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(第578話) 安楽死 |
2006,3,31 |
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富山県の射水市民病院で、7人の患者が人工呼吸器をはずされて死亡した事件を、3月28日の読売、朝日、毎日、中日の各新聞がコラム欄で扱っていた。その書き出しはいずれも古典の文を引用しているのである。書き方の約束があるのかと思うほどに面白く感じた。
“江戸時代の儒学者、新井白石の父親は尊厳死を望んでいたようで、常々語っていたという。「いのちの限りあることをしらで、薬のためにいきぐるしきさまして終わりぬるはわろし」と。白石の自叙伝「折たく柴の記」にある。”(読売新聞・編集手帳) “明治期から昭和にかけて、文明批評に健筆をふるった嘉瀬川如是閑に、こんな言葉がある。「生命は刹那の事実なり、死は永劫の事実なり」(如是閑語)。死の永遠性に比べれば,生きているときはあっという間だと、生あるものの切なさを述べる。”(朝日新聞・天声人語) “「私は力のある限り患者のためになる養生方法をとり、有害と知る方法は決して用いません。頼まれても誰にも死に導くような薬を与えません。そのような相談にものりません」。医の倫理を示して今に伝わる古代ギリシャのヒポクラテスの誓いの一部である。”(毎日新聞・余録) “鴎外の『高瀬舟』で、罪人の喜助を乗せた船が京を下っていく。作品のテーマの一つは喜助の「罪」である。病苦の弟にせがまれて、見かねて死なせてやったことが弟殺しに問われた。その話に護送役の庄兵衛は「これが果たして・・・人殺しというものだろうか」と疑問を覚える。”(中日新聞・中日春秋)
引用文の紹介だけで、この問題の是非をここで論じる気はないが、どうも永遠の課題のようである。それにしても、コラム氏がこれだけそろって古典を活用するとは、古典の引用は文章を書く上で効果的だということであろう。この手は是非使いたいが、かなりの博識と文献が必要であり、素人には無理なことだな・・・・。
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(第577話) 白梅 |
2006,3,30 |
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“名古屋城に梅の花を見に出かけた。晴れた日で、梅は八分咲というところ。車椅子を借り受け、ヘルパーさんと梅の香りに包まれる時を過ごす。 若いころ、小説家志望のOさんという知人がいた。毎年早春に、彼女から小包が届いた。配達人から受け取る瞬間に香るので「ア、梅の花、Oさんからね」とつい声を上げると、若い配達人はにこりと笑って「よい香りですね」と手渡してくれる。 20cm位の長さに切られた枝が7〜8本、窓を開けた箱に詰められている。4cm四方の窓からの香り、そこからのぞく白梅の花弁。こんなに素晴らしい贈り物をいただく人間がほかにあろうか、と私は喜びに打ち震えたのだった。 「白梅や佳人は顔の小さかり」 1句を詠んで、新聞の俳句欄に載せていただいた。”(3月28日付け毎日新聞)
名古屋市の笠井さん(女・72)の「女の気持ち」という欄からの投稿文です。昨日に続いて花の話である。自宅に咲いた白梅を箱に入れて郵送する。何と情緒豊かな行為であろうか。そして、受け取る方もその情緒をしっかり受け止める。日本女性なればこそであろうか。 春である。我が家では植えっぱなしの花であるが、それでもこれから次々と花を咲かせてくれる。自然とはありがたいものであるが、それだけにもう少し可愛がらねばと思う。
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(第576話) 連翹 |
2006,3,29 |
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“私の好きな春の花は、何といってもレンギョウ(連翹)です。葉に先立って枝いっぱいにつけた小さなつぼみは日増しにふくらむのも楽しみですが、やがて満開となり、何の風情もない我が家の庭が鮮やかな黄色に彩られると、庭を持つうれしさを感じます。 20数年前に唐突に逝ってしまった夫が、生前にジンチョウゲやボケなどといっしょに植えた3本は、年ごとに枝を広げ季節が巡ってくれば美しい花をつけて私を慰めてくれます。 この2〜3年は花を見ると、なぜか必ず「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という言葉が頭をよぎります。私自身があと何年春を迎えられるか、「人同じからず」に春愁しきりです。”(3月27日付け朝日新聞)
恵那市の伊藤さん(女・74)の投稿文です。人それぞれに花への思いはいろいろでしょう。それがあって季節を感じ、人生の幅も奥行きも出てくるのでしょう。伊藤さんにはご主人の思いにつながる花があった。 妻にしては意外に手入れをしているシンピジュームを、ボクがもう少し本格的に手伝ってやろうかな。
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(第575話) 何ものかに守られて |
2006,3,27 |
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3月18日付け中日新聞から、名古屋の一柳さん(女・46)の投稿文である。
“私が生まれた年、伊勢湾台風が名古屋を襲った。家が比較的高台にあったので、床下浸水だけで被害を免れた。 小学4年の時、友達と映画を見に行った。1回見終えてもう1回繰り返して見ようかと相談したが、気が変わって映画館を出た。その直後に出火があり、映画館は全焼、死傷者が多数でた。 30歳の時、一人で留守番をしていると、不審な男が家に侵入しようとした。すぐ110番通報をして難を逃れた。その男は女性暴行殺人の疑いで警察の内偵を受けているのだという。”
現在ある年齢以上になっている人は、多かれ少なかれ、こんな体験をしながら生き延びている。ボクも小学生の時、電車にぶつかりそうになったし、つい数年前、勘違いで電車にはね飛ばされるところであった。伊勢湾台風でひどい被害を被ったし、自宅が火事になりそうになったこともある。 投稿文は続く。 “人間、死ぬときは死ぬが、生きるときはやはり何ものかに守られているのだという思いを強くする。何ものかがまだ生きよという間は、生きるべき理由がある人生なのだ。貧しくつまらない人生と愚痴は言うまい。日々大切に生きていきたい。”
頷くばかりである。生かされている間は、余分なことを考えず、しっかり生きればいいのだ。
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(第574話) 診察時間表示 |
2006,3,26 |
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病院の診察に行くのに何が嫌かと言えば、待たされる時間である。特に時間の制約がある勤労者には辛い。それで手遅れになる人が多々あるのでは無かろうか。そして、待たされている時間も、いつ呼ばれるか分からないのでおいそれと場所をはずせない。予約制を取り入れている病院も多くなっているようだが、これもまだあまりあてにならなくて、義弟が先日ある国立病院に行ったところ、11時の予約が実際に診察を受けられたのは、午後4時であったという。
“先日行った婦人科クリニックのシステムには感激しました。ホームページのアドレスを自分の携帯に登録すると、診察時間が表示される。 登録した時点で自分の番号が画面に表示され、「ただ今○○番の方診察中」「あなたの予定は○時○分頃です」といった具合です。順番が来るまで自宅に帰っていようが、買い物に行こうが勝手という便利さです。”(3月7日付け朝日新聞)
今の情報時代、その気になればこんなこともできるのである。これぞ利用者の立場に立った対応である。特に働き盛りで忙しくしている方のために、是非取り入れてもらいたいと思って紹介した。婦人科クリニックという言い方からして、さほど大きい病院とは思えないだけに、大病院ではなおさらお願いしたい。何よりのサービスと思う。
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(第573話) 子供の宿題 |
2006,3,25 |
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“小学生の子どもの作文を手伝いました。子どもが作文のテーマに対して、どのように自分の気持ちを表現すればいいのか分からなかったからです。手伝ったことは、文章の組み立てと、最後のまとめの部分です。 これを担任の先生に提出したところ「お母さんに手伝ってもらったの?」と聞かれたそうです。子どもは正直に「うん」と答えました。すると先生は「お母さん、すごいね。こんなふうに考えられるなんて」と何度も頷きながらおっしゃったそうです。この話を聞いた私は、親が子どもの宿題を手伝ったことをとがめられない上に、内容をほめていただいたことがうれしくて、仕方がありませんでした。”(3月17日付け毎日新聞)
安城市の助産師・藤尾さん(女・36)の投稿文です。親が子どもの宿題を手伝って提出とは、普通なら非難するところでしょう。それは正論です。しかし、何ごとにもTPO(時、場所、場合)がある。これを上手に図ることが肝要である。この場合、子どもさんもお母さんへの信頼が厚くなったでしょうし、お母さんも書くことに自信がついた。 正論は、本当は最も楽な、簡単なことである。常識ある大人なら誰でも分かることである。でも人生、この場合のように正論がいつも最適とは限らない。正論しか吐かない上司など要らぬ、と言い続けて、まもなくボクは定年だ。
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(第572話) 「いただきます」の意味(その2)
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2006,3,23 |
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“飲食店を営む私たち夫婦は、日ごろから子どもたちに対して、「食育」を大切にしている。 ある日のこと、夫が大切な食材を食育に提供してくれた。それは猟師さんが届けてくれた「鳩」。まだ温かい鳩をわが子や知人の子に見せて、「羽をむしり、部位ごとに切り、味を付け、調理する」という料理になるまでの様子を見せ、体験させた。そして最後はいっしょに食べて本当の意味の、心から感謝をして「命をいただきます」ということを教えた。”(3月16日付け毎日新聞)
(その1)は今年の1月22日の「話・話」である。そして、この話は1昨年の12月15日付け「(第143話)鶏の解体実習」で、紹介したような話である。143話は学校授業の話であったが、この話は家庭での話である。凄い夫婦がいるものだ。この後半には次のようなことが書かれている。
“食育で一番大切だと思っていることは、実は「楽しく食べること」なのだが、折に触れて「命をいただき、そのおかげで生かされている」という大切なことも教えていきたいと思っている。”と結ばれている。
片寄った動物愛護の知識ではいけない。我々は生物の命をいただかない限り生きてはいけない。他の生物も同様だ。そうした冷静さと感謝の気持ちを持ち続けねばならない。くどいように何度もこんな話を掲載しているが、それほどに重要だと思う。
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(第571話) 楽しめた |
2006,3,22 |
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冬季五輪の結果について、メダルの数が少なかったことにより、いろいろな厳しい意見が取りざたされている。この「話・話」でも「(第559話)離見の見」(平成18年3月6日)で関連の話を紹介した。
“「楽しめた」などは駄目だと。しかし、私は選手らが語った「楽しく」を、うのみにできない。日本を代表するような選手らに闘争心がないなどということがあろうか。負けて悔しくないはずはない。上には上がいる。精一杯やったという信念があればいいではないか。 荒川選手が金メダルに輝いた。そこで初めて想像を絶する努力や陰で支えた家族の話が伝わってきた。これは他の選手にも少なからずあるのだ。”(3月16日付け朝日新聞)
名古屋市の柔道整復師・太田さん(男・46)の投稿文です。ボクはこれが本当ではないかと思う。オリンピック選手に選ばれて、物見遊山で参加できる人などどこにいようか(できる人がいれば、それはまたそれで凄い)。悔しさをにじませた言葉を言えばいいと言うものではなかろう。その発言の方が簡単だと思う。しかし、悔しさを隠して、ポジティブな面を発言しているのではなかろうか。人は往々に自分の価値の中でしか、人を判断できない。
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(第570話) 梅干し |
2006,3,21 |
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“梅の季節になると、必ず思い出すことがある。20年も前、知らない人から紀州の梅干しが届けられた。送り主の名前と住所に全く心当たりがない。思い切って送り主に電話をした。 何気なく立ち寄った店で全自動洗濯機を買ったことがあった。売り場で宣伝販売していたおじさんの誠意にあふれた話しぶりに引き込まれ、珍しく衝動買いしたのだった。そのおじさんが紀州の人で、客に故郷の名産品を送ってくれたというわけだった。事情が分かり、ありがたくいただいた。 洗濯機はおじさんの人柄をそのまま包み込んだような働きぶりで、今なお現役だ。”(3月15日付け朝日新聞)
北九州市の主婦・末吉さん(58)の投稿文です。人の心に残るのは、ことの大小ではない。心の琴線に触れるかどうかである。20年も前の一箱の梅干しが、今だかって必ず思い出され、それに呼応するかのように、その洗濯機は今なお健在である。その健在さを末吉さんは「売り手の誠意が製品に反映しているのだろう」といってみえるが、ボクは売り手の誠意が末吉さんに反映し、末吉さんが慈しんで使ってきたから今なお健在だと思う。 人生の豊かさは、こうしたいい思い出をいくつ持っているかも大きな要素だ。いい思い出を多く得るには、何よりまず自分が誠意を示して事に当たることであろう。
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(第569話) 奥様方ありがとうを |
2006,3,20 |
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“仲間で小旅行をしたときのことだ。お茶を飲みながらの話題は、何をお土産に買うかと言うこと。 すると、つぶやく人がいた。「買って帰ってもよいが、奥さんから土産物の品定めがあり、次に出てくる言葉は、スーパーより高いとか安いとか、味がよいとか悪いとか・・・・。せっかく持って帰っても」と気が進まぬ様子。これを聞いた仲間が「我が家も」と相づちを打つ。素直に喜んでもらえないのが残念だという。 世の奥様方にお願いします。「ありがとう」の言葉をください。”(3月14日付け毎日新聞)
筑後市の野田さん(男・74)の投稿文です。そうなんだよな・・・時にはと思って、滅多にしないことをして、それをぶつぶつ言われてはもう二度としたくなくなる。男は子ども以上に単純なのだ。「ありがとう」の言葉で、簡単に満足するのだ。 マア、「ありがとう」の言葉は万人に必要だが・・・・。
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(第568話) 続ける親切 |
2006,3,19 |
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“以前、駅の階段で前を歩く白状を持った目の不自由な人が転ぶところを見かけたことがある。その時、私は驚いたあまり、引き返してしまった。本当は手を差しのべて助け起こすべきだったと後悔し、その晩は眠れなかった。 また、犬を散歩させているお年寄りが、目の前で転んだときは、小学生の男の子が助けに走り寄るのを、私はただ立ちつくして見ているだけだった。恥ずかしさで胸がいっぱいになった。 ある日、私は勇気を出して、初めて電車でお年寄りに席を譲った。返ってきたのは、笑顔と感謝の言葉だった。以来、私はづっとこの「小さな親切」を続けている。考えてみれば、転んだお年寄りに走り寄った、あの男の子が、私を変えてくれたように思う。私がしていることも、いつか誰かの背中を押すきっかけになればと思っている。”(3月14日付け読売新聞)
春日部市の専門学校生・大熊さん(女・19)の投稿文です。感情多感なうら若い乙女には、最初の印象ある出会いがその後の人生に大きな影響を及ぼす。大熊さんはその点いい出会いであった。そして、大熊さんの受け取り方もいいものであった。こんなできごとが後悔で眠れなかったり、恥ずかしさで胸がいっぱいになる人であったからとも言える。 先日掲載した「3年目で効果」のように、誰か見ていますので、辛抱強く続けてください。また誰が見てくれていなくても、自分が見ています。
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(第567話) ライバル |
2006,3,17 |
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人は多かれ少なかれライバルを持って人生を歩んでいる。それがいい方に作用する場合も、悪い方に作用する場合もある。
“ライバルは、幼いころから何かにつけて比較されてきた近所の少年でした。中学進学後、ライバル意識をさらに募らせ、学級対抗のスポーツ競技などでは敵意をむき出しにしました。 しかし、卒業後、就職で田舎を離れるにあたり、残る母や弟たちの近所づきあいが気にかかりました。近所に住む彼の助けを借りようと、思い切ってわびの言葉をかけました。 彼の方もわだかまりを払拭するタイミングを探していたのでしょう。握手と同時に、思わず肩を抱き合い、言葉にならず、お互い涙にむせびました。”(3月12日付け読売新聞)
市川市の三木さん(男・70)の投稿文です。この文を読みながら、書きながらなぜか私の目が潤んできました。勇気をふるってわびの言葉を言う一瞬、言った後の感涙・・・・70才の今も感謝の気持ちで、この投稿文を書かれるのである。本当にいいライバルになった一瞬だったのです。
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(第566話) 緊張と弛緩 |
2006,3,16 |
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“在職中は仕事に追われていることもあって「のんびりとした暮らし」にあこがれる。ところが定年を迎えて、いざ「のんびり」を手に入れると、それが耐えられないほどの苦痛になったりする。 なぜなのか。会社勤めをしているとき、職場には苦もあれば楽もあって無意識のうちに緊張と弛緩のバランスが保たれていた。しかし、定年後、緊張と弛緩の調和がなく、遊ぶか働くかの極端に走ってしまうからである。 輸送会社の元管理職は、定年後に2年間遊び、その後再就職したが1年で辞めた。「遊んどりゃ仕事をしたくなり、仕事をしていりゃ遊びたくなる。いつまでたっても子どもと同じ。どうなることやら」といい、元管理職は1週間のうち3日間働き、4日間遊ぶよう、定年後のプランを修正しようとしてる。”(3月9日付け毎日新聞)
もう何回かの登場であるノンフィクション作家・加藤仁さんの「ポスト定年プラン」からである。現役時代は縛られている分、苦痛でもあるが、自分で自分を律する必要がなく楽でもある。すべての時間を自分の思うままに過ごせるというのは、本来的に全く望ましいことであり、羨ましがられることである。しかし、そんな自由を生かし切れる人は稀であり、怠惰に陥っていく。人間そんなに理屈通りにできていなのである。小人閑居して不善を為す、ボクの真価が問われるのはまさにこれからだ。
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(第565話) 3年目で効果 |
2006,3,15 |
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道路や河川の美化が叫ばれて久しいが、よくなるどころかひどくなってきている気がする。ボクの家は県道の交差点近くであるので、捨てられるゴミのひどさに閉口している。自宅の中まで飛んでくる。黙って拾っているが、いつまで続ければいいのだろうか。
“私は3年ほど前から、小学生の下校時に合わせて、この道(700mほどの通学路)をパトロールしています。ついでに、ゴミ袋と竹ぼうきを持って紙くずなどを拾い、犬のフンを道路の脇にかたづけてきました。 ふと気づいたのですが、最近やっかいなフンが少なくなっています。3年目にしてやっと効果が出てきたのでしょうか。何だか嬉しくなり、投稿しました。”(3月9日付け朝日新聞)
刈谷市の67才の方からの投書文です。石の上にも3年、黙ってし続ければ、通じるのでしょうか。そう感じられたときは嬉しいものでしょう。しかし、これは難しいことです。これからは良識のある高齢者の出番です。貧者の一燈、ちりも積もれば山となる、一隅を照らす、皆が少しずついいと思われることをしながら、世の中を住みやすくしていきたいものです。
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(第564話) 熱アツおしぼり |
2006,3,14 |
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ボクは喫茶店に入ったとき、行儀が悪いと思いながらも、ついおしぼりで顔を拭いてしまいます。熱いおしぼりだと本当に気持ちがいい。
“我が家では、お客さまはもちろん、家族にもお茶よりも先に熱アツのおしぼりを出す習慣になっています。ある日、どうしてこんなにアッチアッチのがすぐに出せるの?と不思議がられました。 私が小学校5年生の時にさかのぼります。今は亡き母が入院していて、ずっとお世話をしてくれた年配の付き添いさんが熱いおしぼりで、母の顔を拭いていました。四つに折ったおしぼりタオルの下の方だけに熱湯をかけ、ぬれているところを素早く内側に巻き込んで、ぎゅっと固く絞って作っていたことを覚えていたのです。 あの日、病室で小学5年生が学んだ熱アツおしぼりの知恵は、今もまだ熱くどこか切ない母への思いと、私の深いところでしっかり重なり合っていたのです。”(3月8日付け中日新聞)
大垣市の主婦・前田さん(66)の投稿文です。これだけの短い文に、前田さんの家族の習慣、熱いおしぼりの作り方、お母さんへの思い、子ども時代の経験の大きさなどがこめられています。小さな知恵かもしれないが、ほのぼのとした気分になります。それぞれの家族がこうした知恵を持っていると思います。それをこうして披露してもらうことが、よりよい社会に役立つのではないでしょうか。 現に私が取り上げている文は、投稿欄がほとんどではなかろうか。識者のもっともらしい高尚な文より、私の心を捉えるものが多いのです。
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(第563話) 歩かないのは退化 |
2006,3,13 |
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“二足歩行。人類が進歩した理由らしい。ということは私は退化していることになる。ほとんど二足歩行しないのだ。自営業で一日中、いすに座ったままの仕事。1日千歩も歩いていまい。 妻に昼が無理なら夜に散歩をといわれ、暗い中を歩いたが、どこが面白い? 歩くことが、こんなに大変だとは。文明の利器を恨めしく思う自分勝手な言い分に、妻曰く「最後に泣くのはあんたよ」。ベットで寝たきりの我が姿が浮かぶ。妻が付け足した。「わたしゃ、知らないからね」”(3月8日付け朝日新聞)
四日市市の飾り職人・加田さん(男・58)の投稿文。職業柄歩くことができない人も多かろうが、そう言った人ほどより考える必要がある。このページを読んでいただいている人に、今さらウォーキングの勧めを説くことでもないが、何しろ簡単に死ねない時代である。歩かないのは人間の退化だ。健康に時を食いつぶす方法をそれぞれ考えていかねばならない。 先日の一宮友歩会の第1回例会では、今まで歩いておられない人にかなり参加してもらった。こうした人から好意的な声を多くいただいている。是非お尻を上げていただきたい。
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(第562話) 時は命 |
2006,3,12 |
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“学生時代、行政法の教授がレジュメに「いつまでもあると思うな 暇と恋」という川柳?を書かれたことがあった。しかし、急に改心し、勉強に励むようになったという「劣等生」を私は知らない。 ところが、最近になって、この川柳を度々思い出すようになった。仕事で法や法律について考えるとき、イロハのイが分からない。勉強しようにも、時間がない。「時は金なり」というが、とんでもない。「時は命」そのものではないか。失われた時間を取り戻すことは不可能だ。”(3月7日付け毎日新聞)
福知山市の公務員・加藤さん(男・34)の投稿文です。まあ、こうした事態は、誰もが多かれ少なかれ味わうことであろう。加藤さんは「時は命」といわれる。考えてみればまさにそうだ、金どころではない。時を食いつぶして命が果てるのである。上手に食いつぶして果てたいものだ。本当に言い換えた方がいい。
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(第561話) 一日一幸 |
2006,3,11 |
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友人の「一日一善」と言う言葉に引かれて、早速実行しようとしたがなかなか難しいと知った名古屋市の主婦・松浦さん(58)の投稿文からです。 “そこで思いついたのが、人を褒めることだった。「お若いですね」「そのスカーフ、色合いがステキ。よくお似合いですよ」などなど。お世辞ではなく、心からそう思ったことを褒めるのがポイントだ。真心こめて褒めると、必ずと言っていいほど相手の方の表情が緩む。そこから会話が弾んだり、心が通い合うことも多い。 その結果、思いがけない発見があった。相手だけではなく、自分自身が幸せな気分になれることに気づいた。これを「一日一善」ではなく、「一日一幸」と命名した。”(3月6日付け毎日新聞)
一日一善は難しいが、一日一幸も同じくらいに難しい。なかなか心からは褒められないものだ。素晴らしいことを思いつかれ、実行に移されたものだ。こうした心がけが幸せな人生を生むのだ。思うことは思っても、なかなか入り込めないが普通であろうが、松浦さんはもともとそう言う心を持っておられたので、たやすく入れたと思う。松浦さんは素晴らしい!
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(第560話) 環境ブーム |
2006,3,9 |
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愛・地球博なども環境ブームの一端であろうが、「地球を守ろう」「地球にやさしい」などの言葉が踊る。
“しかしこの言葉は真実を伝えているだろうか。まず僕たちが知るべきことは、環境悪化を引き起こしているのはまぎれもなく人間ということだ。なのに「地球を守ろう」などと言い換えると、まるで環境を現在の状態に変えてしまったのは自分のせいではないといっているように聞こえる。 さらに知っておくべきだと思うのは、「地球が危機的状態」にあるわけではなく、「人々が危機的状態」にあるということだ。今この瞬間人類が絶滅しようが世界中の森や海が消滅しようが、地球はその寿命が尽きる50億年後までは存在し続けるのではないか。”(3月5日付け朝日新聞)
この文は名古屋市の中学生・豊崎さん(男・15)のものである。この洞察力は、とても15才のものとは信じられない。確かに「地球を守ろう」「地球にやさしい」は、こころよい優しい言葉であり、つい他人事になってしまう。考えてみるとまさにまやかしの言葉である。地球を守ってやる、地球にやさしくしてやる・・・・・地球は少しもそんなことを人間に要求していないのである。人間が末永く生きるためには、これ以上人間に適さない地球環境にしてはいけないわけだし、人間がこころよく住める地球環境を取り戻さねばならない、と言う人間が人間のためにする要求である。考えてみればすぐ分かることだが、言葉の使い方でつい勘違いしてしまう。もうそろそろ人間が危機感にゾッとする言葉に変える必要がある。それにしてもこの若さの豊崎さんには脱帽である。
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(第559話) 離見の見 |
2006,3,8 |
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“トリノ五輪・フィギュアスケート女子で金メダルの荒川静香さんが、テレビのインタビューに答えている言葉が印象に残った。「メダルに遠い位置にいたので、リラックスできた」、そして「これからも心からスケートを楽しみたい」。 自己を客観的に捉えて鍛練を重ねた人ならではの言葉に、世阿弥が能楽の伝書「花鏡」で説いた「離見の見」を思い出した。世阿弥は独りよがりの「我見」ではなく、自己を離れて高い立場から自分を見直す「離見の見」を持てという。
人生は課題の連続である。この世は自己を向上させる学校なのだから、課題のない人はない。課題が出るのは、解決の能力があるからなのだ。荒川選手がスケートを楽しむように、冷静に自己を見つめて困難と戯れながら人生を歩もうと心を新たにした。”(3月5日付け毎日新聞)
姫路市の大西さん(男・75)の投稿文からです。荒川選手の金メダルについてはいろいろな見方が取りざたされているが、「離見の見」とは、またかなり高尚な話である。自己を離れて自己を冷静に見る。そして、それを見極められればリラックスでき、自己の力を十分に発揮できる、というのであろう。言うほどにたやすいことではない。どういう発言をしようと、日本を代表しているだけにプレッシャーを感じない人などないだろう。それに押しつぶされてしまう人が多いだろうに、リラックスする手法を見つけることは重要ではなかろうか。 それにしても大西さんの文には含蓄のある言葉が多い。
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(第558話) 仕切りの柱 |
2006,3,7 |
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本当に自分の知っている知識、知恵などというものはわずかなもので、浅はかなものだと知らされた例を紹介します。 私が利用している電車に、最近仕切りの柱がある電車が多くなりました。何か不細工で、邪魔でどうしてあんな形式のものを造るのかな、と疑問に思っていました。そして、私と同じような意見が投書欄に出ていました。
そして、次の投稿がありました。 “私は体に障害があり、歩くのに松葉杖を使っています。障害者にとってはこの柱がとてもありがたいのです。 電車の中で立ったり座ったりする時に、つかまるところがないと揺れによっては倒れそうになることがあります。私と同じように杖を使う人の中には、つかまる場所がないため空席があっても座れない人もいるのです。親切に席を譲ってくださる方もいますが、手すりのない席だとためらいを感じざるを得ません。”(2月23日付け読売新聞)
そうだったのか、言われてみて納得である。疑問に思うことに、何か理由があるのか、気がつかなくてそんなふうになっているのか、その判断は難しい。この場合、疑問に思った人の投稿があり、その説明の投稿があり、納得である。こうした意見交換の場が役だったわけである。 電車の中にこんな説明を書くのは難しいだろうか。意味を知っていれば、柱近くの席を空けておく人も多くなるだろうに・・・。
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(第557話) 人生の最後 |
2006,3,6 |
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以前にも紹介した、中日新聞掲載の日本福祉大専任教員・渡辺哲雄さんによる「老いの風景」はもう488回になった。その488回目の話を紹介します。 “男は年寄りの世話なんかしながら一生を送れるものだろうか。サラリーマンでもいい。商売だっていい。もっとスケールの大きな社会的な仕事こそ男の夢があるのではないか。 「秀樹くんといったね。君は、男のくせに介護の仕事で満足しているのかい?」道彦は着替えを手伝ってもらいながら、思い切って若者に聞いた。 若者は即答できないで、唇を噛んだまま次の部屋の介護に移っていった。やはり本人も満足してはいないのだ・・・と、その日の午後、若者が道彦を訪ねてきた。 「ぼく、いろいろ考えてみましたが、この仕事が好きなんです。一生懸命生きたお年寄りの人生の最後にかかわって、一度でもありがとうといってもらえれば、とても意義があると思うのです」 (人生の最後・・・。そうか、おれの人生はここが最後なんだ。男も女もない。最後に俺はこの仕事を愛する瞳のきれいな若者と暮らしているんだ) 「ありがとう」”(2月22日付け中日新聞)
「職業に貴賤なし」とはいうものの、人それぞれ垣根を作っている。そして自分の可能性を見極めながら、好ましい職業を目指している。 介護という職業は、ややもすると女性の職場という意識があって、この老人のような発言になったと思うが、どのような職場にも同性ばかりではうまくない部分があって、好ましい混生がある気がする。
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(第556話) メダル授与 |
2006,3,5 |
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朝日新聞に「記憶の歴史シリーズ」という投稿欄があり、2月22日は「東京オリンピック」がテーマであった。当時、IOCのブランデージ会長のコンパニオン兼秘書をされていた東京都の原田さん(女・83)の思い出話である。
“円谷選手は苦痛の表情で競技場に入り、満場の喝采で迎えられた。特に興奮して観戦していたのは高石真五郎・IOC委員。「3位で入った!3位で入った!」東京誘致に尽力した立役者で、すでに80才を超えていた。 私は、ある案を思いついた。最前列で観戦中の会長に駆け寄り、「メダル授与を高石委員に譲っていただけませんか」とお願いした。「日本の陸上競技場に初めて昇る日の丸、ご高齢の高石委員は再び経験されることはないと思いますので」 大の日本びいきの会長は、あっさり「OK」。大急ぎで高石委員に伝える。喜ぶ円谷選手の笑顔と、興奮と感動で震える高石委員の手。2人の姿は生涯忘れられない。”
興奮の東京オリンピック、表舞台にはいうまでもなく、裏舞台にもいろいろなエピソードがあったのである。これもその一つであろう。原田さんのとっさの機転が、高石委員に最高のプレゼンとなったのである。コンパニオン兼秘書の立場で、よくこれだけのことを進言できたものだと思う。正式にこんな話を持ち込んだら、会長の耳に届く前に延々とした議論になったであろう。そして、こんなことが前例になってはいけないと言うことで、認められなかっただろう。
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(第555話) 野口さんの母 |
2006,3,2 |
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毎日新聞に「わたしとおかあさん」という連載記事がある。2月22日にアルピニストの野口健さんの話が載っていた。
野口さんのお母さんはエジプト人であり、外交官である父親がエジプト駐在中に結婚し、健さんはエジプトで生まれた。その後帰国し、日本の幼稚園に入ったが、アラビア語しか話さなかったので辛かったようだ。
“いじめられ泣きながら家に帰ると、かあちゃんに「誰にいじめられたの」と聞かれ「誰々にやられた」といえば、「だったらその子たちをやっつけてきなさい!」とドアをピシャリと閉められた。 幼稚園の昼食のときも辛かった。僕のは決まってパンにチーズ、たまにオリーブがついてくる。何ともシンプル。ある日、弁当箱を開けたらレバーが入っていて嫌いだったので残したら、次の日、弁当を開けてみたらレバーのみだった。”
躾について、25年ほど前の日本に、これだけ厳しい母親がいたであろうか。過去の日本にはあったと思うが・・・・。豊かになると共に、子どもの躾も甘くなってしまった。 7大陸最高峰世界最年少登頂記録や富士山清掃活動などで活躍する野口健さんについて,ボクはいろいろな記事でお目にかかっている。若いのに全く素晴らしい人と思っている。そして、後半にこう書いている。
“名が世に出ればその分だけ厳しくなる。エベレストのゴミ問題しかり、富士山を中心とした環境問題は長年タブーとされたことへの挑戦。環境問題の相手は自然ではなく、人間社会だ。ときに逃げたくなることもあるけれど、ボクはかあちゃんからどんなことがあっても逃げないことを教わった。”
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(第554話) 定時制高校 |
2006,3,1 |
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“「会長、1年間お疲れさま」と声をかけられた。この前、生徒会選挙があり、新会長が決まって私は生徒会長を終えた。中学3年の時、教室に行けなくなり、定時制高校に入学した。この学校には、私と同じ理由で入学した人、先生と衝突して転入した人もいる。人によって事情が違うが、みんな心に傷を負っていた。 この学校でいろいろな人を見て思ったことがある。それはここに来たことで、生まれ変わる人がいることだ。私自身も中学の時は引っ込み思案で、人前で手を挙げて発表することもできなかった。生徒会長になって大勢の前で挨拶ができるようになり、何にでも前向きに取り組めるようになった。”(2月21日付け読売新聞)
滋賀県高島市の高校生・土井さん(女・18)の投稿文です。1昨日に続いて、前向きな若い人の意見です。昔は貧しくて定時制高校という人が多かったようですが、今ではこのように、いろいろな状況を抱えた人が多いようです。ボクは教育に携わっているわけではないので本当の実状は分かりませんが、定時制高校には普通高校にない温かさ、人間味があるのではないでしょうか。そしてこのように見事に立ち直って、投稿までしてくるとは本当に嬉しいものです。心の傷を知っている人だけに、温かい社会作りに大いに貢献してくれると思うのです。 ボクの妻は定時制高校を卒業し、夜間大学にいっています。都合8年間夜学に通ったわけです。そんなこともあって、ボクは夜学生にエールを送りたくなるのです。
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