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第16号  2005年8月


(第392話) 恥多し 2005,8,31
 “    『富めば則ち事多く、寿ければ則ち辱多し』
  (とめばすなわちことおおく、いのちながければすなわちはじおおし)

 『徒然草』には随所に『荘子』からの影響が現れている。そのことは、すでに江戸時代からささやかれていた。たとえば『徒然草』第7段の「命長ければ恥多し」の典拠とされるのが、この『荘子』の言葉。金持ちになれば、なった分だけ、面倒な事件に巻き込まれることが多くなる。長生きをすれば、した分だけ、恥ずかしい思いもする”(8月24日付け中日新聞)

 大野出氏の「荘子の言葉」からである。ほとんどの人は毎日健康に気をかけながら、働き続けている。それは、一言で言えば、富んで、長生きしたいからである。そこから抜け出す必要はないが、この荘子の言葉を意識しておく必要はあるだろう。
 ああ、それにしてもグラウンドワーク東海・前理事長の57歳の死はいくら何でも早い、あの人こそ恥多くなるまで生きていて欲しかった。(8月25日逝去)

(第391話) ストーンウォーク 2005,8,30
 “長崎から広島まで石を運ぶんだという孫を「この暑い日に物好きだね」と娘と笑いあった。まもなくそれがストーンウォークといって戦争やテロで亡くなった人たちを追悼し、平和を願い碑石を引いて行進する崇高な行為だったと知った。
 碑石が近くまで来た日、参加されている日系アメリカ人のヨーコ・カワシマ・ワトキンスさん一家4人を家に泊めるため孫が連れてきた。ヨーコさんは70歳を過ぎ、田舎の素朴なおばさんという感じの方だった。
 ヨーコさんは、終戦直前に朝鮮から日本に帰国し、広島に入った。そこで地獄を見た。真っ黒に焼けた子ども抱いた母親から水を求められたが、水はなかった。「その時、私はこの人たちの死を無駄にしないためにいつか何かしようと思ったの」と言われた。
 米国人と結婚して米国に渡られた。朝鮮での体験に基づく彼女の著書は米国で数々の賞を取り、教科書にも載っているという。
 行動を共にする息子さん、2人のお孫さんにも心打たれた。戦争をするブッシュは嫌い。追随する日本政府も嫌いと断ずるヨーコさん。さあ私も平和のため行動しよう。”(8月23日付け朝日新聞)

 山口県の藤村さん(78)の投稿文である。平和のためにいろいろな行動がある。戦争の悲惨さを味わった高齢な方は、その思いが一層強いだろう。これからは知識でしか知らない、いや、知識でも知らない世代が増えてくる。どう受け継がれていくのだろう。

(第390話) ソニーの忘れ物 2005,8,29
 “経営者には2つの才能が要求される。ディレクター(製作者)とプロデューサー(管理者)である。
 映画がわかりやすい。巨匠・名監督は採算を度外視して「良い作品」を撮りたがる。ただし興行成績はミーハー度が決めるから良心作必ずしもヒットするとは言えぬ。いくら細部に凝っても見落とされればそれまでだ。それをチェックするのがプロデューサーである。予算統制の権限がある。資本主義では収入を上回るコストは許されない。が、なんでもケチケチしろと言うのではなく「現場の要求」がどこまで可能か、ギリギリの線を示してやる。嫌な役割だが誰かがやらなければ。
 天才でなければ一身で二才能は備えられない。歴史のないベンチャーではとくに分業が必要だ。ソニーでいえば井深大がディレクター、盛田昭夫がプロデューサーだ。ただし、創業から半世紀以上も立つと連結で従業員15万人の大企業である。ディレクターよりプロデューサーの要素が強くなる。フツーの会社なのだ。
 バブル末期、ゲーム機がソニーの収益の大半を稼ぎ出した。「ネズミを捕るネコ」は何色でもよいが、技術者の流出が目立ち始めたのはこのころだ。”(8月23日付け毎日新聞)

 「小説・盛田昭夫学校」を読んでいたこともあって、ソニーについて関心がある。最近のソニーは苦しいようである。インドなど躍進著しい国では、ソニーは参考にならないとまでいわれているようだ。会にしろ会社にしろ経営は難しい。

(第389話) 三惚れ 2005,8,28
 “生前、父は酒が入ると「人間は三惚れで生きなきゃあかん」と、ろれつの回らぬ説教口調でよくしゃべっていた。父のいう「三惚れ」とは、人(女房)、土地(家・地域)、仕事だそうです。
 脳梗塞で倒れ、スープをエプロンにこぼしながらも不自由な手で最後の一滴まで必死に口に運ぶその姿は、戦時中、南方で銃弾を受け、戦艦が撃沈されても漂流して生き延びた父が、「生きる」ということはどういうことかを私に教えてくれているかのようでした。
 私の前では決して弱音を吐かず、威厳を保ち続けた父でしたが、昭和天皇が逝去されたときと、孫の結婚式の写真を見たときは、号泣したそうです。”(8月23日付け中日新聞)

 昨年12月、82歳のお父さんを亡くされた高野さん(54)の思い出話。この三惚れをすれば確かに幸せだ。高野さんのお父さんは、まさに昔の親父の姿であるが、三惚れに「女房」を入れられるところは、一味違う。語る息子も語られる親父も素晴らしい。

(第388話) 好きなこと 2005,8,27
 “「好きなこと」に励めば、長続きするし、苦を苦とも感じず、かなりなまでにその道を究めることができる。定年が間近に迫った人たちを前にしてこう私が語ると、問いかけられた。どうすれば「好きなこと」が見つかるのかと。35年以上も会社の看板を背負い、自分を押し殺すようにして働き続けてくると、自分の「好きなこと」が何だったのか、分からなくなってしまうらしい。
 私はこれまで取材してきた数多くの定年退職者を思い浮かべて、こう答えた。十代のころ、自分があこがれたことに挑んでみるのはどうでしょうか、と。
 画家志望だった、外交史を学びたかった、海外留学がしたかった・・・・等々を定年後に実現させている事例を上げて私は説明した。
 なかには、白紙の状態から「好きなこと」を見つけようと心に決め、次々趣味の教室に通った元女性公務員もいる。気がつくと趣味の数は50を超えていたという。趣味のハシゴが、この女性にとっては「好きなこと」になったのである。”(8月18日付け毎日新聞)

 以前にも紹介したノンフィクション作家・加藤仁氏の文からである。確かに自分のことながら、好きなことと言ってもわからなくなっている。熱意も違っている。紹介された方法は、一つの手法であろう。何をやってもいいのに、何をやっていいのか分からない、それでも生きていかねばならない、人間とは何と厄介なものか。

(第387話) 父 2005,8,26
 “明日は3年前になくなった父の誕生日である。
 父についてまず思い浮かべるのは、本当に厳しい人だったと言うことである。物心ついたときから言葉遣いやモノの見方、金銭感覚など厳しくしつけられた。
 入社後も相変わらず厳しかった。同居なのに社宅より高い家賃を要求されたこともあった。若いころで家計も火の車、たまらず「それなら社宅に引っ越す」と言うと、さすがに下げてくれたが、それでも社宅と同じ家賃を支払った。私を育てるためだったろうが、若いころは反発する気持ちの方が強かった。しかし、今ではこうした父の厳しさがあったからこそ成長できたと心から感謝している。
 そんな父だったが、反面、人情味のある父でもあった。今でもはっきりと心に残っているのは私の結婚式での父の挨拶だった。いつもは饒舌でスピーチも大の得意な父が、この時だけは様子が違った。マイクの前に立ったが、一言「ウー」と唸っただけで終わってしまったのだ。感極まって何も話すことができない普段と違う父の姿が、とても印象に残っている。”(8月18日付け中日新聞)

中埜又左エ門和英氏の話である。ミツカン酢と言えば、多くの方がご存じであろうが、和英氏はそのミツカングループ本社社長で中埜家8代目当主である。名門だけにそのしつけも厳しかったのであろう。それができなければ3代目でつぶれるのである。
 つい最近、「情熱の気風・・・鈴渓義塾と知多偉人伝」(二宮隆雄著)という本を借りて読んだ。今年開港した中部国際空港で賑わう愛知県常滑市に、溝口幹という人が塾長を務めた「鈴渓義塾」があり、その塾にまつわる人々を紹介した本である。トヨタの石田退三、ソニーの盛田昭夫、敷島パンの盛田善平、東京電力の平岩外四らと共に、この中埜家が紹介されていた。

(第386話) ひとりばえ 2005,8,25
 “農作業が大好きで、畑をこよなく愛した夫が体調を崩し、入院しました。ほったらかしにされた畑では、草が伸び放題になってしまいました。
 そんな草の中に、「ひとりばえ」で育った冬瓜がころころできているのを見つけ、びっくりしました。数えてみたら、大小合わせて10個もありました。
 こんな大きな冬瓜は、何軒かで分けて食べようと思います。時節柄、このごろは冬瓜のレシピが目につきます。友だちと情報交換したり、インターネットで検索したりして、いろいろなおいしい冬瓜料理に挑戦したいと思います。”(8月17日付け朝日新聞)

 ボクは自宅で食べる野菜の多くを種をまき、苗を植えて作っているが、ただ冬瓜だけは「ひとばえに」に任せている。今年も生えてくれるだろうかと心配するが、毎年期待を裏切ることなく、同じ場所に生えてくれる。この性質、根性はどこに蓄えられているのだろうか、昔の人間にもあったと思うのだが、今の社会で見つけるのは難しい。

(第385話) 祭りの後 2005,8,24
 “祭りの後、宴の後・・・といえば「ゴミの山」がイメージされる。先月あった碧南市の夏の市民まつり「元気ッス!へきなん」では、そんな固定観念が吹っ飛んだ。翌朝、会場周辺を歩いてみるとゴミのかけらもない清潔な街がそこにあった。
 まつり会場の市役所周辺には約100軒の出店が並んだ。夜は相踊りがあり、45000人が繰り出した。
 市民ボランティア環境部会が設置され、50人のメンバーが相踊り終了と同時にゴミ集めをスタート。総踊りに参加した市民グループ約150連にも受け付け時にゴミ袋が手渡され協力した。露天商組合の人たちも翌朝、周辺でゴミを拾った。売り主責任を果たそうと、空になったアルミ缶やペットボトルは1個20円で引き取り「ゴミ化」を防いだ。地元信用組合は各支店から職員70人を動員し、翌朝1時間のゴミ拾いにいそしんだ。集まったゴミは、全体で410kgもあった。”(8月17日付け中日新聞)

 これはこれで立派であるが、ゴミを捨てる人がいなければ、こんな活動も必要がない。こうした活動のあかつきに、ゴミを捨てる人が無くなることを期待したい。万博会場では、道端にぽいぽいゴミを捨てている人でも捨てていないと思う。それは、きれいで捨てられないのだ。

(第384話) 中心軸 2005,8,23
 “昔からタカ派的行動で知られる某政治家がテレビで自分の考えを披瀝した際、こう前置きした。「おれは右でも左でもない人間だけどね・・・・」視聴者の誰もが、自分の耳を疑った。もちろん、おじさんも驚き、若者言葉でつぶやいた。「ありえねー」
 しかし、考えてみると、たいていの人間は「自分は右でも左でもない」と思っているのだ。普遍、中立的、かつ公平で、だから「正しい」。自分の考えこそがこの世の中の中心軸になりうる、と思いこんでいる。
 だいたい、今の世の中で、左右を分かつ中心軸はいったいどこにあるのだろうか。「昔も今も、そんなものはない。単なる気分に過ぎないのさ」とおじさんの友人は断言した。”(8月14日付け中日新聞)

 飛鳥圭介の「おじさん図鑑」からである。右か左かは知らないが、発言するからには、誰もが正しいと思ってしている。肝腎は、相手の発言も冷静に聞くことであるが、自分は正しいと思っているだけに、それが難しい、要注意である。

(第383話) 太平洋ひとりぼっち 2005,8,22
 “23歳の堀江謙一青年が一人乗りのヨットで太平洋横断に成功し、サンフランシスコ湾に入ってきたのは、43年前の今日1962年8月12日のことである。日本の無名の一青年が、太平洋を一人で渡ってきたということで、こうした冒険の大好きなアメリカ人は大騒ぎになったらしい。一方日本での反応はパッとしなかった。「なぜこんな無謀なことを!」といった否定的な受け止め方がほとんどだった。
 その年の暮れ、『太平洋ひとりぼっち』という堀江青年の日記・手記が出版された。高校を卒業したころにはすでに「いつかは太平洋をわたったる」と心に決めていたという。周囲の大人たちはみんな不安がった。しかし彼は断固実行したのだ。彼の心の中に、できるだろうかという不安はなかったという。すべて考え抜き準備した、必ず成功する。そう信じていたらしい。
 私は青春とはこれだと思う。やりたいことを「ぼくは必ずやる」と決断する。できなかったらなどとは考えない。そうしたある意味で無謀な青年のチャレンジが、人類の歴史をきり拓いてきたのだ。”(8月12日付け日本経済新聞)

 積水化学工業・大久保社長の文である。青春とは、愚かにして果敢なり。そのエネルギーを喪失したものを老年という。

(第382話) 女は損 2005,8,21
 “18歳の学生です。私は女に生まれて損ばかりしてきたと思います。
 男には生理がないけど、女には生理がある。男は立ちションができるけれど、女にはできない。男は夏の暑い時期、家の中だったら、パンツ一丁で過ごすことも可能だけど、女はたとえ家の中でもきちんとした服を着ていなければならない。男はあぐらをかいても平気でいられるけど、女はきちんと正座していなければならない。
 男は自分で子供を産まなくていいから、楽して子どもを残せるけど、女は妊娠、出産をして、大変な思いをしなければ、子どもを残せない。
 このように男は得なことだらけ、女は損なことだらけだ。”(8月10日付け読売新聞)

 全くだ、女は損なことだらけだ。しかし、ボクは端的にかつ総合的に言って「人生寿命が短い人より、長い人の方が絶対得だ」と思う、それがたとえ苦しくても。現にどんな状況になっても誰も死にたいと言わないのだ。女は男より平均寿命で6歳以上も長生きだ。ボクの母親は3人姉妹だが、連れ合いの方はいずれももう20年以上に亡くなった。絶対女が得だから「細かなことをそんなに言わないで」と言うのがボクの持論だ。

(第381話) 私を泊める(その2) 2005,8,20
 “あれは今から約40年前の夏のことである。大学1年の夏休みに友人と2人、富士五湖めざして自転車旅行を敢行した。泊まるところは学校やお寺さんをもくろんだ。予定はほとんど立たないので、もちろん事前にお願いなどはしてない。夕方になるとめぼしいところを見つけて、いきなり頼み込むのである。全く身勝手な行為である。
 出発して2日目であった。小学校へ頼み込む。校長先生が応対されて「教育委員会からそのような人を泊めてはいけないと言われている」とけんもほろろである。それを見ていた他の先生が「我が家へいらっしゃい。ただし、私は今夜宿直だし、妻は実家に帰っているので2人だけで泊まってもらいます」と言われる。
 近くの家に案内してもらう。今会ったばかりの人の家に、家人は誰もいず、他人だけが過ごすのである。「布団など自由に使ってください」と言われるが使えるものではない。自分たちの持ってきた毛布にくるまって寝る。
 学生証を預けたというものの、こんな行為はちょっとやそっとでできることではない。”

 これはボク自身の思い出である。(第379話)よりすごい話であろう。こんな厚意を受けてきたボクなのだ。この恩に報いてきたのだろうか。

(第380話) 民の力 2005,8,19
 “愛知県犬山市に「ももっぴ通信」と言う子育て関連ニュースレターを出している育児支援グループがある。従来は、市の保険センターなどに出かけると置いてあって、結構な数のお母さんに地域密着のニュースソースとして、かねてから重宝がられてきた。
 ただ、これでは流通に限界があったのだけれど最近、そこに救世主が現れた。市内に8つある新聞の販売店が、配達する折り込みチラシの中へ含めることを、自主的に申し出てきたのだ。それどころか印刷まで協力してくれるのだという。
 むろん飛躍的に多くの市民の目にとまるようになったのは、言うまでもない。そして今回の件で注目すべきなのは、公的機関が介することなく、ことが進んだという点だろう。お役所仕事は当てにできない。頼るべきは「民の力」。民間の力だけでやるしかないと、覚悟を決めるように迫られている。”(8月10日付け中日新聞)

 中立、公平を要求されるお役所に、いろいろ頼るのは難しい。我が町は、この政策を重点に置くと言って、特定の団体を支援できればいいが、それでは他の団体が黙っていない。役所も市民団体やNPOに期待していると思うので、支援にもう一工夫をお願いしながらも、民の力を期待したい。

(第379話) 私を泊める 2005,8,18
 “電車が奈良駅を出てまもなく、向かい側に座っている若い女性から「今日はどこに泊まりますか」と声をかけられた。桜井駅の駅舎で寝ようと思うと答えると、女性は自分の家に泊まらないかと言ってくれた。リュックを背負う私を見て声をかけたのは、女性自身が旅行好きだからだろう。私は好意に甘えた。
 家の人は、ごく普通のことのように夕食や風呂をもてなしてくれた。私は、駅舎のベンチとは段違いの布団で眠ることができた。翌朝、家の人は私のためにおにぎりを作ってくれた。
 今では考えられないが、その女性には電車の中で旅行者に声をかけることが、自然だったのだろう。コンビニも携帯もない40年ほど前の出来事だ。物質的に豊かとは言えないが、人と人が自然につきあえる心の豊かさ、本当の豊かさがあったように思う。”(8月9日付け朝日新聞)

 愛知県弥富町の養護学校教員・川口さん(59)の投稿文である。今から40年前か・・・・ボクにもほとんど同じ体験がある。ただし、ボクは何十回であるし、ほとんど自分から乞いだものだが・・・。本当にそんな時代があったのだ。忘れてはならない、いや忘れられない体験だ。

(第378話) 戦争のおかげ 2005,8,17
 “昭和19年。女学生にも学徒動員令が下り、陸軍の兵器工場、長崎の「三菱兵器」に動員された。始めていった工場で、訓話に立った将校の言葉を今もはっきり覚えている。
 「皆さんは、戦争のおかげで学徒動員され、工場を知ることができ、お国のために働けることをありがたく思わなければならない」
 昭和20年8月9日、長崎に原爆投下。目もくらむ閃光、耳をつんざく轟音。すさまじい爆風にたたきつけられ、私は気を失った。
 「お母さん、助けて・・・。お母さ〜ん・・・・」絶叫が聞こえ、私は倒壊した工場の下敷きになっていた。もがきにもがき、私はやっと脱出できたが、40人の同期の友は亡くなった。
 あれから60年。人々を不幸にどん底に陥れた戦争を、「戦争のおかげ」といった将校の訓示を思い出し、怒りを覚える。もう二度と誰にも戦争の悲惨を、不幸を体験させてはならないと痛切に思う。”(8月9日付け毎日新聞)

 西宮市の主婦・久保さん(76)の投稿文。(第280話)に続き、戦争の話になったが、人間流れの中にいると、全く見境がつかなくなる。今の日本は、もっともらしい理屈をつけながら、着々と戦争のできる体制に近づいていると思う。

(第377話) ミスト冷房 2005,8,16
 “辻本誠さんは蒸し暑さに定評のある名古屋で「気温を2度下げて見せましょう」と、「魔法の水滴」で冷却効果を図るシステムを開発した。愛知万博会場で実用化され、暑さ対策の切り札として注目されているミスト。高さ3〜4mから噴射される極小径の霧が蒸発する際に外気の熱を奪い気温を下げる。
 ミストの発想は19世紀からあったという。問題はどう省エネにつなげるか。4mのポールをクスノキに見立てて植物の蒸散効果を応用した。2年を経てクーラーの約20分の1の電力で気温を下げる「なごミスト」が誕生した。
 都会のヒートアイランド抑制に、ミストは打ち水や屋上緑化よりも効果的という。ただ、世間に受け入れられるかどうか、半信半疑だった。「万博会場で涼をとる人々の姿を見て、安心しました」”(8月5日付け毎日新聞)

 万博会場のミストは本当に気分を和らげる。辻本さんは、名古屋大教授をへて、04年から東京理科大総合研究所教授。駅のホームやテーマパークなど、次なる場の準備も進行中という。こうした人々によって、環境の保護、人類の持続が図られていって欲しいものだ。そしてこうした人々の努力を無にしない行動に気をつけたいものだ。

(第376話) 非美食の幸せ 2005,8,15
 “以前、仕事がらみで「フォアグラとトリュフづくりを食べる会」に招待されたことがある。ホテルでフルコースと言うだけで十分イベントな私は、何を出されても目じりが下がり、ぽかぽか幸せ気分でいたのだが、周りは何だか勝手が違う。「他の素材との取り合わせがもう一歩ですね」「昨年パリで食べたフォアグラですが・・・・」
 料理に合わせた白ワインが運ばれてきた。「おいしいですね!」と言おうとしたところを「おや、おかしいですね。このビンテージのものにしては香りが立たない」「あら、ほんと。保管が悪いのかしら」
 結局、心の中で「うまい、豪華だ、ああ至福」と独り言を繰り返して帰宅。おいしいものを食べ慣れてしまうと、何万円かけても簡単に幸福にはなれなくなっちゃうんだろうか。私は庶民でよかった、と痛感した。「おいしいものを食べるより、おいしく食べよう」と言ったのはひろさちやさんだったか。”(8月6日付け日本経済新聞)

 クリエーター・ももせいづみさんの文。いくら恵まれても、それが日常的になっては幸せ感につながらないのが人間のようだ。それができたら、今ほとんどの日本人は幸せの絶頂だ。幸せを感じるには工夫がいるのだ。

(第375話) 1匹の小魚 2005,8,14
 “戦中戦後は、とにかく「ひもじい毎日」であった。3度の食事にも事欠いたあのころ、5人姉妹の私たちが食卓につくと、母はよく「お母さんはおなかがすいていないから、お前たちだけでおあがり」というのであった。子どもたちに少しでも多く食べさせたいからとの思いからであったが、幼かった私たちは「いいなあ、お母さんはいつもおなかがすかなくて」とうらやんだのである。
 当時、近所に大陸から引き揚げてきた一家が住んでいた。幼い子ども4人を抱えたその家は、いつもイワシなどの小魚を1匹しか買わないという評判だった。「それをオヤジが一人で食べ、子どもたちは骨をしゃぶっているらしい」と人々はささやき合っていた。
 食糧難という言葉が消え始めたころ、私はその家のおばさんから真相を聞いた。
 「あの時、肉体労働についていた父ちゃんが倒れたら、一家心中しか道がなかった。だから、父ちゃんには食べてもらわねばならなかったのだが、『おれはいいから、子どもたちに』といって、いくら勧めても食べなかった』”(8月5日付け毎日新聞)

 福岡市の主婦・多賀さん(66歳)の投稿文。貧しかった時代に、素晴らしい親子関係である。豊かになったら、もっといい親子関係ができてよさそうだが・・・。

(第374話) カヤの木 2005,8,13
 “970丈(約3000m)というからとんでもない高さだ。昔、豊後の国(今の大分県)に巨大なカヤの木があって、村々の陽ざしをさえぎっていたそうな。人々は苦労の末に切り倒し、今ある富貴寺やその仏像などをこの1本のカヤの木から刻みだしたという昔話がある。
 イチイ科の常緑樹カヤは水に強く、弾力に富み、年月と共に美しい味わいを増す優れた用材という。とくに囲碁・将棋盤の最高の材料とされるが、今では盤を切り出せるほどの天然カヤは珍しい存在になってしまった。
 そのカヤの再生と、囲碁・将棋の普及をめざすイベント「盤樹の森」が神奈川県箱根町で行われている。4日は囲碁棋士の梅沢由香里さんらによる植樹が行われた。これから毎年植林が重ねられるが、何しろゆっくりと時間を年輪にしみこませていくカヤことである。盤を切り出せるカヤとなるのは何と500年先だ。
 その寿命について「マキ万年、カヤ限りなし」という言葉がある。仏様や、囲碁・将棋の神様を宿らせることのできるカヤには500年は大した時間ではないのだろう。やがて巨樹に育ったカヤを見上げる人々は、その森の始まりをどんな昔話にして語るのだろう。”(8月5日付け毎日新聞)

 木を育てるというのは、本当に息の長い運動である。ここ数10年の間に森林を荒らしまくってきた人間は、これからこつこつ再生を図っていかねばならない。結果をすぐに求める現代人に、どれだけの人が呼応できるだろうか。

(第373話) 一宮・空爆殉難記念碑 2005,8,12
 “一宮市の中心街を流れる大江川のほとり。60年前に焼夷弾の雨が降った大乗公園の片隅に、『空爆殉難記念碑』がひっそり立つ。高さ約1.5mの石のドーム形。普段は子どもたちがよじ登って遊ぶこの碑の前に、7月28日朝、空襲で愛する家族を失った遺族や、一宮市の関係者ら約百人が集まって、戦災死没者追悼式が開かれた。
 一宮市では2回の空襲で一万戸以上が被災、727人が命を落とした。石碑は1958年、遺族の有志が市の援助を受けて建立した。場所は犠牲者が最も多かった地域を選んだ。碑の下には、戦災でなくなった人の名を遺族が記した、700余の小石が埋められた。ドーム形の石碑の前には二体の男女を模した石像と、角度によって合掌する手のひらにも、燃え上がる炎にも見える石のオブジェが並んだ。
 「石碑がなぜこの形になったのか、建設の経緯を知る人はもう遺族にも市にもいないんです」”(8月3日付け中日新聞)

 私の母の実家も空襲に遭っている。そして、この記念碑は一宮市内の中心部にあるので、私は何度も見ている。小石が埋められていることはこの記事で知った。戦争の記憶はどんどん風化されていく。戦争の悲惨さをどう伝えていくか、ますます難しいことになっていく。ボクは個人や国家の何を捨てても、戦争をしてはならないと思っている。

(第372話) キング・カズ 2005,8,11
 “サッカーの三浦知良が7月30日の水戸ホーリーホック戦でJ2にデビューした。J1のヴィッセル神戸からJ2の横浜FCへ。Jリーグを支えてきたスター選手は、格下げを甘んじて受け入れたのだろうか。
 38歳。気がつけばJ1の現役最年長になっていた。神戸のパベル新監督の構想から漏れ、ベンチを外れた。その苦い現実を三浦は淡々と分析する。「監督が替われば方針も変わる。当然のこと」”
 プロ意識は少しも変わらない。戦術やプレーでは自己主張し、納得できなければとことん監督と話す。自らトレーナーを雇い、健康管理を徹底する。そうした姿勢がJリーガーに多くの影響を与えてきた。敬意を込めて「キングカズ」と呼ぶのはファンばかりではない。
 引退という選択もあっただろう。だが、年棒も環境も落としてまでプレー続行を選んだ。「横浜FCにはJ1昇格という挑戦に値する目標があったから」だ。”(8月3日付け朝日新聞)

 (第327話)で野茂英雄投手について書いた。その野茂投手も先月、大リーグのデビルレイズから戦力外通告を受け、ヤンキース傘下の3Aコロンバスに移籍した。何か二人の歩く道が似ている。名誉や金銭だけではないのだ。

(第371話) 小さい生涯学習 2005,8,10
 “私の町では、「キュウリがたくさんなりました。我が家だけでは食べきれません。食べ助けしてください」とか、「アジがたくさん釣れた。食べ助けして」と言って届ける習慣がある。「お粗末ですが」「お口に合うかどうか分かりませんが」という、通り一遍の言葉よりずっと自然で、親しみがある。
 京都で買い物をしたとき、店の人だけでなく、お客も「おおきに」と言うこと。感心して、それからは「ありがとう」と言えるように努力した。また、商品のあるところへ案内してくれた店員に「お手間をとりました」と言えるように心がけているつもりだ。
 この年になっても、日ごろの生活の中で学ぶことがいっぱいある。「小さい生涯学習」は身近にある。”(7月31日付け毎日新聞)

 山口県の神田さん(77)の投稿文である。ボクは「お客さまは神様だ」という言葉は嫌いだ。お互い様なのだ、お互いがあって成り立つのだ。ボクもできるだけ礼を言うように心がけているが、まだまだである。

(第370話) レンタカウ制度 2005,8,9
 “草刈り用に牛を貸し出す。その名も「レンタカウ制度」。瀬戸内海に面する山口県柳井市で、今年もやっている。人影の少ない、山あいの休耕田に、4頭の黒毛和牛を放っている。牛を借りるのは、年老いて農作業が辛くなった農家に多い。まわりの田んぼの稲が青々と育つ中、草だらけにしていては害虫がわく。迷惑をかけまいとして、草刈りをシルバー人材センターに頼むと、金がかさむ。炎天下の作業は、請け負う人もきつい。
 ならば牛に食べさせたらどうだろう。4年前に、市長の河内山さん(47)が言い出した。牛を使えば、人件費も、えさ代も浮く。借り手も貸し手も都合がいい。さっそく農協が事業化した。今夏は7件の農家が利用する。市の試算では、5000平方メートルの草刈りを人間がやれば、2人で2日かかる。運搬処理費も含めて5万円なり。牛なら、2頭でそこに寝泊まりして約50日で食べ尽くす。機材費込みで2.4万円ほど。”(7月31日付け朝日新聞)

 人間、何か困るとすぐに近代的手法を試みるものだが、原始的手法に頼ったところが実にユニークだ。のどかな風景が目に浮かぶが、これから農業・農地問題は過疎・高齢化でますます大変になるだろう。そしてボクが言いたいのは、これは単に所有者だけの問題ではなく、地域の問題であるということである。

(第369話) 親バカ 2005,8,8
 “もともと身近なところで新しい命が誕生したというのは喜びごとでした。「見てやってください」と自慢するのも当然なことでした。しかしいつ頃からでしょう、近隣住民が泣き声がうるさいとか、虐待してるんじゃないかと言うようになり、子ども自慢する人もめっきり減りました。
 偏差値が支配する学校世界で、優秀な子の親はそれを自慢するのは得にならないと考えるのでしょう、あからさまに口にはしません。一方、子育ての悩みや心配を口にするのは、同意を得られやすい話題に昇格しました。誰もが不登校やいじめ、親子の断絶に悩んでいると語ることで、共感しあう時代になりました。
 こうなると元気な子ども自慢をする人はもはや嫌みな少数派です。子育てには素晴らしいこともいっぱいあることを知っている人が、風向きの具合から黙ってしまっています。そして苦しい話ばかりが未経験の若い世代に届いてしまうのです。
 これはとても不幸なことだと思います。無自覚にネガティブ・キャンペーンばかりしていると、次世代は誰も子育てなんかしたくなくなります。小手先の少子化対策を役人に任せて文句ばかり言っているのではなく、まずわが子自慢から復活させなければと思います。”(7月29日付け中日新聞)

 立命館大学・団教授の話。物事にいろいろな見方があるのは常のこと。変な気遣いより素直になれと言うことか。孫自慢でもするか・・・・。

(第368話) 子どもの夜更かし(その2) 2005,8,7
 “厚生労働省などの調査によれば、午後10時過ぎまで起きている3歳児は全体の30%とも50%とも。諸外国に比べると、かなり高い割合だ。小さなころから夜更かし癖がつくと、朝食を食べる習慣を持たなくなったり、学校から帰った後の仮眠が日常化するなどして、生活リズムが不安定になりやすい。不登校、イライラ、集中力の低下、肥満などとの関連を指摘する研究者もいる。
 夜通し営業するコンビニ、居酒屋、カラオケ店などが地方都市にも広がる。現代日本人の夜更かし、睡眠不足は、世界的にもまれに見る状態だ。子どもの健康を考え、生活リズムを整えることが親の健康にもつながる。深夜の食事や外出を避け、親子一緒に朝日を浴びる生活を心がけよう。”(7月28日付け中日新聞)

 その1は第266話である。もうくどいくらいの掲載であるが、ボクはそれほど重要と思っている。プレジデント2005.8.1号に“広島県で基礎基本調査という生活アンケートを行っているのですが、小学校5年のデータで、平均睡眠時間が4時間以下の子どもの国語と算数の平均点が50点程度。これが5時間になると一気に62点になって、6時間で64点、7時間は70点くらいで安定する。いかに子どもたちにとって睡眠が重要か、よくわかります。「勉強しろ!」などとごちゃごちゃ言う前に早く寝させる。”(P139)という話しが上がっている。
 親の生活に子どもを合わせさせているところに問題がある気がする。今の時代、子どもより自分なのかもしれないが、本当にそれでいいのか・・・。

(第368話) 定年後の名刺 2005,8,6
 “新たな出会いを面白がりたいのであれば、定年後も個人名刺を作るのがいい。
 ある地方都市に住む定年退職者は、名刺に40年近く在籍した企業の名を刷り込み、その後に「OB会会員」と添えていた。その土地では最大手の企業に勤めていただけに、辞めてからも権勢に浴したいという思いがあるようだ。逆にいえば、まだ自分なりの人生を送っていないということも意味している。
 このほかに県人会の「理事」とか、出身大学の「同窓会幹事」とか、古くは戦友会の「副会長」という名刺も渡された。肩書きがないと寂しいのか。それとも名刺は所属を明示するものという固定観念から抜けないのか。ここ数年多いのがNPO法人、ボランティア団体、趣味サークルの名前を刷り込んだ名刺である。
 これまで私がもらった定年退職者の名刺の中で忘れがたいのは、肩書きの代わりに、メッセージを刷ったものである。歩行によって健康を取り戻した元管理職は「一日一万歩」と。改造ワゴン車で全国を旅する元警察官は「放浪の旅」と。定年後の名刺は、輝いて生きているという証しにもなり、仲間を呼び込む。”(7月28日付け毎日新聞)

 ノンフィクション作家・加藤仁氏の文。名刺文化についてさまざまな意見があるが、昨日の女性化粧車両のような話が出る時代である。己の発想でさまざまな名刺を作ればいい。これはその人の人柄は問われるが、人に迷惑をかける筋のものではない。ボクも遊びの名刺を作っているが、もっと発想を巡らした方がいいか・・・。

(第367話) 女性化粧車両 2005,8,5
 “最近、電車内で化粧する女性が増えてきた。それに伴い苦言を呈する人が多いようである。私は経験がないが、「時間を有効に使っているな」と思えて、とても非難する気になれない。
 現代の女性は何かと忙しい。拘束される時間ばかりで、自由な時間は余り持てないのが実情だろう。朝早く起きられない。かといってノーメークで出かけるわけにもいかない。
 長時間乗る電車で、ついお化粧したくなるのも無理からぬことだろう。それなのに「慎みがない」だの「恥ずかしい」だのと、散々な言われようで・・・・。少なくとも、化粧もせずに飛び出せる男性には言われたくない。そこで提案だが、女性専用列車があるくらいだから、「女性化粧車両」などいかがだろう。
 女性客だって増えているのだから、もっと女性に優しくニーズに応えた画期的なアイデアを鉄道会社に望みたい。”(7月28日付け朝日新聞)

 主婦・64歳の方の投稿文である。7月27日の中日新聞には41歳の主婦の方から“地下鉄車内に漂ってきた焦げ臭いにおい。顔を上げると、近くに座っている若い女性がライターの炎でビューラーをあぶり出している最中でした。温まった後は、まつげのカールに熱中。その間も隣の女の子と彼氏の話で盛り上がっていた。”というものがありました。 ボクはもう慣れっこになっていて、今さらとやかく言う気もないが、どこまで行けば気がすむのだろう。いつか、車内で下着を着替えるというようなことにならないのかな?

(第366話) 文字・活字文化振興法 2005,8,4
 一昨日、正しい日本語について書いたので、関連で「文字・活字文化振興法」について紹介します。
 7月23日付け読売新聞に、表記のような法律が7月22日に成立したことが載っていた。こんなことも法律になってきたのかと驚きの気持ちで読んだ。活字文化議員連盟事務局長の肥田議員は「大人も子どもも言葉の力が落ちる中、読書する国民を大勢作りたい、という気持ちがあった。2000年を『子ども読書年』にする国会決議をし、2001年には子どもの読書活動推進法を作った。振興法は、その総集編となる法律だ。国民に読書を強制するのではなく、本を読む環境整備が目的だ」と語っている。法律の第1条目的には「文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことができないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め・・・・」とある。いささか分かりにくいが、長い歴史の中で蓄積してきたことが今まさに失われていくことを憂えている。
 いつの時代も、自分の生きてきた過去と比べて先の時代を憂えるのは年寄りの性癖である。次の時代は次の時代でやっていくのであるが、このまま今までの日本語が失われていくのは虚しい気がする。この法律が有効に働くことを祈りたい。

(第365話) ビールの注ぎ方 2005,8,3
 “サッポロビールを訪ね、ビール製造責任者、長谷川さんにプロの注ぎ方を教えてもらった。
 @きれいに洗い自然乾燥させたグラスをテーブルに置く。Aグラスの底の中心めがけ3分の1ほど注ぐ。B大きな泡が消えるまで待ち、グラスの口まで注ぐ。C大きな泡が消えたら口から泡が2〜3センチ盛り上がるところまで注ぐ。Dビールと泡の比率が7対3ぐらいになったらできあがり。
 宴会ではグラスを傾けて注いでました。「それではいい泡が立ちません」と長谷川さん。「注ぎ足しもよくないです」。気が抜け温まったビールに新鮮なビールをつぎ足してはおいしくならない。「最後に一つ、ビールをおいしくするコツをお教えしましょう」。思わず身を乗り出すと「楽しい雰囲気で飲むことですよ」。”(7月15日付け毎日新聞)

 ビールを飲む機会は多いし、間違いも多いと思って紹介した。注ぎ足しがよくないことは知っていたが、そのためにはボクのグラスは、もう少し小さくなければ。それにしても昨夜は調子に乗って飲み過ぎたな・・・。

(第364話) 正しい日本語 2005,8,2
 “NHKニュースを見ていたら、女子ゴルファーの宮里藍さんがニューヨークのヤンキースタジアムに観戦に来ていた。記者から松井秀喜選手のホ−ムランを目の当たりにした感想を求められ、こう答えた。「鳥肌が立ちっぱなしでした」
 私などの語感では「鳥肌が立つ」というのは、大の苦手なゴキブリや蛇を目の前にしたときなどに、ゾッとした気分を表します。まさに鳥肌が立つという生理現象も伴っています。ところが最近、宮里さんのような年代を問わず、かなりの年配者も大変感激した状態を表す場合に「鳥肌が立つ」を頻繁に使うようです。”(7月26日付け毎日新聞)

 名古屋市の川面さん(51)の投稿文からです。日本語の使い方については(第63話)接客は厚化粧、(第94話)人が差別語になる、などで触れてきたが、私は最近正しい日本語についてますます分からなくなってきた。多分、間違った使い方が多くなって、それを耳や目にしているうちにそれに違和感がなくなってきてしまっているのであろう。言葉は生き物だから時代と共に変わるというのも分かるが、あまりにひどい気がする。次の言葉つかいは間違っていますが、分かりますか。
 「的を得る」「汚名挽回」「今が掻き入れ時」「寸暇を惜しまない」「喧々諤々」

(第363話) ジェンキンスさんごっこ 2005,8,1
 “私も、ほんの半年ですが、軍隊の飯を食った身として思い出すのですが、もう毎日のようにホームシックで、故郷東京のことばかりメメシク考えておりました。できる勇気もないくせに、チラと脱走を空想したりして、その結果にオノノイテいたりしたものです。
 そのせいかどうか、私、ジェンキンスさん、なんだか好きですなァ。いろいろあったようですが、生きていりゃこそこの娑婆この世界。結果オーライですかな。
 その彼と久々の再会に、タラップを降りるのを、待ちかねたごとく奥さんが、下からガバと抱きしめましたなぁ。あの姿には感動しました。
 感動のあまり、私、バカなことですが、家の階段を使って、老妻とジェンキンスさんごっこをいたしました。抱擁という習慣など皆無の私たち夫婦でしたが、このごっこは楽しい。その後も、イイトシをして続けています。ハイ、楽しいことはやるのです。
 この年になりますと、もう手放しで申しますが、女房がイトシイ、ありがたい。ジェンキンスさんごっこは、その表現でもあります。”(7月24日付け読売新聞)

 俳優・小沢昭一の文。この話、なかなかいいですなぁ。ボクの家は平屋だから階段がないし、マア、昭一さんの年までかなりあるので、ボクにはまだだいぶ先のことですなぁ。


悠澪 > ストーンウォーク:この辺の小学校では、毎年8月9日は平和の授業があり登校日です。戦争や原爆の悲惨さと平和の尊さについて学んでいますが、頭では理解できても、実感としてはどうなのでしょうか。 (2005/08/30 22:35:31)
悠澪 > ソニーの忘れ物:経営者には従業員の生活がかかっています。報酬を支払うためには利益を上げなければなりません。プロデューサーは、嫌がられても誰かがやらなければならない大切な役割だと思います。それにしても、良い時は長く続かないのですね。 (2005/08/30 22:32:55)
ハイブリッジ > ストーンウォーク : 諸種のウオーキングがあるものだ。戦争廃絶運動として大衆の目に付き、心して語り継がれることを望む。 小生のウオーキングは、楽しみとリタイア前のご苦労さん(誰も言ってくれないので、自分で自分を・・・)ウオークをやっている。目的から見れば天地の開きがある。人生色々・・・。 (2005/08/30 20:51:40)
ハイブリッジ > ソニーの忘れ物 : チョット休みを戴いていると、世の中目まぐるしく進んでいる。栄枯盛衰はあちこちで見かける姿。栄盛栄盛で継続的に突進する企業は、人物や組織などが堅固で先見性が強いのだろう。 (2005/08/30 20:51:11)
ともちん > ソニーの忘れ物:頂上にたつのも難しいですが、それを維持し続ける事はもっと難しい。時代は時にはすごい速さで進んで行きます。物事の変化に敏感にならなければなりません。 (2005/08/30 18:38:17)
ともちん > 好きなこと:例えば好きなことがスポーツだったら皆に認められる。しかしそれが寝る事や食べる事だったら認められませんよね?私はショッピングが楽しみなんですが、これは趣味にはならないと言う人もいます。なんでも良いから自分が心から楽しめる事をすれば良いと思います。 (2005/08/29 19:39:42)
ともちん > 父:昔は厳しくてちょっと‥と思っていましたが、今はとても優しい父です。昔の父の厳しさは、今の私の財産です。 (2005/08/29 19:34:30)
悠澪 > 三惚れ:子供の頃、父が「妻と仕事を替える人は出世しない。」と話していたことを思い出しました。高野さんのお父様は死の淵から逃れられた経験から生命の尊さが身に沁みていらっしゃったのでしょう。自殺を選択する人や、無意味な犯罪を犯す若者にも生命の尊さをわかってほしいです。 (2005/08/28 21:11:21)
悠澪 > 好きなこと:団塊の世代の定年退職後のことがいろいろと問題になっていますが、やはり好きなことを見つけるべきだと思います。一日中家にいてごろごろするのは本人も退屈で辛いものがあるでしょうし、奥様にも鬱陶しがられるでしょう。誰にでも、子供の頃にあこがれたり興味を持ったものがひとつやふたつあるはずです。どうしても見つからない時はボランティアに参加してみるのもいいかもしれません。 (2005/08/28 20:33:11)
悠澪 > 父:名門には名門のご苦労がある。お父様は人前に出しても恥ずかしくない息子に育てなければと、心を鬼にしていたのかもしれません。きっとご自分も同じように育てられたのでしょう。家賃を取ったのは、社会人となったからには一人前として親を頼らず、自分の生活に責任を持たせたかったのではないでしょうか。 (2005/08/28 20:30:15)
ともちん > 祭りの後:お祭りの次の日にゴミが落ちているのを見ると何故か哀愁を感じますが、本来ならゴミはゴミ箱に捨てるか持ち帰るかのどちらかにしなくてはいけません。遅くなりましたが、私もついに日曜日に万博デビューです。ボランティアの方のご活躍、拝見してきます。 (2005/08/26 17:57:41)
悠澪 > ひとりばえ:畑とは縁なく育ち野菜作りは全くの素人ですが、二年前から庭に小さな畑を作り7〜8種類の野菜を育てています。自分が育てた野菜はとても愛おしくておいしくてつい自慢してしまいます。この辺では冬瓜をほとんど見かけませんので冬瓜のことはわかりませんが、茗荷や蕗もかなりの根性ものです。抜かれてもほったらかしにされてもへこたれず時期が来れば芽を出す、こんなふうにしぶとく生きていきたいです。 (2005/08/25 23:00:05)
悠澪 > 祭りの後:お祭りでは食べ歩きをする人が多く、食べ終わって出たゴミがその後の行動に邪魔になりついそこらに捨てたくなりますが、せめてゴミ入れのあるところまでは辛抱して持ち歩いてほしいものです。自分たちの町の自分たちのお祭りですから、他人の手を煩わせなくても、一人ひとりの心がけできれいで気持ちよいお祭りにしたいですね。 (2005/08/25 22:30:40)
ハイブリッジ > 祭りの後 : タバコの吸殻を例にしてみよう。最近、ポイ捨てが少なくなったように思う。分煙が浸透したことと、喫煙者の意識が高揚したことによるものと見ているが?ゴミも同様、同類項が無ければ捨てる人はいない(つまりゴミが落ちていないところに捨てるにはかなりの勇気がいる)。「自分のゴミ、自分の責任持ち帰り」ウオーキングマナー5ケ条のひとつ。 (2005/08/25 07:52:51)
ハイブリッジ > 中心軸 : 夏休みを頂きしばらく休んでいました。ウオーキングシーズン到来でこれからもたびたび小休止しますが悪しからず。本論、営利や社会貢献を目的とした現役を離れ、ボランティア中心の世界に身をおいている。ここでは「おもてなし」や「共に楽しむ」などを主目的に活動しているが、この活動の中心軸に大きな差があるのを感じている。ボランティアの世界(一般的にも言える?)では、ボランティア各人がそれぞれに経験してきた文化を、各々のメジャーとしている。ここに隔たりがあり、他の意見に耳をかさないケースを散見する。他の意見に耳を傾ける努力が、中心軸を中心軸たらしめることになると思うが・・・。 (2005/08/25 07:52:19)
悠澪 > 中心軸:私の亡父も自分だけが正しいと思い込み、人のことばは耳に入らない人でした。正しくないとは言いませんが、だからといって人の考えが間違っているわけでもありません。いろいろな考え方があるということを理解して、少数意見にも耳を傾ける度量を養いたいものです。 (2005/08/24 23:21:59)
ともちん > 中心軸:人間誰でも自分中心であると思う。しかし誰もが世の中は自分の思い通りにはならないと思っていたりする。自分の行動は全て自分中心でまわっているのに‥何故なんでしょうね? (2005/08/24 20:11:13)
悠澪 > 太平洋ひとりぼっち:おそらく、堀江青年の両親は心配のあまり猛反対をしたであろう。そして、今回の冒険は60代半ばという年齢からしても、ご家族はさぞかしご帰還されるまで生きた心地なく心配されたことでしょう。青年は次の計画もあるようですが、ご家族の理解と忍耐の上に成しえているということを忘れないでほしと思います。夢を追い続けることはかっこよくて、それができることは羨ましいです。が、ひとこと言わせてもらえるならば男の我儘だと思います。 (2005/08/23 23:17:22)
悠澪 > 女は損:毎月の生理のたびに「男はいいなァ」と思っていましたが、妊娠をして初めての胎動を感じた時のあの喜びと感動は男にはわからないでしょう。そして出産、産声を聞いた瞬間にそれまでの辛い辛い陣痛は一瞬にして消え去りこの上ない幸福に満たされます。男にも女にはわからない損なことがあるでしょう、女にも「女でよかった」と思えることがあるはずです。(長生きがかならずしも得とは思いませんが) (2005/08/23 00:15:34)
悠澪 > 私を泊める(その2):一期一会の世界ですね。相手が信じてくれたことで、裏切ってはいけないという思いと感謝の気持ちとで、不躾なことをしてはならないと考えたのでしょう。現在の大人たちも、勇気を出して若者たちを信じることができれば、若者たちにも信頼感や責任感が育つのじゃないかと思います。 (2005/08/23 00:08:37)
悠澪 > 民の力:こういう話を聞くと嬉しくなりますね。最近はNPO法人やボランティア活動をする人が増えてきて、日本もまだまだ捨てたものじゃないと思います。 (2005/08/21 23:31:50)
ともちん > 女は損:たまにそう思う事もありますが、得してる事も多いと思います。損だなんて考えずに前向きに生きた方が楽しいと思います。 (2005/08/21 20:15:16)
ともちん > 私を泊める(2):寺さんの冒険談、すごいですね。旅行で予定を決めずに行動する事が出来ない私には、寺さんの体験談は無謀?のようでいて羨ましいお話です。それにしても知らない人を泊めるなんていくら学生証を預かっても出来なさそうです。 (2005/08/21 20:12:30)
悠澪 > 私を泊める:腰の曲がったおばあさんが両手に大きな荷物を下げて、急な石段をゆっくりゆっくり上がって行くところに出会い、「一つ持ちましょうか。」と声を掛けたことがある。おばあさんは、「いえ、いいです。」と答えたが、遠慮してのことと思い、「石段の上まででも」と言って荷物に手をかけたが、荷物を力をこめて握り締め断るのを見て、遠慮ではなく警戒してでのことだと気づき、その場を立ち去ったことがある。強盗や殺人などは、テレビや映画の中での出来事だと思っていたが、いつしか身近なことになってしまい、人を信じられない世の中になってしまった。見知らぬ人を家に泊めるなんて、ほんとに考えられない時代です。  (2005/08/20 00:27:40)
ともちん > 私を泊める:今では考えられない事ですね。初対面の人に泊りませんか?と声を掛けるなんて‥。今の世の中、人との信頼感を築くのは難しいので、素直に他人を信頼・信用できる昔は良かったなと思います。 (2005/08/19 08:01:23)
ハイブリッジ > 私を泊める : 前半を読み「えっー、今時・・・」と驚ろいた。後半に入り40年前で納得。小生はこのような体験はないが、人の心の豊かさと物質の豊かさの差を如実に表している。終戦記念日やお盆を前後して、当時を偲ぶ記事が目に付くが、経験していない若者にはどのように写るのだろう。記事そのものが目に入らない? 投稿者には回顧とともに、何とか継承しようとの意があると思うが・・・。 (2005/08/19 07:19:08)
悠澪 > 戦争のおかげ:戦争は人を変えると思います。平常ではなく異常な世界ですから、勝つことばかりを考えて、思いやりや人間らしさを忘れてしまう。恐怖の極限に置かれて精神を狂わせ残忍なこともやってしまうのではないでしょうか? (2005/08/18 22:32:42)
悠澪 > 非美食の幸せ:食に限らず全てにおいて、人間は満足を知らない動物だと、常々思っています。どんなに豪華なものも慣れてしまえば、感動が薄れるようです。満足を知らないということは幸せに気づかず、常になんらかの不満があるということで悲しいことです。自分で自分を不幸にしていると思います。 (2005/08/18 22:18:33)
ともちん > 戦争のおかげ‥最近の新聞で目にしましたが、戦時の日本は特攻隊、人間魚雷など非常に無謀な作戦で未来ある沢山の若者を失いました。戦争のおかげだと思うものがあるとすれば、もう二度と戦争はしないと思える事だと思います。 (2005/08/17 21:38:20)
ハイブリッジ > ミスト冷房 : 猛暑の中の照返し、ミストの下に入るとほっとする。バイオラングなどと共に今後の冷房対策の最先端になるだろう。研究開発は地道で気長な取組みを要すと思うが、東京都心はもちろん名古屋市中心街などのヒートアイランド現象緩和を期待したい。 (2005/08/17 08:49:50)
ハイブリッジ > 非美食の幸せ :【お盆END】盆とは、仏教以外の古い信仰と聞いている。お坊さんは仏教上の儀式というよりも、各戸の要請により忙しく飛び回られてる。大往生した故人の周りに家族が集まり、ワイワイがやがやと故人を偲びながらの食事にはまた別の味がある。 (2005/08/16 07:56:05)
ハイブリッジ > 1匹の小魚 :【お盆3】親父は戦争中高年齢だったので、召集令状を受取ったら終戦だったそうだ。それが幸せとは言えない。神戸市の空襲で家が燃え、母の実家愛媛県今治市に疎開したがそこでも空襲、結局出身地の鳥取県に疎開した。小生はその頃の記憶は殆ど無い。父は当時の苦労話を殆どしなかった。父親とはそんな存在なのかも知れない。7回忌を終えて今は静かに永眠している。 (2005/08/16 07:55:21)
ともちん > 非美食の幸せ:食べ物にやたらうるさい人がいますが、私は何でも美味しく食べれられるので幸せですね。身近に小さな幸せを見つけるようにすると、楽しい事が増えそうです。 (2005/08/15 23:41:14)
ともちん > 一匹の小魚:今は物が豊富でお金が大切だと思われていますが、戦時はお金は何の意味もなく、家族愛が大切にされたのでしょう。家族の事をいつも心に留めて大切にしたいと思います。 (2005/08/14 23:44:42)
悠澪 > 一宮・空爆殉難記念碑:戦中戦後の苦しみを知らずに育ちましたが、戦争・テロ、絶対反対!! 名前も顔も知らない、当然、何の恨みもない人同士が殺し合うなんて、その上、命令に従わなかったり逃げ出したりすると罰せられるなんて、おかしすぎます。勝っても負けても何一ついいことはないと思います。罪のない多くの命を奪い、その親族に大きな悲しみと苦しみを残します。近い将来、第三次世界大戦が起こりそうで不安を感じてます。 (2005/08/14 22:44:19)
ハイブリッジ > カヤの木 :【お盆2】家内の父が他界し今年は新盆である。その義父が10年位前に新品の碁盤をくれた。たまたま実家で一番教えて頂いたのがきっかけである。かなり高級品であることは確かであり、碁盤に向かっていると気持ちが引き締まった。良かったというのは戴いて暫くの間、その後はある部屋に飾ってある。○○○年を要して作成された碁盤、義父を偲びながら、はしご段といえど打ち続けたいものだ・・・。 (2005/08/14 06:36:45)
ハイブリッジ > 一宮・空爆殉難記念碑 :【お盆1】空襲というと母を思い出す。左足のアキレス腱の表面に大きな火傷の跡があった。防空壕から出たときに焼夷弾がかすめたとか。あの当時のこと医薬品も十分でない中、良く耐えてきたと思う。それが記念碑ならぬ戦争は悲惨で、風化させてはならぬとのしるしのように見受けたものだ。この母も7回忌を過ぎて安らかに眠っている。 (2005/08/14 06:36:25)
悠澪 > キング・カズ:カズは、心からサッカーを愛していて、自分の本当の幸せは年棒やプライドではなくプレーすることにあると考えたのですね。年棒やプライドに囚われることなく自分の生き方を貫く姿は立派です。 (2005/08/14 00:27:14)
悠澪 > 小さい生涯学習:通勤でいつも同じバスを使うので自然と親しくなった人が、バスを降りる時に「ありがとうございました。」と言うのを聞いてひどく感動したことがありますが、なぜか恥ずかしくて、私には言えませんでした。学習とは、なにも学問を究めたり、カルチャーセンターに通ったりするだけではないのですね。本人のやる気さえあれば、学ぶことは身の回りにいくらでもあるものだということを、人間性を磨くのも立派な学習だということを、この投稿文で気づかされました。 (2005/08/13 00:37:20)
ハイブリッジ > キング・カズ : 現役を選ぶか、引退して別の道を選ぶか? 現役期間の短いプロスポーツ選手は30代後半から40代前半辺りで選択を迫られる。サラリーマンはこの点まだまだ甘い。最近は早期退職制度が施工され厳しい一面が出てきたが、それでもプロスポーツ選手と比べると格段に差がある。三浦や野茂をモデルとして、感じて欲しいものだ。 (2005/08/12 19:29:49)
ともちん > キングカズ:単身でブラジルに渡り日本にサッカーブームを起こしたのもカズです。お金ではなく、サッカーを心から愛しているから頑張れるのでしょう。 (2005/08/12 15:51:17)
ハイブリッジ > 小さい生涯学習 : 「お客様は神様だ」これは売る側・演じる側を戒める言葉で、買う側・観る側の方が主張することではない。これを履き違えるととんでもないことになる。 (2005/08/11 06:31:03)
ハイブリッジ > レンタカウ制度 : 逆転の発想?夏季に草原へ牛を放牧するのは多々見聞するが、旧耕田への放牧とは!その地域の1つのアイデアとして有効である。ところが、この旧耕田の問題、農業だけでなく食料、労働力、少子高齢化などなど大きな問題であるのは誰しもご承知の通り。食料を例にとると、日本で消費する10の内2が国内からの自給、残りの8は輸入、一方10の内2が残り物として捨てられている。自給率の向上と廃棄食料の減少が大きな課題である。また世界的な食料供給バランスが維持されている間は良いが、このバランスが崩れると大変なことだ。その前に何らかの策を講じなければ・・・。 (2005/08/10 07:27:31)
悠澪 > レンタカウ制度:草刈りに5万円もかかるとは驚きです。最近はスローライフといって、都会の人や定年退職された方が田舎へ移住したり通ったりして、農作業をされる方が増えてるそうですが、農家の方のご苦労は計り知れず、そんなになまやさしいものではないのですね。 (2005/08/09 22:57:48)
悠澪 > 親バカ:確かに、子どもがいつまでも泣き止まない時などはご近所に迷惑だろう、虐待してると思われないかしらと気になりますが、多くの場合は、親バカと思われたくなくて、また、我が子をけなせば聞き手は必ずと言っていいほど、「あらそんなことないわよ、お宅の○○ちゃんはいい子じゃない。」と言ってくれる、それが心地よくて、わが子をけなしていたのが、“子育ては大変なのよ”に発展していったのだと思います。それがネガティブ・キャンペーンになっていたとは… 子どもがもたらす喜怒哀楽、子どもを通じての出会い(先生や父兄さんなど) は人生を豊かにしてくれると思いますし、親の人間性の成長にもつながると思います。 (2005/08/09 22:51:43)
ハイブリッジ > 親バカ : 何事もネガティブな発想は後退、ポジティブな発想は前進。ネガティブな会話が同調できるからと親同士でその会話に終始していると、子供にも影響すると思います。子供は聞いていないようで聞いているものです。ポジティブな刺激を与えましょう。 (2005/08/09 08:17:57)
ともちん > 子供の夜更かし:よく寝ることでテストの点が上がるのだったら、寝るが勝ちですね。出来るだけ子供の生活リズムを崩さないようにように注意しなくてはいけませんね。 (2005/08/08 10:24:11)
ハイブリッジ > 子どもの夜更かし(その2): 毎日7時間以上寝ている小生は「子供だから」と冗談を言っていたが、子供ではなく全てが老人なのだ。睡眠時間の差でテストの平均点が変わるとは貴重な調査だ。授業中の集中力の差が、この結果を生んでいる。塾に通って復習や予習をすることよりも、授業中に先生の説明を集中度を高めて聞き、その場で理解することが重要だ。「川ガキ」の話があったが、帰宅したら外で遊び、適度な疲労のもとに早々と寝る習慣を身につけさせることだが・・・これを理解して実行する親がどれだけいるだろうか? (2005/08/08 06:58:09)
悠澪 > 子どもの夜更かし(その2):現代は塾の宿題・パソコン・携帯電話・テレビなど夜更かしの要因が多すぎます。そして、子どもに注意する親が少なくなってきているように感じます。  (2005/08/07 21:13:41)
悠澪 > 女性化粧車両:出勤途中のバスの中から、乗用車の助手席で化粧をしているのを何度か見かけたことがありますが、あの揺れる車の中でよく口紅がはみ出さないものだと感心していました。電車の中には大勢の人が居るのに恥ずかしくないのでしょうか。女性専用列車があるのでしたらそこで化粧すればいいのですから、別に女性化粧車両など必要ないと思います。 (2005/08/07 20:52:07)
悠澪 > 文字・活字文化振興法:子どもを本好きに育てたくて、読み聞かせをしましたし、お金がかかる・目が悪くなるという理由でゲームもほとんどさせませんでした。ほんのわずかですが本もあります。それでも、我が娘たちは読書に興味を持ってくれませんでした。娯楽の少なかった昔と違い、現代はテレビ・ゲーム・パソコン・地域お越しや商戦によるイベントなど家にも町にも楽しみ方があふれています。まずこれらを減らすことが本を読む環境整備につながるのではないかと思います。 (2005/08/07 20:49:09)
悠澪 > 正しい日本語:親の言葉を聞いて育った子どもが、なぜ親と異なる言葉を話すのか不思議です。私も、多くの人が使い、ラジオやテレビでも使われていると、違和感を持ちながらも使う時があります。一年もすれば忘れられる流行語は別として、こうやって、長い年月に言葉は変わっていくのでしょうね。今、私たちが話している言葉が、数百年後には古語辞典に載っているのかしらと、時々思います。 (2005/08/07 20:46:04)
悠澪 > ジェンキンスさんごっこ:かつての映画ファンの私としては、最もあこがれるシーンです。それにしても、“女房がイトシイ、ありがたい”なんて公然と言えるのは、幾度かあったであろう倦怠期を乗り越え、長年の苦楽を共にしてこられたから言えることでしょう。このような老夫婦になりたいと思いますが、夫は感情表現の下手な人ですから、夢でしょうね。 (2005/08/07 20:43:28)
ハイブリッジ > 定年後の名刺 : 定年後は、即現役を離れようと(切替ようと)座右の銘「我以外皆我師也」とインターネットメールアドレスを入れた名刺を作った。座右の銘は功を奏したが、メールアドレスは単なる名刺交換だけでは生きていない。その後、ウオーキングにはまり、もう一枚名刺を作成。これには座右の銘は勿論のこと、所属団体を列挙した賑やかなものだ。肩書きにこだわったのではないが、行政とか会社などへ何かを依頼するときには有効であり、日本の社会では不可欠なのだ・・・。2枚を相手に応じて使い分けている。 (2005/08/07 08:16:51)
ともちん > 女性化粧車両:あったら良いなと思いつつ、でももし出来たら混雑していて専用車両に乗るために早起きすることになったりして…。それにしても男性の方はメイクしなくても良い顔をされているのですごいなぁと思います。 (2005/08/06 22:19:51)
ハイブリッジ > 女性化粧車両 : 専用車両賛成。目の前で化粧をやられると目の置き所が無くなり寝てしう。まだミニスカートの方がましだった。それにしても本末転倒した対応で、これを望むものではない。 (2005/08/06 07:44:37)
ハイブリッジ > 文字・活字文化振興法 :「・・・本を読む環境整備が目的だ」意見を記述すると年寄り扱いされるから割愛するが、生かして欲しいものです。 (2005/08/06 07:43:51)
ともちん > ビールの注ぎ方:最初は傾けて注ぐのが良いと聞いていましたが、違うのですね。この暑い季節、よく冷えたビールをみんなで飲むのは最高ですね。 (2005/08/05 08:15:07)
ハイブリッジ > ビールの注ぎ方 : いやというほど注ぎ方は解かっている。ビールそのものを美味しく飲むならば、家で独りで理論どおりにグラスと対峙することだ。あるいはジョッキーで注ぎ足し無しで飲むことだ。グループでビンビールを飲む時は「楽しい雰囲気で飲むことですよ」が優先する。この状況では理論は無視され、注ぎ足しの頻度が多くなる。しかしビールの味は変わらない?むしろ美味しく感じているものだ・・・。 (2005/08/04 07:24:38)
ともちん > 正しい日本語:そもそも「正しい日本語」は何で学べば良いのでしょうか?今の日本で一つも誤りない日本語を話せる人はいないのではないかと思います。 (2005/08/03 18:38:53)
ハイブリッジ > 正しい日本語 : 国語が苦手で言葉を大切に取扱ってこなかった小生には耳が痛い。この話・話でも間違った表現をしている時が多々有ると思う。「喧々諤々」はわからない「喧喧諤諤」ですか?「喧喧囂囂」と「侃侃諤諤」が混交してできた語と聞いています。 世界には約6,000語(100万人以上が使う言語は約300種)の言語があって毎年10種類ほど消えているとのこと。日本語は永久に不滅です。などと冗談を言っていると表現がおかしい?と指摘されかねない。「正しい日本語」をどうやって継承していくかが課題だ。先日、28歳で芥川賞を受賞した「土の中の子供」中村文則氏の作品は全て正しい日本語で記述されているだろうか?こんな目で本を読むと面白くないし、何を主張しているか解からなくなる。・・・。 (2005/08/03 10:07:51)
ともちん > ジェンキンスさんごっこ:あの再会の場面には感動しましたが、面白いことを思いつく方がいるのですね。日本人はシャイなので、人前であの様にはなかなか出来ないですね。 (2005/08/02 07:08:56)
ハイブリッジ > ジェンキンスさんごっこ : 「あっははは・・・」我家には階段はあるが、これは試みれない。そんなことしたら、家内は気が狂ったと思うだろう。 (2005/08/02 06:37:16)
ともちん > 試みる:やってみなければ分からない事は沢山あります。以前パソコンの出来なかった私ですが、少し勉強したから今こうして話・話コーナーに参加できます。 (2005/08/01 08:27:35)
ともちん > 世界自然遺産:知床が決定した直後の週末の折込チラシに「世界遺産知床に行こう」という旅行会社のチラシがありました。金銭面の利益ばかり考えがちですが、美しい自然はそれ以上に人間に安らぎを与えてくれる利益があると思います。 (2005/08/01 08:24:49)
ハイブリッジ > 試みる :「やってみて してみなければ 人は踊らじ」一部表現を間違えているかも知れないが、この言葉を思い出した。理論や頭の中だけの考えではダメ、まずは試みた上で・・・。 (2005/08/01 06:51:47)


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