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(第442話) 国勢調査 |
2005,10,31 |
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今回の国勢調査について、こんなに悪いニュースが流れたことはかってなかった。何度行っても会えない、個人情報保護法のせいかなかなか協力してもらえない、果てはニセ調査員による回収まであって、調査員の方は本当に大変である。こんな状況であるので、調査員を引き受けてもらえる人を推薦するのはもっと大変のようである。
そんな中、10月17日の毎日新聞の投稿欄に次のような文があった。 “未回収率は95年で0.45%、00年で1.7%、今回は更に悪化の見通しとのこと。確かにそうかもしれませんが、良い方に考えれば仮に今回2%の未回収率としても、98%の方々が協力してくれているのです。それを悪い面だけを報道するのは、大多数の善良者にマイナスのイメージを与えるのではと不愉快に感じます。” これは今回初めて国政調査員を勤められた柏市の藤田さん(64)の文です。
この文に特に興味を持ったのは、何も国勢調査に限らず、報道等は悪い方を大げさに書きすぎるのではないかと思うからです。NHKの受信料や国民年金でも同じです。そんなに納めない人がいるのなら自分も止めよう、となります。公務員などの対応も悪い方ばかり取り上げます。大多数の良い方のことはほとんど取り上げません。報道は批判を使命としているのかもしれませんが、それで社会が良い方に向かえばいいのですが、ボクには逆に思えます。結果的によい方に向かわねば何もなりません。 これは個人的にも同じです。何ごとも悪い方ばかり見ていては幸せになれません。ボクはこんな悪いところがあるが、こんなに良いところもある、頑張ろう、とならなければ良い結果は生みません。だからこの「話・話」は世の中こんな良い話があるのですよ、と紹介しているのです。
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(第441話) エスカレーター・エレベーター |
2005,10,30 |
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名古屋の地下鉄がエスカレーターの使用について、今年から歩かないように注意を促している。それ以後、右側を空けるのか左側を空けるのかを含めて、新聞等でその議論がかまびすしい。先日も本巣市・矢野さん(76)のそんな投稿文を見た。 “エスカレーターは本来、高齢者や身障者、妊婦などの人がは優先的に利用すべきだと思う。だから道路と異なり、追い越し用に右側を開けること自体が奇異だ。急ぐなら階段を。”(10月16日付け中日新聞)
名古屋市交通局のホームページを見ると「エスカレーターには、事故防止のために様々な安全装置が取り付けられています。エスカレーターの上を歩いたり、走ったりすると、振動、衝撃等によりこの装置が作動し、エスカレーターが急停止して、思わぬ事故につながる場合があります。また、エスカレーターの上を歩いたり、走ったりすると、他のお客様と接触し、転倒事故が起きることもあります。エスカレーターの上を歩いたり走ったりしないで、必ず手すりにつかまってご利用いただきますよう、ご協力をお願いします。」
ボクはこの論争があるまで、右側を空けるのが最近のルールと思っていた。そして、いつも空いた右側を歩いていた。しかし、この論争以来歩かないことにした。そして、よほど長い階段以外、階段を使うことにしている。
10月10日の読売新聞にエレベータについて、大阪府の野口さん(35)の投稿文があった。 “エレベーターの乗降に際して、多くの人々は先を急ぐように「閉」のボタンを押すのを見かける。自動的に閉まるまでのわずか数秒が惜しいのである。欧州などでは「閉」ボタンがないエレベーターもあるという。10数秒の損失が大勢を変えるわけではないことを認識しているからであろう。”
こうした文を読み、少し離れて見てみると、今の日本人は、滑稽なくらいに急いでいる。スローライフが叫ばれている。もう少し、自分の生活スタイルを振り返ってみたいものだ。先日福岡へ行ったらエスカレーターはだれも歩いていない、さてこの先どうなるか、興味津々だ。 ウォーキングの世界では「1、2、3、運動」が叫ばれている(このホームページの「ウォーク→ウォーク名言集」に掲載)。1駅は歩こう、2kmまでは歩こう、3階までは階段を使おう、というのである。ボクの職場は5階だがほとんど階段を使っている。
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(第440話) ウォームビズ |
2005,10,29 |
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夏のクールビズが好評だった勢いで、冬に向かってウォームビズが叫ばれている。このクールビズやウォームビズは服装の話だと思っていたが、そうではない人の文に出あってそれを紹介したい。10月15日の毎日新聞に、岡崎市の会社員・杉田さん(38)の投稿文があった。要約して書きます。 “これから始めるウォームビズについて「心」「体」「財布」の3点から述べたい。「心の温かさ」は家族や日ごろ接する人たちとの調和を心がける。「体の温かさ」は温かい食事を食べること、運動すること。「財布の温かさ」は今の時代難しいが、デフレでものの値段が下がっているので、「これがこんなに安いの?」というお得感覚を感じる。” 本当に人様々でいろいろな捉え方があるものだと感心する。このウォームビズの発想は、暖かい服を着て、暖房温度を下げることが目的である、とボクは理解している。それを服装ばかりでなく、3点から体を温かくしていこうというのである。確かに服装だけでは本当の温かさは生まれない。心も体も財布も温かいことが必要であろう。こうして自分にできる身近なところで、発想をふくらます。杉田さんは温かい人だ。 それにしても、暖房温度を上げて冬でも薄着ですますなんて風潮は、どこから、誰から始めたのであろうか。経済的に豊かでも、資源を世界からいただいてる日本として、あまりに身の程知らず、節操がない。
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(第439話) 肉体年齢 |
2005,10,28 |
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「ばかばかしい話と思って笑っていただきたい」と書きながら、美術家の横尾忠則さんが実に面白い提案をしていた。(10月14日付け中日新聞) “実年齢ではなく肉体年齢を制度化して、その年齢を正式年齢とするという制度を作っては、という提案である。例えば後1年で定年という人でも、肉体年齢で定年を引き延ばすことができる。逆に定年までまだ10年あると思っていても、肉体年齢が定年年齢を超えたら即退社しなければならない”
人間50歳、60歳になると肉体年齢の差が大きくなる。実年齢よりうんと若くみえ行動的な人、また逆の人。それだから肉体年齢で実際のいろいろな対応をしようと言うのである。団塊の世代に定年が来る2007年問題が近づいている。肉体年齢を実年齢とすれば、この問題は小さくなる。能力のある人をただ年齢だけで退職させるのは、大きな社会的損失である。 実は、横尾さんは定年で人生は終わるのではなく、本当の人生は定年後に始まると言われたいのである。そして、ボクは先日こんな方と知り合いになった。 10月14日から2泊3日で、公認ウォーキング指導者の更新研修なるものを飛騨市で受けた。そこで面白い2人の人と知り合いになった。1人は若いときから50歳になったら退職しようと決めていて、実際には52歳で退職したという今64歳の人である。人生計画をしっかり立て、そのように実行し、今はNPO法人で大活躍のようである。もう1人は、人生120年を4分割し、60歳から90歳をボランティアで、その後の30年を悠々自適で過ごしたいという人である。この方も今64歳でNPO法人で大活躍のようである。 ボクもまもなく定年であるが、就職してからはある程度敷かれたレールの上をひた走ってきた。今の時代こんな風に生きてこられたのは、恵まれたと言うことであろうが、それがまもなく終わる。これからは縛られるものも少なく、自分の進みたいように進めばいい。横尾さんが言われるように、本当の人生は定年後から始まるのかもしれない。
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(第438話) 阿吽の呼吸 |
2005,10,24 |
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中部国際空港発の電車内の出来事について、愛知県小坂井町の渡辺さん(69)の投稿文が10月14日付け朝日新聞に載っていた。 “ある駅に止まり、ドアが開くと、女子高生らは荷物を置いたまま、何ごとか叫びながら外へ飛んでいった。何かと思っていると、かなり高齢の老人が女子高生らに体を支えられて車内に入ってきた。老人は小刻みにしか歩けないようであった。老人が車内に入ってくると、近くの席にいた70歳くらいの婦人が立って席を譲った。すると対面の席にいた青年が立って婦人に席を譲った。これだけのことが、短時間に、まるで打ち合わせでもしていたかのように行われた。”
そこに居合わせた人々の微妙な気持ちや呼吸がぴったりと合う、そして行動となる、これを阿吽の呼吸というのではなかろうか。全くほほえましい風景である。こうした風景が多くなるといいのだが、投稿文になるということは珍しいからである。ボクも何かこうしたほほえましい風景を思い出せないかと考えたが、出てこない、寂しいことである。 「(第425話)若者に譲る」でも書いたが、電車の中の風景は全く面白い。平成13年6月の文章であるが、このホームページに「付録→随想・電車の中」がある。この文章を書きながら久しぶり読んでみたが、我にしてはなかなか面白く書けている。状況は今もあまり変わっていない気がする。一度読んでみてください。
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(第437話) 名づけ |
2005,10,23 |
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10月14日付けの中日新聞「大波小波」という欄の大山田さんの文からです。 “この1年の赤ちゃんの名前ベストテンが発表された。(ベネッセコーポレイション調査)。男の子は颯太、翔太、大翔、優太、翔の順、女の子は陽菜、さくら、美咲、凛、七海の順だそうである。10位まで見ても同じ傾向で、毎年のことながら異様な名づけがますますひどくなっている。日本は20年、30年後どうなっちゃうんだろうか。”
10月13日付け中日新聞に「平成15年に生まれた双子の孫の名が、男の子は颯太(そうた)、女の子は陽菜(ひな)と共に今年第1位の名である」と名古屋の主婦(62)の方の投稿文があった。
親となれば嬉しいことながら、誰もが赤ちゃんの名づけに頭を悩ますものである。そして、悩ました結果このように様々な名前になるのである。 ボクははるか昔のことながら、まず第1に考えたことは「10人のうち7〜8人は間違いなく読んでもらえること」であった。そして、悪い意味に取られない文字であることであった。画数や運勢判断には一切とらわれなかった。それは名づけの本を読んでいて「ある占い師に付けてもらった名前を、他の占い師に持っていったら必ず別の名を勧めるだろう」という文を読んで、納得した。 名前にも流行がある。大山田さんの言われるように「異様な名づけがますますひどくなっている」とまではボクは言わないが、ただ、名前は親の世代が読めればいいだけではなく、同時代に生きている高齢の人も含めて読めなければいけないと思う。きちんと読んでもらえないような名前は、子どもにとっていいとはとても思えない。 ボクは小学2年の時に正式に改名している。近くに全く同姓同名の人がいたこと、わずか16名の同学年に3人も同じ呼び方の生徒がいたことからである。 この10月14日にボクにとって3人目の孫が生まれた。娘夫婦がどんな名にするか気になったが、ボクに特に異論のある名でなくて安堵した。
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(第436話) 山粧う |
2005,10,22 |
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10月12日の日本経済新聞を見ていて「山粧う」という言葉が目に入った。何ときれいな言葉だろう、これが日本語なのだと思った。「やまよそおう」と読み、秋になって赤や黄色に美しく彩られていく山の様子を言うのである。もう俳句の世界でしか使わない言葉であろうか、川柳のボクには縁遠い。調べてみたら春の山は「山笑う」、夏の山を「山滴る」、冬は「山眠る」と言うことを知った。そして、画家の郭煕が「山水訓」の中で、 「春山淡治にして笑うが如く、夏山は蒼翠にして滴るが如し。 秋山は明浄にして粧ふが如く、冬山は惨漠として眠るが如し」 と詠ったことに由来することも知った。日本語の乱れを嘆く人や、時代と共に変わることを容認する人と人様々であるが、少なくともボクはこんな言葉が理解できるボクでいたいし、また、使いたい。
ところが、この言葉が使えるのも「緑豊かな日本」であるからである。作家の渡辺淳一さんは「日本にいると気づかないが、世界の各地から戻ってきて、日本の上空にさしかかると、何と緑の多い豊かな国だろうと、つくづく思うことがある。中東の砂漠の多い国から帰ってくると、樹木で埋め尽くされた大地が、まさに緑のじゅうたんのようにみえる」と書いている。これからの日本をよく考えて進めていきたいものだ。
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(第435話) 健康熱(その2) |
2005,10,21 |
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今度の健康熱はサプリメントの話です。キャスター・小谷真生子さんの「あすへの話題」(日本経済新聞)からです。 “20数年前、アメリカにホームステイしたとき、家庭にはサプリメントがすでに定着していた。ホストファミリーは皆小食だが毎食後、必ずサプリメントを補給していた。ビタミンC
、ビタミンE、カルシウムなどといったあたりは、まだ初級。キッチンの棚には所狭しと並べられた瓶1つ取り出しては飲み、また次の瓶に手を伸ばす。 そのころは、食事で栄養を取ればいいのにと、不思議だった。その自分がサプリメントを飲むようになるとは思わなかった。”
ボクにはサプリメントも不思議な世界だ。以前、10種類以上も飲んでいて、多いとは思うが、どれを止めたらどうなるのか分からなくて、それが不安でどれも止められないという人の話を聞いた。そう言われて何も言えない。何がそこまでそうさせたのであろうか。 栄養は楽しく、おいしく食事で取るもの。まあ、そうはいかない嫌いなものもあるだろうが、基本的にはそうだろう。ほんの少し前まで日本人そうだった。何もこんなことまでアメリカのまねをすることをないと思うのだが。ここにも少し以前の日本に戻したい要素がある。 ボクにはダイエットも不思議な世界だ。必要以上に食べ過ぎるからダイエットが必要なのだろうから、それほどまでに食べなければいいのに・・・。それこそもったいない。 こんなのんきなことをいっているボクは、何とありがたい身のことだろう。そしてこんなことをいつまで言っておられるのだろう。
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(第434話) 健康熱(その1) |
2005,10,20 |
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「(第425話)若者に譲る」でも書いたが、現代人の健康志向は強い。寿命が延びた分、老後の健康が気がかりになる。10月12日の新聞に面白い話が2話載っていたので紹介したい。面白いと思うのは私であって、気がかりなと訂正しておこう。
まず作家・西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」(中日新聞)からです。 “安代さんは夫が定年後に始めた「体にいいこと」を数えてびっくりした。ヨガ、逆立ち、ダンベル、スロートレーニング、太極拳、ウオーキングも外は歩かず、家の中で足踏みする。そして、最新の気功。 他にも顔たたき、頭もみ、足裏マッサージ、ツボ押しと忙しい。すぐにあきてしまい変えるので、安代さんもよく覚えていなかった。(中略) しかし、その時以外にはテレビを見て、ごろごろ寝るだけである。外出もしなかった。体にいいものをあれこれ食べ過ぎたせいか、太ってきた。”
「健康がすべてではないが、健康がなければすべてはない」という言葉がある。健康は重要だが健康は人間の目的ではない、何かをするための手段なのだ。健康を損ねた人には、まず第一段階として健康が目的となることはあるが。そして、周りの人に迷惑をかけたくないから健康でいたいもいいが、もう一歩積極的に、健康になって何をするかを考えていきたいものだ。そうすれば健康熱にもいっそう力が入るし、楽しいだろう。また、楽しくなければ続かない。この話が本当の話か作り話か知らないが、安代さんの夫の場合は、とくに体が悪くもないのに健康づくりが目的になっているのが問題だ。 毎朝毎晩、家の周りを健康のために歩いてみえる人が多いが、それも悪いといわないが、楽しんで歩いて、それが結果的に健康につながったという方がもっといいだろう。それを手っ取り早くさせるのがウォーキングの会にはいることである。是非お勧めしたい。ボクは「健康はウォーキングの副産物」が口癖である。
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(第433話) 星のオジイさま |
2005,10,19 |
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千葉県の主婦・林さん(69)の話であるが、朝4時頃ぐっすり寝ているのをご主人に起こされた。 “ふらつく足で庭に出てみた。すると、待ちかまえていた夫が「新聞を取りに出たら、空があんまりきれいなので、見せてあげようと思って」と、私を一番見やすい「特等席」に案内してくれた。今まで見たこともないほど、吸い込まれそうな美しい夜空。たくさんの星の間に小さな月が仲間入りして・・・・。(中略) いつも身勝手な夫しか見ていなかった私は、長年気づかずにいた「星のオジイさま」の横で、ほんのちょっぴり涙を流した。”(10月10日付け朝日新聞)
ボクはこの新聞を読んだその夜、空を見上げたら月がこうこうと輝いていた。そのまま散歩に出た。まじまじと月を眺めるのは久しぶりのことである。この時間はいつもパソコンに取られていることに気づかされた。 「スローライフ」という言葉が注目を集めてきている。スピードや効率ばかりを重視するあわただしい毎日や働き方を見直そうというものである。あまりのスピード、効率に忘れてきたもの、失ったものが多いことに気づいた人々であろう。人生をゆったりと楽しみ、生活の質を高めていきたいものだ。 といっても、日本社会はますますスピード、効率を求めている。強者弱者ははっきりし、貧富の差も大きくなっている。スローライフが許されない年代、人々もあろう。でも、ただ流されるだけではなく、時折生活を振り返る必要があるのではなかろうか・・・月も眺めながら。 「星のオジイさま」とはうまく言ったものだ。星の王子さまもびっくりしているであろう。ほんのちょっぴり涙を流したという言葉に、胸を突かれる。
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(第432話) アルバイト |
2005,10,18 |
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再び機転と思う例を紹介したい。10月9日付け中日新聞、豊田市の主婦・松下さん(60)の投稿文からです。 “長年のパート勤務を終え、退屈している私の所へ、突然「アルバイト募集」のファックスが送られてきました。 職種−オフィスビル管理(掃除)、資格−まじめに業務できる方、年齢−20歳以上80歳まで、シフト−月2回程度(実務3,4時間)、時給−1200円、という内容です。 先日独立した息子からです。私は一人でクスッと笑ってしまった。” この先を読み進めても、私は何のことかさっぱり分からなかったが、最後の箇所を読んでやっと意味が分かった。 “少しでも私のためと考えついた息子の優しい気持ちがありがたく、でもあの狭い部屋をどうやって4時間かけて掃除しようかと思いつつ、初出社を心待ちしています。” 戦後、豊かになると共に少子化してきた。そして、子どもが親から離れられない、親が子どもを放さない、そんな親子がいろいろ厄介な人間関係を起こしている。特に夫婦間をこじらすことが多い。ボクの知り合いもこれでかなりもめていた。 一人前の大人がいつまでも親に掃除をやらせていると、このアルバイトもそれと取れなくもない。それは全体を見なければ分からない。でも、ボクはこの文章を見る限り、息子さんの優しい心配りだと思う。そして見事な機転、機知だと思う。母親を安心させると共に、こづかいも渡す。親から早く離れたいだけのボクだったから、よりそう思う。
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(第431号) 王冠銀行 |
2005,10,17 |
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エコライフ、つまり環境に優しい生活は今や重要な視点である。ひのでやエコライフ研究所の鈴木靖文さんが、中日新聞に「エコライフガイド」と題して、毎週いろいろな生活の知恵を紹介されている。10月9日の新聞に面白い試みを紹介されていた。 大阪市八尾市で始められている瓶の王冠を集めようと言うものである。
“王冠をリサイクルするのが目的ではありません。王冠そのものは、金属としても量としても効率がいいリサイクルはできないでしょう。なぜやるかといえば、瓶のビールやジュースなど、再使用できる容器を使ってもらうためです。王冠を集めてきたということは、その分だけ、再使用瓶が使われた証拠になるのです。” そして、11月に王冠銀行が開設される予定だという。
「将を射んとせばまず馬を射よ」ということであろうか。なかなか面白い発想である。人間いろいろな収集癖がある。特に子どもは面白い。私の娘も小さいころ牛乳瓶のふたを一生懸命集めていた。子どもにせがまれて、親が再使用瓶のものを買う。それがエコライフにつながれば、それもなかなかいい。 愛知万博はペットボトルの持ち込みが禁止された。大いに不満な声が起こった。そして、水筒は許されることになった。それでも不満の声は収まらなかった。少し前までは、皆水筒だった。この再使用瓶も昔はそうだった。エコライフとは少し時代を逆に戻すだけのことである。
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(第430号) 一日一笑 |
2005,10,16 |
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先日「機転とユーモア」の重要性に触れ、機転の話を1つ紹介したが、今回はユーモアの話を1つ紹介したい。10月6日付け毎日新聞の、ノンフィクション作家・加藤仁が書かれている文からである。 加藤さんが94歳の元自営業者と電話で話されたことからである。 “「このごろ、あれをしなくちゃ、これをしなくちゃと思って部屋から廊下に出ると、しなくちゃならないことを忘れてしまう。いつも廊下で立ち止まってしまう。」 老いの寂しさを私に伝えたいのか。いやそうではない。元自営業者はこう続ける。「私のようなのを、どういうか知っていますか。これロウカ現象と言うんです」 狙いは私を笑わせることにあった。長寿の秘訣は、一日一楽、一日一笑にあった。”
94歳でこれだけユーモアが出てくるとは、ユーモア欠乏症の私の方がよほどロウカしている。ユーモアは一般知識がなければ出てこない。何がユーモアか分からないでは、ユーモアにならないのである。例えば、江戸時代の川柳をわれわれは理解できない。その時代の一般知識がないから、何を皮肉っているのか、何が面白いのかさっぱり分からないのである。 ボクの老化現象はもうかなりなところへ来ている。いや、もともとないのは老化といわないか。
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(第429話) 5年ごとの挑戦 |
2005,10,13 |
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「継続は力なり」・・・この言葉はボクの座右の銘といっていいだろう。このホームページの「付録→継続の秘訣」を読んでもらえば、よく分かってもらえるだろう。継続は難しいことではあるが、凡人が事をなすにはそれでも最もたやすいことである。 9月4日付け日本経済新聞で作家・佐江衆一さんのこんな文を見つけた。 “趣味も同じで、とくに中高年では男女ともに新しい夢を持つことが肝要だが、その夢を三日坊主に成らずに実現する方法を私なりに実行してきた。まず「思い立ったが吉日」で、あれこれ考えたり迷ったりせずに、恥を忍んで思い切り飛び込んでしまう。失敗もあろうが、やりながら考えたらいいのだ。そして、無理に辛抱するのではなく、気楽に楽しむ。すると必ず面白さと奥の深さが見つかり、おのずと続けられる。しかし、5年もすると新鮮さが失われるから、5年ごとに新しい夢にチャレンジしてはどうだろう。”
5年ごとに新しい夢に挑戦とは、また面白い発言だ。継続も5年という事であろうか。いや、5年は継続せよと言うことであろう。それにわれわれ中高年が今ごろ始めて、5年も継続すればそれ以上の向上は無理であろう。でも5年も継続すれば、もうそれ以上の継続は楽なことである。 それよりも5年ごとに新しい夢を見つけることの方が大変だと思う。退職して、何か始めようと思っても、見つからない人が多いのである。早く始めるに越したことはない。ボクはウォーキングを始めて間もないころ「君は若くして始められて幸せだね」とよく言われた。
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(第428話) 機転 |
2005,10,12 |
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ボクはいろいろなものを持ち合わせている幸福者であるが、その中で持ち合わせていないものに「機転とユーモア」がある。これは人間社会を生きていく上で、人間関係をスムーズにする大切な要素であるだけに、その欠落は大きなマイナス要因だ。今日はその機転の話を1つ。
10月4日付け毎日新聞に西尾市の看護師・鈴木さん(41)の投稿文があった。 “大病をされた方が、やっと退院して最初の外来診察の時、ただ病気を治してくれた喜びでお礼を差し出しました。すると主治医はそれを受け取り、まじまじと見てから反転して「じゃあ、これは僕からの快気祝いね」とほほ笑んで渡されたとのこと。あまりに自然な行動で、とても感動したと話してくれました。”
ただ「受け取れません」と断るより、どんなにか差し出した人を納得させるか。そして、感動されたからこそ人に話したくなり、また聞いた人も人に伝えたくてこうした投稿文になったのであろう。更に、それを読んだボクもこうして伝えている。良い話はどんどん伝えて欲しいものだ。この「話・話」もどんどん伝えてください。そんな輪が広がれば、ボクの努力は報われる。そしてボクはどんどん果報者になる。 「天は二物を与えず」というが、ボクには妻だけで十分だと言うのだろうか。
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(第427話) 農の風景 |
2005,10,10 |
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私は専業農家の家に生まれ、そこに住み、かなり市街化してきたといえどもまだ周りは田畑である。大半の田畑は人に作ってもらっているが、休日には少しばかりの畑仕事をしている。そんな生活環境で育ったせいか、いまだ農業や田畑に思いは深い。 戦後は第一次産業から第二次産業へ、さらに第三次産業へと変化を遂げていくわけだが、その中で農村風景も変わってきた。田畑は農産物を生み出すものとしての価値にとらえられてきた結果、その生産性の低さに住宅や工業用地への転換、さらには休耕田として放置される憂き目にあってきた。 私は建設事業に関わっているせいからか、その貯水能力に大きな価値があることを、ことある毎に話してきた。いくら川を改修し貯水施設を造っても、田畑を少し埋め立ててれば元の木阿弥である。田畑は防災施設だというのが私の主張である。
そんな思いの中、10月3日付け朝日新聞で「山下惣一の佐賀・唐津の田んぼから」を読んだ。 “この国の風土、景観を作り、維持しているのは経済評価ゼロの「農」の部分なのである。これは売買も輸入もできない。つまり、安い米は輸入できるが、ホタルが舞い、赤トンボが群れ、彼岸花が咲く環境は輸入できないと言うこと。人々が「自然」だと思って眺めているのは実は「農の風景」なのである。”
田畑、つまり農の風景は生産の施設としての価値だけではないということである。「自然」の大切さが認識され始めている。ただ規制で転換を縛るだけではなく、田畑の価値を別の目で見て保存を図る必要があるのではなかろうか。
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(第426話) お月見泥棒 |
2005,10,9 |
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私の職場では、毎日朝礼をしており、交替で話をしている。先月の中秋の名月後の話であるが、「お月見泥棒」について話した人がいる。中秋の名月には五穀豊穣を願い、各家庭でススキ、萩を立て、里芋、栗、団子などをお供えする風習は、私の知っている風習だが、このお月見泥棒は、子どもたちがそのお供えを静かにいただいて来るという風習らしい。子どもにはさぞ楽しい風習だろう。 この風習を聞いた後、9月29日付け中日新聞で三重県の伊藤さん(63)の投稿文を読んだ。まさにこの風習について記したものであった。 “車が増えた今日、子どもたちの事故の心配が絶えず、PTAで自粛しましょうと問題にもなりましたが、良い習慣であることから自粛もなく続いています。 3人の孫も大きな袋を手にして暗くなるのを待ちかねて出て行きました。心の中で車に注意するんだよ、行儀の悪いことはするな、と祈る思いで送り出しました。楽しい習慣がいつまでも続くことを祈っています。” 「行儀の悪いことはするな」という言葉に引かれた。こそっと取ってくるのだから、全部持ってきてしまうなど、悪いことはいくらでもできる。そこには、皆で分け合うなどの良識が働くだろう。そんなことが学べる場ではなかろうか。 ぼくらの子どものころには破魔矢や七夕にお菓子をもらって歩く風習があった。そこは人の触れ合いや、マナーが身につく場であった。今この役目を果たしてるものは何なのだろう。このお月見泥棒がいつまでも続くことを祈ろう。
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(第425話) 若者に譲る |
2005,10,8 |
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日本は長寿社会になって、健康志向に凄いものがある。ジムへ通ったり、サプリメントを飲んだり、ウォーキングもそのひとつであろう。これはこれで良いことではあるが、本当は生活をする中で自然にできれば、そんな必要はない。昔はそのようなことはほとんどしなかった。体を使わなくてもいいように楽にしておいて、他で補おうとする、現代社会というものは全く滑稽なものである。
9月28日付け毎日新聞に、横浜市の70歳になる会社員の方が、30分ほどの通勤時間は座らないようにしていると言いながら次のように書いている。 ”高齢者の皆さん、障害のある方は別として、空席目指してドアに走り込むような行為はやめましょう。ウォーキングに励んでいて、電車ではなぜ座らないといけないのですか。思い切って若者に席を譲るくらいの気迫を持ちましょう。その方が自分に大いにプラスなのです。” 参った、参った!この気迫には参った。電車の中で立つことは、足腰にも、バランス感覚にも非常に役に立つ。 ボクは先を争うことはないが、立っていると返って目障りだと思って、空席があれば座る。さてこれからどうするか・・・しゃがみ込んでいる若者がいたら譲ってやろうかな・・・・。
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(第424話) ストレス |
2005,10,6 |
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“生きている限りストレスはあって当たり前だ。精神的にも肉体的にも、一切のストレスがないとすれば、それは単に感性がにぶすぎているか、死んでしまったかのどちらかだろう。 鳥が空を飛ぶときに、「空気の抵抗がなければどんなに楽に飛べるだろう」と思ったとする。しかし実際に空気がなくなると鳥は飛べない。空気の質量を利用し、翼でそれをかき分け、後方へ押し出すことで上方へ体が浮かび上がるのだ。 現代は「ストレス社会」と言われて久しいが、どう想像しても「大空襲の恐怖」「戦地での緊迫感」「大飢饉時代の飢え」の方が、ストレスは大きいと思う。開き直るわけではないが、自分のできる範囲で努力し工夫し、それでもうまくいかないことは「これも人生」と受け止めてしまえば、強くなれるきっかけになるかも。”(9月27日付け朝日新聞)
漫画家・里中満智子さんの文。ストレスは深刻に受け取るか、このように当たり前と気楽に受け取れるか、受け取り方の問題だと思う。それだけにこのような文に多く接することが重要だろう。そんなにうまくいくかは分からぬが・・・・。
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(第423話) 万博の大舞台 |
2005,10,5 |
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地元で開催された21世紀最初の万博がついに閉幕しました。 私も何かの形で参加したいと考えていた昨年暮れ、岡崎、豊田、瀬戸、春日井市のアマチュアオーケーストラと合唱団でつくる「愛環音楽連盟」が万博会場のEXPOドームで音楽祭を開くことを知り、合唱で参加させていただくことにしました。今年2月から練習を重ねました。 今月13日、客席まで張り出した舞台にオーケストラが100人、その後方に合唱団500人と、全国から集まった150人がひな壇に並びました。一流の指揮者やソリスト、さらにバイオリンの千住真理子さんや歌手の五木ひろしさんと共演できる大舞台です。 目の前で見る千住さんは、魔術師のような指裁きで素晴らしい演奏をされました。五木さんも顔中汗びっしょりになって熱唱されました。 最後は、万博の成功を祝うかのような歓喜の歌「第九」の大合唱。このような舞台に立てたことは、名古屋弁で言えば「どえりゃあ」ことでした。 打ち上げでは、全国から集まった人たちのお国の紹介を聞きつつ、美酒に酔いしれました。皆さんと交友を深められたことは私の一生の財産です。”(9月27日付け朝日新聞)
名古屋市の主婦・渡辺さん(64)の投稿文です。愛知万博が終わって愛知の新聞は、その総括のような記事ばかりです。ボクも愛知万博は愛知県民に大きな財産を残したと実感しています。そのひとつは、こうした市民の参加です。ボクが参加したボランティアもそのひとつです。これを今後どのように生かしていくのか、これ次第によって万博の成果はまた大きく違ってくると思っています。ボクも第九で参加したかったな・・・。
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(第422話) 名画は名医 |
2005,10,4 |
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“広場の草むらに置き忘れてあった絵の具箱を拾って持ち帰り、古いポスターの裏に絵を描きました。山の絵です。それが私と絵画との出会いのきっかけになりました。 傍らで見ていた友人が「今日は珍しくイヤホンを掛けていないな。耳鳴りはいいのか?」と、声をかけてきました。その一言が、私を絵画に引き寄せたのです。描くのに夢中で耳鳴りを忘れていたようです。そうか、絵を描いていれば、イヤホンもいらない。耳鳴りも気にならない」 それから、私の展覧会巡りが始まり、また、参考書を探しに本屋さんへも足を運ぶようになりました。毎日がわくわくして、コローの絵をまねしたり、ミレーの模写をしたり。六十の手習いが、もう20年になります。イヤホンも忘れたし、耳鳴りも気にしない今日このごろ。私の病院は展覧会で、名画は名医です。”(9月21日付け中日新聞)
名古屋市の山口さん(82)の投稿文。絵画も素晴らしい。というより、夢中になれるものを持つと言うことが、素晴らしい結果を生むのであろう。これはまた、いくつになっても好奇心、と言うことであろうか。
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(第421話) 1リットルの涙(その2) |
2005,10,3 |
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“聴力を失い、顔面にまひが残る生活が2年になります。健康なときは、人間は年を重ねると、誰でも少しずつ障害を持つようになると、人ごとのように考えていました。現実に音のない生活を毎日送る厳しさに悲しく落ち込み、悶々として月日だけが過ぎていきました。 そんな時、難病の少女の闘病記の本「1リットルの涙」に出合いました。読みながら自分が恥ずかしく、居ても立ってもいられない気持ちにさせられました。
彼女が言う「耳が聞こえないのは不自由なだけ」の言葉に勇気づけられ、20年以上続けたボランティアの老人ホームのお手伝いを、また始めることができました。 今は、前以上に充実して仕事ができ、うれしく幸せをかみしめています。社会とのつながりを持ち、残り少ない人生を前向きで有意義に送りたいと思っています。 お盆に帰省した孫に本を持たせました。読んで何かを感じとってくれたら、と思っています。”(9月21日付け毎日新聞)
福岡市の主婦・鶴田さん(71)の投稿文です。「1リットルの涙(その1)」は昨年8月27日の第43話です。このように受け取られ、行動される鶴田さんも立派な方だが、本は大変な影響を与えるものだと言うことを、つくづく感じます。
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(第420話) 悲しい前進 |
2005,10,2 |
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“今から何年か前、大型ショッピングセンターでクジラの見せ物があった。大きな会場に入ると、柵がしてあり、真ん中にクジラの水槽が地面に置いてあった。その中をクジラが泳いでいた。 水槽の中のクジラは、すごい速さで前進していた。身幅より少し大きいくらいの水槽では、飛んだり跳ねたりはできない。ひたすら前進するだけである。前進すると言うことは、円形なので、同じ所を、ただぐるぐる回るだけである。 私は見ていてだんだん悲しくなった。いくら前進しても、同じ所をぐるぐる回るだけで、進んでいることにはならない。風景も変わらない、珊瑚もない、魚も泳いでいない。ただ自分だけが、泳いでいる。親もいなければ、仲間もいない。潮鳴りも聞こえない。ただひたすら、朝から夜まで前進しているのだ。同じ所を。 そしてまた、次の会場へと、トラックで運ばれるのだ。クジラやイルカは、頭が良いという。仲間が恋しく、帰りたくて帰りたくて、前進をしていたのかもしれない。”(9月18日付け中日新聞)
作家の三宅雅子さんの文。人間の話ではないといえ、考えてしまうな。人間にもこのようなことはないだろうか・・・・ただ食べるために、前進ではない前進をしていることは・・・。
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(第419話) お金ではない |
2005,10,1 |
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“カー用品店「イエローハット」の創業者は自発的に街のゴミを拾っている話を読んだ。私も毎朝、毎晩、ゴミ拾いを続けている。「お金にもならないのに・・・・。ばかね」と言われるのだが、最近は「こんなこと、バカでなきゃできません。一人くらい、こんなバカがいてもいいでしょ」と言えるくらいまでになった。 私のわがままなただ働きを、黙って見守ってくれている主人と息子に、それから「いつもご苦労さま」と言って声をかけてくださる心優しい方々に感謝をし、何年も続けてこられたことを本当にありがたいと思っている。 さあ、明日の朝も、元気に楽しく掃除に行くゾ。お金ではない、何かのために。”(9月17日付け毎日新聞)
東京都の主婦・鳴島さん(55)の投稿文。我々の行動の多くは楽しんでしていないから、お金のためになってしまう。本当に楽しんでする行動は、お金のためではない。多分、鳴島さんはゴミ拾いが、町がきれいになることが楽しくて仕方がないのだ。 ボクももう10年以上前になるが、出勤前に空き缶拾いを1年ほどやったことがあるが、何の苦でもなかったな。また時間ができたら再開したいな。
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