ha0506
第14号 2005年6月
悠澪 >
1年1回:行動しなければ、思っているだけでは何も始まらない、何も解決しないのですね。気の遠くなるような地道な努力ですが、真剣な姿は人の心を動かしますから、協力者も現れて出荷することができたのだと思います。自分の知らないところで、損得勘定なしに地道な努力を続けている人が居るということを常に忘れずにいたいと思いました。
(2005/6/30/23:39:52)
ハイブリッジ > 漢字文化 : 何事も一芸に秀でることで、漢字文化の伝承やら役割が果たすことも一つの例だと思う。人生は60歳からと言い「90歳でお迎えがある時はそう急がずとも良いと言え」という人が居る。自発的な「死ぬ気はない」と比べると他動的な表現であり、対照的なので記述した。 (2005/6/29/19:36:42) ハイブリッジ > ロングランの秘密 : 劇団四季のCATSを観たのはあれこれ6年前か? これもロングランの講演だった。ロングランにはそれぞれに秘めたエクスがある。各人それぞれに感想は異なるが、猫嫌いな小生もCATSは猫族の生態を人間社会に比喩していたと思う。今回のライオンキング、小生を除く家族はチィケットを購入し楽しみにしている。小生はライオンキングならぬウオーキングにはまっている。 (2005/6/29/19:36:18) 悠澪 > 漢字文化:漢字が総合理解につながるなら本当にいいのですが。それにしても、95歳にしてまだまだやる気十分な教授に頭が下がります。 (2005/6/28/22:42:1) 悠澪 > ロングランの秘密:私は歌舞伎には縁がなくて、昔一度見ただけで何もわかりませんが、映画が大好きでよく見ます。映画も映画史上に残るようなものには人生へのメッセージがあるように思います。 (2005/6/28/21:51:52) 悠澪 > 主語すり替えの術:私もよくやります、そんな自分が嫌でたまりません。自分に自信がないのと、相手を怒らせたくないというか、相手に嫌な人と思われるのが怖いというか、つまりすべてを人のせいにして自分は涼しい顔をしている卑怯者です。 (2005/6/26/23:33:26) 悠澪 > 二日酔:楽しくてつい飲み過ぎた。厭なことがあってがぶ飲みした。どちらも意志薄弱。二日酔いは自業自得、罰だと思います。 (2005/6/26/23:9:26) ハイブリッジ > 野茂英雄投手 : 出来た道を歩くのは易しい。その道を造るのは大変なこと。ここでは野茂投手本人が苦難の道を切り開いたことを中心に紹介している。 更に感心することはアメリカに在住しながら、日本に目を向け社会人野球チームをつくりプロ野球選手の登用の道を設けている。無表情の中に偉大さが潜んでいる。 (2005/6/25/16:47:25) 悠澪 > 野茂英雄投手:野茂選手は、なんと言っても大リーガーへの先駆者ですから、その勇気を称えたいと思います。野茂選手をはじめイチローや松井秀樹選手は持って産まれた才能があるのだろうと思いますが、その才能におぼれることなく並々ならぬ努力を続けて、スランプや故障などの苦難に出会ってもあきらめない姿勢が結果を生み出していると思います。 (2005/6/24/23:7:32) ハイブリッジ > 傍観者 : ゴミの例で取上げられているので、その範囲での見解を。愛・地球博のボランティア活動に参加して、少なくとも会場内でゴミが落ちていれば積極的に拾っている。これが一般の公共場所や公道になると、まだまだ拾えない。対象範囲が広ろ過ぎ、きりが無いと言うのが本音。小さな行動が大切だとは理解しているが…。 (2005/6/24/19:27:25) 修行ランナー > 夫と妻の第一義:夫婦が同一趣味とか、同一行動を常に保つことはきわめて難しい。異なった環境で育った二人が一緒になったからであろう。それぞれの感受性を尊重にしてゆけば、楽しく過せると思う。片一方の趣味を押し付けるのは良くない。自分はジョギングや山歩きに打ち込み、奥方は気の会う知り合いと散歩や日帰り旅行を楽しんでいる。 (2005/6/24/6:13:12) 悠澪 > 傍観者:毎朝犬の散歩をしながら、ビニール袋を持って吸殻を拾って歩いているおばあさんがいますが、その姿に感動しながらも私は身勝手な人間でして、そばにゴミ入れがあって手を洗える場所があれば迷わず拾いますがなければ拾いません。外出途中でも手の汚れを気にせず拾うべきでしょうか。ゴミ拾いをする時にいつも思うのですが、ポイ捨てをする人は誰かがこれを片付けているということを考えたことがあるのだろうかと。 (2005/6/24/0:13:42) ハイブリッジ > 夫と妻の第一義 : 小生夫婦の現在の第一義は小生がウオーキングで家内は水泳である。お互いが別行動で競い合っていない。共通の趣味と言えば旅行であるが、旅行中に見どころが異なり時折意見がすれ違うことがあるが、まあ愛敬のレベルか…。 (2005/6/23/7:13:21) 悠澪 > 夫と妻の第一義:夫婦がいつも何をするも一緒というよりは、お互いの第一義を尊重し合って時には別行動をすることも必要だと思いますが、一つくらいは同じ趣味を持ちたいです。我が家の場合趣味・外食・映画・旅行・その他諸々好みが違うので一緒に行動しようと思えば常にどちらかがつまらない思いに耐えなければなりません、ひとつくらいは二人で楽しく過ごせるものがほしいです。 (2005/6/22/21:57:25) ともちん > アジサイと花言葉‥誕生花があると聞いた事があります。それをお誕生日に贈るようです。誕生花にも花言葉があり、すべてが良い花言葉であるわけでもありません。ハイブリッジさんのお話のように誰がつけたのでしょうか?ちなみに自分の誕生花の花言葉は「ご機嫌」でした。 (2005/6/22/5:28:20) 悠澪 > アジサイと花言葉:アジサイも本当に種類が多く、ブルーやピンクはもとより若草色や白っぽいもの、赤に近いピンクなどなど、色だけではありません、花弁(がく)もさまざまです。これをひとまとめにしての花言葉ではいけないような気がします。私は花が大好きですから、川柳連れ連れ草の毎月のタイトルを楽しみにしています。花の説明や花言葉も勉強になります。長く長く続きますようにお願いします。 (2005/6/21/22:32:6) ハイブリッジ > アジサイと花言葉 : 花言葉は誰がどのようにして付けたのだろう?花から受けるイメージと花言葉が一致しないケースが多いと感じているのは小生だけだろうか? 従い花言葉は気にしないが、誕生日とかお見舞いなどで花を贈るときに要注意と言う。 (2005/6/21/21:52:56) ハイブリッジ > しこ名 : ある地位以上になったら考えることで、一般の力士(人々)には無縁なことだと思う。小生は姓名判断や占いには全く関心が無い……これは地位に関係しているか? (2005/6/21/21:51:0) 悠澪 > しこ名:知人に字画が悪いと言って名前を変えた男性がいますが、変えた後も何も変わったところはありませんでした。どんな良い名前をつけても努力なしには成功はありえないと思います。 (2005/6/20/22:37:4) ともちん > 誕生日‥最近自分が何歳だったのか忘れてしまう?事が、本当にあるんです。(笑)素敵に年齢を重ねれば誕生日も怖くないかな‥。 (2005/6/20/21:6:9) ともちん > 私はこども‥親には何かあるとすぐ報告したくなります。親はいつも私達子供のことを考えていてくれるような気がします。つい頼ってしまいます。 (2005/6/20/21:3:23) 摩夢多絽 > 「お母さん、私を守って」と叫びました。あの東海豪雨の日、車もろ共、水没しそうになった時。帰宅したのはあくる日の午前4時半でした。 (2005/6/20/8:39:33) ハイブリッジ > 誕生日 : 年齢とともに見方や受け取り方が変化するものの一つ。この歳になって、子供たちから誕プレを受けるとくすぐったい。誕生日後のウオーキングイベントで参加票や申込書に年齢を記入する時、ずっしりと重みを感じ一歳上を記入したくない・・・。 立場が換わり、孫どもの誕生日に祝福すると「ランラ ランラ ラーン」と喜んでいる。子供たちは喜べない年齢に差し掛かり、家内はともかく小生はアンタッチャブルでいる。 (2005/6/20/7:30:28) 悠澪 > 誕生日:誕生日が嬉しくなくなっているひとりですが、この物騒な世の中で無事に歳を重ねられることを喜びましょう。生きていればこその誕生日です。死んだら歳は取れないのですから。 (2005/6/19/22:26:15) 悠澪 > 私はこども:“父や母を慕うことなしには生きられないのです”そのとうりだと思います。世の中には不幸にして親を愛せない人もいると思いますが。人は何があってもどんな時でも、無条件に自分を愛してくれ受けいれてくれるのは親だと信じていると思いますが、不幸にしてそういう親ではなかった場合、愛と憎しみは紙一重と言われるように憎しみに近い感情を持つと思います。他人ならまだ許せるのです。「所詮この世はこんなもの」であきらめもつきますが、親の愛を感じない、親を信じられない子どもは親を慕うがために親の愛に飢えて恨んでしまうのです。子の恨みは裏返せば親を慕っているのです。 (2005/6/19/22:11:22) ともちん > 銭湯のしつけ‥私は一度も銭湯に行ったことがありませんが、子供にとって躾や人と触れ合う場になっているのですね。今はスーパー銭湯が流行っていますが、温泉と違って混んでいて皆さん自分の知り合いの人以外には声を掛けないので残念なものです。 (2005/6/18/21:24:55) ハイブリッジ > 銭湯のしつけ:斜陽産業である銭湯で奮闘されている様子と、この場を社会教育で活かす信念を持って取組まれている姿に脱帽します。小生は田舎育ちで銭湯へ入った経験はありません。社会教育をどこで受けていたのでしょう? 生活や遊びの周囲に頑固親父と称する方が大勢いたと思います。一つの事例、先日ある場所で片山鳥取県知事のトークの中に「東京の混雑する駅で倒れこんだ人がいたら、声を掛ける人がどれだけいるでしょう?鳥取県ではそのような方を見かけたら即声を掛け対応する・・・」。合理化・効率化・個人などを優先するあまりに人間性が2極分化している。この辺りにも改善の手立てがありそうに見える・・・。 (2005/6/18/7:24:33) 悠澪 > 銭湯のしつけ:もう何十年も銭湯へは行っていませんが、子供の頃銭湯でタオルを振り回したり走り回ったりするとよそのおばちゃんに叱られていました。又、脱衣所できちんと脱いだものをたたんでいると褒められたりもしていました。最近は近所の子供を叱っている大人の姿を見かけません。銭湯のような場は必要だと思います。最近の銭湯は家族風呂でいくつかの部屋に分かれていたり、サウナやジェットバスとかいうようなもので、昔のような大風呂は本当に少なくなりました。残念です。 (2005/6/17/21:52:0) ハイブリッジ > ノータイ革命 : カジュアルデーを思い出した。社会一般に、現在も継続しているかどうかは知らない。10年前小生が勤務していた会社は「オールカジュアルデー」を採用し、少なくとも小生が退職するまで続いていた。クールビズの先行であったように思う。採用当初は、年配者が対応に苦慮していたのと、営業部門などお客様と接する部門はタイを着用していた。着こなしは別にして小生は即切替え、ネクタイが取れると首周りが楽になり快適な環境で仕事ができた。このクールビズ、環境対策を推進する上の一つの課題であり、継続することが重要である。 (2005/6/17/17:56:51) 悠澪 > ノータイ革命:常々夏の男性をかわいそうに思っていました。見かけよりやるべきことをやることが大切だと思います。もちろん、他人に対して失礼にならない程度の身だしなみは必要でしょうが。 (2005/6/16/23:26:32) 修行ランナー > ノータイ革命:わが国は湿度の高い国である。羽織、はかまという高湿度対策にふさわしい独自の文化があるのに、明治の欧米志向以来、いつの間にかネクタイ着用者が紳士と位置づけられてしまった。自分は現役時代も夏はほとんどノーネクタイで過してきた。かたぐるしい衣服はやめて快適に夏を過したいものだ。ノーネクタイ万歳・・・・ (2005/6/16/21:50:15) ともちん > 一身上の都合‥「自分から会社をとったら何も残らない」と思い、一度退職届を出した事がありますが、その時は上司に引き止められました。一度しかない人生と思いながら、なかなか自分の思った通りには出来ないものです。自分自身の為に、時には決断・勇気が必要です。 (2005/6/15/21:50:12) 悠澪 > 一身上の都合:自分らしくあるためには時には大きな代償を払わなければならないこともあるでしょう。悩みに悩んで決断されたことでしょう。一生を悶々と暮らすより、自分らしくあるために、時には思い切った決断をするほうがいいのかもしれません。人生を無駄にしないためにも。 (2005/6/15/21:29:37) ハイブリッジ > 常識の怪しさ : 「常識の非常識」山本七平著(1986年)を読んだ(見たの方が適切)のを思い出した。根拠なき前提がいつしか《常識》となって通用し、人々の思考がそれに拘束されると、社会の通念に従って常識的に考えかつ行動しているつもりが、結果において意外な非常識となってくる。・・・・《常識》とは分析不可能なものであり、明治になってできた言葉だそうだ(徳川時代には〈常見〉と言っていた)とのこと。 深刻に捉えずに、自分の中の常識をメジャーにして行動することか? (2005/6/15/8:21:33) ともちん > 常識の怪しさ‥「常識」とは、何を基準に言うのでしょうか。寺さんのおっしゃるように今日の常識が明日の常識で無くなる事も多々あると思います。自分を信じて、的確な判断ができれば世間の常識にこだわり過ぎなくてもいいような気がします。 (2005/6/15/7:9:48) 悠澪 > 常識の怪しさ:古い常識がすべて間違いで新しい常識が絶対に正しいとは限りません。この膨大な情報に振り回されることなく自分の考えをしっかりと持ち、本当に正しいものを見抜けるようになりたいものです。 (2005/6/14/22:37:9) 悠澪 > 自由と自分勝手:バーガーショップなどで店内を子どもが走り回っていても注意もせず、おしゃべりや携帯電話に夢中の若い母親をよく見かけます。母親自身がまだ遊びたい盛りのようです。又「そんなことをしたら○○に叱られるよ」と言う母親は心のどこかで子どもに嫌われたくないという心理が働いているのだと思います。ですが、子どものためにも親は、自由とはルールを守り責任をもって行動することだということを教えてあげてほしいです。正しい叱り方をすれば、その時は不満に思った子どもも大人になってから正しい行動がとれるようになればきっと感謝すると思います。 (自分の子育ての反省から) (2005/6/13/21:50:23) ともちん > ロスト感の喪失‥大きなものを失って気付けばまだ良いです。今の世の中、新しい事が次から次へと起こり、一つ何か起こればまた一つ忘れてはならない事を忘れていく‥。そして同じような事故や事件が起こって「前にもこんな事あったよね」と言う様に大きな事故や事件も「仕方がない」で済まされてしまう。日本人の心は情にも挙げられていますが、自分だけではなく周りの人にも思いやりの情を持って接すれば乾いた世の中を潤せるのでないかと思います。 (2005/6/13/21:1:30) ハイブリッジ > 日本人の心は情 :「合理化と個人主義と乾いた社会をめざして…」改革してきた。「人間の情(こころ)をコミュニケートすること…情報社会…」情のある世界に戻す一つの手段。 やや哲学めいているが、現代の中年以下の世代へ普及する方策は?インターネットのHPやメールでの情報交換も良い意味で使われればよいが、変形して利用する者も目に付く(例えば自殺志願)。そう言えば、映画やテレビで時代劇の放映が少なくなった。義理と人情のこの世界・・・に関心を示さなくなった一つの表れか? マスコミはじめ、あらゆるメディアが偏らない情報を提供することも必要だと思う。もう一つは家族のコミュニケーションの場と時間を最大限確保することだと思うが? (2005/6/13/17:17:7) 悠澪 > 日本人の心は情:辛い思いをしてきた親たちが、子どもには自分と同じ思いをさせたくないという思いと子どもの数の減少とで過保護になり、その結果、人の痛みのわからない人間が増えたのだと思います。情=心=思いやりです。人間が他の動物と違う、動物の中のトップである証に情は持ち続けたい、取り戻したいですね。 (2005/6/12/22:32:7) ハイブリッジ > 母のプレゼント & ロスト感の喪失 : 小生が小学生の頃の母の物質的なプレゼントと言えば小学館の「○年生」の雑誌。夢中になって呼んだ記憶がある。 ロストについては、物質的なことが先行して「落とすな」「忘れるな」であった。精神的なことはそれに付随していたと思う。 (2005/6/12/16:54:12) 悠澪 > ロスト感の喪失:人と人とのつながりを失いたくないという気持ち≠ェなくなっているのでしょうか? 若い人の集団自殺や少年の凶悪犯罪のニュースを聞くたびに心が痛みます。これからの人生を失ったり、心に深い傷を残される被害者やその親はもちろん、加害者も気の毒でなりません。例外もあるでしょうが、自殺者や加害者は人との係わりを望んでいながらうまく関われずに、自信を失くし、劣等感を持ち、厭世的になり、寂しい思いをしてきたのだと思います。的がずれているようでしたらお許し下さい。 (2005/6/12/0:40:9) ともちん > 母のプレゼント‥忘れられないプレゼントがあるなんて素敵ですね。それが本で45年たってもまだ手元にあるとは驚きます。私もプレゼントをする機会がありますが、人はそれぞれ価値観が違うので、その人の思い出に残る贈り物をすることは難しいと思います。 (2005/6/11/9:37:54) 悠澪 > 母のプレゼント:うらやましいお話です。私は、ほしい物をおねだりするとなんでも「これからはちゃんと勉強するんよ。」という条件で、父がその日の内にも買ってくれていました。勉強嫌いの私は買ってもらうときだけ「うん、絶対勉強する。」とはじめから守るつもりのない約束をしてはほしい物を手に入れていました。子供の頃はこれの繰り返しでした。その上母は浪費家で買い物に行くたびに、服や小物やアクセサリーなどを買って来てくれました。おかげで私は物質欲・感動のない人間になってしまい、友人や知人から「悠澪にプレゼントしてもせいがない、ぜんぜん喜んでくれん。」と言われます。プレゼントされることはとても嬉しいのですが、心の中で「だって、ほしくないんやもん。」とつぶやいてしまいます。 (2005/6/11/0:23:12) ハイブリッジ > 便所の神様 : この記事をよく抽出されました、脱帽。本論から外れるが、話・話の掘り出しは、集中的に新聞を読まれ、その中から感性にあったものを挙げられていると思う。これを継続されていることに敬意を表します。 (2005/6/10/7:11:29) 悠澪 > 便所の神様:昔の人は、人間が生活していくうえでお世話になっている場所にお礼と感謝の気持ちを表し、大切に扱うことを教えるために、いたるところに神ありと言ったのでしょうね。あって当たり前のように思っていました。生活態度を見直し改める必要がありそうです。 (2005/6/10/0:35:22) 悠澪 > サツキとメイの家:のんびりとおだやかに、平和に時間が過ぎていくそんな時代だったのではないでしょうか。家電製品・車・電話などがいきわたり時間にゆとりができていいはずなのに逆に時間に追われ人はやさしい心を忘れつつあるように思います。人間らしさを取り戻さねばという思いがあるのではないでしょうか。 (2005/6/10/0:1:38) ともちん > サツキとメイの家‥映画を観た人がサツキとメイの家を訪れて、数十年前の日本を体験して、今の世の中を考えるきっかけになることは良い事ですね。 (2005/6/9/21:14:30) ハイブリッジ > サツキとメイの家 : 小生は家を覗いていない。家の周辺の道を通り高台から見学した(応募しなくても自由に散策できる)。人気の秘密は各人の感性の問題ではなかろうか? 大島さんのように大所高所から見る方、単純にアニメから入り実物を見たい方(つまり実物を知らない層)、実物に住んだ経験を持ち当時を懐かしむ方、などで評価が分かれると思う。小生はかまどや五右衛門風呂の経験者であり、単純にどのような場所にどんな造りの家かなと・・・。 (2005/6/9/20:9:6) 悠澪 > 沈黙の雄弁:私は仕事をしながらほとんど毎日ラジオを聞いています。スポーツの実況では選手の動きをことこまかに一挙手一投足伝えてくれているようですが、映像がない分アナウンサーが見たものを言葉に変えて伝えている、一瞬一瞬の動きを素早く言葉に置き換えて放送する技術にいつも感心させられていましたが、そういえば、ほとんど言葉の途切れることはありませんね。沈黙が数秒でもあればそれがいけないことのように話しだします。沈黙の雄弁≠ネるほどね〜 (2005/6/9/0:19:59) ハイブリッジ > 沈黙の雄弁 : 沈黙と間。その採り方が難しい。特に一般人は喋りだすと、一気に説明しようとして間は勿論、沈黙して相手に考えさす時間などとてもとても・・・。 ここ数日「・・・」が目立つが意識していた訳ではない。読者の想像にお任せしようと考えたものだが、如何なものでしょうか・・・。 (2005/6/8/7:17:28) ハイブリッジ > 借金王カエサル : 関連から2件。「借金は多くなればなるほど、借り手の方が主導権を握ってしまうと言う不条理よ」;不良債権はこの類か? 作家・塩野七生;以前に塩野さんの随筆か小説を読んだことがあるが、難しくて理解できなかった。今回の解説は解かりやすい。 (2005/6/8/7:17:6) ともちん > 沈黙の雄弁‥ラジオの野球中継はあまりに早口すぎて何が起きたのかわからなくなることが度々あります。沈黙は聞いている側に適度な緊張感を与えるのでより効果的だと思います。 (2005/6/7/21:18:13) 悠澪 > 借金王カエサル:借りるが勝ち、ないものは払えん≠ニいう言葉を聞いたことがありますが・・・ 人間を熟知していたカエサルも女の色香には惑わされたのですね。 (2005/6/7/8:11:42) 悠澪 > 親の脅迫:子どもが迷っている時や何かをしている時は、思考力・判断力・集中力などが育っている時なので親は口出し・手出しをしてはいけないと思います。これは放任ではありません。放任とはほったらかしにすることです。子どもが行き詰まり相談に来た時に親の考えを話してあげればいいのです。ただし、親の考えを押しつけるのではなく参考にするためです。親は子どもを一人の人間として認めなければいけません。子どもは親の分身でもなければ、所有物でもありません。子どもに苦労させたくないと思う気持ちはわかりますが、親と同じ失敗をするとは限りませんし、たとえ失敗したとしてもそれは経験として人生の肥やしになるはずです。失敗を自力で乗り越えることで自信もつくし人間としてたくましく育つと思います。親の役目は子どもを見守り常に気にかけていることだと思います。放任とは口も手も出さないのはもちろん、目も気もかけないことです。 (2005/6/6/23:44:4) |