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(第531話) 夫婦の最大公約数 |
2006,1,31 |
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60歳ころから夫婦共通の趣味として始めた俳句や短歌を、15年続けたものをあえて返上し、新たな挑戦を始められた老夫婦の話です。
“2人の暮らしぶりを反省すると、一緒に楽しんできた文芸以外では、2人の趣味に大きな相違点があることに改めて気づかされました。私たちの余生もいよいよ最終ラウンドに入りました。ここはまず私の方から一歩引いて、8歳年上の夫に合わせるべく一方的な食わず嫌いをしないように心がけ、カラオケ、時事放談などにも興じました。すると、どうした風の吹き回しか、最近、夫がテレビ党の私の話にも若干関心を向けるようになり、時には番組を一緒に見るようになりました。 要するに、意地の張り合いをやめることこそが夫婦の最大公約数と理解できたことで、明るい展望が開けた感じがします。”(1月26日付け朝日新聞)
犬山市の森さん(女・73)の投稿文です。81歳と73歳の老夫婦が、あえて新たな挑戦をされるというのもすごいが、感心したのはその中で夫婦の最大公約数を見つけられたことである。意地の張り合いをやめる、このことは何も趣味だけの話ではない。この意地は「何としてもやりとげるぞ」と言う自分自身に向けたいい意地もあるが、多くは他人に向け、何とも厄介なものである。特に意地の張り合いは夫婦間に多い。これに気がつき、自分から折れれれば夫婦円満間違いなし。歳には関係ない。 では我が家は・・・・ボクがいつも折れているからな・・・・などと言っているうちはまだ駄目か・・・妻がいつも折れてくれるからな助かるよ、と言えるようにならなくては・・・・。
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(第530話) 子育ての価値 |
2006,1,30 |
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日本の人口減少が現実の問題となり、少子化問題について、識者も一般国民もいろいろなところで意見を出し、議論がされている。それらの意見は、せんじ詰めれば、子育て支援を充実する、経済的支援をする、などである。もちろんそれも意味がないわけではないが、私には、子育てに対する価値観が大きな問題だと思っている。それに似た意見があったので紹介したい。
“少子化の原因は経済的な事情もあると思うが、それよりも女性の考えが変わったことが大きな原因ではないだろうか。子育てで苦労するより、外で働いて自分の能力を生かしたいと考える女性が増えたためだ。 しかし、長い人生を振り返ったとき、仕事で大きな業績を上げたとか、資産を残したといっても、私はそれほど大したことではないと思う。それと比べると子育ては苦労もあるが、何物にも代え難い喜びを見いだすことができる。 私も若いとき、このように考えてはいなかった。しかしこの歳になり、子どもの存在がいかに大きなものか痛感している。”(1月24日付け中日新聞)
岐阜市の加藤さん(男・79)の投稿文です。少子化問題が世間では盛んに議論されているのに、ボクがここでなかなか取り上げなかったのは、少し違うのではないかと思っているからである。子育てに対する価値観が低かったら、いくら人的、経済的支援をしても、不十分、足らないだけである。人間の欲望にきりがないのは何ごとも同じである。逆に価値観さえ持てれば、そして最小限の生活させ確保できれば、ボランティアのように無償でも行動できるのである。 加藤さんがいわれるように、仕事の業績とか多少の資産に比べれば、子育ての価値ははるかに高いものだという国民の意識にならなければ、この問題は解決しないと思っている。女性ばかりでなく男性もである。ボクは子育てにはそれだけの価値があると思っている。そうした意識に国民がなれば、子育て環境など自然にできてくるだろう。今の価値観では、経済と苦労を乗り越えられないのだ。
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(第529話) 「感」の字 |
2006,1,29 |
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“今年も日記をつけています。長い間、短い文でその日のあったこと、感じたことを記してきました。日々の愚痴も不満も書いてきたように思います。「書く」ことでストレス発散をしていたように思います。 新しい日記帳を広げて、今年は「感」の字を必ず書こうと決意しました。「感謝」「感動」「感激」「感銘」など心に響いたことを記していこうと思っています。”(1月24日付け毎日新聞)
神奈川県大和市の主婦・菊池さん(62)の投稿文です。まず、書くことの意義が書かれています。書くことによって、ストレスが発散し、高ぶった気持ちも収まります。もちろん、いくら短い文でも、文を書くことが億劫にならないし、思考も高まり、文字も忘れにくくなります。 この上、菊池さんは「感」の文字を大切にされようと決意されました。ここに記されただけでも「感」のつく熟語は、人生において重要な言葉ばかりです。その「感」を毎日見いだす決意をされました。そんな気持ちで毎日過ごせば、素晴らしい人生になることは確実です。 ボクの知人にも「感」の文字を大切にしている人がいます。やはり一味違います。
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(第528話) 鳥葬 |
2006,1,28 |
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“都ラサの荒涼たる山のふもと。巨大な岩の上で、死者を2人の男性が丹念に解体していく。肉を断ち、骨を砕く。いつの間にか集まってきていたハゲワシが、じりじりと迫る。百羽を超す群れが一斉に躍りかかった。わずか数分で死者は天に還った。”(1月21日付け中日新聞)
これは中日新聞・加藤編集局長の「鳥葬は野蛮か」の文の中から、鳥葬の説明箇所である。鳥葬と言う言葉は知っていたが、どのような儀式かはよく知らなかった。日本人にはかなりショックな死者の葬り方である。 鳥葬は欧米などから「野蛮な風習」と言う批判があるようだが、土葬が何も人間を尊厳していることにはならないし、火葬が良いというわけでもないだろう。 この文を取り上げたのは、 “死者をどう弔うかは、その民族の宗教に深くかかわり、文化そのものといってもいい。それを無視したり、好奇の目でしか見ないのは、民族自身を侮辱するのに等しい。” と言う箇所からである。民族には文化がある。その国の文化に従って、死者は丁重に葬ることが、死者の尊厳を保つことであろう。 牛は食べるもの、鯨は許せない、そんな国もある。牛は絶対いけない国もある。動物愛護を言っても、しょせん自国の文化に従っての話である。人間は、第522話でも書いたように、動物や植物の命をいただいて生きていくのである。無益な殺生でないならば、その国の文化にさしでがましい干渉は混乱のもとである。
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(第527話) 運が良い |
2006,1,27 |
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“にぎやかな中、お使いに出た私。車を走らせ、通りなれた長い坂を下りていく。カーブにかかり、ちょっとブレーキを踏んだ。突然、車が滑り出す。怖い、どうしよう!キャー・・・何と、横転。 幸いケガはなかった。私は、ボコボコの車を見て、悲しくなりしょんぼり。でも、そんなことを思うのは私だけで、皆、ケガのない私を見て、口々に「良かった」「良かった」と。 「修理代どうしよう・・・。運が悪かった」と私。 「運が良かったんだよ。無事だったんだから」と夫。本当だ。対向車もこなかった。子どもも乗っていなかった。”(1月19日付け中日新聞)
瀬戸市の主婦・藤井さん(33)の投稿文。取り立てて言うほどの内容ではないかもしれないが、でも誰もが「良かった、良かった」というところに健全な家族関係を感じる。無事な藤井さんを見て「馬鹿だな、修理代が大変だ」とでも言ったら、藤井さんはまた後悔が深まる。一言によって雰囲気は全く違ってくる。良い言葉は良い関係を生むし、良い関係は良い言葉を生む。
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(第526話) 正しい歩き方 |
2006,1,26 |
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“先日、6歳の孫が発熱したので病院へ連れて行ったとき、靴をぺたぺた引きずる音がするので、孫の足元を見た。スリッパのように靴を引きずっている。 靴が大きいせいかと調べたが、そうでもない。歩き方がまるで駄目。手本を示して、足を高く上げ、背中をまっすぐ伸ばし、かかとから地面につけ、両手を大きく交互に振って歩けと何回も練習したが、難しいらしい。 ベートーベンは、森を散歩していて「田園」を着想したという。空海は、四国を行脚して真言宗を究めた。車時代の弊害を改め、正しい姿勢で大いに歩いて健康、健脳を築きたいものだ。まずは大人が子どもに手本を示さなくてはならない。”(1月19日付け朝日新聞)
名古屋市の原木さん(男・67)の投稿文。箸の使い方も、この歩き方も親や周りの人の無関心による。やはり子どもには注意を払って観察し、まずいことは正していかねばいけない。そのためには、原木さんが言われるようにまず大人が手本を示さねばいけない。高校生などの靴のかかとを踏んづけて引きずって歩く格好などもってのほかだ。 歩くことで、ボクの孫がおかしかったら、それこそボクの名折れである。先日も正しい歩き方を教えたところである。
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(第525話) 旬の生き方 |
2006,1,25 |
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心理学者で作家でもある加藤諦三さんは、若いころ、塩バタラーメンが好きだったと言いながら、 “最近たまたま学生とラーメン屋さんに入ることになったので、若いころを思い出し手塩バターラーメンを頼んでみた。 大好きだった塩バタラーメンだったはずだが、期待した味ではなかった。その時「あのころは若かったんだな」と感じた。おいしいと感じる若いうちに「今、食べるものを食べる」。そんな時に私は、人生の事柄にも旬というのがあると思った。旬の生き方とは、その時その時を大切に生きることである。 人生は生もの。その時、その時が固有の時間である。自分にとって旬のものを食べる。夢も同じ。旬の時期は必ず過ぎる。 旬が大切。お金にも旬の使い方がある。塩バタラーメン600円が教えてくれたのは「よろずのことには時あり」であった。”(1月19日付け朝日新聞)
何ごとにも時期があることは、この歳になるとよく分かる。思いついたことをしようと思って、なかなか若いころのように行かない。もっと若いころに勉強をしておけばよかった、外国も行っておけばよかった、それを今後悔しても何もならない。今思ったら今すべきだろう。旬の生き方とは「思いたつ日が吉日」にも通じることである。 それにしても、600円からこんな大切なことを悟られるとは、人にもよろうが、心がけ次第、お金の額ではない。
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(第524話) お互いさま意識 |
2006,1,24 |
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ボクが「お金を出す側が偉いわけではない」と思っていることは、第499話始めいろいろなところで触れてきた。その考えを補強してもらえるような文に出合った。要約して書きます。
“ヨルダンの首都のアンマンでタクシーに乗ったとき、助手席に座らされました。その時、理由がよく分かりませんでしたが、後で「友だち意識」だと知りました。日本人は乗客はお客さんだと思っています。そうすると、タクシーの運転手は使用人、召使いになってしまいます。ヨルダン人の考えは、人間みんな友だち・仲間なんだ。だからタクシーに乗れば、友だちの車に乗せてもらい、友だちが運転してくれる、そう言う意識から出た風習のようです。 いま日本人は「消費者は王様だ」の意識でいます。でも私の若いころの日本は、そうではなかった。大阪の商人のうちには、態度があまりにも不遜な客に向かって、「あんさんには、買うて要りません」と毅然と断るものもいました。東京の下町の買い物風景を見ると、買う側が頭を下げて、「お手数かけます」と言っていたようです。そうするとそこに、必然的に「お互いさま意識」が生まれてきます。この「お互いさま意識」はヨルダン人の「友だち意識」に通じると思います。 われわれ現代の日本人は、拝金主義者になり、金さえあれば何でもできる、金を持っている人が偉い、金持ちは幸福になれる、そんな考えがまん延しています。だが、それは間違った考えであり、馬鹿げた考えです。”(1月17日付け中日新聞)
宗教評論家・ひろさちやさんの文です。要約してもかなり長くなりましたが、ボクの言っていたことは「お互いさま」の言葉ではっきりしました。買う側も売る側をお互いがあって、始めて成り立ちます。どちらが偉いわけでもないのです。「お客さまは神様だ」を売る側が言っているのはいいが、買う側が言ってはおしまいです。それを今は買う側の言葉になっている。どちら側からも「ありがとう」の言葉が出る社会になりたいものだ。 これだけ悟りきったことを書くボクは、重々心せねばならない。
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(第523話) 個人情報保護法 |
2006,1,23 |
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“長女が通う市立小学校、二女が通園する私立幼稚園とも、個人情報保護法が全面施行された今年度から、それを理由に「緊急連絡網」に生徒の住所が掲載されなくなった。 今年は去年もらった友人の住所以外は、個々に尋ねなければならず、手間を要した。 自分の子ども時代を思い返すと、それほどに親しい友人という認識が無くても、気軽に年賀状を出したものだ。思いがけない友人から年賀状が届くと、喜び勇んで返事を出したものだ。とにかく無条件にうれしかった。あの喜びを子どもたちに味合わせてやれないのは寂しい。”(1月13日付け読売新聞)
羽村市の主婦・布田さん(38)の投稿文。個人情報保護法ができて、こうした記事に事欠かない。1月15日の毎日新聞には、「保育所の写真展で、写っている子どもの保護者の了解を取ってほしい、と言われた」という話が載っていた。一部の悪用者のために、多くの人の円滑な交流が阻害されている。ただでさえ稀薄になる人間関係に拍車がかかる。過剰反応、行き過ぎと思うが、何かあればすぐに訴えられる社会になってきたので、心配する意見が出れば、それを押し切るのは難しい。主催者、責任者にはますます大変な社会になってきた。 こう毎回暗い話では、良い話を紹介する「話・話」の雲行きが少し怪しくなってきた。
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(第522話) 「いただきます」の意味 |
2006,1,22 |
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1月14日付け毎日新聞のコラムニスト・小林洋子さんの文から紹介するが、前半を要約する。 Kさんが8歳の時、田舎へ行き、いとこと「コッコちゃんの大冒険」という創作話を作りながら、ニワトリと一緒に楽しく遊んだ。別れの前日の夜は大好きな寄せ鍋であった。翌日、ニワトリ小屋へいったときコッコちゃんはいなかった。 “そう言えば、あの鍋・・・。いとこと2人で泣いた。50を過ぎた今でも、Kさんは食事の前に必ず手を合わせて「いただきます」と言う。命を落として食卓に並んでくれた生きものたち。あなたの命をいただきます。 「金払ってんのにいちいちイタダキマスっていう意味わっかんね」という若者、「食事を始めるただの合図よ」と言う母親、「いただきます」の意味をかみしめよ!”
ボクの家も昔はニワトリを飼っていた。そしてお祭りなどの行事の時、ひねたニワトリを絞めてすき焼きにしていた。 これも昨年11月18日の朝日新聞であるが、こんな投稿記事があった。 “道内のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』をいわせないでほしい」という要望が出たと聞き、驚いた。” 本当の話かと疑いたくなるが、こういろいろのところで聞かされると、ボクが思う以上に世の中おかしくなっているのだろう。お金ですべてかたがつくと思っている結果なのだろうか。
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(第521話) あいさつ |
2006,1,21 |
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“私は最近、登校中にある女性とあいさつを交わすようになりました。その女性は家の近くに住んでいて、毎朝団地の入り口で子どもたちを見守っています。私は「おはようございます」と小さな声であいさつをしました。しかし、何回もあいさつするうちに、私の顔は笑みがこぼれるようになり、今では大きな声であいさつをしてします。 あいさつをすることで、こんなにうれしい気持ちになったのは初めてです。これまでは、あいさつを単なる礼儀としか考えていませんでした。しかし、この人のおかげで、人との触れ合いを実感するようになりました。”(1月13日付け中日新聞)
岐阜県の中学生・大坪さん(15)の投稿文です。 昨年11月18日の朝日新聞に“中学校の教師が、生徒から「『おはよう』『こんにちは』のあいさつに何の意味があるか。必要ないのでは?」と問われ、教師もその通りだと思った。”という記事があった。そんなことをいう時代になったのかと、唖然としながら読んだ。そんな人に、この大坪さんの文を見よ!と言いたい。多くは特に意味を持たないかもしれない。しかし、時には大きな意味を持つことが生じる。それも心がけが大きい。あいさつをして関係がよくなることはあっても、悪くなることはない。だったらすべきだ。それがあいさつだ。
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(第520話) 二十四の瞳 |
2006,1,20 |
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“壺井栄の小説『二十四に瞳』に影響を受けた私は、教師の道を選んだとき、分教場を希望しました。今から50年ほど前にことです。 そして滋賀県愛知川沿いの小学校分教場へ赴任していたとき、木下圭介監督の映画『二十四の瞳』が公開されたのです。高峰秀子さん扮する大石先生と小学校1年の12人の子どもたち。その師弟愛と戦争によるむごさに滝のような涙を流しました。 分教場が無くなるまで4年間いましたが、私の35年間の教職生活の中で、一番思いで深く印象に残るものとなりました。”(1月9日付け朝日新聞)
「映画」というテーマで投稿募集され、掲載された彦根市の三宅さん(76)の文である。この名作に思い出を覚える人は多いであろう。三宅さんはこの小説を読んで、分教場勤務を希望したと言われ、それが一番の思い出といわれるから、人の生涯を決定づけた作品ということになる。人には、小説にしろ、映画にしろ、また人と人の出会いにしろ、それによって人生の大きな方向付けとなったものが何かあるものだ。その出会いの良し悪しがその後に大きくものをいうである。 この映画はボクにも思い出の映画で、生まれて初めて映画館で見た映画である。小学校4年生の時、同級生数人で、電車に乗って見に行った。なぜ見に行ったのかは覚えていないが、多分誘われてついて行ったのであろう。電車に乗ることも、町に出ることも普通ではないことであったから、画期的なことであった。颯爽と自転車で通う大石先生の姿や怪我をした先生を訪ねる場面は、今でも頭に浮かんでくる。
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(第519話) 白寿 |
2006,1,19 |
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“ 新玉の年のはじめに飲む酒を ながくもかなと思いけるかな 和歌の中の「ながくもかな」は、現在の私にとって、さまざまな感慨を抱かしめる。それは、私はこの元旦に数え年99歳、すなわち白寿を迎えたからである。 しかも「ながくもかな」を祈り、なおも学問の業績を達成しようとしているのである。 「先生の長命の秘訣は何ですか」とよく人に問われる。私は答える。「家にあっても、旅行中であっても必ず朝5時に起床し、5時半から勉強することです。朝の1時間ほどは、天地静寂で、自分一人だけの世界のように感じられます。そして、その一日を充実させます。これを毎日繰り返す。これが私の長命の秘訣かもしれません」と。”(1月8日付け中日新聞)
こんなとんでもないことを言っている人は「考古学者、大正大学名誉教授、静岡県埋蔵文化財調査研究所長」の「斎藤忠」さんである。昨年の行動、今年の計画も記されていたが、読むほどにすごい。顔写真を見て60歳と言われても何の不思議もない。日本スキー界の草分けの一人といわれる三浦敬三さんが、1月5日、101歳で亡くなった。さあ、斎藤さんは三浦さんを越えられるか。 誰もが同じことをやっても、同じになるかどうかは分からない。でも、誰にも可能性はある。良いと言われることは一つでも多くやっていくのがよかろう。 家にあっても旅にあっても、平日であっても休日であっても、朝起きる時間を変えない。これもよく言われることである。旅や休日はゆっくりしたくなるものであるが、一度起きてまた寝ればいいそうである。 勉強といわれると、ボクは苦手であるが、代わりのものを見つければいいであろう。さしあたりこの「話・話」も一つだろう。また考えていきたい。何しろ同級生で最長命を保たねばならないのだから。
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(第518話) 元旦の新聞受け |
2006,1,18 |
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“元旦の新聞は2キロほどあり、新聞受けに入りきらないほどです。 今年で3年目になるでしょうか。前日の大晦日の夜は、水引の飾りを付けた段ボール箱を新聞受けの下に置きます。昨年は大雪の日もあり、「いつもありがとう。今年もよろしくお願いします」と配達の方へ、ひと言メモを張っておきました。 元日の朝、案の定、ずっしりと重い新聞が配られていました。受け箱の中にはメモが一枚入っていました。「いつもありがとうございます。今年もよろしくお願い致します。新聞店店員」と書かれていました。とても感動しました。”(1月8日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・八島さん(63)の投稿文です。こういう良い話を聞けると全く嬉しくなります。小さな思いやりが、どんなに人の気持ちを温かくするのか、計り知れないものがあります。店員さんも素晴らしいが、何といっても八島さんが素晴らしい。以前も書いたが、お金を払う方はお客さまだからサービスを受けて当然、という態度が多いが、八島さんは感謝をし、それを行動で示している。ボクも大雪の日の朝、まだ届いていないだろうなと思いながら新聞を見に行ったら、ちゃんと届いている。誰がどんなふうにして配ってくれたんだろう、仕事とはいいながら全く感心してしまった。ここで感謝の気持ちを述べておきたい。そして、感謝の気持ちを少しでも態度で示すことに心がけたいと思う。 先日ウォーキング大会に参加していて、一緒に歩いていた人が「我々はお金を払っているからお客さまだ」と言われるのを聞いて、すぐたしなめた。我々をもてなしていてくれる人はボランティアだ、勘違いが多すぎる。
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(第517話) 妻のために長生き |
2006,1,17 |
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多くの夫は妻より早く死ぬことを希望する。料理等家事一般が苦手ゆえである。ボクもその典型である。 “妻がひざを故障して歩行困難になって以来、妻よりも長生きしなければと、自分に言い聞かせてきた。しかし、ここに来て、ことさらに目標にこだわるのは、今年6月に80歳を迎え、自分がもはや何が起こってもおかしくない年齢になるからだ。 健康の維持には、運動と食事の両面における適切な計画作成と、厳正な実行が必要なことは論を待たないが、実行に際しての自己管理がなかなかの難物と思われる。 持続して行くには強固な意志が要求される。私は、妻が1人残されて辛い余生を送ることがないよう、念頭に決意を新たにした。”(1月6日付け読売新聞)
埼玉県の田中さん(79)の投稿文。健康維持は誰もが望むことであり、取り立てて取り上げる文でもないように思われるが、考えてみればすごい決意である。妻のために健康で長生きしなければならない。すべて妻のためにである。多分、ほろりとするような夫婦愛を演じてみえるだろう。妻に面倒を看てもらうだけみてもらって、自分勝手に先に死んでいきたい、こんなことを思う自分とは天と地の違いだ。 1月8日、ボクが永久幹事長のような形になっている小学校の同窓会を開いた。その時、ボクが最後まで生き残って、同窓生がいる限り集まりを開いてくれるように、いわれてしまった。とてもできぬ相談だが、でもそれくらいの覚悟を持って進むのも一便法かもしれない。そうすれば、妻より長生きすることも視野に入れなければならない。
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(第516話) 体形をキープ |
2006,1,16 |
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朝日新聞に「私の倹約法」というテーマで投稿募集があり、いろいろな倹約法の実践者が投稿していたが、その中からひとつを紹介します。 “体重をズーと変えないで今の体形をキープし、何十年も暮らすこと、これが私の倹約法である。私の夫は25年、ずっと同じ体重、体形であるらしく、自分の成人式に新調したスーツを、まだ着られることを自慢に思っている。 体重キープで倹約できるのは、医療費もだ。太ることで体内に変化が起こり、さまざまな数値が悪くなる。風邪をひきやすくなる。ダイエットと称してコンビニや薬屋で、その種の薬を買うのも余分な出費にほかならない。”(1月6日付け朝日新聞)
岐阜県の主婦・三輪さん(39)の倹約法である。誰もが理解していることであるが、そして、誰もが望みながらなかなかそうはいかない。原因は明らか、その人の活動に必要以上のカロリーを取りすぎていること。この取りすぎていることにも無駄がある。何という愚かさだ。 ボクは娘の結婚式の時、自分の結婚式に着た燕尾服を着て娘と腕を組んで歩いた。こんなボクだから強気に何でも言える。肥満で悩む人、もっと賢くなりなさい。食べたければ、ウォーキングに励みなさい。
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(第515話) ラジオ体操5000回 |
2006,1,15 |
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読売新聞の投稿欄は、「挑む」というテーマで募集があり、1月5日に第1回の掲載があった。「1年の計は元旦にあり」、年明けにふさわしいテーマである。その中から紹介します。
“定年退職をして早いもので15年目となり、今年75歳の誕生日を迎える。この間、生活信条の第1に「健康」を挙げ、毎朝、ラジオ体操をしてきた。 4年ほどたって、幸運にもラジオ体操幹部指導者研修会に参加する機会があった。そこで基礎的なことを勉強し、いっそうラジオ体操に熱を上げた。 古希を過ぎて体力の衰えを感じるが、今年でラジオ体操を本格的に始めて15年がたち、実施回数は実に5000回の大台に乗ることになる。ラジオ体操は毎日行う方が効果的という。そのためにも日々の摂生に努め、健康な生活の中で挑戦し、1日も早く5000回の達成を果たしたいと思う。”
浜松市の内田さん(74)の投稿文。定年後からでも続ければ、5000という数字が達成できる。継続というのは凄いものである。 さて、この文を読んでボクもラジオ体操に挑戦しようと決意しました。 「平成18年4月1日から朝6時半のラジオ体操放送に合わせて、ラジオ体操を行うことをここに宣言します」。 さあ、大変なことになった・・・・でも条件は整っているのです。我が家では、ほぼ毎日、この時間にラジオ体操の放送が流れているのです。妻が時折やっているのです。私はこの時間パソコンに向かっていますが、そのパソコンの時間を少し中断すればいいだけのことです。こんな程度のことができなくて、何ができるというのか・・・・大見得を切りましたね、後悔しないように頼みます。
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(第514話) 祖父からのお年玉 |
2006,1,12 |
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“私が小学校3年生まで、お正月はごちそうを食べに祖父の家に親類が集まりました。私やいとこたちは、祖父からもらう、お年玉が一番楽しみでした。ごちそうを食べてしばらくすると、祖父が隣の部屋からお年玉の入ったのし袋を持ってきます。「皆、お年玉だぞ。小さいものから順に並べ」というと、今までにぎやかだった部屋は、急にシーンとなって、一斉に祖父の前に整列しました。 お年玉をもらうときに、今年の抱負をひとこと言わないといけませんでした。祖父は、7人の孫の抱負を聞くのが楽しみだったようです。”(1月5日付け毎日新聞)
函館市の自営業・長尾さん(45)の投稿文です。いろいろな工夫があるものだ。ただ渡すより、こうした方法の方がお互いに思い出になる。現に長尾さんはもう何十年も前の祖父の思い出を、このように投稿文にしている。語った抱負は孫の心にも残るだろう。その達成に向けて励むだろう。 我が家でも2人の孫に私からお年玉を渡した。もう数年もすれば、こんな方法も可能だろう。この「話・話」を書いていると覚えておくことばかりで、老化した脳にその時思い出せるだろうか、自信はない。印刷してときおり読み返すことも必要だ。
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(第513話) 伊藤みどり効果 |
2006,1,11 |
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フィギュアスケートは見ていて実に美しいし楽しい。毎年のことながら妻とテレビ観戦してしまう。それに嬉しいことに名古屋出身者の女子がすごい。五輪代表を争った5人のうち3人、10位以内には5人がそろう。更に女子の出場者32人のうち、12人が名古屋で練習した経験を持つという。どうしてこんなに名古屋嬢ばかりなのか、不思議に思っていたら、1月1日付け朝日新聞にそんなことを取り上げていた。
“強さの源流はどこか。「1人の天才の誕生」と関係者が声をそろえる。得意のジャンプで世界選手権も制した92年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどりだ。名古屋市中区の名古屋スポーツセンターで、伊藤と同じ山田満知子コーチから教わった後輩たちは、練習する伊藤のジャンプを見続けた。 愛知県スケート連盟の久野千嘉子フィギュア委員長は「みどりちゃん以来、世界レベルの選手が続き、良いお手本が目の前で滑ることが大きい」と話す。高校時代まで山田コーチのクラブで練習し、トリノ五輪代表争いを演じた中野友加里(早大)は「みどりさんが築いたものは大きい。意識しなくても意識してしまう」。”
その他、山田コーチのようなカリスマ性のある指導者がいること、年中滑れるリンクが都心にあること、親の協力が大きいことなどがあげられていた。 伊藤みどりの活躍はもう10年以上も前のことである。それがまだみどり効果として続いていると言う発言にはびっくりした。しかし、上手な選手を見続けていると、上手になるというのは分かる気がする。上手なイメージが頭の中にでき、それが動きとなって現れるのだろう。何でも一流のものに触れなさいと言われるのもこんなことからであろう。納得である。
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(第512話) 今を受け入れる |
2006,1,10 |
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最近は年賀状の代わりにeメールの挨拶状も多くなった。いろいろあっていいからこれを批判するつもりはない。現に、ボクはこの「話・話」を書く中で知った年末状にeメールを利用している。 ところで、今年頂いたeメールの挨拶状で、今年定年のボクに応援歌のつもりだといって、「閑のある生き方」(中野孝次著夫)の中から一部抜粋して送ってくれた人がいる。そのまた一部を抜粋して紹介する。
“過ぎたことは過ぎたこと、いまさら若くて元気だった時をなつかしんだり、壮年の時の失われたのを歎いても意味はないのだ。今を受け入れねばならない。今を受け入れる心さえあれば、老年はそれ自体なんと心ゆたかなたのしい時であるか。何をしてもよく、何をしないでも誰かに非難されることはない。自分の好きなことに一日中熱中していられるくらい幸福なことがあろうか。既に社会に対する務めと義務は果たした。今は自分という者一個のために生きるべき時だ。生きることを許されている時だ。この大きな恩恵にくらべたら、身体が衰えたこととか、収入が減ったことなど何であろう。”
定年とは、社会に対する努めと義務を果たしたことの勲章なのだ。これからの過ごし方は努めでも義務でもない、心の赴くままに行動すればいいのだ。そのことを忘れないようにしよう。逆に言えば、やっていることはすべて自分の好きでやっているのだ。不満や愚痴はよそう。今を受け入れるのだ。 そして定年を過ぎた人ばかりではなく、誰もが知っておかねばならない言葉も引用しておこう。 “われわれは生れてきた順に死へと呼びだされるのではない、死の来るのは若者でも壮年でも老年でも変りはない。”
こうした長文の挨拶状はeメールなればこそである。応援歌とは嬉しい気遣いではないか。
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(第511話) がばいばあちゃん |
2006,1,9 |
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実力主義、能力に応じた賃金、規制緩和・・・実力や能力が正当に評価されないのはおかしい・・・これは誰が主張したのであろう。それは多くの国民であるとボクは思っている。その結果、勝ち組・負け組、富の二極化になることは当然のことである。そうでなければ、どんな社会になることを想像したのであろうか。
“負け組は、新たな階層社会の中で嘆き悲しみ、卑屈に暮らすしかないのだろうか。 そんな負け組の心配を吹き飛ばしてくれる痛快な本がある。漫才コンビB&Bの島田洋七さん(55)による「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間文庫)だ。「がばい」とは佐賀弁で、すごいという意味。洋七さんは小中学生のころ、家庭の事情で母方の祖母に育てられた。その物語である。 洋七少年が「腹へった」と訴えると、ばあちゃんは「気のせいや、寝なさい」。へりすぎて目が覚め、また訴えたら、今度は「夢や」。 「ど貧乏」暮らし。だが、ばあちゃんは全くへこたれない。「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのとは違う。自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから」”(12月31日付け中日新聞)
加藤編集局長の編集デスクから。競争社会で満足するのはほんの一握り、大多数は不満、自信喪失である。日本はもう長いことそうした社会に向かって進んできたわけだし、近年それがやっと見える形になってきたのである。ボクは変に大騒ぎするのは身勝手だと思っている。しかし、勝ち組がいつまでも勝ち組であるのは難しい。企業の栄枯盛衰を見ていればよく分かる。逆に、負け組もいつ勝ち組になれるか分からないので、絶え間ない努力が必要だし、がばいばあちゃんのような知恵も身につけねばならない。 ボクはいまだもって、終身雇用、年功序列の改良程度がいいと思っているが、もう許されないだろう。
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(第510話) 万博効果 |
2006,1,8 |
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昨年の愛知は万博で始まり、万博で終わった感じ。9月で終わったのだが、その成功の余韻はまだ続き、万博効果をその後の時代にどうつなげるかが問われている。万博記念としての跡地整備の問題、盛り上がったボランティアをどう生かすか、そしてエコライフ意識などいろいろある。
“日ごろから省エネにも心がけていたが、愛・地球博がひとつのきっかけで、まだまだほかにもできることが分かった。 そのひとつはまずレジ袋を断ったことだ。スーパーでの買い物の際、その場で声を出して断るのも悪い気がしたが、今は勇気を出して断っている。 ふたつめは夏のエアコンの温度設定を28度にした。だが実際その温度に設定してみるとやはり暑かった。そこで、以前から納戸に眠っていた扇風機を持ち出した。 これからは寒さも一層厳しくなっていくが、無駄のない暖房にも心がけ、引き続いてエコライフに努力したいと思う。”(12月29日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・榊原さん(46)の投稿文。こうした意識や行為がいろいろなところで続いていけば、万博効果は更に大きなものになる。そのうち意識しなくても自然に行えるようになるだろう。それまで続いて欲しい。それにはこうした投稿文もときおり掲載されるといい。 今朝の中日新聞には、愛知万博で、市民プロジェクト「ときを祝うメモリ!」を手がけたメンバーたちが、プロジェクトと同様に誕生日や結婚式の記念日を祝う活動を展開するNPO法人を設立する話が記事なっていた。
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(第509話) ボケ防止十訓 |
2006,1,7 |
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人間終焉に近づいて心配事がいろいろあろうが、その中でも大きいのはボケであろう。そのため全国のボケ封じ観音はおおはやり、これは山口県の「ボケ封じ観音」の話である。 “老僧の「ボケ封じ十訓」のお話を思い出しながらご紹介します。 ①適度に運動してストレスをためぬ ②家庭でなくてはならない人になる ③手足を動かし老化を防ぐ ④草取りや編み物など手を使う ⑤赤、ピンクなどの服を着て気を若く ⑥心にゆとりを持つ ⑦頭を使う ⑧暴飲暴食をしない ⑨質素を心がける ⑩規則正しい生活をする”(12月28日付け毎日新聞)
太宰府市の武富さん(77)の投稿文。この手の話はこの「話・話」の中でもいろいろ触れてきているが、まあ、何度でもいいだろう。常に意識していることが大切であるのだから。それにこの内容は何もボケ防止ばかりではない、老いも若きも一生の必要事項だ。
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(第508話) 夢を描くヒント(その2) |
2006,1,6 |
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第502話では「計画は作ることに意味がある」と結んだが、できればその計画は達成したいもの。その参考になるかも知れないと思って、12月28日付け朝日新聞のNPO日本タイムマネジメント普及協会の理事・行本さんの話を要約して紹介する。 “「大切なのは、まず自分が今どこにいるのか、立ち位置を把握することです」といいながら、まずやってきた仕事の良かった点、悪かった点を検証し、それを元に目標を立てる。そうすれば自分の短所、長所もみえ、実行可能な計画になる。次に「何から着手するか」という具体的な一歩を決める。目標に優先順位を決めることも大切「常に一番大事な目標を意識しながら行動すれば、達成率は上がるはず」。”
ボクが常日ごろ重要だと思うのは、ものごとに優先順位をつけることである。迷ったときに非常に役立つ。すべてが達成できるわけでもないし、自分の思うようにもいかない。そんな時何を優先するのか、どの考え方を優先するのか、それがきちんとしていれば、判断は速いし、支離滅裂になることも少ない。
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(第507話) 長生きしてや |
2006,1,5 |
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“家を出てまもなく、高校生らしい男女4人の一団が私の後に来ました。その中の男子の1人が「あばあちゃん」と大声で呼びかけました。私が思わず振り返ると「おはようございます」と自転車を降りて丁寧に挨拶してくれました。私も嬉しくなって挨拶をしました。 その子はにこにこしながら私と並んで歩きながら「おばあちゃん、スキップできる?」と尋ねました。「腰が悪いのでできないよ」というと、大変だなあという顔をして、実際にやってみせてくれました。 別れ際に「寒いから体に気をつけて長生きしてや」といいながら坂道を下っていきました。”(12月25日付け毎日新聞)
奈良市の一箭さん(82)の投稿文です。今の時代、見知らぬ男子高校生がこのような素晴らしい行為をするとは信じられません。昔の時代でも滅多になかった行為でしょう。どういうしつけや教育でこうなるのでしょう。良い世の中になる可能性は大いにあるということです。将来に悲観せず、若者を見守っていきたいものです。
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(第506話) 幼児を預ける |
2006,1,4 |
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乳幼児をもつ家庭は、行動もままにならない。以前アグネス論争などというものもあったが、今でも投稿欄をみているとレストラン、映画館、コンサート等々、乳幼児連れが話題になっている。
“「映画館に乳幼児は無神経」(16日)という投稿がありました。私も幼児の話し声が耳障りで、不快な思いをしたことがあります。 お母さんも、たまには楽しみたいと思うことがあるでしょう。でも子供が騒げば、映画を鑑賞する人に迷惑だし、小さな子だって暗い場所で長時間過ごすのは苦痛でしょう。 そこで提案というかアドバイスを。近くに身内がいなければ、安心して子供を預けることのできる友人を作ることをお勧めします。 子供を預かってもらえる友人は、きっと信頼できる生涯の友達になります。”(12月22日付け朝日新聞)
名古屋市の主婦・武村さん(63)の投稿文です。我々の時代は、そう言う時期は我慢してできる時代まで待つ、というのが一般だったと思う。時代は変わっても、条件が整わなければ親は子のために辛抱する、これが当然とボクは思うのだが、ここで武村さんのアドバイスが生きる。 子供預かってもらえる友人を得る。こう言うと、そう言う友人を得られない人はどうすればいいのだ、と第491話で話したような声が聞こえそうだが、得られるように努力する、それしかない。人間社会を生きていくに1人では生きられないのだ、助け助けられ、この繰り返しなのだ。武村さんの言葉から、改めて人間関係の大切さを思う。
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(第505話) 500円玉 |
2006,1,3 |
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“先日、片づけをしていたら小物入れが出てきた。その中にあった500円玉1個と「2004.11.24」と記されたメモ1枚で、あの時の記憶がよみがえった。 登校中に電車を乗り換える駅で、1人のおばあさんに声をかけられた。おばあさんは前の駅で間違って電車を乗り換えてしまって、困っているとのことだった。時間に余裕があった私は、おばあさんの乗る電車のところまで付き添った。 電車を待っている間、おばあさんは何度も「ありがとう」と繰り返してくれた。そして、電車がホームに入ってきたとき、おばあさんは「これで温かいコーヒーでも」と、私に500円玉を握らせて電車に乗り込んだ。驚いた私は、頭を下げることしかできなかった。”(12月24日付け毎日新聞)
岐阜県の学生・山本さん(20)の投稿文。おばあさんは孫に親切にしてもらったような気分で、よほど嬉しかったのであろう。街中の小さな良い話ではあるが、山本さんにはこの500円玉で、生涯忘れられない大きな思い出になったのではなかろうか。現に1年後にこうした投稿文を書いているのである。その上、この投稿文が採択されて、その思い出は更に大きなものになった。そして、この500円玉は使えないのだ。この500円玉をみるたびに思い出すのである。小さな良い行いが、自分自身の気持ちをとても温かくしてくれることを。そして、小さな良いことを続けていくのである。そして、山本さんの周りも温かくなるのである。
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(第504話) 担任した生徒 |
2006,1,2 |
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“教員になって初めて担任した彼女から年賀欠礼の葉書が届いた。5歳違いの当時高校2年の彼女は、小児まひによる軽度の障害にもめげず、しっかりした考えを持ち、卒業してからは一生の仕事にと好きな和裁の道を選んだ。 ある年の賀状に「父が脳梗塞で倒れ、車いすとベッドの生活になり、その介護をしている」とあった。数年後、「父が生きていてくれるだけで幸せです」という便り。 その方が14年の闘病の末、95歳で亡くなったとのこと、お悔やみを申し上げたところ、車いすでの散歩や家での団らんの写真と一緒に「いつも笑顔で機嫌が良く、優しい父でした。毎日精一杯頑張って長生きをして私たち家族を幸せにしてくれていました」との返事が届いた。”(12月22日付け朝日新聞)
津市の主婦・千葉さん(67)の投稿文。自分の小児まひ、父の脳梗塞、そして、看病。不幸を感じてもいい境遇なのに、最後まで父が幸せをくれたと感謝する。満たされながらいつも不平を言うぼくらと、何と大きな隔たりか。 “2年間担任させてもらえたことを感謝している”と千葉さんは結んでいる。先生が生徒に感謝してる。この2人の人柄が、50年近い年賀状のやりとり(推測)につながっているのだろう。世の中の一隅の話であるが、人の温かさを知る。
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(第503話) なくした手紙 |
2006,1,1 |
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明けましておめでとうござます。本年もご愛読のほど、よろしくお願い致します。良い話を伝えながら、共に明るい社会、楽しい人生を築いていきたいと思います。まずは、元日にふさわしい便りをお伝えします。
“初めましてカナダの人。この寒さの中、私は先日、とても温かい気持ちにさせられました。カナダから手紙が届いたのです。書いたのは私の友達ですが、出したのは違う人です。 友達は書き終えて切手を張るだけだったけれど、手紙を大学内でなくしたのです。彼女は手紙はどうなったろう、一番想像できるのは、どこかの床の隅でほこりと一緒になっていることだと言っていました。 そして、でも誰かが拾って、しかも切手まで張って投函するなんてことがあったら、とも。私は、その奇跡が本当にあったんだと伝える前に、まずあなたにお礼が言いたいのです。ありがとう、これ以上にない贈り物です。”(12月22日付け毎日新聞)
東京都の大学生・浅野さん(24)の投稿文です。切手まで張ってあれば、ボクでも投函するだろうが、切手のない手紙までというと自信はない。友人は、カナダという国を知り、もしやという奇跡も感じていたのかもしれない。そうだとすれば、カナダとは素晴らしい。日本にもそんな奇跡が生じ、そして、それを奇跡と感じない国になることを期待して、今年の第1話とします。
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