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(第614話) お手伝い効果 |
2006,6,30 |
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“面倒くさがり屋の私が、最近家のお手伝いをするようになった。母が仕事を始めたからだ。手伝いは当たり前なのだろうが、私にとっては大きなことだった。 手伝いをするに当たり、考えを変えたポイントが二つあった。それは、親に任せてばかりだったことを反省、親の大変さを知ったことだ。もうひとつは手伝いをしながら新しい発見をすることだ。それを嫌々やっていては発見できない。むしろ発見するととても楽しいものだ。私自身の成長にもつながるはずだ。”(6月18日付け中日新聞)
一宮市の高校生・近藤さん(女・16)の投稿文からです。家事の手伝いをするなんてことは、我々の時代には当然のことであった。ところが勉強、勉強、受験、受験と言うようになり、親も手伝いより勉強を優先させるようになった。またサラリーマン家庭が多くなるなど、手伝いをする環境も少なくなった。勉強さえしていてくれれば、何をやっても許してしまうようになった。人間生きていく上で、学校の学問はその一部、もっと重要なことがあるのに、我々親世代はとんでもない間違いをしでかしてきた。 近藤さんは手伝いをしなければならない環境になったと思って始められたようだが、この環境になってもしない人も多かろう。よかったと思うと共に、感心したのは、「嫌々やっていては発見はできない」ということに気づかれたことである。何事も心を傾け、熱心にやれば楽しくなるのである。良かった、良かった!
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(第613話) 咀嚼の効果(その2) |
2006,6,29 |
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昨年11月19日第461話で書いた「咀嚼の効果」は、同級生の大学教授の話から紹介したが、6月15日の中日新聞に全く同じような話が出ていたので、再度この効果について書いてみる。 “噛むことは肥満予防・解消になるばかりではない。健康を考える上でさまざまな効果が期待できる。すべてはあげきれないので三点だけを紹介しておこう。 @脳細胞の活性化 Aストレスの緩和と集中力の強化 Bガンの予防 @は噛むことによって発生する振動が、脳に伝わることによる。Aは噛むことが精神をリラックスさせることになる。精神がリラックス状態でなければ、ここ一番というとき集中カが生まれない。Bは唾液に合まれているラクペトルオキシターゼという物質に、発がん性物質の変化を抑える働きがあることによる。ちなみに、唾液には他にも免疫力の増強、消化力の促進、若返り効果、性機能の維持などの働きがあることが分かっている。これらのことから察するに、噛むことはもっとも手軽で、効果抜群の健康法といえよう。”
ボクの家では最近玄米食をときおり食べることにしている。玄米食はともかく噛まないと食べられない。何十回と噛む。するとその口の癖が他のものを食べるときにも移ってしまい、軟らかいものでもよく噛んでしまう。当然食事時間は長くなり、妻との会話も長くなる。玄米食を始めた一番の理由は、便通が良くなることからであるが、咀嚼効果始めその他の効果も大きい。
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(第612話) 父がくれた時間 |
2006,6,27 |
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“子どもの頃、遊びに夢中になって夕食の時間に少しでも遅れると、父からこっぴどく叱られた。朝食と夕食は家族そろって食べることがわが家の約束事であり、当時、経営者として多忙を極めていた父も、何とか時間をやりくりして食事を共にしたのである。 「約束は相手の時間を縛ることだから決して時間に遅れるな。金は返せても時間は返せないぞ」が口癖だった。早くに両親を亡くし、青年時代は勉強もままならず、兄弟で夜遅くまで働いた父にとって「時間は自らつくるもので、かけがえなく大切なもの」だった。”(6月15日付け中日新聞)
ブラザー工業会長の安井さんの文です。元の文をかなり省略しましたが、それでもこれだけの文からいろいろ教えられます。@時間は取り返しのできない大切なもの。A時間は自分で作るもの。B食事は家族揃ってするもの。 いずれも大切なものであり、現代人が忘れがちなことである。約束時間が携帯電話の発達で守られなくなったと聞く。電話で気楽に断れるからと言う。家族揃っての食事などいつあったのやら、時間も場所も別々という家族もあるようだ。それが非行の原因にもなり、食育の必要にもなる。安井さんに言わせれば、時間は自分で作るもの、時間がないなど理由にならない。「頼み事は忙しい人に頼め」といわれるが、忙しい人はずるずると先延ばしすることがなく、すぐに着手するし、時間を作ることが上手なのである。
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(第611話) あこがれの館 |
2006,6,25 |
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“こぢんまりとした手づくりの資料館の中は、昔の小学校の木造校舎のようなたたずまいで、ゆっくりと時間が流れていた。弥富市又八の元中学校長大島静雄さん(80)が、自宅の文鳥小屋を半年がかりで改造。同市十四山地区出身のアララギ歌人、前田進さん(96・名古屋市在住)を顕彰する個人運営のミニ資料館をオープンした。 大島さんは弥富短歌会のメンバーで、長年、前田さんの指導を受け、作品や人柄にほれ込む。その思いが募り、とうとう資料館まで造ってしまった。館内の壁一面に展示された約八十首の歌は、大島さんが前田さんの全歌集を読み込み、えり抜いたものだ。
「最近は全くもうけの話ばかりがはやりだが、金もうけなんて、誰でもみんな思うこと。世の中には、もう一つ上の暮らしがある。それを無言のうちに教えてくれるもんが文化じゃないか」”(6月14日付け中日新聞)
中日新聞記者氏の文である。人が人に惚れ込んだ場合、いろいろな処置方があるが、このような文化を伝承する表し方は最高ではなかろうか。それも80歳になってからである。その熱意は素晴らしい。大島さんが金儲けを、誰でもみんな思うことと否定しないところも気を引いた。文化を大切にする人はおうおうに金儲けを否定するが、そこには何か無理や格好つけの臭いがし素直に頷けない。世捨て人にでもならない限り、人間社会では金銭を切り離せないのだ。そこをすらりと肯定し、文化をその上のものと位置づけるところが本物らしい。金銭は求めざるをえないもの、文化は求めなくてもいいもの。共に求めないと得られないが、求めなくてもいいものを求めるのはやはり一段上である。
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(第610話) 至福リスト法 |
2006,6,24 |
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現代社会は中身が濃くなり、いつも緊張を強いられ、ストレスは溜まるばかりである。そんなストレスの解消法として、メディカル&ライフサポートコーチ研究会という難しい会の代表・奥田弘美さんが「七つの至福リスト法」という方法を提唱している文があった。 “あなたが「楽しい」「リラックスする」、または「健康に良く心地よい」と感じる七つのことをリストします。ただし一人で簡単にできることに限ります。例えば「好きな音楽を聴く」「カフェでリラックスする」などはOK、「友人に電話する」「旅行に行く」などはNGです。七つのリストから毎日ひとつの「至福」を自分にプレゼントして、日々ストレスによって消費される心のエネルギーを補充してください。”(6月12日付け毎日新聞)
ストレス解消法はいろいろなところでいろいろな方法が提唱されている。いろいろ試みて、自分に一番ふさわしい方法を見つけることであろう。そう思ってこの方法を紹介した。そして見つけたからにはある程度習慣化するまでは、更にいろいろな努力、工夫がいるかもしれない。それが返ってストレスになるかもしれないが・・・・。ボクはストレス解消もある程度能動的なもの、体を動かすものの方がいいと思う。 さてボクが七つをあげるとすれば、「散歩する」「本を読む」「音楽を聴く」「草取りをする」・・・・・時にはごろ寝か・・・・。
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(第609話) 優しさこそ |
2006,6,21 |
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“勝ち組、負け組という言葉がマスコミなどで取り上げられてどんどん広がり、ずっと嫌な気持ちを抱いていた。 お金を、より多く稼ぐことが「勝ち」という価値観に捕らわれていると、ますます住みにくくギスギスした世の中になっていくだろう。私は、人生の勝ち組は、どれだけ人に対して優しい気持ちを多く持てるかだと思う。人間は一人では生きていけないということ、いろいろな人に支えられて生きていることに気づかなければならない。”(6月12日付け朝日新聞)
名古屋市の主婦・松井さん(43)の投稿文からです。昨年あたりから人を勝ち組、負け組に2分する話が多いが、人間そんなに単純なことではない。勝ち組といわれる人も内心密かに悩みを持っていたり、社会的に負け組といわれる人も家庭的には恵まれたり・・・・人間何事も100%はあり得ない。 そんな中で、あえて勝ち組の判断をどこに求めるか、その一つの見方が松井さんの意見であろう。ボクもあえて考えてみれば「ゆとりが持てること」といいたい。優しい気持ちも持てることも心にゆとりがあるからである。金銭・物質を施せるのもそのゆとりがあるから。ウォーキングや旅が楽しめるのは時間にゆとりがあるからである。そうして考えていったとき、心にゆとりがなかったら、すべてのゆとりがゆとりと考えられないのではなかろうか。
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(第608話) ツバメ |
2006,6,20 |
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“「もうすぐ巣立ちだね」。テーブルを片づける手を止め、宮部君枝さん(六〇)は窓越しのツバメの巣を見つめた。宮部さんが営む一宮市内の喫茶店にツバメが巣を作り始めたのは、開店当初の十年前。以来、毎年春にやってきて、軒先で子育てをする。 ツバメは大切な心の支えだ。夫を亡くし、新しい土地で始めた店。土地になじめず、客とのつきあいにも苦労した。それが、店先を飛び回るツバメをきっかけに「ことしもきたね」「大きくなった」と、客との成長談義に花が咲くようになった。常連の大工さんは、巣が落ちないよう板で支えを作ってくれた。ツバメがお客さんと自分をつないでくれた。 ことしも四羽が、間もなく巣立ちを迎える。見守った時間だけ寂しさが募る。でも、そ の日には「元気に行っといで。また戻ってこやぁ」と呼び掛けるつもりだ。”(6月4日付け中日新聞)
横井記者の文である。ぼくらの子供ころは、どこの家も玄関が開けっ放しになっていて、玄関を入った土間の天井にツバメが巣を作っている家が沢山あった。親ツバメから子ツバメがえさをもらう姿は誰が見てもほほえましい。そんな風景も戸締まりをしなければならなくなって見かけることが少なくなった。しかし、ツバメもさる者、少しの場所を見つけて巣を作っている。先日も孫と散歩に出かけてそんな家を見つけた。 こんなツバメの風景がお客さんとの交流に役立ち、ご主人を亡くしたばかりの宮部さんには心の支えになった。人は失意の中にも、何かこういう癒しを見つけてそれを乗り越えていく。多くはそうであるが、それができないときに問題が起きる。最近よく事件が起きるのは、人が孤立し、自分で問題を抱え込んでしまうからではなかろうか。
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(第607話) 一流の人 |
2006,6,18 |
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“中日文化賞の贈呈式が先日あり、五組の方々を祝った。その中に昭和二十三年の創設以来初めてという夫妻そろっての受賞者がいた。西村幹夫さん、いくこさんである。 幹夫さんは自然科学研究機構(岡崎市)の基礎生物学研究所教授、いくこさんは京都大学大学院教授。植物の細胞・分子生物学が専門で、共同研究の業績は「植物オルガネラの機能解明」とある。 このいかめしい肩書と聞いたことのない難解な用語を耳にしただけで私は頭がクラクラしたが、二人のスピーチや祝賀会でうかがった話は想像とはまるで違った。実に平易で分かりやすいのだ。 長年の取材経験で知ったことがある。どの分野でも一流の人は、どれほど難しい事柄だろうと、素人にも理解できるよう自分の言葉で易しく語る。本質をつかんでいるからだ。おしどり夫婦はあらためてそれを教えてくれた。”(6月3日付け中日新聞)
加藤編集局長の文であるが、全体は夫妻の語る植物の生き方の話に主眼をおいた文であるが、ボクはその中で、分かりやすさの部分だけ取り出して紹介した。専門家が専門語を使って話すのは簡単なことであるが、素人でも分かるように話すことは、編集局長が言われるように本当に理解していないと語れない。専門的なことを基本的な部分から易しく語ることは本当に難しい。基本的な部分は普通の知識では分解できないのだから。 それにしても日本のキューリ夫妻か、大変な夫婦があるものだ。夫婦で切磋琢磨し、そして成果を上げる。何も犠牲にされるものはなかったろうか、それが知りたい。
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(第606話) 和室大好き |
2006,6,17 |
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“私も夫も和室が大好き。4月に引っ越した3LDKの新築マンションも、設計変更で2室を和室にしたほどだ。 3年前、結婚と同時に入居した築30年の社宅は3部屋とも和室で、最初は古くささに戸感っていた。だが、子どもが生まれてからは和室の便利さを日々実感するようになった。 寝返りで布団から落ちても痛くない。息子はおもしろがり、畳の上をころころ。ハイハイも存分にできる。歩き始めてからは、転んでも大きなけがの心配がないので安心だ。 大人もゴローンとできる快適さ。親子3人が川の字で寝られるあたたかさ。和室には自然とみんな集まってくる。押し入れは使い勝手が良いし、来客時には座布団と机をさっと用意すれば応接間に早変わり。まさに変幻自在の空間なのだ。 洋室ももちろん良いが、昔から受け継がれた畳は忘れてはならない「日本人の心」ではなかろうか。”(6月1日付け朝日新聞)
京都市の主婦・角田さん(26)の投稿文。ボクも和室大好き人間である。昨年新築した娘の家に行っても全く落ち着かない。もちろん自分の家ではないということもあろうが、それより居間が和室でないからである。あぐらをかいても寝ころんでも敷物の上では全く気分が悪い。であるから行ってもすぐに帰ってきてしまう。もちろんボクの家の居間は畳である。
和室であれば、角田さんの言われるように多目的利用が可能であり、建坪もそんなに大きくなくてもすむが、洋室主体であると部屋の目的が単一になり、どうしても大きな家になってしまう。ボクが新婚のころ、6畳と4畳半のふた間の借家に住んでいたが、和室だったから住めたのであろう。和風の家のなんと合理的なことか、個人的好みではあるが、この文化を大切にしたい。
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(第605話) 父の日 |
2006,6,15 |
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“「母の日」に比べて「父の日」は存在感が薄い気がする。その父の日を前にして、名古屋市港区にお住まいの佐野房子さん(57)からこんな話が届いた。 五年前のこと。当時、二人の息子さんは京都と岐阜の大学生で、それぞれアパート暮らしをしていたそうだ。たいていの家庭では仕送りは振り込みだろうが、佐野さんのお宅では違った。遠くてもお金を受け取るために帰省させ、手渡ししていた。なんと毎月。そ れは、お金のありがたみを考えさせる目的もあったが、親としては息子たちの元気な姿を見たいという気持ちもあった。 その年の五月、二男が二十歳になった。帰省した息子たちが「父ちゃん、出掛けるから支度して」と言う。夫が「どこへ」と尋ねると「一緒に飲みに行こう。ちょっと早いけど、父の日のプレゼントだよ」と。”(6月2日付け中日新聞)
今回も「ほろほろ通信」からである。我が家では父と母はえらい違いである。今年も母の日は、二人の娘家族がそれぞれ別の日に、妻を招いて食事やドライブに誘ってくれた。その日のボクは老母を看ながら留守番である。さて父の日は、例年だと長女からは孫の絵手紙、二女夫婦が相撲か野球のペアチケットを贈ってくれる。これでは大変な差である。子供らにとって父は裏方か縁の下である。裏方にも陽を当てろ! 佐野さんは最高に至福な気分であったろう。長い家庭教育がものを言ったのである。何事も一朝一夕で行くものではない。
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(第604話) ことわざ |
2006,6,13 |
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“日本古来のことわざは、いくら科学が発達している現在でも共感する部分がある。私が今頭に浮かぶのは、「能ある鷹(たか)は爪(つめ)を隠す」「二兎(にと)を追う者は一兎(いっと)をも得ず」「安物買いの銭失い」「捨てる神あれば拾う神あり」などだ。いずれも含蓄ある言葉ばかりだ。 また私は宗教に興味はないが、その仏教言葉には興味をひかれる。中でも「諸行無常」という言葉があるが、その意味は「世の中は絶えず変化しているので、永久不変のものはない」ということだ。 昔のことわざや仏教言葉は何百年、何千年たっても共感でき、素晴らしいものだと思う。”(6月1日付け中日新聞)
多治見市の会社員・西田さん(女・47)の投稿文です。ボクもこの「話・話」の中でことわざをよく引用していると思うが、文に使うといいスパイスになる。 ことわざは含蓄があり、人間の真実を言い得ているから、何百年と忘れられることもなく生き続けている。いくら世の中が変わっても人間はかわっていないということでもあろう。「目には目を、歯には歯を」に対して「恨みに報いるに徳を以てす」、「寄らば大樹の陰」に対して「鶏頭となるも牛後となるなかれ」など、全く反対なことわざがあるのも面白く、人間なればこそと思う。自分に都合よくではなく、向上に向くことわざをうまく活用することであろう。
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(第603話) 防災士 |
2006,6,11 |
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“先日、防災士講習会が開催されたので受講した。防災士はまだ私たちになじみが薄いが、自分たちの地域を自分たちで守ることを目指し作られた制度だ。 今回の講習会では、阪神淡路大震災で亡くなった人の八割が建物の倒壊によるものであったこと、また倒壊した建物は比較的古く、耐震補強がされていなかったことなどを学んだ。 災害の発生を防ぐことはできないが、備えを十分にすることで損害を減らすことはできる。そのためにも防災士の増加が望まれるが、まずは自分が早く資格を取って家族を守り、地域を守ろうと思う。”(5月30日付け中日新聞)
名古屋市の団体職員・鈴木さん(男・65)の投稿文です。 東海地方では大地震はもういつ起きても不思議でないと、騒がれるようになって久しい。そして今、公共の建物などの地震対策工事が盛んに行われている。そういっている間に思いがけない地方で地震が起き、かなりの頻度で地震速報がテレビなどで流されている。地震国日本で地域を特定するのは無意味の気がしてくる。 鈴木さんが言われるように、我々にできることは知識を得て対策を取っておくことであろう。実はつい先日、築60年の我が家も耐震補強工事をしてもらった。外観からの耐震診断では「倒壊または大破壊の危険有り」であったが、起震機による測定をしてもらったら意外に良くて、勧められる対応も簡単だったのでしてもらった。どんな場で地震に遭遇するかは分からないので、対応に十分と言うことはあり得なく、常の心がけが大切であろう。そして隣近所、身近な人の協力である。
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(第602話) 同級生の変身 |
2006,6,10 |
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“取材で二十年ぶりに中学時代の同級生に会った。彼女はこの地域を代表するインド舞踊家。色鮮やかなサリーをまとい舞台に上がった。 踊る姿を眺めながら、20年前の記憶をたぐり寄せた。近所の学習塾で机を並べて問題集を解いていたころ。やらされる勉強にどこか表情は暗く、しゃべる言葉も自信なさげ。 しかし舞台の彼女はまったくの別人。エネルギッシュな動きで大きく見開いた目は観客一人一人の心をとらえるかのように風格も漂う。”(5月29日付け中日新聞)
中日新聞記者氏の文である。学校時代目立たなかった同級生の活躍を喝采する文であるが、まさにこれでいいのだ。人間、今の学校の授業内容がいかにできても、それがすべてではない、ある一面なのだ。人間の能力は様々で、その能力にあった仕事や業務に就くことが重要である。学校時代の成績を過大評価することは厳に慎まねばならない。また、学校時代の成績の悪さにすべての自信をなくすことも厳に慎まねばいけない。何かの能力はあるのだから、自らおとしめることはない。ただ学校時代の成績がよかったものがよく活用されるのは、その人には自信があり、自信が結果をあげさせ、またいろいろな面で努力をさせるからだという気がする。 ボクは明日、毎年開いている中学校の同窓会である。今回は今までほとんど出席してくれなかった人が参加してくれるようだし、学校時代目立たなかった人が結構出席してくれるのは嬉しい。
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(第601話) 今日言おう |
2006,6,8 |
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“「彼と結婚することにしたよ」。娘の言葉に驚いた。少し前まで彼との結婚を薦めても「まだ結婚はしない」と言って、私たち夫婦を心配させていたので、結婚の決意を聞いてホッとし、うれしかった。 しばらくして、三十年近く前の私が結婚を決めたころを思い出していた。今の夫との交際を認めてくれた母は、私に「結婚を申し込まれたら準備をせないかんで早く教えてな」と言った。 間もなく結婚を申し込まれたが、母にすぐには言わなかった。「今日言おう」と思っていたその日に突然、母は心臓まひで亡くなってしまった。私が結婚を申し込まれたことを教えてあれば、母は心に張りがあって死ななかったのではないかと思うと、悔やまれて仕方なかった。何一つ親孝行をしてあげることなく母は逝ってしまった。”(5月25日付け中日新聞)
伊勢市の主婦・間宮さん(女・52)の投稿文です。こんなことがあるのだ、本当に悔やまれるだろう。何事も時を選ばねばいけないが、一寸先は闇と言うこともある。急いては事をし損じるということもあるが、遅いことなら猫でもやるともいう。時は得難く失いやすい、母は一日千秋の思いで待っていたのではなかろうか。 親の恩は子で送る、親の悔やまれる思いが子に通じたのであろうか、間宮さん、よかったですね。
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(第600話) ストック |
2006,6,6 |
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この「話・話」で何回も紹介した「老いの風景」は、500回をもって12年間の連載の幕を閉じたが、その筆者の渡辺哲雄さん(55)のインタビュー記事が5月23日付け中日新聞に載っていた。そこからほんの一部を紹介。 連載を通して最も印象的な思い出は?という質問に対して “連載の依頼を受けて、ひとつも書かないうちに、直腸の腫瘍(しゅよう)が見つかったことです。手術を前に悩みました。最低一年間は連載をと言われていたので、迷惑をかけてはいけないと思い、入院を待つひと月のうちに一年分の原稿を書きました。このストックがあったおかげで、十二年の長きにわたって、締め切りに追われることなく、自分のペースで書くことができたんです。 その後も胆のうを切除したし、ぜんそくの持病があるし、スランプで書けない時期もありました。でも、最初のストックがあったので焦らずに済みました。” 怪我、いや、病気の功名であろうか、入院前の1月の間に書きおいたストックによって、以後が楽になり、長期連載となったという話である。もの書きの話に、締め切り時間に追われる話が多い。もの書きは創造であるから、いくら能力があってもそう簡単に書けるわけがなく、時間いっぱいまで頭を働かせることになるのだろう。 ボクの「話・話」は、単なる借用だからそのようなものと比較できるものではないが、それでも凡人なりに苦労がある。そしてこれだけ書いてこれたのも、いつもストックを持って、掲載するときに再度読み直し、修正しているからである。渡辺さんと同じだと知って、嬉しく紹介した。ストックも余裕、人間何事も余裕が必要である。
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(第599話) ご近所再確認 |
2006,6,4 |
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“ゴールデンウィーク最中の5月3日、近所の留守宅に空き巣が入った。 ガラスの割れる音を聞いた隣家の奥さんが、近所中に声をかけた。手分けして留守宅の住人の出先へ連絡を取り、警備会社へ契約の可否を確認。留守宅を取り巻き、犯人を追い出し、逃げる車の写真を撮り、警察へ通報。犯人は間もなくつかまった。 「隣は何をするする人ぞ」という風潮の今の世の中で、これほど密な近所付き合いをしている地域をしている地域があるとはつゆ知らず、留守宅をねらったのだろう。隣近所の連係プレーは本当にみごとだった。被害も最小限にすみ、犯人の緊急逮捕につながったことは、同じ地域の住民として拍手を送りたい。”
(5月18日付け朝日新聞)
横浜市の医療事務員・圷さん(63)の投稿文です。一人遠足でも触れたが、現代は、みな個々に自立、他人の干渉を嫌い、隣近所との付き合いは希薄になるばかりである。ある意味ではそれは良いことであり、平穏無事なときはそれでいいが、ところが一丁ことあるときにはそれでは立ち行かないのである。長い生涯、平穏無事だけでは過ごせない。そのときこういった近所付き合いがものをいうのである。ここに紹介された事例は本当に見事である。皆ができる範囲で少し力を出す。その結集が大きな力となる。それが隣近所である。 ボクはそんな隣近所付き合いが色濃く残る田舎に住んでいる。会えば挨拶し、話し、物のやりとりもする。
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(第598話) ありがとうカード |
2006,6,3 |
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今回も志賀内さんの「ほろほろ通信」からである。 “賛否両論はあると思うが、子どもは褒められて伸びるものだと信じている。それを教育の現場で実践している方に出会った。刈谷市刈谷南中学校の神谷先生。先生は名刺サイズの「ありがとうカード」なるものを作っておられる。 いつも掃除をきちんとしている生徒がいる。ポケットからカードを取り出して「一生懸命にやってくれてありがとう」とサラサラッと書いて手渡す。あるときには「先生が両手に教材がいっぱいのときに、教室の戸を開けてくれてありがとう」。いずれも生徒の名前 を添える。 生徒はカードをもらうと当然喜ぶ。目立たないことを認めてもらったと、きっと感じるのだろう。なかには、先生にお礼の手紙を書いてくれる生徒もいるとか。「先生があのとき、優しく声をかけてくれてうれしかったよ」と。”(5月18日付け中日新聞)
「子供は褒めて育てる」よく言われることである。その一つの実践方法である。単なる言葉だけでなく、カードで渡すので、褒められたことがより具体的にはっきり分かり効果は大きいであろう。 褒めることは少し習慣化してしまえば、少しこつを覚えてしまえば意外に容易なことである。褒められて悪い気分のする人はいないから、気軽にできる。しかし、ボクは褒めることを少しも否定するつもりはないが、褒められることになれた弊害はないだろうか。この場合、カードをもらうことが目的になり、カードに執着することはないだろうか。そんな点が気にかかる。 ボクは今の時代、誰も怒らなくなったことの方が問題だと感じている。怒ることは褒めることより何倍も難しい。怒ることは少し間違えばとんでもない結果を生む。そして誰も憎まれがちの怒ることなどしたくないのだ。でも必要である。褒めることと怒ることをうまく組み合わせることが重要である。ボクは孫の怒り役をやろうと思っている。
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(第597話) 一人遠足 |
2006,6,1 |
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“母は春になると、一人遠足と言って家から四キロほどの鮫島海岸に八十三歳まで行っていた。大きなおむすび、お菓子と水筒、糸留めした広告紙を布リュツクに入れて。 きっかけは、三十五年前に兄がアメリカ留学した時だった。異国の地でどんな生活をしているのやら、嫌なこともいっぱいあるだろうにと、いつも心配していた。そんな時、一日海を見て、海の向こうにあの子がいると思うと会ってきたような気がすると。思いのまま広告紙の裏に短歌を詠み、一日を過ごし夕方帰路につく。”(5月18日付け中日新聞)
磐田市の主婦・高島さん(56)の投稿文です。親の愛は山より高く、谷より深し。親の愛に勝れるものはなし。親にとって子はいくつになっても子、まさにそんな話です。近くにいれば、けんかばかりしている親子も、離れれば心配の種は尽きない。 そんな親の愛も最近のニュースでは怪しい話が多くなっている。人間関係が何もかも希薄になっているのであろうか。人間は人の間と書く。好きでも嫌でも人と人の係わりがなくては人間は成り立たない。もう少し原点を見つめ直す必要があるのではなかろうか。
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