり活発、運営も楽になると思うのだが・・・・。ボクの関係しているNPOでは企業の参加は逆に減っている。
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(第656話) 水質調査11000日 |
2006,9,23 |
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“川の水質調査を長年続ける豊田市立西広瀬小学校(児童数37人)が、連続調査11000日を達成し、9日、同小で記念式典を開いた。山と川に囲まれた小さな小学校で30年間1日も休まず続けてきた記録は、地域を巻き込んで続いている。 水質調査は、5、6年生の児童12人が担当。学校近くを流れる飯野川、矢作川と両川の合流地点の3ヵ所で、毎朝、水をくむ。学校にある高さ150cmのガラスの透視度計に水を入れて少しずつ抜き、底が見えた高さがその日の透視度となる。 調査を始めた76年当時、透視度計の高さは30cmだった。河岸で陶土の採取が盛んで、川は白濁していた。その後、活動を知った流域の大人たちも川の浄化を意識し始め、飛躍的に改善した。 9日の式典では、児童らが同日の透視度測定を実演した。飯野川の透視度は、水を抜かなくても見える150cmを記録した。”(9月10日付け朝日新聞)
児童数37人ばかりの小さな小学校で、30年間、11000日、ボクはこうした継続の話しにはすぐに感動してしまい、取り上げてしまう。1日も休まずと言うのは、休日もやっていたのだろうか。更にこの場合、一人の奇特な人があってできたことではなく、つないでつないでの30年間であることが素晴らしい。この話しで更に更に感心、納得するのは、子供の行動に大人が共鳴し、行動の輪を大きくしたことである。考えてみれば当然かもしれない。30年間というのは地域の人のほとんどがこの調査に係わったことになるであろうから。何事も一朝一夕にできることはない。 子供の真剣な態度に大人が共鳴することは健全なる親子関係である。子供は社会の鏡、子供の犯罪が広がるばかりの今の日本は何といえばいいのであろう。西広瀬小学校は特異な例か。
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(第655話) 尾張城址散策の会 |
2006,9,21 |
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尾張地方の城跡に関心を持つ文化センター教室の仲間8人が「尾張城址散策の会」を結成し、3年かけて調査した結果を本にまとめたという記事が9月8日付け中日新聞に出た。
“2003年9月から名古屋を含む尾張地方の城跡を巡り自分たちの目で現地を確かめる活動を開始。各市町村史や、山田柾之さんの「史跡散策『愛知の城』」などを頼りに338ヵ所を探索してきた。今回はそのうちの尾張、海部地区の184城跡を紹介した。来年春までに名古屋と知多地区の分をまとめた下巻も発行する予定という。 各城跡の写真と手書きの地図、概要などを収めた。現在は学校や住宅地となっているところが多く、城跡の碑や案内板が残っているのは上巻の184ヵ所のうち91カ所と半分程度という。 同会代表の西尾さん(61)は「同世代の人たちの歩き方のヒントになれば。また若い人にも、昔、自分が住んでいる地域にお城があったことを知ってほしい」と話していた。”
ボクはこの記事を読んですぐに葉書で購入を申し込んだ。そしたら何と、翌々日に西尾さん自身がわが家に届けにみえた。少し話し込んだ。 この本をすぐに申し込む気になったのは、今まさに一宮友歩会が進めているウォークの参考になるからである。一宮友歩会ではテーマを持ったウォーキングを進めており、その一つが城跡を含めた「史跡巡りシリーズ」である。先回の9月9日は2カ所の城跡をコースに含めた。説明するのに心強い本が手に入った。西尾さんに一宮友歩会への協力を求め、また後日話しをさせてもらうことにした。 ここにもこつこつと社会活動をする人々があった。
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(第654話) 車内マナー |
2006,9,19 |
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“先月、久しぶりに台北を訪れた。現地での移動は、もっぱら早くて快適な地下鉄を利用したが、そこで印象深いことが二つあった。 一つ目は、車内で化粧をする女性が一人もいなかったことだ。通行の邪魔になるような座り方をする若者もおらず、誰もがマナーを守っているのに感心した。 二つ目は、空席のない車両に乗ると、先を争うように席を譲ってくれたことだ。中には、私より少し若いくらいの人もいて恐縮した。すぐ降りるからと言っても、どうぞどうぞと勧めてくれた。これは、年配者や体の不自由な人をいたわるしつけが行き届いているためと思う。街を歩いていても、このことを感じた。横断歩道の段差で困っている車いすの人がいると、若い人がすぐ駆け付けていた。 ホームレスや、目に余る大胆な服装の若い女性もいなかった。私たちは台湾から、いろいろ学ぶことがあるようだ。”(9月2日付け中日新聞)
名古屋市の税理士・内田さん(男・69)の投稿文です。ほとんどのことはかつての日本の姿である。いつからこんな姿を印象深いことなどと言わねばならなくなったのだろう。一つ目の話しなど、今こんな車両を見つけるのはまず難しい。ここに携帯電話を加えたらまず不可能である。今日の帰りの電車でも「邪魔になるところには座らないでください」「携帯電話はマナーモードにし、使用しないでください」と車内放送をしていた。こんな車内放送もあって車掌さんの声は響きっぱなしである。 化粧も携帯電話も時間の有効活用であろうか。人に迷惑をかけねばいいだろう、という主張に何と応えよう。目に余る大胆な服装も含めて、ボクは迷惑をかけていると言いたい。
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(第653話) 思いやり橋 |
2006,9,17 |
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“木曽川をまたいで、愛知県江南市と岐阜県各務原市を結ぶ小網僑は全長280m。幅はわずか3mしありません。対面通行ができず、双方からの車が鉢合わせとなれば「お前が下がれ」「そっちこそ下がれ」など、口論が絶えませんでした。いつしか「けんか橋」と呼ばれるようになり、怖いと感じる人も少なくありませんでした。こうしたけんかを見かねたのは、地元の子どもたち。「この橋は『思いやり橋』。待ってくれた人にはお礼の挨拶!!」と書いた手作りの看板を橋のたもとに立てました。風雨にさらされ看板はなくなりましたが、思いは通じました。けんかは影を潜め、橋のたもとで譲り合う車が増えました。 「思いやりの象徴」として親しまれた小網橋は、老朽化により今秋で役目を終えます。すぐ燐では、新しい橋の建設が急ピッチで進められています。片側一車線の歩道付き。もう橋のたもとで譲り合う必要はありません。 しかし、「思いやりの心を忘れないでほしい」と一般公募により「思いやり橋」と愛称が決まりました。未来へと思いやりの心を引き継いで、間もなく完成します。”(9月2日付け中日新聞)
江南市の大野さん(男・27)の投稿文です。この橋はボクの家からそれほど遠くないところなので、何度も通っています。新聞等でも幾度か話題になりました。中央部にすれ違いできる部分がありますが、何しろ300m近い橋です。一度進んでしまったら、バックするのは大変です。つい押し問答になってしまったのでしょう。それがいつしか「思いやり橋」という名前をもらうことによって、譲り合う橋になった。橋に来て「思いやり」という言葉を見て「思いやり」に気づかされたのでしょう。名前、言葉が大きな影響を与える見本です。子供の名前もそんな願いを持って命名するのです。名前や言葉は大切にしたいものです。 一宮友歩会の来年1月の例会で通れないかと考えています。
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(第652話) ホルトの木 |
2006,9,13 |
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“田原市野田小学校には高さ15m前後、幹回りが約3mある4本のホルトの木がある。学校のシンボルだ。東三河地方で長く教員生活を送った山田政俊さん(62))は同校校長として3年間を過ごし、2005年3月現役を退職した。 同校が母校でもある。「子どもの目には、もっと大きく見えたものです」。半世紀以上も前の日々の記憶をたどる。濃淡はあったが、心の片隅には、いつもホルトの木があった。子どもたちにとっても思い出の木になるだろうと考えている。 だが、命あるものはいつかなくなる。「枯れてしまう前に子孫を残したい」。そんな気持ちで校長時代の04年秋から、ホルトの二代目を育て子どもたちに分け与えている。ホルトの苗木を見ながら山田さんは話した。「ホルト1本1本、形も違えば成長の早さも違う。そう、子供と同じ」ホルトに対する思いは子ども達への思いと重なる。(8月30日付け中日新聞)
校庭にあったホルトの木に思いを寄せ、命あるものはいつかなくなるからとその苗木作りに励む。いろいろなところにいろいろなことに心を尽くす人がいる。そうして世の中は成り立っている。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」(伝教大師)。 ボクの小学校にも栴檀の木という大きな木が運動場に立っていた。学校のシンボルのようだった。何かこの風景だけがより鮮やかに思い出される。今はもう無い。いつなくなったのだろう、気がかりだ。
ホルトの木とは「暖かい沿岸域に生育する樹高は10〜15mで、ヤマモモに似ている。古い葉は赤く紅葉し、年中一部の葉が紅葉しているのが見られる。7〜8月に総状の花序を形成し、白い小さな花を咲かせる。」とある。
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(第651話) 歩いて日本一周 |
2006,9,11 |
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“岩山さんは七年前、リヤカーを引いて日本を一周している人のことを新聞で知った。「定年後は趣味もなく、毎日を漫然と過ごしていたので、何かーつやりがいのあることをしたいと思っていた」といい、自分も十年かけて徒歩で日本一周することを決意した。
歩く距離は一日平均40km。毎日8時間ほど進み、旅館などに泊まる。初めは靴擦れや、アップダウンの激しい道のりなどでの苦労も多かったという。歩くときはバッグを乗せたカートを引き、背負ったリュックに「日本一周」と書いた手作りの旗をたなびかせる。旗を見て「ご苦労さま」「がんばって」と見知らぬ土地で声をかけられるのが励みになる。また「車ではなく、歩いてこそ見える街の何気ない風景や自然の美しさを発見したときの感動が何より楽しい」とやり甲斐を語る。”(8月29日付け中日新聞)
岩山さんは71歳、6年前にスタートされてすでに約半分の6000kmを歩かれた。凄い人がいるものである。といいながら、実は岩山さんには一宮友歩会の運営委員をやっていただいていて、非常によく知った人である。完歩を願って紹介した。
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(第650話) 事故の責任 |
2006,9,9 |
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“このごろ、世の中の考え方がマスコミを含めてちょっとおかしい。シュレッダー事件を読んで余計にそう思う。事件が起これば、その関連器具のメーカーだけに責任を負わせる。他の関係者には責任はないのか。 シュレッダーには「子供を近づけさせない」ように、警告が書かれていたという。それなのに近づけたのは誰なのか。親ではないか。危険かどうかは親が一番知っているはずだ。気を配るのが当然ではないか。この当然さを誰も問題にしようとしないのはなぜか。不思議でならない。 幼児が、ライターで火遊びをし、家が焼けたら、そのライターのメーカーは責任を問われるのか。包丁でけがをしたら、メーカーは責任を問われるのか。当然、幼児の手に届かないところに片づけなかった親の責任が問われるべきだ。他人に責任を転嫁する風潮は改められるべきだ。”(8月27日付け朝日新聞)
愛知県の横井さん(男・72)の投稿文からです。この投稿文が出てから、この意見に同意、批判の意見が載せられている。同意は、身の回りは幼児にとって危険物だらけである、それらを管理し、回避できるのは親である、親の義務であると言ったもの。批判は、改良している会社もある、事故を把握してからも出荷しているのは問題、ライター、包丁の話は論理が飛躍しすぎだというものである。 ボクの意見は、何を言ってみても事故を起こせば起こした本人、親が一番の損害を被る。起こさないようにまずは身近な親が最大の配慮をすることである。企業の想定には限度がある。シュレッダーの危険性など1,2度使ってみれば分かること、幼児の届かないところに置くくらいのことはそう難しいことではない。危険性が普通では分からないものなら、親の責任はないかと言えるが、多くのものはほとんど分かる。 企業はもちろん危険性の少ないものを販売する責任を持つ。それが企業自身を守るのである。一度悪い評判が立ったら、それを打ち消すのは並大抵のことではない。
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(第649話) アイシング |
2006,9,7 |
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9月5日に続いて甲子園野球からの話題です。
“ことしの夏の甲子園大会は投手の肩が気になった。投げ方や球速ではない。試合後、取材に応じる彼らの肩がもっこりしていたからである。決勝で延長15回を投げ抜いた直後の斎藤、田中の両投手もユニホームの右肩が盛り上がっていた。氷を入れた肩当てを下につけているのだ。アイシング。今では普通のケアだが、ふた昔前までは、考え方がまったく逆だった。 私が中学で野球を始めた41年前の夏、先輩の投手が言った。「肩は冷やすな温めろ」。練習直後から保温用の肩当てをつけ、汗だくで寝た。灼熱下の練習でも「水は飲むな」と命じられ、トイレの水道で隠れて飲んだ。あすは休みという日も「水泳はだめ」と諭された。 それがいま、アイシングも水分補給も、その重要性は常識となっている。水泳を取り人れる学校もある。そういえば、当時一番つらかった「うさぎ跳び」は、ひざへの負担が大きすぎるとメニューから消えた。”(8月27日付け中日新聞)
中日新聞の編集局次長の団野さんの文からです。実はこのことを私も以前から不思議に思っていた。僕らの若い頃は疲れやすくなるからと言って水は飲まなかった。今はウォーキングでも水分を取ることが重要視され、こまめに取りなさいと言われる。 時代は変わっても人間の体はなにもそれほど変わったわけではないと思うが・・・。少しくらい話が変わるくらいなら研究の結果かと思うが、全く逆ではどうなっているのだろうと思う。まあ、人間の都合で作る社会のことなら納得できるが・・・・。
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(第648話) 精神力 |
2006,9,5 |
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地元の高校がやるとき以外、あまり高校野球を見ることのない私も、なぜか早実対駒大苫小牧の決勝戦を2試合ともテレビ観戦してしまった。本当に汗握る、感動の試合であった。たまに見るにしては運がいいことである。そして、その後、マスコミでは大にぎわいである。特に早実斉藤、駒大苫小牧田中両投手についての話題が多い。
“私が今回気づいたのは、マウンドで斎藤君がほとんど汗をかいていないように見えたことだ。ハンドタオルが話題になったからよけい気になった。そういえば、田中君もあまり汗をかいているように見えない。私が見ていないところで拭っているのかもしれないが、極度の精神統一が顔の汗をかかせていないのではないかとも考えた。 なぜそんなふうに考えたのかというと、以前炎天下できっちり化粧をした女性と話をしたときのことを思い出したからだ。私は顔から汗を滴らしていたのに、女性はまったく涼しい顔をしている。不審に思った私が、汗をかかないんですかと訊ねると、いいえ、背中とかびっしょりだと答えた。顔はぜんぜんかいていないと言うと、女性は微笑んで「顔かから汗を流したら化粧が流れるし無様でしょ?気持ちで抑えているのです」。 うーむ、恐るべし人間の精神力。”(8月25日付け中日新聞)
作家・幻月さんの文からである。私も幻月さんが言われるように、斉藤選手があの暑さの中のあの力投であまり汗をかいていないのに、びっくりしてみていました。汗かきのボクには信じられません。その理由は幻月さんの言われる精神力か。そして、女性にも同じ感想を持っています。ボクなど顔や頭から真っ先に汗をかくので、男で本当によかったといつも思っています。精神一到何事か成らざらん!
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(第647話) 民営化 |
2006,9,3 |
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“本欄に郵便物遅配に対する苦情の投稿が何度も載った。郵便局にクレームを言うと「人員削減で仕方がない」との返事が戻ってきたということだが、当然のことだ。考えてもらいたい。郵政民営化を争点にした昨年の総選挙で、国民はもろ手をあげて賛成したのではなかったか。 確かに郵政民営化にはメリットがある。だが一方で過疎地の郵便局は切り捨てられ、助け合いの文化も破壊されるというデメリットもある。 来年の十月には、民営化がスタートする。コスト削減に郵便局も苦慮しているのだ。遅配が頻発することくらい、あの時点で覚悟すべきではなかったのか。 選挙はお祭りではない。明日の生活がかかっている。そのことを真剣に考えて、政治にかかわることのできる絶好の機会を生かしてもらいたい。さもなければ、国民はさらに窮地に追い込まれることになる。”(8月22日付け中日新聞)
豊田市の主婦・田中さん(67)の投稿文です。調子のいい意見に惑わされず、現実をしっかり見つめた、かなり痛烈な皮肉を込めた文と見た。役所の悪いところばかりを指摘し、民営化のよいところばかりを強調している論調が多い。しかし、そんなものではない、どちらにも長短はある。民営化に求めたのは効率を高めることである。効率を高めるには、弱者を切り捨てることがてっとり早い。日本社会はこれほど豊かになり、スピードの激しい社会になって、これ以上のスピードを求めてどうしようというのか。 似たような話に、勝ち組負け組の話がある。それは、能力を評価せよといった結果である。能力を評価することは格差をつけることである。木を見て森を見ず、なんていうことがないように気をつけねばならない。
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