|
(第502話) 夢を描くヒント |
2005,12,31 |
|
2005年も今日が最後です。まもなく新しい年が始まります。新しい年には新しい夢を描いて始めたいものです。そのヒントを紹介して、今年最後の「話・話」を終えたいと思います。 12月26日付けの毎日新聞から、マザーネット社長・上田理恵子さんの話です。 “夢を描くヒントを私自身の実例をあげながらご紹介します。 (ステップ1)今までの人生を振り返ってみること・・・表を作成し、主なできごと とその時自分はどう考え、行動したかを記入。 (ステップ2)これまで自分が楽しかった!と感じたことをあげてみる。 (ステップ3)自分の強み、弱みを分析してみる・・・キーワードとして浮かび 上がらせる。 (ステップ4)キーワードと自分の強みを参考にしながら夢を描く。 (ステップ5)夢の実現時期を決める。 表は何度作りかえても大丈夫。計画を作ることに意味があるのです。”
計画を作るだけで終わってしまって、気が重くなることも多いと思いますが、「計画は作ることに意味がある」いう言葉だけを採用すれば気楽なものです。まずは計画を作ること、それから行きましょう。
今年1年、良い話につまらない添え書きをして、344話を紹介しました。ご愛読いただきましてありがとうございました。特に1行メッセージを書いて励ましていただいた皆さんに御礼申し上げます。
|
|
|
|
|
(第501話) '05日本重大ニュース |
2005,12,30 |
|
もうまもなく2005年も終わる。今年はどんな年であったろう。毎年ながらどの新聞も、その年の重大ニュースを取り上げている。12月22日の読売新聞では読者の投票により選んだ重大ニュースを発表していた。応募数は約1万通である。 @JR福知山線で脱線、107人死亡 A愛知万博開催 B紀宮さま、ご結婚 C衆院選で自民圧勝 D耐震強度偽装事件で大揺れ 30位まで紹介されていたので、独断と偏見でそれを良いニュ−ス、悪いニュースに分類すると、良いが9件、悪いが13件である。良いにはスポーツ関係を5件選んだが、これは相手方にしてみれば本当によいのか分からない。悪いは誰にとっても悪いので、圧倒的に悪いニュースが多かったことになる。 こうした投票がその年を端的に現すかは少し疑問にも感じるが、そして、悪いニュースがクローズアップされやすいとは思うが、それでもこれだけ違うと、やはり暗い年だったといわざるをえない。 更に考えると、悪いできごとはニュースになりやすくマスコミも取り上げるが、良いできごとは刺激がなく、あって当たり前、ニュースになりにくいということであろう。ここでももう何度も書いたが、良いできごとをもっと取り上げてもらいたいものだ。この「話・話」はよい話ばかりを取り上げる、世にも貴重なページである(自画自賛)。
|
|
|
|
|
(第500話) 小学生の行動力 |
2005,12,29 |
|
歩きたばこ禁止条例制定を静岡市議会に請願した12歳の少年のことが、12月20日の中日新聞に紹介されていた。 ・路上禁煙を条例で定めている自治体にアンケート。 ・初めて罰則付きの条例を定めた東京都千代田区には足を運んで話を聞いた。 ・小泉首相に「なぜ悪いことだらけのたばこを売るのか」とメールで質問。
・実行委員会の支援で集めた2万4千人の署名を添えた請願書を市議会に提出。 ・歩きたばこ禁止条例の必要性を静岡市議会の委員会で説明。
これが小学6年生の行動である。その結果、議会は全会一致の採択をした。歩きたばこなど、吸っている人もたばこを容認している人も、悪いことは重々承知であろう。それがなくならない。それに不満を感じた小学生が、たばこの害について調べ始め、これまでの研究成果は約600ページ、ファイル5冊分に登るという。
ボクはたばこを買って吸ったことはない。たばこには耐えられないほどではないが、いやなことは事実である。でも何もしない、ただこの少年に脱帽である。両親始め周りの人の多くの支援があったと思うが、それでも驚くばかりの行動力である。
|
|
|
|
|
(第499話) 車内放送 |
2005,12,28 |
|
12月19日の愛知県地方は58年ぶりの大雪であった。当然電車は遅れる。
翌日の車内で「昨日は大雪で電車が乱れ、皆様には大変なご迷惑をおかけしたことを深くお詫びします」という放送が流れた。私はこの放送に何か奇異を感じた。大雪が降れば、電車が遅れることは今の時代、当然ではないか。そう何でも自然現象を征服できるわけがない。迷惑を受けているのは我々より鉄道会社の方がずっと大きいはずである。何も深くお詫びすることなどない。そして、駅員(鉄道会社)も本当にそう思っているわけではなく、マニュアルに従っているだけのことである。
こんなことを言うのは天の邪鬼であろう。でも、何か我々は頭を下げなくてもいい人まで下げさせて、いい気分になっていることはないか。お金をもらう側は、いつも礼を言う側、謝る側であるとはボクには思いがたい。いや、逆にさえ思う。ただの紙切れで、大変な努力の成果を利用するのだ。
“通勤途中の電車で「ただ今、人身事故の影響によりダイヤが乱れており、ご利用の皆さまには大変ご迷惑をかけます」と繰り返すアナウンス。それを聞いた乗客たちは、一層あわただしくなり、表情もより険しくなる。大多数の人は「こんな時間に何とも迷惑な」と感じているはずだ。 いつから人の心というものが、こんなふうに乾いてしまったのだろうか。「人身事故」つまりは「飛び込み自殺」である。人の死を「迷惑」に感じるのでなく、「気の毒」に感じるくらいの人間らしさは失いたくない”(12月18日付け毎日新聞)
|
|
|
|
|
(第498話) 堅実 |
2005,12,27 |
|
今年は愛知県が、愛・地球博始め経済の好調さで大いに賑わったが、まだ来年に向けて続くのである。NHK大河ドラマは、もうここでも何度も取り上げたが、愛知が誕生地と言われる山内一豊公を主人公としたドラマであるし、4月から始まるNHK連続テレビ小説「純情きらり」は愛知県岡崎市を舞台としている。 岡崎ロケが終わって1ヶ月、大いに興奮した岡崎市の空気が少し変わった気がする、と中日新聞が報じていた。
“宮崎あおいさん、三浦友和さん、井川遥さん・・・。岡崎ロケに参加した有名人が去ると、落ち着きを取り戻した。しかし反動か、市の担当者との会話でも、ほとんど話題にのぼらないほどの静かさに寂しさも感じる。 「岡崎をジャズの街にしよう」。企画運営から会場設営にも汗を流し、ライブをいくつも成功させている市内のジャズ愛好家グループ。彼らは「浮かれて大きなことをやろうとすると必ず失敗する」ときっぱり。「地味でもいいんだわ。とにかく長く続けることが大切だよ」 思いがけない大きな話題が目の前に降ってくると、つい平常心を忘れてしまう。ロケ前、地元で長く商売を続ける人がもらした一言をふと思い出した。「ブームなんてすぐに去ってしまう。変に踊らされないで、三河人らしく堅実にいかないとね」”(12月16日付け中日新聞)
ハイリスク・ハイリターン、これで一時うまくいくこともあるが、引き際が難しい。浮かれて繰り返すのが人間の性、そう何回もうまくいくことはない、そのうち失敗してもう取り返しができなくなる。人生は長い、堅実に長く続ける、これが結果的に勝者となる、これが三河人というのだろう。徳川家康を見よ、岡崎の出身である。 ボクも愛知県人、全く同感と頷く。一宮友歩会は「身の丈にあった運営」を基本方針に掲げている。
|
|
|
|
|
(第497話) 家庭新聞 |
2005,12,26 |
|
“我が家では月に2回発行するA4版の「すこやか新聞」は部数6部の家庭新聞だが、今の時期になると、毎年恒例の「今年の10大ニュース」の選考をする。 読者は大阪府内に住む私の2人の子供と、4人の孫たち、それに私たち夫婦の実家の人たちである。 10大ニュースは孫たちの両親からの投票結果を基に、編集長である私の独断と偏見で決めている。”(12月17日付け朝日新聞)
大阪市の無職・炭山さん(66)の投稿文です。家庭新聞はなかなかできそうでできないものである。それがもう107号であるというから立派なものだ。編集長はもちろん、その周りの家族も遊び心がなければできない。我が家も家族が増え、そろそろ始めてもいい頃であるので、一度提案してみるか。しかし、編集長にはボクが推薦されることは明らかだから、ボクにその覚悟があるか・・・・その覚悟ができないと言い出せない。 我が家では10大ニュースではなく、重大ニュースを結婚以来、毎年大晦日に拾い上げている。これをしないと1年の締めくくりにならないし、正月にならない。
|
|
|
|
|
(第496話) 過剰なサービス |
2005,12,24 |
|
“先日家族で遠出したとき、途中で無理な追い越しや強引な右折、車線変更などをする何台かの大型トラックに出合った。運転手の表情は、殺気立っていたように見えた。 規制緩和でトラック業界の過当競争が激化している。加えてガソリン代高騰。これらのつけは、賃下げや過重労働でまかなわれている。 消費者はより質の高いサービスを求める。私自身、届けられるはずの荷物や集荷の方がいつもより遅いと不安になることもある。そんな過剰なサービスを求めている自分自身が、殺気だった運転手さんを生んでいるのだろう。”(12月16日付け毎日新聞)
釧路市の主婦・舘下さん(42)の投稿文。12月7日の「(第479話)悪者はあなた!」を紹介した。この世の中、同時代に生きる人々は、直接ではなくても迂回しながら何らかの影響を及ぼし合っているという話であったが、この舘下さんの話はそのことを自覚された文であると思う。 先日教師の話を書いたが、今給与を下げる話が出ている。土日もない、残業手当もない教師の給与が本当に高いのかどうか知らないが、ここで下げることは回り回って自分の給与に影響しないとは限らない。役所の土日や夜間業務を要求する意見が多いが、それが実現すると、役所でさえやっているから民間なら当然と、あなたの職場に影響するかも知れない。どこからが過剰なのか、自分には甘く、人には厳しいのが人間の常であることも自覚して、社会の一員を構成していきたいものだ。
|
|
|
|
|
(第495話) まな板 |
2005,12,23 |
|
“毎日使うものでもどういうわけか、なかなか買い替えられないものがある。まな板もそのひとつだ。今使っているのはいつから使っているのだろう。 まな板は使っているうちにどうしても真ん中が減ってきて使いにくくなる。二男が中学生や高校生の頃は、よく「まな板にカンナをかけてちょうだい」と頼むと「ああいいよ」と、技術の時間のために購入した大工セットを出してカンナをかけてくれたものだ。「母さん、真ん中を心持ち高めにしたつもり」と心遣いもみせてくれた。”(12月16日付け毎日新聞)
札幌市の主婦・粕谷さん(59)の投稿文。我が家のまな板は樹脂製のものになってもう長いことになる。父母の時代は当然木のまな板であり、真ん中が減ったまな板がいくつもあった。料理などしないボクであるが、子供のころ真ん中の減ったまな板を使った思い出がある。 それは、里芋の親芋を切るときに使ったのである。里芋の親芋など野菜市場に出してもたいしてお金にならない。そこで父親はボクにやらせて、その分で得たお金はボクにくれるというので頑張った。お小遣いなど当然ないボクらの生活だったので、唯一お金をもらった思い出である。小学校高学年から中学にかけての話である。 考えてみると、貧しかっただけに健全な生活だったと思う。小学生で包丁を使い、働いてお金を得る。この体験を今の子供にどういう方法で味合わせことができるのだろうか。
|
|
|
|
|
(第494話) 批評 |
2005,12,22 |
|
“「批評とは人を褒める特殊な技術だ」(小林秀雄) 批評すると言うことは、他の人が気づいていないいい点を見つけ出して褒めることだ、という指摘には考えさせられた。たしかに、欠点を探し悪口を言うために長時間を費やすなど愚かなことだ。そんな時間があるなら褒めたい人、褒めたい本と徹底してつき合いなさい。そう言うことだと理解している。”(12月16日付け日本経済新聞)
昨日と同じ「あすへの話題」から積水化学工業・大久保社長の文を、分割しての紹介です。この文の書き出しには「若いころに強い影響を受けた教えとか本とかのうちには、この歳になっても忘れられないものがある。」とある。 批評とは、欠点・欠陥をほじくり出して批判し、物知り顔に説くことだと思っていた。それだけに「褒める技術だ」と説かれてびっくりさせられた。批評家やマスコミを見ていると「批評とは批判」と思っているのではないか。この言葉の意図するところを理解し、もう少し褒める割合を多くしてもらえば、もっと明るい社会になると思うのだが・・・。
|
|
|
|
|
(第493話) 行き着く先(その3) |
2005,12,21 |
|
“「のぞみをもって旅をするということは、のぞみに達するよりも良いことなのだ」(スチーブンソン) 受験勉強の英語参考書にあったことば。だから今でも英語で覚えていて、時々口ずさむ。人生という長旅では、のぞみに到達した喜びはほんの一瞬のことにしかすぎないことは、この歳になるとよくわかる。スチーブンソンは『宝島』の作者。”(12月16日付け日本経済新聞)
「あすへの話題」という欄から、積水化学工業・大久保社長の文です。12月13日の第485話で結果より過程の重要さを書いたが、この言葉はまさにそのことを示す言葉である。大久保社長が言われるように「のぞみに達した喜びはほんの一瞬にすぎない」ことが多い。達して少したつとその喜びは薄らぎ、更なる欲望がわき上がる。その繰り返しをしているのだから、長い時間を過ごす過程を大切にしないと、いつも満たされない気持ちばかりになる。一度達した喜びを持続するという方法もあるが、この方法はまた弊害も多い。 大久保社長はこの歳になると、といわれるが、この歳とは65歳である。それにしても、50年近く前のことをよく覚えてみえるものだ。それだけ印象が強かったと言うことであるが、若いときからものの捉え方が違っていたのだろう。
|
|
|
|
|
(第492話) 風船のきずな |
2005,12,20 |
|
“野良仕事の帰り道、水素がなくなり半分しぼんでしまった赤い風船を拾ったのです。糸の先についた紙切れに「この風船を見つけた人はお手紙をください」と書かれてありました。風に乗って風船が飛ぶ様子を想像しながら手紙を書きました。後日、家族から返事を頂きましたが学校でも話題になったそうです。あれから20年。年賀状だけのつきあいですが今日まで一度の欠礼もありません。”(12月15日付け中日新聞)
三重県四日市市の古市さん(76)の投稿文です。こうした風船の話は時折聞きますが、人間の縁というのは面白いものです。もっと身近な人でも、多くはこのようにいきません。風船を放った人は滋賀県蒲生郡の小学4年生ですから、風船は標高1000mの鈴鹿山系を越えてきたことになります。風船の苦労が報われたのでしょう。たったこれだけの縁で20年とは、人とのきずなは大切にしていきたいものです。
|
|
|
|
|
(第491話) 嫌われても言おう |
2005,12,19 |
|
12月13日の中日新聞には、もう何回も紹介した陰山土堂小学校長の文があった。 “一般紙では、学校教育に関する不満の1位は、教師の質だと報道される。公平を期す意味で、全国の教師に保護者の質をどう思うかを聞いてみるといいと思う。ついでに、マスコミや社会のあり方もだ。質が悪いといわれる結果、当たり前のことを訴えることさえ勇気がいるご時世になってしまった。” そしてこんな例を挙げている。 “朝ご飯を食べさせてくださいとある校長が訴えたとき、朝ご飯を食べさせられない家庭はどうするのですか、と逆に保護者に詰め寄られた。食べさせられない家庭は、食べさせられるよう努力する。それしか答えはない。” 陰山校長は遇直でいい、大事なことは嫌われても言う、それが大切だと言われる。 詰め寄られた校長が「食べさせられるように努力してください」と答えられた後の状況をボクが想像するとこうなる。 この答えを聞いたとき、詰め寄った人は「それが教職者がいう言葉か!」と更に激高して詰め寄る。一般の人はシラッとして黙っている。翌日の新聞には、保護者の味方に立ったような部分の記事が載る。その校長は教育委員会から「君の言うことは正論だが、もう少し上手にやれ」と咎められる。その校長はもう二度といわなくなる。 12月15日の各紙に、公立学校の教員約92万人の内、2004年に病気休職した人は6308人であり、そのうち精神性疾患で休職した人が3559人であったことが報道された。これはいずれも過去最多であり、精神疾患にいたっては10年前の3倍という。 ボクの娘婿は小学校の教師です。見ていると土日もなくて母子家庭みたいだ。自分の子どもが見られなくて、どうして他人の子なのか、疑問に思ってしまう。
|
|
|
|
|
(第490話) 史上最高打者の壁 |
2005,12,18 |
|
大リーグ史上最多の通算4256安打を放ち、安打製造機と言われたピート・ローズの野球殿堂入りが閉ざされたことが報じられていた。野球賭博が発覚し、球界から追放され、来年が野球殿堂入り最後の機会であったが、リストに挙げられなかったというのである。 “アメリカ社会の底流にはキリスト教の許しの文化がある。セカンドチャンスを認める文化だ。その一方で、野球賭博はグラウンドに立つものには足を踏み入れることが許されない場所だ。野球がどんなに変質しても、このルールが変わることはない。”(12月13日付け朝日新聞)
日本では池永選手が、暴力団がらみの「黒い霧事件」に巻き込まれ、プロ野球界から永久追放の処分を受けたが、今年4月処分が解除になり、35年ぶりに復権した。この違いはどこにあるのだろうか。疑惑の程度なのか、日本とアメリカの違いなのだろうか。 今年2月26日の第209話で、アメリカ企業のワンアウトチェンジのことを書いた。今回の文では、アメリカ社会のセカンドチャンス文化の話である。どちらが本当なのだろうか。一概に言うことはできず、時代、場合であろうか。世の中のこと、ひとつの法則では決せられないと言うことが本当であろう。それでこそ生身の暖かい社会だ。
|
|
|
|
|
(第489話) 不合格の開眼 |
2005,12,17 |
|
作家の佐江衆一氏が日本経済新聞の「あすへの話題」にもう長いこと書かれている。時折読んでいるが、12月13日には、55歳から剣道を始め、71歳の今年、4回の剣道6段の昇段審査を受け、すべて不合格となったことを書かれていた。 “今回こそは合格したいと稽古をして臨んだが、その欲で肩に力が入り無心になれず、体力の衰えも感じ、これでは不合格だと自分で分かった。 10回、20回の挑戦者もいるのだ。試合でも私は、勝者のエリートより敗れても敗れても諦めない不器用な高齢者に深い魅力を感じる。 一種の階級制である段位にこだわらず、無段でも人間として深みのある堂々として涼やかな剣風に達したなら素晴らしい。これも不合格のひとつの開眼である。”
55歳から剣道とはまた元気で、素晴らしい。更に71歳で6段とは、人間どこまでも挑戦であろうか。 不合格の開眼と言われるが、ボクには不合格だから開眼といいたい。人間としては順境の時より逆境の時こそ得るものが多いのである。ボクは希望の大学に落ちている。しかし、返ってそれがよかったと思うことにしている。それでなければもっと傲慢になっていただろうし、その後のもっと大きな失敗時にうまく乗り切れたかどうか分からない。失敗は人生の成功の母である。
|
|
|
|
|
(第488話) 今年の漢字は「愛」 |
2005,12,16 |
|
日本漢字検定協会が毎年その年を表す漢字を募集し発表しているが、今年は「愛」となったことが、12月13日の各紙に紹介されていた。昨年は「災」であったが、このことは第152話で紹介した。 今年は8万5千票ばかりの応募があり、「愛」が4000票、4.7%であったという。以下、「改」「郵」であった。昨年は「災」が2割強を占めたことから見ると、やはり焦点が絞りきれなかったようで、私は「愛」には何か不似合いな年の気がする。愛・地球博、紀宮さまの結婚などに絡めてのようだと解説していたが、願望のような気もする。
“日々ニュースに向き合っている身で振り返ってみると、残念ながら「崩」という字に行き当たった。今年は、前年末の大津波による南海の楽園の崩壊で始まった。春には、JR西日本の列車が脱線してマンションに激突するという、日本の鉄道への信頼が根本から崩れるような大惨事が起きた。 児童をねらった凶行が相次ぎ、通学路の安全が崩れ去った。丈夫なはずの鉄筋コンクリート造りのマンションが次々と崩壊の恐れが明らかになった。”(12月13日付け中日新聞)
中日春秋というコラム欄からである。まだまだ「崩」にいくつも行き当たるが、ボクも前向きに「愛」としておこう。愛・地球博を満喫し、3番目の孫も生まれたのだから。
|
|
|
|
|
(第487話) 人間の顔 |
2005,12,15 |
|
“魅力的な顔は愛される。人に愛されている人は幸せな顔をして魅力的である。こうして、魅力的な顔をしている人は、ますます魅力的になっていくのではないだろうか。幸せは自ら作り出すものである。まず自分が人生を楽しみ、他人を楽しませようとすることが、自分を幸せな顔にする第一歩であると思っている。中身は顔に表れる。だから「人間は顔である」”(12月9日付け毎日新聞)
鴨川市の主婦・高橋さん(37)の投稿文。「人間は顔ではない」に堂々反論である。ここで問題にしているのは人間の中身である。人間の顔の造作はその人間の中身を表しているか、いないか。長年の内には表すであろうが、そう簡単ではない。いつかの新聞に、美形は得である、という統計が出ていた。 しかしである、中身を表すにしろ、表さないにしろ、造作は美容整形でもすれば直るだろうが、簡単なことではない。それに比べ、中身は心がけ次第だ。心がけだけで簡単に直る。簡単なことから手がけるのが賢明である。しかも、高橋さんはまず自分が人生を楽しむことだと言っている。楽しめばいいのだ、更に簡単である。
|
|
|
|
|
(第486話) 日本の男 |
2005,12,14 |
|
“志高く、善意に満ち、身ぎれいに生き、自己犠牲もいとわない、我欲はそこそこ、財もないよりあった方がいいが、財のために節を曲げることはない。上辺を作るよりは内面を磨くことに精を出し、気取らず、飾らず、含羞をなどという言葉を知っている。無駄口を叩かず、されど沈黙の人ではなく、言うべき時にはたかぶらずに言う。おどけず、ふざけず、変わり者と陰口をきかれることはあっても、鷹揚に笑っている。そして、人の幸福を喜ぶ。 ぼくは少年の頃、日本の男というものはおおむねそう言う性質のものだと思っていた。”(12月6日付け中日新聞)
作詩・作家の阿久悠さんの文である。日本の男というのは、いくらかは欠けることがあってもおおむねこれだけの条件を備えていなければならないのか・・・・かつては備えていたということであろう、そんな気がする。そして阿久さんは、時代は変動してもこの男の条件が変質するとは思っていなかったが、21世紀になって、 “変動どころか、価値観が逆転してしまったのである。この文章の書き出しの何行かは、かつては尊敬や憧憬や好意で見られたものであるが、いまや、嘲笑や憐憫の対象で、だから駄目なのよ、だから負け組なのよね、と烙印を押される。” と、嘆いている。 この条件のいくつを満たせるか分からないが、遅ればせながら心したいものだ。
|
|
|
|
|
(第485話) 行き着く先(その2) |
2005,12,13 |
|
要約です。中学3年生の男の子がお母さんがあまり「勉強しろ勉強しろ」とうるさく言うので、「何のために勉強するのか」と質問した。「いい高校に入るために決まっているでしょう」「じゃあ高校は何のために行くのか」「いい大学に入るために決まっているでしょう」「じゃあいい大学は何のために行くのか」「いい会社に就職するために決まっているでしょう」「いい会社に就職したらどうするの」「いい会社に就職すれば、給料もたくさんもらえるし、地位名誉もついて偉くなれるでしょう」「人間そのうち死ぬでしょう」「それはそうだ、死なないわけにはいかない、だけどあんた馬鹿だね、お葬式の時には花輪がずらっと並ぶ大葬式をしてもらえるでしょう」。中3の男の子が、「分かった、ぼくが勉強するのは葬式の時の花輪のためか」
これは、1997年11月発行の同朋大学中村教授が書かれた「自然(じねん)のことわり」という冊子からです。なぜかつい先日読んでいたら、第482話で紹介したと全く同じような話にびっくりし書いてみた。 この2つの寓話から、教えられることは何なのだろう。人それぞれに思うところは違うと思うが、人生は結果重視ではなく、過程が重要だと言うこととボクは思う。人生、過程が重要と思うことは以前にも何度も書いたと思うが、その意を強くする。頑張るときは頑張る、辛抱するときは辛抱する、ただそれだけでなく、その中に充足感を感じて生きる。そうすれば感謝の気持ちも起きるし、その中には喜びもある。難しいことではあるが、そんな気持ちが大切だと思う。
|
|
|
|
|
(第484話) 木守柿 |
2005,12,12 |
|
12月3日付け朝日新聞から、愛知県豊川市の公務員・松下さん(58)の投稿文。子供のころ、母の実家へ行って柿を食べたとき、 “その時、いつも不思議に思ったことがある。柿の木に必ず1個か2個の実が残っていたことだ。大人になって職場の同僚から、豊作に感謝し、来年もよく実がつくようにというお守りと、小鳥にもおすそ分けするためで、「木守り」というのだと教えられた。” 次は、12月6日付け中日新聞から、岐阜県八百津町の後藤さん(73)の投稿文。 “昔の子供のころの思い出をひとつ。晩秋になって柿の実も熟れてしまうので柿の枝によじ登って、実をもいでいたとき、近所に住む優しいおじいさんが「坊や、鳥たちのために少しは残しておけや・・・」と注意してくれました。 この地方では、昔から来年のために木守柿として頂上に少し実を残しておく習慣がありました。柿の木のためか、鳥たちのためにか、昔の里人たちはこんなやさしい人情味があふれておりました。”
同じような内容の投稿文を2題続けて見かけたので、並列した。こんな思いを抱いてきた日本人は、何と人情味があふれた民族だろう。自然との共生もきちんと果たしている。こんな意味合いは、この文を読むまで知らなかった。殺伐とした社会面で見る日本人とは、とても相容れない。 ボクの家には柿の木が2本あり、また近所にも1.2本もっている家は多い。昔から貴重なおやつ、果物であったのであろう。「柿が赤くなると医者が青くなる」といわれるくらい栄養豊富な果物だ。今年はどこも成り年だったようだ。ボクもたくさん食べた。鳥もたくさん食べたことであろう。 松下さんの文では「きまもり」と仮名が振ってあり、後藤さんの文では「きもりがき」とある。地方によって言い方が違うのであろうか。
|
|
|
|
|
(第483話) 技術と道徳 |
2005,12,11 |
|
人間は生存以来、いろいろな技術を工夫、発明してきた。それは厳しい労働などから解放し、豊かな生活を享受するためであった。しかし、その技術が手や足や頭脳の肩代わりをすることによって人間自身の能力を退化させてきた。車を使うことによって歩く能力が落ち込み、鉛筆がシャープペンシルに変わってナイフを使うことができなくなった。これが今や、道徳を代行し始めたことを憂う文が、12月5日付け中日新聞にあった。
“技術が道徳の代行をするうちに、私たちが生来的に持ち、あるいは成長の過程で獲得してきた道徳的判断が衰えていくことにならないだろうか。大勢の人がいる場でケータイを使わないのは、人に迷惑をかけないための配慮ではなく、妨害電波があるためになってしまう。スピード違反をしないのは、事故で人を殺しかねないためではなく、速度制限装置が働いてくれるためになるだろう。本来の道徳的な目標が忘れられ、ただ技術が命じるままに行動しているだけになりかねないのだ。”
以前にも紹介した早稲田大学・池内教授の文である。人間は自身の体を使うことによって、体力も技術も培うことができる。何かに代行させて使わなければ、自然にその能力は退化する。代行させることによって、更に別の能力が培われる間はその代行に意味がある。しかし、別の能力が培われなくなるほどに代行が進めば、もう人間自身の退化である。どの段階かをどう見極めるか、これは難しい。人間は生来怠け者である。変わる技術があればどんどん肩代わりさせる。道徳も同じである。そして小人閑居して不善を為すのである。池内教授の憂いが憂いで終わることを祈りたい。 このように短い文で意を尽くせる内容ではない、端緒だけでも紹介したくて書いてみた。
|
|
|
|
|
(第482話) 行き着く先 |
2005,12,10 |
|
“場所はある南の国。登場人物はアメリカ人と現地人の男。ヤシの木の下で、いつも昼寝をしている男に向かってアメリカ人が説教する。 「働いて金を儲けたらどうだ」。男は見上げて言う。「金を儲けて、どうするのだ」「銀行に預けて増やせば、大きな金になる」「大きな金ができたら、どうする」「立派な家を建てて、もっと大きな金ができれば、暖かいところに別荘を持つ」「別荘を持ってどうするのだ」「別荘の庭のヤシの下で昼寝でもするよ」「おれは以前からヤシの下で昼寝をしているよ」”(11月30日付け毎日新聞)
福岡県宗像市の教員・名倉さん(50)の投稿文。あまりに見事なブラック・コメディに何も書くことはない。 豊かな生活をするために、働いて、また他の手段でお金を得る。そのために、自分も家族も犠牲にし、社会をとげとげしいものにしている。豊かな生活は追えば追うほど際限がなくなる。そんな愚かさをしていないのだろうか。 働くことが喜びとか、社会に役立つことが目的といい、お金はその副産物と思えればそんな望ましいことはない。健康はウォークの副産物と言うボクの口癖と同じだ。自分は食べるに精一杯でそんなゆとりはないと、多くの人はいわれるだろうが本当にそうだろうか。
|
|
|
|
|
(第481話) エスカレート |
2005,12,9 |
|
“朝、通勤の途中で出会う若い女性がいる。彼女は50CCのバイクで通勤している。いつも駐車場を横切り一方通行の道を2mばかり逆走して走り去る。 初めて彼女に出会ったころは、わずか2mの一方通行も律義にバイクから降り通過してから、改めてバイクにまたがり走り去った。そのうち、そばに人がいるとバイクを降りて押すが、周囲に人がいないとバイクに乗ったまま走り去るようになった。今では、周りに誰がいようとお構いなくバイクに乗ったまま一方通行を逆走していく。わずか4年足らずの間の変化だ。”(11月29日付け建通新聞)
この文も1昨日と同じ耐震強度偽装問題に絡めたものである。小さな不正行為も、誰もとがめなければだんだんエスカレートしていく、その例である。この偽装問題も、最初は図面を差し替えるつもりであったが、建築確認がそのまま通ってしまったので、それに味をしめてだんだん大胆になっていったようである。このバイクの場合、2mばかりの逆走は規則に違反しているが何の実害もない。この程度で終わっていればいいが、人間悲しいかな、そうはいかないのである。だんだん大胆になるのである。そのことを常に自覚して行かねばならない。
|
|
|
|
|
(第480話) 詩歌配達 |
2005,12,8 |
|
今日は、お年寄りに配達する弁当の間に、詩歌などを記した紙片をはさみこんでいる話です。筆を執られるのは、社会福祉法人なごや平和福祉会の理事長で日本福祉大学名誉教授の福田静夫さん(73)、03年9月から始められている。 “(競争が激しくなって)配達員が、ゆっくりお年寄りと話すことも少なくなった。このため、その年の8月に理事長に就任した福田さんは「利用者との心のつながりを強めたい」と配布を始めた。 福田さんはヘーゲル哲学が専門だが、若いころは詩歌にも挑んだことがあり、取り上げるのは万葉集から俵万智まで様々。自作も入れた。「昔覚えた詩歌も多いし、季節の花々から社会事件まで、書くことには困らない」という。”(11月28日付け朝日新聞)
弁当につけて詩歌を配達しているとは、味な試みだな、と感心する。弁当を配達することに、経費を下げることばかり考えていてはこんな発想は出てこない。いかに喜んでもらうか、どうやって触れ合いの機会を設けるか、そう考える中で出てきた発想であろう。弁当と詩歌はとても結びつかないところに遊び心がかいま見える。それで受ける方も与える方も楽しくなる。ボクは何事も遊び心が重要だと思っている。少し発想を変えたり、少し考え方を広げると、いろいろなことができるものだ。
|
|
|
|
|
(第479話) 悪者はあなた! |
2005,12,7 |
|
耐震強度偽装問題で世の中が騒々しい。「悪者探し」「責任者探し」の記事が繰り広げられる。こんなアンハッピーな、つまらない世の中にしたのは誰だと、建設通信新聞の建設論評は訴える。 “この事件の悪者を、私が指名しよう。それは「あなた」だ。この論評を読むあなたこそがこんな世の中にしたのだ。この意味が分かるだろうか。 要するに、社会問題とは個人の問題・特定企業の責任ではなく、社会全体の問題・責任としてとらえるべきだと、私は言いたいのだ。こういった事件を起こさないために、できたことはたくさんあったのではないだろうか。 悪者を作り、相対化することで安心することはやめよ。自分だけ高みに登り、評論するのはやめよ。社会現象のすべてを自分の責任ととらえ、あなたが動くことで世の中をより幸福な社会に向かうよう、真摯に努力せよ。”(11月28日付け建設通信新聞)
非常に部分的な抜粋で理解しにくいかも知れないが、悪者はあなた!と、これほどはっきり指摘する文に感嘆して紹介した。社会の悪い部分が一部の悪者だけでできているわけではなく、その時代に生きる人すべてが何らかの関わりを持っているということであろう。 今の日本は経費削減、コスト縮減で沸騰している。今回の偽装問題などもその結果であると思う。もちろん偽装を容認するわけではないが、こういう事態が生じることは容易に想像できた。建築や土木構造物はできたものを買うのではなく、金を決めてから造るのである。値切られればどこかで帳尻を合わせる。手抜きも起こさざるをえない。余裕のないところにいいものはできない。 「(第108話)技術を損なう形式主義」も再度読んでください。
|
|
|
|
|
(第478話) 3個の柿 |
2005,12,6 |
|
“私のパート先の飲食店に、週に1、2度、すてきな老夫婦が来店します。 体の不自由な奥様を、名古屋市内の病院まで連れて岐阜県から通っているとかで、ご主人はいつも献身的に世話をやいています。 今日もまた、お二人が食事をしに立ち寄ってくれました。すると、帰り間際、ご主人がわざわざ私を呼んで「柿をいっぱい頂いたので、おすそ分けです」と、もぎたての柿3個をくださるのです。 「この店にあなたがいないと家内も寂しがります」ともおっしゃってくださり、一従業員として接しているだけなのにうれしくて胸がいっぱいになりました。”(11月27日付け中日新聞)
愛知県大治町の内村さん(43)の投稿文。この文を紹介するのは、この老夫婦の麗しさとともに、内村さんの素晴らしさを伝えたいからです。飲食店のパート勤めの一従業員のために、なぜ老夫婦がわざわざ柿を持ってきたのか。内村さんの対応が心にしみるものだからであろうが、ではどんな対応をされているのか。仕事は多分食堂で注文を聞き、その出し入れだけであろう。そんなわずかな中で、何を心がけておられるのだろう。知りたいとともに、どんな小さな行為の中でも、心がけ次第で人を引きつけることはできるということである。何ごとも誠心誠意行うことであろう。
|
|
|
|
|
(第477話) 五本指 |
2005,12,5 |
|
“長年家族一緒に雨露をしのいで、仲睦まじく暮らしてきた足の指たちは、なかなかすんなりそれぞれの鞘に収まってくれない。かなり介添えをしないと、駄目なのである。せっかくリフォームして、個室をつくってやったのに、淋しくて眠れないと両親の部屋に入って寝ようとする子どもたちのようなものだ。それでもよく言い聞かせて、それぞれの個室にみちびいてやる。”(11月27日付け読売新聞)
映画監督・実相寺昭雄さんの文である。この文だけでは何の話か分からない人は、題名と一緒に考えると分かるのではなかろうか。そして、分かるとなかなか乙な文だと感じていただけるであろう。 最近かなり一般的になってきた、五本指ソックスの話である。一番の効用は足の指が蒸れないことである。ボクは多分もう20年以上前になると思うが、まだ一般の店では見かけなくて、特殊な店で見つけて使うようになった。暑がりのボクはいつも蒸れて皮膚がボロボロになっていたものが、これを利用するようになってすっかりなくなった。苦の種が減り天からの授かり物のような想いである。それ以来、常時使用している。現在ではかなり一般化し、特にウォーカーでは多くの人が利用していると思う。 指先は温かいし、血行にもいいだろう。ボクの絶対お勧め品のひとつである。
|
|
|
|
|
(第476話) 歌舞伎 |
2005,12,4 |
|
日本の歌舞伎が、11月25日の国連教育科学文化機関(ユネスコ)で、「人類の無形文化遺産」に選ばれたことが報道された。日本では能楽、人形浄瑠璃・文楽について3件目である。無形文化遺産は世界各地に伝わる舞台芸能や民族舞踊、儀礼などを次世代に伝えていくのが目的である。歌舞伎という芸術が世界に認められたわけである。 11月26日の読売新聞に次のような逸話が紹介されていた。 “ある芝居で三代目板東三津五郎が湯飲みの縁を爪で弾く場面があった。三津五郎は張り子の湯飲みを用いていたが、何日目かに裏方が気を利かせて瀬戸物に取り換えた。 「瀬戸物を瀬戸物に見せるのは誰でもできる。このごろようやく張り子が本物に見えるようになったものを・・・」。三津五郎がそう語ったと、劇評家戸板康二さんの「続・歌舞伎への招待」が伝えている。”
なるほど、芝居は芝居、芸である、本物ではない。その用いるものまで本物ではないものを本物に見せる、これが芸というわけか。そこがやっている人も見ている人も楽しめるのである。易きに流されないのが名優であろう。 ボクは松竹の歌舞伎を年2回定期的に観ているが、あまりに芸術扱いされ、裃を着ての鑑賞となる。しかし、田舎芝居(地芝居・素人歌舞伎)は飲み食いしながら気楽に楽しめて、またいいものである。田舎芝居は全国的に見て愛知県の三河地方や岐阜県で盛んである。こういった芝居も伝統として残っていって欲しいものである。
|
|
|
|
|
(第475話) 忠節橋 |
2005,12,3 |
|
“岐阜の清流、長良川にかかる忠節橋は、懐かしい亡き父の思い出がいっぱい詰まった橋である。 父は生きていれば92歳。終戦後、岐阜県の土木課に配属され、忠節橋の建設に奔走した。当時は資材調達が困難で、苦労の連続だったと聞いている。そんなせいか、私も重厚で美しい忠節橋から金華山を眺めるのが大好きになった。”(11月26日付け朝日新聞)
岐阜市の主婦・佐藤さん(57)の投稿文。土木事業はこうして子孫に語ることができる、これが土木の魅力のひとつでもある。ボクも38年間土木事業に携わって、もうまもなく引退である。あの橋この橋、この道路、語る思い出のある施設が身近に点在している。ありがたいことである。でも、まだ子供に語ったことはほとんどない。果たして聞いてくれるだろうか。 昨年11月22日の「(第121話)土木の日」も再度読んでいただきたい。
|
|
|
|
|
(第474話) 昼寝方法 |
2005,12,2 |
|
午後の会議中に眠くなる経験は誰にも多かれ少なかれあることだと思うが、それには昼寝をするのがいいと言うことをいろいろなところで聞いた。11月26日付け日本経済新聞に昼寝方法がまとめられていたので紹介する。 まずなぜ眠くなるかについて、広島大学の堀教授の話。 “人の眠気のサイクルには24時間、12時間、2時間の3つの周期がある。夜中に限らずに日中も眠たくなるのはこのためである。” 多くの企業は昼寝を敵対視しがちであるが、産業医学総合研究所の高橋主任研究員の話。 “よりよい仕事のために何が必要かと考えれば、喫煙者のために喫煙室を作るのもいいが、仮眠・休養スペースを作る方がずっとメリットが大きい。” そして上手な昼寝方法として、 1)短時間にとどめる・・・めどは15〜20分。それ以上だと寝起きが悪くなる。 2)昼休みを上手に活用・・・午後2時がベストだが、昼休み中に寝れば、2時頃の 眠気を予防する効果がある。 3)よりよい目覚めに小さな工夫・・・昼寝前のコーヒーや、昼寝後に日光にあたる。 4)規則正しい生活をする・・・「いつでもどこでも昼寝」より「毎日同じ時間」が いい。昼寝を睡眠不足解消に使わない。
人間の習慣というのは面白い。ボクは昔は昼休みにジョギングをしていたが、それでも眠くならなかった。今は昼寝であるが、それでもちろん眠くならないが、昼寝をしないと必ず眠くなる。
|
|
|
|
|
(第473話) 時の文化 |
2005,12,1 |
|
時の文化とはまた味な言葉である。しかし今まで聞いた覚えはない。11月24日の毎日新聞で、鈴鹿市の小林さん(75)の投稿文で知った。そして、風呂敷はその象徴であるという。
“なぜ、風呂敷は「時の文化」なのか。それは時を生かす道具だからである。四角いものでも丸いものでも、また小さくても大きくても自在に使える。そして、不要の時はポケットに入れられるし、スカーフや肩掛けにも、時に応じて変化する。これに比べカバンは、その空間はものを入れて運ぶに便利な機能を持っているが、空間は時に応じて変化はしないし、限定されている。”
「時の文化」の例として、小林さんは他に座敷をあげている。座敷は、来客の時は客間に、布団を敷けば寝室、食卓を置けば食堂と、時の流れの中でその空間はいろいろな用途になる。これもまさに日本文化である。 われわれはいつの間に風呂敷の便利さを放棄してしまったのか。風呂敷をもって歩くと何か体裁の悪さやしみったれの意識さえ持つ。これはどこから来たのであろうか。「エコライフ」「もったいない」の知恵の中で、復活しなければならない日本文化はたくさんあると思う。
|
|
|
|
|
|