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(第646話) 24時間たすきリレー |
2006,8,31 |
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“24時間、誰かがたすきをつなぎながら走ったり歩いたりする「チャリティーウオーク&ラン」が、19日午前7時から20日午前7時まで東浦町森岡のあいち健康の森公園「いのちの池」を周回するコースであった。参加者からの募金でタイに車いすと奨学金を贈る。
あいち健康の森走遊会代表の会社員鈴鹿俊二さん(47=同町森岡)が「海外の障害者のために何かしよう」と発案し、仲間十人で2001年に始めた。 今回は県内の園児から七十代のお年寄りまで172人が参加。一周1.15kmの池周回コースを、たすきの走者は計277周(318.5km)、参加者全員で延べ2272周(2612.8km)を回った。一人での最多周回数は通算88周(101.2km)だった。 鈴鹿さんは「みんなのおかげで頑張れた。今後も参加ランナーの輪を広げたい」と笑顔を見せた。”(8月21日付け中日新聞)
「(第593話)石井琢朗の母」(2006年5月26日)で紹介したが、石井選手はヒット1本打ったら1万円寄付している。ウォーキングでも1km歩いたらいくら寄付するというものを聞くことがある。それと似たような話であるが、24時間、沢山の人とたすきをつなぎながらと言うのがなかなか好ましい。なぜ歩いて走って寄付するのか、何の脈絡もないと一瞬思うが、それは歩ける、走れる体に感謝する心であろう。人間ひとりでは生きられないことを知り、生かされていることを知らなければこの心は起こらない。 森岡は娘の生まれた地であり、あいち健康の森は先日行ってきたばかりである。ゆかりの土地のいい話は特に嬉しいものである。
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(第645話) 10秒 |
2006,8,29 |
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“10秒後に地震の揺れがくると分かったら、何をしますか。 気象庁が今月から「緊急地震速報」を始めた。強い揺れがくる前に地震の発生を知らせ、電車を止めたり、工場の操業を停止したりして被害をできるだけ小さくする。国土全域を対象にした世界でも例のない取り組みだ。 速報の対象には一般の市民も含まれる。しかし、十分な理解がないまま始めれば、パニックなどを引き起こしかねない。当面は鉄道や工場、病院など特定の事業者だけに提供される。テレビやラジオ、自治体の無線などを通じて広く市民にも速報するのは06度末が目標だ。 せっかくの速報を生かすには、日頃からの準備が欠かせない。いざという時に、「枕を抱えて逃げる」ということにもなりかねないからだ。家でも学校でも会社でも、大きな揺れに備えた行動をあらかじめ決めておいてはどうだろう。真っ先にガスを消す。机の下に身を隠す。建物が押しつぶされても逃げられるようにドアを開ける・・・。身の回りの安全を確認し、家族や仲間と話し合って役割を分担するのもいい。備えあれば憂いなし、である。”(8月21日つけ朝日新聞)
社説からである。地震に対する対応は言われて久しく、特に我が愛知県では東海地震が近いと言うことで住民への啓蒙、公共物の震災対策、さらには、個人住宅への耐震補助など、盛んに行われている。そしてついに、地震速報が始まったのである。地震予知などできるものではないと思っていたが、阪神大震災のような直下型地震でなければ、数秒前に速報できるという。数秒などどれほどの意味があるかという気もするが、命が守れればそれは大きな意味があろう。でも数秒だけにすべてが速やかな対応が肝心である。この速報を無駄にしないように、何をするかきちんと意識しておかねばならない。
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(第644話) 高山のラジオ |
2006,8,27 |
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“森林限界を過ぎ、高山植物だけが、けなげに生きている高度に達した。と、登山道の上から演歌が聞こえる。その音がぐんぐん近づいてきた。おじさんとほぼ同年代の男が、ラジオをボリュームいっぱいにかけながら下山していたのだ。 「やあ、こんちは」と男があいさつした。おじさんも言葉を返し、ついでに聞いた。「ラジオがにぎやかですね。だけど、ここらに熊はいませんよ」男は無邪気に応えた。「単独だと寂しいでしょ。音があると寂しくないから」 男と別れ、再び登り始めたおじさんは考えた。 <単独登山する人は、孤絶の中に己を置き、その寂しさと真正面から向き合うことが、何よりの喜びではなかったか。風のそよぎ、鳥の声、草の擦り音などの大自然が奏でる響きと、自分の靴音とあえぎとを聞いて歩くのが、登山の楽しみではなかったか>”(8月20日付け中日新聞)
エッセイスト・飛鳥圭介さんのおじさん図鑑からである。単独登山の醍醐味はどこにあるのか、それは孤独の中に身を置き、自分を正面から見つめることだと考える飛鳥氏には、ラジオで寂しさを紛らわす人が理解できない。静寂と言っても自然の中には自然の音がしている。それを聞こうとしないで人工音に頼る。これも理解できない。 本当に今の世の中、日常生活にはどこにもテレビやラジオの音があり、音楽が流れ、雑音が溢れている。その結果、静寂が苦手になってきている。 また、ラジオや音楽を聴きながら、主目的をするながら族も多い。通勤や内職、家事など日常生活で、それが問題にならなければそれもいいが、滅多にない時間を過ごすときにはその中に身を任すのがいいのではなかろうか。 ボクもながら族である。でも、最近は意識して単独のことに絞ったり、ぼっと過ごすときがある。何も焦ることはない、世の中あわてて走りすぎているのだ。特に、ウォークなどに出かけるときは、ボヤッと車外を見ることにしている。
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(第643話) 草花あそび |
2006,8,25 |
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“春から夏、秋にかけて、さまざまな草花が野原を埋め尽くしました。
ツクシやスギナの節の部分を抜いて、元に戻し「継いだのどこ?」と当てっこ。ササやツバキの若葉を唇にあて、振動させ音を出し、夏にはホオズキの実を指でもんで柔らかくし、ようじで穴をあけて中身を出し、舌にのせて歯でかむようにするとキュッキュッと音がする草笛作り。ささ舟を作り小川に浮かべて競争。ひっかかった舟をとりに川をジャブジャブ入っていくのも楽しかった。 松葉や同じ種類の草の茎をからみ合わせ、ちぎりあいする草木の相撲もしました。輪っかのある結び目を作り、お互いその輪に茎を人れて引き合いました。種類が同じでも茎のやわらかさや、持ち方、引くタイミングで勝負が決まります。女の子はレンゲの茎などでネックレスやブレスレットを作りました。秋にはネックレスや指輪、お手玉の中身に使うじゅず玉取り。 野原は無限の遊びを与えてくれるおもちゃ箱でした。勇気や創造や感性・・・いろいろなものをはぐくんでくれました。これ以上、自然が少なくならないことを願っています。”(8月20日付け中日新聞)
日本独楽博物館館長の藤田さんの文からです。ここに書かれた遊びはどれも覚えがあり、懐かしさから紹介した。こうして並べて頂くと、自然の中にいろいろな遊びがあり、いろいろな工夫があったものだとつくづく思う。さて、僕らは子ども達にこんな遊びを教えたであろうか。娘だけだったからであろうか、何かボクには自信がない。その分、男の孫がいる今、してやれと言うことであろうか。 ここに出てくる草花は、いずれも雑草である。雑草にこと欠くような時代は来ないと思うが、今でも町中に住む人は意識しないとその雑草に触ることはないだろう。町中の人はあえて田舎に歩きにでよう、子供を連れて。ウォーキングの会はそんな場を提供しています。
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(第642話) 蚊帳吊り |
2006,8,22 |
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“後藤さんのお宅では、蚊帳をつるのは子どもたちの仕事だった。部屋の四隅に打ち付けた鈎(かぎ)に、背伸びをして環(わ)を引っ掛ける。ところが、蚊帳というものは正方形ではない。長方形をしているのだ。そのため、引っ掛ける環を間違えると、きちんとつれなくなってしまう。 そして翌朝。またまた子どもたちの仕事である。今度は、蚊帳を畳まなければならない。子ども時代の後藤さんはお姉さんと一緒に、大きく腕を広げて両端を合わせていった。つるのも畳むのも頭を使わなければならない。 「家事も手伝いなさい」などという説教くさいことは言いたくないが、こうした手伝いも年を経て懐かしい思い出になる。”(8月12日付け中日新聞)
「ほろほろ通信」の志賀内さんの文からで、前回に続いて子供の手伝いの話です。手伝いは子供に能力をつけさせるだけではなく、思い出作りでもある。小さいときから農業をするように育てられたボクなど思い出だらけだ。僕らの小学校時代は、田植え休みや稲刈り休みもあった。ボクなどは更に休んで手伝った。 ところで今の子は蚊帳を知っているだろうか。この話はなかなか理解できないのではないか。そして、「蚊帳の外」の意味は更に分からないだろう。否応なく世代の違いが生じてくる。
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(第641話) 銭湯営業 |
2006,8,20 |
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“中学生として初めての夏休みを迎える二女に、家族の一員として何か一つ役割を持たせたいと、お風呂掃除の仕事を提案してみました。「銭湯を営業してみない?」すっかり乗り気の二女と、いすやおけ、すのこの裏までしっかり洗うこと、風を通して浴室を乾かすことなどを約束して「めぐみ湯」の営業開始になりました。 夏休み初日、仕事から掃ると浴室はすっかりきれいになっていました。カビ取り剤まで使って予想以上の仕上がりです。得意満面の二女に入浴料五十円を払い、一番湯を堪能しました。”(8月10日付け中日新聞)
豊橋市の会社員・長尾さん(女・46)の投稿文からです。さぞ長尾さんには嬉しい50円だったでしょう。本当に今の世は親がよほど意識しないと、子供は家事のことを何もしない、知らないままに大人になっていく。親も子供にしてもらわなくても何も困らない、学校の勉強でもやっていてくれた方がいい。これが一般的家庭であろう。でもそれは子供にとって不幸せなことだ。家族の一員としてやれることはやる、そして知る。学校の勉強より重要である。 まもなく夏休みは終わる。続いたでしょうか、そして2学期が始まったらどうされるのでしょう、聞いてみたいところだ。
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(第640話) 折り鶴 |
2006,8,18 |
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折り鶴は鳩と共に平和の象徴に扱われている。そして、原爆や終戦記念の頃になるといろいろなところで目につく。なぜなのだろう・・・・その解があった。
“今も名古屋に住む高橋(旧姓夏目)登代子さんは、半世紀前を懐かしく思い出しながら話した。広島の平和記念公園を訪れた誰もが見上げる「原爆の子の像」、両手をいっぱいに広げ、大空高く折り鶴をかかげる少女。 少女のモデルは佐々木禎子さん。昭和二十年八月六日、二歳の禎子さんは爆心地にほど近い自宅で爆風に吹き飛ばされたが、かすり傷一つ負わず、かけっこが得意の元気な少女に育った。ところが、小学校卒業を目前に突然、白血病で倒れ、昭和三十年秋、十二歳の短い命を閉じた。 この間、病魔と闘う禎子さんを励ましたのが、折り鶴づくり。「もっと生きたい」。切ない願いを込めてベッドで一心不乱に折り続けた。そのきっかけが、高橋さんら愛知淑徳高校の青少年赤十字団員からの贈り物だった。彼女たちは多くの被爆者が苦しんでいるのを知り「ツルは長寿。折り鶴で励まそう」と、半月で五千羽をつくりあげ広島赤十字病院に送った。その一束が禎子さんにも渡された。病室に飾った折り鶴の美しさに、禎子さんは自分でも折り始めたという。”(8月5日付け中日新聞)
加藤編集局長の「折り鶴の願い」からです。いい話である。名古屋が発祥地とは嬉しいし、誇らしい気分である。同日の同じ中日新聞に“岩倉市が原爆の慰霊碑に捧げるため、市民から募った折り鶴が今年は過去最多の28200羽も集まった”とあった。平和を求める気持ちの現れであろう。ますます盛んになって欲しいものである。 しかしながら、またぞろぞろともっともらしい理屈をつけながら、きな臭いニオイを感じるのは私だけだろうか。
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(第639話) 葛木渡船 |
2006,8,16 |
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“県営の葛木渡船は、「川の中の県道」の位置付け。県道津島立田海津線の水上部分を担う。このため、年中無休で毎日早朝から日没ごろまで、利用者の求めに応じて随時運行する。一般の道路だから、もちろん無料だ。 愛西市の木曽川は今でこそ、上流に東海大橋、下流に立田大橋が架かり、車の往来が激しい交通の要衝だが、架橋前は水上交通が主。明治二十年代の木曽川改修で貨客輸送に岐阜県海津市から木曽川の中堤を経て愛西市への航路が開かれ、この一部が葛木渡船として今に続く。昭和三十年代に県営化され、現在、地元農家でつくる葛木渡船組合の組合員九人が当番制で船頭を担っている。 父親、息子の三代にわたって船頭の加藤輝男組合長が懐かしむ。「岐阜県側からは、自転車にたくさんのミカンを積んだ農家の人たち。天王川公園(津島市)の草競馬の馬を運んだこともあった。こちらからは多度大社(三重県)の祭りに出掛ける人たちを乗せた。行列ができて臨時船を出したこともあった」”(8月3日付け中日新聞)
中日新聞の記事からである。なぜこんな記事を紹介したかと言えば、一宮友歩会の今年11月4日の例会でこの渡船に乗ってもらうことを計画しているからである。今年5月の例会では同じ木曽川の西中野渡船を見学してもらったが、今度は乗ってもらうのである。 私はこの渡船に乗ったことはまだない。多分多くの方が生涯一度のことになるのではなかろうか。橋ができればこの渡船はいずれ無くなる運命である。是非この機会を利用されたい。
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(第638話) 暑さの物差し |
2006,8,14 |
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ここ連日35度以上の日が続き、熱帯夜も続く。気象庁では一日の最高気温がセ氏25度以上の日を「夏日」、30度以上では「真夏日」と呼んでいる。また、最低気温がセ氏25度以下にならなかった夜を「熱帯夜」と呼んでいる。さて、暑さの体感はこの基準に従っているだろうか。
“最高気温が30度を下回った日でも、湿度が高く風も無い日は真夏日以上に暑さを感じる。また、都会の30度と田舎のそれとでは体に感じる暑さは全く違う。という事は暑さの物差しは気温ではないのかもしれない。 昔から日本には暑い夏を涼しく過ごすための知恵がある。その代表的なものが風鈴ではないだろうか。あの「チリンチリン」と鳴る音が風を感じさせ涼しい気持ちにさせてくれる。また、簾も直射日光を遮る機能性だけでなく、景色を細く切り取る事で視覚的にも涼しさを与えてくれるような気がする。”(8月3日付け中日新聞)
後藤丸栄社長の話である。この涼しさを感じられれるのが、まさに日本人であり、日本人の情緒である。クーラー頼りは内を冷やして外を暑くする、ますます外に出られない環境を作っている。打ち水や団扇、浴衣など日本人の知恵を総動員してこの夏を乗り切りたいものだ。 とは言いながら、ここ連日の真夏日熱帯夜に、我慢強いわが家も、ついにここ数日寝るときに数時間クーラーを入れるようになってしまった。
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(第637話) スケジュール帳 |
2006,8,12 |
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“昭平さんはスケジュール帳を開くたびうれしくなる。月曜から金曜まで、予定がいっぱいだ。英会話に水泳、写真に郷土史に卓球、俳句、ウオーキング。他に講演会も二つ行く。居間と書斎のカレンダーに、同じ予定を書き写しておいた。ほんとは玄関ドアにだって張り出したいほど、誇らしい気分である。
ヘーえ、うらやましいねという声が返ってきて、気分がよかった。半年たった。昭平さんは何だかガソリンが切れたような感じになった。あなた、やり過ぎよと妻に注意される。やっと一年過ぎた。昭平さんは朝起きられないほど疲れてきた。スケジュール帳に従うだけで、上達する喜びを感じたことがない。”(8月2日付け中日新聞)
西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からである。定年退職して何もすることがない、そうならないようにと戒めの言葉が多い。この話はその言葉に忠実に従った結果であろうが、いろいろ手を付けるがそこには思想も目的意識もないことに問題があった気がする。いくら趣味といえども根を詰め、深みに入っていかねば達成感も本当の楽しみもわかないだろう。そのためにはいろいろ試しながら、その中から絞り込んでいけばよかったと思う。ボクはこういう話があるとき、ボランティア活動をひとつは勧める。役立っているという意識が人間生きていく上で重要である。そして何事も一朝一夕ではいかないのだ。
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(第636話) 子供を産まない人生 |
2006,8,10 |
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少子高齢化社会が言われて久しいが、まさにそんな社会を迎えた。高齢化社会は食生活や医学の発達した望ましい社会の結果であるが、少子化社会はどうであろう。子供を産めない体の人が多くなってできた社会ならやむをえないことであるが、産まない人が多くなってできた社会なら、それはどうであろうか。現実は後者ではなかろうか。夫婦が自分たちの時間を楽しみたい、子供ために経済的負担を負いたくない、そんな夫婦にとって子育ては確かに負担の大きいことである。しかし、子育てというのはそんなものと天秤にかけることであろうか。
そんな中、7月26日付け中日新聞の「紙つぶて」で作家の海月ルイさんの次の文に出合った。 “吉永小百合、森光子という日本を代表する大女優が、偶然にも同じことを言っているのを聞いて驚いた。彼女たちは「人生で後悔しているのは、子供を産んでおかなかったことです」と明言している。両者とも、日本の芸能史に名を残す大スターである。これだけの大物でもそんなことを思うのだ。「子供を産まない人生」の意味を簡単に考えてはいけない。”
ボクの曖昧な記憶だが、吉永小百合が結婚するとき「子供を産まない」のが条件であったと読み、彼女ならそんなものかと思った。そしてこの文を読んで、ホッとした。どんな偉大なことも、子供を産むことにはかなわないのだ。ほとんどの人は子供が産めるのだ。社会のどんな偉大なことにも勝ることができるのだ。「子供を産まない自由」を簡単に考えてはいけないのだ。
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(第635話) 無言の会話 |
2006,8,8 |
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“「山登りのどこが楽しいの」「登るのってつらいだけでしょ」「ご主人と何を話して登るの」揚げ句の果てには「ご主人と一緒で楽しいの?」週末、主人との山登りを楽しみにしている私に、友達は疑問を投げかける。 先日ある人がテレビで「私は主人とマラソンをしている時が一番会話をしている時なんです」と。まさしくこれだと、目からウロコの思いだった。 山歩きの時、かわいい花やさわやかな風、落ち葉や石ころを踏む足音、小鳥の声などを主人と同時に見聞きしている。まさにその瞬間、会話が弾んでいるのだ。 今後、友達に「夫婦登山の何か楽しいの」と聞かれたら、自信を持って「無言の会話が最高よ」と答えることにしよう。”(7月27日付け中日新聞)
一宮市の主婦・鈴木さん(52)の投稿文です。無言の会話・・・言い得て妙、なかなか味のある言葉である。ボクはよくバスツアーに出かけるが、その中の騒々しいこと、特に女性同士はいつ話が切れることやら、その中で押し黙った男女1組のペアがあったら、まず夫婦である。日本人の夫婦はどこでも寡黙が一般的のようである。それだけ会話がなくて何が楽しいのか、その答えが鈴木さんの文であろう。無言の会話、時間の共有、それが夫婦にはあるのだ。それではいけないと、最近よく言われるが、それでいけないのはまだまだ未熟な夫婦であるということではないか・・・・。
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(第634話) 不審者 |
2006,8,6 |
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子供の痛ましい事件が続き、大人を見たら疑ってかかれとばかりに子供に教えている。その結果、知らない子供に話しかけるのも、親切にするのも、注意するのも控えられる。そんな時代の中、次のような中日新聞記者氏の話が載っていた。
“地域安全マップの考案者、立正大文学部の小宮信夫教授の講演を聞く機会があった。佐賀県の男児ひき逃げ事件で白バイ隊員が容疑者に職務質問した後、結果的に逃げられたことを例に「プロの警察官でも見た目だけでは不審者、犯罪者かは分からない。ましてや子どもに要求するのは無理な話。それなのに学校では『不審者に気をつけましょう』といっているのは、意味がないどころか有害な教え」と切り捨てた。 教授は「子ども達は外国人やホームレス、知的障害者達を『不審者』と見るようになり、差別につながる」と警鐘を鴫らす。さらに「すべての大人たちを信用しない子どもに育ち、大人側も不信感を持たれるくらいなら、と次第に距離を置くようになっている」と言い、不審者情報よりも危険な場所を教えなければならないと説いた。”(7月22日付け中日新聞)
8月1日の中日新聞に「声をかけられぬ世の中の寂しさ」と題して、子供が元気に声をかけてくれて喜んだが、その子供の母親が「知らない人の声をかけちゃだめ」と子供に注している声を聞いて寂しくなったと言う投書文があった。まさに小宮教授の言葉を地でいく内容である。世の中には一見真実のようであるが、真実でないことがウヨウヨとある。何か事件や事故があるとすぐに対応策がとられるが、それは一見いいことであるが、万に一つのためにとんでもない労力や時間が使われ現実的でないことも多い。そのことに対しては有益であるが、別の面では有害なこともある。本当に何がいいかを見極めるのは難しい。
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(第632話) 優しいうそ |
2006,8,3 |
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“乗り込んだ電車は帰宅する人たちで満員だった。周りを眺めると、私の隣の隣に白髪の老人が立っている。もし、私のまん前の席が空いたら彼に譲ろうと思った。 それから十五分。空いたのは白髪老人の前だった。よかった。と、彼は私に席を手で示しながら言った。「どうぞ」「あの、お気遣いなく」と辞退したが、彼はまた「どうぞ」。 「私は十分座って来ましたから」まあ、なんて優しいうそ。なぜなら、私が乗ったのは始発のつぎの駅で、そのとき彼はすでに立っていたのだから。”(7月23日付け中日新聞)
またも小川由里さんの「おばさん事典」からである。先日の「順番」と同じ話。遠慮する相手に「十分座ってきましたから」と、相手に心おきなく座ってもらうような気遣い、並大抵な心ではできない。たまたま小川さんはその言葉がうそと気付かれたので、こんな話となるくらいに感動されたのである。普通であれば、まあそれなら当然自分が座ってもよかろうという気持ちくらいであろう。 電車の中の風景は社会の縮図である。平成13年6月ともうかなり昔の文になってしまったが、私のHPの付録「電車の中の風景」を読んでもらうのもいい。(http://terasan.web.infoseek.co.jp/zu003.htm)
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(第631話) 順番 |
2006,8,1 |
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“高熱を出した娘を連れて病院へ行きました。順番は、四番目。ぐったりと苦しそうにしている娘と、待合室で開院を待ちました。すると、受付の人に何かを言いに行く女性が一人。ちらちらと私たちの方を見ながら、何か話しています。そして受付の方がこちらへ来て、そっと「あちらの方が順番を交代してくださるそうですよ」と。 びっくりしてその方に「大丈夫ですから」と申し上げましたが、「娘さんが苦しそうで、かわいそうだもの」とやさしく言ってくださり、お言葉に甘えさせていただくことにしました。私たちは一番に診ていただくことができました。”(7月19日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・藤巻さん(40)の投稿文からです。譲られた方も辛くて、早く診てもらいたくて一番に来られたのであろうに、その一番を人に譲るとは、これはなかなかできぬことである。辛くないときならまだしも。ボクなど、電車に座ろうと早く行って待って、座ったときなど、なかなか譲る気にならない。老人などが途中から電車に乗って来るのが見えて、こちらに来ないとほっとする。本当の優しさがあったら、こちらに来ることを願うのだろうが。電車の席でさえこれだから、えらい違いだ。
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