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第17号  2005年9


(第418話) プラス思考 2005,9,30
 “   信号が青ならラッキー 赤なれば一服できてこれもまたよし
 普段、車を使わない私は、よく自転車で出かけます。交差点で信号が青なら「小さな幸せ」と思いながら渡り、赤の時は「小休止できてよかった」と思うようにしています。
 車を運転される方からは「そんな悠長なこと言っていられるか」と反論されるかもしれませんが、どんなに焦っても時間がたたなければ、信号は赤から青に変わりません。
 世の中には、自分の思い通りにならないことがたくさんあります。それをマイナスとして受け取らず、プラス思考で受け止めれば、明るい毎日を過ごすことができるのではないでしょうか。”(9月17日付け中日新聞)

 一宮市の高橋さん(69)の投稿文。本当に人生このように行きたいものだ。この程度の時間を惜しまねばならぬほど、密度の濃い日々なのか・・・????。

(第417話) 91歳作家デビュー 2005,9,29
 “「いつかは小説を書いて出版してみたい」。長年抱いていた夢を91歳の女性が実現させた。東京都の星野花子さん。初めて書いた小説3編が来月出版されることになった。星野さんは「90歳を過ぎても夢はかなうということを、同世代の人に知ってもらい、元気を出してもらえたら」と話している。
 東京都出身で、高等小学校卒業後、百貨店に勤め、26歳で結婚。娘2人を育てた。
 星野さんは50年近く前から、身の回りで起こった出来事を随想に書き始めた。昨春、版元の新風舎が主催する文学賞を知り、「小説に挑戦するいいきっかけ」と応募を思い立った。
 居間の机の上に原稿用紙を広げ、ボールペンで調子のいいときは1日約10枚を書き進んだ。登場人物にモデルはなく、「空想で書いているうち、自然と結末が思い浮かんできた」という。
 作品は選から漏れたものの、同社のプロデューサーの目にとまった。「ちょっとミステリアスだが、あったかい内容。軽快なテンポで、とても高齢者の書いた文章とは思えなかった。感覚が若い」と話すプロデューサーの勧めで、出版が実現した。”(9月17日付け毎日新聞)

 小説を書くというだけで敬服するが、そんな小説で91歳デビューとは、ただただ驚きである。夢は持ち続ければかなえられるというが・・・それにしてもだ、星野さんにただ敬服。人間って素晴らしい!

(第416話) セントレアで余生 2005,9,28
 “愛・地球博(愛知万博)アメリカ館は14日、展示しているライト兄弟のグライダーの実物大複製品を、閉幕後に中部国際空港(セントレア・愛知県常滑市)に寄贈すると正式発表した。閉幕後の今月27日から、同空港の4階スカイタウンの天井からつり下げて展示する。この複製品は、ライト兄弟が1902年に製作した単尾翼式グライダーを忠実に再現した。木製で翼長約10m、重さ約50kg。パイロットが操縦できる歴史上初の飛行機だという。米国の歴史家でライト兄弟に詳しいリック・ヤング氏が万博のために作った。
 この日の寄贈式では、リサ・ゲーブル米政府代表が「グライダーは友好の象徴。万博後も名古屋に来るたびに出迎えてくれることを楽しみにしている」と語った。空港会社の平野社長は「私たちもライト兄弟のチャレンジ精神で、今後も邁進したい」と話した。”(9月15日付け中日新聞)

 今こんなニュースが盛んに流れている。「サツキとメイの家」はそのままそこに残されることになった。このように多くのものが愛知県内に記念として残るであろう。ボクはこのことまでまだ頭になかったが、考えてみれば当然である。万博テーマの持続的発展がこんな形でもあった。

(第415話) 最後の手紙 2005,9,27
 “夫婦2人で少しでも長い間、身近に暮らすのが一番の幸せと、肺ガンの末期症状が現れてきても、そう思って頑張ってきました。
 とはいえ、だんだんと呼吸はしにくくなり、タン発作で咳き込む苦しさはたとえようもありません。毎日、往診してくださる先生の注射も早々効果は続いてくれません。
 私が家にいての長病みは、父さんに世話をかけて負担がかかり、持病の高血圧、狭心症、動脈瘤にもしものことがあっては、父さんも体を壊してしまいます。幾度も迷いましたが、病院行きを決心しました。
 病院へ行く決心をして、やっとこの手紙を書き上げました。父さん、分かりにくい字があるかもしれませんが、清書して女の気持ちに送ってみてください。
 人生の終わりが見えているところでの悲しみは、こらえようもありません。それでも、その悲しみを背負ってゆかなければならないのですね。みんなそうして旅立っていったのですから。”(9月15日付け毎日新聞)

 春日井市の鈴木さん(79)の「女の気持ち」への投稿文であるが、多分、この文の通り、ご主人が清書されて投稿されたのであろう。ボクには見事な夫婦愛、覚悟に何も言うことはできません。

(第414話) 生き生きと働く 2005,9,26
 “自宅近くの交差点で立体化工事が進められている。朝から太陽が照りつけ、日陰もなく、ほこりの舞う工事現場。そこに「おはようございます」と元気な声が響く。
 声の主は、工事現場で通行人らの誘導にあたっている20歳くらいの女性だ。彼女が働き始めたときはまだ涼しい季節だった。色白でまん丸な顔をしていたが、夏になり、彼女の顔は日焼けしてたくましくなった。
 決して楽な仕事ではない。彼女は歩行者を誘導して、交差点を走り回る。みんなが無事に渡り終わると、ホッとしたような笑顔を見せる。
 ある日、灼熱の交差点の片隅に、パラソルが立った。「日陰ができたね」と声をかけると、彼女は「やっと立ててもらいました。うれしいです」とリンゴのような顔をほころばせた。
 やりたいことが見つからないから、ニートになるという若者が増えているという。まず生きていくために働いてみてはどうか。どんな仕事でも、生き生きと働く姿は、周りを元気にしてくれる。それだけで素晴らしい。工事現場の彼女にそう教えられた気がする。”(9月14日付け読売新聞)

 茨城県守谷市の高橋さん(53)の投稿文。最近こうした現場に若い女性の姿をよく見るようになった。本当にきつい仕事だが、人命に関わるのでなよなよなどとやっておられない。やりたいことが見つからないから、やらないのではなく、やりながら考えてみたらと思う。また、いくら考えてもやってみなければ本当のことは分からない。

(第413話) 空白の7年 2005,9,25
 “家族に見せたい写真があり、押し入れに眠っていた10数冊のアルバムを久しぶりに引っ張り出した。
 あれ? 一番新しいアルバムが途中から何も張っていない。そうだ。7年ほど前、新聞で、亡くなった人のアルバムがゴミ置き場に捨てられていたという記事を読み、私のアルバムも将来邪魔になるのではと思い、思い出は頭の中だけにしまっておこうと決めたのだった。
 撮影が好きだった私だが、それ以来、カメラを持つのをやめてしまっていた。
 今、古い写真を見て何と心が浮き浮きすることか。途中でストップしているアルバムが何とも寂しい。”(9月13日付け読売新聞)

 上越市の猪俣さん(57)の投稿文。このHPの「付録→私の宝物」を読んでいただくと分かるが、ボクには大変な量の、一般に言うゴミがある。まだやめられそうにないし、そこまで考える気もない。替わりにこの処理についても遺言しておこう。

(第412話) シルバー川柳 2005,9,22
 “「年だもの最後だわねとまたハワイ」(福岡県、54歳女性)。全国有料老人ホーム協会(東京)は12日、敬老の日に向けて募集した第5回「シルバー川柳」の入選作品20句を発表した。
 応募数は約1万2000句。年を取るごとにたくましく活発になる女性と悲哀を漂わせる男性など「女高男低」の傾向は例年通り。高齢社会への関心の高まりからか、40歳未満の若者、中年層からの応募が増えたという。
 ほかの入選作は「忘れえぬ人はいるけど名を忘れ」(愛知県、66歳男性)など。社会問題化しているリフォーム詐欺に例えて、きれいにならないことを嘆く「化粧品リフォーム詐欺と妻は言う」(神奈川県、61歳男性)と世相を反映した句もあった。
 最近多かった年金やお金に関する句が減り「容姿、しぐさ」「恋、色気」などを題材とした句が増えており、同協会は「踊り場を脱したといわれる経済を反映して、生活に余裕が出てきたのかもしれない」と分析している。”(9月13日付け中日新聞)

 第217話でサラリーマン川柳を紹介したが、今回はシルバー川柳である。いろいろな趣向が催されているものだ。それだけ川柳は取りつきやすいのだ。それにしても大変な投句数と、活躍はここでも女性だ。少しくらい川柳連れ連れ草に分けてくれないかな・・・。

(第411話) とうふ 2005,9,21
 “資源回収の当番が回ってきたので回収場所に出かけると、数人が立ち働く中、一人のおばあさんが腰掛けていた。おばあさんも当番の一人だったが、暑さと年齢に誰かが心遣いをしたのだろう。
 「今日はわしは『とうふ』にしてもらった」とくしゃくしゃの顔で笑った。「とうふ」・・・久しく聞かなかった言葉に、懐かしさがこみ上げてきた。
 幼いころ、鬼ごっこやかくれんぼをして遊ぶとき、年下の子がいるとその子をとうふにした。とうふになった子は、捕まったり最初に見つかったりしても鬼にはならなくてもいい。小さいから一緒に遊べない、力が弱いから仲間に入れないのではなく、少し配慮をして仲間の輪の中に入れていた。
 誰に教えられたわけでもなかったと思うが、遊びの中で自然とそんなルールを覚えていった。なぜ、「とうふ」という名前になったのか分からないが、この辺りでは、ずっと昔から子どもたちの間で伝わってきた言葉なのだ。懐かしく優しい気持ちで、心がじんわりと満たされた夏の朝だった。”(9月13日付け中日新聞)

 常滑市の小学校教諭・谷川さん(33)の投稿文。平等をいうばかりに、現代社会に欠けてきたのは、まさしくこの優しさではなかろうか。昨日掲載の文と共に考えてみなければならない。

(第410話) 学力低下問題 2005,9,20
 “私の新刊の話をしたい。この本は、私の学力低下問題に対する最終報告書というべきものである。私はこの連載の中でも、社会における教育の常識がいかに危ういものかを指摘したが、これらをまとめて書いたものだ。
 分析を誤れば、対策が対策にならない。ひどいときには、逆効果にしかならない。ここ近年の教育の流れは、そのひとつの典型であった。学習量を増やすべきかどうか、暗記と思考力の学習関係はどうか、議論はつきない。しかし、私はこうした議論をしても、学力向上にはすぐにはつながってこないと感じている。なぜなら、こうした学習方法の善し悪しが学力低下問題の核心ではないと分析しているからだ。
 学力低下問題は、実は学校問題と理解されているように思うが、私は社会全体の問題だと考えている。そして、学校は時代に応じてもっと変わるべきだと言われているが、逆に学校は社会の変化に対応しきらなかったから、むしろ学力低下がこの程度で済んでいると思う。”(9月13日付け中日新聞)

 尾道市土堂小学校・陰山校長の文である。陰山校長の文は至るところで読んでいる。ボクに教育について論じる知識はないが、社会問題だという主張に同感して紹介した。学校だけをいじって解決する問題とはとても終えない。子どもの成長にとって、ボクらの貧しかった時代より格段に不向きになっている。社会も家庭も大いに正さねば向上はない。

(第409話) 死生観 2005,9,19
 “「尊厳死ざっくばらん」という演題に引かれて山形市で開催された日本尊厳死協会東北支部大会に初めて参加した。講演は日本尊厳死協会評議員、朝日俊彦氏。人の生き死をかくも楽しく語る医師がいることに心躍った。
 私は乳ガンの末期、麻薬の鎮痛剤を服用して生きている身だ。なるべく質のいい命で生きたいので緩和ケアを受けている。しかし、世の中は、頑張れ、という前向き論のみが肯定されがちである。医師も再発した患者に治療を続けることが多い。患者は抗ガン剤で疲れ果てる。質のいい命で生きたいという意志が明確でなければ医師は緩和ケアをすることはできない。
 患者よ、自分の死生観をもって、その医師を明確に医師に伝え、クオリティー・オブ・ライフの向上(質のいい命)を実現せよ。「笑って大往生」しようというメッセージを大会は熱烈に放っていた。”(9月9日付け毎日新聞)

 山形市の画家・後藤さん(64)の投稿文である。死は必ず訪れるものなのに、その時になるまで意外に無頓着である。その時が分からないからであろうか。還暦を機会に、いろいろけじめをつけておこうと思っている。今遺言書を検討しているが、死生観も検討しなければいけないか・・・・忙しいな・・・。

(第408話) 朝風呂 2005,9,18
 “私は毎日朝風呂にはいる。ぬるめの湯で30分、長ければ1時間くらいかけて、ゆっくりと入ることが多い。あわただしい朝にゆっくりと風呂に入るというのは、ずいぶん贅沢な趣味だと思われるかもしれない。
 会社を経営していると、日々いろいろな案件について意志決定をしなければならない。重要な案件ほど、まとまった時間を取って集中しないと、なかなか考えがまとまらないものだ。しかし、日々忙しい中では、そんな時間は取れないことが多い。そこで、朝風呂に入って心身をリラックスした状態におき、今日一日何をやるか、何を決断すべきか、などを考える時間にしているのだ。
 良い仕事をするには、個性を発揮して、自分の想いを強くもって取り組むことが大切だと思う。しかし、そうして真剣に取り組んでいると、ついつい自分の考えにのめり込んでしまい、冷静、客観的な判断ができなくなってしまうことがある。そんな時は、いったん冷静になって、リラックスした状態で考え直してみるのが大切なことである。”(9月8日付け中日新聞)

 以前も紹介した中埜・ミツカングループ本社社長の話である。社長ともなると、本当に大変な判断を迫られるであろう。その時一定の手法をもっていることは重要なことだろう。ボクなどが朝風呂といえば、それこそ贅沢な極みだ。でも、一度くらい自宅でしてみたいものだ、そんな重要な案件を持つ身ではないが・・・・。

(第407話) 砂漠のバラ 2005,9,15
 “遠い昔のこと。小学校入学を間近に控えたある日、叔父さんから祝いの文具をいただきました。その中に下敷きが一枚ありました。セルロイドでできていて、色は空色、下段に一本の椰子の木とターバンを巻いた男の人がらくだを引いている絵がありました。初めて目にする砂漠の国の風景でした。
 なぜか、その下敷きが気に入って大切に使いました。地理の時間にサハラのことを学び、唱歌の時間に「月の砂漠」を習いました。私には、訪ねることのできない遠い国です。
 それが、先日、思いもかけず砂漠の土に触れ、サハラの石を手にすることができました。万博長久手会場のパビリオンで見た砂漠の砂は、思い描いていたより美しいものでした。
 様々な色合いの石の中から、紅い花を思わせるものを記念に求めました。そして、庭に咲いたピンクのバラを一輪、その「砂漠のバラ」に添えました。朝夕眺めては至福の一時を味わっています。万博さんありがとう。”(9月7日付け中日新聞)

 豊田市の主婦・梅村さん(75)の投稿文。新聞には、毎日のように万博に対する意見が載っています。いろいろな人にいろいろな思い出を残して、まもなく愛知万博は終わります。紆余曲折の多い万博であったが、ボクもありがとうと言いたい。

(第406話) リンゴの唄 2005,9,14
 “学童集団疎開先から両親の疎開先の村に引き取られて8月15日の敗戦を迎えるまで、天皇陛下のために兵隊さんになって戦死するのだと教えられて軍国少年だった私は、教科書に墨を塗りながら子供心に深い不信感を抱いた。「大人なんか二度と信じるものか」と。私のような墨塗り教科書世代がもつ社会への不信感は、このときからのものであろう。
 しかし、戦争から平和へと、廃墟から立ちあがった日本人は、何と逞しく生きたことか。その秋から大ヒットした並木路子の明るいメロディーの「リンゴの唄」は、老若男女のすべてを力づけ、明日に希望を持たせた。
      赤いリンゴに唇よせて
      だまってみている青い空
 サトウハチロー作詩、万城目正作曲のこの歌を、私は秋祭りの舞台で友達と歌い、復員した叔父とも歌ったが、焼け跡のバラックにも闇市にも明るく流れていた。そのころのことを私は『リンゴの唄、僕らの出発』(講談社文庫)という小説に書いたが、あの時が戦争に生き残った日本人の再出発だったのだ。
 以来60年、あの歌を歌った人々の多くが死に、年老いた。しかし、廃墟からの出発を忘れてはなるまい。”(9月6日付け日本経済新聞)

 作家・佐江衆一さんの文。歌には時代を反映し、人それぞれに忘れられない思い出がある。ボクは自分の結婚式で、突然歌を歌えといわれて、とっさにこの『リンゴの唄』を歌った。なぜこの歌だったのか、今もって分からない。

(第405話) 奇抜な名前 2005,9,13
 “「男前豆腐」「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」。奇抜な名前の豆腐が、百貨店やスーパーの売り場で人気を集めている。1丁300円を超える高価格にもかかわらず、今年夏に発売した百貨店では1日当たり通常の5倍も売れたという。仕掛けたのは伊藤さん(37)だ。
 「とにかく食べて欲しかった」。インパクトを重視する戦略は、伊藤さんの切実な思いから生まれた。いくらおいしい豆腐を作っても、手にとってもらえなければ仕方がない。だから思い切り目立つしかない。
 「男前豆腐」は豆腐を不織布でくるみ、容器の底に水を切る仕切りを作った。水もしたたるいい男というのが名前の由来だが、水を自然に切ることで濃厚な味わいが実現した。機械で作っていた製造工程の一部を手作業に戻すなど「あくまで味は本物志向」と胸を張る。”(9月5日付け日本経済新聞)

 中身が良くても受けなければ、受けても中身が良くなくては、商売とは、人生とは難しいものである。そうは言っても、まずは中身であろう。中身が良くて、受けなければそれだけのことであるが、中身が無くて受ければ、それこそ人生が狂う。

(第404話) 夏の思い出 2005,9,12
 “娘の夏休みに合わせて実家に帰った。とても暑い日だったので、仕事が休みだった父が5歳の娘を、「プールに行こう」と誘った。行き先は近くの市民プール。(懐かしいな・・・)20年前、私も父に連れられ何度も通ったプールだ。夏の記憶がよみがえった・・・。
 自営業で共働きだった両親は、私たちが夏休みだからと言っても、毎日働いていた。そんな中、よく父が仕事の合間に私と姉をプールに連れて行ってくれた。1時間ほど遊び、プールの前にある駄菓子屋でかき氷を買ってもらった。それを近くの公園や、帰りの車で食べた。わずかな時間だったが、父と行くプールが本当に楽しかった。
 そんなことを思い出していると、娘がプールから帰ってきた。片手にかき氷を持ってうれしそうだ。20年前の私の夏の記憶の一コマと重なった。背が高く運動神経抜群の父は、私の自慢の父だった。そして今は、娘にとっても自慢のおじいちゃんに違いない。ありがとう、お父さん。”(9月5日付け中日新聞)

 春日市の主婦・石井さん(29)の投稿文。温かい家族関係を感じる、こういうのを幸せというのだろう。ボクはこういう思い出を娘に与えたろうか、聞いてみなければ分からない。先日孫を連れてウォーキングに出かけ、ソフトクリームを買ってやった。うれしそうだった。

(第403話) 一回だけの経験 2005,9,11
 “夏が終わった。海や山、見知らぬ街。思い出に残る様々な体験があったのではなかろうか。
 人間の脳は一生変化し続ける。繰り返し体験することも大切であるが、時には、たった一回の体験が忘れがたい刻印を残すことがあるのだ。他人がふと漏らした言葉が心に響いて忘れられないこともある。偶然目にした風景や手にした本、街角の光景など、記憶のシステムに強烈な刻印を残す体験との出会いは、人生のいたるところに待っている。
 一回だけの体験が、人生を変えてしまうこともある。それがいつどこで訪れるか分からないからこそ、この限りある生は一瞬一瞬が大切になるのである。”(9月1日付け日本経済新聞)

 脳科学者・茂木健一郎さんの文。結婚、仕事、趣味・・・一回の体験、一瞬の出会いで決まった人も多かろう。「誰にもチャンスは訪れる。ただ、それを興味を持って対応するか、何となく見過ごすかの違いだ」。これはボクの持論である。茂木さんのこの文も共通点があると、嬉しく思って紹介。

(第402話) 玄関先で 2005,9,10
 “男は他人の家の玄関など、ずずっと一直線に通るものである。周囲なんぞは見回さない。何も言わないし途中で立ち止まらない。
 ところが女はどうだ。門と玄関の間がたとえ1.5mでも、目に入るものすべて見てほめたたえる。花、植木、ポスト、犬小屋、地べたをはっているミミズの顔までほめる。
 やっと玄関に入ると、これまたひと騒動である。「あらあ、すてきなジャガイモの絵。額もどうのこうの」「スリッパの形と柄がなんじゃらもんじゃら」などと、庭と玄関先だけでも30分以上会話を楽しみ、やっと室内にはいる。
 つやつやと元気な唇を飛び出し、交差して炸裂する心地よい言葉と、にこやかで穏やかでたおやかな笑顔の相乗効果で、女の会合は幸せいっぱいだ。
 大したもんだ、平和だし、利口だよなと、茂樹さんは感心する。”(8月31日付け中日新聞

 夫婦のための定年塾主宰の西田小夜子さんの文。時間に追われて仕事をしてきた現役時代から、時間の有り余る定年後へ。ここからは主婦に学ぶことばかりである。男はいつまでも勉強だ。

(第401話) 二葉館の偶然 2005,9,9
 “文化のみち二葉館の名称は公募で、林董一さん(城山三郎さんの義弟)を含む数人の審査員で決めました。現在の場所に移転するまでは東二葉町にあって「二葉御殿」と呼ばれていたので、その「二葉」を生かすとともに、「文化のみち」の拠点施設ということで、2つを一体化した名称に定まったようです。また、「二葉」には将来的に大きく育つように、との思いも込められています。
 開館の日が2月8日だったのは、別段「ふたば」にかけたわけではなく、偶然でした。第一、開館の日程が決まったときには、名称は未定でしたから。
 「二葉」は松の異称でもあります。松の葉は2本で1つ。常緑で枯れるまで色の変化はありません。そこから男女の相思相愛の象徴でもある。まさに貞奴と桃介の住んだ屋敷にふさわしい名称だと言えそうです。”(8月31日付け毎日新聞)

 文化のみち二葉館・西尾副館長の文である。いささかローカルな話題で恐縮であるが、「(第205話)川上貞奴」の続編として読んでください。地名と言えば何のおもしろみもないが、こうして説明されるとその偶然が面白く紹介した。松が相思相愛の象徴というのもいい。

(第400話) クールビズ 2005,9,8
 “久々の東京出張で霞ヶ関の様子がこれまでと少し違っているのを感じた。ボタンダウンや開襟シャツなどノーネクタイ姿が増えており、街が少し明るくなった気がした。
 政府が提唱するこのクールビズは一部の業界から批判もあるようだが、「暑い夏は軽装で」というのは当たり前のこと。軽装でありながら相手に不快感を与えないようなファッションを心がけることが大事だろう。温暖化対策や省エネ効果もあるが、日本のイメージを明るくするための軽装運動という視点も大事ではないかと思う。
 日本中どこへ行っても男性はスーツ姿というのはいかにも個性がない。この時期の沖縄は、カラフルなシャツ「かりゆしウエア」が大半だ。「かりゆし」とは沖縄の方言で、めでたいとか縁起がよいという意味だが、県内で製造された沖縄らしいデザインの衣類の総称として「かりゆしウエア」と呼んでいる。5年前のサミット開催で各国首脳が「かりゆしウエア」を着用したことで一気に広まった。
 日本は優れた観光資源を持っているが、加えて地域性溢れるファッションの魅力が加われば外国に向けてのアピール度も増す。クールビズで服装は涼しく、発想は熱くいきたい。”(8月31日付け朝日新聞)

 沖縄県職員・下地さんの投稿文。クールビズも、当初はかなり批判的な文が多かったが、だんだん浸透し、今では好意的な文が多い気がする。「(第319話)ノータイ革命」でも書いたように、ボクは当初から大賛成。女性がこれ程自由な服装をしているのに、何で男性がこんな堅苦しい服装をしなければならないのか、それもどぶねずみ色一色で、不平等だ。

(第399話) 恩愛の皮財布 2005,9,7
 “夫の翌朝の着替えを用意して、1日がどうにか終わる。いつも着替えの上に茶色の革財布を載せておくのだが、色がはげるほど古くなっているのに気がついた。夫が父親からもらって36年も大切にしてきた革財布は、父子の恩愛の絆を物語っているようだ。
 親族の話では、夫は12歳で母を亡くした。43歳だった父親は再婚もせずに5人の子どもたちを育て、大変苦労していた。そのうち、「家を建てて長男に嫁を迎えたら隠居をしたい」と望むようになった。
 協力を頼まれた夫は、高校への進学をあきらめ就職した。11年後には念願の家が建った。そして私と結婚。私は、結婚10日後、義父から「小遣いを入れて(夫に)渡してやって」と、真新しい革財布と夫の給料袋を預かった。私は家計を任されたと実感して、うれしかった。
 晩年の2年間、義父は寝たきりで暮らしたが、夫に介護されるときはにこにこしていた。もうすぐ夫は64歳。新しい革財布をプレゼントしたら、古い方を大切にしまっておこう。”(8月30日付け朝日新聞)

 桑名市の主婦・稲見さん(62)の投稿文。今回は父子の恩愛、優しい息子の心温まる話である。ボクに父の形見はあるか・・・・ある、ある!農作業に使っているものはすべて父の形見だ。父は農業が好きだったし、上手だった。付近の人に親切に教えておいてくれたおかげで、その人たちに今自分が優しくしてもらっている。

(第398話) 不安 2005,9,6
 “50代の主婦。息子2人は他県でそれぞれのお嫁さんの実家の近くに住んでいます。年に数回は帰ってきます。
 このごろ、老後について考えるようになりました。自分と夫の両親をみとったり、介護したりしてきて、自分たちのことも考えてしまうのです。夫と私が老いてどちらか一人になったときのことです。入院してあれこれ持ってきて欲しいと思っても、家で具合が悪くなっても、息子たちはすぐには来られないでしょう。また、私には親しい友だちもいないので、1日中誰とも話さないこともあるでしょう。
 娘でもいればなあ、と思います。せめて、息子たちが近くにいれば。先々の不安は募るばかりです。”(8月29日付け読売新聞)

 人生相談の文です。これに対して作家の立松和平さんは「不安のない人生なんてそもそもありません。今の時代で、あなたの境遇は恵まれていると、私は思いますよ」と答えている。こんな悩みを聞くと、本当に人間は不安を探してでも身につける動物だと思ってしまう。
 もちろんボクもありますよ・・・・先日まともに蜂に刺され、医者に駆け込みました。今度刺されたら、ショック死するのではないか・・・・不安です。

(第397話) ストイックな時代 2005,9,5
 “ぼくは高校野球があまり好きじゃなかった。あのどことなくストイックな精神主義についていけないところがあった。負けたからって泣くことはないじゃないですか。責任なんて背負う必要もないんだから。
 ところが今年からぼくはちょっと角度を変えて観ることにした。すると面白くって。プロ野球では珍プレイとしか思えないようなミスの連発に、緊張が解けてドット笑い転げてしまうのだった。選手一人一人は必死である。人生にも同じような側面がある。一生懸命になり過ぎてずっこける人生とよく似ている。何でもあんまりストイックになり過ぎると心の豊かさを忘れて反対方向を向いてしまうことがある。
 家庭、学校、職場、そして政治や社会の現場でも現代はどこかストイックな時代に向かいつつあるように思う。ストイックの一番危険な部分は「遊び」の心を失ったところだ。「遊び」のない生き方は心にゆとりがなく、ピリピリしていて知らず知らずストイックな人間を作ってしまう。
 高校野球は大勢の応援を背に地元の代表として出場しているので、何が何でも勝ちたいという気持ちはよくわかる。だからといって何もストイックになることはない。大いにミスを連発してわれわれを楽しませ、笑わせてもらいたい。笑いは生活に活力を与える。彼らにとっては挫折かもしれないが、挫折を恐れることはない。挫折の経験のない人生なんて大して役に立たない。負けてもめそめそしないで堂々と胸を張って帰っていけばいい。”(8月26日付け中日新聞)

 美術家・横尾忠則さんの文。昨日に続いて高校野球の話題である。かなり省略したが、まだ長い文になってしまった。確かにストイックになってしまったところに、暗い部分ができてしまう気がする。ご飯を3杯食べる規則になっているところを、2杯しか食べなかったから殴ったなどという話にいたっては、何の話かとあきれ果てる。

(第396話) 甲子園の風 2005,9,4
 “連覇した駒大苫小牧の不祥事など、暗い話題が影を落とした全国高校野球選手権大会。さわやかな旋風を巻き起こしたのは、創部50年目で初出場を果たした長崎県代表の清峰だった。
 強豪私学が有力選手を全国からかき集める「野球留学」が当たり前の時代。無名の県立校はベンチ入り全員が長崎県出身。かつて炭坑で栄え、過疎化で悩む人口約14000人の佐々町からやってきた。部費は年間15万円。2年前まで打撃マシンさえなかった。4年前に就任した吉田洸二監督が粘り強く選手を指導。モットーは「野球選手である前に立派な人間になる」。相手に失礼になると、試合中でのガッツポーズを禁じた。
 野球エリートではない彼らが愛工大名電や済美を破る快挙を成し遂げた。3回戦で大阪桐蔭に破れたが、「最高の思い出」と口をそろえた選手たち。一陣の風のように夢舞台を後にした。”(8月26日付け中日新聞)

 今回の高校野球は様々ことが記事となって流れた。比較的無関心なボクもその実態を少しは知った。あまりに美化し、騒ぎ立てるのであらぬ方向に進んでいる気がする。高校生活の一部の野球なのに。

(第395話) 病人の自助努力 2005,9,3
 “スイスでは、病気になるのに許可がいるかと思われるくらいに予防の自助努力をしている。医者には保険が利くが、歯科は100%自己負担。そのためにチーズ、干し肉と硬いものばかり食べさせられる。
 病院は人件費が80%もかかる。専門家が多くいるからだ。ジーンズにダイヤのピアスの看護師や、アラン・ドロンばりの黄色シャツの調理師、シルベスタ・スタローンのような理学療法士など、楽しく元気にさせるテクニックを持った人々が山ほどいる。手先訓練も「あら、できましたね」とさっと積み木を崩すのではなく、刺繍や陶芸など達成感を高めている。
 病人も自助努力を強いられる。ベッドの頭からトライアングルのようなものがつり下がっていて、それにつかまって患者は起きる。「勝手にやって」と言う発想だ。このトライアングルはホスピスでさえ、つけられている。元気でないと病気にもなれない国、スイス。ナースコールを渡され、「いつでも呼んでください」と病人になった気にさせる国、日本。さて将来はどうか。”(8月26日付け毎日新聞)

 日医大・高柳和江助教授の話。医療費が増え続ける日本の医療には、こんなところにも問題があるのかもしれない。病は自分で治すもの、努力、努力、自助努力だ。

(第394話) 皆勤賞 2005,9,2
 “実家の母は10月で満96歳になりますが、とても健康で喜んでいます。お盆で里へ帰ったときのことです。テレビで総選挙が近くあると流れています。すると母が、「戦後、選挙権を得てから一度も棄権したことがない」と。私は「本当に。60年もでしょう。すごいねっ。皆勤賞がそのうちいただけるかも」と驚きました。
 母は話し出しました。「格別政治に関心があるわけでもないので、新聞やテレビから教わっているだけ。でも投票した方が当選されるとうれしいね」
 一番の思い出は、16年前に私が足首を複雑骨折して入院したときだったそうです。母は泊まり込みで家事をしてくれました。その日は朝から激しい雨。「今回は無理かな、仕方がない」。でも落ち着きません。それを察した夫が車で投票所へ。豊明から名古屋市まで40分くらいかけての一票でした。
 律儀な母らしいと、思いました。この先何度投票所へ出かけられるか分かりませんが、歩けるうちは一票を投じたいと話していました。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県豊明市の主婦・八木さん(65)の投稿文。投票率は下がる一方、国民の権利も行使せずに不平不満、要求もなかろう。今まさに選挙戦の真っ最中、棄権は許されない。

(第393話) 成人した子は下宿人 2005,9,1
 “成人した子どもには、自分の収入の範囲で生活できるようになってもらいたいもの。金融機関に就職した長男と同居しているAさんは、毎月8万円を長男に払わせている。交通の便が良く、6畳の個室と広く快適な居間や洗面所を使わせているのだから、これくらいの額は当然と涼しい顔。さらに、仕事で着るスーツのクリーニング代などは実費を請求している。
 成人した子どもを親元に一緒に住まわせるのなら、子ども自身の生活費は本人に払わせる。そして、食事の支度や選択、部屋の掃除も子どもの分は子ども自身にさせよう。直接お金を出してやらなくても、家事という現物支給をしてしまえば、それはお金を与えているのと同じだからだ。就職した子どもが仕事の忙しさを理由に家事を頼んできたら、面倒をみる代わりに親の労働分を払わせてもいい。
 親は「成人した子どもは下宿人」くらいに考えた方がいい。住宅購入時など、ここぞというときには援助してやってもよいのだろうが。”(8月25日付け中日新聞)

 ファイナンシャル・プランナー菅原直子さんの「お金の話」からである。(第380話)のついでに紹介した。全くしかりである、と言いながら我が家もできていない。妻が甘いのがいけない。「(第119話)ゴムひも娘」に近い状態になっている。


悠澪 > 91歳作家デビュー:高齢だからと隠居生活を送るのではなく、夢を持ち続け挑戦する、すばらしいパワーですね。同世代の人だけではなく若い人々にも勇気を与えることでしょう。 (2005/09/30 22:12:01)
ともちん > セントレアで余生:万博へは2回行きましたが、両日とも大混雑でパビリオンに一つも入れない日もありました。このライト兄弟の飛行機のように今後も見る機会が出来た事は嬉しい事です。今日、マンモスも帰国へ向けて準備中だというニュースをみました。改めて万博は貴重な体験だったのだなと思いました。ひとつ心残りは「大地の塔」に入れなかった事です。何時間も待てばみれたと思いますが、私の性格では無理です。早朝から並ばれる方々は凄いなと思いました。 (2005/09/28 21:00:12)
悠澪 > 最後の手紙:病による苦しさや、死を目前にした悲しみ・恐怖に耐えながらも、ご主人のことを心配されて、すごい精神力だと思います。 (2005/09/28 20:58:26)
ハイブリッジ > 最後の手紙 : この記事を見て、小生はいささかのんき過ぎると感じた次第。自己満足のためにAJWに固執している。まあ年内に目処が付くので、来年からは家庭サービス割合を大幅に増加させよう。 (2005/09/27 20:40:37)
悠澪 > 生き生きと働く:ニートになる若者は本気でやりたいことを探しているのでしょうか。情報過多で目移りしてやりたいことが見つからないということもあるでしょうが、親に甘えているのでは。生活が出来なければそんなことは言っていられないはず、親はいつまでも健在ではないのですから…。 (2005/09/27 19:32:54)
ともちん > 生き生きと働く:ニートなんて誰が名づけたのだろう?討論番組でニートと呼ばれる人の話を聞いていると、日本の未来は暗いな〜と思ってしまう。いろいろ社会に文句を言う前に、働いてみるべきだと思う。 (2005/09/27 07:58:42)
悠澪 > 空白の7年:大切にしていた物や思い出の品を無造作に捨てられるのは寂しいことですが、かといって、味気ない人生を送るのはそれ以上に寂しいことです。死んだ後のことなど考えずに今を充実して生きることが大切だと思います。 (2005/09/26 22:07:56)
ともちん > 空白の7年:写真をゴミに出すなんて信じられませんね。写真はその人の歴史だと思います。今の時代はデジカメで撮ってパソコンに保存できるから便利ですね。 (2005/09/25 23:51:28)
悠澪 > シルバー川柳:川柳は場所を選ばない、お金もかからない、道具も要らない、手軽な趣味です。しかも、身の回りの出来事や季節の移り変わり・言葉選びに気を配るので、認知症予防になるのではと思います。 (2005/09/23 20:28:18)
悠澪 > とうふ:近所の子どもたちが集まって遊んでいる光景もあまり見かけなくなりましたし、家庭でも一人っ子が増えて、小さな子・弱い立場の子の面倒を見たりかばったりする体験ができにくい時代になったと思います。近所の幼稚園では、クラスを縦割りにして大きな子に小さな子の面倒を見るように指導しています。小学校でも春の歓迎遠足では6年生が1年生の手を引いて、1年生に合わせた歩調で行きますが、これらの経験が思いやりある人に育ててくれるといいのですが・・・ まだまだ経験不足だと思います。 (2005/09/22 22:20:24)
悠澪 > 学力低下問題:勉強嫌いだった私がこの問題に意見を言う資格などありませんが、学習量を増やすことよりいかに好奇心を持たせるかではないでしょうか。家の中にばかりいて、学校と塾通いだけでは好奇心は育たないと思います。“よく遊びよく学べ”という言葉があったように思いますが、遊びの中から好奇心は育つような気がしますし、外で遊ぶことはストレス解消にもつながると思います。が、遊ぶ場所が少なくなりましたね。自然に触れようと思えば遠くまで出かけなければなりません。今の子どもたちはかわいそうです。 (2005/09/21 22:05:47)
悠澪 > 死生観:今のところ癌ではないので言えるのかもしれませんが、ひどい痛みや抗癌剤の副作用に耐え苦しみながら数ヶ月や数年生きながらえるよりも、質のいい命で残された人生を人間らしく生きたいです。 (2005/09/20 20:47:23)
悠澪 > 朝風呂:大会社の社長ともなるとワンマンというイメージがありますが、自分の考えにのめり込まないようにするなんて立派だと思います。人の目には贅沢に見えたり、暢気に見える行いも、その人には考えがあってのこと、人の行いを見て他人がとやかく言うべきじゃないのだと思いました。 (2005/09/20 20:43:32)
ハイブリッジ > 学力低下問題 : 小生は本件を論じるレベルに無い。下4文字を見て、「話・話」に参加する機会が極端に低下しており、由々しき問題であると感じた次第。小生の事由は、あちこちに手を出し過ぎて落ち着かない日々が続いていることであるが、これも見方によれば言い訳である。集中して一つ一つこなすことが一つのカギであると考えているが、暫くはご容赦を・・・(甘えている、これでは向上しない?)。 (2005/09/20 20:12:53)
修行ランナー > 朝風呂:朝風呂はよく入るが、そんなに長くはない。私の場合は早朝ランニングの後で汗を流すのが目的だが、その間ランニング計画などを練るのが、結構楽しいし、次の意欲が沸いて来て長続きしている。 (2005/09/20 07:10:58)
ともちん > 砂漠のバラ:万博会場は混んでいますが、飛行機で遠くの国にわざわざ行く事を思えば列に並ぶのも我慢できそうですね。やはり自分の憧れの国のパビリオンが期待を裏切らない物である事を望みます。 (2005/09/16 16:37:25)
ともちん > リンゴの唄:人にはいくつかの想い出の唄があると思います。結婚して二人の思い出の唄になり、その後家族の思い出の唄になっていくのでしょうか。ジャンル問わず色々な音楽に触れたいと思います。 (2005/09/16 16:33:06)
悠澪 > リンゴの唄:唄には人を励ましたり、慰めたり、夢を持たせる力があると思います。私は、寂しい時や辛いことがあったとき、それを乗り切るためによく歌いますが、歌うと気持ちが晴れてきます。ちなみに、『リンゴの唄』は結婚式にぴったりだと思いますよ。たぶん4番の歌詞だと思いますが、“歌いましょうか リンゴの唄を 二人で歌えばなお楽し 皆で歌えばなおなお楽し リンゴの気持ちを伝えよう リンゴかわいや かわいやリンゴ” (2005/09/15 22:40:32)
悠澪 > 奇抜な名前:経営者や製造者は、景気の目覚しい回復のない中、生き残りをかけてあの手この手の戦略を練っているのです。美味しい物をできるだけ安く、しかも、利益も得ないといけない。従業員から見れば、自分たちを働かせて胡坐をかいているようにしか見えないかもしれませんが、事業を維持していくことは本当に大変なことです。 (2005/09/14 22:53:06)
ともちん > 奇抜な名前:ネーミングは大切です。普通のパンでも「○○牧場のふんわりみるくパン」というネーミングに惹かれて買ってしまいますから。人間もそうですが、中身が本物でないと一度で飽きられますから、日々精進しなくてはなりません。 (2005/09/14 16:00:47)
ともちん > 夏の思い出:夏休みは海や山に良く連れて行ってもらいました。家族で高校野球を観るのも好きでした。でも学校のプールや宿題も多く大変だった気がします。きっと愛知万博も子供たちの大切な夏の思い出になるのでしょうね。 (2005/09/14 15:52:19)
悠澪 > 夏の思い出:娘たちが子供の頃は、市営プールをはじめプラネタリウムやキャラクターショーなど、よく連れて行ったものですが、娘たちの心にどれくらい残っているでしょうか。投稿文を読んで私のほうが懐かしく思い出しました。 (2005/09/13 22:49:50)
ともちん > 一回だけの経験:自分に特別な思いを与えた経験はどんな事でも鮮明に覚えているものです。そして事あるごとに思い出すことが出来ます。その思いが善にしても悪にしても貴重な体験です。 (2005/09/12 09:19:41)
ともちん > 玄関先で:褒められて嫌な気がする人はいません。相手を幸せにするお世辞は良いと思います。女性は小さな事から話題を作るのが得意ですね。 (2005/09/12 09:16:32)
悠澪 > 一回だけの経験:小学校1年の時の友人宅の床の間にお琴が立てかけてありました。お琴を弾いているところを見たことはありませんし、その音色も聞いたことはなかったのですが、幼心にあこがれていたのでしょう。18歳の春通学路で“筝曲教えます”の看板を見かけたときは反射的にその家の玄関に飛び込んでいました。引越しのため15年ほど前に止めましたが。好奇心を働かせていればこれからもまだまだ心惹かれるものに出会うのですね。 (2005/09/11 21:13:23)
悠澪 > 玄関先で:おしゃべりの苦手な私は話し上手な人を羨ましく思います。何をそんなに話すことがあるのだろうと感心します。いい歳をしてお恥ずかしいのですが、私も社交性を身に着けるべく勉強・勉強です。 (2005/09/11 20:42:13)
修行ランナー > クールビズ:自分は夏が来れば自分で判断し、気ままにネクタイをはずして今で言うクールビズを先取りしてきた。大体わが国は高温多湿で夏のスーツ姿は暑苦しい。万博では外国人スタッフとよく会話を楽しんだが、一様にこの蒸し暑さに閉口していたようだ。日本古来の羽織袴を復活したいくらいだ。 (2005/09/09 22:51:30)
悠澪 > クールビズ:私も反対ではありませんでしたが、当初は慣れないせいでしょう違和感がありました。着用している本人たちも落ち着かなかったのではないでしょうか。でも人間は慣れるのですよね。何事も最初は批判され、その内慣れへ、こうして少しずつ非常識が常識になり、長い年月をかけて世の中が変わっていくのでしょう。 (2005/09/09 21:52:34)
ともちん > クールビズ:男性は普段スーツでお洒落する機会になかなか恵まれていません。クールビズを取り入れてもっと夏のお洒落を楽しんで欲しいです。でも旦那様方の服装で奥さまのセンスやご主人についての気遣いも判断できるので、女性も気が抜けません。 (2005/09/09 10:23:35)
悠澪 > 恩愛の皮財布:この茶色い色あせた皮財布は、投稿者にとってもお義父様のよい形見になることでしょう。私には父の形見はありませんが、強いてあげれば私自身でしょうか。父のようにはなりたくないと思っていたのに、気がつけば、考え方や食べ物の好みが似ていることに気付き、一人苦笑いです。 (2005/09/08 22:50:01)
悠澪 > 不安:核家族時代になって、60代前後の主婦は舅・姑に仕えた最後の世代で、自分は嫁に見てもらえない損な世代だと前々から思っていました。 夫は、三人の娘の内誰か一人くらいは一緒に暮らしてくれるだろうと期待しているようですが、私はあてにしていません。そのかわり当然、娘たちに何もしてあげません(財力がないだけですが)。老後は設備の整った老人ホームにでも入所できたらと、貯蓄したいのですがなかなか・・・ どうなることでしょう。なるようになると暢気に構えています。 (2005/09/07 22:17:35)
ともちん > 不安:寺さん、蜂に刺されたそうですが大丈夫ですか?不安は人それぞれあるものです。ああなったらどうしよう‥といつも悩んでいるものです。 (2005/09/07 14:53:20)
悠澪 > ストイックな時代:高校野球に於いては、確かにそんな感じがします。脇目も振らず(かどうかわかりませんが)練習に明け暮れた結果、張り詰めた糸が切れて暴力行為や喫煙などといった、してはならないことをしてしまう選手が現れるのかもしれません。学校側も有名校にしたくてスポーツ奨学金で良い選手を集め、練習の設備を整え、プレッシャーを与えてストイックな気分に追い込んでいるような気がします。 (2005/09/06 23:24:13)
ともちん > ストイックな時代:私は高校野球のストイックな所に魅力を感じます。後が無いから頑張る高校野球児の一生懸命さに何度胸を打たれたことか‥。負けても正々堂々と帰って来てという気持ちは同感ですが、ミスやエラーを笑う気にはなれません。 (2005/09/06 08:08:04)
修行ランナー > 甲子園の風:数十年来の高校野球ファンです。勝利至上主義に重きを置くためか、野球留学につながっていると思います。高校野球はその県の代表であるから県出身者で出場するのが望ましい。毎年出場校一覧の週刊誌を求めて見ると大阪府代表校が各県に散らばって出場しいる大会もしばしば見受けられ、高校野球ファンとしては実に不愉快である。高野連も何か手を打たねばなるまい。甲子園大会も公立と私学の二部制を導入すべきだとの意見もある。清峰が活躍したのは天佑である。 (2005/09/06 08:01:07)
ハイブリッジ > 甲子園の風 ストイックな時代 : 小生が高校生の時、わが母校は甲子園に出場した。春の大会だったが結構いいところまで戦った。応援で必死だった。そのころは純粋でこのようなことは何も無かった。強いて言えば、隣の県からの「寄留」は一部に見られた。これは野球だけでなく学力向上のためにも利用されていたが弊害になるようなところは無かった。それが徐々に拡大されたのが現在の姿か?・・・・。 (2005/09/06 07:56:47)
悠澪 > 甲子園の風:甲子園の常連校はどうか知りませんが、野球留学なるものはほんの一部だと思います。甲子園出場校ばかりが騒がれますが、甲子園を夢見て日々練習を重ね、それでも、甲子園どころか地方大会の決勝戦にも進めないチームのほうが圧倒的に多いということを忘れてはならないと思います。開会式の高野連の会長の挨拶だったか?「勝って驕らず、負けて悔いなし」のことばを選手たちは忘れないでほしいです。 (2005/09/04 22:20:05)
ともちん > 甲子園の風:有名校にする為に、生徒に野球留学をさせて強い野球部を作るのが日常化してしいます。最近、毎年出場する高校が同じような気がしてつまらないと思いつつ、高校野球を観ていると何か胸の熱くなるのを感じます。 (2005/09/04 20:12:01)
修行ランナー > 病人の自助努力:日頃感じていることを活字で突きつけられた気持ちです。これからは病人が増える一方で、これを介護する人の割合が減少することは明らか。自ら努力して自助できないと大変だろう。健康管理の出来ないものには手を差し伸べることがおろそかになるだろうと憂いている。 (2005/09/04 18:31:23)
悠澪 > 病人の自助努力:なるほど〜ッ! 少子高齢化で、看護師不足はこれからもっと深刻になりそうです。自助努力は必要不可欠ですね。 (2005/09/03 22:29:50)
ハイブリッジ > 皆勤賞 : 小生も自慢ではないが棄権はしてない。それには「不在者投票」の活用が欠かせなかった(単身赴任とか仕事の関係で)。平成15年12月から施工された「選挙期日前投票制度」は、投票期間が長くなりかつ手続きが簡単になったので更に活用されていると思う。今回の選挙日、小生は不在なのでこの制度を利用する。 (2005/09/03 08:54:45)
ともちん > 皆勤賞:転勤族だとその土地の政治家に詳しくないので投票の時には困ります。普段から地道な活動をされている方に投票したいとは思います。 (2005/09/03 07:47:43)
ともちん > 恥多し:笑い飛ばせれば恥をかくことも良いのですが‥。でも意外に周りの人にはそういう部分が魅力に映っているかもしれません。 (2005/09/03 07:45:04)
ともちん > ストーンウォーク:平和の為にすべき事‥選挙に行く事もそれにあたると思います。それにしても郵政民営化では案が否決されたのに、自衛隊のイラク派遣ではすんなり案が通ったというのが不思議でなりません。その時に国民に問うて欲しかったです。 (2005/09/03 07:40:38)
悠澪 > 皆勤賞:ほんとにすごいですね。父はよく、「納税と投票は国民の義務」と言っていましたが、誰に投じてよいか決らない時はつい棄権しがちです。見習わなければ。 (2005/09/02 22:14:24)
ハイブリッジ > 成人した子は下宿人 : この記事を見たとき我家もダメでした。このご家族が子供を独り立ちさせるためにしっかりした対応をとられているとていると、拍手を送りました。この下宿代は、多分、別立てで貯金してしかるべきときに還元されるのだと思います。 (2005/09/02 19:53:04)
悠澪 > 成人した子は下宿人:同感です。が、できていません。部屋の掃除まではしていませんが、食事(お弁当も)の支度・洗濯はしてやっています。食費だけは5万円入れさせていますが、「友達のなかで私が一番多いんよ」とぶうぶう言ってます。 (2005/09/01 22:19:29)
悠澪 > 恥多し:この歳になるまでにどれほどの恥をかいたでしょう。何事も気にする質なので、恥をかくたびにひどく落ち込んで立ち直るのに時間がかかります。とは言っても、けっこうほとんどは忘れてしまってるんですよね。あと何年、35年以上、40年以上、生きるかわかりませんが、恥をかき続けるのかと思うと「ハァーッ!」 (2005/09/01 21:53:43)


川柳&ウォーク